外は冬、庭は雪

■ショートシナリオ


担当:宮本圭

対応レベル:フリーlv

難易度:易しい

成功報酬:0 G 71 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月08日〜01月14日

リプレイ公開日:2005年01月16日

●オープニング

 早朝の勝手口を開けた途端目に入ったのは、見慣れた裏庭が純白に染まった光景だった。
 ゆうべはやけに冷えると思っていたら、雪が降っていたらしい。去年の暮れ近くにも何度か小雪がちらつくのは目にしたが、こうして積もったのを見るのはこの冬初めてだ。この家唯一の使用人であるローテは一瞬目の前の風景に目を奪われていたが、ぶるっと身を震わせるとあわてて外套を取りに引き返した。
「うう、寒ーいっ」
 ローテとしたことが、薪がなくなりそうなことに気づかなかったのだ。この家の女主人である奥様はもう結構なお歳なので、部屋を冷やすのはあまりよくない。奥様がお目覚めになる前に寝室の暖炉に火を入れたあと、台所に回って朝食の支度のためかまどに鍋をかけ‥‥ようとして、薪がもうないのに気づいたのである。これでは食事が作れない。
 もう何年も使っている、気に入りの外套をひっかけて外へ出た。さくさくと雪を踏みしめる足がしびれるほど冷たい。おそらく十センチは積もっているだろう。買い置きの薪を置いている小屋へはほんの数十歩の距離なのだが、今ばかりは広いこの庭が少々恨めしい。
「こういうときは男手が欲しいわねえ‥‥」
 子供のころから使用人として働いているので家事は苦ではないが、女の腕で薪を割るのは一苦労だ。普段なら、いつも卵やチーズを売りに来る農家のおやじさんに薪割りをしてもらい、お礼がわりにになにかご馳走するのが常だった。ああ、あのおじさん、一昨日も来てたのに‥‥。
「すいませーん。おはようございまーす」
 薪小屋の戸を開けようとしたところで、誰かの声が聞こえてきた。もう! こんな朝早くに誰よと思いながら、元来た道を乱暴にざかざかと引き返す。あんな大きい声出して、奥様が起きちゃうじゃないの。
 勝手口から玄関へと突っ切って、外套も脱がないまま戸を開ける。若い男性が会釈して、蝋で封をされた紙片を手渡してきた。
「お手紙の配達ですが、こちらで間違いありませんか」
 宛名を確認する。前のお屋敷にいた頃、出入りしていた教師にこっそり簡単な読み書きを教わったことがあった。おかげでこういうときにはわざわざ奥様を呼びに行かなくていいので便利だ。
「確かに。ところであなた、今お暇?」
「は? ‥‥えーと、‥‥え?」
 純朴そうな青年が顔を赤くする。よくみるとなかなかハンサムだった。ここぞとばかりにローテはとびきりの笑顔を見せて、へどもどする若者の手を取った。
「こんなに冷えて、寒かったでしょう。よかったらちょっと暖まって行ってくださいな」
「ま、まだ配達の途中です」
「はしたない女だとお思いにならないでね」
 ためしに奥様の喋り方を真似てみた。
「正直に申し上げますわ。わたくし‥‥あなたに激しい、情熱的な、汗みどろになるぐらいの『運動』をお願いしたいの」
「お、お邪魔しますっ」
 そういうわけで、朝の薪割りを無事済ませへろへろになった配達人の青年を送り出したのは一時間後のことだった。意図的に思わせぶりな言い方をしたのはこちらだが、誤解をしたのは向こうが悪いのだ。

「‥‥やっぱり雪かきが必要だと思うんですよね。このところの天気だと当分溶けそうにないし」
「雪かき?」
「えーと‥‥つまり、歩きやすいように積もっている雪をどけるんです。そうすれば私だけじゃなくて、肉とか卵とかを売りに来る行商の人も楽になりますし」
「そうねえ。見てるぶんには積もってたほうが綺麗だけど」
「家事をするのは平気なんですけど、力仕事って、やっぱり私の細腕だとどうも‥‥」
「ローテ。あなたが何を言いたいのか、当ててみせましょうか?」
「どうぞ」
「お庭の雪かき、冒険者ギルドに頼みましょう‥‥こういうことなのよね?」
 つまりそういう依頼書が、ギルドの掲示板に貼り出されたのだった。

●今回の参加者

 ea1807 レーヴェ・ツァーン(30歳・♂・ファイター・エルフ・ノルマン王国)
 ea2206 レオンスート・ヴィルジナ(34歳・♂・神聖騎士・人間・ノルマン王国)
 ea2562 クロウ・ブラックフェザー(28歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea3079 グレイ・ロウ(36歳・♂・ファイター・人間・フランク王国)
 ea3856 カルゼ・アルジス(29歳・♂・ウィザード・人間・フランク王国)
 ea4111 ミルフィーナ・ショコラータ(20歳・♀・バード・シフール・フランク王国)
 ea9711 アフラム・ワーティー(41歳・♂・ナイト・パラ・ノルマン王国)
 ea9909 フィーナ・アクトラス(35歳・♀・クレリック・人間・フランク王国)

●リプレイ本文

 広い庭を白く染め上げる雪はほぼ固まっていて、踏むたびにざくざくと音を立てる。本日の天候は薄曇り、冷え冷えとした空気の中、裏手にある小屋から持ち出した雪かきの道具を手に、冒険者たちは白い息を吐き出している。
「なんだよこのむやみやたらと広い庭は‥‥」
「初めて来た者はみな、大概そう言うな」
 呆れたようなクロウ・ブラックフェザー(ea2562)の呟きに、平然と答えるレーヴェ・ツァーン(ea1807)。彼はこの屋敷を訪れるのもすでに三度目で、屋敷の女主人である老婦人や、使用人のローテとも顔なじみになりつつあった。
「当の奥方には、あまり広いという意識はないようだが」
「マジかよ‥‥これだから金持ちって奴は」
 クロウが信じがたいのも無理はない。なにしろまず家人への挨拶に屋敷の門をくぐって玄関にたどりつくまで、五十歩以上は歩かされたのだから。雪を踏み越えながらなので、なおさら遠く感じた。そのへんの農家の畑でも、こんなに広くはない。
「あのお屋敷に、先ほどのご婦人とローテさん、お二人だけで住んでおられるんですね」
 驚いているのはアフラム・ワーティー(ea9711)も同じのようで、背後にした二階建ての屋敷を振り返っている。
「あまり詳しいことは聞いたことがないが、元々はどこかの貴族の奥方だったそうだ」
 夫が亡くなって家督が息子に移ったあと、静かな暮らしを望んで、可愛がっていた使用人のローテと一緒にこの家に移り住んだ。もっともお嬢様育ちで世間知らずの奥様は、大きな屋敷というものがいかに多くの人々によって管理されているものなのか、いまひとつ理解していなかったのだ。
 ローテは働き者のようだから、屋敷内の掃除はまあなんとかなる。住んでいるのは二人だけなので、洗濯や料理もさほど大変ではないのだろう。だが問題は、この広大な庭の管理なわけで‥‥かくしてたびたび、ギルドに依頼が持ち込まれるというわけだ。
「これだけ広いんじゃ、草むしりするにも一苦労だもんな」
 ひととおりの事情を聞かされて納得したグレイ・ロウ(ea3079)の独白に、過去実際に草むしりに参加したレーヴェはわずかに苦笑いを浮かべた。
「まあ単に、奥方が冒険者を珍しがっているというのもあるようだがな。そうでもなければこう度々ギルドに依頼などしないで、正式に庭師を雇ったほうが安上がりだ」
「ともあれ、困っている女性を放っておくのは騎士の道に悖ります」
 アフラムの生真面目そのものの科白に、クロウも肩をすくめる。
「ま、文句言ってても始まらねえもんな。ばりばり働いてさっさと片付けようぜ」

 ひとまず、普段通りそうな道を開通させるのが最優先である。門から玄関前、そこから裏手にある勝手口、それに薪や庭仕事の道具類が置いてある小屋。この四つをつなぐことができれば、まずローテの当面の不便は解決だろう。
 晴れていたほうが雪が溶けやすいからと、カルゼ・アルジス(ea3856)がレインコントロールを唱えておいたものの、この魔法は一瞬で劇的な効果の現れるようなものではない。雪かきをしているうちに、だんだんと晴れてくる‥‥はずだ。
「‥‥ふー。だいぶあったまってきたな」
 とりあえず玄関まわりをひととおりかき終えて、グレイが外套の襟元をくつろげながら息をつく。普段から薄着が習い性らしく、今日も防寒着の下はほぼ普段と変わらない格好らしい。作業を始める前は寒い寒いと震えていた彼だったが、やはり体を動かし始めると自然に汗をかいてくる。
「確かに‥‥最初は寒かったけど、結構暑くなるもんねえ」
 リョーカことレオンスート・ヴィルジナ(ea2206)も手を休めて顔を扇ぐ。こちらは寒さ対策は万全、数日を経てかちかちになった雪をさっさと堀り進んでいた。この二人のおかげで玄関まわりはあっという間にすっきりしたが、まだ先は長そうだ。
 道の脇にこんもりと盛り上がった雪の山を眺めつつ、リョーカが軽く首を振った。
「積もってるっていっても大したことないけど、こうしてひとつにまとめちゃうと結構な量よね」
「そうだなあ。これだけあれば、カマクラって奴が作れるかもな」
「カマクラ?」
「あー‥‥ジャパンの寒い地方で作る、雪の家みたいなもんらしいが」
 言いながらも、グレイもさほど詳しくはないようだ。あやふやな記憶を掘り起こすように頭をかく。
「中で酒呑んだりするらしいが‥‥」
「お酒‥‥いいわねえ」
 うっとりと呟いたリョーカだったが、そこでふとぶるっと身を震わせ我に返った。体を休めていたせいか、いつのまにか汗が引いている。
「休んでると体が冷えちまうな。このまま一気に門のところまでやっちまうか」
「そうね。ローテちゃんやミルちゃんがお昼作ってくれてるっていうし、それまでもうちょっと頑張りましょ」
 普段から力が有り余っているふたりは、また自分たちの作業に没頭しはじめた。

「雪って、夏にあると、冷たいお料理が作れてすごく便利そうですけど‥‥」
 鍋で煮え立つシチューをかきまぜながら、ミルフィーナ・ショコラータ(ea4111)は小首をかしげた。
「そのままでも食べられるのかしら?」
「そうねえ」
 こちらは昼食用のパンを切り分けつつ、ローテが首をかしげる。
「どの道うちの雪は降ってから結構経ってるから、お腹を壊しそうな気もするけど‥‥でも、高山の雪を取り寄せて、それで氷菓子を作ることもあるわね。夏の話よ、もちろん。遠くから運んでくるものだし、魔法を使ったりして運ぶ間も溶けないようにしなきゃいけないから、すごく高くつくけど」
 その雪っていうのが‥‥とローテが声をひそめて耳打ちした値段に、ミルフィーナは目を丸くした。
「そんなに高いんですか?」
「だからお金持ちでないと食べられないの。冬の間は雪なんてどこにでも降るのに、変なものよね」
 『前のお屋敷』にいた頃の話なのだろう。ミルフィーナの驚き顔に笑いながら、ローテは皿に料理を並べる。
 シフールのミルフィーナは残念ながら力仕事に向いていないので、何か家事で手伝うことはないかとローテに申し出ていた。そうは言っても家の中の雑事は普段ローテひとりで間に合わせているから、わざわざ冒険者に頼みたいことというのはあまりない。とりあえず雪かきに頑張る冒険者たちのために、いつもより豪勢な食事を作りましょう、ということになったのだ。
「さて、もうお昼ね。ミルさん、奥様を呼んできてくれない? 私、これが終わったら外にいる皆さんを呼んでくるから」
「はい〜」
 シチューの煮え具合もよさそうなので、ローテの頼みに従って鍋の前を離れた。冒険者が来ている間は、奥様はいつも彼らと食卓を共にしたがる。
 この家に来るのは二度目なので、奥様が普段過ごす部屋がどこなのかはわかっている。ノックして戸を開けると、はっとしたように奥様が顔を上げた。
「奥様、お昼ですよ〜」
「ああ、はい。ご苦労さま」
 一瞬緊張していたように見えた奥様の表情は、気のせいだったのだろうか。のんびりした受け答えはいつもと変わらないゆっくりとしたものだ。『今日は兎のシチューですよ』などと話しながら、きっと急に戸を開けたせいですねとミルフィーナは心中で結論づけた。奥様のそばにあった蝋燭立ての中で、黒い灰がまだくすぶっていたことには気づかなかった。

 朝方にカルゼのかけた魔法の効果がようやく及んできたものなのか、空は少しずつ晴れようとしていた。雲の切れ目から見え隠れしている太陽はもう高く、日差しも暖かい。
「ふう‥‥もうお昼なのね」
 その太陽を目を細めて見上げつつ、息を切らして汗を拭いたフィーナ・アクトラス(ea9909)が担当しているのは屋敷の裏手のほう。ローテや、食物を売りにくる出入りの行商人などが利用するあたりだ。来客そのものが多くないこの屋敷では、むしろこちらのほうが人の出入りが多い。
「お疲れですか?」
「まあね、でも大丈夫。こういう力仕事は鍛錬になるから」
 ざく、とスコップを立てて休憩の姿勢を見せたアフラムの問いに、フィーナは笑ってそう返す。
 彼女の腕力は人間の女性としては人並み程度だが、積もった雪をざくざくと大雑把に掘り進む様子は豪快そのものだった。もともとそういう性格なのかもしれない。一方のレーヴェやアフラムは、フィーナが先触れとして大雑把にかき分けた雪の跡を、地面が露出するよう道として丁寧に整えていた。通り道に雪が残っていると、朝方に地面が凍ったりして却って危険だ。
「特に私の場合、目指しているものがアレだし」
「アレ?」
「至上の射撃クレリック」
 聞いたことのない言葉に眉根を寄せるレーヴェ。世間の風聞によれば、どうもノルマンには『殴りクレリック』を名乗る者が存在するらしいが、最近はそういうものが流行しているのだろうか?
「‥‥よくわからんが、まあ頑張れ」
 頭をかきつつ、クロウが新たに雪にスコップを突き立てようとして――ぺしゃり。
「冷てっ」
 見事にクロウの頭に命中したのは、拳よりすこし小さいぐらいの雪玉だった。砕けた雪の粒が襟元から入り込み、クロウは慌てて髪からそれを払い落としながら首をめぐらす。
「へへーん。どんなもんだいっ」
 嬉々とした声を上げながら、カルゼが次の雪玉を取り上げる。いつの間に作ったものか、彼の足元には丸めた雪玉が山になって積み上げられていた。さっきから姿が見えないと思ったら‥‥と一同は呆れる。
「やりやがったなっ。言っとくけどコントロールなら俺のほうが上だぜ!」
「腕がよくっても、ぶつける雪玉がなくちゃねー。こっちはたっぷり作ってあるもーん、どんどん行くよー」
「何おう? お前なんかに負けてたまるかっ」
 売り言葉に買い言葉、途端に時ならぬ雪合戦が始まる。罵声が飛び交い、まだ手つかずだった雪の上を少年たちが駆け回って踏み荒らし、雪玉が乱舞する。巻き添えになってもつまらないので、レーヴェはさっさと何歩か退いて避難した。
「ちょっと、やめなさいよふたりとも。まだ仕事は終わってな‥‥」
 さすがに見かねて注意しかけたフィーナの顔に、正面から雪玉が命中した。
「‥‥やったわねえっ。射撃クレリックの腕前、存分に見せてあげるわっ」
「皆さん、いい加減に‥‥」
 もはや乱戦の様相を呈す中、果敢にアフラムが進み出ようとしたとき、隣のレーヴェがふと頭上の空を見た。雲はいつの間にかほとんど晴れ、太陽は真昼の位置にある。そろそろだな、という呟きはアフラムには意味不明で、思わず注意の言葉を引っ込め長身のエルフの顔を見上げた。
 ――雪合戦に興じていた者たちの手が、さっきまでいなかった姿を見つけてふと止まる。
「‥‥あ」
 いつのまにやってきたのだろう。ローテがぱたぱたと雪のついた裾を払っていた。雪かきをして通りやすくなった道には、カルゼやクロウが投げて砕けた雪玉のかけらが散乱し、黒く露出した地面を汚している。本来の依頼である雪かきを放って何をしていたかは、一目瞭然なわけで‥‥。
「‥‥寒い中大変だろうと思って、今日のお昼は献立を少し奮発してみたんですけど」
 愛嬌のある顔立ちがにこやかに微笑む。
「元気な皆さんには必要ないみたいですね? 行きましょうか、レーヴェさん、アフラムさん」
「えっ、ちょっちょっと待った、元はといえばカルゼのほうが先に‥‥」
「先に‥‥。なんですか?」
「いや、えーと、その‥‥ごめんなさい」
 微笑のまま尋ねられると弁明を最後まで続けることはできず、クロウは早々と肩をすぼめた。
「‥‥お見事です」
 自分たちで掘り返した勝手口への道を通りながら、アフラムが使用人の女性の顔を見てにっこり笑う。
 結局雪合戦組は、他の冒険者たちが屋敷の中で昼食をとっている間、熱いミルクの入った器だけ渡され、外でさびしくそれを飲むはめになった。

 昼食後はクロウたちもあらためて真面目に仕事に取り組んだ。カルゼは相変わらず雪だるまを転がして仕事なのか遊びなのかよくわからないが、これは除雪には役立たないこともないので放免されている。
「‥‥とりあえず、当面これぐらいあれば間に合うだろう」
「わ、ありがとうございます! 助かります」
 あとは他の者たちに任せて平気だろうと判断したレーヴェは、表で割った薪を台所に運び込んでいた。以前配達員に薪割りを手伝わせた経緯を昼食の折に聞き、苦笑いとともに薪割りの手伝いを申し出たのである。
「やっぱり男手があると違いますよねえ。‥‥あ、そこに置いてくださいね。今日は助かっちゃいました。奥様はあの通りで雪かきなんかできないし」
「そういえば、今日は奥方を見ないな。具合でも悪いのか?」
 いつもなら頼まなくても冒険者たちを見物にくる老婦人は、今日は昼食のとき顔をあわせたきりだ。寒いせいだろうか?
「昨日誰かから奥様宛てに手紙が届いてましたから、その返事を書いてらっしゃるんじゃないかしら。奥様ってほんと筆まめで」
「あの、気になってたんですけど」
 豆のさやをとっていたミルフィーナが、思い出したように口を開いた。
「奥様って、本当はお名前なんておっしゃるんですか? レーヴェさんも知らないんですよね?」
「そうだな。俺も聞いたことがない」
「あら。そうでした? 私、いつも『奥様』ってお呼びしてるから‥‥アンヌさまっておっしゃるんですよ。お若いころは美人で有名で、貴族の殿方が皆奥様に憧れてらしたんですって」
 前のお屋敷にいた頃聞いた話ですから、本当かどうかは知りませんけどね。そう付け加えて、ローテは微笑した。

 ひとまず人の通れるだけの道が完成し、あとは各々でやろうと思っていたことを実行する。アフラムの『雪像を作る』という提案で、カルゼの作った雪だるまのうちのひとつから、女性をモチーフとした像(当然だが、着衣像だ)を削り出した。美術には一家言あるらしく、なかなか立派だ。
「こうなると少々、溶けるのが惜しいですね」
 作者のアフラムは照れくさそうにそう言った。
 グレイとリョーカは、屋敷の前に積み上げた雪の山を使って、グレイのあやふやな記憶をもとにどうにか『ジャパンのカマクラ』を再現しようと頑張っていたが、体の大きなふたりのこと、彼らが中で酒を酌み交わせるようなものは残念ながらできなかった。
「なんかこれ、すっごい窮屈よ。ジャパンの人って、こんな家で暮らしてんの?」
「‥‥それは何か違う気がするんだが」
 カルゼとグレイ、それにフィーナは、雪かきをひととおり終えたあと、普段人の通らない裏庭で思うぞんぶん雪合戦をやった。カルゼのいたずらの巻き添えで昼ご飯抜きの憂き目に合ったクロウとフィーナのふたりは、同盟を組んでカルゼを集中攻撃。見事撃退したという。