【怪盗と花嫁】怪傑救出!

■ショートシナリオ


担当:宮本圭

対応レベル:6〜10lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 46 C

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

冒険期間:03月23日〜03月30日

リプレイ公開日:2005年03月30日

●オープニング

 二通の手紙が、ほぼ同時に冒険者ギルドに届けられた。一通は薔薇を形どった印章で封蝋を押されたもの、もう一通は猛禽を意匠化したらしい印章が押されている。いずれも差出人の名はなく、どちらも宛名はフロランス・シュトルーム‥‥パリ冒険者ギルドのギルドマスター宛てだ。
 受け取って文面に目を通したフロランスは白皙をわずかに曇らせた。手紙を懐中にしまいこみ、手近なギルド員を呼び止めて、マント領からの依頼はどうなっていたかしら‥‥と尋ねる。
「そういえばそろそろ、依頼に向かった連中が戻ってくる頃ですねえ‥‥なんです? 何か問題でも?」
「いえ‥‥」
 あいまいに答えを濁して、考え込むようにフロランスがまつげを伏せた。やがて面を上げ手近な羊皮紙とペンを引き寄せると、この女性にしてはめずらしく急いた所作でさらさらと文字を書き綴る。呆気に取られて眺めていたギルド員にそれを押し付け、フロランスは席を立った。
「それを依頼書として掲示板の一番目立つ所へ。興味を持った冒険者には、後で詳しい内容について説明があると言っておいてね。私は急用ができたので、少し出てくるわ」
「はあ」
 ギルド員は明らかに興味をそそられた表情だが、何も聞かないのは今問い詰めても無駄なのがわかっているのだろう。口が固くなければ、ギルドマスターなどつとまらない。春ものの外套を取りあげたフロランスを横目に、手の中の羊皮紙に視線を落とした。
『人間の救出の依頼。報酬高額。危険』
「それから、その文面を書いたのが私だということはくれぐれも内密に」
「わかりました」

 ――なぜこのような手段をとったかにはもちろん理由がある。
 依頼の内容が内容だからだ。
「怪盗ファンタスティック・マスカレードは現在、マント領主の城に幽閉されているらしい」
「確かなんですか?」
 素朴な質問を出した冒険者のひとりが、説明を中断された記録係の男にじろりと睨まれ竦みあがった。怖い。
「出所は明かせないが、信頼できる情報筋からの報せだそうだ」
 ギルドにもまだマント領の依頼の正式な報告は出ていないのに、いったい誰が‥‥? という冒険者たちの疑念を置き去りにして、記録係は説明を続ける。
「どうやらあそこの領主には悪魔が関わっているという‥‥これもその情報筋からの話だが」
 もちろんどんな情報でも、でたらめの可能性はある。だがファンタスティック・マスカレードがイギリスに出没したときも、かの怪盗は姿を消す直前に悪魔の謀略を暴いたという噂だ‥‥作り話にしては、これは少々奇妙な符合ではないだろうか?
 ファンタスティック・マスカレードが現れるところに、なぜいつも悪魔の影があるのか‥‥それは今の所誰も知らないことだ。
「伯爵が悪魔と組んでいるとすれば、ろくなことを企んでいないことは明白だ。怪盗の狙いがなんなのかはわからないが、幽閉されているということは、少なくとも伯爵とは敵対している‥‥」
 敵の敵が味方とは限らないが、利害さえ一致すれば手を組む意味はある‥‥記録係の低い声に、もしかして、と誰からともなく呟きがもれる。その反応に構わず、記録係は平然と次の言葉を継いだ。
「依頼の内容は、ファンタスティック・マスカレードを城から救出することだ。くれぐれも、この件には悪魔が関わっていることを忘れないように‥‥出発してから後悔しても、もうそのときには遅いからな」

「ご苦労様」
「まったくだ‥‥俺は一介の記録係であって、冒険者への説明は仕事のうちじゃない」
 フロランスの渡した薬草茶のカップを受け取って、一年分はしゃべった気がすると記録係は愚痴をこぼした。
「悪いとは思ったけど、他に手が空いてる人がいなかったの。近頃は依頼が多いし、ちょうどマント領から冒険者が戻る頃だから、みんな忙しいんでしょう。わかってると思うけど、私の名前は出してないわね?」
「ああ」
 冒険者ギルドは確かに金銭さえ払えばたいていの依頼はこなすが、しかしそれでも脱走の手助けというのは本来受けるものではない。いくら悪魔が関わっていてもだ。そこでフロランスは一計を案じ、ギルドの出資者のひとりに取引を申し出て、依頼人として名前を貸してくれるように頼んだのである。もちろん冒険者に払う依頼料も出資者もちで、ギルドはそこから仲介料を取らない。だから実態はともかく書類の形式上は、ギルドを通していない依頼ということになる。
 もちろん脱走幇助があまり褒められた行いでないことにかわりはないが、ヴァン・カルロス伯爵と悪魔のつながりの証拠さえ掴めば、あとはなんとか言い抜けられるだろう。
「それにしても危ない橋だ。出資者どのはずいぶん吹っかけてきたんじゃないか?」
「今度夕食をご一緒に、と誘われたわ」
 伯爵が何を企んでいるかは知らない。だが放置しておけば、悪魔の謀略がみるみるうちにノルマンを穢していくことは目に見えている。毒のように。疫病のように。だからこそ、何か知っているはずの怪盗をここで死なせるわけにはいかないのだ。
 記録係が素早く目を馳せると、机の上に広げられた手紙には走り書きの署名が見える。
 ――ホリィ・チャーム。怪盗ファンタスティック・マスカレードの部下のひとりと目される名前だ。文字は落ち着いて見えるが、仮にもお尋ね者のひとりが手紙に名を残すなど、実はよほど動揺していたのかもしれない。
「まったく、ギルドマスターというのも面倒そうな仕事だ」
「いつでも代わるわよ」
 手紙に気をとられていた記録係は、そのときのフロランスの冗談めいた表情を見過ごした。

●今回の参加者

 ea0508 ミケイト・ニシーネ(31歳・♀・レンジャー・パラ・イスパニア王国)
 ea1241 ムーンリーズ・ノインレーヴェ(29歳・♂・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 ea1643 セシリア・カータ(30歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea2562 クロウ・ブラックフェザー(28歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea3674 源真 霧矢(34歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea3856 カルゼ・アルジス(29歳・♂・ウィザード・人間・フランク王国)
 ea4340 ノア・キャラット(20歳・♀・ウィザード・エルフ・フランク王国)
 ea4746 ジャック・ファンダネリ(39歳・♂・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea5506 シュヴァーン・ツァーン(25歳・♀・バード・エルフ・フランク王国)
 ea6337 ユリア・ミフィーラル(30歳・♀・バード・人間・ノルマン王国)

●リプレイ本文

 城から出てきたエルフの女中を捕まえてお茶でも一杯と誘い、さりげなく酒場に流れて心地よく酔わせてやることなど、ムーンリーズ・ノインレーヴェ(ea1241)には容易いことだった。何しろ彼は口説きに関してはちょっとした達人だ。そっと相手の手を握り酔いに潤んだ瞳を見つめて、魅惑の低音で彼は囁く。
「マドモワゼル。貴女はすばらしい女性だ‥‥出会ったばかりの寄る辺ない旅人の私に、親切に色々教えてくださって」
 そう、たとえば城の間取りとか。
「その上このようなお願いをするのは心苦しいのですが‥‥一度でいい、城に入れて頂けませんか。貴女のいる城に‥‥」
「ええ‥‥結構よ。私も、二人きりでゆっくり貴方とお話したい」
 陶然とした女中の言に、ムーンリーズは首を振った。
「いえ、申し訳ありませんが、入れて頂きたいのは私一人ではないのです」
 少し迷ったが、一人で城内に潜入するのは危険すぎる。それにこの女中はもう触れなば落ちんという風情で、二人きりで城で会いたいと言えば多分、まあ、そういうことになるだろう。その場合、後で彼女を引き離すのが非常に面倒になる。魅力がありすぎるのも困り物ですねと、勝手なことを彼は考えた。
「まあ、そんなふしだらな‥‥でも‥‥あなたが望むのでしたら、私」
 酔いで少し理性がゆるくなっているのだろう、何を誤解したのか女中は頬を染めた。
「お連れはどんな方? きっと貴方ほど素敵ではないのでしょうけど、何人で城にいらっしゃるの?」
「五人‥‥いえ、可能なら十人ほど」
 ‥‥当然あっさりと断られた。

「ギルドからの依頼で、伯爵さまの支援をするよう承って参りました」
 シュヴァーン・ツァーン(ea5506)の言葉に、門前に出てきた騎士は彼女の顔を胡散臭そうに見た。怪しまれてはいけないと、シュヴァーンはさらに言葉を継ぐ。
「伺ったところによると、かの怪盗は悪魔と通じているとのこと。ならば捕らえた怪盗の支援のため、悪魔がやって来ないとも限りますまい。ですから‥‥」
「我らだけでは心もとない、と?」
 対する声に不快が滲み、シュヴァーンはしまったと内心舌打ちする。この手の輩は自尊心が殊更高いのだ。
「大体、我々は伯爵様から何も聞いていない」
「ですから、ギルドからの依頼で‥‥」
「ギルド直々に金を出したと? 前回は、伯爵様ご本人の希望で依頼を出したはずだ。ギルドが伯爵様に力を貸すというのであれば有難いが、それなら事前に書状で報せるのが礼儀というもの。いきなり人だけ寄越すというのは、余りに礼を失しているだろう」
「それは」
 確かにその通りで、シュヴァーンは咄嗟にうまい答えを見つけられない。
 あまり粘るのも不審がられそうなので、出直しますと言ってその場を辞去した。ふと振り返ると、先ほどの騎士は射るような目でこちらを睨んでいる。警戒されている‥‥なぜかそう感じた。

●侵入者たち
 クロウ・ブラックフェザー(ea2562)が下を覗き込むと、城壁の上の彼を振り仰ぐ仲間達の姿はまるで豆粒のようだ。うっかり落ちたらただじゃ済まないなと、クロウは今さらながらに吐息を震わせた。
「っ、と」
 先に登ったクロウがたらしたロープを伝って、ミケイト・ニシーネ(ea0508)がようやくよじ登ってきた。ロープがあるとはいえ、これだけの高さの壁を登るのは素人にはきつい。元々身の軽いミケイトやクロウはともかく、体力のないノア・キャラット(ea4340)やムーンリーズは、ミケよりも先に登ってきたのにまだ息を切らしている。
「あ、あとは‥‥どなたが下に?」
「残りはユリアはんと霧矢はんやな」
 内部の誰かに手引きしてもらうにしても、人数が多すぎる。十人もの部外者を内部に引き入れる愚を犯す者はそうはない。ムーンリーズやクロウらが可能な限り情報を集め、できるだけ人目のないところから潜入という手はずが最善だろう‥‥そういう結論に至るのに時間はかからなかった。街なかで別働隊が陽動を始めたのか、先ほど慌しく城の兵が出て行ったのも確認済みだ。街に大ガマが出たとか怪盗が出たとか、確かそんな叫びが聞こえてきたような。
 下を覗き込むと、ユリア・ミフィーラル(ea6337)がロープを伝い壁を登ってくるのが見える。しんがりが源真霧矢(ea3674)なのはちゃんと理由があって、大柄な彼が他の者と一緒に登ると綱が切れてしまいそうな気がしたからだ。
「それにしても、一度は対峙した怪盗を、今度は救出することになろうとは‥‥」
 やっと息を整えたノアが首を振りながら、奇妙なものですねと独白を落とす。
 話では、怪盗は前回ノアたちと対峙したのち、兵の手をすり抜け見事逃げおおせたという。だがそのほとぼりも冷めぬうちにまたも館に姿を現し、今度はあっさりと捕らえられたとか‥‥街の噂話に過ぎないので、信憑性はあまり期待できないが。
「とにかく霧矢が来たら、庭に降りられるところを探して‥‥それから怪盗のおっさん探しだな」
 その霧矢が壁を登り始めた途端、ロープはぎしぎしと軋んでいつ千切れるかと皆はらはらしたが、なんとか全員無事に壁登りを終えたようだ。

「うー、冷た」
 カルゼ・アルジス(ea3856)が水から上がると、服の腰から下がぐっしょり濡れて重い。春先とはいえ、水はまだ冷たかった。本当なら小舟で、水路のどこかから侵入するつもりだったのだが。
「意外としっかりした城なんだもんな、ここ。風邪引きそうだよ」
 貴族の城というのは、程度の差はあれ城攻めを想定して建てられているものだ。水路の途中まで手漕ぎボートで侵入したのはいいものの、途中で鉄格子のはめられている区画にぶつかり、結局全員腰まで水に浸かって格子の隙間を抜けていくことになったのだ。前回の怪盗騒ぎでホリィ・チャームが城壁を爆破した所からなら入るのは簡単なのだが、当然そこは警備兵が見張っている。
「どうやら、洗濯場に出たようですね‥‥」
 水を吸った服を絞りながらのセシリア・カータ(ea1643)の言葉通り、足元には洗濯道具が並んでいる。水がいやに匂うと思ったら、生活排水の通り道だったのだ。曇天でお世辞にも洗濯日和とはいえないためか、人の姿はなかった。脱いだ靴を逆さにして中の水をかき出しつつ、ジャック・ファンダネリ(ea4746)が言う。
「スーザン嬢の話だと‥‥」
 スーザンというのは、先日まで花嫁の侍女を務めていた女性の名だ。ギルドの報告書で彼女の存在を知ったジャックは、事前に彼女の勤める雑貨屋で城のことを二、三聞きだしていた。
「この城には地下はないらしいス。人を閉じ込めるならたぶん尖塔だろうと」
「‥‥地下がない?」
 セシリアが眉を顰め、『彼女が知らないだけかもしれないスけどね』とジャックが補足する。
「尖塔っていうのは、あれかな?」
 カルゼの指した先には、確かに高い塔がある。
「行きましょう」
 シュヴァーンが溜息をついて立ち上がる。服を乾かしている時間は、残念ながらない。

●信じる道
 バーニングソードを宿されたミケの矢で射抜かれ、無様に床に落ちたインプの体が霧のように大気に溶ける。悪魔は死んでも屍を残さない。武器を収める間もなく、回廊の向こうから新手の騎士の姿が現れた。
 がらん! 兜が床に落ちる音が響くと、その下に現れたのは醜悪な悪魔の顔だ。大きすぎる鎧から抜け出したインプに霧矢がライトニングソードで斬りかかると、枯れ枝に似た片腕がざっくりと落ちてそのまま消失する。腕を失ったというのに、小悪魔は高い笑い声で冒険者たちを嘲った。
 次の矢をつがえようとしたミケが、ふと背後を振り返って悲鳴を上げる。
「あかん、こっちからも来よった!」
「私にお任せを」
 ノアの得手は火の魔法だが、ファイヤーボムは派手すぎて余計に騒ぎを大きくしそうだ。巻物を取り出す。
 スクロールから引き出されたのは雷の魔法。まばゆい光が閃いて、背後をつこうとした新しい悪魔を打ち据えた。次いでムーンリーズが同じ呪文を放ち、次いでユリアのムーンアロー。前後を塞いでいた悪魔はほぼ同時に消滅し、さほど間をおかずに霧矢の手にした雷の剣が消える。
「魔法しか通じんゆうのも、意外ときついもんや‥‥」
 悪魔に発見されるのはある程度想定の範囲内だったが、こう数が多いのでは、遠からず精神力が果ててしまう。ミケのほうも矢がもう残り少ない。回収している暇がないのだ。
 情報を元に作成した見取り図を引っ張り出して睨み、クロウが頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。
「だめだ、やっぱり地下への入り口がわかんねえ!」
 図面や歩いてみた感じから考えて、この城に地下がないという話はやはりおかしい。何かあるはずなのだ。だがどこから地下へ入れるのかというと、悲しいことにクロウの設計の知識では及ばない。
「わからん物は仕方あらへん。このままやとじり貧や、向こうと合流したほうがええな」
「ユリアさん、ジャックさんたちは‥‥」
「ちょっと待ってね」
 ノアに求められ、ユリアがテレパシーを唱える。しばらく目を閉じていたが、やがて顔色が変った。
「まずい。向こうも戦闘になってるよ!」

 セシリアのオーラをまとった剣ががりがりと石の肌を削る。動く石像は悪魔を模した姿をしていた。ガーゴイルと呼ばれるそれの爪を、セシリアは咄嗟に盾で止めた。強い衝撃でじんと左腕が痺れる。
「カルゼ!」
「クロウ、あっちをっ」
 駆けつけたクロウたちにカルゼが示したのは、尖塔の階段に倒れ伏している男の姿。怪盗ファンタスティック・マスカレード。
「怪我してるんだ。手当てを‥‥」
 見張りを倒し牢を抜け出した怪盗と鉢合わせしたカルゼらは、そのまま合流して塔を出ようとして、出口に身構えていたガーゴイルに襲われたのだ。おそらく脱走を防ぐためで、塔から出る時には何かの合言葉でも要るのだろう。それにしても、なぜ貴族の城にガーゴイルなどというものがいるのだろう?
「こいつっ」
 悪魔の姿をしているだけだから普通の攻撃も通じるが、石だけあってなかなか固く、ジャックのニードルホイップでは有効な打撃を与えられない。彼の剣は宿に置いた馬に積んだままだ。一度攻撃をかわし損ねて、銀髪がべったりと血で張り付いていた。
 劣勢と見て霧矢が雷の剣を呼び出して打ちかかると、ガーゴイルが大きく身をよじった。雷が効くのだ。
 気づいたノアがスクロールを取り出し、ムーンリーズも呪文を唱える。その間にミケやユリアが怪盗の前に屈みこみ、魔法薬で手当てを始めた。鮮やかな色の外套の半分以上が真紅に染まっている。
 雷が有効という見立てはどうやら間違いでなく、魔法使いたちのライトニングサンダーボルトを受け、さらに霧矢のライトニングソードの攻撃を受け、ガーゴイルは粉々に砕けたのだった。

●聖遺物
「どう?」
「魔法薬で傷は塞いだよ。だけど」
 大量に失った血までは薬ではどうにもならない。言葉を濁したユリアの前で、怪盗が目を開いた。覗き込む面々の中に、顔半分を血に染めたジャックの姿を見つけ、ふと仮面の奥の表情がゆるむ。
「『身は厭え』と言ったはずだが‥‥」
「自分の身を労わる騎士などいない」
 ジャックの返答に、怪盗は青ざめた面にふと薄く笑みを刷いた。
「信じる道を行くのは美しい。しかしそれは同時に、自分を案じる誰かに己の生き方を押し付けることでもある」
「‥‥?」
「それが悪いとは言わないが‥‥ッ」
「怪我人が偉そうに説教すんなや」
 身を起こしかけてよろけた怪盗に霧矢が呆れながら肩を貸す。その様子を見て、ミケが大きく眉間に皺を寄せた。
「怪盗はん、なんでそこまでしてるん? こないな怪我してまで、なんで悪魔と戦うんや」
「伯爵の目的がなんなのか‥‥あなたはご存知なのではありませんか?」
 シュヴァーンが尋ねると、怪盗はしわがれた声でその問いに答えた。
「聖遺物だ」
「聖遺物?」
 ジーザス教の聖人の遺品や遺骸などを『聖遺物』と呼ぶ。これらは神学上非常に神聖なものであると考えられ、実際に何らかの力を秘めている品も少なくない。
「マント領の街の地下には、古代の遺跡が存在する‥‥ほとんど伝説に近い話だ。その遺跡のどこかに、強大な力を持つ聖遺物が眠っている‥‥と」
「それが伯爵の狙い? 伯爵はもうそれを見つけてるの?」
「わからん」
 目を瞠ったユリアに怪盗は首を振る。
「だがこの話が本当なら、悪魔が奴に手を貸すのも納得がいく‥‥この城に何か手がかりがあるかと思ったのだが」
「まさか、捕らえられたのはわざと?」
 なんという無茶をするのかとシュヴァーンが目を見開く。捕らえられてすぐ殺される可能性だってあったのだ。
 さらに誰かが言葉を継ごうとして、近づいてくる複数の足音を聞きとがめた。思いがけない話に場所を忘れていたが、ここはまだ危険のど真ん中なのだ。城壁を悠長に登っている時間はないし、カルゼらの侵入してきた水路に今も人がいないとは限らない。一体どうすれば‥‥と皆で頭を抱えそうになって、凛と澄んだ声が耳に届いた。
「こっちよ!」
 聞こえた声に思い当たってクロウが瞠目する。ホリィ・チャームの声だ!

●優しい嘘つき
 ホリィは以前自分が魔法で爆破した城壁から侵入し、見張りの兵ふたりを倒していた。騒ぎになることなど気にせず警備を倒したその手際が、いかにも派手好みの彼女らしい。
 少し離れた場所、湖のほとりにホリィの手配した小舟が三隻とまっている。なんとか全員乗れるだろう。真っ先に怪盗を運び込み、ミストフィールドで追っ手の目をくらましている間に湖面へ船を出した。
 潜入前にカルゼの唱えておいたレインコントロールが効いてきたのか、冷たい雨がぱたぱたと体を叩き始める。
「この雨で、とりあえず連中も諦めてくれりゃいいが‥‥」
 クロウの呟く横で、ホリィが横たわった怪盗の体の上に、雨避けとして自分の外套をかけている。
「怒っているのよ、私」
「そうか」
「仲間のはずよね、私たち。いつになったら、あなたは私達を信頼してくれるの?」
「しているさ」
 嘘つき、と詰る女の声が湿っているのは、雨のせいだけではない。
「傷、見せてちょうだい。本当にあなたはいつも無茶ばかり‥‥」
 ホリィの声を聞きながら、ジャックはふと先ほどの言葉を思い出す。
 ――自分を案ずる誰かに、己の生き方を押し付けること。
 危険を承知で伯爵の懐に入り込み、傷を負ってなお立ち上がろうとした怪盗は、何ゆえその生き方を選んだのか‥‥それを知る者は誰もいない。少なくとも、今は。