【怪盗と花嫁】天が焼け落ちる
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■ショートシナリオ
担当:宮本圭
対応レベル:6〜10lv
難易度:難しい
成功報酬:2 G 97 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:04月05日〜04月12日
リプレイ公開日:2005年04月13日
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●オープニング
天が燃える。
◇
「ひはハッ」
奇妙な笑い声を上げながらとがった爪を揺らめかせるとそこに点が生まれる。赫い点が。
最初はまるで爬虫類の舌じみてちらちらと赤く揺らめき‥‥苗床を見定めるがごとく紅の尾を引きながら這いまわり。
小さなちいさなその舌はしかし蹂躙の先触れにすぎない。地をのたうつ虫も生えかけの下草も切り株から覗く新芽も春の息吹のすべて何もかもを飲み込み貪り喰らい尽くしながらその姿は少しずつ着実に成長していく。
より大きく、より強く。より残忍に、より貪欲に。
ただの赤い点だったものは、やがて火へ。火から炎へ‥‥。
「誰です!? そこで何を‥‥」
息を呑む気配に振り返る。
人間だった。まだ若い。飾り気のない黒い服は僧か司祭かとにかく神の犬の着るものだろう。呼び止めたものが明らかな異形だったことに驚き立ちすくんだ男めがけ地を蹴って飛びかかる。不意を打たれて倒れた薄っぺらい胸元を踏みつける。呼吸を一瞬封じられて激しく咳き込むその苦悶の表情がたまらない。生きたまま火をつけたならこの整った面はどう歪むだろう。首を絞めたなら喉はどんな歌を歌うだろうか。
「‥‥なんてことを」
男の視線の先にある火はすでに点などではない。教会の裏口に建てられた薪小屋を半分以上飲み込む炎の柱になっていた。あの様子では教会そのものに燃え移るのは時間の問題だ。消し止めなければともがく男はしかしあまりにも非力で、動きを封じられたまま無様に手足をじたばたと動かすしかできないようだった。
「どうして‥‥何故こんなことを」
「もうすぐお偉いさんがここを通る予定なんでなァ」
答えてやると足の下にある胸板がびくりとひとつ震える。
「邪魔なゴミはぜェんぶ焼き払って更地にして通りやすくしてさしあげなくちゃなア? ひはハはッ」
体をかがめ顔を近づける。炎をまとった黒い翼にちりちりと肌を焦がされて男が顔を背ける。構わずその頬に舌を這わせる。ああ思った通りだと目を細める。こんなみすぼらしい村はさっさと焼き尽くす心算だったが、これは思いがけずいい拾い物だ。
「大事な村なんだろォ?」
動くなと命令を与えると本人の意思に反して男の体が動かなくなる。
炎はすでに薪小屋を完全に飲み込み、教会の石の壁と木の屋根を丹念に舐め始めていた。村人たちが騒ぐのを耳に留め、男の体を抱きかかえて翼を広げ中空へと舞い上がる。見慣れた村を見下ろす男の瞳の中に、絶望の色がよぎる。その表情こそが悪魔のもっとも好む顔だと彼は知っているのだろうか?
当たり前の幸福が砕かれる瞬間はさながら天が落ちてくるような気分に違いない。
「しっかり見てろよなァ? てめェの目の前で全部ちゃあんと丁寧に焼いて、人も家畜もなにもかも皆殺しにしてやるからさア」
――天が。
燃えて落ちてくる。
●パリの依頼人
その日の夜、パリの冒険者ギルドでは大騒ぎが持ち上がっていた。パリ近郊で異形の軍勢が続々と現れていると、次々に報告が届き始めたのだ。出現したモンスターの種類はアンデッドやデビル、それにオーガまでさまざま、だが、これまでの依頼と趣を異にしていることがひとつだけある。
彼らは皆組織的にパリを目指しているのだ。
「依頼人だ! 誰か手は空いてるか」
いつも声を荒げることなどない記録係が怒鳴り、聞き覚えのある声に受付嬢がこっちよと手を振る。もう日も落ちて随分経っているのに、殆どのギルド員は帰らずに蝋燭を点して仕事を続けていた。何しろ関連の依頼は次々持ち込まれているし、この騒ぎでギルドマスターがあちこち飛び回っているので、下の者だけのうのうと帰るわけにもいかない。
記録係は肩を貸していた農夫をカウンターの前に座らせ、あたふたと筆記具の準備をする受付嬢のほうを向く。
「とりあえず何か飲ませてやってくれ。ほとんど休まず馬を走らせてきたらしい」
「わかったわ」
「頼む。俺はまだ仕事が残ってる」
あの同僚が走っているのを初めて見た気がする‥‥と思いつつその背を見送って、受付嬢はとりあえず水差しと杯を持ってきた。息も絶え絶えだった農夫は咳き込みながら杯の中身をなんとか飲み干し、汗まみれのままぐったりと椅子にもたれた。
「依頼だと伺いましたが」
「は、はい。大変なんですよ‥‥村に化け物が出たんです」
村に突然出現したというその化け物は神出鬼没で、現れたり消えたりしながらあちこちに火をつけて回っているという。一度消したと思ったら村の反対側で火の手が上がり、それを消し収めたと思えば次はまた別の場所で‥‥その繰り返しが夜を徹して続いており、村人は皆精神的に疲弊しきっているという。しかも、回数を重ねるごとに火の手はだんだん大きくなっているというのだ。
(「‥‥いたぶって遊んでるのね」)
趣味の悪いやり方だと受付嬢が口元を引き結ぶ。建物に火をつけるというのは意外と時間がかかるものだから、手際から考えておそらく火の魔法に違いない。さらに現れたり消えたりという依頼人の言葉を信じるならば、まさか‥‥。
「誰かが、そのモンスターの姿を見たんですね?」
「ええ。真っ黒い翼の‥‥まるで悪魔みてえなでっかい奴だって言ってました。教会に火をつけて、飛んで逃げたって‥‥司祭さまが連れて行かれたっていうんだが、どこにいるかわかんねえんだって」
間違いない。ネルガルだ。
デビルの一種だが、インプやグレムリンなどの下っ端中の下っ端とは一線を隔す存在だ。地獄の密偵とも呼ばれ、姿を隠しながら民家や山にこっそりと火をつけてまわるという‥‥やり口も話に聞いているのとほぼ同じだ。
パリに向かってくるデビルやアンデッドの軍勢と、何か関係があるのかしら? おそらくそうだ。無関係にしては、随分と時機が一致しすぎている‥‥ネルガルは悪魔の位としては下の上というところだろうが、それでも充分手ごわい敵である。他の連中と合流でもされれば厄介なことになるだろう。
「それであの、か、金のことなんですが‥‥ちょ、ちょっと少なくて」
「待って! 考えます」
申し訳なさそうに男が切り出すのを遮って受付嬢は思考を続ける。こんなとき、ギルドマスターならどうするかしら?
幸い、答えはすぐに出た。
「わかりました、お引き受けします。お疲れでしょう? 職員の仮眠室でよろしければ、少し休んでいってください。依頼料の件は上に話しておきますからどうぞご心配なく。すぐに人を集めますわ‥‥腕ききの冒険者を!」
●リプレイ本文
馬車の荷台を支える車輪がのろのろと停止する時間さえもどかしい。目的の村から黒煙があがっている様子を、すでに全員が目にしていた。風に乗ってやってくる焦げ臭い匂いに鼻先をなぶられ、たまりかねたようにクロウ・ブラックフェザー(ea2562)が荷台の縁からひらりと飛び降りた。それを遊士璃陰(ea4813)が追い、彼らほど身が軽くはない残りの冒険者たちがさらに続く。
「アンデッドだのデビルだの、何が起こってるってんだよ‥‥っ」
「何様か知らへんけど、えげつないことしはるわ」
クロウの呟きに同感だというように、璃陰がジャパン人には珍しい青い瞳をすうっと細めた。追いついてきたユリア・ミフィーラル(ea6337)らも各々装備の最終確認をしながら、頭上の空へとのぼる煙を睨んでいる。
「水樽は積めるだけは積んできたけど‥‥あれだけで足りるかな」
「駄目かもしれませんが、念のため水場を確認しましょう。生きている井戸があればいいのですが」
「水がなければ、土や灰をかけて消火という手もありますけど‥‥あれだけの規模になると難しいかもしれませんね」
馬車の荷台を顧みるユリア、その言葉に考え込むシュヴァーン・ツァーン(ea5506)とリズ・シュプリメン(ea2600)。炎か水の精霊魔法の助けがあればまた少し話は違うのかもしれないが、それらの使い手がいない以上生身で炎に立ち向かうしかない。
「考えてる時間はないっス」
荷台から水樽を下ろしたジャック・ファンダネリ(ea4746)が、半ば引きはがすように樽の蓋をこじ開けている。同じく荷台から下ろしてきた小さな手桶で澄んだ水をすくいあげ、頭から勢いよくそれをかぶった。続いて、源真霧矢(ea3674)も。
「とにかく村の人を助けないと」
「ほんまにデビルが悪さしとるなら、村燃やすだけで済むとは思えへんしな」
髪から服から水滴を滴らせながら二人はなおも全身を濡らし、ユリアや璃陰など他の面々もそれにならう。
ガブリエル・プリメーラ(ea1671)もやはり充分に髪や服を濡らしながら、これでクレリックに見えるかしら、などと本職のリズに尋ねている。彼女はいつもの服装とは違う、地味で丈の長い僧服姿だ。
●天が焼け落ちる
璃陰は大きく跳躍する。
疾走の術の助けを借りた体重を感じさせない動きで枝から枝へと飛び移り、濡らした外套にくるまったまま、赤い炎にちらちらと嬲られた鎧戸を破って一気に中へ飛び込んだ。床で受身をとって衝撃を殺し、素早く起き上がって周囲を見回す。
村唯一の二階建ての建物だった。細かい生活用品を扱う雑貨屋で、下は店、二階は居住のための空間になっているらしい。炎が勢いよく燃え盛る一階に比べるとまだここはましな状態だが、それでも階下から這い登ってきた炎と煙で目を開けているのさえ困難だ。熱気にむせそうになりながら璃陰は叫ぶ。
「誰かおらんのか!?」
雑貨屋の娘が見当たらないという話なのだ。か細いいらえがあった気がして見回すと、テーブルの下から小さな女の子が這い出してきた。炎の熱気と涙の余韻で、顔じゅうが真っ赤に腫れている。
「もう大丈夫やさかい、安心しいやっ」
子供をかき抱き言い聞かせる自分の声を、なぜか遠く感じて璃陰は一瞬眉を寄せた。
これと同じことを、以前に自分は経験した気がする。あれはいつだった? ふるえる腕、肌を焦がす熱気、燃え盛る炎、それに、抱きしめられて必死にしがみついた、そのひとの体温。誰の?
首につかまってきた子供の指に我に返る。
「‥‥せや。そうやって、兄ちゃんにくっついとれば大丈夫やさかいな。怖いなら目つぶっとき」
そうして璃陰は彼女をしっかり抱えて、走る。彼らを追う炎の手から逃れるがごとく。あるいは、今しがた囚われかけた不確かな記憶の断片を、振り払うようにして。
燃え盛る家の中から身を低くした人影が現れるのを目にし、シュヴァーンがすかさずそちらの方向に駆け寄った。煤と灰で汚れた顔も厭わず、ジャックは抱きかかえた子供を、自らの外套にくるんだままシュヴァーンに預ける。気を失っているらしく、小さく柔らかい生命がずしりと腕に重い。
「怪我は?」
「軽い火傷だけっス。さっきまで暴れてて大変で」
「いえ、このお子さんはもちろんですが、ジャックさんは」
火勢で乾きかけた服をまた樽の水で濡らしながら、このぐらいでへばるほどヤワじゃないスよ、と息を切らしながらジャックが強がる。何か言おうとシュヴァーンが口を開きかけたところで、井戸を見に行っていたクロウらが走ってきた。
「クロウさん。いかがでしたか」
「だめだ。水は涸れてないみたいだが、とても使えねえ」
石で組まれた井戸はほぼ半壊状態だったらしい。考えるまでもなく、デビルの仕業だろう。直せないことはないだろうが、今はそんな暇はまずないといっていい。
「まったく用意周到ね。そのデビルってやつを見かけたら、とっちめ‥‥ええと、神の鉄槌を下してやらなくちゃ」
あわてて訂正されたガブリエルの『らしくない』科白に、他の面々が目を見合わせた。今日の服装といい、ガブリエルの身に一体何が起こったのだろうか?
ともかく村人は村から離れた場所、炎の届かない風上の方向へと避難させる手はずになっている。今は別行動している霧矢の提案だ。子供の体をくるんでいたジャックの外套を持ち主に返し、シュヴァーンは子供を抱え直してわずかな間目を閉じる。
「‥‥井戸の件、ユリアさんたちにも伝えました」
テレパシーの呪文でユリアと繋がっている状態なのだ。
「私はとりあえずこの子を親御さんの元へ。ずっと抱えて歩くわけにもいきませんから‥‥皆さんは?」
「まだ逃げ遅れてる人がいるかもしれないし‥‥とにかくもう一度村を見て回るっス」
「その子を置いたらそっちもすぐ来いよ。あんまり分かれて行動するのもまずい」
「あ、じゃあ私がシュヴァーンについてくわ。あんたたちこそ気をつけ‥‥あー‥‥神のご加護を」
「‥‥ガブリエルさん。あの、先ほどからどうかなさったのですか?」
「んー、なんというかこう‥‥前もって練習しとこうかと」
「は?」
小さな村だ。人ひとり隠しておける場所などそう多くない。詠唱を終えたユリアは面を伏せたまま、司祭を対象にテレパシーによる念話を行っているのかしばらく無言だった。やがてひととおりの『話』を終えて顔を上げる。
「いたよ。場所はわからないって。目隠しされてて、鎖かなにかで縛られてるみたい。でも火の気配は感じないって言ってたから‥‥燃えてないところを探せばいいのかな」
ユリアの力なら、テレパシーの魔法はそれなりに広範囲まで届かせることができる。といってもあくまで会話ができるだけの魔法なので、この場合は司祭の話から居場所を特定するしかない。腕組みしてリズが考え込む。
「今まで村の人たちが見つけていないのですから、‥‥普段はあまり目につかない場所なのでは?」
屋根の上とか‥‥という言葉に霧矢がかぶりを振る。
「いくらなんでも、平屋の屋根の上に人がいれば誰か気づくやろ。二階建てはさっき璃陰はんが出てきた雑貨屋だけやし」
「でも、目につかない場所っていうのは私も賛成。火の気配がないって言ってるし、高いところにいないなら‥‥」
‥‥上にいないなら、下。ほぼ同時にその発想にたどり着いて、リズとユリアは顔を見合わせた。
「もしかして、地下?」
地方にもよるが、食料やワインの貯蔵庫などは地下に作られることも多い。建物は全焼しても、その地下は丸ごと無事だったという話もときどき耳にする。もちろん普通の民家では地下室などまず見ないが‥‥そう、たとえば教会はもしものときの避難所という役割も兼ねているから、あるいは。
「教会の地下! きっとそこです」
ほとんど燃え落ちているが、地下は生き残っているのかもしれない。
「落ち着きや。向こうもそう簡単に死なす気はないはずや」
デビルは、人の絶望や悪徳を糧とする。堕とすのは聖職者のような、高潔な人物であればあるほどいいという‥‥とりあえず消火が先やという霧矢の横で、ユリアが表情を硬くする。
「ユリアさん? またテレパシーですか」
「うん。早く行かなくちゃ」
デビルが出てきたって‥‥そういうユリアの声は少し緊張を帯びている。
風がガブリエルの銀髪を押し流す。村人たちを装った彼女の『イリュージョン』が効力を過ぎて砂のように消えていく。尼僧の服には似合わない強い眼で、彼女は悪魔を見返した。
「残念だったわね。村の人たちはもう逃げてるわ」
あっち、と彼女が指さした先では、村人たちが列をなして逃げていく。ネルガルが動き、追うつもりかとジャックや霧矢が得物に手をかけた。だが悪魔が動いたのは逆方向で、気がつけばガブリエルのすぐ目の前にその姿がある。なんという速さ。
「やってくれンなあ? 僧侶の芝居ってなァいただけねエが」
「あんたたちは神の僕が好きだっていうから、サービスよ」
「お前みてぇな気の強ェのも嫌いじゃあねえぜェ」
節くれだった異形の手に無遠慮に腰を抱かれ、かっと来てガブリエルは平手でその顔を打った。じんと掌にしびれるような痛みが来てから、悪魔には普通の攻撃が効かないのを思い出す。
「ひはハっ。効かねェ‥‥」
なッ! という短い声とともに突き飛ばされたかと思うとみぞおちに蹴りが来る。躱す間もなくガブリエルの体が壁まで吹っ飛んだ。足の鋭い鉤爪に裂かれ、倒れこんだ体の下からみるみるうちに血が広がる。
「ガブリエルさん!」
「よくもっ」
駆けつけたリズらがガブリエルの手当てのために動き、同時にジャックがオーラパワーをかけ終えて走る。悪魔のふるう鉤爪が刃とせめぎあい、その後方から雷を宿した霧矢の鞭が伸びた。乱暴に騎士を押し返し、翼を広げ飛び退ってその攻撃を逃れる。
すかさずクロウがスリングの弾を投じる。スリングは威力そのものは高くないが、弾丸はやはり銀のものだ。璃陰も手裏剣を放つが、これは銀製品ではないのではじかれるだけだった。合わせてユリアとシュヴァーンが呪文を唱えはじめ、クロウも休まず次の弾丸を用意する。
「うぜェなァッ」
ネルガルが怒りの声を上げてひときわ高く舞い上がる。その手元から火球が顕われ、クロウたちへと放たれた。着弾したファイヤーボムの熱気と炎に炙られユリアが顔をゆがめる。
髪を肌を焦がされながらもクロウが次の弾を撃ち込み、翼をしたたかに打たれて悪魔が高度を下げる。さらに霧矢の鞭がその足に命中し、絡めとられはしなかったもののネルガルは空中で体勢を崩した。
黒煙を裂いてジャックの剣が走り、浅く斬りつけた傷からどす黒い体液が空気に混じる。
デビルは低く呪文を唱え始めた。霧矢もジャックも詠唱を阻もうとするが、宙に浮いている敵を攻撃するのは意外と難しい。援護のためにバードふたりのムーンアローが撃ち込まれる。
月精霊の矢の一本は確かにデビルの体をえぐり、遅れて命中したもう一本はその体に吸い込まれるように消えた。デビルの使う『エボリューション』の前に、同じ攻撃は二度通用しない。目を瞠った冒険者らの前で、もう一度火の玉が膨れ上がって爆ぜる。
「ヒはははハははっ! 何の用意もしてないと思ったかァ!?」
勝ち誇った甲高い笑い。傷を負った者は各々魔法薬を飲み干し、ほとんど継ぎ目のない攻撃を次々叩きつけられてそんな余裕のない前衛組にはリズのリカバーが飛ぶ。魔法薬は便利だが、取り出して飲むひと手間が接近戦では命取りになる。
すでにジャックの剣も霧矢の鞭も、一度ネルガルを傷つけていて通用しない。そのことに調子づいて、ネルガルの攻撃はさらに勢いを増していく。武器を替えればいいのだろうが、ふたりとも予備の武器は馬に積んでいるかバックパックの中だ。攻撃を凌ぎ続けながら、両者は集中を始めている。
振るわれた鉤爪が霧矢の肩口をかすめて裂いて、ぱっと赤い色が散る。注意が自分から逸れたのを見計らってジャックがオーラショットを放つ。はじけたオーラの光にわずかに悪魔が怯み、そこへ無駄なのは知りながら璃陰の手裏剣、クロウの銀の礫が撃ち込まれた。生まれた隙に霧矢もまた呪文を完成させ、現れ出た雷の剣をつかみとる。
稲光をまといつかせた剣が横なぎに振るわれ、ネルガルの胴体の半ば近くまで食い込んだ。
「ちィッ」
負傷に舌打ちしてネルガルが翼を広げて舞い上がり、その影が溶けるように消える。ユリアがもう一度ムーンアローを撃ち込んだが、それが当たってもなんのダメージも与えないのは皆がわかっていた。
どこかから不意打ちを受けるのではとしばらく身を固くしていたが、それもないようでやがて全員が緊張を解く。
「逃げられちまったか‥‥」
激しく息を切らしたまま、クロウは腹立たしげに呟いた。
●黒い軍勢
ひとまず薬で全員の手当てを終えて、教会の焼け跡の地下に閉じ込められていた司祭を助け出したのはそれからすぐのことだ。
まだ歳若い司祭は、冷たい地下室の床にずっと無造作に転がされていたためか高い熱があった。荒い息の下から礼を言われて、抱き上げていた璃陰のほうが恐縮したぐらいだ。痩せて軽い体は、多分元々あまり丈夫なほうではないのだろう。
病気は魔法薬でもどうにもならない。ひととおり村を回り終え、もう逃げ遅れた者がいないのも確認していた。準備していた水はもう尽きていて、このまま避難している村人らと合流するしかないとわかっている。
「ちゃんと火を消してやれへんのは、残念やけど‥‥」
言いながら司祭の体を背に負って歩く璃陰の後ろで、シュヴァーンがふとあ、と声を上げた。振り返れば向こうの地平から、彼らが後にした村のほうへと、黒い何かの群れが進んでいるのが見える。
‥‥シュヴァルツ城へと向かう、デビルたちの群れ。
――お偉いさんがここを通るんでなァ。
今は気を失っている司祭が、ネルガルにそんなことを教えられたのを冒険者たちは知らない。だが密偵と呼ばれる悪魔が、どうやら伯爵のための援軍の通り道とするために村を焼いたのだと、そのことはおぼろげに理解できた。あの群れはきっと村の焼け跡を蹂躙し、踏み荒らし、後ろを顧みることなどないままきっと伯爵のもとまでたどり着くだろう。
そのことがパリでの戦いにどう影響するのか、今の彼らにはわかりはしないのだけど。