●リプレイ本文
パリ市内は日頃、おおむね平和な場所である。衛士の詰所にはあまりたいした仕事はない。だから、営業がてらワインを差し入れに持ち込んだ芸人、マリオーネ・カォ(ea4335)は歓迎されていた。
「いやぁ、悪いな。差し入れなんて」
「いいっていいって。それよりさ、衛士さん、絶対見に来てよね」
「あぁ‥‥酒場で芸をやるって話か。いいとも、仕事がない時にでも、是非見に行かせてもらおう」
なんて店だったかな? と首をひねった衛士に、マリオーネはぷうっと頬をふくらませた。
「‥‥ああ、そうだった。大丈夫か? あの店は、最近たちの悪い客が出入りしているそうだが」
「なんだ、知ってたんだ」
「あの近所では皆知ってる話だ。あいつらにかかればシフールの一人や二人、ひとひねりだぞ」
心配してくれているらしい。マリオーネはにっこりと笑んで、衛士の肩をばんばんと叩いた。
「大丈夫! ちょっとした作戦があるのさ!」
外で掃き掃除をしていた源真 霧矢(ea3674)が、箒を片手に店内に舞い戻ってきた。
「みんな、来よったでー」
剣を傍らに置いて店の隅に座していたレーヴェ・ツァーン(ea1807)が微かに眉を上げる。それとほぼ同時に、問題の客たちが店内へと足を踏み入れてきた。
愛想のない無表情のまま、レーヴェは新たな客――客と呼べるものならだが――を一瞥する。相手は八人。奇しくも、依頼に雇われた冒険者たちと同じ人数である。剣を佩いている者もいるが、まがりなりにも戦闘のプロであるレーヴェや霧矢には腕前で遠く及ばないだろう。
「はいよ、いらっしゃい」
レーヴェとの一瞬の目配せのあと、前掛けで手を拭き拭き注文を取りに向かうアンジェット・デリカ(ea1763)。長年の家事の経験を活かし、厨房と給仕役を引き受けることにした女性である。
「なんだ、ババアかよ」
失礼きわまりない言い草にも、アンジェットは笑みを崩さなかった。
「悪いねえ、こんなおばさんで‥‥もっとも、若い娘がいなくなったのは誰のせいだったかね?」
ちくりと嫌味を足すことも忘れない。ちっと舌打ちした男たちは、ぶっきらぼうに「酒」と注文した。一部始終を見守っていたレーヴェたちは、厨房に戻っていくアンジェットとふと視線を合わせ肩をそびやかす。
「なんや、ごっつう態度悪い奴らやなあ」
「ああいう輩はどこにでもいる」
囁き交わすふたりのやり取りが聞こえたものか、まったくだよというように、小肥りの体を揺らしながら「おばさん」は厨房へ戻っていった。
酒が運ばれてくる頃には、チンピラたちはテーブルに足を乗せたり、賭博を始めたりしている。
けたたましい笑い声が店内に響き渡り、わずかに残っていた一般客たちが、おびえたようにいそいそと店から出て行った。
「‥‥あまり役に立ってないな」
まあ予想の範疇だがと、呟きながら嘆息したのはカーツ・ザドペック(ea2597)。
カーツたちは、あらかじめ酒場利用の基本的なマナーを木板に絵の具で書き連ね、店内に出している。もっともこの手のマナーの類は、悲しいことに、それが本当に必要な人間ほど目を通さないものである。
カウンター席に酒が運ばれてきて、レイジ・クロゾルム(ea2924)は礼を言って、ワインにひとくち口をつける。
「なかなかイケるわねえ、ここの店」
その隣で感心したように呟いたのは、レイジと同じように客として店内にいるレオンスート・ヴィルジナ(ea2206)だ。
「依頼が終わっても時々来ようかしら」
「味は悪くないが、客筋がどうもな」
「あら。だったら改めさせればいい話じゃない?」
女言葉ではあるが、レオンスートはかなり立派な体躯のれっきとした男性である。んふ、などと含み笑いをしてみせるのもなかなか凄みのある光景だ。
「お客さん。他の人の迷惑になるんで‥‥」
立ち上がったカーツが、チンピラたちの卓の側に立って注意をはじめる。
「んだぁ? 酒場だってのに、酔っちゃいけねぇってのか、この店は」
「お客さん。酔ってますね」
「おう、酔ってらぁ。大体、他の客なんざ、ほっとんどいねぇじゃねえか」
チンピラの一人が立ち上がり、絡むようにしてカーツに酒臭い息を吐きかける。面をしかめて男から顔をそむけ、カーツは次の言葉をつむぎ出した。
「注意書きがお見えにならないようだ」
「注意書きぃ? あぁ、こんなもん」
壁に立てかけてあった板を靴の爪先でがつんと蹴飛ばすと、板は倒れて床でくわんくわんと踊った。なにがおかしいのか、酔客の間で大笑いが起きる。嘲う響きにむっとして、カーツはじろりと彼らを見返した。
「な、なんだよ」
視線の圧力を感じとったチンピラたちの間に緊張した空気が漂う。
たん!
すぐ側の卓で杯が鋭い音を立て、沈黙を断ち切った。絶妙のタイミングだった。しんと静まり返った店内で、音の源に皆が視線を走らせれば、そこにはたった今酒を干したばかりの女性がいる。
「うっさいわねぇ。折角のお酒がまずくなるじゃない」
酒好きの狐 仙(ea3659)は既にかなりの酒量を過ごしている。酒精に目元が赤く彩られ、碧の瞳はかすかに潤んでいた。ノルマンではあまり見かけない華国の衣装は、彼女が異国人であることを示している。もっともチンピラは、それが「武闘着」と呼ばれるものであることに気づいていなかった。
「なんだぁ、ねーちゃん。あんたが相手してくれんのかい?」
相手が女性、それも歳若い豊満なタイプと見て、男たちが下卑た笑い声を上げる。だが仙はそれを意にも介さず、わずかに口角を上げてみせた。
「そうねぇ。私に勝てたら、考えてみてもいいわ。ここはひとつ」
ちょうど、アンジェットが彼女に次の酒を運んでくる。「ありがとう」とそれを受け取り、まっすぐチンピラたちを見返した。
「飲み比べで勝負。どうかしら?」
●チンピラを追い払え!
結果、仙ひとりがいい思いをすることになった。
「あらぁ、あんたももう脱落?」
ワインを干しながらけたけたと笑う仙の前には、酔いつぶれて卓に突っ伏した男がふたり。底なしとはいかないまでも、仙はかなり酒に強い。もともと体も丈夫なこともあって、そこらの男に酒量で負けるはずもない。
「こ‥‥この女、バケモンだ‥‥」
「失礼ね。そっちがだらしないだけじゃない。それでも男?」
「なにを」
「いいの?」
立ち上がりかけた男たちを、仙の言葉が一瞬縫いとめる。
「武器を抜くってことは、殺されても文句は言わないってことよねぇ?」
静かだが抑えたものを秘めた声に、チンピラたちがひるむ。その様子を見ていたレオンスートが、ふぅん、と小馬鹿にしたように小さく笑い声を上げた。
「オヤジさぁん。この店ってば、随分貧相な連中を飼ってるのね。あれじゃ用心棒にもなりゃしないわよ」
「あぁ!?」
「今ならおいしいワインに免じて、このリョーカ様が連中を特別に退治しちゃおっかしらー」
飛んで来た怒気を意にも介さぬまま、レオンスート――リョーカは目を細めて言い放った。聞き捨てならないと、今度こそ本当に立ち上がったチンピラのひとりの背に、ごつりと固いものが押し当てられる。
「大体、酒くらいは静かに飲んだらどうだ?」
彼らの背後、背骨の真ん中に杖を押し当て、レイジがうんざりした声音で言いはなった。
「騒ぐならまず、この店の修繕費とツケぐらいは払ってからにしろ。まぁ」
軽侮の色をたっぷり含ませて、レイジは『客』たちを見た。
「払ったところで出入り禁止になるのが関の山だがな。おっと」
振り返りかけたチンピラの動きを身を翻して避け、口の中でちいさく呪文を唱える。アグラベイションの呪文をかけられて、チンピラの動きが途端に鈍くなった。ローブの裾を鮮やかに捌きながら、レイジは酒場の出入り口まで悠然と歩く。
「どうした? 俺はここだぞ。それとも、ツケが重過ぎて動けないかな?」
「てっめえ‥‥魔法使いかよ」
「うふ、ケンカなら買うわよ。ただし、店の外でね」
リョーカが不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。背が高い。全員を見下ろすようにして、チンピラたちを睥睨する。
「ていうか、売っちゃおうかしら?」
「やれやれ、好きなやっちゃなあ」
ぽりぽりと頭をかきつつ、霧矢が外の様子を窺う。なにかを殴打する鈍い音の合間に、「この野郎!」とか「てめえ」とか、あまり品のよろしくない言葉の応酬が聞こえてくる。天下のパリの往来で大乱闘が行われているだけあって、すでに表にはかなりの数の野次馬が集まっているようだ。
腕組みしたまま、レーヴェはちらりと霧矢を、次いで表のほうを窺った。
「加勢しなくても大丈夫だろうか?
「まー、曲がりなりにも冒険者やし?」
数は多くても、そこらのゴロツキに殴り合いで負けるほどヤワやないやろ、と、霧矢は卓を拭く手を休めない。
相も変らぬ無表情のまま、レーヴェは立ち上がった。「借りるぞ」と言って、テーブルにあったフォークを取り上げる。
「は? レーヴェはん、借りるって」
唐突な行動に答えぬまま、エルフの戦士の姿が外へと消える。次いで、何かの籠を抱えたアンジェット、樽を抱えたカーツも外へ出る。霧矢がもう一度振り返ると、レーヴェの剣は椅子の上にきちんと置かれたままだった。
「借りるって‥‥フォークで、何する気や?」
次の瞬間、外の野次馬たちの間から悲鳴が上がった。
「やれやれ。さっき聞いたばかりだろう? 武器を抜いたら、喧嘩も喧嘩でなくなる」
「う、うるせえっ」
腰の剣を抜いた男は、がくがくと震えながらもレイジを睨みつける。
「てめぇらも抜きやがれ!」
「そーんな事言われたって、困っちゃうわよぉ。持ってないもん」
レイジの傍らで、リョーカがひらひらと両手のひらを動かして、何も持っていないことをアピールする。
「大体ねぇ、オレの剣は神様から預かった大事なものなんだから。さんぴん風情に振るうものじゃないのよ」
「ば、バカにしやがって‥‥ッ」
「馬鹿にするっていうか‥‥ねぇ」
「そうだな」
肩をすくめて視線をあわせてきたリョーカに、レイジも重々しく同意する。この程度のことでいちいち剣を抜いていたら、命がいくつあっても足りはしない。抜き放たれた白刃に、野次馬もその輪を広げ遠巻きに見守っているではないか。
男の持つ切っ先がぶるぶると震え、緊張に耐えかねたように、地を踏み出して振りかぶる。これはいけないと、リョーカは咄嗟にレイジの前に出た。腰を落として身構える。
「しぃねぇぇ――ッ」
つる。
ずしゃ。
ざばー。
‥‥‥‥一瞬ののち、男は地面に尻餅をつき、男もリョーカもレイジも、全員がずぶ濡れになっていた。
「それぐらいでいいだろ」
籠を小脇に抱えたアンジェットが店の入り口に堂々と立っている。咄嗟に籠の中身をぶちまけてやったらしく、リョーカたちの足元には野菜の皮や葉が散らばっている。男はこれに足を滑らせたらしい。
「分かったかい、あんたたち。んな中途半端な生き方してたら、無様なだけじゃないか。ちょっとぐらい腕っぷしが強いからってこの通り、上には上がいるもんなんだからね」
ため息をひとつ落として、それとも、とアンジェットはまだ呆然としている若者たちを見下ろした。
「『凄腕の冒険者様』に、もっと素敵なことをされたいっていうなら話は別だけどね!」
「なにを‥‥ッ」
「動くな」
鋭いが静かな声とともに、立ち上がりかけた男の目の前にぴたりとフォークが突きつけられる。レーヴェの手にした小さな凶器は、確実に、男の眉間を狙っていた。
男が立ち上がれば、急所にその切っ先が突き刺さるはずだ。
「少しは懲りたらどうだ? もう勝敗がついていることなど、考えなくてもわかることだろう」
チンピラのうち二人は店内でのびているし、あとの者も半分はリョーカにのされて地面と仲良くなっている。リョーカはレイジの魔術の援護を受けていたこともあって、すり傷ができている程度だ。これで勝てると思うほうがどうかしている。
ぱん、と軽く手を叩いて、アンジェットはにっこりと明るく笑ってみせた。
「とりあえず、店の掃除ぐらいは手伝ってもらおうかね」
「‥‥デリ母さんといいカーツといい、凄腕の冒険者にコレはないんじゃないのぉ?」
髪を拭きながらのリョーカの抗議に、カーツは真面目くさって答えた。
「酔い覚ましだ」
喧嘩の収拾のために野菜屑をばらまいたのがアンジェットなら、汲み置きの水をぶちまけたのはカーツだった。レイジもリョーカも、ずぶ濡れの頭や服に野菜の屑がはりついている、世にも情けない格好である。
「だからって、俺たちまで水をかけることはないだろう‥‥」
「酔い覚ましだ」
朴念仁の表情のまま、カーツはおなじ科白を繰り返す。確かにふたりとも客としてワインに口をつけていただけに、あまり強く反論もできない。黙って体を拭いた。
「ねーねー。それで、あいつらどうすんのさー」
マリオーネの視線の先には、店内の修繕、表の掃除、その他雑用を手伝わされているチンピラたちがいる。
あの後マリオーネが呼びに行った衛視がやって来て、喧嘩騒ぎは一応のところ収拾された。酒場の主人が大事にしたくないというので、野次馬を散らせ、ことの次第を知らせ、今回は厳重に注意ということで済んだようだ。
「まずツケの分は払ってもらう。金がないならその分働かせるさ」
「武器は当然没収だな。あいつらに持たせておくとろくなことにならん」
アンジェットの言葉を継いで、レイジが情け容赦ない言葉を言い放つ。
「その後は当然この店に出入り禁止。衛視にも顔が知れてしまっただろうから、当分の間派手な行動は無理だろうな」
「うわぁ‥‥レイジ、きびしーい」
「あら、俺は当然だと思うわよお」
「何偉そうなこと言ってるんだい。あんたたちも働くんだよ」
腕を組んだレイジ、頷いたリョーカの後頭部を、アンジェットがそれぞれぺちりとひっぱたいた。
「俺たちもか? 何故だ!」
理不尽だと、そう言外に抗議した魔術師の顔を見返して、当然だろうと「デリ母さん」は笑う。
「何しろ、喧嘩は両成敗って昔から言うんだからね!」