貴婦人と黒い馬

■ショートシナリオ


担当:宮本圭

対応レベル:5〜9lv

難易度:易しい

成功報酬:3 G 29 C

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:05月02日〜05月07日

リプレイ公開日:2005年05月09日

●オープニング

 奥方さまは、一世一代の覚悟でこうおっしゃられました。
「わたくし、馬に乗りたいのです」
 すると旦那さまはこうおっしゃいました。
「ではいい馬を手配させよう」
 そうしてその一ヶ月ほど後、旦那さまは小柄な黒馬を奥方さまに贈りました。どういうつてで手に入れたのか、やや年老いているようですが、そのぶんなかなか賢そうです。
 奥方さまは、あまりに事が簡単に運んでびっくりしてしまいました。
 世の常識では、女は騎士か冒険者にでもならない限り、まず馬になど乗らないものだったからです。にも関わらずこんなお願いをしたのは、乗馬を覚えればいずれ旦那さまと一緒に遠乗りに出かけられるし、もしかしたら旦那さまが乗り方を教えてくださるかもという女心から来るものだったのですが。
 旦那さまは、めずらしく奥方さまのほうからおねだりしてきてくれたので上機嫌でした。
 今まで上等な織物を持ち帰っても素敵な宝石を贈っても、思えば奥方さまはあまり嬉しそうではありませんでした。奥方さまの好みの傾向が旦那さまにはどうもつかめず、やはり歳の差のせいだろうかとひそかに案じていらしたのです。馬が好きだとは知らなかったと、旦那さまはその新たな知識を胸に刻みます。もちろん、奥方さまが馬に乗れないなどとは考えも及びません。

 お互いの勘違いに奥方さまが気づいたのはその三日後、旦那さまが遠乗りに誘ってくださったときでした。とっさに今日は気分がすぐれないのでと嘘をついてお断りしてしまいましたが、なんともったいないことをしてしまったのだろう‥‥と奥方さまは後悔なさいました。旦那さまは日頃とてもお忙しく、一緒に出かけられる機会などそうはないのです。
 考えた末に、奥方さまはラズロに相談してみました。ラズロは旦那さまの昔からの部下で、真面目で口の固い男です。
「正直に打ち明けても、旦那さまはお怒りにゃならないと思いますがねえ」
「お怒りにならなくても、がっかりなさるかもしれないわ。次に誘ってくださるまでに、内緒で乗馬を覚えたいの」
「そうはおっしゃいますが‥‥海戦騎士の誰かに習うんじゃ駄目なんですかい?」
 でも、それではすぐに旦那さまのお耳に入ってしまいます。
「できれば街の外で、海戦騎士団とは関係のない方にこっそり習えればいいのだけど‥‥」
「しかしねえ‥‥街を出るとなると、柄が悪いのがいないとも限らないですよ」
 街でもそれは同じことですが、せめて街の中ならば何か起こっても衛士を呼ぶことができます。ラズロは困ったように腕を組みながら、何かいい考えはないかと案じている様子です。なんといっても旦那さまの愛する奥方さまのおっしゃることですから、ラズロとしてもできればなんとかしてさしあげたいのでした。
「せめて誰か護衛に‥‥ああ、そうか」
 ぽん、とラズロは手を叩きました。
「冒険者に習うのはいかがです? おそらく、馬に乗れる連中も多いはずですよ。シールケルの旦那に言えば、腕が立つのも集めてもらえるはずですしな」

●今回の参加者

 ea0286 ヒースクリフ・ムーア(35歳・♂・パラディン・ジャイアント・イギリス王国)
 ea3225 七神 斗織(26歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea3674 源真 霧矢(34歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea5808 李 風龍(30歳・♂・僧兵・人間・華仙教大国)
 ea7256 ヘラクレイオス・ニケフォロス(40歳・♂・ナイト・ドワーフ・ビザンチン帝国)
 ea7906 ボルト・レイヴン(54歳・♂・クレリック・人間・フランク王国)
 ea9689 カノン・リュフトヒェン(30歳・♀・神聖騎士・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb0254 源 靖久(32歳・♂・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

七神 蒼汰(ea7244)/ 野乃宮 美凪(eb1859

●リプレイ本文

 気持ちのいい朝でした。ドレスタットギルドが混み始めるにはまだ少し早い時間です。開け放った鎧戸から差し込んでくる陽光を楽しみつつ、冒険者たちが依頼人を待っておりますと、男が若い女性を連れてやってきました。
「では皆さん、奥方様をくれぐれもよろしくお願いします」
「お任せくだされ、ラズロ卿。わしも騎士たる身なれば、高貴なるご婦人のお力になるのは当然の務めですからな」
 ヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)は以前の依頼で一度顔を合わせているので、ラズロとは顔見知りです。力強く胸を叩いたドワーフの頼もしい言葉に、ラズロは安心した様子でギルドを後にしました。なんでも大きな船の入港があるそうで、それに伴う仕事が山積みなのだそうです。
 さて、奥方様と呼ばれた女性は、呼び名に反して意外なほどお若い方でした。十代半ばから後半というところでしょうか。お忍びということで気を使ったのか服装は地味ですが、落ち着いた色のケープはなかなか品のいい趣味です。ヒースクリフ・ムーア(ea0286)はその方の前にひざまずくと、騎士の礼に則って手を取りました。
「キャメロットより参りました騎士、ヒースクリフと申します。どうぞお見知りおきを」
 手の甲へくちづけると、奥方さまは面映げに微笑みました。そのせいなのか、他の冒険者たちも一通り自己紹介を済ませたあと、わたくしはお忍びですし、これから皆様にはわたくしのわがままに付き合ってくださるのですから、無理に敬語を使わなくていいのですよ‥‥とおっしゃいました。
「そう言ってくれはるんやったら、わいはいつも通りに話させてもらいまひょか」
「そうだな。では、お言葉に甘えさせていただく」
 あまりゲルマン語が達者ではない源真霧矢(ea3674)や李風龍(ea5808)は、奥方様の言葉にほっとしたようです。もっとも七神斗織(ea3225)などは元々が丁寧な話し方ですし、騎士のヘラクレイオスやヒースクリフはあくまで礼節にかなった接し方を貫くつもりのようでした。
「では、私もそうさせてもらおうか」
 ハーフエルフのカノン・リュフトヒェン(ea9689)がそう言うと、ヘラクレイオスがじろりと彼女を睨みます。カノンは軽く肩をすくめ、馬を連れてくると言い残して出て行きました。
「あの、今の方は‥‥」
「さ、奥方様。早めに出発せねば、日が暮れてしまいますぞ」
 奥方様の問いを巧妙に遮ると、ヘラクレイオスは立ち上がって自身の荷物を背負いました。支度を終え、連れ立ってギルドの建物を出る彼らとすれ違ったギルド員が、見覚えのある顔に目を止め首をかしげます。
「あれ? さっきの人って、もしかして」

●貴婦人と黒い馬
 途中で斗織が、長らく顔を合わせていなかった兄と偶然出くわしたりもいたしましたが、ひとまずドレスタットの町並みを無事抜けることができました。練習する場所は事前に目処をつけてあるそうで、皆で馬を引きながらのんびりと歩きます。遅咲きのミモザが風に揺れていました。
 たどり着いたのは、ゆるやかな斜面になっている開けた土地です。草木はあまり生えていませんが、そのぶん見晴らしがよいので不届き者の接近に気づきやすいでしょう。霧矢が事前にもっといい場所がないか調べはしたのですが、なにぶんそう短時間でいい場所の都合がつけられるはずもなく、予定通りにここでの練習と相成ったのでした。
「そのお召し物は、乗馬にはあまり向かないかもしれませんね」
 奥方様のドレスを眺めながら斗織がそう言いますと、自分の馬から下ろしたテントを張っていたカノンが顔を上げました。
「この中で着替えるといい」
「ありがとう。いつもと違う格好で館を出ると、怪しまれてしまうと思ったもので‥‥」
 用意していた着替えを手に、奥方さまはカノンに軽く会釈して天幕に入っていきました。カノンは驚いたように目を瞠っています。卑屈になるつもりはありませんが、貴族の奥方がハーフエルフの自分と直接言葉を交わすとは思っていなかったのです。
「先ほどの物言いといい、身分差や種族差にあまりこだわらぬご性分なのでしょうね」
 とは、ボルト・レイヴン(ea7906)の言葉です。
 奥方様が着替えている間、源靖久(eb0254)やヘラクレイオスは、奥方様の連れてきた黒い馬の様子を見ています。
「俺達が近づいても不必要に怯えないし、相当人に慣れていると見えるな」
「少しばかり年寄りじゃが、賢そうな目をしとる。これはよい馬じゃ」
 馬としては比較的小柄ですが、女性が乗るのですからそれで丁度いいぐらいのはずです。初対面の靖久が背に鞍を乗せてやっても、黒馬は騒ぎませんでした。靖久が元々馬の扱いに長けていることを差し引いても、これは珍しいことです。ヘラクレイオスが轡を咬ませるときも少しむずかる程度で、大人しくされるがままになっています。
 ズボン姿に着替えた奥方様が天幕から出てきて、ヒースクリフが恭しくその手を取って馬の前まで案内します。
「さて、まず馬にお乗りいただく前に、馬を扱う上での心構えなどお話し申し上げようかと思います」
 ヒースクリフが言うと、靖久も同じことを考えていたのか口火を切りました。
「うむ。まず言っておきたいのだが、馬は体こそ大きいが、とても臆病な生き物だということだ」
「乗り手が不安がったり必要以上に警戒していると、馬は臆病さゆえにそれを非常に敏感に察します。そうなると馬自身にも乗り手の気持ちが伝染して、言うことを聞かなくなってしまうことも多いのです」
 奥方さまは神妙な顔で、二人の話を聞いています。真剣に乗馬を学ぶ気があるのだなと、靖久は頷きました。
「依頼の日程はまだ余裕があるから、まず馬に慣れてもらうことから始めようと思う。いきなり噛み付いたりはしないはずだ」
「怪我をしても、私が治してさしあげますから大丈夫ですよ」
 靖久の言葉に、ボルトが物騒な科白を付け加えます。
「こらお主ら、奥方様を脅かすでないわ」
 ヘラクレイオスが冗談めかして注意すると、場に笑いが起こりました。咳払いをしたドワーフ男は、馬の轡を引いて奥方様の前へと誘導してやります。
「わしが轡を押さえておりますゆえ、心配はご無用。まず、鬣でも撫でてごらんなされ」

 一日目はそのように、奥方様に馬に慣れていただくことで終始しました。最初はおっかなびっくり触れていた奥方様も、靖久やヘラクレイオスが馬を辛抱強くなだめて大人しくさせていたこともあって、次第に手つきから不安が消えていきました。
 手綱を引いて歩いてやれるようになった頃には日が暮れており、奥方様は冒険者たちとギルドに戻って、そこに迎えに来ていたラズロと一緒に館へと戻っていきました。
 朝に館を出て冒険者たちと合流し、風龍やカノン、霧矢らに護衛されながら練習場所へ移動して、靖久やヘラクレイオスに乗馬を習い、夕方にはまた館に戻る‥‥これが依頼期間中の奥方様の一日でした。
「ずいぶんお忙しいでしょう? お疲れでは?」
「少し。でも、楽しいです。動物は嫌いではありませんし」
 斗織が尋ねると、奥方様は馬上から笑ってそう答えます。三日目頃から、馬に跨っての練習が始まっていました。同性ということで、斗織はできるだけ奥方様の傍にいるようにしていました。異国の女侍と気安い会話をしていた奥方様に、ぴしりと靖久の指示が飛びます。
「背筋を伸ばして。姿勢が悪いのは落馬の元だ」
 はい、と言われたとおりに奥方様が姿勢を正すのを、離れた場所からカノンと霧矢、風龍が眺めています。
「馬術の訓練か‥‥懐かしいな」
 手綱を握りしめ真剣な表情の奥方様の姿は、カノンに昔の自分を思い出させるのかもしれません。彼女自身も馬の扱いはちょっとしたものですが、ヘラクレイオスがハーフエルフを快く思っていないこともあり、あえて周辺警護にあたっておりました。
(「技術を習い、愛馬を与えられ‥‥思えば報われたものだ、あの頃は‥‥」)
 霧矢は風に吹かれながら、そんなカノンの感慨にはあえて気づかぬふりをします。
「旦はんと遠乗りに行きたい一心で、一途なもんやなあ」
 わいも馬に乗れんことはあらへんけど、そのうち奥はんに抜かされてまうかもなあ。霧矢の冗談めいた言葉に、カノンはわずかに表情を緩めました。もっともそれは一瞬で、さりげなく顔をそむけると声を潜めます。真剣な声音です。
「誰かいる」
「どこだ?」
「お前たちの左後ろ、岩陰のあたりだ。急に振り向くなよ、気づかれる」
 いかにもその辺をぶらぶらしているという素振りで歩き出しながら、風龍がちらと横目でその方向を確認してみました。なるほど、確かに大きな岩の陰に隠れて、二、三人ほどの顔が奥方様のほうを窺っているようです。視覚の鋭いカノンでなければ気づかなかったかもしれません。
「今のところ、こちらにはあまり注意を払っていないようだ。どうする?」
「隠れて女性を覗き見るというのは、あまり感心できない所業だな」
 カノンの問いに、風龍が僧らしく生真面目な科白を述べて眉をひそめます。後ろ暗いところのある者のすることだという意見に、他の二人もどうやら賛成のようです。
「よっしゃ。追い払おか」

「あら。どこへ行ってらしたんです? もう戻らないと」
「まあ、ちょっとな。後で話す」
 服についた土埃の汚れを払いながら、風龍はそう応じました。その答え方に斗織も何かあったのだと察して、追求をやめて馬に荷を積みなおしています。奥方様は、鞍や轡の付け方、外し方をヘラクレイオスに教わっているようです。
「まだ少々危なっかしいところはありますが、もうそろそろ依頼期間が明けますでな。基本はみっちりお教えいたしましたゆえ、あとは夫君にご教示いただくとよろしかろうと存じます」
「正直に話せば、旦はんも別に怒ったりせえへんよ。教えてもらいながら、仲良く楽しんだらええと思うで」
 霧矢の言葉に、奥方様は頬を染めてうなずきました。そういえば‥‥と、ヘラクレイオスは話題を変えます。
「この馬の名ですが、お決まりになりましたかな」
 奥方様は、まだ馬に名前をつけておられなかったのです。乗馬を覚えればこの馬は奥方様の友となるのですから、どうぞご自身で名づけられよ‥‥とかねてよりヘラクレイオスに言われていたのですが、今まで決めかねていたようでした。
「黒い馬ですから、ノワール‥‥という名前でいかがでしょうか」
 奥方様の言葉に、霧矢が思わず母国語で呟きます。
『黒い犬にクロって名づけるようなもんやなあ‥‥』
 意外と庶民的な感性に感心している様子。幸い奥方様もヘラクレイオスもジャパン語がわからないため、二人は馬の首を撫でながら、その新しい名前を教え込んでいるようです。

「曲者?」
「向こうは奥方の名を知ってた」
 不快そうに顔をしかめ、風龍はそう告げました。言われてヒースクリフも斗織も、今まで奥方の名を聞いていないことに気づきます。問うと、風龍は眉間を押さえて曲者の言った名を思い出そうとします。
「確か、あー‥‥ガル‥‥ガル‥‥?」
「ガルスヴィント」
 カノンが横から口を出し、風龍はそうそれだと膝を叩きました。
「誰だかに言われて、彼女を見張っていたらしい。下っ端らしくて、そいつが何者かまでは聞き出せなかったが‥‥軽く痛めつけてお帰り願ったが、あのぶんでは遠からずまた来るかもしれないな」
「奥方様にお話したほうがいいでしょうか?」
 斗織の言葉に、ボルトが首を振ります。
「言っても不安がらせるだけでしょう。ラズロさんにお話しておけば、奥方様の夫君にも伝わるはずです。依頼はもう終わりですし、私たちにできることはここまででしょうね」
 確かに、それがもっとも常識的な判断といえるでしょう。それにしても‥‥とヒースクリフは呟くと、優しい手つきで馬の背を撫でている奥方様のほうを、難しい顔で振り返ります。
 金色の夕日に照らされたその女性の姿は、とても崇高で美しいものに見えました。
「あの奥方は、一体どこの何者でいらっしゃるのだろう‥‥?」

●その正体は
「気づかないほうが悪い」
 ドレスタットの冒険者ギルドマスター、シールケルはそう断じました。
「ドレスタットで『奥方様』と呼ばれるような身分の女なんて、そうはいない。少し考えればわかることだ」
 国王陛下のおわすパリでならばともかく、ドレスタットの街で普段から暮らしている貴族はそう多くはありません。何より、ラズロがドレスタット領主『赤毛のエイリーク』の昔からの部下であることは、秘密でもなんでもないのです。いくつかの報告書を紐解けば、そういった記述に出くわすはずです。
 奥方様がハーフエルフに分け隔てなく接するのも、実力主義で名高いエイリークが夫であれば当然のことでした。
 ギルド員は苦笑しながら、シールケルの署名の入った書類を受け取ります。
「毎朝毎朝こっそり領主館を抜け出すのは、さぞ大変だったことでしょうねえ‥‥」
 おまけに半日慣れない乗馬を習っては、夕方にはまた館に戻るのです。別段鍛えているわけでもない若い娘にはずいぶん堪えたことでしょう。先日エイリークは夜会を開いたそうですが、奥方のガルスヴィント様は大層お疲れの様子で、予定より早めに席を辞去したと言う噂も届いています。
「そんな苦労をしてまで一緒にいたい男か? あれが」
「一途なものじゃないですか」
 女はわからん‥‥という顔をしている隻眼の男は、実はこれでエイリークとは長い付き合いという話です。嘆息して鎧戸の外を見ると、ぽくぽくとのんびりした蹄の音が聞こえてきました。
 まさかと思って窓から顔を乗り出せば、例のノワール‥‥黒い馬の上から、貴婦人が手を振っているではありませんか。
「シールケル様、ごきげんよう。練習がてら、遊びに参りました」
 曲者のことはラズロ経由でエイリークに伝わっていますから、奥方様ひとりでの外出など許されないはずです。きっと乗馬を覚えたのをいいことに、こっそり抜け出してきたのでしょう。
 もしかして、またひとつ自分の頭痛の種が増えたのでは‥‥と、苦虫を噛み潰すギルドマスターでありました。