貯蔵庫に潜む恐怖

■ショートシナリオ


担当:宮本圭

対応レベル:3〜7lv

難易度:普通

成功報酬:1 G 80 C

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:05月27日〜06月02日

リプレイ公開日:2005年06月05日

●オープニング

 かわいて冷たい階段をひとり降りていく。堅牢な石造りの地下の貯蔵庫には、昼間にも関わらず、陽光のひとかけさえさしこんではこない。ランタンの明かりが照らすのはほんのわずかな範囲で、その外の領域、視界を覆う黒々とした闇の中ではなにもかもが判然としなかった。
 明かりを掲げると、山積みにされたり棚に並んだりしている食料品や調味料が照らし出された。無造作に吊るされた肉の燻製や腸詰め、袋からはみだした乾燥野菜、キャベツの酢漬けの壷、かさかさに乾いたドライハーブ、買い置きの塩‥‥頼りないランタンの光に苦心しながら、必要なものを手持ちの籠に入れていく。一度床にころがっていた金桶をうっかり蹴飛ばしてしまい、ものすごい音が暗闇じゅうに響いて飛び上がりそうになった。
「ああ、やれやれ‥‥」
 胸を押さえ、くわんくわんとまだ小刻みに床で踊っている金属製の桶を手でつかまえ‥‥ようとして、手がなにかぬるりと湿ったものに触れた。なんだ?
 顔をそちらに向けその正体を知る。
 湿っているのではなかった。指先がぬめったものにからみつかれている。それは生きているようにうぞうぞと蠢き、うねり、泡立ちながらランタンの金色の明かりで不気味に輝いていた。ぬめった液状の何かは指先から手首へ、腕から肘へと這い上がってくる。その生き物が動くたび、赤熱した針で刺されるような耐えがたい激痛が脳髄へと到達して悲鳴を上げる。
 同時にどさりと嫌な重みが背にのしかかってきた。最初に感じたのは酸の匂い。それから暗い中でもはっきりわかるほどの白煙が上がり、腕と同じ痛みが今度は背中全体を襲った。熱い。痛い。逃れようと身をよじってもそれは離れない。涙を流しながら喉を涸らして叫ぶ。悲鳴は狭い地下に反響したが地上にまで届いたかどうかはわからない。吐き気を伴うような嫌な匂いが漂った。
 それが自分の体を溶かされている匂いなのだと、わかることはついになかった。

「‥‥戻ってくるのがあんまり遅いんで地下室を見に行った別の使用人が見たのは、すっかり溶かされてほとんど骨になった姿でした。地下室の床といい壁といい液状の生き物が張り付いていて、慌てて逃げたその使用人も酸で手に大怪我をしたんです」
 依頼人のひととおりの話を聞いて、受付の係員はうーんと頭をかいた。
「そりゃ多分ジェルのたぐいですねえ‥‥」
 ひとくちにジェルといっても実は種類はさまざまである。種類によって海にいるもの、空を漂っているものなど生態は多岐に渡っているが、いずれも共通しているのは不定形の体を持っていること、知能がほとんどないこと、そして酸で獲物を溶かして捕食すること。擬態能力に優れたものも多く、そのぶん厄介な相手でもある。
「それじゃあ、そのジェル退治の依頼ということでよろしいんですね?」
「お願いします」
 身なりのいい男は殊勝に頭を下げ、差し出された書面に署名をした。

●今回の参加者

 ea1674 ミカエル・テルセーロ(26歳・♂・ウィザード・パラ・イギリス王国)
 ea9103 紅 流(39歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea9471 アール・ドイル(38歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb0031 ルシファー・パニッシュメント(32歳・♂・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 eb0342 ウェルナー・シドラドム(28歳・♂・ファイター・人間・ノルマン王国)
 eb1502 サーシャ・ムーンライト(19歳・♀・神聖騎士・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb1743 璃 白鳳(29歳・♂・僧侶・エルフ・華仙教大国)
 eb2042 ユーニー・ヴェルチ(30歳・♀・ファイター・人間・ビザンチン帝国)

●サポート参加者

本多 風露(ea8650)/ 佐倉 美春(eb0772

●リプレイ本文

 貯蔵庫へと続く扉をゆっくりと開ける。表は晴れて少し汗ばむぐらいの陽気だというのに、ひやりと涼しくかび臭い空気が足元をそよいだのを感じた。地下へと降りる石造りの階段は意外と急角度のようで、扉の外から窺えるのはせいぜい二、三歩ほどの範囲。その先には黒々とした闇が、音もなくただわだかまっている。
「わかっちゃいたけど、やっぱ真っ暗だな」
「明かりが必要ですね」
 アール・ドイル(ea9471)の呟きに、サーシャ・ムーンライト(eb1502)も地下を覗き込みながらそう答える。
 明かり持ちを申し出たサーシャとミカエル・テルセーロ(ea1674)の二人で、一度この館の台所まで戻ることにした。火打石で火を起こすにはそれなりの手間と時間がかかるから、ここのかまどから火種をもらったほうが楽だし早い。耳のあたりにかかった髪を気にしながらサーシャが頭を下げると、料理人は快く承諾してくれた。
「さっさと退治しとくれね。このまま地下に入れないのも困るし」
「はい。じゃ、ミカエルさん」
 サーシャが促すと、パラの魔術師は頷いて屈みこみ、竈を覗き込む。
「いい子だ‥‥少しの間、力を貸してね」
 呪文を唱える。ぱちぱちと燃えていた炎が不自然に揺らめいたと思った瞬間、勢いを増した炎の手がしなやかに鋭く、鞭のようにサーシャの手元まで伸びた。彼女は一瞬反射的に目をつぶる。
 そっと瞼を開けると、サーシャの持つランタンの芯には火が淡く点り、竈の火は元通り穏やかに鍋の下で燃えていた。
「これで明かりは大丈夫ですね」
 膝の埃を払って立ち上がり、ミカエルは言った。

 台所から戻って、他の仲間の明かりにも火を移した。明かりを持つのはミカエル、サーシャ、それにルシファー・パニッシュメント(eb0031)と璃白鳳(eb1743)。燃える松明を持ちながら、白鳳が軽く嘆息する。
「片手が塞がってしまいますから、少々不便ですね」
 ランタンなら非常時に下に置いておいても火が消えないし、周囲に燃え移りにくい。もっとも光量でいうなら松明のほうが明るいから、一概にどちらがいいとも言いがたいのだが。
 明かりの準備ができたのを見計らって、ユーニー・ヴェルチ(eb2042)が改めて階段を覗き込んだ。
「じゃ、降りようぜ。あたしが先頭歩くから、誰か明かり持ってる奴が隣に来てくれ」
「では、私が」
 白鳳が同じく隊列の先頭ということになり、ようやく地下に降りることになる。
 明かりで足元を照らしながら、一段一段を慎重に降りていく。階段は意外と幅が狭い。並んで歩けるのはせいぜい二人か三人というところだ。依頼を受けた冒険者たちの中には幸いいなかったが、ジャイアントならかなり窮屈な思いをすることだろう。
「‥‥静かですね」
 ウェルナー・シドラドム(eb0342)の呟きがこもった地下の空気を震わせて響く。
 階段の次の段に下ろしたユーニーの足が、何か柔らかいものを踏んだ。
「うわッ!?」
 声に驚いた白鳳がランタンを向けると、砂に覆われた粘液質の物体がユーニーの足を這いのぼろうとしているところだった。酸の独特の匂いとともに皮膚を焼かれて顔をしかめ、彼女はジェルの触手に手をかけて無理やりそれを引き剥がした。
「ッざけんな畜生ッ」
 女性らしからぬ叫びを上げて、ユーニーがフレイルで殴りかかる。ぐしゃりと柔らかい手ごたえがあった。
 次いでサーシャのホーリーの援護があり、仲間の間隙を縫ったルシファーの鋭い突きがジェルの体を貫く。さらにもう一度ユーニーが思い切りフレイルを振り下ろすと、ジェルの破片が壁まで飛び散った。
 ルシファーが、死んだか? と尋ねる。
「生きてるみたいだけど、虫の息ってところじゃないかしら‥‥息してるかどうかはともかく」
 結構しぶといのね、と感心したようにもらす紅流(ea9103)の言葉通り、ランタンの明かりに照らされながらジェルはまだかすかにぷるぷると蠢いていた。駄目押しとしてルシファーが何度か槍で突くと、ジェルはようやく動かなくなった。仲間の間から死体を覗き込みながら、アールが眉を上げる。
「なんつうか‥‥妙な生きもんだな」
「敵としては結構難物なんですよ」
 答えるウェルナーは、モンスターについては幾ばくかの知識がある。思い出すように考え込みながら、
「擬態能力が高いし、知能がほとんどないので、捕食できそうな相手なら誰彼構わず襲いかかってきます。酸の攻撃も厄介です」
「詳しいな」
「僕も相手にするのは初めてですけどね。そうだ、酸といえばユーニーさん、大丈夫ですか?」
 ユーニーの靴や服の、ジェルに触れられた部分が酸でぼろぼろになっていた。そこからむき出しになった皮膚は火傷のようにひきつれて赤く腫れているが、早めに引きはがしたのが幸いして、そうひどい怪我でもなさそうだ。ミカエルから魔法薬を受け取って飲み干したユーニーが油断したぜと呟き、流は自慢の髪を軽くかき上げて肩をすくめる。
「やれやれ、ずいぶんと難しい相手が住んでるものね。どうする?」
「手がなくもありません」
 流の言葉を受けて白鳳が自分の荷物を探り、巻物を引っ張り出した。

●貯蔵庫に潜む恐怖
 階段を降りきって明かりを掲げると、ぼんやりと地下室の様子が照らし出された。
 正面には食料品や調味料類の並べられた棚が立っており、壁際に麻袋がいくつか並んでいる。中身まではわからないが、多分保存のきく乾燥野菜か何かだろう。
「‥‥涼しいな」
「太陽が当たりませんからね」
 言わずもがなのことを口にしたユーニーに、サーシャが応じる。
「このままだとちょっと暗いので、明るくしましょう」
 そう言って呪文を呟いたミカエルの松明から、炎がひとかたまり分離した。焔は彼の差し出した掌の上で躍るように揺らめき、ゆっくりと四つに分かれた。空中を滑るようにして、部屋の四隅へと移動する。厨房の竈から火種をもらうときに使ったのと同じ『ファイヤーコントロール』だ。
 それまでは暗くてよく見えなかった奥のほうには、金桶やバケツなどの金物類が転がり、そう古くはないと思われる燻製肉がいくつか天井から吊るされてぶら下がっているのが見えた。少なくとも見た限りのことを言うなら、怪しい影は見当たらない。
「いねぇのか?」
「しっ」
 アールの呟きを、白鳳が押し留める。
「います。ミカエルさん、明かりをあのあたりへ」
 『インフラビジョン』のスクロールを使っている今の彼は、暗闇の中でも熱を見分けることができる。ジェルに通じるかが少々不安材料ではあったが、生き物である以上は何らかの熱源はあるだろうとの彼の見通しはやはり正しかったようだ。指示されたミカエルが炎をそちらに動かすと、白鳳がかすかに口元をゆるめた。
「こっちに来ますよ」
 何ィ? その言葉に目を瞠ってアールが身を乗り出すと、なるほど、奥に転がっていた金桶から何か金属色のものがはがれ、ゆるゆると蠢きながら床を這っているのがわかる。炎に照らされたそれは、なめくじのようにのったりした動きだ。
「おいおい。ジェルってのは、擬態して獲物を待つんじゃねえのかよ?」
「炎が近づいたのを感じたんでしょう。たいていの生き物は火を嫌がりますから」
 ウェルナーが溜息をつき、ルシファーが槍を構えつつ、唇を歪めて不敵に笑った。
「ジェルか。獲物としてはまあまあだな?」
「気をつけてください。まだ隠れているかもしれません」
 言いながらウェルナーも短刀を抜く。右手と左手、どちらの手中にあるのも貴重な魔法の品だ。後衛組であるミカエルや白鳳を中心に、彼らを囲むようにアール、ウェルナー、ユーニー、流が陣形を組む。

 水を斬るようなおかしな手ごたえだったが、効いてはいるらしい。ウェルナーのダガーに切り裂かれ、『メタリックジェル』は身をよじるように大きく蠢動した。不定形の体から、液状の手が伸びる。素早く横にステップを踏むと、酸の体液が床に散って白煙と不快な匂いが空気に混じった。
「上だ!」
 ルシファーの指示にはっとして流が天井を見上げ、それと同時に上方から酸の体液が垂れてきた。とっさに払いのけた腕に焼け付くような不快な痛みが走る。もし、彼が気づいてくれなかったら。
「嫌ね。こんなのまともに受けたら、髪が傷むじゃないの」
 そういう問題ではないのでは、と指摘するいとまは誰にもありはしない。流が口を尖らせたためでもあるまいが、新たなジェルが天井からどさりと落ちてきた。さすがに今度は払いのける気にはなれず、一歩退いて直撃をかわす。
「まあ、ここを切り抜けるには」
 ジェルの体と対峙したままくすりと余裕の笑みを浮かべ、流の作った構えを淡い燐光が押し包んだ。
「‥‥要するに気合よね?」
 一方のユーニーは盾を構え、ジェルの攻撃をできるだけそれで受けるようにしていた。もちろん全部というわけにはいかないが、それでもまともに酸を受けるよりはかなりましだ。顔めがけて飛んできた攻撃を盾で振り払うと、そこから白く煙が上がる。
 オラァッ、とあまり品のよろしくない掛け声とともに、大きく踏み込んでフレイルを振り上げる。
「ぶっ潰れやがれぇ!!」
 ずしゃっ、と鈍い音とともにジェルの姿が大きく歪む。同時にその後ろでルシファーの槍がくるりと回り、ユーニーの肩越しに繰り出された突きがジェルを串刺しにした。敵の抵抗がなくなったのを感じて、ユーニーが渋い顔を作る。
「いい所だけ持ってきやがって」
「そう言うな。こう狭いと思うように戦えなくてつまらん」
 アールはといえば、壁にはりついていた土色のジェルに少々手間取っていた。隙を見つけたと思って斬りつけようとするたび、顔や目のあたりに酸の攻撃が飛んできて、盾で受けざるをえないのだ。そんな状態がしばらく続いて、アールは軽く舌打ちした。防御ってのは、やっぱりどうも性に合わねえぜ。
「アールさん!」
 苦戦しているアールを見かねて、サーシャがホーリーを唱える。白光はジェルを押し包み、熱いものに触れたようにジェルが大きく身をのけぞらせた。それを好機と判じて、アールがシールドソードを振り上げる。
 武器の重みをそのまま乗せたアールの一撃が、ジェルの体を両断した。


 負傷が特にひどかったのは、流とアールだった。流は武闘家ゆえに素手にナックルという装備だったため、やはりある程度はジェルに触れざるを得なかったためだ。アールの場合は単純に一撃の威力がありすぎたため、両断したときの勢いで飛び散った体液をまともに浴びることになったわけだ。
「あーあ。服が‥‥」
 冒険者たちの中でも、特に前衛を務めた四人は服のあちこちに酸を浴びている。特に盾を持っていたユーニーやアールの袖のあたりは、何度も酸の飛沫を受けてぼろぼろになっていた。魔法薬を飲み干した後、ほとんど取れかかった装束の袖を見下ろしてアールが溜息をつく。
「捨てるか、これ」
「もったいないですよ。繕えばまだ着られます」
 サーシャの言葉に、ユーニーが嫌な顔をした。
「そりゃそうだけどよお」
「‥‥よければ繕いましょうか? 多少は家事ができますので」
「お、本当? じゃあ後で頼むな」
 面に喜色を浮かべたユーニーの尻馬に乗って、俺も頼むとアールが言い、サーシャは苦笑しながら頷く。
「じゃ、依頼人さんに報告に行きましょうか」
「私はご飯が食べたいわ。お腹空いちゃった」
「おう、奇遇だな、あたしもだ」
「手ごたえとしては悪くなかったが、こんな相手ばかりだと武器が傷むな」
 なんとか全員無事でいられたことに安堵しながら、口々に言いたいことを言いながら冒険者たちは地上への階段を登っていく。その後をついていこうとして、サーシャはふと立ち止まり振り返った。カンテラをかかげ見渡しても、求めるものは見当たらない。
「‥‥骨も溶かされてしまったのでしょうか」
 宗教は違えど同じ神に仕える身、白鳳も同じ事を考えていたらしい。落とされた呟きにサーシャは、どうでしょう‥‥と曖昧に首を振った。ジェルが死体を片付けるとは思えないから、捜せば見つかるとも限らないが。
「せめて、祈りましょう。亡くなられた方のために‥‥」
 そして、人を守るためとはいえ、殺さざるをえなかった哀れな生き物たちのために。