ただいま追跡中!
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■ショートシナリオ
担当:宮本圭
対応レベル:5〜9lv
難易度:難しい
成功報酬:5
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:06月25日〜07月03日
リプレイ公開日:2005年07月05日
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●オープニング
絶対に何かあるのだ、とボリスは思う。
雇い主から報酬を受け取ったあと、『鷲の翼』傭兵団の団員たちには先に逗留している宿に戻らせた。団員たちの剣の研ぎ代、破損した鎧の修理代、馬たちの飼い葉代など、さまざまな雑費の支払いがこのところ滞っていたためだ。普段ならば会計役であるボリスがそういった支払いを忘れることなどありえないのだが、最近はどうも調子が狂っている。らしくもない。
石造りの建物の屋根と屋根の間からのぞく西の空が、頭上の濃紺から地平の茜へと、その色を変え始めているのが見えた。どこかから食事の匂いが漂ってくるのはたぶん夕飯の支度なのだろう。通りを行く人々はのんびりと家路を歩き、どこかで夕刻を知らせる教会の鐘が鳴っている。のどかな風景だった。
「いい街だと思うんだがな‥‥」
今回の仕事は、隊商の護衛だった。プロヴァンの街は交通の便がよいためか、隊商の出入りも多い。パリに比すれば同業者もそう多くはない。『鷲の翼』傭兵団にとってもなかなか実入りのいい土地のように思えたので、しばらくこのあたりでひと稼ぎしようということに決めた。
団長のゲオルグはいい顔をしなかったのだが、反対もしなかった。
「言いたいことがあるならはっきり言えばいいものを」
らしくもない‥‥ここのところ何度も繰り返している呟きとともに、自然と嘆息が洩れる。
その団長は数日前から帰ってこない。時折ふらりと団を離れることは前々からなくもなかったが、プロヴァン領にやってきてから心なしかその回数も期間も増した気がしていた。もっとも他の団員たちはさして心配はしていないようで、どこかの遊郭になじみの女でも見つけたのだろうというのが大方の見解である。ボリスにしたって、別に心配なわけではない。
心配ではないが、何か気になる。
団長は俺たちに何かを隠している。それはわかっているのに、それを問うことは何故かためらわれた。らしくもない。
日頃過ぎるくらいあけすけだというのに、今回に限って腹の裡を明かさずただ漠然と不機嫌そうなゲオルグもらしくない。常ならば相手が団長だろうと、いや団長だからこそずけずけと文句をつけるはずの自分が、いまひとつ踏み込めないのもらしくない。
付き合いが長くなりすぎた。多分、これまでの関係が居心地がよすぎたのだ。だからこそ踏み込んで、今のゲオルグとの距離感を崩すことを恐れている。守勢に入っている。
経験を重ねるほどに、人は臆病になる。失くすことを恐れるようになる。
――団長もそうなのだろうか?
どしん、と誰かにぶつかって我に返った。
それほど強くぶつかったわけではないのだが、気がつくと足元で見知らぬ老婆が尻もちをついていた。野菜が路地のそこらじゅうに転がっているのは、多分間違いなく、自分のせいだろう。
「失礼。少しぼんやりしていた」
これも普段ならば決して犯さない失態だった。あわてて老婆に手を貸して立ち上がらせ、散らばった野菜を拾うべくその場にかがみこむ。こちらこそすいませんねえと頭を下げる老婆のしわだらけの顔に、愛想笑いを返そうとして。
後頭部にはげしい衝撃と痛みが走った。
痛みよりも驚きよりも先に、しまった、という思いがある。いつのまにかほとんど人通りのない、うらぶれた路地に入り込んでいた。宿へはこれが一番近道だし、いつもは他の団員と一緒に通るから、ついその感覚で通っていたのだ。こんな場所に買い物帰りの老婆がひとりでいること自体、本当なら不自然に思うべきだったのに。
ふらついた足では体を支えきれず思わず膝をつく。それでも腰に佩いた剣に手を伸ばしかけて、もう一度首の後ろを硬いもので殴られた。声を上げようとしても、喉も舌もまるで自分のものではないように痺れていた。複数の足音がこちらに近づいてくる。
俺らしくもない。こんな単純な手に引っかかるとは。
暗くなっていく意識のなかで、連れていきなさい‥‥と命ずる誰かの声だけが、奇妙に記憶の中に残った。
◇
その日の晩、ボリスは戻ってこなかった。
いい大人なのだから一晩ぐらい戻らなくても皆特に気にはしなかったのだが、翌朝を迎えても、昼を回っても帰ってこないとなるとさすがの団員たちも異状を感じる。そもそも団長の不在中は会計役が皆を取りまとめる役で、几帳面な彼が自分の仕事を放り出して外泊するなど、今までになかったことだ。
団員皆で手分けして街中を探し回っても見つからず、その頃にはいよいよ不安が高まってくる。
「そういえばボリスさん、ここのところゲオルグ団長と険悪な感じだったし」
「‥‥団を抜けたってのか? 団長に無断で?」
「だって、そうとしか考えられないじゃないか。それにこないだまでの護衛の報酬、全部あの人が」
「てめっまさか、ボリスさんが金持ち逃げしたって言いたいのか!?」
「だってよう」
会計役の顔といえば、むっつりと眉間にしわを寄せたしかめっ面か、怒鳴っている表情しか思い出せない。団員たちが彼にしたことといえば、賭博で大金をする、大酒をかっくらって酒場からの請求を回す、娼館に行かせろと小遣いをねだる、それから‥‥。
「俺たちがあんまり世話が焼けるから、ボリスさんに愛想つかされちまっても仕方ねえかなってよう」
言われてみれば思い当たる節がありすぎて全員が黙った。
「‥‥冒険者ギルドに頼んでみて、探して連れ戻してもらうとか?」
自分たちではそれ以上の知恵が思い浮かばず、では誰がギルドに向かうかで揉めた。結局一番の若手が馬を飛ばすことになり、団員たちは祈るような気持ちでそれを見送った。
ボリスさん、頼むから、もう一度戻ってきてくれよ。もう賭け事はやめるから。酒も控えるから。だって、だって、
「ボリスさんがいなくて、俺たちどうやってここの宿代払うんだよ!?」
‥‥確かに、愛想をつかされても仕方ないのかもしれない。
●リプレイ本文
「すね毛のおっちゃん、まだ戻ってないの?」
宿に到着してまずアルテミシア・デュポア(ea3844)が問うと、不安げに団員が頷く。
まったくしょうがないわねこの肝心なときにあのすね毛は‥‥とアルテミシアは腹立たしげに溜息を吐き金髪をかきあげる。『鷲の翼』団長が去年の収穫祭で冗談半分に女装したのを彼女は執念深く覚えていて、以来彼のことをそう呼びならわしていた。ちなみにその女装がいかなるものであったかは、この呼び方で多少は察せられる。
ボリスが姿を消してから、すでにかなりの時間が経過していた。
「几帳面な方のようですし‥‥こんなふうに持ち逃げなんてするとは思えませんね」
サーシャ・ムーンライト(eb1502)は彼とは面識がないが、話を聞く限りでは会計役は今まで傭兵団の金をきちんと管理していたようだ。一言もなく団を抜けるとは考えにくいし、持ち逃げが目的ならばもっと早く姿を消していて然るべきだ。
「あんたら、金遣いめっちゃ荒いんやてなあ?」
むさくるしい団員たちに、ミケイト・ニシーネ(ea0508)が眉間に深く皺を刻んだ面を向ける。
「会計役はんにえろう迷惑かけてたんやろ。悪いなーいう気持ちがあるから、金の持ち逃げなんてしょうもないこと考えるんや。しゃあないからボリスはんは探したるけど、あんたらも少しは反省しい」
無駄遣いや贅沢は敵やねんで、と説教を始めるミケをなだめながら、それにしても‥‥とシェアト・レフロージュ(ea3869)の口からも呟きが落ちた。
「困りましたね。おかみさん役のボリスさんがいないなんて」
「‥‥それ、本人には言わないほうがいいぞシェアト」
本人と面識はほとんどないもののそんな認識をされていると知って喜ぶとは思えず、いたって大真面目に考え込んでいる友人にクロウ・ブラックフェザー(ea2562)が首を振った。『おかみさん』が妙なツボに入ったせいか、そんな場合でもないのに笑いをこらえて微妙に表情を歪める団員たちを、青龍華(ea3665)は鋭い眼光で睨めつける。
「ところで、心当たりは全部探したんでしょうね?」
「え? あ、あー‥‥まあその」
「まさかとは思うけど、私たちが来るまでの間、ずーっとここでおろおろしてただけなんじゃないでしょうね?」
青い双眸をすがめると、小さくなる男ども。答えないことが答えのようなもので、龍華が柳眉を逆立てた。
すうっと息を吸い込む、間。
「‥‥大の男が何人も揃ってなーにをやってるのよっ! 心配なら少しは自分たちでも探しなさいッ!」
叱責というよりほとんど怒号のような声が表の通りまで届き、逃げるように数人の団員たちが宿から飛び出して行った。
「よォ。そちらは何か見つかったかい?」
「荷物も武具もそのままだ。机には書面が散らばってるし」
会計役の泊まっている部屋から出てきながら、クロウはルカ・レッドロウ(ea0127)に首を振った。帽子の鍔の下で面をわずかに顰めると、やっぱ持ち逃げの線はなしだな、とルカが独白する。
「計画的に姿を消すつもりなら、せめて事の前に荷物ぐらいはまとめとくはずだ。几帳面な性格ならなおさらな。団員連中はあんまり動転してるもんだから気づいてねェみてえだが」
苦笑まじりのルカの言葉に、クロウが考え込む様子を見せた。
「そうするとやっぱ‥‥ボリスは何かの理由で、ここに戻ってこられない?」
「だろうなァ。なァんか臭いやがる」
揉め事の臭いだ‥‥と口元を歪めるルカを見ながら、クロウはルカたちが、残った団員に何か聞いていたのを思い出した。
「そっちはどうだった?」
「ゲオルグって団長はここんとこ頻繁に姿を消してるらしいな。今回の件に関係してるかはわからんが‥‥団員連中はそっちの事は全然心配してねェ。よっぽど信頼されてるのか、単に深く考えてねェのか‥‥どっちにしろ、大したことは聞けなかったぜ」
クロウは首を振る。
「それなら、いつまでもここにいても仕方ない。そろそろ街に出よう」
●謎の彼女たち
まだ日は高く、通りには無数の人影が絶えない。近くに何かギルドでもあるのか、見た所この界隈には職人の開く工房が集まっているようだった。武具の修理を頼んでいたという鍛冶屋から出てきたサーシャやアルテミシアを見つけて、龍華が顔を上げる。
「どうだった?」
「確かに来たそうですけど、支払いを済ませてすぐ帰られたそうです。龍華さんは?」
「それらしき人が街を出たって話はないみたいね、やっぱり」
溜息をついて龍華が肩をすくめる。
プロヴァンの街は石組みの外壁に囲まれているので、人の出入りは兵が見張りを務める門を通らねばならない。交通の要所ともいえる立地であるため人の出入りは激しいが、その大半は各地の名産品を売り買いする交易商らの商隊である。若い男の徒歩(ボリスは自分の馬も宿の厩舎に置いていったままだった)のひとり旅、となれば、そう遠い以前のことでもなし、門番の記憶に残っていてもおかしくはないのだが。
アルテミシアはさてどうしたものかと腕を組み、アルル・ベルティーノ(ea4470)はサーシャの似顔絵を覗き込みながら、結構男前さんですね、などとのんびり呟いている。龍華は眉を寄せて考え込みながら、
「えーと‥‥支払い先はこれで大体回ったのよね?」
ボリスは姿を消す前、依頼の報酬でさまざまな雑費を支払ってくる、といって、ほかの団員らと別れたのだという。当日の足取りを追うならまずこれと決めて聞き込みを始めたのはいいものの、ボリスはちゃんとすべての支払いを済ませているようだった。
「そうすると、行方をくらましたのはその後ってことになる‥‥わよね」
「問題はこの後、ボリスさんがどこへ向かったかですね」
サーシャの言う通りだが、実際にはまっすぐ宿に向かったかもしれないし、少し息抜きに酒場にでも足を伸ばしたかもしれない。短い時間で団員たちから聞いただけの情報ではなんともいえず、女性たちの間に沈黙が落ちると、アルルの足元で一匹の犬が鼻面をすり寄せてきた。
アルルはにっこりと笑んで、しゃがみこむとその毛並みに頬ずりする。
「うん。じゃあ、シーグルに頑張ってもらおうかな?」
「こういう感じの人なんやけど」
通りに出ている出店の店主に似顔絵を差し出す。覗き込む目は好奇のそれで、こらあかんわとミケは内心落胆した。見覚えがある顔に出くわしたという表情でも、記憶を掘り起こそうとしている顔でもない。シェアトも同じ意見のようだが、こちらから話しかけた以上勝手に話を切り上げるわけにもいかず辛抱強く答えを待つ。
「このお兄さん、何したの? 犯罪者とか?」
「行方不明なんです」
「へえ。どういう人?」
よほど娯楽に飢えているのだろう。好奇心むきだしにして尋ねてくるのに戸惑いながら、ミケが答える。
「傭兵団の人なんやけど」
「傭兵団? ああ、それで」
得心がいったという風に頷いた店主に、何か知っているのかとふたりは目を見開いた。
「この人、よその人だよね? 見ればわかるよ。きっとこの街に来て、荒稼ぎしたんだろ? 見ればわかるんだよ。そりゃ行方不明にもなるよねえ、うん。彼女らが黙ってるわけないもんなあ」
「あ、あの、もう少しお話を詳しく」
「僕はこの人の行方とか知らないけど、早めに探してあげたほうがよかないかなあ。彼女ら手段を選ばないから」
「だからなんやねんその彼女らってッ」
「すみませーん、これくださァい」
埒のあかない会話に癇癪を起こしそうになったミケの目の前を遮るように、出店に別の客が訪れる。おおお目が高いこれは北方からの珍品で、と即座に接客の顔に切り替えた店主に呆気にとられ、次いでミケとシェアトは顔を見合わせ同じ疑問を口にする。
「‥‥彼女たちって」
誰?
●ただいま追跡中!
通りを曲がると、背の高い建物に光を阻まれて路地は薄暗い。もう夏といっても差し支えない季節なのだが、陽のひとかけも差さない裏通りはひんやりと涼しく、それでいて空気までもがじっとりと湿っぽいような気がした。
「この辺りでいいのかい?」
「‥‥だと思います」
ルカの問いにシェアトがうなずく。
『テレパシー』でボリスを見つけ出すのにはだいぶ時間がかかった。あくまで離れた相手と会話ができるだけの魔法なので、居場所については相手の主観に頼るしかない。ボリスの話では、このあたりだろうということだったが。
「そっちの犬っころはなんて言ってる?」
「犬っころじゃなくて、シーグルですっ」
ルカの言いように愛犬のかわりにアルルが頬をふくらまし、龍華になだめられ渋々答えを口にする。
「シーグルが匂いを追いかけてきたのも、この通りです」
人気は少ない。一度たどりついたアルルたちが、この建物について通行人に尋ねようとすると、皆逃げるようにしてどこかへ消えてしまった。つまり、評判のよくない住人がいるのだろう。
扉を蹴り倒す。同時にルカが、次いでサーシャが突入した。扉の横合いに人がいるのは、アルルのブレスセンサーで確認済みだ。先手必勝とばかりにサーシャがその方向に剣を振るう。
「なんだいあんたらッ」
「!?」
嗄れた声にぎょっとして、サーシャがすんでのところで刃を止める。目の前にいるのはしわだらけの老婆で、切っ先を前にして腰を抜かしている。
「なんてことすんだいこの小娘ッ」
「‥‥ええと‥‥すみません」
知らぬこととはいえお年寄りに刃を向けるなんてと、恥じ入ってサーシャが頭を下げようとして、
「サーシャっ」
龍華の叱咤する声が飛んだ。顔を上げた視界に銀光が走り、次いで肩に突き立ったナイフから血が迸る。
「修行が足りないねえ、小娘。年寄りだからって油断したかい?」
老婆は悠然と埃を払い立ち上がりながら、よく研がれたナイフを手ににまりと笑う。
痛みに一歩後退したサーシャのかわりに、龍華が猛然と老婆めがけて間合いを詰めた。龍叱爪の突きを軽くいなしたその足元を、下段の蹴りが狙う。ひゃひゃひゃと不気味な笑い声を上げながら、小柄な体が怪鳥のごとく飛んだ。投じられたナイフを、かろうじて爪ではじく。
「ほほ、若い若い。どれ、少々遊んでやるとするかね」
抜きざまの一撃を弾かれる。流れるような動作で切っ先が斬り上げてくるのをすんでのところでかわす。ルカの得物は刀、向こうは短剣。間合いを詰められたのに応じて、ルカは拳を叩き込んだ。
受けるのが間に合わず、みぞおちに打ち込まれた打撃にたたらを踏んだ相手が唾を吐く。上げられた面に、ルカはひゅうと口笛を吹いた。
「驚いたなァ。別嬪さんだ」
相手は女だった。年頃はルカと同じか、もう少し年嵩だろう。鋭い目で睨みながら、女はルカに問うた。
「あんたたち、ゲオルグの手下じゃないね? あの男は女は団に入れないもの」
「そういうあんたらこそ、何者だ?」
「あたしたちは、プロヴァンの傭兵団『蛇の牙』」
名乗りの声に、ようやく追いついてきたシェアトが息を切らしながら目を瞠る。
「ボリスさんは‥‥」
「あたしらの縄張りで勝手に荒稼ぎしてくれてたからね。ちょいと体に勉強してもらったよ」
酷薄な笑みを唇に刷いて、女は短剣を構え直した。
「あんたらにも勉強してもらおうか」
床を蹴る。
殺気を感じ取ったルカの横なぎの斬撃を、女は大きく跳んでかわした。鞭のように伸びた腕から白刃が舞い、剣風に帽子が巻き上げられる。着地した女の動きが、がくん、と何かに縫いとめられた。
シェアトのシャドウバインディングで動けない女の喉下に、ルカがぴたりと切っ先を突きつける。
「うわ、なんだこの臭い」
戸を開けたとたん、嗅いだことのない臭いに鼻先をふさがれてクロウが咳き込みそうになる。屋根裏に誰かいるというアルルの言葉を信じ、騒ぎに乗じて裏口から侵入してきたところだった。ひとりだけ残っていた見張りの女は、今は床と仲良くなっている。
鼻をふさいで駆け込むと、無造作に転がされている誰かを発見する。
「ボリスさんだろ? 立てるか?」
ミケの問いに蒼白な顔で頷くボリスに、クロウが肩を貸す。
この後、突入組はクロウの合図を受け、建物から撤退した。龍華との決着がつかず、彼らを追おうとした老婆は、ミケのスリングやアルルの雷撃に阻まれ、ついに追いつくことはできなかったという。
●今宵の顛末
「‥‥まだ眩暈がする」
「大丈夫ですか。サーシャさん、お願いします」
仲間の神聖騎士の名を呼んだシェアトの意図を察して、軽くボリスが手を上げて制する。
「いや、怪我は大したことはない。‥‥薬だな、多分」
「薬?」
「あそこに入れられる前に、妙な香を嗅がされて‥‥その後どうなったんだったか。あの女どもめ‥‥」
不穏な言葉に惑って、冒険者たちは顔を見合わせる。今にも吐きそうな顔をしているボリスは自力で歩かせるには少々頼りなく、仕方なくこの中では一番大柄なルカがおぶって連れ帰ることになった。
宿に戻ると、団員たちが涙を流さんばかりにして会計役のまわりに押し寄せた。戻ってくれてありがとうありがとうもう無駄遣いはやめますからと当てにならない誓いは適当に聞き流し、ボリスが冒険者たちに向き直る。
「冒険者の諸君。すまんが、報酬は払えない」
「え」
「ボリスさんっ、せっかく皆手を貸してくれたのに」
「仕方ないだろう。持ってた金は洗いざらい連中に持って行かれて、持ってた財布は空になってしまったんだから」
「それでは仕方ありませんね」
それに困った方を助けるのは、セーラ様に仕える者として当然ですし‥‥とサーシャが聖職者らしい答えを返す。対照的なのはミケで、なんやただ働きかいなと落胆した声を上げた。そして、じゃあここの宿代はと顔を青ざめさせる団員たち。
目を見交わしあい息を詰めて成り行きを見守る冒険者たちの前を悠然と横切り、ボリスは嘆息とともに首を振った。
「宿代か‥‥できればこんなことはしたくなかったんだが、仕方ない」
「ま、まさか‥‥夜逃げ?」
犯罪行為を見過ごすことはできずに、龍華がごくりと唾を飲み込んで尋ねる。当人は落ち着き払って、こう続けた。
「俺のへそくりから出す」
あらかじめいくら払うという明確な金額が掲示されていなかったのだから仕方ないとはいえ、なんだか納得のいかない思いのまま冒険者たちはギルドに戻ることになる。