【王都侵攻】狂える悪魔たち

■ショートシナリオ


担当:宮本圭

対応レベル:7〜11lv

難易度:難しい

成功報酬:3 G 79 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:08月16日〜08月22日

リプレイ公開日:2005年08月25日

●オープニング

 細剣の切っ先に捉えられたインプが、悲鳴を上げるいとまもなく塵となって四散する。
 それを省みることすらせず、踵を返し外套をひるがえして駆ける。インプやグレムリン、人間でいえば小間使いにあたる下っ端ばかりを相手に、いったい何体の悪魔を切り伏せてきたのか、正確に数えることはもうやめていた。
 突然の襲撃者に腰を抜かして地べたで震えているような小者には用はない。抜き身のレイピアもそのままに、かつて人であったはずの肉塊が捧げられた奇怪な祭壇を軽々と跳び越える。
 悪魔崇拝の陰惨な儀式を行った首魁は、騒ぎの隙に奥の隠し扉から建物の外へと逃げ出していた。もちろんそれを見越して仲間に裏手を見張らせてはいたものの、彼女ひとりで奴の相手をするのは荷が重いだろうということも予想はついている。少しでも時間を稼いでくれているうちに、急いで追いつかねばならない。
 半開きのまま、隠し扉の役を果たしていない戸を蹴り開けた。確か今宵は月夜のはずだが、天空は分厚い雲に覆われて光は地上までは届かない。闇の帳の降りた木立の間を、敵の姿を求めてさらに走る。
 夜闇の向こうで、見慣れた紅い光が明滅するのを視界に捉えた。
(「ホリィ!」)
 火の精霊魔法は彼女のお手の物だ。彼女が魔法を行使しているということは、あそこで戦いが繰り広げられている。
 また光った。先ほどより近い。爆音とともに焦げ臭い匂いが漂ってきて、派手好みの彼女らしい戦い方だと思ったが、様子が違うことに遅れて気がついた。
 いくら彼女でも、こんな火の回りが早そうな場所で、炎の魔法を立て続けに使うものだろうか?
 不審に背を押されてそちらの方向へ走る。
 今度の光はごく近くではじけた。突然生まれた光と熱に思わず目を細めて足を止めると、ちらちらと踊る焔の合間を切り裂くようにして、黒い影が目前へと迫っている。
「‥‥ッ!」
 十数体もの下級悪魔を切り伏せた後で、感覚も反応も常より鈍っていたことは否めまい。だがレイピアで咄嗟に反撃ができないほどの間合いまで、ほんの一瞬で接近を許してしまうとは。防御の構えをつくる暇さえなく、影の鋭い蹴りが胸のあたりをえぐり、己の肋骨が何本かへし折れるにぶい音を聞く。
「ヒッハハハはハハァッ!」
「よくもっ」
 痛みと衝撃で思わず膝をつくと、狂気じみた笑い声と、怒りに燃えた女の声が重なる。ホリィ・チャームの華やかな美貌は、今は半分以上が細かい掻き傷と火傷に覆われてひどく痛々しい。こちらに近づこうとする足を、幾体ものインプが阻んで止める。
 黒い影が憎らしいほど優雅に旋回しながら、目の前へと降り立つ。姿はインプに似ているが、インプよりも一回り大きく、黒々とした体表が一層と禍々しい。
 ――ネルガル。
 地獄の密偵とも渾名される、インプやグレムリンとは一線を画す悪魔だ。
「待ち伏せぐれエなア、こっちだって考慮済みなんだよ。下っ端どもばかりだと思って油断したか? あ?」
 顎先を蹴りつけられてぶざまに倒れる。その拍子に折れたあばらを打ち付けて声を噛み殺す。だが苦痛の気配を敏感に嗅ぎつけて、ネルガルは執拗に胴体のあたりを狙って何度も蹴った。かばった腕の骨さえもが、何度も蹴りつけられみしりと嫌な音をさせて軋んだ。
「ざまァねエなあ、怪盗さんよ? ヒハハッ」
「遊ぶのはそのぐらいにしておけ」
 嗜虐の喜びにはしゃぐネルガルを、別の低い声が制した。不満げにネルガルが声のほうを省みる。かすみかけた視界で姿は判然としないが、声の響きには確かな聞き覚えがあった。じっと耳をそばだてる。
「てめェに指図される謂れはねエはずだがなア?」
「聖櫃を追うのが先だ。今は殺す手間も惜しい」
 この声は‥‥この声は‥‥。
「ヴァン‥‥カルロス‥‥か」
 噛み締めた歯の間から名前を絞り出すと、闇の向こうからかすかに嘲笑う気配がする。
「私が慈悲をかけたと思うか? 下賤の怪盗よ。それは違う。お前たち人の子はいずれ、もっと早く死んでいるべきだったと思うことになる。いや、そもそも生まれてきたことを後悔するだろう。我々が聖櫃を入手すれば、それだけの苦痛がお前たちのこの先に待っている」
 行くぞ‥‥と促した声に、ネルガルは舌打ちして従った。ホリィが地面に倒れる鈍い震動が、こちらにまで伝わってくる。事の成り行きを愉快げに見守っていたインプらが、潮が引くようにして去っていくのがわかった。
 風が雲を吹き払い、月光が頭上から差し込んで彼らの姿を露にする。
 仰向けになったホリィの顔半分は火傷で醜くひきつれて見る影もなく、腹部に開いた風穴からの血が服の下半分を真紅に染めていた。自分とても肋骨を折られ腕を折られ、とても軽傷とは呼べない状態だ。とてもではないが、追うことはできない。
 自分たちは敗北した。追い詰めるつもりだったカルロスに返り討ちに遭い、みすみす彼らを逃してしまったのだ。
 怪盗ファンタスティック・マスカレード一味ともあろうものが、なんと無様な。
 泣くことさえもできない。今はただ奥歯を噛み締め、他の仲間が追いついてくるのを待つだけだ。

●依頼
「しばらく見ないうちに、ずいぶん素敵な顔になったのね」
「それ、皮肉のつもり?」
「はっきり感想を言ったほうがよかったかしら。派手にやられたわね」
「ふん。教会の連中によれば、顔が元通りになるまではまだ時間がかかるんですって」
 それどころか上体を起こすとふらつくほどの重傷なのだが、ホリィにとっては顔のほうが重要らしい。神聖魔法で皮膚を再生できるとはいえ、同じ女であるフロランス・シュトルームに包帯と湿布で覆われた顔をさらすのはさぞ屈辱だろう。見舞いの果物を看病役の見習い僧に預けて、パリギルドマスターは寝台の隣の椅子に腰掛けた。
「事情を聞かせてもらいに来たのだけど、大丈夫かしら?」
「カルロスの奴、やっぱり生きてたわ」
 そんなことだろうと思ったと、フロランスは肩をすくめた。かつて伯爵と呼ばれた男は、高位悪魔との契約を交わしていた。何を取引の材料に使ったかはわからないが、いずれにしろ簡単には死なない体になっているはずだ。
「死体が見つかっていない以上、生きてはいるだろうと私も思ってたわ。今出てくるとは思わなかったけど‥‥最近のオーガたちの動きと、何か関係があるのかもね」
「聖櫃がどうとか、言ってた。あれは今どこにあるの」
「ということはやはり、彼の狙いはそれなのね?」
 マント領の地下遺跡から運び出された『聖櫃』は、まだ一部の者以外には極秘だが、ブランシュ騎士団が預かっている。聖櫃を開けることができないので中身については未だ判断がつきかねているものの、高位の悪魔さえもが狙うような代物を、生半な者で護れるとは思えない。
「理由はわからないけど、奴らが狙うだけの何かが聖櫃にはあるんだわ。もしカルロスが手に入れたなら、パリが‥‥もしかしたらノルマンそのものがひっくり返ってしまうような、何かが」
「‥‥カルロスがパリに向かってきているのは、間違いないのね?」
「多分ね。下級デビル大勢と、それからあのむかつくネルガルって下種な奴を連れて」
 それが本当のことならば、都に何がしかの災いをもたらす前に止めねばなるまい。

●今回の参加者

 ea2361 エレアノール・プランタジネット(22歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 ea3047 フランシア・ド・フルール(33歳・♀・ビショップ・人間・ノルマン王国)
 ea3674 源真 霧矢(34歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea4919 アリアン・アセト(64歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea5506 シュヴァーン・ツァーン(25歳・♀・バード・エルフ・フランク王国)
 ea5796 キサラ・ブレンファード(32歳・♀・ナイト・人間・エジプト)
 ea6337 ユリア・ミフィーラル(30歳・♀・バード・人間・ノルマン王国)
 ea7363 荒巻 源内(43歳・♂・忍者・人間・ジャパン)

●サポート参加者

レイ・コルレオーネ(ea4442)/ エリナ・サァヴァンツ(ea5797)/ ヴァルフェル・カーネリアン(ea7141

●リプレイ本文

 漆黒の夜空はどこまでも暗くその下の大地もまた昏く、視界の助けは雲の切れ目から点々とのぞく僅かな星明りのみであった。
 丘の上にまばらに並ぶ木々の枝振りの上で身を縮め、荒巻源内(ea7363)は鋭い眼差しで眼下の風景を睥睨していた。手元には灯こそないが、忍びとして研ぎ澄ました彼の感覚は、夜闇も殆ど苦にしない。
 かつてマント伯を標榜していたヴァン・カルロスが、下級悪魔の軍勢を率いてパリの方向を目指してくる‥‥重傷が未だ完全には癒えぬホリィ・チャームの情報から、迎撃を役目とする冒険者たちが雇い入れられた。依頼に参画した理由は個人によって様々だが、彼の場合は『けじめ』である。
 数ヶ月前のマント領で、源内はカルロスを追い詰めながらも、結局はかの男の死体を見ることができなかった。
(「結果として拙者は、任を果たせていなかった」)
 胸の裡の思いを苦く噛み締めた源内の面が、ふと何かに気づいて上げられる。
 来たか‥‥声に出して呟くような真似は勿論せず、頭の中だけで独白を洩らして暫し目を凝らした。
 フランシア・ド・フルール(ea3047)の提案で、ホリィの話から凡その侵攻経路を割り出したが、どうやら正解だったようだ。
 ここでの彼の役目はあくまで斥候だ。敵が迫ってきたことを、味方に知らせねばならなかった。源内の姿が闇に溶けこむようにして消え、急に人ひとり分の重みを失ってしなる枝を見ていた者は誰もいない。

 待機していた冒険者たちが、源内の報せを受けたのは夜半すぎ。火が比較的目立たぬ森林の中に潜み交代で仮眠をとる中、斥候であるジャパンの忍者を出迎えたのは、アリアン・アセト(ea4919)とキサラ・ブレンファード(ea5796)だった。
「やはり馬ですか‥‥」
 源内の目は軍勢の中に、馬に騎乗する姿を認めていた。仮にも元貴族という矜持から、少なくともヴァン・カルロスは徒歩ではないだろうというアリアンの推測は当たっていたようだ。空を飛べる悪魔たちが、わざわざ馬に乗るはずもない‥‥考え込んでいるアリアンに、ぼそりとキサラが口を挟んだ。
「‥‥その馬も、ただの馬とも思えないが」
 夜間の行軍のみならず、周囲を異形の悪魔に囲まれてなお足並みを乱さない馬‥‥言われてみれば確かにかなり異様だ。
「荒巻。彼らがこの辺りまで来るのはいつ頃になる?」
「あの足並みならばおそらく明け方には」
 ということはあまり時間がない。
「皆さんを起こしましょう」
 それから手分けして天幕を畳んで、火の始末をして、戦闘に備えて‥‥朝食は水と保存食だけで簡単に済ますしかあるまい。本職の料理人のユリア・ミフィーラル(ea6337)もいるというのに味気ないことだが、のんびり野営食を作る暇などあるはずもない。

●王都侵攻
 夜が終わる。
 東の空が徐々に白々と明るくなってくるのが、木立の枝振りの隙間からでも見てとれた。まだ完全に視界は晴れていないが、少なくとも満足に戦えぬほどの暗闇ではない。茂みの中に身を潜めながら、エレアノール・プランタジネット(ea2361)は彼方の方向へと瞳を凝らした。源内ほどではないが、彼女も夜目が効く。
「あれね‥‥」
 ようやく見え始めたそれは、仄かな曙光の中で陽炎のように揺らめいて見えた。離れた位置から魔法で先制するつもりだったが、まだ少し遠い。彼らに最も効果的に打撃を与えるには、もう少し待たねばならない。
「連中が迫ってきたら、フランシアはんたちの所まで後退してや。前はわいらが守るさかい」
 接近戦の得手でない面々は、フランシアのホーリーフィールドの中から味方を援護することになっている。念を押した源真霧矢(ea3674)の言葉に、心得てるわとエレアノールは頷く。
「そっちこそ、傷ついたら無理しないで頂戴ね。相手は数が多いんだから、誰か倒されればそこから総崩れになる」
「わかっとるがな。姐さん方を満足に守れんようやったら、男が廃るわ」
 快活に笑んだ霧矢の顔を一瞬だけ横目に留め、エレアノールは前方に向き直った。そろそろだろうか。取り出した巻物を使って、自らの精神を高揚させる。
 霧矢の目にも群れが見え始めたようだ。顔を引き締めて剣を抜き、エレアノールの魔法に巻き込まれないよう一歩退く。精霊碑文で魔力を引き出し終えたエレアノールは巻物を畳み、呪文を唱え始めた。
 すっと前方へ向け手を掲げる。
 一瞬ののち、その掌の先から氷雪の嵐が凄まじい勢いで噴出した。魔法によって顕われた突然の猛吹雪は、射線上の草木や小動物がすべて死に絶えかねぬ強烈さで、一気に平原を渡り街道を横切りその先にあるデビルの軍勢を直撃した。
 あまりに広範囲に威力を及ぼすエレアノールの全力は、前方を飛んでいた下級悪魔らに大きな打撃を与え、同時に彼らを迎撃する者の存在を知らしめる戦いの狼煙ともなった。

 エレアノールのアイスブリザードは、二度目は詠唱を失敗し、三度目は成功したものの悪魔達はすでに上空へと散開を始めていたため、初撃ほどの目覚ましい効果は得られなかった。指揮者――おそらくはネルガルかカルロスによって術者の位置を見定めたのか、群れは彼女たちのいる林めがけて迫ろうとしている。
「エレアノール殿! 早くこちらに」
 叱咤するフランシアの声の方向へ走るエレアノールと入れ替わるようにして、霧矢とキサラが前に出た。
 霧矢のまとう魔法の雷が、明け方の薄暗い視界にぱちぱちと明るく弾ける。それを見つけたらしいインプが、上空から滑空し木立の合間を抜けてくる。アリアンたち後衛組から離れすぎてはならないが、前に出すぎてもいけない。いざという時、後衛の援護が届かないからだ。
 インプが迫ってきた。目指すルートを一瞬で見極めキサラが地を蹴る。
「‥‥ここは」
 狩人たる私のテリトリー‥‥誰にともなく落とされた呟きと共に銀光が一閃した。エレアノールの呪文を受けたためか動きは鈍く狙うのは容易い。肌を裂いた刃に小悪魔が悲鳴を上げながら塵と化す。
「まだ来るで!」
 仲間の断末魔を聞きつけたのか、上空を覆っていた悪魔たちが高度を下げ次々と木々の間へと突入してきていた。幾体か倒されても数で押せるとの読みは、おそらく彼ら自身ではなくより高位の悪魔の命によるものだろう。彼らの序列はそのまま力の差、インプのような最下級の悪魔には逆らうことなど思いもよらぬに違いない。
 迫ってきた新手がライトニングアーマーの雷に絡めとられた隙に、霧矢がそれを切り伏せる。だが休む間もなく次の悪魔がやってくる。今度はもう少し手ごわいグレムリンで、倒すのにやや手間取っている間に周囲には敵が驚くほど増えていた。
 幸いなのは、キサラも霧矢も今のところほとんど傷を負っていないことだ。事前に前を護る者全員にかけられたアリアンの神聖魔法によって、デビルの攻撃の威力はかなり軽減されている。
 全力の魔法を連続で使って疲弊していたエレアノールが、ソルフの実で魔力を回復させ再び吹雪を発生させた。さすがに混戦になってきたため威力や効果範囲は絞ってあるが、それでも雑魚を牽制するには充分だ。
 数が増えてきて、食い止めきれなかった何体かがキサラたちの脇をすり抜ける。
「行かせませぬ‥‥!」
 シュヴァーン・ツァーン(ea5506)が呪を唱えると、二体ほどの悪魔が幻を見せられ立ちすくんだ。だがそれ以外の悪魔は、そのまま彼女のほうに向かってくる。
 イリュージョンが見せるのは『幻覚』であって、幻影ではない。幻を見るのは限られた数の者だけで、多数相手の戦いでは決して有効とはいえないのだ。続けざまに二度、爪を避けきれず肌に朱を散らした娘を不利と判じて、源内が彼女の相手のうちの一体に斬りつける。
「今治します」
「薬があります。アリアン殿は力を温存して下さい」
 結界内まで後退してきたシュヴァーンにアリアンが駆け寄り、フランシアが急いで荷の中から魔法薬を引っ張り出した。
 グレムリンの攻撃を避け損ねて額を裂かれ、ついでにレジストデビルをかけ直してもらうためにやはり後退したキサラと入れ替わりで、ユリアが結界の端による。
 ホーリーフィールドの障壁は物理攻撃も魔法も阻む。だが中からの魔法には、障壁は効果を及ぼさない。ユリアの手中から飛び出したムーンアローの光が、ほぼ真上へと伸びて消えた。
「上だよっ」
 同時に枝葉の間から赤光が落ちてくる。
 着弾とともに焔が爆ぜ、視界が紅に染まった。フランシアの結界に打ちつけた圧倒的な力の奔流によって、障壁は引き千切られ拡散し消滅する。視界の全ての輪郭を曖昧にする程の熱量が、人も悪魔も一緒くたに焼いた。
「このっ」
 このまま上空から何度も攻撃されてはまずい。ユリアの真上に向かってエレアノールがアイスブリザードを放ち、残った敵に接近されないうちにフランシアがホーリーフィールドをかけ直した。魔法を連続で発動させているエレアノールのため、ユリアが新しいソルフの実を取り出す。
 味方の被害も大きかったが、巻き込まれたデビルたちもまた強力な炎に耐え切れず何体かは消滅していた。もっとも向こうは数が多いから、いつ第二陣が来ないとも限らない。焼け焦げた腕でなんとか目前の敵を切り伏せ、霧矢も魔法薬を飲み干した。デティクトアンデットをかけ終えたアリアンが、はっと面を上げる。
「あちらから来ます!」
 インプなどとは全く違うものが、上空からこちらに迫って来る‥‥そう判じたアリアンは、次いで別の存在を感じた。これも今までの雑魚とは明らかに異質だ。その方角に意識を向けると、聞こえてくるのは蹄の音。
「カルロス!」
 現れた影目がけて源内が跳んだ。同時に木々の合間を縫うようにしてネルガルが降下してくる。
 もう一度ファイヤーボムが飛来するのにあわせ、高速詠唱によるエレアノールのアイスブリザード。うまく行けば打ち消しあえるかと思ったのだが、そこまでタイミングを合わせるのは極めて難しくほぼ不可能に等しい。爆ぜた焔を真正面から受けてやむなく女ウィザードは後退し、同じく魔法の直撃を受けたネルガルは景色に姿を溶かしていく。密集していては魔法のいい的になるため、フランシアたちは既に移動して結界を張りなおしていた。
「アリアン殿、方向は」
「左から‥‥着地したようです。こちらに来ます」
 透明化したネルガルの方向を伺いながらのアリアンの言葉に、傍らに置いた水樽の蓋を開いてフランシアが頷く。

 一方のカルロスは、出会い頭の源内の初撃をあっさりと受け止めていた。返す刃が目前に迫り、転瞬、小さな爆発が起こりカルロスの視界を奪う。
「‥‥陸奥亜流、‥‥瞬動瞬歩」
 微塵隠れで背後をとった源内の蹴りが、カルロスの背を見舞うと見えた矢先、男の騎乗していた馬が急に棹立った。狙いがそれて均衡を崩した源内をよそに、カルロスは悠々と手綱を引いて馬をなだめ彼に向き直る。
「以前会ったときも思ったが、下賤にしては面白い術を使うな。‥‥子供騙しだが」
「無駄口を」
 カルロスとネルガル、同時に両者を相手どれば戦況は大きく変わる。ここで食い止めねばなるまいと、源内は目を細める。

「源真さん、右です!」
 アリアンの指示に反応するよりも早く攻撃が来た。不可視の敵の鉤爪に裂かれた肩口から血が噴き出す。ライトニングアーマーの効果は切れていた。痛みもさることながら、急激な失血で足元がぐらりとふらつく。人の指示だけを頼りに見えない敵と戦うのは、思ったよりもかなり難しい。ユリアやシュヴァーンのムーンアローも、大まかな位置は知れても瞬間的な動きまでは読めない。
 まずい、と判断したキサラが眼前の敵を倒すべく刃を走らせ、同時にフランシアが柄杓を手に駆けた。
「アリアン殿!」
「目の前です!」
 アリアンの声の通りに、目の前めがけ柄杓の中身をぶちまける。中身は染料と灰を混ぜたもので、そう簡単には落ちない。
「ちッ」
 透明化が意味をなくしたのを知って、ネルガルが姿を現した。鉤爪が振るわれ、服を裂かれたフランシアが倒れる。
「ひハはッ。なンだよ、てめェも神様の犬って奴か」
 倒れたまま尖った足先で顎を持ち上げられてフランシアが呻く。
「どいつもこいつもよォ。神様がてめェらに何をしてくれる? 殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、隣人のものを欲するな‥‥あれはやるな、これもやるな。クソ面白くもねェ教えによく従えるもんだぜ」
 異形の面に酷薄な笑みが浮かんだ。
「そこのババアと、あとてめェ。どうよ、今からでも俺らに乗り換えるってのは‥‥神様よりもいい思いさせてやれるぜ?」
「御名にかけ」
 苦しげな息の下から、フランシアは言った。
「主に仇なす愚か者は、正しき者によって罰せられる‥‥滅びなさい、悪魔」
 ようやく目の前の相手を倒したキサラが、ネルガルの横合いから切りつけた。次ぐ攻撃はエボリューションによって弾かれる。魔法薬で傷を回復させた霧矢も立ち上がり、力を振り絞って刃を振るった。
 結界から出たアリアンの癒しの申し出をまだ大丈夫と断って、フランシアは掌を合わせ静かに祈りを捧げた。
 ニュートラルマジック。
 フランシアが発動させた神聖魔法は、ネルガルの護りとなっていたエボリューションを中和し霧散させる。悪魔の面が初めて驚愕の色に彩られ、冒険者たちは逆に勢いを得てさらに猛攻した。
 翼を広げてネルガルは飛び上がり、己の誘いを跳ねつけた『神の犬』を視界に探す。短く呪を唱えようとして、急にフランシアを見失いネルガルの目が惑った。そこへシュヴァーンのムーンアロー、続いてエレアノールのアイスブリザードが見舞われ悪魔は高度を落とす。
「いつまでも甘く見ないでよね!」
 悪魔がフランシアを見失ったのは、ユリアのイリュージョンの力によるものだ。
 キサラの一撃によって訪れたネルガルの断末魔は、すでに完全に明けた朝の空気の中で長く尾を引いた。

 首魁の一つを失った悪魔たちは散り散りになるのを見届け、冒険者たちはようやく戦いに一区切りついたことを知った。
 カルロスを食い止めていたはずの源内は、少し離れた場所で発見された。両足に傷を負った状態で。
 傷は骨近くまで達する深いものだったが、アリアンの魔法でなんとか癒すことができた。デビル魔法で動きを封じられ、効果が切れても追っては来れぬよう足を斬られたのだという。二度までも遅れを取ったと、源内の表情は苦かった。
「殺さぬのは慈悲からではない‥‥彼奴はそう言った」
 いずれ死ぬよりも辛い運命が待ち受けていると、かの男はそう言いたかったのだろうか。