春になったらあの庭で
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■ショートシナリオ
担当:宮本圭
対応レベル:フリーlv
難易度:易しい
成功報酬:0 G 85 C
参加人数:8人
サポート参加人数:1人
冒険期間:01月05日〜01月11日
リプレイ公開日:2006年01月31日
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●オープニング
数日前の夜に降った雪はまだ溶け切らず、庭はうっすらと白く化粧をしている。滑ったりしたら危ないからと、いつも野菜を売りにきてくれる農家の息子が、門から玄関口、それから勝手口まで、軽く雪をかいて通り道を作ってくれた。お礼がわりにと、彼の持って来た野菜も使って昼食をご馳走するのはもういつものことだ。
空の食器を洗い場まで運びながら、彼は首を振る。
「やっぱり心配だな。このあたりはのんびりしてると思ってたけど、あんなことがあったんじゃ」
先日この邸に入っていった物取りは、あっというまにローテを気絶させ、奥様が大事にしていらした亡き大旦那様の形見を奪っていった。女ふたり暮らしだから戸締りには気を使いすぎるくらい使っていたのだけど、それでも起こるときには起こるものだ。せめてローテにも奥様にも危害が加えられることはなかったのは、不幸中の幸いというべきなのだろう。
「私も、安全のためにしばらくプロヴァンにお戻りになったらどうかって奥様に言ってみたの。でも奥様は、もう物取りは来ないから大丈夫って泰然としてらっしゃるのよ。多分、犯人にお心当たりがあるんだと思う」
――それにむしろ、ここにいたほうが安全かもしれないわ。
奥様がぽつりと落とした呟きの意味を、ローテは知らない。
最近の冷え込みもあって、奥様の体調は芳しくない。体を動かさないせいもあって、食欲もあまりないようだ。
行商に戻っていく青年を見送ったあと昼食の食器を下げにいくと、やはり半分近くが残っていた。残り物はローテが食べているおかげで、かえって彼女のほうが太ってしまいそうだ。作るとなるとやはりそれなりの量になってしまうので、どうしても余る。
「ごめんなさいね。せっかく作ってくれたのに」
「いえ‥‥」
口には出さないけれども、こんなとき感じざるをえないことがある。
この人は、いつか自分の前からいなくなる。今までがかくしゃくとしていたので忘れてしまいがちだったが、もう六十歳を越えているのだ。エルフのような長命な種族ならばともかく、人間である以上、いつ亡くなってもおかしくない歳だった。
奥様がいなくなったら、私はどこへ行けばいいのだろう。ローテの両親は小さな頃に死別して顔も覚えていないし、男爵家の使用人としてローテを育ててくれた祖父母もすでに亡い。彼女の役目が奥様の世話である以上、その役が必要なくなれば、どこにも行き場所のない立場だった。
変わり者の奥様とたくさんの思い出を育んできたこの邸を、気のいい冒険者たちがたびたび訪れては心をこめて丹精したあの庭を、いつかは去らなくてはならないのだ。
そうして誰もいなくなったこの家は、また長い時間をかけて野にあるままに戻っていくのだろうか? 去年の夏のはじめ、奥様と一緒に引っ越してきたときと同じように?
「冒険者の皆様は、もうすぐいらっしゃるのよね?」
「そのはずですよ。ギルドにはもう話をつけてありますから」
冬のせいもあって、例の物取りを除いては、最近はあまり来客もない。退屈をした奥様が、久しぶりに冒険者の方々とお話したいわ、と言い出したのも無理からぬことだった。
新しい野菜を買ったから、何か暖まる料理を作ろう。皆さんに出す飲み物は、秋の終わりに花壇で取った薬草を使って薬草茶にしよう。冒険者たちのもてなし方を考えながら、いつのまにかローテ自身も彼らの訪れる日を待ち望むようになっていた。鬱々としがちだった彼女にとっても、それはほっとさせる申し出だったのだ。
「ねえ、ローテ」
「はい?」
「結婚するの?」
表情をとりつくろうのは難しかった。世間知らずのくせをして、どうしてこんなことばかり敏感なのだろう。きょう昼食を食べていった青年は、勝手口から出て行く途中で振り返り、嫁にきてくれないかと申し出をした。ローテは咄嗟に答えられなかった。
「‥‥まだお返事をしていないんです」
「私はかまわないのよ、本当に。あなたの好きなようにしていいの」
「だって」
だって‥‥そのあとにどう続ければいいのか自分でもわからない。皺だらけでも上品さを残した面に微笑をたたえたまま、奥様はゆっくりと立ち上がった。書き物机の脇、頑丈な棚に収められていた飾り小箱を取り出す。
「この中にはね、わたくしの遺言が入っています」
ローテの息が一瞬詰まった。
「これからいらっしゃる冒険者の皆様にも立ち会っていただいて、ここで開けましょう」
「奥様、でも」
「今、開けたいの」
そう言う奥様の顔は見たこともないほど穏やかだった。
●リプレイ本文
ひゅうと背後から吹きさらしてきた風はつめたく、改めて季節を実感し冒険者たちは首を縮める。見上げればうす青い冬空を遮る枝振りの隙間を越え、陽光が頭上へと落ちかかるその景色が鮮やかだ。今は冬‥‥彼らはそれを思い出す。
「開けるぞ」
先頭に立ったレーヴェ・ツァーン(ea1807)が、今やすっかりなじみとなった門扉を押し開いた。
踏み入った庭のあちこちに、数日前の雪の名残がうっすら残っていた。昼も近いというのにまだ霜の張った地面は歩くたびに音をたて、主にラテリカ・ラートベル(ea1641)を喜ばせたようだ。その場で何度もステップを踏んで楽しんでいる。
「ほらほら、ざくざく言ってるですよ〜」
「この寒いのに元気ねえ、ラテリカちゃん」
「若いんだよ、きっと」
ガブと違って‥‥と余計な一言を付け加えて当のガブリエル・プリメーラ(ea1671)に睨まれ、ミカエル・テルセーロ(ea1674)が玄関口へと急ぐ。
個人の家としては馬鹿げて広いこの庭も、さすがに冬とあって冷え枯れた雰囲気を漂わせていた。夏に種を撒き秋に花を咲かせた花壇も今は何も生えておらず、引越しのときに植えた楡の木は葉を全て落として丸裸。木を見上げて白い息を吐きながら、レオン・ユーリー(ea3803)が感心したように呟いた。
「冬となると、ずいぶん感じが変わるもんだ」
「これはこれで素敵ですけど、やっぱり木の芽時が待ち遠しくなりますね」
シェアト・レフロージュ(ea3869)が言い、その隣をふわふわ飛んでいたミルフィーナ・ショコラータ(ea4111)もそうですねえとうなずく。
「春になったら、また緑でいっぱいになりますよ〜」
「いっぱい、ですか。わたくしはここを訪れるのは初めてですが、きっと見事なのでしょうね」
シュヴァーン・ツァーン(ea5506)が目を細めている間に、冒険者たちは玄関口に到着していた。扉を叩くと、程なくして見慣れた使用人の娘が顔を出す。
「お待ちしておりました」
ローテはそう言った。
久々に訪れた懐かしい厨房で、ミルが粉だらけになりながら生地を練っている。体は小さくてもそこは本職、手つきも手順も慣れたものである。もはや顔なじみとなったミルが厨房にいるのはいつものことだが、今回はそれに加えレオンが何か煮込んでいる。
「俺の故郷の料理。珍しいものなら、奥様も食べる気になるかと思ってさ」
レオンは料理は素人だが、ミルが菓子作りの合間にその手順を監督しているせいもあって、少なくとも人並みの味は期待できそうだ。ローテも彼らの邪魔にならぬよう、それとは別に茶卓の準備を進めようとしていた。
卓の上にふわりと布を広げ、その上に茶器を並べながらひとつためいき。それを手伝っていたガブリエルがレーヴェと顔を見合わせ、声をかける。
「気が重そうね?」
「わかりますか」
まあな、とレーヴェが椅子を並べながらはっきりとうなずく。
「溜息が多い。口数はいつもより少ない。立居振舞いにも生彩がない。わからないほうがどうかしている」
寡黙な彼にしては積極的に口を聞いている。参りました、と浮かべられたローテの笑みは、花がしぼむようにすぐに消えてしまった。ガブリエルが軽く肩を叩いてやる。
「辛く思うのは当然よ。目を背けたくなったって、仕方ないと思う。でもね、奥様だって同じように辛いかもしれないわ」
奥様は高齢のわりには丈夫なほうだが、それでもいずれは衰え天に召されるのが摂理である。そのときローテをひとり残さねばならないことを、考えなかったはずはない。ガブリエルにはそれがわかる。
なぜなら彼女にも同じように、いつかそんな別れを迎えるはずのひとがいる。
「残す人と残される人、どちらがより辛いかなんてわからない。でも、だからこそ、今奥様が告げようとしてることは、あなたがきっちり真っ直ぐ、受け止めてあげなくちゃね」
「‥‥はい」
「早いものだ」
ぼそりと呟いて、レーヴェが庭を臨むテラスのほうに目を向ける。
「この邸を初めて訪れてからもう‥‥一年以上か」
「あの楡の木、もうすっかり大きくなったですねえ」
茶器を並べ終え、暖炉の火の様子を見つつラテリカも頷いた。庭ではわずかに残った常緑樹の葉が、かすかな風にさやさやと揺れている。一瞬誰もが黙り込みながら、その様子を眺めていた。
あの頃一体誰が、こんなふうにこの庭を眺めることになると想像しただろう。
●お庭のお茶会
ミルの作った今日のお茶菓子は、てのひらサイズの小さなパイ。干し果物やジャムなどをふんだんに使った菓子をそれぞれの前に並べ、ローテとミカエルが淹れた薬草茶のほのかな香りに満たされながら、その日のお茶会は始まった。奥様に許可をもらって、冒険者たちの犬や猫も家に上げてもらっている。
そういえば‥‥とまず、ラテリカがにっこりと笑う。
「奥様、ローテさん、新年おめでとうです」
「まあ。こちらこそ、おめでとう」
ぺこりと会釈したラテリカに、奥様も微笑み返す。そういえば新年の挨拶を忘れていた面々も、ラテリカにならって祝いの言葉を述べた。ひとしきり礼儀正しい言葉のやりとりが続いたあと、奥様はにっこりと笑った。
「静かな生活を望んでここに引っ越したわけですけど、やっぱり退屈することも多いですわね。特にこの頃はあまり出歩けなくて‥‥皆様はきっと昨年も、さぞいろんなご経験をなさっていたのでしょうね?」
「そうですね」
茶を淹れ終えて着席したミカエルが、ひとつうなずく。
「冒険者になる前は、なんていうか‥‥きっとギルドの依頼って、殺伐としたものしかないんだろうなと思ってましたけど」
だが実際には、ミカエルが考えていたようなモンスター退治や護衛はもちろん、この庭での依頼のような、戦わずに済む依頼もあった。顔なじみの仲間と一緒に依頼に臨んだこともあったし、そうでないこともあった。だがそのたびに、新しい誰かとの出会いがあったことだけは同じだった。
「依頼でご一緒したのがきっかけで、お友達になった人もいるんですよ」
「まあ、素敵。このお庭での依頼でも、そうなった方がいるのかしら?」
「もちろんですよ〜」
パイを切り分ける手を休めてそう言ったのは、この邸に何度も出入りしているミルである。
「だってラテリカさんもレーヴェさんも私も、奥様のご依頼でもう何度も顔をあわせて、もうすっかりお友達です」
落ち葉掃除、雪かき、種まき、草むしり。ローテが怪我をしてかわりに家事を引き受けたこともあったし、逆にただ奥様の話し相手をするだけのときもあった。彼らのように繰り返しこの庭を訪れ、互いに顔なじみとなった冒険者も多い。
「皆さんで一緒に頑張ってこのお庭を作ってきたんですもの。思い出がたくさんです。今ではこのお庭は、皆さんの集まるもうひとつの家みたいなものです〜」
「せっかく『ミル・プレズィール』の半数以上が顔を揃えたのですもの」
とシュヴァーンは言った。
「ここで曲をお聞かせするのもよい趣向かと思います。奥様はプロヴァンでの演奏会においでになれなかったのですし」
今回依頼を受けた冒険者らの中で、実に五人が『ミル・プレズィール』としてプロヴァンで演奏を披露した面々である。あのときとは場所も楽器も違っているが、それを問題にするほどの素人はいない。『春』に奏でた曲に即興を加えながら、旋律は茶会に軽やかな色を添える。
音楽の流れる中お茶と茶菓子のおかわりが供されて、レオンは足元で物欲しげに尾を振るチリノにパイを半分だけ分けてやった。それを見ていたミルのマロン、ラテリカのポプリなどの子犬たちも菓子をねだり始め、仕方なく飼い主らが演奏の手を休めて取り分けたりしている。シュヴァーンが気をきかせたのか、仔犬の動きを思わせる軽やかなメロディに切り替えたのはご愛嬌だ。
「チリノって名前は、黒って意味の言葉から来てるんだ」
夢中で菓子を食む愛犬たちを目を細めて見守り、レオンが言う。
「なんだかね、小さい頃知り合ったジャパン人の友達に似てるんだ。だからこの顔を見るたび、再会が楽しみになる」
再会のときがいつなのか、それすらわからないんだけど‥‥と、青年は照れたように笑った。
「なんだか少し照れくさいな、こういう話をするのは。シェアトさんは何か、この先どうしたいとかある?」
「私ですか?」
水を向けられたシェアトは、手を休めて少し考え込んだ。歌を‥‥と続ける。
「人に寄り添うような歌を、歌いたいです」
バードである彼女にとって歌は生きる糧以上のものだ。ここにいる皆と同じく彼女もまた、冒険者となってから、友人や仲間や、それ以上の人を見つけることができた。子供のころに習い覚えた歌を死ぬまで覚えているように、自分も自分の歌も、大事な誰かの傍にずっと添うことができたなら。
「恋を、してらっしゃるのね」
そっと言った奥様の言葉に、シェアトがわずかに頬を染める。
「ふふ、やっぱりエルフの方って不思議ですわ。今のわたくしとそう変わらない年なのに、未だに恋ができるのね」
いかにも楽しげに笑って、奥様はゆっくりと薬草茶の香りを楽しんだ。そうねえ‥‥と相槌をうちながら、ガブリエルは目を細めそっと自分の手を見おろした。
「恋なんて上等なものかわからないけど‥‥私にも、『一緒にいて』って言ってくれる男がいるの」
この手は指は、自分に比してあまりにも短い彼の生を見届けたあと、どんなふうに変わっているだろうか。
「ずっと迷ってたけど、でももうやめたの。逃げるのは」
寿命が違う。流れる時の密度が違う。彼女が迷う時間さえも、彼にとっては貴重なものだ。それに気づくために、ガブリエルはずいぶん回り道をしたような気がする。
目を閉じても耳をふさいでも逃れ得ぬものがあるとするならば、それは多分、己の裡にある。
ガブリエルが目を上げる。じっと彼女の言葉に聞き入っていたローテと視線がぶつかる。ローテが薬草茶のポットを置くのを、その場にいた誰もがじっと見守った。奥様、と呼びかけるとき、しんと室内が静まり返る。
「遺言の内容を、お聞かせ願えませんか?」
‥‥ほとんど全員が、内容におよその見当はついていたのだ。
「最初はね」
奥様は言う。
「ジェラールには内緒で、ゲオルグに土地を遺そうと思っていたの。夫のガスパールは彼にずいぶん苦労をかけたし、何より彼にはこの国に家と呼べる場所がなかったから。でもね、あの子ったら、そんなものはいらないと言ったのです」
――俺の仲間がいる場所が、俺の家だから。
だからその後は、本当にただ隠居するつもりでここで暮らしていた。けれどここに引っ越してローテと生活し、冒険者たちを交えながら、奥様はこの場所を残しておきたいと思うようになっていた。ローテや冒険者たちで暮らしたこの庭は、奥様にとってすでに自分だけのものではなくなっていたから。
「それで、この土地をローテに?」
レーヴェの言葉に、奥様はにっこりと笑んでみせた。
「皆様にはおわかりになったのね。ええ、遺言は、わたくしの死後この家と庭をローテに遺すことです」
別れのときは必ず来る。奥様は思い出以上のものを、この世に残そうと企んだのだ。
自分とローテと冒険者たちで作り上げた、帰るべき場所を。
「あの、奥様。どうしてもわからないのですけど」
不思議そうに小首をかしげながらシェアトが言うと、奥様はなにかしらと微笑する。
「どうして、ローテさんをお選びになったんですか? もちろんローテさんは素敵な方だと思いますけど、ここに連れてくるきっかけみたいなものが、本当はおありになるんじゃないですか?」
「あら、だって」
奥様はそこで貴婦人らしからぬ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ジェラールには子供がいないし、ゲオルグはあの通り風来坊でしょう? わたくしずっと、孫娘が欲しかったの」
その答えに一瞬目を瞠り、そういえば奥様は最初からそうだったと、一年半前の出会いを思い出してレーヴェは笑い出しそうになった。世間知らずで気ままで、どこか予測できないところのある老婦人。
剣に生きる以外の生き方など自分にはないと、かつて思っていたことをレーヴェは思い出す。ただやみくもに道を切り開き、突き進んだいつかの自分。シュヴァーンが意味ありげに微笑みながら己を見ているのに気づき、レーヴェは一層眉間の皺を深くした。窓に目を向ければ、庭では冬の白々とした光が、白くうっすらと張った霜の表面を躍っている。
自分はずっと、還れると知らずにいたのだ。
――笑って迎え入れてくれる誰かがいる、美しいこの庭に。
●春になったらあの庭で
窓の中から聞こえる旋律とそれに続く拍手に驚いたように、庭の樹上に留まっていた鳥が小さくはばたいた。
だが続いてまた別の曲が流れ始め、それ以上の異変がないことを確かめると、鳥は枝の上を移動して、いつかミルの設置した巣箱へと近づいた。そうして名も知れぬ鳥は、巣箱の中を覗き込む。
季節はずれの雛鳥はぴいぴいと鳴きながら、親の運んできた餌を夢中になってついばんだ。
冬が過ぎて春が来て、その春も通り過ぎまた季節が一巡りしたとき、この庭はどうなっているだろう。
今までのように時には冒険者たちが訪れ、ローテや奥様と笑いあうのだろうか。あるいは、誰も出入りしない雑草伸び放題の土地にまた戻るのだろうか。それとも‥‥。
樹上に新しい家族が増えていることを、窓の中にいる彼らはまだ知らない。