冬の嵐と恋の花

■ショートシナリオ


担当:宮本圭

対応レベル:フリーlv

難易度:易しい

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月04日〜01月09日

リプレイ公開日:2006年01月26日

●オープニング

 今まさに、冬の容赦ない嵐が吹き荒れている。
 ‥‥傭兵団『鷲の翼』団内に。
「別に生まれがどうとか言うつもりはないんです」
 冷静沈着を絵に描いたような会計役は、すさまじく不機嫌な皺を眉間に刻んだままそう言ったものだ。
「貴族だろうと庶民だろうといろんな奴がいるし、それぞれに事情がある。それはわかってる。人はすべからく生まれを選べない。あなたがお貴族様のご落胤だろうと、歴史に残るような大罪人の末裔だろうと、俺はそんなことは全然かまわないつもりでした」
「理解のある部下を持てて、俺は嬉しい」
「俺が言いたいのは」
 もっともらしく頷いた団長、ゲオルグ・シュルツを半眼のまま見据えて、会計役ボリスはすうと息を吸い込んだ。
「‥‥どうしてこんな大事なことを今まで黙ってたのかってことですッ!!」 
 建物どころか表の通り全体がびりびり震え上がるような、それは怒号に近い叱責だった。
 いつも大人らしく抑制のきいた話し方をする会計役が、本気で怒るのを見たことがある者はそれまでほとんどいなかった。怒った態度が有効なときはそれに近い素振りをすることもあるが、その大半は自分に有利にことを進めるための演技にすぎない。床が抜けるかと思うほどの怒鳴り声にたまらず耳をふさぎながら、壁の向こうにいた団員たちがひいと身をすくめる。
「お、俺、会計役どのが怒鳴ってる所初めて見た‥‥」
「ああいう普段気持ちを抑えている人のほうが、怒らせると怖いもんなんだな‥‥」
「怒るなんて生やさしい言葉で片付けられるか、あれが。『激怒』だろう、ああいうのは」
 それぞれ言いたい放題の団員たちのことなど見向きもせず、怒り狂う会計役は目上であるはずの団長の胸倉を掴みあげた。
 ‥‥会計役ボリスのこの未曾有の憤怒のそもそもの原因は、ある事件が原因で、ゲオルグが貴族の血を引く生まれだと発覚したことにある。
「ずっと隠し通せるとでも思ってたんですか。今はそれでいいとしても、一年後は? 三年後は? 前から言いたかったが、そういうその場しのぎのいい加減なところはあなたの最悪で最大の欠点ですよ。何故ばれずに済ませられると考えられるんです!」
「そりゃあ、よう」
 口ではかなうはずもなく、対するゲオルグの言い訳は弱腰だ。
「言えるわけねえだろうが。お前たちのほとんどが、戦争だの政争だののあおりを食って傭兵になるしかなかった連中だろう。貴族なんて毛嫌いしてるじゃねえか」
「要するに我々を信用していなかったと」
「なんでそうなる!」
 思わぬ発言が飛び出して、腰が引けていたゲオルグもさすがに目をむく。
「そういうことでしょう。あなたの生まれごときで態度を変えると思っていたのなら、それは我々にとって最大級の侮辱です」
 仮にも団長の、しかも庶子とはいえ由緒正しい男爵家の血筋を『ごとき』呼ばわりで一蹴した会計役は、ゲオルグに反論する隙さえ与えずに言葉を継いでいった。
「だいたい、あなたには責任感がなさすぎる。自分がどういう立場にいるのかわかってないんですか、それともわかっているのに考えないふりをしているんですか? 仮にも貴族だという自覚があるならそんな態度はとれないはずだし、位を捨てるというなら堂々と公の場で宣言するべきです」
 おそろしく早口のボリスの科白の意味を理解できずに団員たちが眉間を寄せる。まさか彼らに説明するためでもあるまいが、会計役は親の仇のごとく団長を睨みながら、さらに言い募った。
「今の男爵家には子供がいません。歳を考えるとこれから生まれる可能性も考えにくい。そうなると現領主亡きあとは誰か血縁の親族が跡目を継ぐのが慣例でしょうが、血筋からいっても能力からいっても、決定打となるほどの有力者は今のところ存在しないのが現状だ。ですがね、団長、あなたのことが明るみに出れば、この勢力図は大きく書き変わるんです」
 額をぶつけそうなほど顔を近づけたまま、ボリスは言った。
「妾腹とはいえ、あなたは前領主の落とし種。つまり現領主の異母弟にあたる。爵位と領地を継承する資格も可能性も、充分ありうる話なんですよ」

 新参団員であるマリーは、はらはらしながら壁に張り付いて室内の様子を窺っていた。はっきりと聞こえたのは会計役の最初の怒号だけで、それ以外の会話のやりとりは切れ切れにしか聞こえてこない。宿の主人は首を振りながら奥へと戻っていき、するとどうやら近所迷惑になるからという苦情は告げるのをあきらめたようだ。
「どうしよう‥‥もしこのせいで、団が解散なんてことになったら‥‥」
「マリーや。あの言い争っているうちのどちらが、お前の想い人なのだね?」
「それはもちろんゲオルグ様‥‥って」
 つるりと答えかけたマリーは仰天した。見覚えのある中年男性が、マリーを真似て壁に張り付いている。
「お父様!?」
「おお、娘や。こんな小汚い宿で、貧乏人たちの無礼な扱いに甘んじていたことに、そんな事情があったとは‥‥何も知らずに、ただ娘かわいさに闇雲に家へ連れ戻そうとした父親を許しておくれ」
 ぴかぴかに禿げあがった頭のマリーの父親は、この場の複数の人間をむっとさせながらそれには気づいていない。
「つ、連れ戻す? 家へ?」
「ああ、そうするつもりだったとも。荒くれの暮らしなどおまえには似合わない。ようやく見つけ出したのだ、即刻連れ帰って、もっとお前にふさわしい、優しくてそつのない美男子と娶わせてやろうと考えていた‥‥だがお前の考えも知らず、父は取り返しのつかない早とちりをするところだったよ」
「あの、お父様。さっきから考えとか、事情とか、何のことをおっしゃってるの? 私はただ、ゲオルグ様のお傍にいたくて」
「わかっているよ、愛する娘」
 父親は異常にものわかりのいい目をして首を振る。
「まさか傭兵暮らしという雌伏の期間を経て、未来の男爵候補を射止めようとは! 少々歳が離れすぎているが、そんなことは些細なことだ。わたしは反対などしない、むしろ歓迎するよ。なにしろプロヴァン男爵家との縁故ができるのだ」
 ここにきてようやくマリーは父の言いたいことを悟った。お父様は私が、あの方の身分目当てにゲオルグ様に近づいたと思ってらっしゃるのだわ! 確かに彼の素性が明らかになった今となっては、そう見られても仕方がない。しかし‥‥。
 たとえでたらめであっても、こんなことがゲオルグ様のお耳に入ったら軽蔑される。いいえ、あんなに苦労してこの傭兵団に入団したのに、退団にされるかもしれない!
「ち、違うのよお父様。そうではないの」
「ああ、わかっているとも、内緒なのだね。お前はどうも少し大人しすぎると思っていたが、いつか男爵夫人になんて野心があったとは今まで知らなかった。この父もできるだけ力になろう‥‥」
 ちっとも話を聞いていない父親、ちっとも終わらない団長と会計役の口論、ちっとも収拾のつかない事態。半泣きになったマリーがギルドに駆け込んだのは、この半時間後だったという。

●今回の参加者

 ea1763 アンジェット・デリカ(70歳・♀・レンジャー・人間・ノルマン王国)
 ea2850 イェレミーアス・アーヴァイン(37歳・♂・ファイター・人間・フランク王国)
 ea2954 ゲイル・バンガード(31歳・♂・神聖騎士・ドワーフ・ロシア王国)
 ea3338 アストレア・ユラン(28歳・♀・バード・シフール・ビザンチン帝国)
 ea4284 フェリシア・ティール(33歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 eb0420 キュイス・デズィール(54歳・♂・クレリック・人間・ノルマン王国)
 eb0578 ツグリフォン・パークェスト(35歳・♂・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb2344 ルリシア・システラルド(19歳・♀・バード・エルフ・イスパニア王国)

●リプレイ本文

 傭兵団の逗留する宿に、冒険者たちが到着したのは実に昼過ぎ。団員たちのたむろする一階の酒場に足を踏み入れてまず、呆れたようにアンジェット・デリカ(ea1763)がこうのたまったという。
「なんだいなんだい。空気が悪いねえ」
 彼女の言葉も無理からぬこと、嵐の中心である団長と会計役のいる二階は静かだが、それは決して安らかな静寂ではない。ぴりぴりといやに張り詰めた静けさだと、部外者である冒険者たちですらすぐに判じることができた。
 依頼を受けておいてから、文句をつけるのもなんだけど‥‥と前置きしてから、疑問になっていたことを尋ねたのは、ツグリフォン・パークェスト(eb0578)だ。
「これまで誰も仲裁に入ろうとしなかったのかい?」
「あんたらは喧嘩の現場を見てないから、そんなことが言えるんだよ‥‥」
 当の二人、特に会計役のボリスの激怒ぶりはすさまじく、おそろしく不機嫌な彼らに声をかけるのには相当の勇気が要る。誰だって敬愛する上役たちに、面と向かって八つ当たりのように怒鳴られるのはごめんである。またとにかくどちらもえらい早口で口論するものだから、いざ一戦始まろうものなら第三者が口を挟む隙がほとんどないのだ。
「いつもなら団内でこういういざこざが起きたときは、二人のどっちかが丸くおさめてくれたんですが‥‥」
「今回の場合、どちらも喧嘩の当事者だものねえ。お話にならないわ」
 困ったものね、と言いながら、フェリシア・ティール(ea4284)は肩をすくめて首を振る。
「暴力沙汰に発展してないのが救いといえば救いだけど」
「手が出ていないぶん、余計に長引いているという見方もあるな‥‥」
 頭痛をなだめるように眉間をもみほぐしながら、イェレミーアス・アーヴァイン(ea2850)が深く溜息を吐いた。
「個人的には、こういうことを部外者が仲裁するというのもどうかと思うが‥‥まあこれも依頼だ。仕方ない」
「ともかく、まず彼らに冷静になってもらうことが先決だな」
 ドワーフらしい立派な髭をしごきながら、ふむと思案するのがゲイル・バンガード(ea2954)。その彼の意見に頷いて、頭でも冷やしてもらおうかねえ、と悪い笑みを浮かべるのがアンジェット。まったくだよなあ、といい加減な相槌を打ちつつ、大股開いて椅子に腰かけ尻など掻いているのがキュイス・デズィール(eb0420)だが、これは多分喧嘩の仲裁のことなど何も考えていない。
「そういえば、今気がついたんやけど」
 宿の卓上に腰かけて一休みしていたアストレア・ユラン(ea3338)が、ふと何かに気づいたように首をかしげる。
「今回の依頼人はんはどこにいるんやろ?」
「あ」
 そうだった。当のマリーとその困ったお父様も、なんとかしなくてはならないのである。

●冬の嵐
 完全な不意打ちだったという。
 夜の間に雪がちらついたらしい。表通りは白くうっすらと雪化粧をしており、指先がしびれるような寒い朝だった。気晴らしとでもいうつもりなのか、息を白くしながら宿を出てきたゲオルグのその横顔に、ぱしゃりと何かがぶつけられたのである。
 拳大の雪玉だった。白いかけらをぱらぱらと頭から落とし、それが飛んできた方向を睨みつけると、投げた張本人であるアンジェットは負けずにその視線を見返した。
「‥‥なにか?」
「何か、じゃないよ。朝メシも食わずに、どこに行くつもりだい。さっさとおいで」
 これが部下の団員だの若い冒険者だのなら、彼も余計なお世話だと振り払ったことだろう。だがアンジェットは実に御年六十歳、風貌といい威勢のいい喋り口調といい肝っ玉母さんを絵に描いたような人物である。
 ゲオルグは年長者でなおかつ女性である彼女を怒鳴りつけるのには、さすがに一瞬躊躇したようだ。それをいいことにアンジェットはむんずとゲオルグの腕をつかんで、さっき出てきたばかりの宿の中へと引っ張りこんでいく。あれよあれよという間に、酒場の隅へと座らせ、腰に手を当てて堂々と宣告した。
「ちょっと待っといで。もうひとりももうすぐ来るはずだから」
「もうひとり?」
 聞き返してもアンジェットは答えず、ばたばたとあわただしい足取りで宿の裏口のほうへと回っていく。
 しばらく待たされてやはり出て行くかとゲオルグが腰を上げかけたころ、アンジェットはようやく、プロヴァン名産であるワインの酒樽を抱えたゲイルと一緒にその場に戻ってきた。それから、彼女の隣、ゲイルの後ろには、当の『もうひとり』がむっつりと立っている。
「ふたりとも、ちょっとは頭が冷えたかい?」
 会計役のボリスは不機嫌な顔のまま、無言で髪から雪玉のかけらを払い落とした。

「まったく、勘違いもええとこやで」
 マリーの隣の椅子の上に堂々と仁王立ちして、アストレアはその鼻先にぴっと指を突きつけた。その隣では彼女の猫のにゃんこ(註:名前)が退屈そうに丸くなっている。
「マリーはんが身分目当てやなんて、恋する乙女にひどい事言うとるわ。マリーはんは身分のことが知れる前からな、慣れない剣の稽古も頑張るぐらい団長はんのことが好きで好きで好きで好きで」
「あの、そのぐらいで」
 あらためて言われると恥ずかしいらしいマリーが長広舌を制止するが、アストレアはちっとも取り合わない。シフールの華やかな翅をはためかせて、足元のにゃんこを省みる。
「にゃんこっ。あんたも少しはその和みパワーで協力‥‥」
 だが当のにゃんこはアストレアの翅のふわふわひよひよとした動きに狩猟本能をそそられたのか、その背中に向けて前肢で一撃。なすすべもなく椅子から転げ落ちるシフール娘を追って、猫は床をひらりと飛び降り、寝起きの運動とばかりにアストレアをころがして遊ぶ。ふなー! という奇怪な鳴き声はにゃんこのものかそれともそのご主人様のものか。
「‥‥まあ」
 こほんと咳払いをしたのはフェリシアである。
「お父様にももちろん問題はあるけど、今のあなたの中途半端な状態もよくないわ。やっぱりこの場合、あなたが団長に気持ちをしっかり伝えるのが一番いいと思うの。彼、意外と自分のことには鈍いみたいだし」
 貴族としての見識の深いフェリシアは、人間観察に関しても聡いところがある。大人の意見である。
「身分にではなく、本人の人柄に惚れたんだってところを見せれば、お父様も納得なさるんじゃないかしら」
「そ‥‥そうでしょうか」
「そう思うわ、私は」
 元気づけるようにフェリシアが品のいい笑みを見せたところで、部屋の戸が唐突に叩かれた。にこにこと笑顔の優しい問題の『お父様』の丸顔が部屋にのぞく。
「マリーや。この際だから新しいドレスを作ってはどうかね? いつもと違う服装で攻めれば、彼もきっと」
 彼はどうやら、本気で娘にゲオルグを射止めてほしいと思っているようだ。その事自体は実によろこばしい。
「お父様、あの、この際なので言っておきたいの。私はあの方の身分なんて、ちっとも気にしてはいないのよ」
「ああ、わかっているよ。ギルエ家は爵位こそ男爵だが、領地のプロヴァンは豊かな土地だ。見事彼を射止めれば、一生不自由なく暮らせるだろう。お前の幸せのためだ、私はもちろん協力を惜しまないとも」
 ようやくにゃんこをひきはがしたアストレアは、フェリシアと顔を見合わせて、落とすのはもちろん、呆れまじりの溜息ひとつ。何が問題かって、この父親にひとかけの悪気もないことが一番厄介である。
 とりあえず彼女たちも、ゲオルグたちが話し合っているはずの階下に降りていくことにする。

「どうだい、一服?」
 パイプを勧めたツグリフォンに、ゲオルグもボリスも首を振る。やれやれと肩をすくめて、ハーフエルフは頭上に向けて細く紫煙を吐いた。癖のある煙の匂いがひろがる。やがて人数分のスープの椀が卓上に並べられ、気まずい空気のまま遅い朝食が始まった。
「ふたりとも朝飯はまだだろう。酒も飲むか?」
「朝からか?」
 ゲイルの勧めにイェレミーアスが目をむく。常日頃お堅い言行で通っているドワーフはいわれてみればと顎を撫でたが、その間にツグリフォンが、細かいことは気にするなとばかりにさっさと傭兵らの杯にワインを注いでしまった。当のふたりはといえば、先ほどから視線も合わせない。
「いがみ合ったところで解決する問題じゃないだろう。とにかくどちらも落ち着いて話をしてみるんだな」
「デリ母さんがせっかく作ってくれたんだ。ここは美味そうなスープに免じて、ね?」
 いい大人ふたりのあまりに子供じみた様子に呆れてイェレミーアス、続いてとりなすようにツグリフォン。彼らの科白に効果があったのか、しばらくの間、皆で白くとろりとしたスープをすする音しか聞こえなくなった。
「‥‥要するに会計役さんは」
 一足先にスープを飲み終え、パイプをくわえ直しながらツグリフォンが口火を切った。
「団長さんが本当の身分を隠してたことが気に入らないわけだ? まあ確かに、『女房役』としては愉快じゃなかろうね」
「‥‥その言い方はやめてもらいたい」
 成人男性が女房呼ばわりされて面白いはずもなくボリスが訂正を求めるが、些細な要求は流された。遅れて席についたフェリシアが、食器を取りながらゲオルグのほうを向く。
「団長は本当の生まれを言いづらかったから黙ってた。みんなが自分に対して見方を変えるんじゃって、心配だったのよね?」
「‥‥ま、そうだな」
「だから俺は、それが侮辱だと‥‥ッ」
「まあまあ」
 ツグリフォンがいきり立ちかけたボリスをすかさず押さえ、さらに前掛けで手を拭きながら戻ってきたアンジェットがその後頭部をはたいた。食卓で暴れるんじゃない、ということらしい。
「ま、確かに団長も悪いわよね。嫌われたくないって気持ちもわかるけど、ボリスさんにしろ他の団員さんにしろこんな風に突然知らされるより、前もって本人の口から教えてほしかったんじゃないかしら?」
 部外者ならではの冷静なフェリシアの意見に、ゲオルグはばつが悪そうだ。
「ま、もちろん団長も悪い。だがねえ、そっちの会計役も、あたしにはすねているようにしか見えないね」
 年長者であるアンジェットの意見はやや辛辣である。
「大体あんた、冷静になって考えてごらん。いくら由緒正しい血を引いてるからって、ずっと傭兵として暮らしてきた男が、そう簡単に貴族様としてうまくやってけると思うかい? プロヴァンの前の領主は、ずいぶんなやり手だったって話じゃないか。何かしら相続に関して手回しはされてるはずだよ」
 ゲオルグは今まで、領地経営からも貴族の礼法からも遠い場所にいた。もっと若ければ後見人を立ててその間に教育するという手もあるが、彼の場合はすでに四十近いのだ。一から教育し直すのは一苦労だろう。もう少し適任がいそうなものである。
「そんなことも気づかないほど激怒していたわけだねえ」
 葉巻の煙を浮かべながら、ツグリフォンはのんびりした笑みを浮かべる。
「これだけ親身になって怒ってくれるうちが華だよ。愛されてる証拠だね」
「‥‥つまりこういうことでいいのか?」
 黙して成り行きを見守っていたイェレミーアスが、見えかけたどうしようもない結論を挙げる。
「両方とも悪い、と」
「そういうことね」
 フェリシアにあっさり肯定され、イェレミーアスは今日何度目かの溜息をついた。それでも今後の彼らのためにこれだけは聞いておかねばと、余計なお節介なのは知りながら口を出す。
「それで‥‥あんたは貴族の血についてどう思ってるんだ? アンジェットが言うことももっともだろうが、それでも爵位を継げと言われる可能性もまったくないわけじゃないだろう」
「相続権は捨てる。正確に言えば、もう捨ててる」
 ゲオルグはすでに、父親に血縁の証として渡された短剣を、前男爵夫人のアンヌに返している。彼が男爵家に連なる人間だとわかるものは何もない。ゲオルグはこのまま、一介の傭兵団長として生きるのだ。
「血がどうあろうと、俺は貴族って柄じゃない」
 酒を注ぎながら、ゲイルがちらりと目を上げる。
「ならば、それをはっきり皆の前で言ってやれ」
「そうだな」

●花開く?
「あの」
 声をかけられてゲオルグは振り返る。顔を真っ赤にしたマリーが決死の表情で立っている。その後ろでは、冒険者たちがすずなりとなってその様子を見守っていた。主に、彼女に『愛の告白』をけしかけた面々である。
「誤解されて嫌われたくないなら、今が好機。皆にきみの気持ちを知らしめるためにも、ここではっきりさせておくべきだ」
 ツグリフォンはそう後押しした。けしかけたともいう。
「さあ、言うんだ。『団長さんを私にください』と‥‥あいたっ」
 面白がるのも大概におしと、デリ母さんの平手が彼の後頭部をはたいたのはひとまず措いておく。ごくりと唾を飲み込んで、マリーは崖から飛び降りる覚悟でその一言を口にした。
「わ、私、だ、団長のことが、好きです‥‥!!」
「ああ、俺も好きだ」
 あっさりとした返答に、一瞬、時が止まった。
「す、すきって、それって」
「入団のときは確かに辛く当たったが、団に入れた以上お前も兄弟のようなもんだ。遠慮なく甘えてこい」
 固唾を呑んで見守っていた冒険者たちが、ずるりとこけそうになったのを彼は知らない。
「想像以上の鈍さだね‥‥」
「いい歳をした男が、あれだけ言われて気づかないとは」
 歳が離れすぎているせいでそういう対象として考えにくいにしても、あの剛速球の告白にそう打ち返すとは‥‥あきれ返る面々の中、マリーの父が出て行こうとしてアンジェットに止められる。
「気持ちはわかるけどね、色恋に人が下手にちょっかい出すもんじゃないよ。親なんてね、後ろででんと構えてりゃいいんだ」
 相手が男色だろうが男爵だろうが、好きにやらせるのが度量ってもんだ‥‥そんな言葉を知ってか知らずか、ゲオルグの背に忍び寄る影がある。
「だったら俺も兄弟にしてほしいもんだなあ? え?」
「お前は近寄るな」
 ゲオルグの首にしがみつきながらキュイスが悪い笑みを浮かべ、むっとしたマリーがもう片方の腕をとって引き寄せた。
「今はそれでいいです」
「なんだ、今はって」
「わからないならいいです。でも諦めませんから」
 手の届かない場所に咲く恋の花は、よけいに美しく見える。もしかすると、そういうことなのかもしれない。でもだからといって、手近な花で済ませることなどマリーにはできそうもない。フェリシアがやれやれというように首を振る。
「まったく、困ったお嬢さんね」
 だって、恋する乙女ですから。