●リプレイ本文
●槍はどこへ行った
珍しくメイディアの空はぐずついていた。重そうな鈍色の雨雲が海の方から雷雨を呼びそうである。
「全く、よりにもよってそんな目立つようなもを無くすとは‥‥気持ちはわからんでもないが、商売道具を無くすとは少し用心に欠けていたんじゃないか?」
同じ槍使いとして、リューグ・ランサー(ea0266)は複雑な思いだった。フィルの事は以前から知っていたし、槍持ちの頂に駆け上がろうとしている彼にとっては赤くて三倍のフィルはある種の『特別視』する相手だったからだ。
そんなフィルの新しい武器にも興味はあったし、それを一晩で失くしてしまった事。更に替えも無いとくれば、やはり見つけ出すしか無いのだが‥‥。
「ところで、いつ頃まで槍を持っていたか覚えてる?」
レムリナ・レン(ec3080)は順序だてて、フィルの記憶を徐々に引き出そうとする作戦で落ち着かせるように問い掛ける。
「お酒を飲む前で、意識がしっかりしてた時なら、新品の槍をそうそう置き忘れたりしないって思ったから。だから、確認したかったんだ」
「酒場で飲んでいた時はあったんだ。あの時はさ、久々にメイに戻ってきた友達と飲んでて、色々話して、それでいつもより飲みすぎてさ。本当は、あたい、お酒はあんまり飲まない事にしてるんだよね‥‥」
「飲めないのに、無理して飲んだの」
「いや、そうじゃないかな。本当はね、お酒は確かに美味しいけど、飲みすぎると酔っ払ってしまうじゃない? 今回みたいな失態をしないようにって、気をつかってきたつもりなのに、なんでこうなっちゃうんだろ」
フィルの面持ちは確かにメイディアの曇り空と同じように沈み込んでいた。
しかし落ち込んでいるだけでは何も解決しない。レムリナはうんうんと肯いてみせる。
「そんな、世界が終わったような顔で落ち込まないで。ボク達で絶対見つけるから‥‥信じて努力すれば、どんな事だって叶うんだよ。信じる想いが、事柄を引き寄せるんだ、そんな落ち込んでたら、槍の方が逃げていっちゃうよ」
微笑みながら言い聞かせるレムリナ。
彼女の言う通りだ。官憲も出動しての捜索になったのだ、犯人がいれば必ず見つかる。
フィルが願わなければ、遠のくばかりなのだ。
それに、今の彼女は、まるで彼女らしくない。
「大切なものを失う痛みはわかるつもりだ。だからこそ、立ち上がるべき、だろう?」
レインフォルス・フォルナード(ea7641)も、打ちひしがれている彼女の手助けを買って出ていた。
「そうだね、皆ありがとう。頑張って探そう、見つかったら、お祝いでもしようか」
「‥‥また飲みすぎるなよ」
リューグの早い突っ込みに、苦笑するフィルと冒険者の面々。
●港へ
官憲チームでは、モーリィが率先して動いている。本来は任せておいたほうが問題を起こさない気もするのだが、おそらくそれは気のせいだろう。
理由は――。
「おらおら! 少しでも怪しい言動を起こしたらぶち込む気で探すんだよ!」
いきなり問題発言である。
やり方はかなり‥‥いや、相当荒っぽいものがあるが、絶対に手を抜かないのが彼女のやり方だ。
そして、最も彼女を際立たせているのが部下の使い方だった。
見た目では赤くて三倍のフィルよりも赤さと、胸の大きさでは勝っている。そんなモーリィの赫い瞳が燃える。
一度現場に出たら、真剣勝負。何も持ち帰れなかったりしようものなら、容赦なく罵声を浴びせ掛け、ビンタの一発二発が舞い踊る。
自分にも部下にも厳しいのにはどうやら理由があるらしいのだが――。
「あん? それは海上騎士団の管轄じゃないのか。海の奴らは潮臭くて嫌だよ、煙もしけっちまう」
赤い煙管から紫の煙をくゆらせて、くっ、と眉をひそめるモーリィ。
一方、事の発端である酒場に着いたフィル班。
フィル班のメンバーは、リューグ、レインフォルス、レムリナ。
そして瑞樹 一太(ec3561)と、メリル・スカルラッティ(ec2869)の二人が加わった。
「まさか、フィルさん家に置いてあったりしないよね? 酒場に行く前に手入れを専門家にしてもらいに頼みに行った、なんてこともないよね?」
「闘技場から直接こっちに来たんだけど、その時はちゃんと持っていたんだ。それに新しいおろしたての槍だから、自分で手入れはしても任せたりはしてないな」
「って事は、フィルさんの家から闘技場、闘技場から酒場、酒場から港ってルートで探せばいいのかな」
「一番目撃者が多いだろう、酒場っていうのは調べるには適しているかもね」
メリルとレムリナは今回の捜索にかなりやる気を見せていた。元々の好奇心の旺盛さもあるだろうが、ある意味有名人であるフィル・シャーノンと依頼を通して関わりを持てる事に『面白み』を見出していたのかも知れない。
普段、闘技場以外でお目にかかることも珍しいし、会話を交わすのは大ホールが開かれるような限定的な状況くらいなものだ。
ちなみに、大ホールでは主にガーベラという席に座っている事が多いらしい。彼女の好きな花なのだそうだ。
「そういえばお友達と飲んでいたっていっていたけど、そのお友達は今どこに?」
「‥‥そういえば、あたい、アーケチといつ別れたっけな」
「――って、友達ってアーケチさんか!」
かつてメイディアの治安を守る正義の官憲がいた。今でこそモーリィが代表的だが、以前は彼、アーケチがメイディアを守っていたのである。
アーケチは官憲を辞めて一人旅を続ける冒険者となったが、久しぶりにメイディアに帰って来た。そこで馴染みのフィルとばったり会って、酒場で酌み交わしたという訳なのだった。
「そうか、アーケチさん、戻ってきていたんだ」
「だけど、いつ別れたかは覚えてないんだ。酒場で別れたんだっけな‥‥」
「そこは今から聞き込みすればわかる事! さあ、行こう!」
●少女の槍――そして。
「まさか――こうして対峙する事になるとはね‥‥」
「官憲のアーケチは死んだ。お前の覚えている男はもういない」
男の言葉通り、鋭い眼光の奥に潜む憎しみを宿す漆黒の瞳で睨まれたモーリィは今にも飛び出していきそうな部下たちを片手で遮ると燃え上がりそうな赤い瞳で真正面から睨み返す。
「アンタが持ってるなら話は早い。さっさと返してもらおうか」
「それは、出来ない」
「ふん‥‥だったら」
ゆっくりとサーベルを抜き放つモーリィ。彼女の目の前には、かつて彼女に正義を示して去っていった憧れの先輩が立ちはだかっていた。言葉とは裏腹に、奥歯が震えるほどの衝撃を受けていた、が――。
「力ずくでも取り返すだけだ!」
メイディアの空に、激しい金属同士の激突音が響き渡る!
「えっ!?」
思わず聞き返してしまうほどあっさりと。
そして余りにも簡単な答えが返ってきた。
酒場で聞き込みをしていたフィル班。フィルと一緒だった男、アーケチはフィルが酔っ払ってふらふらと酒場を出たのを追いかけるように、『置き忘れた』槍を持って、二人分の勘定を払って行ったというのだ。
「‥‥無銭飲食までするつもりだったのか」
思わず呆れてしまうリューグ。普段では絶対に見る事の出来ない素顔を垣間見るのは新鮮だが、少々おっちょこちょいな面が、赤くて三倍の少女にはあるようだ。
「覚えてない! 覚えてないよ!」
慌てて両手を振っているフィルに、思わず半目で視線を送る冒険者たち。酒は抜けたというのに、少女の顔はというと、耳まで真っ赤である。
それはそれとして。
「しかし、これではっきりしたな。だが、疑問なのはアーケチが槍を持っていたとして、どこへ行ったんだろうか」
「途中で見失ったのかな?」
「それとも‥‥」
瑞樹は長い欠伸を吐くと、気になる一言を呟いた。
「アーケチという男が、槍を盗んだ。という線もあるな」
「そ、そんな!」
酔った勢いで、魔が差したという事は往々にしてあるだろう。ほぼ新品の槍とは言え、使用者がフィル・シャーノンとなれば欲しがる者はいくら金を積んででも欲しがる人間はいる。
「あんな事があって、少し雰囲気は変わっちゃったけど、そんな事するような人じゃないよ」
「だったらどうして追いかけて来なかったんだ? 今だってどうして届けに来ない? 俺はアーケチって男の事は知らないし、どれだけ仲が良かったかもわからないが、現実としてそいつが槍を持ってどこかに行ってしまったのは変わりない。盗まれたと言われたって、仕方ない事をしているんじゃないか」
瑞樹の言葉は、酷く冷静な判断だった。もちろん、友人が物を盗むなんて事を決め付けたくはない。そんな友情にヒビの入りそうな最悪の結末を見たいとも思わない。
だが――。
●決着!
「な、なんだと!?」
モーリィ班に回っていた数人の冒険者たちがフィル班のいる酒場に飛び込んできた。彼らが言うには、今、モーリィとアーケチが港で戦っているらしい。
「行ってみよう、フィルさん!」
理由はわからない。しかし実際に今行われている事はまるで想定していなかった。
冒険者たちはショックを隠しきれないフィルを引き摺るように、酒場を飛び出し、港へと走り出す!
まさに、打々発止。
元々アーケチは官憲時代から剣の腕は凄まじく、官憲同士で訓練を兼ねた練習試合などでもトップクラスの実力を誇る腕を持っていた。
モーリィは性格こそ大口を叩くが、剣術はパワータイプではない。性格とは裏腹に、身軽さを駆使して剛槍を凌ぐ!
「く‥‥こんな事ならこっちに人員を割いておくべきだったか‥‥」
冒険者チームの多くはフィル班に回っていて、ほとんどこちらに回されていない。事件を担当するのに人員は必要不可欠だが、事件性そのものの重要性は低かった為、少々見くびっていた。
まさか犯人があのアーケチだったとは――。
もっと腕のたつ冒険者たちを手配していれば、いくらアーケチでも何とかなりそうだったのだが。
「アーケチ‥‥アンタがここまで槍を使いこなせるとは思わなかった。剣術だけは見ていたけど、槍術まで長けているとは」
「お前こそ、しばらく見ない間に腕を上げたな。いい師匠を見つけたか」
「っ――く! 後にも先にも、アタイの師匠はッ!」
ガキィィアゥ!!
「アンタだけだッ!!」
その一撃一撃が、限界近いモーリィを苦しめる。自分でも理解していたのだ。このままでは絶対に勝てない事を。
だが、だからこそ――。
待っていたのである。
『あちら側』に、槍使いがいる。
必ずやってくる。
それまでの、時間稼ぎだけは自分で責任を負うつもりだった。
冒険者たちの応援を待つしか、今の彼女には残されていなかったのである。
「あそこだ!」
「うお‥‥! 本当にアーケチだ、だが以前会った時より、変わったな」
レインフォルスが最後にアーケチに会った時、彼は凄まじい怒りに満ちた復讐鬼と化していた。事件は一応の決着を見せ、彼も一度は優しさを取り戻したはずだが‥‥。
その表情は厳しく、レインフォルスが覚えている限りでは当時の狂気にも似た太刀筋よりもキレも正確さもパワーもまるで違っていた。
剣ではなく、槍に持ち替えているからそう感じるだけなのだろうか?
しかし。
「本当に、あのアーケチなのか‥‥」
港で官憲に取り囲まれながらも、一対多を完全に凌ぎきっているアーケチの凄まじい気迫が黒い渦のように巻き上がっていた!
「な、何してるの! アーケチ! やめなよ、やめなってば!」
思わず駆け寄ろうとしたフィルを止めるのは、リューグだった。
「俺が止める――。いや、今止められるのは、俺だけだ」
「遅かったじゃないか! 悔しいけど、任せるよ!」
「‥‥ああ。任されるのは慣れてる。それに答えるのも、な!」
重い使命や運命、避けられない戦いなら戦ってきた。逃げたくなる時もあった。それでも、勝たなければならなかった。
いつだって冒険者はそういう『逃げられない何か』と戦い続けてきた。
リューグはそんな状況を何度も切り抜けてきた。
そして――。
「槍で戦りあうってなら、尚の事だ!」
銀の髪を揺らしながら突っ込んでいくリューグ。彼の後ろで止めようと声を張り上げているフィルを見やりながらも、アーケチは素早く切り替えるようにスタンスを反転させ、持ち手をスライドさせた。
「いくぞ! アーケチ!!」
銀の髪と漆黒の髪が交差するように吹き上がる。
地上での槍同士の戦いは非常にヴァリエーション豊かな戦いが可能だ。
突き、払い、打、受け流し。リーチを活かしつつも相手を懐に入れる事無く相手を打ち倒す槍術は流派にもよるが、最強の部類に入る。
一見して大振りで重いイメージがあるが、実は実にスピーディな戦い方を見せる事が出来るのである。
そもそも――。
リューグもそうであるように、フィル・シャーノンが『紅(くれない)の刺弾』と呼ばれ、『赤くて三倍』と言われるのには理由がある。槍を使いこなすのはかなりの錬度が必要だが、一線を超えてのレベルに達すると対峙するだけで化け物と戦っているかのように錯覚するほど異様なオーラを吐き出すのが槍使いなのだ。
だが流石は自他共に認める槍使い、リューグの繊細かつ正確な槍捌きはアーケチのそれを遥かに凌駕していた――。
向かい合えば、相手がどれ程の腕を持っているか、互いに肌で感じる。アーケチは槍同士では明らかに勝てないであろう事を理解していたのだろう。
「俺の役目は終わった」
戦闘態勢を解くと、アーケチはようやく厳しい表情を和らげる。
「えっ‥‥」
「全く! アンタが何も言わないから‥‥!」
「すまない、モーリィ。そしてフィル、君も。少しは探したのだがね」
「ずっと持っててくれたんだ。ありがと、アーケチ」
盗まれたのではなく、置き忘れたフィルの槍。友人のアーケチが持ち主であるフィルに返そうとして持ち出したのだが、途中で見失ってしまったのだ。
彼女の家や闘技場にも立ち寄ったのだがいなかったので預かっていた、という訳だ。
しかしそんな目立つものをもっていれば疑われるのも仕方ないだろう。しかも彼は今や別人のように『正義』とは正反対の生き方をしている。
「しかし、リューグ。君もかなりの腕だな、まるで勝てる気がしなかった」
久々のメイディア帰りに懐かしさを覚えながらも新鮮な気分に、アーケチの顔も随分落ち着いていた。
「あの事は、もう吹っ切れたのか?」
「忘れはしないよ、レインフォルス。だが、俺は一度死んだ身だ。彼女に生かされていると思って新しい人生を歩んでいるさ」
「そうか‥‥」
その夜、解決に協力をした冒険者たちとフィル、アーケチ、そしてモーリィも加わって早朝まで飲み明かすことになるのだが‥‥。
今度は、多分、何事もないだろう――と思いたい。
こうしてメイディアで巻き起こったフィル・シャーノンの槍紛失事件は解決を見た。