【バレンタイン】雪を超えて愛を運ぶ

■イベントシナリオ


担当:西尾厚哉

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:0 G 13 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:02月10日〜02月10日

リプレイ公開日:2009年02月17日

●オープニング

 発端は、ブルメル伯爵夫人がお気に入りの侍女の泣きはらした赤い目に気づいたことだった。
 何度も「ご勘弁ください」と言う侍女のアーニャをしつこく問いただし理由を聞いたところ、暫く続いた猛吹雪は今までに遭遇したことのない厳しさで、故郷の村が甚大な被害を受けたのだという。
 昨秋は作物の出来もかんばしくなく、村は貧しい状態で、皆が飢えと寒さに震えているらしい。
 ‥それはおかしい。
 夫人は首をかしげる。ブルメル伯爵は何度か領地内の見回りに出ていたはずだ。
 先達て、レオンス・ボウネルが森の奥の遺跡を調査し、その時多くの宝石を持ち帰っていた。領地内の村の豊かさに差が出ることは、次の収穫や開拓に影響が出る。だから、必要があればその宝石を使うはずだ。
「あなた、どういうことですの?」
 と、問いただされ、ブルメル伯爵は見回りと称して外出し、友人のロジオン邸でチェスの勝負に興じていたことがばれた。
 ばあん! と、夫人は両手でテーブルを叩いて立ち上がる。滅多に怒らない人が怒る、というのは、それはそれは恐ろしい。太った体を丸めるニコライ・ブルメル、英雄と称された威厳は微塵もなくなったロジオン、2人そろって首をすくめる。
 その後の夫人の動きは素早かった。
 吹雪のやんだ頃を見計らい、人手を雇い、あっという間に村をたてなおした。
「全く‥。あちこちで悪魔との戦いがあり、この地からも軍を出したというのに領主がこの有様では」
 そしてアーニャの肩を抱く。
「可哀想に。その分では先の収穫祭も聖夜祭も行ってはいないのでしょう。せめて聖バレンタインの日だけでも祝いをしなさい。人々が鬱々としていたのではそこに悪魔も付け入ります」
「奥様、もう充分です」
「何を言っているの。あなたくらい年頃の子だと、贈り物をしたい殿方もいるでしょう? バレンタインだからこそ、誰はばかることなく思いを伝えることができるのですよ」
 アーニャは顔を真っ赤にする。
「いえ、あの‥私の想う人は先の出陣で行ってしまいましたから‥」
「まあ!」
 驚く夫人の目にじわりと涙が浮かぶ。
「何と辛いこと‥。いいえ、大丈夫、彼らは必ず無事に戻って来ます。おまえの想い人は何という名なの?」
「奥様、ご勘弁ください‥」
 ブルメル伯爵夫人は良く言えば親切、悪く言えばお節介。
 そのことは分かっていたというのに、うっかり口を滑らせてしまったことをアーニャは後悔する。しかし、一度言ってしまった以上、夫人の好奇心を抑えることは誰にもできない。アーニャは彼の名がアイザック・ベルマンという名であると白状することになる。
「ベルマンはレオンス・ボウネルの側近です。なかなか見目麗しい男でありますぞ」
 ロジオンが口を挟み、アーニャはますます恐縮する。親身に思ってもらえるのは有り難いが、これでは自分がきっかけとなって何がなんでもバレンタインの祭りがとり行われてしまいそうだ。
 そんな彼女の思いをよそに、ブルメル夫人はぽんと両手を打ち合わせる。
「さ、わたくし、ギルドに参りますわ。幸い資金はしっかりありますし」
 袋一杯の宝石をどしんとテーブルに置き、そしてキッとした目で縮こまっている夫とロジオンを睨む。
「ですわね? あなた?」
「ああ、そうだな、それは良い考えだ‥」
 宝石、減っちゃうのね、と思いながら、ブルメル伯爵は少し寂しげに笑みを浮かべた。
「大丈夫、賢なる助けで、きっと今までにない盛大なバレンタインの祭りになりますわ。きっと恋人たちもたくさん生まれます。こういう時だからこそ皆で絆を深めるのです。そうすれば悪魔などつけいる隙なぞなくなりますわ」
 夫人は自信たっぷりに笑みを浮かべた。


 聖バレンタインの日(バレンタインデー)の祭り開催要項
 ●アーニャの村は老若男女、合わせて約150名ほどがいますが、上記のように憔悴していた村ですのでいまひとつ活気がありません。ぱっと気持ちが華やかになるようなバレンタインイベントを企画してくださると有り難いです。
 ●近隣、徒歩半日圏内に他の村がいくつかあります。そちらと合同でも良しです。隣人愛に基づくバレンタインデーの主旨に沿うならば、ブルメル伯爵夫人の喜ぶところとなるでしょう。
 ●もちろん村人も準備に協力します。
 ●恋人同士の贈り物交換はもとより、親しい人同士の贈り物、祭りの間だけのパートナーを決めること、片思いの人へ思いを告げるなど、その他イベント、主旨に沿い盛り上がるなら何でも企画可能です。焼き菓子などは女性陣でチームを作ってオリジナルで作っても良いでしょう。
 ●アーニャの想い人、アイザック・ベルマンは現在出陣中です。彼女と同じような女性が他にもいるかもしれません。「無事の帰還の願いと想い」を伝える方法を考えてあげてください。
 ●必要なものはブルメル伯爵夫人とアーニャで手配します。

●今回の参加者

セラフィマ・レオーノフ(eb2554)/ アニェス・ジュイエ(eb9449)/ エレェナ・ヴルーベリ(ec4924)/ リュシエンナ・シュスト(ec5115)/ エルシー・ケイ(ec5174)/ レオ・シュタイネル(ec5382

●リプレイ本文

「さあ、頑張りますわよ」
 ブルメル伯爵夫人はいつものレースたっぷりの洋服を脱ぎ、いったいどこで手に入れたのか質素な村娘の服を身につけ、髪をまとめて黒いリボンできゅっと結んだ。アーニャは仰天する。
「奥様‥、もしかしてご一緒に?」
 当たり前じゃないの、というように夫人はアーニャを見る。
「夫も、ロジオンも参りますわよ。たまには体を動かしていただきましょ」

 き、きゃぁぁぁ〜〜〜‥

 ぐるぐると天井が回りそうになるのをアーニャは必死になって堪える。
「あなたー? 見つかりまして?」
 奥に声をかけるとブルメル伯爵が大きな木箱を抱えてよろよろとやってきた。夫人は箱の中を見て嬉しそうに笑みを浮かべる。
「そうそう、これこれ」
 アーニャも覗き込む。中には色とりどりの端切れと細い絹の糸が無造作に突っ込んであった。
「きれい‥」
 アーニャは思わず呟いた。
「でしょう? わたくしも手芸をたしなみますのよ。余った材料をとっておいて良かったわ。手作り品を作るらしいから探したの。たぶんこの10倍くらいは仕舞ってあると思うわ」
 10倍‥。貴族様はやっぱりすごい。アーニャは再びくらくらと眩暈を起こしそうになる。
「小麦粉とそこいらの野菜と、あと、馬番がこの間釣ったという魚を馬車に積み込んだぞ」
 ブルメル伯爵はとんとんと腰を叩きながら言った。
「良しですわ。じゃ、参りましょうか。もう冒険者の皆さま方も着いているはずよ」
 促されてブルメル伯爵が「えええ〜‥わしも行くのか〜〜?」という顔をする。知らん顔をして夫人はアーニャの肩を抱いた。
「さ、頑張りましょうね。あ、そうそう、ロジオンが隣の村の者を迎えに行ってるはずよ。何といってもお祭りは賑やかが一番ですから!」
 いったいどんなバレンタイン祭りになるのだろう。
 アーニャは不安と期待でぼうっとしたまま夫人に連れられ屋敷を後にした。


「火を入れるよー!」
 レオ・シュタイネル(ec5382)が種火のついた枝を持ち上げて声を張り上げた。
 大きな焚き火は村の中心に。小さな焚き火は村のあちこちに。男たちと木を集めて作った。これを提案したのはレオだ。
「祭りといえば、料理だろ! 俺、うまいもん食いたい! みんなでお腹を満たそう!」
 彼はそう言って率先して木を集めて回ったのだ。しばらく戸惑っていた村人も、元気な彼の姿に惹かれ、ひとり、またひとりと動き始めた。
 幸い空も晴れている。雲の流れを見る限りでは大きな天気の崩れはなさそうだ。一度火をくべれば、あとは薪を足していくだけできっと焚き火は燃え続ける。
 村の中央に火が入り、わっと歓声があがる。彼は村を巡って火をくべていく。女性たちがそこに鍋をかけた。
 ほどなくしてブルメル伯爵が引き連れた馬車が数台到着する。その頃には少しずつ美味しそうな匂いに村が包まれてきていた。
「すばらしい!」
 馬車から降り、ブルメル伯爵が大きく深呼吸をして嬉しそうに言う。
「まあ、伯爵様!」
 村の老女が彼を見て驚く。
「みんな‥! ブルメル伯爵が‥!」
 慌てて声を出す老女を次に降りたブルメル伯爵夫人が押し留める。
「ああ、そういうことはしないで。今日はわたくしたちも仲間入りをさせていただこうと思って参りましたのよ」
「まあ、まあ、奥様まで‥」
 おろおろする老女。そんな彼女を尻目に夫人はいそいそと走っていく。
「さあ、魚をさばくぞ! どこか台所を貸してもらうぞ!」
 ロジオンが大きな魚を掲げて歩き出す。ブルメル伯爵もゆさゆさと太った体を揺らしてそれに続いた。もはや老女は呆気にとられて彼らを見送るしかない。


「これ、本当に使っていいの?」
 伯爵夫人の持って来た布をアーニャが見せると、村の娘たちは顔を真っ赤にして興奮した。
「素敵」
 セラフィマ・レオーノフ(eb2554)が青い色糸をとりあげて言った。彼女の傍にいた銀の羽を持つエレメンタラーフェアリーのセドリックも小さく声をあげる。
「ねえ、レース編みをしましょうよ。この幸せの青い糸で。願いと祈りを込めましょう。いつか花嫁衣裳に使えるかもしれませんわ」
 セラフィマの言葉にアーニャと数人の娘がじわりと涙を浮かべて糸を見つめる。
「私、編み針を取ってくるわ」
「私も」
 次々に娘たちが立ち上がった。
 ブルメル伯爵夫人の端切れ箱を覗き込む娘たちのグループがもうひとつあった。
 エルシー・ケイ(ec5174)がすべすべとした薄黄色の布を手にとる。
「気持ちが晴れやかになりそうね。きれい‥」
 彼女の手元を見て娘のひとりが呟く。
「私の故郷のイギリスでは、黄色い色は『身を守る色』なんです」
 エルシーが言うと、娘たちは我先にと黄色い色の布を探し始めた。
「私、布のブローチを作るわ」
「私は香り袋。あの方に差し上げるの」
「きゃーっ!」
 嬉しそうな歓声をあげる娘たちをエルシーはにこにこして眺め、ふと窓の外に目をやり、寂しそうに俯く娘に気づく。
「どうなさったの?」
 声をかけると娘はエルシーを見上げ、戸惑ったように顔を伏せた。
「私でできることなら相談に乗るわ」
「いえ、でも‥」
 ためらいながらも、娘はエルシーの優しい笑みに促されて話し始める。どうやら彼女の想い人は今、別の女性が好きなようなのだ。
「まあ‥それは辛いこと‥」
 エルシーは眉をひそめる。
「でも、そんな顔をしていてはだめよ。これから思いきりおめかしをしましょう。みんなでお洒落を楽しんで、心が晴れやかになれば貴方の魅力もきっと出てきますわ」
 エルシーが差し出した手を、娘ははにかみながら握って立ち上がった。

「ねえ、これはなんていう料理?」
「あ! だめよ、レオ!」
 つまみ食いをしようとしたレオをリュシエンナ・シュスト(ec5115)が咎める。彼女は女性陣に混じって張り切って料理を作っていた。リュシエンナの横でエレェナ・ヴルーベリ(ec4924)も慣れない手つきで料理用のナイフを握る。
「手、怪我しないようにね」
 リュシエンナが気遣う。
「大丈夫」
 エレェナは笑みを浮かべた。
「お腹がすいたのなら、少し食べてみる?」
 ひとりの女性が小さな器をレオに渡す。
「これはアラジィというのよ。小麦粉を卵とミルクで溶いて塩を少々、蜂蜜少し。うすーく焼くのがコツね」
「あ、これも食べてみて? ケフィールよ」
 別の女性が白いものをスプーンですくって器の端に添える。
「おいしーい!」
 レオは感激する。ほんのり甘いアラジィに程よい酸味のケフィールがよく合う。
「ケフィールは山羊の乳で作るのよ。今年は乳の出が良くなかったけど、味は悪くないでしょう?」
 女性が笑みを浮かべた。
「もう少ししたらシーもできるわ」
 リュシエンナが鍋をかき回して言った。
「体が温まるわよ。それに美味しいシーを作る女性はもてるっていうのよ」
「楽しみだなあ!」
 レオは嬉しそうに声をあげた。それを聞いて女性たちも顔をほころばせる。
「あ、そうだ」
 レオはふと女性のひとりに内緒話をするように顔を寄せる。しばらくして女性はにっこりと笑った。
「分かったわ」
「おーい! 誰か魚の包み焼きを作ってくれー!」
 ロジオンの声が聞こえた。「はーい」とリュシエンナが走っていく。
 甘い香り、温かい香り、女性たちの上気した顔、娘たちのくすくす笑い、子供たちの走り回る声、男たちは火をたやさず、片手に既に酒を持つ。
 幸せの空気がどんどん広がっていた。


 さらに二時間ほど経過した頃、外では焚き火を囲んで男たちが料理と酒を片手に盛り上がりつつあった。一番大声で笑っているのはブルメル伯爵かもしれない。
「チェスをしよう、チェス」
 伯爵の声で、石と板を使った即席のチェス盤が用意された。それを見た別の男たちは家に置いたまま埃を被っていたゲーム用のボードを久しぶりに取り出す。今まではゲームをしているような余裕もなかったのだ。
 リュシエンナが裁縫作業の娘たちに焼菓子の差し入れを持ってきた。
「お疲れ様! ババとブリャーニキをつまんで!」
 ふんわりと蜂蜜の甘い香りがする。ババもブリャーニキも小麦粉を使った伝統的な焼菓子だ。
「ブリャーニキ、大好きですの!」
 セラフィマが顔を輝かせた。
「だいぶんできたのね」
 リュシエンナは色とりどりのブローチや髪飾りを眺めてうっとりする。
「レース編みはまだまだかかると思いますわ。根を詰めすぎないよう、少しずつですわね。ブルメル伯爵夫人がいろんな編み方をご存知で、とても素敵なものができあがりそうですわよ」
 セラフィマの声に、リュシエンナはきょろきょろと周囲を見回す。セラフィマは彼女に顔を近づけそっとささやく。
「あそこに座っているのが奥様ですわよ」
 伯爵夫人は娘たちと同じように座り込み、一緒にレース編みをしていた。時折おずおずと尋ねる娘に
「ああ、そこはね、こうして‥」
 などと教えている。
「奥様、お口に合うかどうか分かりませんけれど、ブリャーニキをどうぞ」
 リュシエンナは焼菓子の乗った皿を差し出す。
「あら、嬉しいわ。少しお腹が減っていたの。皆さまも少し休みましょう」
 その声に娘たちも次々に手を伸ばす。リュシエンナはセラフィマに笑みを見せて部屋を出た。
「なんだかたくさん娘ができたようで楽しいわ。うちは男ばかりの家でしたから」
 夫人は焼菓子を上品にほおばり微笑む。そして彼女は傍にいたアーニャの顔を見る。
「ねえ? 貴方の想い人、アイザック・ベルマンという人はどんな方なの? 彼は屋敷に来たことがあったかしら?」
「奥様‥」
 アーニャは顔を真っ赤にする。
「奥様、私は知っていますわ」
 娘のひとりが言った。
「それはそれは良い男。背が高くて逞しくて、碧の瞳は凛として、そう、あのレオンス・ボウネルに負けないくらいの美男子ですわよ」
 娘たちが、きゃーっと興奮して声をあげる。アーニャは更に顔を赤くする。
「『アーニャ、私はこれから戦地に行く。戻って来たら結婚しよう。君の青い瞳を涙で濡らすような真似は私は絶対にしない』」
 別の娘が男の声色を真似て言う。そしてまた別の娘が声を出す。
「『君の目を潤ませるのは星の光でなければならぬ!』」
 きゃーっ‥‥! くすくす‥。
「まあ、なんと情の深いお方‥」
 伯爵夫人もうっとりする。
「奥様、半分は冗談です。彼はそんな歯が浮くようなことは言いません」
 アーニャは必死になって言うが誰も聞いていない。
「思い出すわ‥。私も若い頃はいろんな殿方と‥」
 夫人の声を聞きながら、セラフィマは窓の外に目を向ける。もう少ししたら娘たちのドレスアップの手伝いをしなければ。エルシーを呼んで来よう、とそっと部屋をあとにする。
「おまえ、どうしてそんなに強いのだ?」
 その声に顔を巡らせると、ブルメル伯爵を前にアニェス・ジュイエ(eb9449)がチェスをしている。
「いいえ、私が勝ったのはまぐれです。次はきっとお勝ちに」
 笑みを浮かべる彼女の言葉にブルメル伯爵はうーむと唸り、「よし、もう一回!」と身を乗り出す。
 エルシーは?
 さらに探すと、家の裏でぱったりと倒れているエルシーの姿を見つける。
「きゃあ! どうしたの?」
 慌てて駆け寄り助け起こすと、エルシーは、はあ、と息を吐いた。
「いえ‥、皆さまのお話をうかがっておりましたら、ついふらっと‥。やはり不安や悩みは皆で分かち合い乗り越えていかね‥ば‥」
 どうやら彼女はひとりの少女の話を聞いてから、あちこちから相談事を持ちかけられていたらしい。途中で再びふうと倒れそうになるエルシーをセラフィマは慌てて支える。
「お菓子がありますわ。少し力をつけて。もう少ししたらおめかしの時間ですわよ」
「そうですわね」
 エルシーはにっこり笑みを浮かべ、セラフィマの手を借りて立ち上がった。



 美味しそうな料理の匂い、甘いお菓子の香り、ゆっくり立ち上る焚き火の煙。
 アニェスが大きな焚き火に近づき、頭上でぱん! と手を打った。
 エレェナがクレセントリュートの銀の弦をピィンと弾く。
「さあ! みんな! 今宵、想いを届けるバレンタイン祭り!」
 最初のステップ。エレェナの澄んだ声が響く。
 次のステップ。銀の弦から零れ落ちる音色。
 軽やかなステップで焚き火の周りを踊るアニェスの近くでエレメンタラーフェアリーのリュイとディルも舞う。リュートがリズムを刻み、エレェナの声は皆の顔をこちらに向ける。
 子供たちが近づいてきて、アニェスの真似をして足踏みを始めた。
「いい感じ!」
 アニェスは子供たちに微笑む。
「おいで! 手を繋いで踊ろう!」
 わあい! と子供たちはアニェスに走り寄る。
「まあ、可愛い」
 女性たちが笑みを浮かべる。アニェスは彼女たちに手を差し伸べる。
「ご一緒に!」
 え? と女性たちは恥ずかしそうに顔を見合わせる。
「簡単なこと! 右手と左手、別の人と繋いでみて?」
 アニェスはひとりの女性の手をとった。女性は少しためらったが、アニェスの軽快なステップに惹かれて子供たちと手を繋ぐ。それを見て他の女性たちも輪に入り始めた。
「そこでチェスに興じる殿方もどうぞ!」
「え? 私?」
 チェスをしていたのはロジオンだ。えええー、という顔をしたが、あっという間に女性に連れ出されてしまった。その後、どよめきが沸く。娘たちがきれいに着飾って家から出て来たのだ。急いで作った布のブローチ、色とりどりのリボン、小さなスカーフ。それでも焚き火の火に照らされた彼女たちはとても魅力的に見えた。レオがぴゅうっと口笛を吹く。セラフィマとエルシーは皆の反応を見て顔を見合わせて笑みを浮かべる。
「踊って! 大切な人は誰かな! 手を伸ばして、祈りを送ろう! 皆が幸せになるように!」
 娘たちが輪に入る。それを見て男たちも我も我もと手を伸ばす。
 アニェスはマジカルミラージュを放った。天から差す光のカーテンが村全体を照らす。わっと歓声があがった。
「セドリック、行っておいで!」
 セラフィマがエレメンタラーフェアリーを光の下に送った。
「ちょっと、ちょっと! あんたたちもよ!」
 アニェスが言った。
「あ、そうですわね」
 セラフィマは笑ってエルシーとレオの手をとる。
「リュシエンナ!」
「待って! もう少ししたら行けるから!」
 彼女は鍋の中をかき回す。料理好きの彼女にとっては料理の出来栄えは何より大事。それにしてもたくさん作った。今日はみんなお腹一杯で、幸せな気分になってくれるだろう。リュシエンナは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「みんなで繋がろう! 足踏みして! くるくる回って!」
 踊りの輪は幾重にもなり、老いも若きも、女性も男性も、しっかりと手を繋ぐ。アニェスは何度かマジカルミラージュを放つ。気がつくと、ブルメル伯爵と夫人も手を繋いで踊っていた。
 やがて日が傾き始め、休んではまた踊り、踊ってはまた休みを繰り返した村人がそろそろ食べることに専念したいな、という頃、アニェスは再びぱん! と手を打ち鳴らす。
 エレェナのリュートが静かになり、ゆったりと流れるような歌に変わる。
 レオが男たちと一緒に、村のあちこちにランタンに火を点して並べた。
「あら」
 料理に向かわず焚き火の周囲で少し恥じらいながらふたりでゆっくりと踊る数組の恋人たちを見てセラフィマは微笑む。その後ろで
「あなた、がっつくのはおよしなさいませ」
 と、料理を貪る夫を叱咤するブルメル伯爵夫人。
「いや、だって、空腹だし」
 ずずずとシーをすする伯爵。
 戦地に恋人を送った娘たちは、うっとりとして焚き火の周りを踊る恋人たちを見つめている。彼女たちに声をかけるレオ。
「俺、良かったらクロヴィス‥あ、ええと、馬で手紙か贈り物、届けて来ようか?」
 アーニャがかぶりを振った。
「ありがとう‥。でも、戦地は遠いの。馬でも行って帰って来たら何日もかかってしまうわ」
「ガルシン伯爵は古くからの知己ですわ」
 ふいにブルメル伯爵夫人が口を出す。
「城に届ければ兵にも届くでしょう。シフール便で送りましょう。わたくしが承ってもよろしくてよ」
「奥様‥でも‥」
 アーニャは恐縮する。
「遠慮は無用よ。せめて手紙だけでもお書きなさいな。戦地に届く恋人からの便りはさぞ心強いものでしょう」
 その言葉に押され、アーニャたちは頷き合った。
「お願いします。奥様」
 夫人は満足そうに笑みを浮かべた。

 リュシエンナは歌い続けているエレェナに料理とお菓子の乗った皿を勧めた。
「少し休んで」
「ありがとう」
 エレェナはリュートを横に置き、皿を受け取る。その横にリュシエンナは座った。
 夜は更けていく。月が浮かび、セラフィマが呼び寄せたのか、彼女のドラゴンが金の鱗を光らせて空を舞っている。手作りのお菓子を布で包んだ贈り物をそっと誰かに手渡す娘の姿が見えた。
「ハート型の焼菓子を作ったのよ。男の人は木彫りの小さなペンダントを用意していたみたい」
 リュシエンナは言った。
「いい夜ね。涙が出そうなくらい」
「そうだな」
 エレェナは答える。
「私の兄も騎士なの。もしもを考えるととても不安。でも、こうやってお料理の腕を磨いたり、弓の練習をしていれば、今度兄様に会った時、胸を張れそうな気がするの」
「リュシエンナはたくさん頑張ったよ」
 エレェナはにっこり笑って言った。
「こんなにたくさんの人の幸せそうな顔。でも、私たちもいっぱいもらった。心を通じ合わせることって大切だと思う」
「うん。そうよね」
 リュシエンナは笑みを浮かべた。
 でも、もうすぐギルドに戻らなければならない。
 この幸せな時間がずっと続くといいのにな、と彼女はちょっぴり考えた。


 ブルメル伯爵夫人に挨拶をし、一行はそっと村をあとにすることになった。
「ありがとう。とても感謝しているわ。見て、みんなの嬉しそうな顔。彼らの笑顔が私としても何より最高の結果よ」
 祭りはおそらく明日も続くだろうが、ここまで盛り上げてくれたのだから、たぶん大丈夫だろうということだった。
 夫人は足を曲げ、最高の礼を彼らにした。
 そっと村をあとにしようとすると、数人の娘が声をかけてきた。アーニャもいる。
「今日はありがとう。こんな楽しいお祭り、今まで経験したことありませんでした」
 アーニャは言った。そして他の娘たちと頷き合う。
「私たちからの心ばかりのバレンタインの贈り物を受け取っていただけますか?」
 びっくりする冒険者たちに、娘たちはひとつずつ小さな布袋を手渡す。中にはきれいな彫り物を施した木のスプーンと良い香りのする香り袋。
「彫り物が上手な者が村におります。一番できの良いものを選びました」
 アーニャがためらいがちに言った。
 アニェスとエレェナにはスプーンの代わりにコマドリを模ったペンダントが入っていた。
「ありがとう。素敵」
 アニェスはエレェナとペンダントを合わせて笑みを交わす。
「うふ。いい香り」
 セラフィマは香り袋を鼻に近づけて幸せそうに言った。他の者も笑みを交し合う。
「今、最高に幸せな気分」
 リュシエンナが言うと、アーニャと娘たちも頷いた。
「ええ、私たちも。本当に有難う」
 そう言った彼女の頬に、温かい涙が一筋流れた。



 冒険者たちはギルドに戻る。
 別の報告書を纏めていた記録係は慌てて彼らの報告を受けに出てきた。そして、テーブルの上に乗った布袋に目を丸くする。
「大きいですわよ」
 と、セラフィマ。
「特別に大きくして、って言ったから」
 と、レオ。
「私が焼いたから味は保証付」
 リュシエンナ。
「確かに美味しかった」
 エレェナ。
「袋のこの黄色い花飾りは村の娘さんですわ」
 エルシー。
「えええ‥??」
 目を白黒させる記録係。
「早く開けなさいよ」
 アニェスに促され、袋を開けた記録係は再び
「えええええ〜〜〜っ!」
 甘い香りの立ち上る、大きな焼菓子。
「私にですか。あああ、すみません、お出かけの時に余計なことを言ってしまって‥」
 そう言いながらも、記録係はそれはそれは幸せそうに焼菓子を一口ほおばって、夢見心地の笑みを浮かべた。
 後日、記録係はうんうん唸って考え、それぞれの方に合う品をお贈りした。
「幸せをありがとう。皆さまの明日が良い日でありますよう」
 そう、言葉を添えて。