●リプレイ本文
「少し人と会う約束で、ノルマンを訪れたのですが‥‥何やら慌しい時期に訪れたようですね。しかし、救いを求める人有るならば、それに応える事が私の使命です。この依頼、お引き受け致します――」
神木祥風(eb1630)が、そうつぶやいたのは、どれほど前のことであったろうか。いつしか神木は、その村にいた。
「ギルドの依頼で来ました、パトゥーシャです。事件の原因究明に全力を尽くさせてもらいます、嫌なことを聞くかも知れませんけど協力して頂けると嬉しいです」
パトゥーシャ・ジルフィアード(eb5528)があいさつをして村長の家での情報収集がはじまる。
「それで、状況はいかようなものじゃろうか?」
粗末な椅子に腰掛け、ルーロ・ルロロ(ea7504)の赤い目が老人を見つめている。老人の白い髪はぼさぼさにみだれ、目の下には黒いくまができている。もとより細い顔は、やつれ鬼気としたすごみすら感じさせるほどだ。そして、その表情には肉体的にも、精神的にも追い詰められている様子が読み取れる。
アニエス・グラン・クリュ(eb2949)の取り出したギルドからの手紙を一読し、老いた村長は首をふって、手で――この地は聖なるとされる――印を切ると、喉の奥から言葉をようやくしぼりだすことができたようだ。
「みなさまが、どれほどのことを知っているかはわかりかねますが‥‥」
そう言って村長は、
「私達が助けを求めた時には、まだ多くの牛たちがいましたが、いまでは、その大部分をやられてしまいました。それに、あの晩、死んだ者だけでなく、あれから禁をを守らなかったばかり‥‥」
「まって!」
パトゥーシャが、村長の言葉をさえぎった。
「いま、二人目って、言ったわよね!」
「はい――」
※
「十字架と聖書に誓って――」
アニエスは、誓いの言葉を述べてお辞儀をすると、こう言い残して被害者の家を出てきた。
「そうそう、パリでも悪い風邪が流行っている。どうもお腹にくるらしいから、お腹の子供の為にも、水と食べ物はかならず火にかけることを勧めまします」
扉を背中で閉めると、そこには仲間がいた。
「どうだった?」
外で井戸の調査をしていたパトゥーシャが声をかけてくる。
「亡くなった男性は、妻の体調が思わしくないといって、まわりの止めるのを振り払って、夜分に家を出て行ったそうです。それで、河辺でやられたそうです」
「松明を持ってか‥‥」
「なんでわかるのですか?」
「夜中にランタンなり松明なりも持たずに外出するものじゃないかな? 私の友達みたいに夜目が利く人ならばともかく‥‥あ、その前の人も亡くなったのは夜だったから、同じなんだろうね」
アニエスは、まじまじとアニエスの顔を見つめた。パトゥーシャがすこし驚いて、頬を染める。
「な、なにか、おかしいこといったかな?」
「いえ、おかしくなことは言っていません。だから、おかしいなって思ったのです」
パトゥーシャはきょとんとした表情になる。アニエスは少女の微笑みを浮かべた。
「あ、そうそう、ふたつほど、お願いを聞いてもらえないですか?」
※
「考えてみれば、最初の被害者が死んでから、相当な日数がたっているんだから、その死者は埋葬されていると考えておくべきであったのだな」
「それは、もちろん――」
東洋の僧侶は苦笑した。
死が身近なものであるとしても、それを脇において、飲み食いし、さらにそ知らぬ顔をして普段の生活ができる者などそれほど多くはない。
それに、このような異常な状況であるのならば、なおさらのことであろう。
ここは、いまや誰もいなくなった教会にある死体安置室である。
「まあ、おかげで死体の検分ができるわけなのだが‥‥」
神木が手をあわせる横で、ルーロがひょいと死体にかかった布をめくった。
「‥‥ッ‥‥うっ――」
ルーロの表情が曇る。
「どうですか?」
「あまり気持ちのいいものではないぞ」
ルーロの赤い瞳が黒い瞳の男をにらみ、当たり前だと言わんばかりの返答をする。そして、こう付け加えた。
「なにかに食い破られておるな」
「狼かなにかでしょうかね?」
「謎の野獣か!」
おもしろそうな口調でルーロがつぶやいたが、つづく言葉は否定的な返事であった。
「このキズの形は、そういう野獣のものではない」
「獣ではない?」
「そうだ‥‥強いて言えば剣先で切ったようにも見えるが、傷口があまり鋭利だとは言えないな。強いていえば中途半端に研いだ剣先だといえるかもしれんが、それでも、こんな鋏で切ったような痕にはなるまい」
「鋏を持った謎の襲撃者ですか?」
すこし、奇妙な映像を頭に浮かべて僧が苦笑する。
彼のモンスター知識にはない姿だ。あるいは広い世界、洋の西には、そんな悪魔がいるのかもしれない。
「あるいは‥‥」
ルーロがぽつりと漏らした。
「あるいは?」
「いや、それはあまりにも現実的ではない。そんな生き物がいるなど、わしの動物知識にはないからな」
「なかなか、難問なようですね」
ひょいっと神木もシーツを持ち上げ、眉をひそめた。
「腹が減っていたのか、血を見るのが目的か‥‥ワシの動物知識で分かればエエがと思って追ったが、どうも食い散らかしたという雰囲気だ‥‥が、そんな食い方をする『動物』はおらんのじゃよ――」
※
「ここが、そうか‥‥」
手元の地図と見くらべながらアニエスがあたりを観察する。
水のせせらぎがしている。
「やっぱりね。この小川はリブラ村のあたりから流れてきているんだ」
リブラ村――ここしばらく、世間を騒がしている、あの村だ!――と、この小川がつながっていることは確認できた。
「このあたりでしょうか?」
アニエスは、はっとして剣を抜いた。
(「ちょっとまってください――」)
そんな表情をした僧侶が、そこにはいた。
神木が背後から声をかけたのだ。
「なにか用?」
「邪険にしないでください。私だって、調べたいことがあるんですよ」
「調べたいこと?」
「ええ‥‥」
そう言って、神木は膝をついて河辺の草のあたりを丹念に調べ始めた。
「なにをしているの?」
「村人達の証言によると、当時、死者のまわりには足跡はなかったということでしたね。すると犯人は、どこに行ったのでしょうか? 地にもぐった、空を飛んだか‥‥」
「あるいは水に潜ったかですか?」
「おや? あなたには犯人がわかっているのですか?」
「確証はないんですけれどね。あるいは――」
そう言い掛けると、今度は背後の草むらががさがさと鳴った。
当然のように剣をかまえる。
「なにを驚くかな?」
銀色の髪の女がくすくすと笑っていた。
パトゥーシャだ。
「驚かさないでください。それよりも、どうですか?」
「森の中の様子だけれど、アニエスさんの予想どうりだったね。鹿や兎が同じような姿で死んでいたよ。それとなにかの蛹のぬけがらの破片が転がっていた水辺の方だけれど井戸と同様に水質に問題はなしだったよ」
「やっぱり‥‥そういえば、ルーロさんは、どんなことを言っていました?」
「犯人は、動物ではないということがわかったくらいですよ」
「そうですか‥‥」
すこし考え込むとアニエスは、神木の耳元になにごとかささやいた。神木の表情がすこし曇る。
「いや、まあ、たしかにそういう特徴はありますが、ですが確証は‥‥」
「うん、だから確証はないの。だから‥‥やってみたい――」
アニエスの真摯な瞳が神木を見つめる。しばらく黙っていた神木はやがて、
「わかりました。それは――」
といって、神木は言葉を捜すように周囲を見回した。
風が吹く。
「だいぶ日が暮れてきたね」
パトゥーシャが、沈黙に耐え切れなくなったかのようにぽつりと言った。
「宿舎の村長の家へと帰ろうかな?」
※
「これで、よろしいのでしょうか?」
「それの特性が、そうであったのならば、これでいいはずです」
神木の手配したあたりの様子にアニエスが応える。
いま、村中の明かりが消されている。
そして、冒険者の前に燃え盛る焚き火だけが、いまこの村にある光源である。そこは村の外れの開かれた場所であった。
「これで、被害は最小ですむでしょう」
その言外には、もちろん私達が勝つことができるのならばという意味あいが込められていることに間違いはなかった。
「夜は長い。さて、誰から休むかな?」
ルーロが仲間を促す。
「交代で見張りに立つことを提案する予定だったけれど、その必要はないみたいだよ」
目を細めたパトゥーシャがつぶやく。
狩人である彼女には、なにか察しがついたらしい。
「なるほど!」
ルーロがスクロールを闇に向かって投げつけようとして――
戦端はすでに開かれていた。
「な、なによ!」
反射的に剣先で敵を切りつけ、アニエスは絶句した。
彼女は謎の襲撃者の正体が預言書にいう虫だということまでは推測していた。しかし、彼女が想像していたのは生物の内臓に寄生、孵化しある程度成長した後外に出るために内臓を食い破る――程度の物であって、現実として出会った、それは、
「あまりにも、大きすぎる!」
のである。
「なによぅ! あたれ〜!」
矢を放つ、パトゥーシャの背丈の半分ほど――アニエスにいたっては、その顔のところまであろうかというほどの巨大な虫たちであったのだ!
「ブリットビートル‥‥にしては、大きすぎますね‥‥」
神木は、ほぉとため息をついた。
まったくもって世の中は広い。彼の知識では、その姿はブリットビートルにちがいないのだが、普通、その昆虫が、これほどまでに大きくなるということはない。
「なにか、あるのでしょうね」
「なにか、な!?」
ルーロが応じた。
すでに精神的な復調を全員がはたしている。戦い慣れたかれらにしてみれば、予想外の状況になったとして、なったものとして対処できる。それが、戦歴というものであるし、またかれらの実力というものであった。
「まあ、そういう考えるのはあと! あと!」
パトゥーシャが、ふたりに声をかけた。
前線ではアニエスの剣がふるい、獅子奮迅。
一匹一匹の虫は相手ではないが、数はいる。
「まあ、大きくなったところで虫は虫だからな!」
最初は、気楽ではあったが、三十分も戦っていれば嫌気がさしてくる。
「いいかげんにしてもらいたいものじゃな!」
ルーロの手から真空の刃が飛び出て、一匹を屠り、虫たちの一隅に穴を開けた。しかし、それもすぐに他の虫たちに埋められる。
「矢がきれた‥‥」
パトゥーシャがしまったと舌打する。
前衛のアニエスにも疲労の色が見えてきた。
「まずいの。弱くとも数はおる」
「どうしたら、この虫の群れを‥‥虫!? そうだった!」
神木が気がついた。
「ウィンドスラッシュを焚き火にぶつけてください!」
「なんじゃと!?」
「いいから!」
「わかったわい!」
ルーロの呼んだ風が、炎を空へと舞い上げる。
あたかもドラゴンの吐き出した炎が空へと舞い上がったかのようにも、あるいは闇にさんぜんと輝く炎の大樹にも見える。
突然、その火に向かって虫たちが突っ込んでいった。
まるで、聖なる旗のもとに集まる信者たちのように、虫たちは炎の旗に集っていく。一匹、二匹と炎の洗礼を受け、死という戦場へと誘われてゆく。もしもブラッドビートルたちに理性というものがあったのならば、かれらは死の行進をやめたかもしれない。しかし、虫に、そのようなものはない。ゆえに死の行進は死の乱舞へと姿を変え、いつしか、虫たちはすべて巨大な火の玉となり四方に落ちていったのである。
「終わったわね」
ひとり剣をふりつづけたアニエスが、片膝をつき、剣を杖の代わりにする。
「でも、なんで虫たち‥‥って、ああ――」
言いかけてパトゥーシャは頭をかかえた。
「そうか虫――」
「そうですね。ブラッドビートルも元来は虫ですから、光源に向かう傾向があるんですよ。だから大きくなったところで‥‥と思いましてね」
「そうだったのか。それで死んでおった者たちはランタンなり、松明をもっていたというわけじゃったのか」
「でも、この虫たちはどこからきたんでしょうか?」
「リブラ村よ」
闇をにらみつけ騎士がぽつりとつぶやいた。
「でも、そうだとしたら、これは単なる前触れにしかすぎないのでは‥‥」
そう自分でしゃべってみて、神木は声を失った。
その日、石の中の蝶は舞うことはなかった。
しかし、どこかで笛の音が聞こえた気がした。
風が吹く。
それは深淵よりきたる影の前触れであった――