●リプレイ本文
メナンシード家を尋ねた冒険者は、アシュレー・ウォルサムとリール・アルシャスの二人。一応今日のために誂えたエプロンを身に着けたレイファは、何度か顔を合わせたことのある二人を、もうすっかり友人のような気安さで迎えた。
「いらっしゃい。待ってたわ。来てくれたのが二人、って言うのが、ちょっと気に入らないけど‥‥」
レイファの目論見としては、出来るだけたくさんの人に集まってもらって、賑やかに楽しくわいわいと――というもの。しかし本当は――お菓子作りなどしようと思ったこともない生粋の貴族のお嬢様・レイファの、手足のように働いてくれる人間を集めたかった――というところか。
「お二人ともお変わりなかったか?」
リールが挨拶した。それを受けてレイファもリナリアーチェも、笑顔で。
「ええ、貴女もお変わりないのかしら?」
「その節は大変お世話になりまして」
と挨拶を返す。
「お菓子作りは楽しいよねえ、それを食べて喜んでくれる人がいるならなおさらね」
何だか意味ありげな微笑を浮かべるアシュレー。
「ちょっと寂しいけど‥‥二人っきりよりは随分ましよね? リナ」
「わたくしは充分ですわ。お二人なら以前にもお会いしましたし、全く見ず知らずの方に囲まれるよりは――」
レイファの言葉にリナリアーチェが応じて、和やかな雰囲気の中で、四人はキッチンへと向かうのだった。
「ま、ざっとこんな感じだけど、どうかしら?」
キッチンの作業台に用意されたのは――大量の小麦粉に新鮮な卵、絞りたてミルクにバターに巨大な器に入った蜂蜜。小さな壷には種々のジャムと、やはりてんこ盛りの胡桃などの木の実。およそお菓子を作るのに必要だと思われる材料が、これほど必要なのか、とツッコミを入れたくなるほどふんだんに用意されていた。
さらに、レース飾りのついた布袋だの、絹のリボンだの、出来上がったお菓子を包装用の材料にも抜かりはなく。さすがは貴族のお嬢様、こと金を使うことに関しては、豪気である。
「‥‥なんだか、すごいことになってるなあ――」
リールの口をついて出たのは、感嘆――と言うよりは、半ば呆れたような、そんな科白。アシュレーは逆に嬉々として。
「何? もしかして、俺に挑戦してるのかな。これは?」
不敵な笑みを浮かべつつ、アシュレーが取り出したのは。
「これでどうだっ!」
自前の調理器具&ゴールデンカッティングボード。
気合、入りまくりなんですけど‥‥。
「さて、お嬢様方はどんなお菓子を作りたいのかな?」
アシュレーの問いに、顔を見合わせたレイファとリナリアーチェ。
「蜂蜜をたっぷり使って、甘いお菓子を作りたいわ」
レイファが答えれば。
「わたくし、先日女中と一緒に、マドレーヌというお菓子を焼きましたの。ふわっと柔らかい食感が気に入りまして、ぜひ、それを」
リナリアーチェがきっぱりと言った。
「何? リナはお菓子作りとかもしちゃうんだ?」
「ええ――、それほど上手ではありませんけど」
「すごいな。わたしなんて、お菓子など手伝い程度でしか作ったことがないからな――」
リールが尊敬に満ちた眼差しで、リナリアーチェとアシュレーを交互に見た。
「お菓子は難しいよな。まあ、アシュレー殿がお上手だから、ここは手本にさせていただこうかな」
「よし。それじゃ――リールは何を作る?」
「わたしは――そうだな、出来れば日持ちするものを、と思っているんだが」
その言葉に、何やら事情を知っていそうな表情を浮かべるアシュレー。
「何? 何なの? どうして日持ちするものなど――」
遠慮もなく尋ねるレイファに、リールが苦笑いを浮かべて。
「――まあ、そういう話は、おいおい‥‥」
とはぐらかした。
「ところで、アシュレー殿は何を?」
逆にリールが問うと、アシュレーはにまっと笑い。
「ジャム入りクッキーを作ろうと思ってね。これ、持ってきたんだけど」
言いながらアシュレーが取り出したのはミックスベリージャム。
「ジャムなら、こちらにあるものを何でも使って頂戴」
レイファがジャムの壷を示しながら言うと、アシュレーが答えた。
「そう? 自分で用意したものを使いたいんだけど」
「そんなこと、この私の名にかけて、絶対にさせませんわ!」
‥‥妙なところでおかしなこだわりを見せるレイファ。
「それとも、ここにある材料では、不服だとでも?」
「あー。いや、そういう訳じゃないんだけど‥‥」
結局アシュレーが折れる形になった。
「じゃ、早速始めましょ」
レイファが宣言して、お菓子作りがスタートした。
レイファとリナリアーチェは、蜂蜜をたっぷり入れたマドレーヌ。
アシュレーはジャム入りクッキー。
リールは普通のクッキーを作ることになった。
「リナは大体の手順は覚えているんだよね?」
この中では一番お菓子作りに詳しいアシュレーが、指導役ということで、まず、全体の流れを確認した。
「ええ。必要な物も大体解りますし‥‥、大丈夫かと」
「それじゃ、何か困ったら俺に聞いて。リールは、生地作りの手順なんかは俺のと同じだから、真似してやってみて」
「解った。よろしくお願いするよ」
「レイファは、リナと一緒にね」
「解ったわ」
最初は用意した小麦粉をふるいにかけるところから。慣れた手つきでささっとこなすアシュレーに比べて、リナリアーチェはまだましだったが、リールはやや覚束ない手つき。レイファに至っては‥‥言わぬが花、というところ。
「お菓子なんて、材料を混ぜて焼けばいいんじゃなくって? 何のためにこんなことを」
ぶつぶつと不平をもらすレイファにアシュレーが。
「解ってないなあ。お菓子は、手間をかけるからおいしくなるんだよ。小麦粉もちゃんとふるっておけば、口当たりが全然違うんだから。さ、頑張って」
作業の手を休めることなく言った。
次に卵やミルクを混ぜ、クッキーの生地はこねる作業を、マドレーヌは混ぜる作業に進んだ。
「あんまり混ぜると生地がべたっとなって、焼き上がりが硬くなっちゃうからね。空気を混ぜるように、ね」
アシュレーの助言を受け、真剣な面持ちで作業するリナリアーチェと、ややげんなりした表情のレイファ。もう飽きちゃった模様です。
「リールはとにかくこねて。粉っぽさがなくなって、しっとりと纏まるまでだよ」
「粉っぽさがなくなって、しっとり、纏まるまで‥‥」
アシュレーの言葉を繰り返し呟きつつ、作業に没頭するリール。
「マドレーヌはそれくらいでいいね。よし、じゃあ生地を少し休ませて」
その間に天火の用意はできるかな? アシュレーが確かめるとリナリアーチェが頷いた。それからアシュレーは、いろんなジャムを手にとっては味見をして、これはと思うものを数種類選び出すと、クッキーの生地にジャムを入れ、次々にジャム入りのクッキーを作っていった。
「さすがアシュレー殿、お上手だな」
「まあね。レイファとリナは、マドレーヌの型を用意してね」
「解りましたわ」
二人は適当な型を選び始めた。
「よし、じゃあリールは、生地をこうして細長くして――」
自分の作業を終えたアシュレーが、リールの分を少し手に取り、手本を見せる。まとまった生地を細長く棒状にまとめる。
「それからこれを、ナイフで切って――こうして形を整えて、こんな風に木の実をあしらってもおしゃれかも。ほら、簡単でしょ?」
見る間にアシュレーは形の揃ったクッキーを作り上げてしまった。リールは思わず作業の手を止め、じいっとアシュレーの動きに見入っていた。
「ほら、手を動かして。形が出来たらつや出しに溶き卵を塗るよ」
「なかなか――形を揃えるのは難しいものだな」
奮闘の甲斐あって、リールのクッキーもなかなか見栄えのよい物になった。
「それじゃ、クッキーから焼くよ」
マドレーヌの生地を休ませている間に、クッキーを焼いていく。
「うまく出来るだろうか?」
心配そうに呟くリールに、アシュレーが胸を張った。
「俺が教えてるんだから、大丈夫だってば」
程なく、香ばしい香りと共にクッキーが焼き上がった。続いてマドレーヌを焼いていく。
「うん、いい感じだね」
やがて甘い香りが漂うマドレーヌが天火から取り出された。その具合を見てアシュレーが頷く。ほっと胸を撫で下ろすリナリアーチェとレイファ。
「よし、残りのマドレーヌも焼いちゃおう」
そうして全てのお菓子が焼き上がり、冷ます間にお茶の時間となった。
ここでもアシュレーが大活躍。女性陣はちんまりと椅子に腰掛けて、カップに茶が注がれる様子を見ていた。
「アシュレーさんのような方がお相手だったら、女性は何もしなくてもよさそうね?」
早速淹れてもらった茶を一口飲んで、レイファが言った。
「そう? それって褒めてるんだよね、もちろん」
「当たり前でしょ」
レイファの答えに満足そうに頷いて、出来上がったクッキーとマドレーヌの一部を、アシュレーが運んできた。
「それじゃ、楽しい試食、ってことで」
それぞれに手を伸ばしたのは、やはり自分が作ったもの。
「あら。おいしいじゃない。ねえ」
「ええ。蜂蜜の甘さが程よくて、生地もほくほくして、おいしいですわね」
レイファとリナリアーチェが頷き合えば。
「――おいしい。おいしいよ、アシュレー殿」
リールが感激したようにアシュレーに言った。
「ありがとう、アシュレー殿。教えてくれて」
「いやいや。どうってことないよ。これも食べてみてよ」
そう勧められて、アシュレー作・ジャム入りクッキーを試食する女性陣。
「‥‥‥‥‥‥」
「――おいしい、ですわ」
「さすが――」
おいしい物を食べるのに、余計な言葉は要らない、らしい。
「それにしても――アシュレーさん、あのクッキーの山はどうなさいますの?」
茶を飲みつつ、横目でちらちらと大量に出来上がったジャム入りクッキーを見つつ、レイファが尋ねた。
「もちろん、贈り物用だよ。かえででしょ、ミーヤでしょ、ファンファンでしょ‥‥」
冒険者街の看板娘に、とある冒険の依頼人のあの娘、港のアイドル‥‥等々、指折り贈る相手を数えるアシュレー。相手が複数なのはレイファも同じなので、それについては何を言うこともないが、それよりも興味があるのは。
「‥‥で? 決まった方はいらっしゃらないの?」
心なしか瞳が輝いているような――。
「う〜ん、今のところはね。でもほら、恋愛は自由だし、ちゃんと責任はとってるし」
「――責任、ですか?」
きょとんとして尋ねたリナリアーチェに、うん、とアシュレーは頷いた。
「リールさんは――あの方に?」
意味ありげな視線を送られて、リールは一瞬、答えに詰まった。
「あの方、とは――」
「とぼけたって駄目。わたし、ちゃんと見たもの。あの時踊ってらっしゃった、素敵な方よ」
レイファが言っているのは、フロルデン子爵邸で催された【聖夜祭】の、ダンスパーティでの件である。
「あの方は――、こ、恋人では、ないのだが‥‥」
しどろもどろになるリール。脳裏に蘇る彼の笑顔に――先日見せた硬い表情に、少し、胸が痛くなった。
「最近、忙しいようで――だから‥‥」
今の自分がどんな表情をしているのか、リールは気になった。レイファは口ごもるリールに感心したように言った。
「それで『日持ちのするもの』なのね? 女心ね〜」
和やかな雰囲気を壊さなくてよかった――と、心から思うリールに、優しい笑顔でリナリアーチェも言った。
「ちゃんと直接、お渡しできればいいですね」
その言葉に他意はない。リールの想いが伝わるようにと――心から願って言っただけ。しかしその言葉にリールは「そうだな」と頷いたきり、しばし黙り込んでしまう。その様子にアシュレーがさりげなく助け舟を出した。
「さて、そろそろお菓子も冷えたことだし、袋に詰めてリボンで飾ろうか」
冷ましたお菓子を、それぞれに袋に詰め、リボンをあしらう。
たった一つの包みを丁寧に仕上げるリールとリナリアーチェとは対照的に、アシュレーとレイファはとにかくどんどん包みを仕上げていく。
全ての包装が無事に完成した。
「ああ。疲れた。私もやれば出来るのよね」
レイファが満足そうに呟く。リナリアーチェは手の中の包みを大事そうに抱えている。
「リナリアーチェ嬢は、リュート殿とはうまく行っているのか?」
リールに尋ねられ、リナリアーチェは恥ずかしそうにこくりと頷いた。
「そうか。それはよかった」
まるで自分のことのように喜ぶリールに、リナリアーチェも嬉しくなった。
「無事にお菓子も完成したし。それじゃそろそろ、帰りますか」
大量のクッキーの包みを大事そうに抱えてアシュレーが言った。リールも頷いて。レイファとリナリアーチェは二人を見送りに出た。
「それじゃあ、また何かの機会があれば」
「今日はありがとう。レイファ嬢は配るのも大変だろうが、頑張って」
門前で挨拶をするアシュレーとリールに、レイファが包みを差し出した。彼女とリナリアーチェが作った蜂蜜入りマドレーヌである。
「今日はありがとう。結構楽しかったわ。これは私たちからのお礼よ」
「本当にありがとうございました。ぜひまたご一緒しましょうね」
レイファとリナリアーチェは口々に礼を言うのだった。見送る二人に手を振り返し、アシュレーとリールは帰って行く。
「みんな喜んでくれるかな♪」
うきうきと楽しそうなアシュレーを横目に、物思いに沈むリール。手の中の包みに視線を落とすと、リナリアーチェの言葉が蘇った。――ちゃんと直接渡せれば――。
「――本当に、そうなれば――いいな。いや――」
誰にともなく呟いたリールの言葉は、冷たい風に掻き消されたのだった。