●リプレイ本文
「‥久しいな、道志郎‥‥」
道志郎の新しい門出には榊原信也(ea0233)ら旧知の者達が駆けつけ、その他にも多くの者が見送りに集った。仲間の医師がこれまで辛抱強く治療に当たったが右腕の麻痺は未だ癒えない。可能性はゼロではないというのが、今は唯一の救いだ。
触診を終えて、医師の一人が思い出したように口にした。
「あっすまん。挨拶がまだだったな。空間明衣(eb4994)だ。一応看護の生業をしている28歳の女だ」
しれっとサバを読んだが道志郎に気づいた様子はない。
「医術の専門家と聞いている。こちらこそ宜しく頼む」
その後ろではイリス・ファングオール(ea4889)が借りてきた猫のように縮こまっている。那須の初めての冒険の時からの仲間も多い。グラス・ライン(ea2480)の
「道志郎さん温泉って愉しいな、うちも久しぶりで楽しみや。姫〜♪ おいで、道志郎さんや驚かさんように挨拶するんよ」
連れてきたペットのグリフォンを振り返った。すぐ傍にクゥエヘリ・ライ(ea9507)がいつものようにグラスのお守りにと付いて来ている。
「グラスさんは油断すると別の方向に向いてますからね。今日は馬車での移動ですから助かりました」
温泉宿へは、途中の鬼哭という宿場までは馬車を利用する。道志郎が車へ乗り込むと、隣に座った浪人が声を掛けた。
「拙者は石動悠一郎(ea8417)、よろしくな。‥‥お主の噂は聞いているよ」
「こちらこそ。湯治といっても短い間だがよろしく頼む」
「湯治って病気とかを治療する事なんでしょ? 楽しみだな♪」
向かいにはアゲハ・キサラギ(ea1011)が腰を下ろし、日傘を差した。身重のアゲハはもう四ヶ月だという。つわりも治まり、ようやく少しくらいなら遠出もできるようになったばかりだそうだ。
「ここのとこずっと家に引き篭もってばっかりだったし、少しぐらい息抜きできるといいな♪」
一行は馬車に揺られて一行は鬼哭へと。鬼哭宿の駅は宿場に縁のあったある冒険者が資材を投じて作らせたものらしい。そこを降りたら、温泉宿までは数里ほど徒歩での移動だ。身重のアゲハを労わって暫くの休憩を挟んでから出発しようとすると、次の馬車で懐かしい顔が駅へ降り立った。
「奇遇だな、風守。こんなとこで会えるなんて」
小旅行に訪れていた風守嵐(ea0541)は道志郎の近況を耳にし、嵐は眩しそうに目を細めた。
「‥‥苦労しているようだな」
相変わらず心中を表に出さないが、その口許だけは微かに笑んだ形で緩んでいる。
すぐ後ろには、陸堂明士郎(eb0712)が竹製の背負い椅子にアゲハを座らせて歩いている。アゲハは恥ずかしがっていたようだが、身重の体のことは皆から口をすっぱくして言われている。背負い椅子もそうした知人が用意してくれたものだ。幸い看護人の空間が同行していたおかげで母体への負担も抑えられた。陸堂が連れていた馬は馬廻りでもあるライが代わりに手綱を引き、宿を目指す。
やがて、ライの飼っていた鷹の蒼穹が街道の先に宿を捉えた。一行が宿へついたのはその日の夕方のことであった。
宿への記帳を済ませ、食事までの時間を皆思いおもいに過ごす。宿の庭では不破斬(eb1568)が道志郎に稽古をつけている。
「やはり片手で取り回すには刀は難しいだろう。これを使ってはどうだ」
「脇差か‥‥刃渡りがないとなんだか心細いが確かに扱い易そうだ」
上野へ旅立った時は斬に迫ろうかというほど上達していた道志郎の剣だが、あれからまた大きく開いてしまった。
「その調子だ、道志郎。取り回しを活かして隙を小さく」
「間合いが短いと慣れるまで大変だな。暫く苦労しそうだ」
「二人とも励んでるようだな。太刀捌きもそうだが、体術も磨いたほうがいいな」
石動も加わり、身のこなしについてのアドバイスする。左腕で剣撃を受けるのは難しい。攻撃を避ける体捌きもこの先必要になるだろう。
「利き手が使えぬのならこういった術が必要な事もあろう、覚えておいて損は無い」
そうして気持ちよい汗を流したら、湯浴みで体を休める。三人が温泉へ向かうと、信也達は一足先に酒を飲みながら楽しんでいる所だ。
「‥いろいろあったが、まだ俺もお前も人生は長いんだ‥気長に行こうぜ?」
浮かべたお盆から銚子を取って酒を勧めると、道志郎が左の盃で受けながら苦笑する。
「日常のことはだいぶ出来るようになったと思っていたが、酌をされるのはまだ慣れないらしい」
「右腕がしびれて動かなくても左腕があるだろ?‥剣はまだ握れる。お前さんのことだ、剣を諦めたわけではあるまい? これからだよ‥‥」
「湯で温まったところで患部を揉むと血行が良くなるそうだ」
斬が盃を傾けながら口にすると、不意に空間の声。
「その通りだ。すぐに完治するのは難しいがそうする事によって回復が早まる」
布を巻いただけの姿で現れた空間は、体を流すと湯船へ入った。道志郎の隣へ腰を下すと右腕を取る。
「自分でするのは大変だろうからいらん配慮はしなくて良いぞ。不破殿、私にも一杯頼めるかな。湯に浸かりながらの熱燗は格別だからな」
「道志郎さんのマッサージやな、うちもやるー!」
今度はグラスの声。湯煙の向こうから飛び出てきたのは一糸纏わぬ姿。思わず皆がぎょっとするとグラスはきょとんと首を傾げてみせる。
「‥‥どしたんや? 温泉は裸で入るものなんやろ?」
「グラスさん、ここは混浴ではないから女性は入っていけないんですよ」
慌てて駆け込んで来たライが布で体を隠す。グラスの手を引いて女湯へ連れ戻そうとするが、グラスは不服そうな顔で今度は空間へ視線を移した。
「私は看護士だからな。これも仕事のうちだ」
「ならうちも手伝ってもええやろー?」
「良かったな道志郎。いい機会だからしっかりやって貰うといい」
斬が真顔で冗談を言うと、グラスが道志郎の隣へ陣取った。ライが諦め混じりに溜息をつく。
「もう、仕方ありませんね。道志郎さん、ご迷惑おかけします」
「いや、俺は構わないよ。ライさんこそ何だか気を使わせてしまってすまない」
とりあえずグラスの隣へ腰を落ち着けたライだが、心なしか緊張した様子だ。
「いえ、その‥‥殿方と一緒に入るのは初めてなので‥」
そんなライの気持ちは知ってか知らずか、グラスはにこにこといつも変わらぬ笑顔だ。
「皆と入るの楽しいもんな」
「何にせよ湯に浸かるのは悪くないねえ‥‥ってあれ? 輝七朗、お前何時から入ってた?」
湯面が淡く輝いたかと思うと、お湯から掌大ほどの球が浮かんで来た。飼い主の石動の周りであふわふわと浮いている。旅の疲れを落とすように皆ゆっくりと楽しんでいる。
「しかし湯治というのもただ入れば良いという物ではないそうだが、大変そうだな道志郎」
道志郎だけは間を置いて湯から出たり入ったりと急がしそうだ。痺れた腕を空間が揉み解し、献身的に尽くしている。
「なかなか効果は見えてこないかもしれないがな、道志郎。だが、根気よく続ければ必ずいつかは実を結ぶものだ。諦めてはだめだぞ?」
翌日からは信也やライも加わって剣や乗馬の稽古を行い、またグラスとのんびり散歩へ出掛けたりと道志郎には充実した時間になったようだ。空間も根気よく湯治につきあい、また稽古で疲れた体をほぐして尽くした。最終日の夜。宿の宴会場の隅に、着物へ着替えたイリスが壁にもたれて涼んでいる。朱塗りの櫛を挿し、口紅には薄紅。火照った体を外気に当てて故郷の歌を口ずさんでいると、他の仲間達も少しずつ集まってきた。
今夜は陸堂が差配して宴会が行われる。道志郎の新しい門出を祝って壮行会だ。アゲハが料理を盛った皿を抱えた仲居を連れて部屋へ入ってきた。
「色々とお世話になったし‥‥気持ち良くお見送りしたいね♪」
地元で採れた筍の煮物に天麩羅に、栄養たっぷりの旬の食材を使った蟹あんの茶碗蒸し。天麩羅の油は庶民にはかなり高価だが、今日は特別だ。卵も江戸では手に入りづらいのを苦労して手配した。その他にも川魚や山菜など土地の物が卓へ並ぶ。
斬も席の端へ腰を落ち着けた。
「酒もあるぞ。ハーブワインに、それから甘酒も用意してみた」
空間も持参の日本酒を振る舞い、食卓も随分と賑やかになる。皆、料理に舌鼓を打ち、グラスが余興に舞を披露したりと楽しく過ごしている。部屋の隅ではイリスが一人ぽつんと空を仰いでいた。この国へ来たばかりの頃も、ちょうどこんな感じだった。足早に過ぎ去ったこの二年。
(「失敗したり痛かった事も忘れてしまったり、困った事も多いかもしれませんけど」)
それでも‥‥。
イリスが宴席の中央を振り返った。道志郎が仲間たちに囲まれて話し込んでいる。ちょうど石動が海の向こうでの冒険の日々を語って聞かせる所のようだ。
「道志郎殿はこれから如何されるのだ? 当ての無い旅路か? お主は何かやるべき事を見出し、それに向かって突き進むように見えるのだがな。」
「道志郎さん、今度は何処に行くんや?」
グラスが身を乗り出した。
「うちも何かあれば追いかけるから遠慮なくいうてな。迷子で追いつけんかもしれんけど」
照れ隠しに笑顔を向けると、道志郎は不意に眼差しを遠くした。
「そうだな。行く当ては何もないけど、まだ見ていない土地を歩いて回りたいな。今度は西の国々――常陸、それに下総や上総もいつかは旅してみたい」
「もう目指す所は胸に帰しているようだな、道志郎殿。頼もしく思うぞ。ところで貴殿は兵法には興味はないか?」
「兵法‥‥? この俺が‥」
「難しく考える必用は無い。要は人の心が解るかどうかだ」
戦とは算術ではない。人を率い、動かす力は知恵は、紙の上の計算にあるのではなく、それもまた人の心の内に動くのだ。
「物事‥‥それも特に人の心というものは、損得勘定だけでは真に掴めはしない。人とは詰まる所、主義主張に付き従うのではなく、主義主張を体現する人にこそついて行くものなのだよ、道志郎殿」
そこで区切ると、陸堂は道志郎の目を見据えた。
「その為に必要なものを貴殿は既に持っている。その証拠に我々が此処に居る。――と、まあ堅苦しい話は此処までだ。自分は何時でも貴殿の力になる。必用な時は呼んでくれ」
これまで顧みなかった可能性を問われ、道志郎はまだ戸惑っている様子だ。斬がそんな道志郎を見遣り、盃を傾けた。
九尾は退けたが、未だ日ノ本に騒乱の種は尽きない。
(「赤面いまだに健在。そして気になる九尾の行方‥まだ戦いが終ったとは思えない。だが、せめて今だけは‥‥」)
皆は思い思いに歓談したり、また湯に浸かったりと夜を楽しんでいる。座敷では湯当たりしたグラスが空間に介抱されて要る所だ。そこへ表で一人で飲んでいた信也が酒を取りに戻ってきた。
「なんだ、外にいたのか。折角だからこっちに混じればよかったのに」
「こういう賑やかなのは柄じゃないからな。ま、今夜は表で飲み明かすつもりだ」
ふと思い出したように信也が口にする。
「道志郎、嵐が呼んでいたぞ。中庭にいる筈だ」
中庭では三日月に見下ろされて嵐が立っている。
嵐が振り返った。
「‥‥今のまま、この世界を渡ろうと思うならこの先長くないぞ」
「分かってはいるつもりだ。だが、己の道を歩き出した以上、歩みは易々と止められるものじゃないと俺なりに考えてはいる」
「人の一生は一本の道ではない‥‥ならばこそ今の自分に何が出来るのか再確認してみろ」
厳しい言葉ではあるが道志郎にとっては初めての冒険であった那須行の仲間達は特別な存在だ。その思いは嵐にしても同じだ。
(「どんなにおまえが名声を挙げようと、立場が変わろうと、オレには関係ない」)
那須の時、苦楽を共にした旅の仲間の頃のままだ。四半年を共にし、青年が不恰好ながらも己が道を歩き出す様を嵐は具に見てきた。
(「‥‥幸い世はまだ英傑を求めている」)
不意に嵐が庭先へ視線をやった。ふと表情を緩ませると、再び視線を戻す。
「目指す先がお前の中に産まれれば、この力いつでも貸そう‥‥如何な境遇に陥っても等身大の自分を見失うな」
それだけ言い残すと嵐は消えた。再び静寂がやってくる。それを破ったのはイリスの足音だ。
「道志郎さん、こっちにいたんですね」
「イリス‥‥贈った櫛と紅、つけてくれたんだな」
少しだけめかしこんだイリスを見て道志郎が微笑んだ。
目が合い、二人とも頬を赤くして俯く。
「‥‥」
「‥‥」
不意に夜が静かになった。話したいことは幾らもあるのに言葉は途切れがちだ。イリスが呟く。
「腕‥‥‥早く良くなるといいです」
そっと横へ並んで、空を仰ぐ。
「‥頑張って下さいね。もうたくさん働いたし、無理はしないで欲しいですけど」
きっと、言っても聴かないのだろうけど。それでも道志郎が答えて見せると、イリスは笑顔で頷いていた。
「ああ、分かったよ。約束する」
「はい♪」
こうしてあっという間に十日間は過ぎた。道志郎はこのまま江戸には戻らず西へ旅に出る。皆とはここでお別れだ。旅立つ道志郎へ、陸堂は行きの道中で乗ってきた馬をそのまま道志郎へ贈った。
「陸堂さん、こんな高価なものは受け取れない」
「旅をするのに足はあった方が良いだろう。何、自分の気持ちさ」
「それと‥‥」
アゲハが重たそうな包みを道志郎へ差し出した。開けるよう促すと、中に入っていたのは百両からの大金だ。思わず辞そうとした道志郎を制してアゲハが続けた。
「このお金はキミ個人にあげるんじゃなくて、この国の平和と未来への投資として道志郎さんに預け運用を任せる‥‥っていう事なんだからね?」
お腹をさすりながら、陸堂と頷き合う。
「ボクら、夫婦からの道志郎さんへの投資金だよ。だから、キチンと受け取ってもらうよっ」
すると今度は石動が道志郎を模した小さな木彫りの人形を手渡した。
「リハビリも兼ねて木彫りでもやってみるといい」
「うちからも霞刀や。これなら軽いからだいぶ楽になると思うんよ。受け取って」
右腕の傷をさすりながらグラスが道志郎の目を覗き込む。グラスは飼っている大蛇の翡翠もお供にと申し出たが、こちらは旅の足手纏いになるため丁重に断られた。
「ありがとう。この刀は大切に使わせて貰うよ。石動も、陸堂さん達も、みんな感謝してる。この恩はいつか、働きで返させてくれ。きっと大働きをしてみせる」
「その意気だ、道志郎」
斬が黙って脇差を差し出す。視線を合わせると、道志郎は力強く頷いた。脇差を手渡して斬も頷いて応える。
「道志郎、強くなれ。お前の為にも、誰かの為にも‥‥いいな?」
そして道志郎は馬上の人となる。
今度は馬首を西へ向け、再び己の生き場を探して。まだその先は見えないが、この日ノ本が動乱の中にある限り、いずれその名は聞こえてくるだろう。道志郎の次なる旅はここから始まる。