●リプレイ本文
魔界に沈んだ水戸の話は江戸にも噂に流れているが、実情を目にした者は少ない。グラス・ライン(ea2480)にとってはあれから三月ぶりの常州入りだ。濃い瘴気が立ち込め臓物や汚泥にまみれていた水戸城は、今ではすっかり清められ、その威容を取り戻していた。
「どうなんやろ? あれから黄泉人達に何か動きがあったんやろか。例えば新たに村が襲われたとかな」
黄泉人の動きは不気味な程に沈黙を保ったままだ。いずれにせよ、水戸城奪還直後の水戸藩は取り戻した南部領を復興するだけで手一杯だ。汚された水戸城とその城下町を人の住める環境にするだけでもこれだけかかったのだ。魔物たちの跳梁で荒廃した国土を復興するのにはまだかなりの時間がかかるだろう。常陸国があの豊かな景色を取り戻すのは百年の事業になるかも知れないと悲観する声もある。
今回の水戸北西部の調査にしろ、実際に奪還作戦がいつ行われるかの目処など立ってはいないのだ。それゆえに彼ら冒険者たちがその任に起用された訳だが。捨て駒という言葉の意味をかみ締めながら、氷川玲(ea2988)は拳を握り締めた。
「さて、状況不明の場所への斥候調査、腕がなる。生き延びて帰って来るのは得意な方だ」
今回の調査には以前に那賀へ侵入したことのある心強い仲間も同行することになっている。その一人である不破斬(eb1568)が、那賀の仲間であった西園寺更紗(ea4734)へ魔法の霊剣を手渡した。
「更紗さん、魔法でないと歯の立たぬ魔物もいる。今回もこれを使うといい」
「おおきに不破はん。この業物‥‥ほんにええわぁ」
借り受けた霊剣を抜くと、冷たく光る刀身に映りこむ表情を恍惚とさせながら更紗が悦に入る。刀剣や武具の類に造詣の深い更紗にとっては、さまざまな名刀宝剣にお目にかかれるこの稼業は天職なのかもしれない。
「色々な業物が使えるなんて幸せやなぁ、前回借り受けたのと同じく軽いけど、使い心地はどないやろか」
そこへクーリア・デルファ(eb2244)も支度を終えて戻ってきた。
「荷物の積み込みは終わった。半月もの長旅となると随分と大荷物になってしまったな。ウィンターゲイルとアンジュには今夜はたっぷり質のいい飼葉を与えておこう」
愛馬達へ旅荷を積む用意は万端に済ませた。
その夜のうちに、水戸で取った宿で一行は目的の進路について話し合いを持った。聰暁竜(eb2413)が皮切りに口を開いた。
「半月といっても短い。限られた期間で出来る限りの深奥へ辿り着かねばならないのは言うまでもないだろう」
「主眼をおかへんと有益なもんは、手に入らんやろうなぁ難儀やわぁ」
更紗がしなを作ってそう口にすると、黒崎流(eb0833)が相槌を打つ。
「更紗嬢のいう通りだろうね。かといって手掛かりも少ないが‥‥」
小さく腕組みして考え込むと、流はやおら顔を上げて皆の顔を見回した。
「黄泉兵は奥州とを隔てる境の辺りから突如現れたと聞いたが、その道筋を逆に辿るようにいけば何かに当たりそうかな。出来るだけ早い段階で潜りこみたいね」
それに応えて不破が仲間に用意させた地図の写しを広げて見せた。不正確な地図ではあるが、主要な街道とそこから分かれた支道が記され、その上から更に水戸の民から聞き込んだ気に掛かる場所が書きこんである。
金砂城や梵天山古墳、鷲子山上神社。砦はもちろん、神社仏閣や古墳に至るまでの霊的要衝は調査に値する。
「それにしても、常州北部はあまり怨恨だった場所が無いように思えるな。ただの戦略拠点に北を選んだとは思い難いが」
聞き込みと言えば、もう一つ面白い情報が入った。
あの道志郎がまだ常州に留まって黄泉人勢力の調査を地道に続けているというのだ。ここ水戸を拠点にしながら那賀方面から何度となく侵入を試みていたらしい。その道志郎はここ数日前に大量の水と食料を買い込んで水戸を発ったらしい。
道志郎とは那須の頃からの付き合いであるグラスがにこにこと笑顔を覗かせた。
「道志郎さんやはり粘っていたんやな」
「道志郎さんなら黄泉人に関する情報を何か掴んでいるかも知れませんね」
アルディナル・カーレス(eb2658)が思案げに目を伏せる。三ヶ月前、彼と共に道志郎と会ったクーリアがその青年の姿を思い浮かべて表情を緩ませた。
「無事でなりよりだ。しかし、危険な場所に向うのは考え直した方が良いのだが。例の約束も果たさせてもらわないとな。せめて、同行する者がいれば危険も減るものを‥‥」
「またいずれ会えるかも知れないですね。無茶をしていなければ良いのですが」
「道が続いてるなら、縁があればまた何度でもあうことが出来ますよ」
遠くその足跡を噂に聞くだけでも、イリス・ファングオール(ea4889)にとっては幸せだった。道志郎から贈られた櫛を手にイリスは小さく笑みを浮かべた。
「三ヶ月くらい顔見て無いですけど、何やら向こうにいるみたいなので‥‥♪ お久しぶりに会うことになるので、今まで何してたとか少しきいてみたいです」
巡り合わせがよければいずれ常州のどこかで会うこともあるだろう。冒険者達にとっては、今はその身に課された依頼を果たすことが第一だ。リアナ・レジーネス(eb1421)が決意を込めた眼差しでひとり頷いた。
「危険な任務ですが、がんばります」
夜が明ければいよいよ那賀へ出発だ。
水戸から伸びる街道は、常陸国風土記にも記される律令国家時代に引かれた街道である。
水戸を北上するとその先は助川(現在の日立市助川町)・藻島(同北部)・棚島駅(現在の北茨城市)と続き、奥州へ至る。北へ向かう街道はもう一つあり、それが水戸から助川へ至る前に西南西の石橋(現在の那珂市)へ向かうルートだ。石橋から先は街道が二つに分かれ、現在の常陸太田市を北上するように配置された田後・小田(山田)・雄薩と続き奥州へ至る。もう一方は南西の河内を経て東海道へと出る。
街道を進みたいという聰の提案に従って冒険者たちは街道を北上し石橋へ向かうルートを取った。常陸北部の交通の要衝である石橋は未だ黄泉人の勢力下にある。そこへ入る手前で支道へそれて西進。石橋から田後へ至る街道を横切りながら那賀へ切り込む。
先頭は更紗が斥候代わりに飼犬を先行させてはと提案したが、肝心の道筋を知らないのでは務まらない。飛脚でもある氷神がその任に当たることとなった。
「流石にここまで辺鄙だと流石に厳しいか」
飛脚仲間からここいらの大まかな地理は聞き知っているが、それでも少しはマシという程度。何せ、あの黄泉人の襲撃でほとんどの集落は廃墟と化したのだから。水戸城奪還から三月、奴らがここから手を引いたことで再び土地へは人が住み着きつつあるようだ。元からの民の他、江戸大火で生まれた難民達のように、他に行き場がなく土地と田畑を求めて他所から流れて来た者もいるようだ。
「聞いた話と幾らか変わりつつあるようだ。江戸に戻ったら飛脚仲間に情報を流してやらないとな」
人々が戻りつつあるのは水戸から一日余りの圏内だ。
補給ついでに立ち寄って聞き込むと、ここでも道志郎の話を聞くことができた。
「そうなんか、土地の人を護衛に雇って出たんか」
「そうか、道志郎さん。いいぞ。傷が完全に癒えるまでは人に頼る事を恥じることはない。借りは返せば良いのだから、借りれる借りは借りとけば良い」
聞けば、この先はアンデッドが多く徘徊するという。安全な道筋は土地の民でも知らない。事実、続く支道を進めば、その先は魔界そのものだ。常陸を跳梁する不浄の魔物との戦闘を避けては通れなかった。
「まったく、こうわらわらと。――鬼道衆弐席、『喧嘩屋』。コワさせてもらう」
飛びかかる餓鬼を鮮やかに躱わしながら、氷川が手数の限りに短刀を繰り出す。リアナの放った雷電が戦場を駆け抜け、一瞬の閃光が森に蠢く小さな幽鬼の群れを照らしだした。
野営中の冒険者達を襲ったのは十数匹からの餓鬼の群れ。電撃をまともに食らった餓鬼が丸焦げになって転がった。一行を取り囲んだ餓鬼達は奇怪な声を上げながら飢えに任せて尚も襲い掛かってくる。エスキスエルウィンの牙をかざして斬が敵群へ飛び込んだ。
「そんなに腹が空いているなら。不破流狼剣術の技、とくと味わって逝くといい」
向こうが組み付こうというのなら好都合だ。陸奥の術利を組む斬の流儀の真価は超接近戦にある。身を屈めながら餓鬼どもの足に狙いを絞って薙ぎ払っていく。この程度の雑魚、この面子の前では敵ではない。聰も太刀を振るって次々と撫で斬りにしていく。
「――――――時間をかける気はない」
聰が餓鬼の首を刎ねたその瞬間、再び雷轟が辺りを揺らがした。肉の焼ける臭いが辺りに立ち込める。術者のリアナを狙って数匹が襲い掛かるが、両脇に控えていた二人の神聖騎士の盾が阻み、返り討ちにする。
「あたいの戦い方は仲間の盾になり鎧になり仲間の刃で敵を駆逐する事だ。遠慮せずに使え」
「リアナ殿、下がって下さい。後は我々で片付けます」
アルディナルが術師達を庇うようにして盾をかざして進み出した。後ろではグラスとイリスが結界を張り渡して身を寄せ合っている。その脇で注意深く戦闘の流れを見極めていた流が、闘気を帯びた短刀を闇に光らせた。
「流れは完全にこちらへ傾いたかな。ここで一押しすれば終いか」
「黒崎はん、お供しますえ。――秘剣、一の太刀!」
それに更紗が続く。大上段からの袈裟斬り。流の付与した闘気を帯びた長巻が餓鬼の痩せた体を両断する。この程度の下級の魔物なら冒険者達の実力なら物の数分で片がつくとはいえ、アルディナル達が以前に訪れた時よりも格段に亡者達の数が多い。昼夜を問わず、一行は幾度となく不浄な魔物達との遭遇の危険に晒され続けた。
傘化けの群れ、釣瓶落しの潜む森、徘徊する怪骨やシビト――熟練の冒険者からすれば敵ではないが、それでもこうやたらと出没するのでは危険極まりない。遠物見であるグラスを始め、リアナや更紗、氷川と遠目の利く仲間達のおかげで大部分は回避できているが、このままでは消耗も大きくなる一方だ。
傘化けの群れ、釣瓶落しの潜む森、徘徊する怪骨やシビト――熟練の冒険者からすれば敵ではないが、それでもこうやたらと出没するのでは危険極まりない。遠物見であるグラスを始め、リアナや更紗、氷川と遠目の利く仲間達のおかげで大部分は回避できているが、このままでは消耗も大きくなる一方だ。
道々の集落を訪ねながら手掛かりを探るが目ぼしい収穫はあがらない。それでも地道に北上を続けていくと、また行く手の集落らしきものが見えてきた。
リアナがリトルフライを使って上空から窺うが、周辺に兵や民らしき姿は見当たらない。
「見たところ人気はないようですね、立ち寄って体を休めましょう」
村はやはり黄泉人の襲撃を受けて滅びていた。
聰が余りの酷さに顔をしかめた。
「――これは予想以上の荒れ具合だな」
そこかしこにある惨たらしい血の跡と破壊の痕跡が村を襲った悲劇を雄弁に物語っていた。家屋に残った刀傷を見ながら更紗が溜息をつく。アルディナルもそこから何か黄泉人勢力の規模などを類推できないかと期待したが、どうにも時が経ちすぎていた。
「あきまへんえ。これだけでは何ともいえんわ」
「残念です。せめて犠牲となった無辜の民のご冥福をお祈りしましょう」
近辺で見つけた村はどこもこうだ。住人達は残らず死に絶え、既に黄泉兵は引き払った後。今はただ廃墟が残されるばかりだ。見張りについていた流はその様を目に映しながら表情を暗くした。
そこへ村周辺を探ってきた斬が戻って来た。
「辺りにも敵の姿はないようだ。確認しておいた、間違いない」
「お疲れ様。そいつはありがたいな。どうやら今夜はゆっくり眠れるようだね」
「だとよかったのだがな。今夜は俺が不寝番の役なのでな」
斬が苦笑し、釣られて笑った流が肩を竦める。
その、瞬間。
廃村へ甲高い叫び声が木霊した。
イリスの声だ。駆け付けると、朽ちた家が激しい物音を立てて揺れている。その中でイリスが両耳を押さえてうずくまっている。その様を目の当たりにした氷川が思わず足を止めた。
「家鳴りか!」
すぐさまグラスが魔法を行使する。敵はポルターガイストだ。目を凝らせばうっすらと霧のような気配が感じられる。
「敵は一体だけや!」
「――――下がっていろ」
飛び込んだ聰が獲物の太刀を振るうと霧が大きく乱れた。身をよじるように靄のようなものが渦を巻く。そこへ駄目押しにクーリアが長巻を振り下ろした。霧が風圧で四散する。振り返ると、グラスが首を左右に振って見せる。どうやら仕留めたようだ。
「すみません、足を引っ張ってしまったみたいで‥‥」
「ううん、気にせんでええよイリスさん。いくらブレスセンサーでも呼吸してないもんは見つけようがないもんな」
村人の遺骸を捜して回ったイリスだが、村にはとうに朽ち果てた白骨が幾つか見られただけだった。遺骸の殆どはシビトとなって彷徨っているか、或いは野生動物や魔物達に食い荒らされたか。見つかったものだけでも丁寧に拾い集め、イリスは村の真ん中にそれらを葬った。
土をかけただけの酷く簡素な埋葬だが、今はこれが精一杯だ。
(「今は何かして上げられるような時間も無いですけど、せめて安らかに眠れる日が早くやって来ますように」)
首飾りを握り締めると、イリスは十字架を切った。
そうして冒険者達がしばしの休息につく中、那賀の土地を夜陰に紛れて蠢く影があった。
(「‥‥解せぬな」)
忍び装束に身を包んだ風守嵐(ea0541)の表情はだが、冴えない。那賀へ扇状に捜索の範囲を広げていく算段だったが、余りにも手応えがなさすぎるのだ。黄泉人達の活動割り出すどころかその姿すらも見当たらない。
(「常陸北部域は文字通り無人の野か。まさか黄泉人も残らず姿を消しているとはな」)
住む者は残らず滅び、黄泉人の姿すらもない。後には濃い瘴気が腐臭のように立ち込め、それに誘われたように不浄な魔物達が跳梁するばかりだ。嵐もまた何度もそういった魔物達を掻い潜りながら奥地まで侵入してきたのだ。
地道に書き込みを続けた地図も、黄泉人の非活動地域を表す斜線の引かれた地域ばかりが増える。廃墟となった集落もその圏域に置き去りのままだ。
重要拠点である水戸を失ったとはいえ、平らげた土地をなぜこうも簡単に手放す必要があるというのだ。
(「黄泉人め‥‥いったい何を企んでいる‥‥?‥」)
同じ疑問は、やはり単独で北部へ侵入していた榊原信也(ea0233)も抱いていた。
(「‥どうにも妙だ。何か嫌な違和感がする」)
確かにこの那賀は主要街道からも外れている。水戸城を狙うにしろ戦略的にはさほど価値はないが、そうだとして一度征服した土地を無為に手放す道理はない。なぜこうもあっさり北西部から手を引いたのだろう。
(「てっきり黄泉人は兵力を蓄えながらまた水戸を窺っているのだと思っていたが、何か他に考えがあるとしか思えないか‥‥面倒だな」)
水戸城からの残党の多くは街道を北へ敗走したという。今も多くの兵力が水戸の北にある石橋の宿場に駐屯していると聞く。だが水戸城を奪い返すでもなく、ずっと不気味な静観を続けているのだ。ここ数ヶ月は村が襲われたという話すら聞かない。進軍してくる気配は微塵もないのだ。
(「‥‥どちらにしろ答えはこの道の先か。なら、暴いてみせる。隠忍の名にかけてな」)
二人の忍び達に並行して険者一行も北へ偵察の手を伸ばし、北西部を南北へ緩やかに貫流する久慈川まで遂にたどり着いた。
期日を間近にして、斬の表情にも僅かに焦りの色が見て取れる。
「ここまでそれらしい黄泉兵の情報はなしか。このままむざむざ引き返す訳にもいくまい。許されるなら、単独ででも少し寄って確かめて置きたい所があるのだが」
「行くのなら揃って向かいましょう。このまま闇雲に動いても意味が無いですし」
「アルディナル殿、かたじけない」
金砂城に梵天古墳。出発前から目星をつけておいた二箇所にも、やはり黄泉兵の姿は見られない。攻め落とされた金砂城にしろ既に放棄された後だ。リアナが首を捻る。
「一体なぜでしょう‥‥黄泉兵が戦略拠点を手放す理由がどこに‥‥?」
上空から周辺を見回したが、黄泉兵の姿などどこにも見当たらない。スクロールに記した地図にも、書き込むのは周辺の地形図ばかりだ。氷川も木の上から見回したが手掛かりはまるで手に入らなかった。周辺を隈なく歩いて回った聰も戻ってきた。
残り日数を思うと焦りは禁じえない。
(「‥‥数ヶ月もすれば冬の到来。そうなれば調査も格段に難しくなる」)
冬場になれば通行のできなくなる道も幾つか出てくるだろう。今の内に広く那賀を見ておきたい。たとえ黄泉人の動向については手に入らずとも、獣道なども含めた地形など、出来得る限りを記憶して持ち帰りたいところだ。
(「いずれ北部領奪還のために水戸藩動けば必ずそれらが必要となるはず」)
梵天古墳へも足を運ぶが、同じようなものだ。既に破壊しつくされ、その上、汚泥に塗れて酷く汚されている。臓物と汚泥に塗れていた水戸城の有様を思い起こさせる。
「この悪臭、かなわんわぁ。はよ退散しましょ」
周辺まで腐臭が立ち込め、とても耐えられるものではない。手早く調査を終えると一行はすぐにその場を後にする。そのまま日暮れ頃まで距離を稼ぎ、手頃な森を見つけると一行は足を止めた。クーリアが駿馬のアンジュに積んでいたテントを下ろし、野営の準備を始める。その晩は氷川を不寝番に立てて休息を取るこことした。
たいした距離ではないが、方々を探りながらの道程のため思った以上にここまで時間がかかった。帰りの日数を考えれば、もって明日までだろう。
アルディナルが小さくかぶりを振る。
「隠密行動とはいえ、威力偵察の側面もあると考えていましたが‥‥長く滞在すればいずれ発見されるでしょうからいずれ一戦と思っていたのですが。思わぬ肩透かしですね」
「一応は敵の勢力下。早い段階で刺激を与えるリスクが回避できた訳ではあるけれどね」
苦笑まじりにいった流が、落ちていた木の枝を掴んで地面に常陸の勢力図を描いてみせる。
「城を奪い返され、南部からは手を引いた。その上、あっさりと北西部まで。その上で次に敵が手を打つとすれば、どうする?」
皆の顔を見回すと、聰が眉を動かす。
「黄泉の軍勢に関しては、不明な部分が多い。その総数が分かっていない以上、再び水戸が襲われる可能性も高いのではないか」
「そうかな。自分なら水戸への再攻撃は旨みが少ないと考えるだろう」
流が思案げに俯くと、言葉を継いでグラスが疑問の声を上げる。
「黄泉人の目的はなんなんやろな。京都で現れたんが水戸藩の領内に現れるんやし他で聞かん以上この地に目的がありそうやしな」
「目的、か‥‥」
斬が呟いた。
ふと、今日目の当たりにした古墳の荒らされようが脳裏をよぎる。そういえば金砂城の傍の社も徹底的に破壊しつくされていた。ここまでつけてきた地図を開くと×印が踊る。事前に目星をつけてきた社などのことごとくが、同じように汚泥に穢されていた。
「‥‥これじゃ、まるで‥」
イリスが表情を硬くさせた。察した聰が口を開く。
「どこか暮れの妖狐騒動を髣髴させるな」
九尾の狐とその勢力が江戸の主要な霊衝を破壊し、地脈の流れを狂わせようと暗躍していた事件があった。今の水戸の有様もどこか似たような臭いがする。しかし、センと呼ばれた妖狐がかつて画策したのは、地脈の流れを横切るように寺院や社を襲って血の穢れで地脈を切断するという呪術的風水的な意図に基づいた計画だった。常陸北部を手当たり次第に滅ぼし尽くした黄泉兵の行動からはそのような意図は見えてこない。
「そういえば神社や寺だけじゃなくて井戸や水辺も汚されとったな」
それにこの濃い瘴気。これが不浄な魔物達の温床となっているのは間違いなかろう。一体、この常陸国で今何が起ころうとしているのだろうか――。
「どちらにしろ、生きた情報を掴むには敵勢力の中心を見つけねば動きも見えないかな」
流が不意に小枝を放り投げると、地図をかき消して寝袋に身を預ける。黙って皆の話に耳を傾けていたリアナが、流に習ってテントへ向かう。まだ起きている仲間達を振り返って微笑んだ。
「明日はいよいよ最後です。今夜はゆっくり休みを取っておきましょう」
残された期限は一日。
仲間達に先立って久慈川を越えて進んだ信也は更に北部奥地へと歩を進めていた。那賀の更に北にある久慈郡は石橋から先の田後・小田・雄薩を経て奥州へ至る街道が走る。その雄薩の宿場で、遂に信也は黄泉勢力の姿を確認した。
(「‥‥ようやく見つけたぞ」)
夜陰に紛れて街へ潜入する。宿はやはり酷く汚されている。濃い瘴気はむせ返るばかりだ。宿場にはシビトや化け物達が至る所を徘徊している。黄泉人の兵の姿はあまり見られない。宿の中心にある屋敷がここの拠点らしい。中には十の黄泉兵の姿が見える。武装は刀や槍だ。
(「‥‥どうやら最低限の兵力しかおいていないらしいな。とすると、敵の主力はどこに‥‥?」)
水戸北域辺縁の兵力は余りに手薄すぎる。そんな印象だ。
それは地道に廃墟を確かめながら進んできた本隊の冒険者達も感じていたことだ。流達は久慈郡へ入りながらも慎重に歩を進めたが、街道へ行き当たっても大規模な敵との遭遇は一切ない。黄泉兵の巡回らしき影を幾度か見たきりだ。
(「やけに守備が薄すぎるな。黄泉人にとってこの地を守る意義がないとするなら‥‥」)
そこでふと、脳裏に既知の青年の姿が浮かぶ。
(「道志郎はどこまで進んだのだろうか」)
現在の那賀の地勢に詳しいであろう道志郎の意見を聞ければ大いに参考になっただろう。引き返して来たところは見なかったが、もっと北部へと侵入したのだろうか。魔物達に阻まれながら集落をつぶさに見て回った一行よりずっと先へ進んだのは間違いない。ひょっとすると近隣の集落を調査しているうちに行き違いになっただけかもしれないが。
その時だ。
街道に人の叫び声が木霊した。
「今の悲鳴は」
男の声だ。助けを求めている。更紗が馬の腹を蹴った。嘶きをあげて乗馬が街道を駆ける。宙へ飛び上がったリアナが街道の先に人影を見止めた。
「あちらです、誰かが魔物に襲われています」
男が二人、亡者の群れに囲まれている。それぞれに得物の刀や槍を携えて鎧に身を覆った亡者達。死霊侍だ。怪骨や死人憑きの姿も混じって見える。救出に向かった冒険者達へ向けて、死霊侍の弓手が狙いを定めた。今までの敵よりも幾分厄介だ。
降り注ぐ矢の雨にさらされて聰が眉を顰めた。
(「――まだ功夫が足らぬようだ」)
「敵を前に完全に自制できる程、まだ達観はしていない」
太刀の一閃が死霊侍の首を刎ね飛ばす。聰が先頭になって切り込み、それに遅れて氷川が群れの中へ突っ込んだ。次々に振り下ろされる刃を見切って身を躱わし、反撃を繰り出す。
「流石にそこそこ手応えがある‥‥黄泉兵どもの本拠が近くなってきてるのか」
「氷川殿、余り突出して囲まれぬように」
「ああ。深追いはしない。どっちみちこの数じゃ受けようにも手数も足りないしな」
流の援護を受けながら氷川が敵を蹴散らし、その隙にアルディナルとクーリアがイリスの施した加護に守られて男達の下へ到達する。すぐさまイリスとグラスによって結界が張られた。
「もう安心や、ウチらが助けたるからな」
一行を囲む亡者の数は単純に倍以上。二人へ襲い掛かる敵を更紗が待ち受ける。「秘剣 一の太刀」から転じて、閃光の逆袈裟。霊刀が唸りを上げる。
ふと天を仰ぐと空に異形の影が舞い寄り始めている。異様に痩せ細った鷹のような姿。その首はひょろ長く伸び、落ち窪んだ目はギラギラと光っている。以津真天だ。敵の反応が早い。下手をすれば近くの拠点に詰めた黄泉兵どももこちらに気づいたかもしれない。
斬がエスキスエルウィンの牙を抜いた。
「援軍が来られると厄介だ。全滅させる!」
執拗に四肢を狙う攻撃で敵の動きを封じる。事前の取り決めでは、敵の感触を掴めたら深追いせず退く手筈。その意図を汲んでアルディナルが退却の号令を放った。
「不破さん、承知した。リアナさん、お願いします」
足手纏いの村人を抱えながらのこれ以上の偵察は不可能。退いて体勢を立て直す他ない。すぐさまリアナが雷撃を放ち、強引に退路をこじ開ける。敵の意表を突いた転進でグラスのホーリーライトが道を開き、そこを仲間達が駆け抜けた。
退却した一行はそのまま休むことなく駆け、久慈川を渡って再び那賀へと引き返した。怪我人へは魔法の使い手が治療を施し、助けた二人の村人もグラスの魔法により亡者でないことが判明した。
「そうでしたか。あなた方が道志郎さんの従者の方々でしたか」
2人は道志郎に雇われたという那賀の村人達。いずれも江戸大火の難民で土地を求めて流れて来た者達だという。
「那賀の道に詳しいし、ついてくだけで大金をくれるっていうから。確かにこっちまで来る間は魔物の群れもうまくかわしてこれたけどよ」
「でも久慈まで入ったら辺りに亡者どもがうようよしてて‥‥あのままついてったら命がいくらあっても足りねえよ」
数日前、この街道を黄泉兵らしき一団が南へ向かって進んで行ったのだという。身の危険を感じた二人は、それで金だけ貰って2人は道志郎と別れたのだそうだ。道志郎は乗馬と共に更に久慈郡奥地へと進んで行ったという。
アルディナルが表情を暗くした。
(「もし会えたなら団長のことを伝えようと思っていたのですが」)
道志郎とは旧知である陸堂に頼まれ、この暮れにも子どもが生まれることようと思っていたのだが。
斬が訝しげに問う。
「しかし、なぜ道志郎は単独で久慈へ」
それに村人は顔を見合わせるとやがてこうこう答えた。
「噂だよ」
「‥‥常陸のどこかに、今も黄泉人に攻められながらもまだ生き残ってる集落があるらしいって噂が」
殆ど与太話の類でしかないが、道志郎はこの地で何かを掴んだのかもしれない。
思い出したように村人は一通の文を手渡した。
「そうだ、お侍さまからこれを預かってて」
イリスがあらためると、それは冒険者ギルドへ宛てた手紙のようだ。
(「道は人を導くもの。道志郎さんが行こうとしている道はいつもとても険しくて、まだ道ですらないのかもしれませんけど‥‥」)
その歩みは彼一人で進むにはいつも恐ろしく険しい。
だから、助けが必要なのだ。
一行は確かにそれを受け取ると、ギルドへ持ち帰ることを約束し、帰路へついた。
その夜。
那賀のとある廃村。そこに久慈から引き返してきた信也の姿がある。
人目を避けるように辺りを警戒しながら、彼は村社へと入っていった。それを呼び止める声がある。
『老兵の託せしは‥‥』
「‥2尺6寸の忍者刀。‥‥いや。隠の名だな」
返答を確認すると、声の主は続けた。
『黄泉人の前線基地は地勢的に見てもやはり石橋付近と見てよいだろう。だが水戸を窺う気配がない。主力がどこかは判然とせぬな』
姿は見えないが嵐の声だ。
「雄薩の街を見てきたが、俺も黄泉人の動きには疑問を感じた」
俯き加減に信也が口にした。黄泉兵の動きは常陸国を征服するためとは捉えにくい。では、その目的は‥‥。
『まだ調査がいるようだな、信也。またいずれ。仲間達は無事に帰路へついたようだ。久慈で小規模の戦闘があったが大事には至っていない』
それだけ言い残すと嵐の気配が消えた。信也もまた帰路へと着く。
その数日後、無事に水戸へと帰還した仲間達は、リアナとアルディナルの作成した報告書を水戸藩へ提出し、依頼を完遂した。道志郎から預かったという書状がギルドへと届けられたのは、更にそれから数日の後のことであった。