【騒乱】領主家が描く未来、そして。

■ショートシナリオ


担当:蓮華・水無月

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 15 C

参加人数:3人

サポート参加人数:1人

冒険期間:12月22日〜12月27日

リプレイ公開日:2009年12月29日

●オープニング

 それは誰も知らない彼女と彼の会話。

「お前との約束を果たす時かな」

 あの時、彼の言葉に胸を痛めながら彼女は頷いた。覚悟は出来ている。後悔もしていない。でもただ一つ、あの人を悲しませる事が辛くて。
 だが父は、リハン領主はそれに捕らわれる事なく、約束の言葉を告げた。だからインディは顔を伏せ、その言葉を待っていられた。もしここで躊躇うような人なら、インディはあれ程辛くはなかっただろう。

「宜しい。お前はもはや永遠に私の娘ではない」

 その言葉に、ありがとうございます、と彼女は深々と頭を下げて、そのままクルリと背を向けた。きっと悲しそうな瞳をしている父を見たくなくて。





 イングレッド・ロズミナ・カートレイドとその騎士トラウスがリハン領転覆を図った咎で捕らえられて、もう一月になる。その間、ロズミナ派の過激な貴族連中が密かに領主代理達が集めていた謀反の証拠を突きつけられて降格や当主交代を命じられたり、忠誠の証として幾許かの金子や上納品を納めたり、さまざまな事が慌しく動き。
 今日も、何とか見逃して貰おうと袖の下を渡しにやってきた小領主家に、今や正式に領主代理となったリーテロイシャ・アナマリア・リハンはにっこり笑顔で宣言する。

「貴方がトラウスに便宜を図っていた事は判っているのだわ。せめて最後ぐらい、見苦しい事はお止めになったら良いのだわ」

 その言葉に男は顔を赤くして『この小娘が』と毒づいた。それを不敬と判断し、領主代理補佐ユークリッド・ハーツロイ・リハンは腹心の部下ガハルに命じて『穏便に』お帰り頂く。
 そうしてから、リーシャをそっと振り返った。

「やり過ぎは良くないよ、リーシャ」
「そうね‥‥でも、リッド異母兄様にも判ってるはずなのだわ」

 返された異母妹の言葉に、そうだね、と肩をすくめる。すくめ、窓の向こうに見える父の居室を眺めやる――インディが捕縛されて以来、珍しく女歩きもせずに居室で過ごしている父の姿を、思う。
 昨日もキシュレーゼ・ミスティカがリッドの元に、他にやり方はなかったのか、と聞きに来た。シューに『計画』を教えては居ないはずだったが、母か義母が教えたのだろう。
 なかった、と告げるとシューは悲しそうな顔になり、異母姉様達は大人なのね、と呟いた。嫌味だと判っていて、そうだね、と頷いた。

「判ってるはずなのだわ。『計画』をやり通す事が、インディ異母姉様の望みだって」
「勿論判ってるよ」

 領主代理の仮面の下から、ほんの少し本音の表情を覗かせたリーシャにだから、その言葉を繰り返す。インディと、リーシャと、リッド。これはすべて、3人で立てた『計画』だ。
 覚悟はあるかと聞いて、彼女はあると言ったのだから、やり通さなければ逆に怒り狂うだろう。インディに怒られるのは昔から、誰に怒られるよりも恐ろしかった。
 だからだ、と言い訳する。言い訳し、きっと嘆き悲しむだろう、けれどその時がくれば平静を装ってリハンの為にそれを宣言するだろう父を思う。
 リハン領主家の転覆とリハン領簒奪を企んだ罪で捕縛されたイングレッド・ロズミナ・カートレイド。その手足となったとされる騎士トラウス・シュペリエル。
 次期領主襲撃、次期領主代理拉致及び領主家脅迫、領主家の末の弟妹達の誘拐――『ロズミナ派にこれらを指示し幾度も領主家を揺るがした』2人にはもう、処刑の命令が下っている。





 母親達は向き合って、死を宣告された娘の事を思っていた。彼女が次期領主から外れた日を、リーシャが生まれたその日の事を思っていた。

『次期領主は嫡子のリーシャ様がなられるべきです』

 幼いインディの手を引いて、そう最初に主張したのはインディの実母アーガインだった。

『それが正しい道筋です。どうか‥‥』
『いけないわ、アーガイン。私の子はインディの妹ではないの。姉を差し置いて妹が立つなんて――そうだわレトナ、貴女の御子は今リハン侯爵家の唯一の男児。リッドが次期領主となるべきだわ』
『とんでもありません! 私のような身分のない女が産んだ子が次期領主など‥‥ッ』

 母親達は互いにそう主張しあい、自分の子以外の誰かが次期領主たるべきだと訴えた。それはそれぞれに正当性のある言葉で、もはや本来決定権のあるはずのハロルドの事など置き去りにして白熱し。

『なら、こうすれば良いわ』

 当時から家庭教師達に、次期領主たるにふさわしい才覚をお持ちだと誉めそやされていた幼いインディが、その争いに終止符を打った。彼女が告げた言葉にハロルドは深く頷き、だがそれで良いのかい可愛いインディ? と娘に確かめて。
 それが良いと、インディは言った。一先ずはその意見を入れてインディを次期領主より外し、リーシャを次期領主に、リッドをその補佐にと仮に定め、2人が長じて母親達はそれぞれの子に改めてインディの言葉を繰り返した。繰り返して同じ様に確かめた――それで良いかしら? と。
 悲しいかな、彼女の子供達も必要以上に聡い子供だった。2人は迷わず、インディ異母姉様の言う通りにするのが一番良いと思う、と頷いた。
 その事を――母親達は、思う。

「私達は間違っているかしら?」
「ええ、きっと」

 バーバラの呟きに、レトナは深く頷いた。彼女達がこれから為そうとする事は、3人の子供達が進めてきて、ハロルドが認めた『計画』を根底から覆そうとする事だから。
 だがせめて、今くらいは愚かな母親になっても良いだろう。リーシャもリッドも守ってくれる相手は幾らでも居るけれど、インディを守れるのはきっと、彼女達だけなのだから。





 そっと、領主屋敷の町アレンタを抜け出していったハロルドの妻達の使者を、レニとガハルは静かに注意深く追いかけ始めた。必要とあらばどんな手段を持ってでも止めるように、と彼らの主からは言明されている。
 だが、それは必要がなければ止めなくても良い、という事。

「インディ様救出依頼――成功しますかね」
「さぁ。我らはリッド様とリーシャ様のご意向に従うだけだ」

 2人は公に姿を見せる時、常に領主家として動く。だが彼らの元にやって来てのその命令を下した2人は、ただのお転婆娘と乗馬好きの若君だったのだから。
 立場があるというのは難しいものだと、ため息を吐き合った男達は揃って無意識に胃の辺りをさすったのだった。

●今回の参加者

 eb6105 ゾーラク・ピトゥーフ(39歳・♀・天界人・人間・天界(地球))
 ec4427 土御門 焔(38歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 ec6278 モディリヤーノ・アルシャス(41歳・♂・ウィザード・人間・アトランティス)

●サポート参加者

ルエラ・ファールヴァルト(eb4199

●リプレイ本文

 冒険者ギルドに持ち込まれた内密の依頼。それは、これまでにリハン領主家から出された依頼とは若干、傾向が異なっていた。
 これまでもリハン領主家は、領主家の人間の身の安全であるとか、幼い弟妹のささやかな日常であるとか、そう言ったものを守って欲しいと依頼してきた。そう言う目で見るならば、リハン領主家の長姉イングレッド・ロズミナを救出して欲しい、という依頼は別段、奇異なものではない。
 だが。救出対象であるインディを捕らえているのは、当のリハン領主家。それなのになぜ今更、リハン領とリハン領主家を揺るがせた事件の犯人であると自ら認めた、インディの救出を依頼されるのか?
 考えた所で無論、モディリヤーノ・アルシャス(ec6278)にその答えが解るわけではない。だが思う所ならば、ある。

(家の掟、決まり‥‥という事、かな)

 内密の依頼主であるリハン領主家の2人の母親、バーバラ・ドラーナとレトナはその辺りの詳しい事情を使者にすら説明はしなかった。だが使者は、奥様達は領主夫人ではなく母君として、何としてもインディ様を救いたいと強くご希望です、と話していたと言う。
 その言葉から思い付いたのがそれだった。インディが捕縛され、処刑される事はすべて、リハン領主家の決まりや掟によるものなのではないか、と。
 そう考えたのは彼自身にも覚えがあるからで。もしそうだとするならば尚更、インディを救いたいと願う人たちの力になりたい。
 アレンタまで移動に乗ってきた戦闘馬を宿屋に預け、郊外まで再び移動する。アレンタ自体は小さな町だが、領主屋敷をその中核に擁している以上、インディが監禁されている館はもちろん、領主屋敷が一望出来るような、つまりはいつでもそこから矢を射込めるような場所は、町中には存在しない。
 故に唯一領主屋敷を一望出来る郊外の高台から、土御門焔(ec4427)はテレスコープとエックスレイビジョンを駆使して、インディの居る館の様子を探っていた。

「イングレッド様は館の3階の一室に閉じ込められて居ますが、部屋の見張りは1人だけです。1階にも男性が1人、こちらは出入り口と庭に面した窓に2人ずつ見張りがついていますが」
「トラウス様、でしょうか‥‥随分物々しいですね」

 焔の言葉を聞き、ゾーラク・ピトゥーフ(eb6105)はつ、と眉を潜めた。とはいえ、トラウスは冒険者仲間でもある手だれの女騎士と決闘し、数合も渡り合ったほどの実力の持ち主だ。
 今回、トラウスは救出対象には入っていない。だが見張りが居る、というのはこちらの依頼遂行の邪魔になる可能性がある。
 焔もその可能性を考え、彼女が見たものをさらに詳しくファンタズムで再現し、ゾーラクとモディリヤーノに見せた。そこから屋敷の間取りを考え合わせるうちに、次第に難しい顔になる。
 今回、隠密行動などに長けた冒険者が居ない、というのも大きなマイナス要因だ。こうなると出来るだけ人目に付かないように移動するしかないが、その人目に付かない場所が見た限りは存在しない。
 となれば、また別の手段を講じなければならない訳で。

「恐らく『強奪』にはゾーラクさんのムーンシャドゥが最適と思われます」

 焔がチラ、とゾーラクの方を見ながらそう提案した。月光の影がなければ使用できないという制約はあるものの、ムーンシャドゥは月の影から影へと空間を移動する魔法。その間に居る物理的な監視は問題にはならない。
 そうですね、頷きゾーラクも空を見上げる。今のところは、雲らしい雲はない。この天気が続いてくれれば良いのだが。

「いずれにしても、私に今後のイングレッド様の身の振り方についても案がございます。何としても説得しましょう」
「うん。僕は見張りの気を逸らすお手伝いをするよ」

 申し訳なさそうに言いながらモディリヤーノも、出来る限りの事はする、と請け負った。すでにウィルを出発する前に、冒険者ギルドでこの依頼を受け付けた担当者から、依頼代理人の様子や尾行などの様子を聞きこんできた――が、その結果は特に目立ったものはなかった。依頼代理人はあくまでこっそりと内密にギルドを訪れたのであり、くれぐれも他言は無用に願う、と酷く念押ししていた位か。
 こういった内密の依頼であれば、それは特に不自然な所ではない。辺りを気にする様子も内密の依頼であれば珍しくないので、担当者も特に気にはしていなかったとか。
 ならばまだ、こちらの動きはあちらにはバレていない、と考えるべきだろう。インディの見張りが手薄なのも、恐らくはそれゆえで、付け加えて推測するならインディ自身に抵抗する素振りもないということか。
 ステインエアーワードでも特に反応がなかった事も加えて報告すると、ありがとうございます、とゾーラクが微笑んだ。焔がボソ、と呟く。

「お話を聞く限り‥‥その、イングレッド様の説得が一番、困難に思えますが」

 それでも救出を望む人が居る限り、インディ自身の意思すら関係なく、まずは無事に彼女の身柄を確保する事。きゅ、と冒険者達は唇を噛み締めた。





 隠密行動はそもそも、余り多くで動くのは好ましくない。元々の人手が少ない事は確かだが、少数精鋭という言葉もある。
 焔の魔法で館内のある程度の状況は掴めたが、それでもまずは準備に万全を期してから、と焔はテレパシーでゾーラクとモディリヤーノの伝達を支援する事にした。その間に2人が周囲の様子を調査して回る。
 依頼代理人はギルドに対し、領主代理の異母兄妹には見つからぬよう警告した。異母兄妹は揃って聡明で、例え冒険者達がどんなに言葉を尽くして弁解しても恐らく、その真意を見抜いてしまうに違いない、と。
 また依頼代理人は、同様に注意すべきは異母兄妹の腹心であるレニとガハルだ、とも付け加えた。異母兄妹の意志を汲み取りその意志に忠実に行動する彼らは、まさしく異母兄妹の分身だ。
 だがしかし。

「思いっきり居ますが」
「居るね‥‥」
「これでは下調べもままなりません、ね」

 インディが閉じ込められている館について、少しでも情報を集めようと領主屋敷に近付いた時点で、すでに2人はそこにいた。どうやら、目的の館の防備等の指揮系統を取っているのはこの2人らしい。
 彼らを説得出来れば、或いは。だが依頼代理人からは要注意の太鼓判を押されている。
 考えた末、焔がリシーブメモリーを使って彼らの思考をまずは探ってみることにした。だがリシーブメモリーはその瞬間の思考を読みとる魔法。こっそり探るのでは思考を誘導する事も出来ず、幾度かの魔法はレニとガハルが考える今日のご飯や防備体制や部下から聞かされた愚痴どうしようとか、そんな他愛のない思考を読み取るに終わった。
 そんな風にアレンタ入りの1日目が過ぎ去り、2日目の朝になって、ようやくその機会が訪れた。レニとガハルが、偶然冒険者が泊まっている宿が併設している食堂に朝食を取りに来たのだ。
 焔はすかさず耳を澄ませ、それらしい会話にさしかかると思考を読み取ろうとした。だがやはり上手く行かず、モディリヤーノがやむなく彼らに声をかける。このまま膠着していたのでは、なにも出来ないまま終わってしまう。

「レニ殿、ガハル殿」

 モディリヤーノの事は2人もよく知っていた。おや、といささか大きく目を開いて驚きを表現した彼らに、実は昨夜到着して、と話を切り出す。
 タイミング良く運ばれてきた煮込み料理を見るともなく見ながら、今日はお伺い出来るだろうか、と問いかけると、当然彼らは首をひねった。

「領主代理にご用事ですか?」
「そうなるかな。実は幾つか、伺いたい事が出てしまって」

 そう言うと、おやどう言ったご用事でしょう、と2人の顔にほんの少しだけ意外そうな色が浮かんだ。その理由を考えながら、モディリヤーノは話す。
 魔物に『操られた者』に対しての処罰について。モディリヤーノが関わる別の件で、魔物に『従った』青年は秋頃、死刑以上に軽い刑は与えない、と領主と領主代理によって宣告された。だがその死故にカオスの魔物につけ込まれ、新たにカオスの魔物に『操られた』女性の事件に、彼はまた関わっていて。
 同じリハンの領民である彼女にはどんな処罰が下されるのか。それが気になっていたのは、本当の理由だ。
 だがモディリヤーノが話しかけた理由は、それが本題ではない。

「あと、イングレッド様、お子さん達の様子が気になって」
「インディ様、の」
「お子様達、ですか」

 レニとガハルが顔を見合わせた。その瞬間を焔は逃さず、リシーブメモリーを発動する。おそらく今まさに、インディの事に思考が向いた瞬間。
 『救出』『冒険者』『奥様方の』。そんな単語が断片的に彼らの心に浮かび、消えた。それは警戒と言うよりは、やはり、という感情の伴う思考だ。
 それを焔はテレパシーでゾーラクとモディリヤーノに伝えた。そして考える。彼らは味方となりうるのか、或いは警戒すべき敵なのか。
 あちらも領主代理の奔放すぎる陰に隠れているものの、領主代理の腹心たるにふさわしい実力は兼ね備えている。すぐに内心を顔に出す事なく、それはありがとうございます、とまずは笑みを向けた。

「インディ様は領主家の館の一室で、心静かにお過ごしです」
「もうお聞き及びでしょうが、インディ様は今回の罪をすべてお認めになり領主家より勘当の身となりました。来月には処刑される事になります。リハンを揺るがし、実の父をも手に掛けようとした罪は軽くありません」

 その事実はすでに、アレンタの町の至る所に立て札でふれられている。字が読める者は少ないが、立て札の側にはそういう者のために立て札を読み上げてやる者が置かれていて、今やアレンタの町でインディ処刑の事実を知らぬ者は居ない。
 だが。

「焔さん、モディリヤーノさん、人払いをお願い出来ますか? ‥‥レニ様とガハル様に、折り入ってお話があります」

 ゾーラクは今が頃合いだと判断し、仲間に食堂の人払いを頼んだ。これは誰かに聞かれてはまずい計画だ。
 何でしょう? と2人が顔を見合わせる。そんな男達に、人払いが済むのを待ってゾーラクは、率直に言葉を述べた。すなわち自分達が実は、インディを救出して欲しいという依頼を受けてこの場にいるという事を。
 レニが軽く目を見張った。ガハルがわずかに体を動かす。

「なるほど。ですが当のインディ様がご了承されると思いませんが?」
「インディ様は罪を認め、償う事をご希望です」
「ええ。ですからイングレッド様の説得が必要ですが、私に一つ案がございます」

 ゾーラクは手の内のカードをすべてさらけ出す覚悟で、2人にその『案』を告げた。最近自分がとある場所に領地を賜って領主となった事、だが彼女は冒険者であり、医師でもあるが故に領地に常駐して運営するのが難しい事。
 故に彼女は考えていた。自分がいない間、自分の代わりに領民達の面倒を見る手腕を持つ人物が居ないだろうか、と。
 それは彼女に従順なだけであってはならない。彼女に物おじせず批判し、時代に沿った適切な意見を述べて、彼女が誤ったことをしようとしたら正してくれる、そういう人物でなければならない。
 インディは、その意味でかなりの部分、彼女の求める優秀な人材であると言えた。元々は次期領主としてふさわしい教育を受けていて、異母妹とは言え現在の次期領主を叱り飛ばすだけの度量を備えた女性。
 彼女を是非、自分の補佐として自領に引き取り、自分が不在の間の領地運営を任せたいと、ゾーラクはレニとガハルに訴えた。

「イングレッド様ならば必ず領民達を幸せにできると信じています」

 そう、強い言葉で締めくくられた言葉に、当然ながら言われた2人は戸惑いの表情を見せた。インディを匿い、いわば領主代理としての権限を与えるという新米領主の意志を計りかねた、と言うのが正直な所だ。
 だが、彼女がインディを救いたがっていると言う意志は、この上なく伝わってくる。それがインディへの好意によるものだ、と言うことも。
 だから2人はしばしの沈黙の後、解りました、と頷いた。

「私も四六時中、インディ様のご様子を伺っていられません。何しろ今夜こそ、リーシャ様に溜まった書類を片付けて貰わなければなりませんので」
「そうそう、そろそろ見張りの兵達にも酒でも出して志気を上げてやらねばなりませんな。リッド様にお願いして、今夜にでも考えてみますか」

 2人は口々にそう嘯いて、この事は内密にお願いしますね、と白々しく冒険者達に口止めした。その意図を分からぬほど愚かではない。もちろん、と頷いた冒険者達に、今夜は晴れるようですよ、と笑ったレニは、ふとモディリヤーノを振り返る。
 先ほどの話ですが、と言われて一瞬考え、魔物に操られた者の話の事だと気がついた。レニが真面目な顔でそうです、と頷く。

「我がリハンでは、いかなる場合においてもカオスの魔物に関わった者には死罪が適用されます」
「‥‥ッ、それが本人の意思ではないのに‥‥?」
「領民を守る為です」

 ご理解下さい、と次期領主の忠実な腹心はその言葉を告げた。

「リハン領は広大ですが、それ故に多数の小領主がひしめき、束ねる為に領主家は細心の注意を払っています」
「カオスの魔物は脅威です――リハン領主家はリハン領と領民を守る為に、より少ない犠牲を払う事を選ぶでしょう。それが例え誰であっても」

 それがリハンのやり方ですから、とガハルもまた肩をすくめ、何もなかったかのように食堂を出て行った。それを見送った食堂の主が、レニ様とガハル様がここらまで足を伸ばされるなんて珍しい、と首を捻る。
 その言葉に、つまり結局気付かれていたのだ、と冒険者達は顔を見合わせ、ため息を吐いたのだった。





 領主家の腹心達が告げた通り、その日は良く晴れた、月精霊の光が眩しくすら感じられる夜となった。まったくの隠密行動であれば作戦決行には不向きな夜だが、ムーンシャドゥで移動してインディ救出を試みる冒険者にとってはまさに、精霊の恵み、竜の采配とすら言える好天だ。
 いざという時の為、焔だけが同行することにする。レニとガハルが言ったとおり、この場合の最大の懸念はいかにしてインディに逃亡の承諾をさせられるか、だ。こっそり忍び込んでいる以上、余り長居は出来ない。といって『助けに来ました』『ありがとう』で話が済むほど、事態は単純ではない。
 インディはリハン領転覆と実の父たるリハン領主、さらに異母弟妹の命を狙った罪にとわれ、そして自らそれを認めているのだ。事実関係は別として、現にその場に居た冒険者の目から見てもインディが、命乞いや抵抗のそぶりを見せた様子はなかった。
 ならば、連れ出すのは強硬手段になる可能性が高い。そのために焔が同行し、いざという時にはインディを魔法で眠らせてでも連れ出す。繰り返すが、この救出劇にインディ自身の意思は関係ないのだ。
 打ち合わせすらした訳ではなかったが、領主家の腹心達は言葉通り、夜半になると彼らの主を仕事に追い立て、或いはたまには一緒に兵士どもを労ってやって下さいと言葉巧みに誘い出した。それを待って、人々のざわめきが少なくなったのを改めて確認して、月の光で生まれた影の中に身を沈めたゾーラクと焔を見送り、モディリヤーノは祈るように領主屋敷の塀の向こうを伺う。
 いざという時には外から見張りの気を散らす事を彼は買って出た。いくら魔法での移動になるとは言え、隠密での行動に長けていないものが何人も動いては見つかる可能性が高い。それにレニとガハルは、完全な人払いを約束してくれたわけではないのだ。
 そんなモディリヤーノに外を任せ、侵入組はまずは館の内部へと移動した。ムーンシャドゥの魔法で一気にインディが囚われている部屋まで移動する事は可能だったが、それは無謀の極みだ。一つ、見張りがその時に限って部屋の中に居ないとも限らない。もう一つ、突然部屋に現れた冒険者達に、当のインディが驚いて騒ぎかねない。
 ゆえにまずは部屋の外の少し離れた場所に現れて、焔が部屋の前の見張りを慎重にスリープで眠らせた。辺りに他の見張りは居ない。
 それを確認した上で、礼儀正しく扉をノックする。

「どうぞ」

 中から返って来たのは、実に落ち着き払った女性のものだった。疲れた様子すらなく、ただ静かだ。
 それに微かな感心を覚えながら、ゾーラクはひとまず見張りの姿勢を整え寝かせた焔と共に、インディの部屋へと滑り込んだ。そこに居る、さすがに身につけているものは些か粗末になってはいるものの、結い上げた髪にすら乱れのない、ピンと誇り高く背を伸ばした貴婦人と対面する。
 インディの瞳が驚きに見張られた。だが疑問が口をついて出る前に、す、とゾーラクが進み出る。

「お久しぶりです、イングレッド様」
「‥‥確か、リーシャとリッドが懇意にしている冒険者、でしたね。このような夜分に、何の御用ですか」
「あなたを助けたい人の願いで、こちらに参りました」

 補足するように告げた焔の言葉に、インディはだが驚かなかった。静かな顔でため息を吐いて、お引取りを、と首を振る。

「あなた達にそれを願った誰かにもお伝えなさい。私は罪人で、もはや領主家の縁者ですらないただの女です。領主より死刑を賜った罪人を救い出しては、リハンの規律が乱れます」
「ええ、けれど――私達はイングレッド様を無事にお連れするよう、依頼を受けていますので」
「‥‥人を呼びますよ」

 インディは冒険者の目を見据え、しっかりした低い口調で宣言した。それでも引かないと見るや、すぅ、と息を吸い込む。
 やはり、と焔はすかさず高速詠唱でスリープを唱えた。ふ、とインディの視線が泳ぎ、ガクリと膝が崩れる。それをすかさず抱きとめようとして、ゾーラクは若干バランスを崩し、インディともども床に転がった。力の抜けた成人女性1人を支えるのは、結構重労働だ。
 ガタン、といすが音を立てて転がる。ハッと息を呑んで辺りの様子を伺うが、すぐに走ってくる見張りは居ないようだ。
 ゾーラクと焔は協力し、2人がかりでインディの身体を抱きかかえて窓辺の、月精霊の光によって出来た影まで運んだ。ムーンシャドゥを唱え、その中へと身を躍らせる――まずは事前に確認しておいた、人目につきにくいポイントへ。
 しばらくして、物音を聞きつけた兵士が駆けつけ、インディが姿を消した事を発見して呼子笛を鳴らした。それに、ガハルとリッドの酒を受けて盛り上がっていた兵士たちも、俄かに厳しい顔つきになって慌しく動き出す。

「リッド様はどうなさいます」
「うん、まずは父上とリーシャに報告しなければね」

 頷いたリッドに付き従うガハルの声までもを詳細に聞き取って、さて、とモディリヤーノは月精霊輝く夜空を見上げた。頃合的には、こちらに注意を引き付ける必要はなさそうだ。そう判断し、念の為辺りを見回して尾行を警戒しながら、待たせておいた軍馬の背に飛び乗る。
 慎重に回り道をする為、まずは目的地とは反対側に駆け出した冒険者の背を、館の中から見つめる4つの瞳があった。

「‥‥インディ異母姉様は『姿を消した』のだわ」
「なるほど。リーシャ、お前は次にどう動く?」
「まずリッド異母兄様から報告を受けて館内を徹底的に調査、同時に逃亡の可能性を鑑みてレニに命じて追捕の兵を放つのだわ。アレンタの出入りには見張りを置いて、それでも見つからなければ領内に指名手配。ウィル中央にも協力を請う使者を送るのだわ――インディ異母姉様ならそうなさるのだわ」
「そうだろうね。私の可愛いインディは優秀な娘だった」

 父の言葉に、むぅ、と領主代理の娘は唇を尖らせた。だがそれは、インディを高く評価する父の言葉が不満だったからではない。

「ハロルドお父様なんかより、私やリッド異母兄様の方がずっとずっと、インディ異母姉様を大好きなのだわ」

 インディ異母姉様は私達の自慢の異母姉様なのだわ、と。呟いた少女の言葉はそこで途切れ、ふ、と表情を切り替えた。異母姉を慕う異母妹から、罪人を追う領主代理に。
 領主ハロルドの部屋をおとなった領主代理補佐リッドが、インディの逃亡を報告する。それを聞き、チラ、と領主に視線を向けて、領主代理リーシャは揺ぎ無い口調でイングレッド・ロズミナの捜索を命じたのだった。





 目的地の見張り小屋までを一気に、空飛ぶ絨毯で駆け抜けた。途中、目覚めないよう何度かスリープをかけなおし、追っ手にも見つからずに郊外まで抜け、そこからまっすぐ見張り小屋まで。
 そこで待っていた領主家の2人の母親達は、眠るインディの姿を見るや、ほっとした顔になって、それから喜びを噛み締めるようにインディの髪をそっと撫でる。どちらもインディとは血の繋がりのない母親達だったが、彼女達がインディを娘として心底案じていた事は、その仕草から明らかだ。
 遅れてやってきたモディリヤーノが、領主家から追っ手の兵が出てアレンタを封鎖している旨を告げた。だがまだ、郊外まで捜索の手は伸びておらず、当面はアレンタの町の出入りを警戒するらしい。
 素早い動きに、バーバラ・ドラーナとレトナがそれぞれ口々に、我が子と夫を罵った。ちょっと目が本気だ。母親と言うのは基本的に、我が子を守るために常識外れな事もする事があるが、それにしたって義理の娘の為に我が子に文句をつける母親達、どうなんだろう。
 その空気に気付いたわけではなく、単に魔法の効果が切れて、インディが微かに瞼を震わせた。寝覚めは良い方らしく、パチッ、と瞼を開けて瞳だけを動かし、それから身体を起こして辺りの状況を把握する。
 まずは彼女を連れ出した冒険者達を見て、今1人のやはり顔を知る冒険者を見て。最後に『起きたわ!』『ええ、起きましたわ!』と手を取り合って喜ぶ義母達を見て、インディはようやく事態を把握してため息を吐いた。
 冒険者への怒りなど端からない。彼らは、言い方は悪いが依頼を受ければ良し悪しや結果はさておき、その成功のために尽力をするのが仕事である。少なくともインディはそういう存在だと理解していて、ならば自分の救出を頼まれたという彼らを怒るのは間違いだ。
 だからインディが視線を向けたのは、最終的に義母達だった。

「なぜ、こんな事をなさったのです?」
「それは勿論インディ、貴女を助ける為よ」
「そうですわ、インディ様。亡きアーガイン様だってこんな事、本当はお望みではなかった筈です」
「お義母様達‥‥これはリハンの為です」

 リハン領は広大で、だがそれゆえに小領主が常にひしめき合い、代々の領主はその調整と把握に腐心していた。リハン侯爵家が一手にその権力を握るにも、領土は広大過ぎてままならず。
 領主に立つという事は、それらの小領主達をまとめ、胃の痛くなる様な思いをし、時に泥を被り、それでも領民がもっとも幸いになれる一手を常に模索し続ける事。そしてハロルドが妻にと選んだ女性は皆、そんな境遇に我が子を置きたいとは望まなかった。
 それが最初の始まり。言い争う母親達を見てインディはあの日、考えた――誰もが領主になる資格があるならば、それを利用して一芝居を打ち、リハンをまとめる要にすれば良いのだと。
 インディは領主になりたいと願っていたわけではない。ただ物心ついた時から領主としての教育を受けてきて、小領主達の争いと弊害を見つめてきた。苦しむのはいつも領民なのだ。

「誰もが領主になれる立場に居て、誰もが領主になる為の決定打を持たないからこそ、小領主達は派閥に分かれ、争い、暴走を始めました。結果としてトラウスが私を領主にする為に暗躍を始め、領内の膿は私の下に集まりました――私が生き残れば残党が良からぬ望みを抱き、再びリハンは乱れるでしょう。お義母様達、これは私の望みなのです」
「だとしても! だとしてもインディ、私は貴女の母親だもの。もう二度と会えないかも知れないのです、最後くらいお母様達のお願いを聞いてくれても良いでしょう!?」
「インディ様、母は例えどんな事があっても、子に生きていて欲しいと願うのですわ。インディ様とて、生きて欲しいと願ったからこそ、トール様達を『計画』からお外しになったのでしょう?」

 レトナの指摘に、インディはハッと虚を突かれた様に目を見開き、気まずく視線を逸らした。インディの下に集まったロズミナ派の旗印は、彼女の息子トール。本来ならトールをも処刑にするのが、インディが一番最初に立てた『計画』だった。
 けれどもレトナの指摘通り、インディは我が子に生きていて欲しいと願ったのだ。母がこのような罪に問われれば、残された子は無関係であってもその咎を免れないだろう。それでもトールを巻き込む事が、リハンの為に我が子に死ねと命じることが、インディにはどうしても出来なかった。
 父を思う。『計画』の為にインディを勘当してくれた、死を命じてくれた優しく強い父を思う。あの時、父がどんなに悲しい目をしているか、インディにはちゃんと判っていた。自分には出来なかった事を父にはやらせる、何と親不孝な娘だろうと己の身勝手さに吐き気がした。
 それでも、それだからこそ。

「『計画』は遂行されなければならないのです‥‥ッ」

 父を、異母妹を、異母弟を、苦しめ悲しませた『計画』が、インディ1人の身勝手で頓挫する事は彼らに対するこの上ない裏切りだと、思う。すでに事態は動き、引き返せない所まで辿り着いてしまったのだから。
 ――だが。

「それでも生きていて欲しいと願う、義母上殿のお気持ちは裏切っても良いと、イングレッド様は思うのですか?」
「私には判りませんが、この方達は心からイングレッド様に生きていて欲しいと願っています」

 モディリヤーノと、リシーブメモリーで心を読み取った焔が口々に告げる。その言葉に再びインディは声を失い、だがどうする事も出来ない様子で唇を噛み締めた。冒険者の言葉も正しいと判っている。けれどもインディは、インディの正しさを捨てきれず。
 母親達は果たして、彼女を救い出した後、どうするつもりだったのだろう。ふと疑問に思ってモディリヤーノがその事を尋ねると、一先ずは私の実家に匿って、とバーバラが答えた。その後の事は時勢を見て、まずはインディの命を救う事を優先したのだと。
 だが、余りに稚拙な計画。リハン領内に留め置いては、いずれ領主家に見つかるのは時間の問題だ。それよりは、とゾーラクが母親達とインディを前に、レニとガハルにも語って聞かせた彼女の考えを繰り返した。インディを自分の領地に引き取りたい、と。

「是非ご助力をお願いします」

 そう、最後にゾーラクは締め括る。友人のルエラ・ファールヴァルトが調べてくれた限りでは、自領として賜った土地にはインディを受け入れるだけの余地はありそうだ、という。ならば是非。
 ゾーラクの申し出に、母親達はキラキラと目を輝かせた。リハンから離れた地でならば、リハンで罪を問われた者もその地の領主の裁量次第では罪に問われる事がない。まして、領主であるゾーラクが是非にと招いているのなら、娘にとってこれほど良い事があるだろうか?
 母親達は感謝の眼差しでゾーラクを見つめ、是非、と頷いた。だが大切なのはインディ本人の意思。その事に思い至り、心配そうにクルリ、と振り返った母親達の眼差しを受けて、インディはついに苦笑いを零した。

「思えば確かに私は今まで、お義母様達のお願いは何一つ叶えてきませんでした。お父様達を裏切る事になるのが心苦しいですが――」
「そうね‥‥ハロルドはとっても落ち込むと思うわ‥‥」
「ハロルドにもこの事を知らせられれば、きっと協力してくれたのに違いないのに」
「お父様はその様な私情で動く方ではありません。‥‥それに、ゾーラク様? このお話、貴女の上位領主は承諾なさっているのですか?」

 インディは厳しく、問い質すような眼差しでそう指摘する。

「私は実の父である領主への謀反の罪で捕えられ、自らその罪を認めたのです。そういう者を迎え入れ、いわば領主代理の立場に置く事を、貴女の所領の者や貴女の上位領主の姫が良い顔をなさるとは思えません‥‥それに私が姿を消した事はすぐに知れ、追っ手がかかり、私は指名手配を受けるでしょう。その私が貴女の所領でその様な立場に居る事を知れば、リハンは貴女の上位領主に私の罪状を告げ、引渡しを求めるはずです――私は異母妹達をその様な領主であるべく育てました」

 それでも良いと、上位領主たる姫は承諾しているのか?
 そう尋ねられ、ゾーラクは口を噤んだ。かの姫には今回の事は勿論、相談もしていなければ承諾も得ていない。一つには物理的に、多忙の姫に面会を求めてそこまで綿密に了承を得る時間がなかった、というのもある。
 ゾーラクの反応に、インディはふぅ、と小さくため息を吐いた。母親たちにはそれが、いつもリーシャを怒る時のインディの癖だと判った。

「では、一先ずは貴女の所領に亡命という形を取りましょう。その上で私という駒が不味ければお捨てなさい。‥‥貴女はリーシャよりは物分りが良さそうですけれど、領主として学ばねばならない事は山積みのようですね」

 そう、ゾーラクに告げたインディの顔は、もしこの場に領主代理の異母妹が居たならぞくりと背筋を震わせてこっそり逃げ出そうとしたに違いない、厳しい教師のものだった。





 こうして一先ず、インディは死を免れ、ゾーラクの所領に亡命する事になった。それと前後するように、リハン領からは正式にインディの指名手配がかけられる。
 彼女の今後がどうなるかは判らないにせよ、母親達から届けられた願いはきっと、叶えられたのに相違ない。