●リプレイ本文
あはは、と冬の低い空の下に明るい笑い声が響き渡った。
「タチアナさん達を喜ばせようと、その後の事を考えないで宴を主催するなんて、ローゼリットちゃんらしい猪突猛進さね」
ジュレップ家の門前である。冒険者ギルドからのお誘いの依頼を受け、ついでに隣に並べられた訪問先の村からのヘルプコールの依頼書も見て、まったくあのお嬢様は、と堪えきれない笑みがこぼれた加藤瑠璃(eb4288)の言葉に、まったくだよね、真面目らしい顔をして頷くのは門前で遊びながら冒険者達を待っていたアルスだ。どうやら最近少年は、ちょっとだけ背伸びをして大人ぶった態度を取るのがマイブームらしい。
どうもローゼリットお嬢様は、己が正義と信じる道を貫く時には、ほんの少し周りが見えなくなる性質を持っている。おまけに下級とは言え生粋の貴族のお嬢様なので、それであんまり困った事がない。
だがそれで許されるのかと言えばそんな筈もないので、せめてアルスのためにもあちらのフォローをしてあげましょっか、と微笑ましいため息を吐く瑠璃である。具体的にいつと聞いているわけではないが、いずれ村に帰るであろうアルス・タチアナ母子が困る事になったら、それはそれでローゼリットの本意ではないはずだし。
だが、アルスに案内されてジュレップ家の応接間を訪れ、待っていたローゼリットに真っ先に新年の挨拶をした冒険者にとっては、お嬢様の猪突猛進さにある意味救われた部分もあるわけで。
「ローゼリット様、新年明けましておめでとうございます」
「おめでとうございます、ディアッカ様。今年も皆様の上に竜と精霊の祝福がありますように」
ディアッカ・ディアボロス(ea5597)の丁寧な挨拶に優雅に裾をさばいて一礼し、新年の挨拶を返したお嬢様は窓の外にふと視線を向け、今日は、と言葉短かに尋ねた。その視線の先に居るのは秋頃からジュレップ家の小さな馬場を我が物顔で疾走する不戦の女王と呼ばれる競争羊。誰もが手を焼いていたお転婆娘は、紆余曲折を経てディアッカを白羊の王子様と思い定め、危うく押し付けられそうだった所をローゼリットの鶴の一声でジュレップ家に引き取られる事になった。
すなわち、ある意味ではローゼリットはディアッカの命の恩人(?)とも言える。もし本当に件の競争羊が冒険者街のディアッカの家にやってくることになっていたら‥‥ちょっとどんな事になっていたのか、記録係が怖くて想像したくないくらいの惨事になりそうだ。
村までは、ジュレップ家から仕立てた馬車で向かうという。もちろんアルスもタチアナも一緒だ。両親も一緒にと誘ったのだが、私達はそなたの楽しいお土産話を楽しみにしていますよ、と断られたという。
(‥‥多分、ご両親は村に遠慮したんでしょうね)
(ローゼリット様1人だけで気を使う位ですから、これ以上貴族の方が増えたら村の方もパニックになるでしょうし)
話を聞き、瑠璃とディアッカは目と目でそんな会話を交わす。それでも娘の行動については止めないのが、親ばかなのか、或いはもう此処まで話が来てしまったら止めるだけ無駄だと思っているのか。
やがて馬車の用意が出来て、身なりを整えたアルスとタチアナが応接間に現れた。何はともあれ母親と一緒に村に帰れるのが嬉しいらしく、終始満面の笑みのアルスの横で、タチアナがそっと冒険者達に深く頭を下げる。それからローゼリットにも。
皆様もご一緒にと誘われて、ありがたく馬車に乗り込んだ。4人乗りの箱馬車は、ジュレップ家の3人と瑠璃、そしてアルスの膝の上にディアッカが乗ればちょうど良い。最後はアルスの強い希望である、悪しからず。
動き出した馬車の中で、そうそう、と瑠璃が声を上げた。
「ローゼリットちゃん。先に言っとくけど、貴族と平民では作法も違うんだから、どんな奇天烈な歓迎を受けても面食らったりしないでね」
「無論、存じております。このローゼリットの名にかけて、あたくしはすべて受け止めて見せます」
念の為の忠告に、深く頷き誇り高く宣言するローゼリットお嬢様。多少、というかかなり方向性を見誤る事はあるが、基本的に、彼女はとっても前向きだった。
◆
村人達は信じていた。彼らは純朴に、実に純朴かつまっとうに生きていた。そんな彼らににわかに与えられた試練に、きっと誰かが救いの手を差し伸べてくれるに違いないのだと。
果たして彼らの希望通り、あるいは彼らの執念通り、救い主は現れたのだ。
「貴族に出す料理でお困りと聞きました。そこそこ料理が出来ますのでお手伝い致しますよ」
冒険者ギルドで平凡ながら切実な依頼を目にし、やって来たカルナック・イクス(ea0144)にブンブンブンと何度も大きく首を縦に振る村人一同。ああ、困っている。困っているともこの上なく切実に。
さらに救いの主は続々と現れる。秋祭りの折もやって来たユラヴィカ・クドゥス(ea1704)が、親友とは別行動で、だが親友と連携する形で村へやってきて、手伝おうと思うし出てくれた。
「一応、しふ学校関係をつてにお料理しふ達に声をかけみたのじゃ。手が空けば来てくれると言っておったのじゃ」
「ありがとうございます占いの先生!」
「私も、ローゼリット様をお迎えし振る舞う料理等を用意できる様動きます」
「ありがとうございます何か良く判んないけど先生!」
「私からも助言を幾らか‥‥」
「ほんっとうにありがとうございます先生達!」
事前にウィルで買い込んで来た食材と共に現れたゾーラク・ピトゥーフ(eb6105)や、ちょうどひょっこり顔を出して申し出てくれた白銀麗(ea8147)にも、実にきっちり定規で測ったような直角の礼をして頭を下げる村人達。すでに呼び方、『先生』で固定されている。
さらに殆ど縋りつかんばかりにカルナックを始めとする冒険者達の手を握り、どうかよろしくお願い致します、と何度も頭を下げる村人達。多分今、彼らの中で冒険者達は、竜の力もてカオスを打ち倒し世界を救済したというロード・ガイもかくやという位の英雄だ。
そんな期待を受けては、冒険者としても気合を入れざるを得ない。元より手を抜く気はないが、それにしたって何かこう、背中と肩にのしかかってくるものが違うというか。
「さて、どんな料理がいいでしょうかね」
故に村人達に案内された村長の家で、カルナックは真剣な眼差しで独り言のように仲間達に問いかけた。そこそこ、なんて謙遜した言い方をしているものの、彼はそんじょそこらの料理人なら裸足で逃げ出すほどのお料理上手。ウィルのゴーレム工房では、彼のお料理を楽しみに待っている人も居るとか居ないとか。
だからこそ、カルナックが並んだ食材を見つめる眼差しは真剣そのものだ。珍しい食材ならばそれを活かし、メインディッシュとして調理して、とか考えられのだが、残念ながらゾーラクが買ってきた食材にそこまで目を見張るほど珍しいものはないし、この村の特産品は何ですかと聞いても『羊肉くらいで』と返って来る始末。
ああアレか、とユラヴィカはちょっと複雑な表情になった。この村の秋の名物は羊レース。特産は羊肉。‥‥こう、世知辛いというか、リーズナブルというか。そんな事を考えながら、カルナックに言葉を返す。
「街の食堂程度になるじゃろうが、その辺りは村のおもてなしという事で大目に見てもらうしかなかろう。むしろ、変に気兼ねするよりは『村のご馳走』でよいのではないかの」
「だだだ大丈夫ですかね占いの先生」
村長が手を揉みしだきながら心配そうな眼差しで尋ねる。さもありなん、この村は以前にも某貴族の子息が駆け落ちしてひっそり住み着いたり、件の貴族のお嬢様がこっそり家出してきて居たりという事はあっても、正式にお迎えしておもてなし、なんてやった事がない。
だがしかし。
「宴に出てくるような料理を素人が真似をするのは無謀です」
銀麗は敢えてそう言い切った。彼女は錬金術師として貴族主催の宴に参加したことはあるが、あれはこう、村で催されるような宴とは全く別物だ。卑下するとか言うレベルではなく、全く別世界で行われている出来事だと割り切ったほうが良い。
故に彼女が提案するのは立食『ぱーてぃ』。より正確に言えば、その形式での『ばーべきゅー』をしてはどうだろうか? これならば、ある程度の下拵えは必要なものの事前に食材を調理しておく必要はないし、食器も乾杯用の杯と皿を人数分揃えればいいだけだ。
『ばーべきゅー』とはこれこれこういう調理法で、とさらに説明を加えると、なるほど、と村長の顔に理解が浮かぶ。だが言うなれば、ただ焼いたものを食べてもらうだけの料理で、本当に貴族のお嬢様が満足するのだろうか?
続いて浮かんできた不安の表情に、大丈夫です、と安心させるように微笑みかけたのはゾーラク。
「ローゼリット様は出された料理に感謝こそすれ不満を仰る方ではありませんから」
「勿論それだけではなく、何品かはお料理もお出しするようにしますよ。ありふれた食材でも丁寧に調理すれば美味しい料理になりますからね」
「ある程度は、こちらの方から無礼にならんようにフォローするので、ちょっといつもより豪勢かもじゃが普通におもてなしじゃ」
カルナックとユラヴィカもそう言い添えた。『ばーべきゅー』は確かに簡単でそこそこ見栄えもするけれど、やはりそこは目の前に料理の皿を運ばれる生活を当然としているお嬢様、戸惑うこともあるだろう。ならば村ではこういう生活なのだと言い含めつつ、お嬢様自身には別に用意した料理も出せるようにしておけば良いのじゃないだろうか。
村長はしばらく逡巡の表情を浮かべた後、先生方にお任せします、と深く頭を下げた。何しろ、経験がない事だ。ならば経験のある人達の助言に任せるのが、この場合は最良の一手に違いない。
◆
ジュレップ家ご一行が村に到着したのは、その日の昼下がりの事であった。貴族の宴といえば基本は夜。狩などを楽しむ場合は昼間から動き始め、昼食で盛り上がり、さらに館に戻って夜に盛大な宴会を、なんて事もあるが、基本は夜。
故にローゼリットお嬢様の常識では、まだ陽精霊の光も鮮やかな昼下がりに到着する、というのは些か非常識に当たる。だがアルスやタチアナの感覚からすれば、こういう時は昼間から、せいぜい夜に踏み込んでも焚き火を焚き始めて消えた頃にお開き、というのが当たり前なので、その助言を入れての到着であった。
入口で待ち構えていた村の若者が馬車の到着と同時に村長の家に全力疾走し、ジュレップ家ご一行の到着を告げる。そこで村長と村長の奥さんがヒィコラ言いながら村の入り口まで駆けつけて、これはこれはようこそお出で下さいまして、という台詞を何とか舌を噛まずに言い切った。
「歓迎、心から感謝致します。あたくしどもの事は気にせず、ゆるりと寛いで下さい」
鷹揚に頷きそう述べるお嬢様。気にするなって言われて気にせずに済んだら、そもそもこの騒ぎは起こっていない、と瑠璃は苦笑いを浮かべる。だが村長夫妻はそんな事を正直に言えるわけもなく、ありがとうございます、と深々頭を下げた。
とは言え、まだ宴の用意は整っていない。先程ようやくメニューが決まり、それに伴ってやっぱり会場は村の郊外の羊レース場が良いだろうとか、でも貴族のお嬢様を野外に座らせるのは不味いだろうとか、じゃあちょっと布を張って屋根にしてとか、いやいやいっそ突貫小屋を建ててとか、いやそれ逆に失礼じゃね? とか、実に紆余曲折にわたる話し合いも何とか解決を見たところである。
なので、それまでしばしの間我が家でお休み下さい、という村長に、ローゼリットは頷いて。
「ローゼリット様! 僕、遊んできて良いですか?」
「あの、あの、お嬢様‥‥もし差し支えなければ、その‥‥私も家の方を少し見て来たいのですが‥‥」
元気良く手を上げた義弟と、おずおずと切り出した伯母に何か言いかけて、判りました、と承諾した。構いませんか? と念の為に村長に確認すると、もちろん彼はこくこく首を縦に振る。
ローゼリットちゃん? と瑠璃が声を掛けた。
「どうかしたのかしら?」
「いえ‥‥アルスやタチアナ伯母はこの村の住人なのですから」
「‥‥まぁ、そうね」
その言葉で何となく察し、頷く瑠璃。愛する義弟と伯母のためにここまでやってきて、それを喜んでくれるのは嬉しいが、何となく寂しい。そんなところだろう。
とは言えお嬢様はそれ以上は何も言わず、村長の家に招かれて多分村中で一番上等だと思われる木彫りの大きなカップになみなみと注がれたハーブティーに軽く目を見張り、そのたびに瑠璃に視線を向けて確認しながら、立派に歓待を受けきった。お茶請けが出てくるまでお茶には手を付けようとしなかったお嬢様に、庶民の家では出て来ない事もあるのよ、と肘で突いて率先してお茶に口を付けたのも瑠璃だ。
ローゼリットは上級貴族ほどお高くとまった娘ではないし、人の言う事にはきちんと耳を傾け己の悪い点はしっかり反省する娘だが、そうは言っても貴族の娘として誇り高く育てられた少女である。瑠璃も貴族の作法を習い覚えている身ではあるので、認識のずれが出そうなところは先にフォローして回るつもりだ。
(でないとタチアナさんもアルス君も楽しめないものね)
お茶だけでこの様子では食事の時はさらに一波乱ありそうだが、とため息を吐く。
一方、お料理を手伝いに来た冒険者達はその頃、獅子奮迅の如き働きを見せていた。ゾーラクが言ったとおり、ローゼリットは出された食事に不平不満を言う娘ではない。だがしかし、胃袋に直結することと言うのは案外根を引くものだ。
例えば心尽くしの歓待を受けたとしても、出された食事が口に合わなければ理屈ではなく、感情として余り良い印象を抱く事が出来ない。逆に接待がほんの少しくらい不味くても、出てきたお料理が素晴らしければ何となく、良い扱いをしてもらった気分になる。
そこを乗り越えるのは、如何に心の清らかな人であったとしても難しい。だからこそ、とにかく自分に出来る最高の料理を、とカルナックは用意され、または購入してきた食材を厳選し、吟味して、さらに丁寧に下拵えを施す。肉も野菜も柔らかく歯ざわりの良い部位を選び、灰汁を取るのにも手を抜かず、隠し包丁や飾り切りも的確に。
一方で、『ばーべきゅー』の肉の準備はゾーラクや村の奥様達が担当した。基本は手ごろな大きさにどんどん野菜や肉を切っていくだけだが、ものによっては下拵えで軽く煮ておいたり、或いは下味をつけて置いたほうが柔らかく、美味しくなる素材もある。
その辺りは経験や、カルナックの意見も聞いて奮闘した。貴族のお嬢様に出す料理に力が入るのは当たり前だが、それで村人に出すお料理に手を抜いたのでは元も子もない。細かく手をかける余裕はないにせよ、それほど見劣りだけはしないように。
「‥‥あっ、ちょっとタチアナ! アンタ今、ジュレップのお嬢様の家に居るのよね!?」
うっかり通りすがった久し振りに会う隣人に、奥様の1人が気付いて声をかけた。え、ええ、と戸惑ったように頷くタチアナ。どうやら家の様子を見て、お嬢様の元に戻るところだったらしい。
ちょっと来なさいよ、と手招きされて俄かに戦場と化したとある民家の軒先までやって来た彼女は、顔見知りの冒険者と見慣れない男性が包丁を握っているのを見て目を丸くした。
「お久し振りです‥‥あの、そちらの方は‥‥? 一体何を‥‥?」
「良いからタチアナ! こっちのお料理の先生と、そっちのお医者の先生にジュレップのお嬢様のお好きな味を教えないさいな」
「え‥‥え‥‥?」
「ローゼリット様は何でも食べるけど、塩味よりもスープ味の方がちょっとだけ食べ終わるのが早いんだって」
唐突な質問に目を白黒させる母の代わりに、そう答えたのはアルスだ。すでに何だか土で汚れている。まぁアルスお嬢様に頂いたお洋服が、とタチアナはまたおろおろと慌てて息子の服についた汚れを払って回った。
なるほどスープ味、と頷いたカルナックとゾーラク。今からブイヨンをじっくり取る時間はないが、骨髄を砕いて野菜も細かく切って煮込めばそれに順ずる味にはなる。
手伝いに来てくれたしふ学校の皆様を迎えに行っていたユラヴィカが、戻ってきて仲間にお料理しふ達を紹介した。なぜだかシフールの皆様にはお料理上手の方が多い印象がある。数人のシフールたちは、事情とメニューと現在の進行状況を確認すると、素早く作業に取り掛かった。
さらに村長の家の前の広場では、銀麗の指揮によって『ばーべきゅー』の準備が着々と進められている。広い場所と言えば村の郊外の羊レース会場だが、貴族のお嬢様を野ざらしの場所においとくわけには、という部分との折り合いをつけようとした結果、お嬢様には村長の家の軒先にテーブルと椅子を並べて食事を楽しんで頂き、わしらは外で、ということになっていて。
ある程度の距離を置いて幾つかかまどを組み立て、途中で崩れてこないようにしっかり補強する。だがしかし、肉や野菜を焼くための金網や鉄板の類は、奇跡的に1枚だけ村に存在したものの、やはり圧倒的に数は足りず。
村長の家で瑠璃から庶民の生活に関する講義を受けていたお嬢様に、銀麗は自己紹介をした上で頭を下げた。
「ローゼリット様、実はかくかくしかじかのような事情がありまして、ジュレップ家にご用意して頂く事は出来ませんか?」
「構いません。他にも必要なものがありましたら、すべて当家が負担いたします」
お嬢様はきっぱりそう頷いて、すぐさま手配を整える様に村長に仰った。畏まりました、と走って家を飛び出していく村長。まあもうその位は、と苦笑する瑠璃。
それからふと、銀麗に尋ねた。
「そう言えばディアッカさんを見なかったかしら? アルス君と一緒に居たと思うんだけれど、村長が挨拶したいって言ってるの」
「村のどこかで子供たちに囲まれている姿を見たと思いましたが‥‥」
首をかしげて答える銀麗。この村で、ディアッカがとある理由から『シフールの英雄』と呼ばれている事を、彼女はもちろん知らない。そして彼女が見た子供たちが、それゆえにディアッカを取り巻いていたのだと言う事も。
◆
そんなこんなでバタバタしつつ、何とか新年祝いの宴の体裁を整えて、主に村の人々たちの歓喜の下、盛大に始まった。少し前からかまどに薪を組んで火をつけて、燃え盛っていては肉や野菜が焦げてしまうので程よく炭火ぐらいになるまで調整してある。もちろん、指導は全部銀麗だ。
村人達の予想に反し、野外での食事という部分にはまったく抵抗を見せなかったローゼリットだが、案の定、『ばーべきゅー』という調理法には目を丸くした。野外での食事は園遊会やピクニック、遠乗りなどで馴染みがあるが、そういう時でも必ず召使がついていって別の場所で調理したものを主の前に差し出すものだ。
だがしかし、はらはらした眼差しで見つめてくるタチアナと、どんな奇天烈な歓迎を受けても、と助言を受けた瑠璃の眼差しを受けて、これではいけない、と思い直す。
(タチアナ伯母やアルスとて、当家では苦労したのです)
思い返すのはジュレップ家に預けられた当初、ナイフとフォークの使い方も解らないのかと祖母に蔑まれたアルスの姿。それでも文句一つ言わず、伯母も義弟もジュレップ家のやり方に合わせてくれたではないか。
ならば次は自分の番だと、ローゼリットは些か悲壮すぎる気合を込めた笑顔を浮かべ『素晴らしいお料理です』と感謝の意を述べた。もちろんそれを思い出さずとも、彼女は出された料理にケチをつける気などは毛頭なかったが。
ほっ、とタチアナが息を吐く。そうして用意されたテーブルに着いたローゼリットに、カルナックとゾーラクが個別に作成した料理を運ぶ。
「タチアナ伯母。そんな給仕のような」
「ローゼリットちゃん!」
溜まらず口を出しかけたお嬢様を、傍に付く瑠璃がすかさず制した。ぐっ、と言葉を飲み込むお嬢様。村では自分の事は自分でやるのが当たり前で、タチアナが料理を運んでいるのも特にこき使われているわけじゃない事を重ねて説明すると、承知しました、と頷く。
反対側にはアルスが居て、そうそう、と瑠璃の言葉に頷いた。今日の彼の役目はとっても重大だ。
「いい、ローゼリットちゃん。まず私やアルス君がやって見せるから、ローゼリットちゃんはそれを真似してもらうのが良いとおもうわ」
「だね、瑠璃姉ちゃん」
普段はローゼリットに行儀作法を習っているアルスだが、今日は立場が逆。となれば少年はとっても張り切っていて、どこか誇らしげに瑠璃とローゼリットに満面の笑みを浮かべているのも仕方のないことだ。
解りました、とそれにも素直に頷くローゼリット。あくまで自分のやり方を貫くのではなく、郷に入っては郷に従う事を知っているのが、彼女の良い所である。
「いつぞやは披露出来ませんでしたが、演奏を家族と一緒に」
「わしは一緒に躍らせてもらうのじゃ」
「をぉ‥‥英雄さんに占いの先生に精霊様の演奏と踊りとなれば」
「ああ、めったに見れるもんじゃねぇ‥‥くぅッ、ありがたい‥‥ッ」
宴席を盛り上げるためにと、ディアッカとユラヴィカが申し出たのに村人の間からそんな声が上がった。村の収穫を祝い来年も豊かな実りをと願う秋祭りを制したディアッカに、村の娘達に『シフールの占い師のおじ様』と人気のユラヴィカ。さらにアトランティスは竜と精霊の国、精霊の祝福まで得られるとなれば新年の安泰は約束されたも同然だ。
なんだか思わぬところで盛り上がりを見せ始めた宴席を見ながら、本日のシェフ達(?)は揃ってゲストの元を訪れる。
「お口に合いますか? 良ければ家に合った酒も多少ながら持ってきましたので、お好きなものを仰ってくださいね」
「私もデザートに手作りケーキ、酒にウォッカ、お茶にハーブティなどを持ってきましたから。もちろん村の皆さんにもお配りしてますから、ローゼリット様もご安心下さい」
カルナックとゾーラクの言葉に、ありがとうございます、とローゼリットは頭を下げた。それからアルスに「そなたもお一つ頂きなさい」と告げ、村人の輪の中でジュレップ家の離れでは見せた事のない明るく上気した笑顔を浮かべるタチアナを見る。
タチアナが元気になってくれて良かったと、思う。だがもちろん、それは自分1人の成果ではない事をローゼリットは知っている。
「カルナック様、ゾーラク様、瑠璃様。銀麗様も、ユラヴィカ様も、ディアッカ様も――あたくしの思い付きを形にして下さって、心からお礼申し上げます」
目の前に居る3人に、そしてかまどを見て回って火の具合を確認したり、食材を焼いたりと忙しく働く銀麗に、人々の輪の中で今も美しい演奏と素晴らしい踊りを披露しているディアッカとユラヴィカに、ローゼリットは丁寧に頭を下げた。アルスがぴょこんと立ち上がり、ありがとうございます、とペコリ頭を下げる。
とんでもない、と冒険者達は顔を見合わせ、笑って首を振った。大切な人を楽しませたいというお嬢様の願いと、何とかして欲しいと言う村人の願いに、彼らは応えたいと思っただけなのだから。
不意に人々の輪の中からローゼリットを呼ぶ声が上がった。見やればいつの間にか、ユラヴィカの踊りに合わせて数人が踊り始めている。どうやら良い具合に酒が回ってきたものが居るらしく、お嬢様もご一緒に、などと叫んでいて。
「ローゼリット様、行ってきたら?」
「まぁアルス‥‥でもあたくしはどうすれば」
「今度も見本を見せるからその通りに、ね。カルナックさんやゾーラクさんも一緒にどう?」
「じゃあ‥‥」
「少しだけなら」
戸惑い顔のお嬢様を中心に、冒険者達はそんな言葉を交わし合った。かまどを見て回る銀麗にも声をかけ、広がり始めた踊りの輪へと足を向ける。
ほんの少し過ぎてしまったとは言え、今日は新年を祝う宴。ならば誰も彼もが思い切り楽しんで、この新たしき年を全力で祝い尽くすのが、アトランティスを見守る竜と精霊達を喜ばせる事にもなるだろう。
◆
そうして新年祝いの宴は、やがて陽精霊が姿を隠し、月精霊がさやかな光を地上に投げかけ始めてしばらくも続いたと言う。