痛みの過去に立ち尽くす君。

■イベントシナリオ


担当:蓮華・水無月

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:0 G 83 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月18日〜01月18日

リプレイ公開日:2009年01月26日

●オープニング

 そこは、ウィルの東南にある町だった。小さな、小さな町。
 その町には一人の、嘆き悲しむ未亡人が居た。ドゥンナ・テキシア。未だ若々しい容貌を持つ彼女は一昨年、夫を亡くした。
 だが嘆き悲しんでいるのはその事実ではない。

(レンツォ‥‥)

 夫を亡くした傷心を慰めてくれた、見目麗しく優しかったドゥンナの恋人。その恋人に先日、別れを告げられた。行かないで、と泣いて縋ったドゥンナに「もう遊びは終わりだ」と冷たい言葉を投げかけて。
 ドゥンナは嘆き悲しんだ。レンツォにはすぐに若く可愛い恋人が出来、それはますますドゥンナの心を苦しめた。小さな町だ、見たくなくても嫌でも目に入ってしまう。

「苦しいんですの」

 ドゥンナは訴える。苦しくて苦しくて仕方がない。悲しみのあまりどうにかなってしまいそう。
 彼女の目の前に居る青年が、無言で頷いた。同情されているのだと感じた。そう感じた途端、ドゥンナの目からとめどない涙が溢れてくる。
 青年は、最近町にやって来た旅人だ。占い師という訳ではないが、精霊の言葉を聞き、悩みに導を示してくれると言う。
 ドゥンナも、もう何度も彼に会いに来ていた。初めは懐疑的に、今では崇拝するように。彼は自分の悩みを解ってくれる。それがドゥンナには判っている。
 ほら、今も。

「貴女の苦しみは、精霊達をも嘆かせます」
「ああ‥‥でも、悲しくて‥‥」
「貴女は精霊の好む、清らかな魂を持つ方だ。この町には数多くの清らかな魂を持つ者が居る。精霊は清らかな魂を好みます、精霊に清らかな魂を捧げれば貴女の望みは叶うかもしれない」
「でも、どうやって‥‥?」

 ドゥンナの言葉に、青年は答えない。自分で考えなさい、とばかりに微笑むだけだ。
 でももう、ドゥンナには解っている。青年が繰り返す言葉は、己の考えのようにドゥンナの心の中に滑り込んでいる。

(魂を)

 この町に居るたくさんの、清らかな魂を精霊に、青年の前に捧げるのだ。そうすればドゥンナは救われる。レンツォはあの小娘と別れ、自分の元に帰ってきてくれる。

「そうですわね?」

 尋ねれば、微笑。良く出来ました、と言われているようにドゥンナは感じる。否、そうに違いない。
 ドゥンナは希望に胸を震わせながら青年の泊まる宿の一室を後にした。青年の傍には常に僕の少女が控えていて、彼女が扉を開けて宿の入り口まで送ってくれる。
 青年に魅了された未亡人は、魅了されている事に気づかぬまま、あれこれ計画を練り始めたのだった。





 一方、青年の泊まる宿の入り口で。

「姉さん、姉さんだろう!?」

 ドゥンナとすれ違うようにして歩いてきた少年が、青年の元に戻ろうとしていた少女を必死の形相で呼び止めた。少女がけげんそうに眉を寄せて振り返る。
 少年、ウォルフは息せき切って少女に駆け寄ると、ガッシとその腕を掴んだ。

「ちょ‥‥ッ、あんた何よ‥‥ッ!?」
「メリッサ姉さんだろう!? 僕だよ、弟のウォルフだよ!」
「ウォルフ‥‥?」

 告げられた言葉に、メリッサと呼ばれた少女がはっと目を見開く。それから忌々しそうな表情になり、チッ、と舌打ちした。

「ああそう、そういう事。村を襲わせたドッペルゲンガーどもがバラしたのね。せっかく手に入れた魂も取り戻されるし、あの役立たずどもと来たら」
「姉さん!? 何を言ってるんだよ、西の町で見たって人が居て、そこからずっと追っかけてきたんだ。一緒に村に帰ろう!」
「嫌よ。誰が戻るもんですか、あんな村」

 縋りつかんばかりのウォルフを、メリッサは冷たい瞳で跳ねつける。だがウォルフは諦めない。やっと出会えた姉を二度となくすものか、と必死に「村に帰ろう」と訴える。
 やがて、騒ぎに気付いた人々の注目が集まり出した。それに、メリッサはまた苛立って大きく舌打ちする。
 メリッサはぐい、とウォルフに顔を近づけ、囁き声で怒鳴った。

「相変わらずうるさい子ね! 良いわよ、私の出す条件が飲めるならあんたの言う通り、あの村に戻ってやっても良いわ」
「条件‥‥?」
「そうよ。西の町に居たんでしょ。ならあの町で、精霊のお告げだと言い、過ちを犯した魂を滅ぼせと叫んでる女占い師も知ってるわね。アレの役目は、人々に不和の種を振りまき、殺し合いをさせる事。そしてこの町でもじき、我が君に魅了された者達が殺し合いを始めるわ。ウォルフ。あんた、どっちの町を見捨てるか決めなさい」
「な‥‥ッ!?」

 言われた言葉がにわかには信じられず、ウォルフは姉をまじまじと見つめた。だが姉の表情は揺らがない。むしろどこか楽しそうに、ウォルフの反応をうかがっている。

「あんたが選びなさい。どっちを見捨てるのか。そしたら我が君にお願いして、あんたの選んだ町だけを滅ぼすようにしてあげるわ。あんたと一緒に村に戻ってあげるわ。どちらにせよ人々の魂が手に入るのだもの、我が君も許してくださるでしょう」
「姉さん‥‥何言ってるか解ってるの?」

 愕然としたウォルフの言葉に、メリッサは「勿論」と頷いた。

「私は我が君の忠実な僕。我が君の望みは、この地に混乱を起こし混沌の渦を巻き起こす事。その我が君の為に動くことが私の喜び。この町にも、あの町にも我が君の手下の魔物どもは手ぐすね引いて待っているわ」

 ではなぜそんな条件を出すのか。言葉なきウォルフの問いに答える事なく、メリッサは彼の前から姿を消した。

●今回の参加者

アシュレー・ウォルサム(ea0244)/ オルステッド・ブライオン(ea2449)/ オラース・カノーヴァ(ea3486)/ グラン・バク(ea5229)/ ファング・ダイモス(ea7482)/ シャルロット・プラン(eb4219

●リプレイ本文

 悩める、悩み過ぎてすでに何を悩んでいるのかさえ判らなくなりそうな、少年。
 その、前で。

「なるほど話は判りました。なすべきことは判っていますね」

 迷いに揺れる瞳を見つめ、シャルロット・プラン(eb4219)がウォルフの両肩を掴み、確認した。頼りなく揺れる瞳が僅かに上下する。判っている、と頷く。

「どちらかの町を、選ばないと‥‥」

 姉メリッサに言われた通りに。どちらの町を救うのか、どちらの町を滅ぼすのか、それを決めなければならない。それがウォルフのやらなければならない事。
 だが少年の言葉に、苛立ちさえ見せながら「そうじゃない」と首を振ったのはオラース・カノーヴァ(ea3486)だ。

「そんな選択はしなくていーから、姉貴を助けることだけ考えてくれ」
「そうそう。けつ持ちは俺たちが勤めるからさ」

 気にせずやるべきことをやればいいよ、とアシュレー・ウォルサム(ea0244)も、努めて大した事ではない、といった風に肩をすくめる。それは、やりたい事をやれば良い、と言う言葉と同じ。
 その言葉に、弾かれたようにウォルフは冒険者達を見回した。集まった、6人の冒険者の視線がウォルフに向けられている。その全員が、諦めるな、と言ってくれているような気がして、ウォルフは不意に泣きたくなる。
 選べ、と言ったメリッサの酷薄な、楽しむような瞳。記憶の中にある幼い頃の優しかった姉の姿と、それはあまりにもかけ離れていて。

「い、んですか‥‥姉さんに帰ってきて欲しいって、思ってて良いんですか、僕‥‥‥」
「もちろん。村に帰る事だけが道じゃないですよ。姉さんと新しい場所でやり直す事も考えて、決意して説得するべきです」

 その誠が人の心を動かすのだから、とファング・ダイモス(ea7482)が頷く。
 と。
 パンッ! と乾いた音がウォルフの頬を打った。シャルロットだ。

「まごついている暇はありませんよ」
「‥‥ッ、はいッ! ありがとうございますッ!」

 彼女の張り手に気合をいれられたか、ウォルフは泣き笑いの表情で大きく頷いた。頷き、冒険者達に頭を下げた。
 姉メリッサを取り戻す為。カオスに狙われた2つの町の人々を救う為。
 オルステッド・ブライオン(ea2449)が、俄然やる気を見せ始めた少年に尋ねる。

「‥‥メリッサはカオスに囚われている‥‥取り押さえる隙は作れるか‥‥?」
「はい、やってみます。姉さんが来たら、頑張って話を引き伸ばしてみます」
「‥‥ふむ、ならその隙に捕縛のチャンスを狙おう‥‥」

 以前にもウォルフの村で起きた魔物による村人の行方不明事件、その解決にも尽力してくれたオルステッドの言葉に、ウォルフは絶対の信頼の視線を向ける。メリッサが生きている、と教えてくれたのも彼と、その折に協力してくれた冒険者達だ。その言葉を信じ、縋るようにここまでやってきたのだ。
 だから、姉を取り戻す。あの頃の優しい、後を付いて回っていたウォルフに手を差し伸べてくれた姉を。ふわりと微笑んだ姉を、取り戻したい。
 そう、強く強く願う少年の背に、オルステッドは複雑な視線を向けていた。





 南の町と、東の町。カオスの魔物に狙われた2つの町のうち、アシュレーとオラースは南の町を守る事を選んだ。
 この町には、精霊のお告げを人々に伝えると言う触れ込みの女占い師が居ると言う。

「『精霊は過ちを許さない。過ちを犯した者と共に居る者も過ちを犯した者。精霊は過ちを犯した魂が精霊界に来る事を望まない。その手で過ちを犯した魂を滅ぼした者こそを、精霊は祝福し、精霊界へ迎え入れる。』――と来たもんだ」

 もう何人目になるだろうか、街頭で「精霊の怒りを恐れよ」と声高に叫ぶ者を『穏便に』黙らせながら、2人はため息を吐いた。誰もが呪文のように唱えていた言葉を、あまりに聞きすぎてもうすっかり覚えてしまった。
 アトランティスでは、人は死ねば精霊界に行く、と信じられている。それを逆手に取り、死した後に精霊界に行きたければ自らの手で他人を殺めよ、と扇動しているのだ。
 そのせいだろう、町に流れる空気はひどく余所余所しく、互いが互いを監視する緊張感がそこかしこに見られる。過ちを犯した者と共に居る者も過ちを犯した者。その言葉が人々の心に不安を芽生えさせ、相手への信頼を根こそぎ奪っている。
 いずれにしても、先ずは問題の女占い師を探すのが先決だろう。女占い師に関しての情報は少ないが、ウォルフが伝えたメリッサの言葉を信じるなら、それもまたカオスの魔物だ。
 2人は石の中の蝶を見たり、連れている精霊の反応を見ながら町中を歩き回り、不穏な行動を取る者が居れば魔物でない事を確認した上で黙らせ、或いは言葉巧みに誤魔化して黙らせる。恋人、夫婦、友人、親子、あらゆる関係の人々が互いを疑い、必要ならば相手を殺さねばならぬ、と決意している、その光景は異様としか言い様がない。
 しばらくそうやって、女占い師を探しながら進んでいた2人は

「ここから先は行かせねぇ」
「そうだ、魔物の手先め!」
「カッティーナ様には指1本触れさせやしないぞ!」

 やがて、口々にそんな事を叫びながら立ちはだかる集団に行く手を阻まれてしまった。全員、手に手に剣やら弓やら包丁に果物ナイフにフライパンまで、あらゆる武器を持っている。集団に加わる者も、上は老人から下は年端も行かない幼子まで様々。
 石の中の蝶に視線を落とせば、かすかに羽ばたく気配。この中に、或いはこの先に魔物が居るのだ。
 だが。

「カッティーナ、ってのがお前らが信じる女占い師か?」
「そうだ! カッティーナ様はお前らの事もお見通しだぞ。カッティーナ様は精霊のお告げを聞く事が出来るんだからな」
「‥‥‥それで、自分の信奉者に俺達を襲わせた訳か」

 たいした占い師様だね、とアシュレーは肩をすくめた。一応、隠密に行動してきたつもりだったが、カオスの魔物相手にそれは通用しなかった――と言うよりは、互いを監視し合う町民達のネットワークに引っかかってしまった、と言う事だろう。
 どうする、と視線をオラースに向ければ、群集を冷たい視線で睥睨しながら唇を吊り上げる男の姿がある。魔物以外を傷つける気はない。だが大人しく引き下がる気も毛頭ない。
 ならばアシュレーが成す事は、オラースを援護しつつカオスの魔物を探す事だ。メリッサは女占い師カッティーナの他にも、カオスの魔物をこの町に仕掛けていると言っていたという。
 東の町でメリッサと対峙している筈の仲間達の首尾はどうだろうか。チラリと頭の隅でそんな事を考えながら、2人は同時に行動を開始した。





 一方、東の町。ウォルフと共にこちらで防衛線を張るべくやってきた冒険者達は、それぞれに行動を開始した。シャルロットは空戦騎士団長を務める身ゆえ、その役職を活かしてこの町に居る兵士達を動員出来ないかやってみる、と兵の詰め所に向かう。ファングは町の様子を見回りつつ、魔物達が攻めてきた時にどこを拠点に防衛するのが一番効果的か考えてみる、と言い。今一人、シャルロットが防衛の為に呼んだ助っ人グラン・バク(ea5229)は、遠方に居た為若干到着が遅れて居て。
 そうしてウォルフを守りつつ、問題の青年を探して町の人々に聞き込みをしていたオルステッドの前に。

「‥‥‥さぁ、ウォルフ。腹は決まったのかしら?」

 いつの間にか忽然と姿を現していた少女が、楽しそうにクスクス笑いながらそう言った。1人だ。通りがかった町民が恭しく頭を下げ、少女はにっこりと微笑を返す。
 ハッ、とウォルフが顔を上げ、少女を食い入るように見る。縋るように右手で左の腕を掴み、必死に自分を奮い立たせ。

「メリッサ姉さん」
「なぁに、ウォルフ? どちらの町を見殺しにするか、ちゃあんと決めてきたのよね?」

 クスクスと笑うメリッサの表情に後ろ暗さはない。暗い栗色の髪が揺れ、同じ色の瞳が彼女の言葉に顔を歪めた弟の表情を捉えて愉悦の光を浮かべる。
 さぁ、と促されてウォルフはゴクリと唾を飲み込み、冒険者達に言われた通りの言葉を繰り返した。

「南の町を、選ぶよ、姉さん。だからこの町は、この町の人達は助けてよ」
「それで南の町には今頃、人間共を扇動させてる『人形遣い』を倒す冒険者が向かっている、と言う事かしら?」
「‥‥‥ッ!」

 ウォルフの隣に立つオルステッドを見ながら唇を吊り上げたメリッサに、ウォルフは思わず息を呑んだ。南の町とこの東の町、どちらもにカオスの魔物を倒すべく冒険者がいる。だから町の人々の事は心配するな、と南へ向かった2人の冒険者の姿を思い出す。
 ザワリ、と周囲の木々がざわめいた。石の中の蝶へと視線を落としたオルステッドは、羽根が千切れんばかりに羽ばたいているのを見て息を呑む。息を呑み、メリッサへと探る視線を向ける。

「‥‥やはり、もはや魔物、か‥‥?」
「は? 何それ」

 オルステッドの言葉に、メリッサが嘲った。周囲のざわめきが激しくなり、石の中の蝶の羽ばたきが激しく、強くなる。
 オルステッドさん、とウォルフが怯えた視線を周囲に向けた。

「魔物が‥‥ッ! 囲まれてます‥‥ッ!」

 その言葉に視線を巡らせれば、いつの間にやら、コウモリのような羽を持った小鬼やら、巨大な鼠やら犬やらの姿をした魔物が、蟻の子も漏らさぬ程に周囲を取り囲んでいる。蝶の羽ばたきは、コレらの邪気を察知しての事か。
 無言で剣を構える。緊迫した空気の中に、少女の甲高い笑い声が爆ぜる。

「アハハ‥‥ッ、バッカじゃないの? 私は我が君の忠実な僕。我が君は私の望みを叶えると約束して下さり、代わりに私は我が君にこの魂を捧げるとお約束したわ。我が君は、人間である私の魂を望んでいらっしゃるのよ? 魔物になどなってしまったら、我が君のお傍に居る事も出来ないじゃない」

 微笑むメリッサを守るように、取り囲んでいた魔物達がぞろりと動いた。オルステッドが咄嗟にウォルフの腕を掴み、近寄ってきた魔物を剣で打ち払う。
 ウォルフが必死に叫んだ。

「姉さん! 村に戻りたくないのなら、この町で暮らしたって良いんだ! 戻ってきてよ、姉さん!」
「ハッ! あんたってホント、相変わらずおめでたいのね。愛されるのが当然で、与えられるのが当然で、助けてもらうのが当然で! あんたのそういうとこ、虫唾が走るわ。大ッ嫌い」
「メリッサ姉さん!?」
「覚えときなさい、ウォルフ。あんたのお願いなんて何一つ叶えてなんかやらないわ。あんな村、滅びれば良いわ。あんたなんて、あいつらの屍の中で絶望するが良いわ。‥‥少しは思い知ればいいのよ!」

 叩きつける様に憎しみも露わに弟を睨みつけ、メリッサはクルリと2人に背を向けた。咄嗟に後を追おうとしたが、素早く行く手をふさいだ魔物達が邪魔をする。
 オルステッドは素早く頭を切り替え、先ずは目の前の魔物に集中した。逃げたメリッサと、その先に居るであろうカオスの魔物は仲間に任せれば良い。今大切なのは、ここに居る魔物の大群を倒し、或いはウォルフを連れて切り抜ける隙を作る事だ。





 グイ、と飲み干したリカバーポーションの容器を投げ捨て、オラースは再びホーリーランスを構えた。

「へッ、ようやく御大が登場、ってか?」

 女占い師カッティーナに近づけまい、と冒険者達の前に立ちはだかった群集は、その殆どがただの人間だった。ただの、カオスの魔物に魅了された人間。
 だが時折、人間の姿をして入るが邪悪な気配を持つ者がその中に混じっている。その気配と人々の怒号に怯え、連れていたエレメンタラーフェアリーはどこかに隠れてしまったようだ。
 魔物と確定した者には容赦なく攻撃を加えて滅ぼしていくオラースに、仲間を殺されたと思い込んだ住人の怒りが集中する。それこそがオラースの目的でもあった。すべての人々の悪意を、怒りを、不審を、非難を彼に。
 いつの間に現れたのか、上空には『邪気振りまくもの』があちらこちらに飛び交い、人々を扇動し、人々を傷つけ、互いに争わせようとしている。それは町中、至る所で。見つけるたびにアシュレーが弓で射落とすのだが、まるで無限と思われる程、次々と魔物は姿を現し、相争う人々を嘲い、混沌に陥れようとする。
 もっと人々の怒りが、憎しみが集まれば良い。そうして互いを傷つけるのではなく、オラースを倒す為に一致団結すれば良い。それは結果的に、彼らを守る事になる。
 そう思い、アシュレーの援護を受けてまさに死闘を繰り広げていたオラースの前に、現れた女。それを受けての先の言葉だ。

「まぁね〜」

 応える声は、女占い師、と崇められるにしてはお気楽だ。と言うかカオスの魔物である事を思えば、むしろ色々と冒涜されている気もする。
 この冬の最中、露出の高い踊り子の様な服を身に纏い、日に焼けた肌を惜しげもなくさらした女は、べったりと赤い紅を塗りつけた唇を蠱惑的に吊り上げた。

「ボウヤ達、なかなかヤルじゃない? 特にキミ。お姉さん、キミみたいなコが屍になったらどうなるのか、とっても気になるんだけどな〜」
「俺もあんたみたいな女がどんな醜悪な正体を隠してんのか気になるけどな!」

 言いながら得物を持ち替え、デビルスレイヤー能力を持つ剣を一閃。だが女占い師はひらりと曲芸のように身をかわす。

「カッティーナ様!」
「煩いわね」

 住民達の悲鳴。だが女占い師は見向きもせず、ほんのわずかに煩わしそうに眉を潜め、いつの間にやら手にしていた短剣で叫んだ男の首を切り裂いた。
 アシュレーがキリキリと弓を構え、女占い師に向けて放った。だがコレも気づかれている。ひらり、ひらりと蝶のように舞いながら、女占い師はすべての攻撃を避け、或いは手にした短剣で受け流す。
 周囲を取り囲む住人が、得物を構えてオラースに集中した。目の前で仲間を殺されてなお、彼らは女占い師に魅了されたままだ。それは魔物の能力だろうか、それともその背後に居ると言う別の魔物の?
 だがその質問に、女占い師は心底嫌そうな顔をした。

「この私がアイツの手先? 冗談。私は面白そうだから協力してやっただけよ。こうしてステキな屍も手に入った事だし、人間共の魂も順調に集まってるし♪ どぉう、この『死屍人形遣い』の腕前は? このコ、なかなか魅力的でしょ?」

 そう言いながら楽しそうに、己が胸を押さえて見せる。彼女の持つその姿は、屍に過ぎない。屍に憑依して生前と変わらぬ振る舞いをしてみせる、それこそが目の前に居るカオスの魔物『死屍人形遣い』の能力。
 醜悪さに眉を潜めたオラースの反応に、フフッ、と嬉しそうに魔物は屍の顔で笑う。

「面白くなってきた所だけれど、私はそろそろ終幕。後はここの人間共と配下の魔物共がお相手するわ。ボウヤが屍になったらまた会いましょ? きっとステキに使ってあげるわ♪」

 そっちのボウヤも、と高所で弓を構えているアシュレーにもウィンクをして、ポーン、と魔物は大きく鞠のように跳ね上がった。恐らく生前、操られている屍が持っていた能力なのだろう。格好が季節感にそぐっていないのは、やはり屍だからか。
 逃すか、と追いかけようとするも、群衆、そしてその向こうに人々ごと冒険者達を取り巻く魔物達がそれをさせない。上空にもまだ『邪気振りまくもの』が飛び交っている。
 キリリ、と弓で狙っていたアシュレーが、あっという間に射程圏外へ逃げてしまった魔物にため息を吐いた。そうして改めて、上空を飛び交う魔物へと弓を向ける。
 地上では再び、オラースの奮闘が始まっていた。





「キャアアァァァ‥‥ッ!」

 甲高い女の悲鳴が上がった。ハッ、とファングが駆けつけると、そこには腹から血を流す男と女、そして血に濡れた短剣を持つ女が向かい合っている。蒼白になり、ガタガタと震える男女を見下ろす女の顔には、ただ憎しみだけがある。
 ぬっと現れた巨体の男の姿に、襲われている男女が縋るような瞳を向けた。だが、襲っている方の女はチラ、と視線を向けただけだ。そのまま何もなかったように震える男女を見つめ、短剣を無造作に振り上げる。

「やめ‥‥っ、助けてくれ‥‥ッ!」
「奥様‥‥ッ」
「ちょっと‥‥ッ!」

 ファングも慌てて駆け寄り、女が短剣を振り上げた手を、振り下ろす前に掴んだ。女が無表情のまま、視線だけを動かない手に向ける。
 ヒィィッ! 男が転がるように、腹から血を流している女を捨てて逃げ出した。残された女が絶望の呻き声を上げ、腹の傷を押さえて泣きながら何度も許しを請う。何度も、何度も。助けてくれと、命乞いする。
 それを冷徹に見下ろす女の横顔に浮かぶ憎しみは揺らがない。抑えられて動かない腕に何度も力を込め、短剣を女に振り下ろそうとする。
 ブツブツと呟く女の声が聞こえた。

「精霊に捧げるの‥‥精霊の望み‥‥あの方の‥‥魂を捧げなくては‥‥レンツォ‥‥」
「しっかりしてください! 貴方、ドゥンナさんでしょう!? 貴方のしている事は、貴方と同じ悲しみを増やす事です! その道には、貴方の求める幸せはありませんよ!」
「嘘よ! あの方が仰ったのよ、私は精霊に愛されてるって! 精霊の望みを叶えればレンツォを取り戻せるって! 邪魔しないで!」

 ファングの言葉に、正気の色を失ったドゥンナがきつい光を湛えた瞳で睨みつけた。それからハッと気付いたように目を見開き、一体どこにそんな力があったのか、と驚くほどの力でファングの腕を振り払う。
 短剣を構え、ファングを憎々しげに睨みつけた。

「そう、貴方ですのね? あの方が仰ってましたわ、悪しき者がこの町から精霊の祝福を取り上げんとしている、って。そんな事、何があっても許しませんわ。あの方のお心を悲しませる者はこの私が排して見せます。そうして精霊の仰るとおり、この小娘の、町の人達の魂を捧げてレンツォを取り戻すの!」

 そこに矛盾がある事に、言っている彼女は気付いているだろうか。それとも気付かないほど、カオスの魔物に魅了されてしまったのだろうか。
 だが、これは彼女に限った事ではなかった。町中の彼方此方で、同じように精霊の望みを叶えるのだ、と青年の言葉に惑わされた者たちが剣を振るい、同じ町の住人達を殺戮し始めていたのだ。
 町の中央、小さな広場の真ん中に、それらの騒ぎを涼やかな瞳で見つめる青年が立っている。その傍らに立つのはメリッサ。オルステッド達の前から姿を消し、彼女の主の元へ戻ってきたのだ。
 周囲には突然の騒ぎに怯える人々が救いを求め、精霊の言葉を、と青年に懇願している。遠くで、魔物が来た! と誰かが叫んでいた。その言葉に人々はますます恐慌し、青年の足元にひれ伏して、精霊の救いを求めている。
 と、不意に

「騎士団長様だ!」
「騎士団長様が来たぞ!」

 方々から叫び声が上がった。事前にシャルロットが借りておいた非番の兵士達だ。彼らは異なる組織に属する集団であり、本来ならシャルロットの指揮下にはない。だが非番の兵士の中で、協力しても良い、と言う者が何人かいた。
 彼らは鎧を脱いで群集の中に混じり、シャルロットを呼ぶ。そこに満を持して登場した女騎士の姿に、ほう、と青年が感心したように視線を向けた。
 メリッサが忌々しそうに睨みつけ、隠れさせていた魔物達に合図をしようとした。だがそれを青年が止める。

「我が君?」
「何が起こるか見て居ようじゃないか。面白そうだろう?」

 そこに込められた絶対優位の余裕に、メリッサはうっとりと頷く。主が言うならそれは絶対に正しい事なのだ。
 シャルロットは月のエレメンタラーフェアリー・ティナを連れ、意識して自信に満ちた表情を浮かべた。実を言うとティナはこの場に満ちる悪意に逃げ出したい気持ちで一杯だったのだが、ギリギリの所でシャルロットが抑えていたりする。
 悠然と群集を見渡し。

「精霊の言葉とは何か! 精霊はここに居る、その青年の傍ではなく! そこに居るのは魔物に他なりません! 精霊が彼に怯えるのがその証拠!」

 叩きつけられた言葉に、群衆は戸惑うようにシャルロットと青年を見比べた。青年に魅了された群集は青年を信じ、だがシャルロットの傍にいるティナの姿に混乱している。
 青年はまだ涼しい顔でシャルロットとティナを見た。視線を受けたティナが耐え切れず恐怖に逃げ出す。その光景にまた、群衆の中に動揺が広がる。魅了が解けかかっている者が居るのだ。
 駆けつけたファングが、何とか捕まえたドゥンナを兵士に引き渡し、青年に剣を突きつけた。悲鳴が上がる。メリッサが青年を庇う様に1歩進み出ようとして、青年に押し留められた。

「お前は魔物共を指揮して魂を集めておくれ」
「はい、我が君」

 恭しく礼をして少女は駆け出した。仔栗鼠のようにすばしこく人ごみをすり抜け、冒険者や兵士達の手を逃れて町の外へ向かう。町の外に待機させている魔物達を動かすつもりなのだ。
 残った青年は悠然と、彼に向けられた刃の数々を見つめた。その姿が不意に崩れ、本性が現れる。白鳥のような白い翼を持つ巨大な獅子。グルル、と喉の奥で唸り声を上げる。

「なかなか面白い余興だった。後は配下と、この町の人間共に任せるとしよう。せいぜい盛大に戦っておくれ」
「ふざけるな!」

 叫びつつファングが、そしてシャルロットがマントを翻して獅子に切りかかるが、余裕でかわされる。取り巻いていた群衆が2つに分かれた。正気を取り戻して恐怖に逃げ出す者――そして獅子を守ろうと冒険者に対峙する者。
 良い子だ、と猫撫で声で獅子が歌う様に人々に声をかけた。

「私の言った通りにすれば恐れる事はない。お前達は精霊に守られているのだからね」
「戯言を!」

 歯噛みするも人々が邪魔で獅子に近付く事が出来ない。ここに居るのは獅子に魅了されただけの一般人なのだ。
 だが思いもかけない方向からその男は現れた。魔法でパワーアップしたグランが、群集の輪の外から獅子に切りかかったのだ。
 さすがにこの一太刀は獅子も気付く事が出来なかったようだ。切りつけられ、呻き声を上げる。

「ク‥‥ッ、伏兵か! やるではないか」

 だが返す刀は翼を羽ばたかせて中に逃れる。すかさずファングがソードボンバーを放つも、これもそれほどのダメージは与えられない。
 油断なく獅子を見据えながら、グランは背後に庇った仲間達に言葉少なに詫びた。

「遅れた。すまない」
「まったくです」

 シャルロットがそう言ったが、もちろん怒ってなど居ない。むしろ、急の依頼に応えてやって来てくれた仲間への感謝で溢れている。
 3対1となった冒険者は、宙に居る獅子に改めて攻撃を開始した。だが敵は冒険者達の攻撃をいなし、避け、或いは魔法で攻撃してくる。それに加えて、獅子に魅了された人間達が冒険者に向かって攻撃してくるのを避けながらでは、圧倒的に不利だった。
 やがて獅子は翼を羽ばたかせて姿を消す。残されたのはひたすら向かってくる魅了された者達に、メリッサの指示を受けて人間達を襲い出した魔物の集団。オルステッドが応戦していたが、1人でウォルフを庇いながらでは限界がある。
 借り物の兵士達に命を賭けるような事までは頼めない。シャルロットは主に人々の保護を頼み、魔物達を倒すべく散った仲間達の後を追った。魔物の魅了は時間が経てば切れる。それに期待するしかない。
 声高に人々に警戒を促し、決して家から出ないよう警告しながら、冒険者達は小さな町を走り回り、見つけた端から魔物を切り伏せていく。それは、いつ終わるとも知れない戦いだった。





「‥‥元凶を押さえれる絶好の機会を逃したな」

 すべての魔物を駆逐し終えた事を確認し、冒険者達はようやく一息つくことが出来た。結局目的のカオスの魔物もメリッサの確保も出来なかったが、町を魔物から救えた事は確かだ。兵士に寄れば、大きな怪我人も死者もなかったと言う。
 戦いの最中に負った傷を癒し、人々の様子を見て回る。その最中、グランが暗い顔をしたウォルフに声をかけた。

「なかなか大変だったようだな」
「あ、いえ‥‥本当にありがとうございます、皆を助けてくれて‥‥」

 応えながら作り上げた笑みもやはり翳りがある。オルステッドから、メリッサとの間に交わされた会話の事は聞いていた。それが、そして町の現状が恐らく、ウォルフの胸に重くのしかかっているのだろう。
 そんなウォルフに、あえてグランは言う。

「引くも進むも。ここからは本当の『覚悟』が必要になる」
「覚悟‥‥ですか?」
「ああ。決着をつける覚悟、とでも言うか」

 その言葉にウォルフは泣きそうに顔を歪め、だが泣きはしなかった。たくさんの人を傷つけ、弄んだカオスの魔物。その魔物を主と仰ぎ、魂を捧げるのだと笑ったメリッサ。
 その彼女との間につけなければならない決着――その意味が判らないほど、ウォルフは愚かではない。

「今すぐ、と言う話じゃない‥‥覚悟が決まったらギルドをもう一度訪ねることをお勧めする」
「そう、ですね。その時は‥‥」

 その覚悟を決める事は、容易ではないけれど。でも多分その覚悟を決めて良いのは、この世でただ一人、ウォルフだけだ。
 姉を討って欲しいと―――せめて人間のまま精霊界へ行かせてやって欲しいと。

(メリッサ姉さん)

 取り戻したいと願っただけなのに、その結果はあまりにも苦しい。ウォルフは喘ぐ様に空を見上げた。





 2つの町を狙った攻防戦は一応の決着を見た。南の町の方では死傷者も多数出たようだが、歴戦の冒険者とは言えたった2人でここよりも大きな町を守るのは容易ではない。それを思えば、『死屍人形遣い』を追い払う事が出来たのだし、人々への被害を最小限に食い止められたと言える。
 魅了の解けたドゥンナ・テキシアは、己の非礼を詫び、止めてくれた事に丁重に礼を言った。傷つけた娘へは改めて許しを請いに行くらしい。許して貰えるかは判りませんが、と苦い表情で笑っていた。
 そうしてドゥンナは去り際に、そう言えば、と冒険者に告げた。

「あの方はご自分の事を『精霊の言葉を騙るもの』と仰ってましたわ。私、偶然耳にしたのです。不思議な事を仰るものだ、と思ったのですけれど」

 カオスの魔物だったのですね、とどこか悲しそうに呟くドゥンナ。魅了されていたとは言え、それでも一時、彼が心の支えだった。
 多くの人々の心に割り切れない感情を残し、戦いは終わったのだった。