【バレンタイン】聖なる愛を勝ち取れ!
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■イベントシナリオ
担当:蓮華・水無月
対応レベル:8〜14lv
難易度:普通
成功報酬:0 G 83 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:02月12日〜02月12日
リプレイ公開日:2009年02月20日
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●オープニング
「ねーねーッ! ちょっと見てコレーッ?」
静謐を旨とする宮廷図書館、その作業室の一角で。
黙々カリコリと筆ペンを走らせていた3人の女性のうち、ひよこ色の髪の女性レダが突然、ガバッと顔を上げて大声で同僚を呼んだ。ん? とその声に顔を上げる残る2人。
うち1人、萌黄色の髪の女性アーシャが気弱そうにコクリと首を傾げた。
「な、何‥‥? と、突然バカみたいな声出されると‥‥‥ビ、ビックリするわ‥‥‥」
気弱そうな口調だったが、言ってる事は決して気弱ではない。
なによぉ、と唇を尖らせたレダの手元を、ひょい、と好奇心旺盛に覗き込んだのは最後の1人、黒色の髪の女性リンカーナだった。
「何々? 『聖バレンタインの日』‥‥『恋人の祭典』‥‥? あらあら、いかにもレダが好きそうな話題ね」
「だしょー? ああん、もう、この本担当になってラッキー♪」
「レ、レダちゃんは‥‥い、色ボケしてますから‥‥」
現在、3人は写本の真っ最中だった。天界から伝わった印刷技術もあるにはあるがまだまだ珍しい存在であり、本と言うもの自体も貴重品であるアトランティスにおいて、本は手書きされるものであり、複数出回る場合でも人がせっせと書き写した写本と言う形で伝わるのが一般的だ。この宮廷図書館においても、原本ももちろん保管してあるが、閲覧用に回すのは写本が多い。もしくは、無理を言って借りる、あるいは所蔵者に頼んで見せてもらった本をせっせと書き写して蔵書としたものもある。
だから図書館職員にとって写本はとても重要な仕事だ。だがしかし、そこに幾らかの楽しみを見出さずにはやってられない、と言うのも本音の話。
レダは楽しそうに本のページをめくった。
「これは天界の季節の行事についてまとめた本なんだけど、ちょうどこの季節には『聖バレンタインの日』って言うお祭があるんだって。地域によっても違うみたいなんだけど、何と言ってもあたしが気に入ったのはココッ! 天界のとある地域では、女性が意中の男性にお菓子を作って愛を告白するんだって♪」
「あらあら、女性からなの? それは、男性は良いトコ取りじゃない?」
「そ、それに‥‥だ、男性はお菓子はあまり‥‥‥す、好きじゃないんじゃ‥‥‥?」
「ん? それもそうか‥‥でもお菓子って書いてあるけどなぁ?」
「や、訳を間違えたか‥‥‥う、写し間違いかも‥‥」
首をひねるレダに、アーシャが指摘する。
レダが持っているのは天界から伝わったと言う書物だが、原書ではない。ちゃんとセトタ語で書き直されているそれは、つまり、一度誰かの手に渡って元の言語から翻訳された、と言う事だ。その過程で誤訳が生じる可能性は十分あるし、一冊の本を丸まる手書きで写すのだから当然、誤写だって出てくる。
そのせいではなかろうか、というアーシャの言葉に同僚2人は納得の表情で頷いた。
「なるほど、なるほど。じゃあここはお菓子じゃなくて、お料理を作って愛を告白、って言うのが妥当ね」
「そうねぇ。でもお菓子は食べたくなぁい?」
「た、食べたいです‥‥‥」
「モチ食べたい♪ じゃあ女性から男性へはお料理、男性から女性へはお菓子を作って愛を告白、ってことでどうかな?」
レダが同僚を見回してそういうと、良いんじゃない、と同意が返る。
だがすぐにリンカーナがどんよりと暗い表情になった。
「て言うかそれ、私みたいにお料理が出来ない人間には苦痛のような行事ねぇ」
「リンカーナさん? どうかしたの?」
「リ、リンカーナちゃんは‥‥‥こ、こないだ彼氏に手料理を作って‥‥ま、不味いって言われたのです‥‥」
「ええそーよ、どうせ私はお料理が苦手よ? だからってね、精一杯心を込めて作った料理に対して開口一番『豚の餌』は酷くない? そんなの私が一番良く判ってるのよ、それでも男だったら愛のために黙って食べろってのよ!」
「うっわ、それサイテー! そんな男クズだね、クズ!」
「ひ、人として終わってるのです‥‥‥」
「そうよね? このブロークンハートを慰めるためにもレダ、その写本にはちゃんと、贈られた料理はその場で全部食べるのが愛の証、って書くのよ!」
「オッケー♪ 食べられなかったら?」
「そ、その時は‥‥‥せ、宣戦布告とみなして戦うのです‥‥お、女の愛を無碍にすると怖いのです‥‥‥」
アーシャの言葉に、うんうん、と頷く女性一同。女の愛を舐めてはいけない。
カリコリ筆ペンを走らせて居たレダが、ふいにニヤリと笑った。
「ねーねー、見たくない?」
「何を?」
「もっち、『恋人の祭典』を♪ 冒険者ギルドにさ、冒険者が一杯居るでしょ? あそこ、夫婦で冒険者をしてる人とか、恋人同士の人とかも居るじゃん?」
「つ、つまり‥‥‥ぼ、冒険者にこの行事を再現してもらうのですね‥‥‥?」
「あらあら、それ、良い考えね。一般参加も募ればきっと、もっと楽しくなるわよ?」
「だしょー? 冒険者って天界から来た人も多いしさ、きっと盛り上がると思うんだよね♪」
ニヤリ、と今度は3人揃って不気味な笑みを浮かべる。頭の中はすでに、見たこともない『恋人の祭典』で一杯だ。
「あ、あの‥‥‥あ、相手が居ない方はどうします‥‥‥?」
「あらあら、愚問よ、アーシャ。『恋人の祭典』は愛を告白するお祭なのでしょ? その日限りの恋人って言うのもロマンがあって素敵なものよ?」
「リンカーナさんは割り切りすぎ! でもお祭なんだからその場のノリで良くない?」
「レ、レダちゃん‥‥も、猛牛のように燃えているのです‥‥‥」
「もっち! ここでダーリンをゲットして玉の輿に乗って見せる!」
「あらあら、レダ、そうがっついてると逃げられるわよ?」
そんな事を言いながら依頼の書面を書き上げた3人の女性達は、たまたま通りかかった同僚の図書館司書エリスン・グラッドリーにその依頼書を冒険者ギルドに持って行くよう念を押し、写本も何も放り出して当日のプランを練り始めたのだった。
その冒険者ギルド。
「‥‥‥天界の行事って詳しくないんですけど、こんな行事でしたっけ?」
「さて。書物によって伝わることも異なりますからな」
「まぁ、それもそうですけど‥‥‥宣戦布告に決闘って、愛を告白する割に結構デンジャラスって言うか‥‥‥」
託された依頼書を間に挟み、首をひねる受付嬢とエリスンの姿があったのだが、もちろん真実など判るはずもなかった。
●リプレイ本文
ウィル郊外、比較的平易な草原。そこが今回、天界における『恋人達の祭典』聖バレンタインなるイベントの会場として選ばれた場所だ。
愛を賭けて戦う者達のため、すでに幾つもの天幕が張られ、仮設の調理場が準備されている。周囲約50m四方はロープで区切られ、愛を見守る者達(ようは野次馬)のために観戦用のテントや座席も据え付けられていた。
会場を彩るのは、ハート型・リボン型・星型その他諸々ファンシーな形に切り抜かれた、色鮮やかな赤やピンクの布。風にそよぐ様は目にも楽しく、集まった人々はそれを見て
「綺麗ねー!」
「力が入ってるなぁ!」
口々に歓声を上げながら、初めて見る『聖バレンタイン』とは一体どんなものなのだろう、と想像を膨らませた。
それらの装飾を用意したのは、会場設営から手伝ってくれたリール・アルシャス(eb4402)とレイン・ヴォルフルーラ(ec4112)。二人は人々の反応を見てほっと顔を見合わせる。どんな飾りが喜んでもらえるか、見て楽しめるか、一生懸命頭を悩ませ、準備した苦労が報われると言うものだ。
発起人の図書館3人娘が結構大々的に宣伝して回ったらしく、続々とやって来る観客に紛れて、本日の聖戦参加者も少しずつ集まってくる。自ら名乗りを上げた冒険者も居り、一緒にこのイベントを楽しもう、と誘われて快くやって来た者も居り。
そんな者達の1人、冒険者街の彩鈴かえでが、レインに気付いてひらひら手を振った。
「どもどもレインちゃん、今日はお招きありがとう、だよ♪」
「あ、かえでさん! こちらこそ、来てくださって‥‥」
「かえで、いらっしゃーい!」
パッと顔を明るくしたレインの横をすり抜け、なぜか真っ先にぎゅむりとかえでに抱きつくアシュレー・ウォルサム(ea0244)。わわわ、と必死で逃げ出そうとジタバタもがく女子高生の抵抗も何のその。ていうか、かえでさんを呼んだのはレインさんなんですが?
えっと、と反応に困ったり、でもすごくアシュレーさんらしいかも、と思ったり、忙しく表情を変えながら甘やかさとはかけ離れた男女のバトルをおろおろ見守るレイン。少し離れた所からその様子を見ていたリールは、ふと寂しげな微笑を浮かべた。だが、軽く頭を振ってその想いを振り払う。
今回、彼女は仲間達の恋のイベントを盛り上げるべく参加した。ならば今は、そちらに集中すべきだろう。
「お三人とも。そろそろ始まるぞ」
「んむ。では行きますか。かえで、覚悟してね」
「何の覚悟ッ!?」
「あ、えと‥‥リールさん、よろしくお願いします、ね」
わいわい賑やかに調理会場と向かう2人の背中を追いかけようとして、レインは気遣うようにリールを見た。彼女が心配なのだけれど、こんな公の場でそれを訪ねて良いものか。
だから結果として『いつも通り』を心がけながら心配が前面に出てしまう友人に、大丈夫だ、という気持ちを込めてリールは頷いた。
「ああ。レイン殿もアルジャン殿にあげる料理、頑張ってな」
「あわわわわっ、が、頑張ります‥‥っ」
恋人のアルジャン・クロウリィ(eb5814)の名を出され、顔を真っ赤にしてぎゅっと拳を握る友人に、ほんの少し気持ちが楽になった気がした。
さて、このイベントは王宮図書館に勤める女性職員レダ、アーシャ、リンカーナ、通称3人娘の提案による、天界所縁の行事を再現したものである。
ルールは簡単。意中の相手に想いを告げるため、男性は女性にお菓子を贈り、女性は男性にお料理を贈る。贈られた者は、相手の気持ちをまずは受け止める、という意味でその場ですべて食べた上で、告白の返事をするのがマナー。もし食べる事自体を拒否したり、食べ残した場合には相手に対する宣戦布告と見なされ、贈った者の決めた種目で決闘する。
参加者の多くは、初めて聞くイベントの物珍しさに目を輝かせた。ジ・アースは勿論、アトランティスだって地域によれば同じ名の祭でもしきたりが違うもの。ならば天界伝来のこのイベントが、天界出身のかえですら首をひねったものだとしても、一体何の不思議があろうか。
とまれ、まずは贈るお菓子やお料理を作らねばならない。うやむやの内にイベント総責任者になっていた王宮図書館司書エリスン・グラッドリーの『そろそろですな』という言葉を受けて、本イベントの実況中継を引き受けたリールの
「では位置について――用意――始めッ!」
高らかな宣言によって、参加者達は一斉に調理場に向かって駆け出した。材料は事前に参加者の作りたい物をサーチした裏方達によって用意されている。誰なのかは聞いてはいけない。例えその中に自分の存在意義を真剣に悩みながら駆け回る受付嬢(本日非番)の姿を見つけても、気付かないフリをするのが大人のマナー。
三々五々、あえて会場の各所に散らばせた簡易調理場を確保し、抱えていた材料を広げて準備に掛かる。余談ながら、当初はこの材料も会場各所に隠して探そう、と3人娘レダが主張したのだが、同じく3人娘アーシャの「で、でも‥‥め、めんどくさいのです‥‥」という言葉で即却下されたらしい。
その3人娘も調理場を確保し、参加者(主に男性陣)にチェックの視線を走らせつつ、用意された材料を確認している。そして
『おーっと、早くもジュディ殿がピンチーッ!?』
「はあ、はあ、私、激しい運動はちょっと‥‥ひゃんッ!?」
「ジュディねーちゃん、大丈夫かな?」
メガホン(エリスン用意)を口元に当てて叫ぶリールの言葉に観客が視線を向けると、よろめきながら調理場を目指すジュディ・フローライト(ea9494)が、悲鳴も可愛らしく小石に蹴躓いて盛大にひっくり返った所だった。ついでに口から赤い飛沫が‥‥赤い飛沫!?
すぐ近くの調理場に居たフォーレ・ネーヴ(eb2093)が慌てて駆け寄って助け起こすと「まぁネーヴ様、これはご丁寧に」と微笑む。その笑みはまさに聖なる母の僕たるに相応しいものだったが、たらたら口の端から血を流しながらでは台無しだ。と言うか怖い。
確保していた調理場をジュディに譲ることにして、頑張って走ったせいでまだちょっと足がカクカクしている彼女の手を引くフォーレの姿に、観客達から拍手と声援が送られる。ちなみにこのイベント、調理の速度は関係ないので、悪しからず。
さて一方、パティシエの名も高い鎧騎士アルジャン・クロウリィ。
「菓子作りと来れば、趣味で鍛えたこの腕が唸る。うむ」
そう言う彼は日頃から、共に暮らす3人の愛する娘達(注・精霊)の厳しい評価を頂きつつ、お菓子作りに精を出している。彼がこのイベントに名乗りを上げたのは、恋人のレインに誘われたからと言うのもあるが、己の腕を存分に振るう機会と見たのも事実。
まずはしっかりと角が立つまで生クリームを泡立てる。力任せにやるのは素人。手首のスナップを効かせつつ、二の腕辺りには余分な力が入らない状態が理想だ。
『ふむ、なかなか手馴れてますな』
『ああ。エリスン殿も一度食べて見られると判るが、アルジャン殿の作られる菓子は本当に美味しいんだ』
なぜかエリスンも一緒にコメンテーターをやっていた。
そんな外野はものともせず、続いてメインのスイーツ作成に取り掛かる。4つに切ったリンゴに蜂蜜をかけてしばらく置いたものを、さらに蜂蜜と白ワインでコトコト煮立てる。皮は剥いてもそのままでも良いが、今回は後者。かなりリンゴが柔らかくなるので煮崩れを防ぐのにも役に立つ。
焦がさないよう少しずつリンゴを動かし、火の具合を確かめるアルジャンの向かいの調理台では、マルチタスクな男アシュレー氏が小麦粉をふるいにかけている。彼が今回作成するのはある意味王道、蜂蜜で甘さもばっちりのクッキーだ。心地よい歯ざわりと食感のためには、ここは手を抜いてはいけない所。
たっぷりのバターと卵黄と蜂蜜を混ぜ合わせたものに、手早く小麦粉をふるい入れてさっくり混ぜる。この時、捏ねてしまうとヘンな粘り気が出て堅い食感のクッキーになってしまうので注意が必要だ。また、手の熱などが伝わってバターが溶けてしまうと風味を損なうことにもなる。
無論そんな事は承知のアシュレーは、いっそ鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で手早くさっくり生地をまとめてみせた。調理台に粉を打ってボウルの中の生地を置き、やはり粉を塗しためん棒で均一に生地を伸ばしていく。
『この時の粉の量が意外と伏兵だったりするんだ』
『なるほど。しかしアシュレー殿は大丈夫そうですな』
危なげのない手つきに、コメンテーターも適当な感じでコメントを残して次に移動する。と、隣の調理台から『ボムッ!!』と明らかに料理には関係のなさそうな異音が。ていうか爆発音が。
何事!? と観客とコメンテーターと参加者の視線が集まった中で、萌黄色の髪を風に靡かせ、アーシャはビックリするぐらい満足そうな笑みを浮かべた。
「せ、成功なのです‥‥」
『何が!?』
思わずメガホンで激しいツッコミを入れるリール。まだもうもうと立ち上る煙で、アーシャの手元にある料理(なのだろう、多分)は彼女の位置からは見えない。否、見るのが怖い。
うふふ‥‥と会場内を見回したアーシャの視線から逃れるように、思わず首をすくめる男性一同(除くアシュレー)。目を合わせたら多分終わる。何かが。
彷徨う視線がやがて一箇所に定まる。見守る観客とコメンテーターは、思わずごくりと唾を飲み込み、その視線の先を追った。会場を時計に見たて、アーシャの居る場所を12時とするなら、大体4時辺りの位置。そこに居たのは、意外と小器用にナイフを扱いパンを切っている赤毛の青年。
『あれはどなただ‥‥?』
『ふむ、シルレイン殿ですな』
面識のないリールの疑問に、隣で目を凝らしていたエリスンが応える。ウィルの下町で何でも屋を営み、冒険者に憧れる青年だ。本日は顔馴染みの冒険者レインに招かれ、2つ返事で参加を決めた。
だが今の問題は、そんな事ではなく。
案の定、アーシャは良い笑顔のまま標的――でなくシルレインに近寄る。高まる緊張。気付いた冒険者も手を止め、その様子を伺っている。
そして
「シ、シルレインくん‥‥こ、これ私の気持ちなのです‥‥」
「へ? てか俺、姐さんの事知らねぇけど?」
ある意味期待を裏切らない返答をする青年。ごくごく真剣な表情でコクリと首をかしげ、差し出された皿(何かが泡立っている)とアーシャを見比べている。
アーシャの口の端がピクリ、と動く。笑顔は変わらない。むしろますます良い笑顔だ。無言で調理台に皿を置き、さっと上着の隠しポケットに手を入れる。
「そ、それは‥‥せ、宣戦布告ですね‥‥♪」
「え、何が? ッていうかその鞭なんすか!? しかもめっちゃ嬉しそう!?」
『あ〜やってしまった、シルレイン殿! 戦闘開始だ! 皆様、安全な位置迄お下がり下さい(というかシルレイン殿、もしかしてルールを知らないんじゃ)』
『(‥‥おお、そう言えば)』
ぽむ、と手を打つエリスン。流石にリールの胸に同情の念が去来した。だがルールはルール。怯えた子犬のようにジリジリ後ずさるシルレインと、良い笑顔のまま妙に慣れた手つきで鞭をピシリと鳴らすアーシャ嬢の戦いを止められる者は、この場には存在しない。
「か、覚悟するのです‥‥ッ♪」
「何の覚悟っすかーッ!?」
‥‥‥取りあえず健闘を祈るしかない様だ。
そんな戦いの様子(『アーシャ殿の先制攻撃! シルレイン殿、鞭をマトモに食らったーッ!』by実況中継)をおろおろ見ていたレインは、ふと真剣そのものの表情になると、薪オーブンの中を覗き込んだ。彼女が作っているのはミートパイ。時間的にはそろそろ焼きあがりだ。
(アルジャンさんがお料理上手な方なので緊張します‥‥)
何しろ彼女の恋人はパティシエの異名も持つ料理の達人。精一杯の想いを込めてパテを作り、パイ生地を仕込み、何度も何度も味見をして全力を尽くしたが、彼の舌に合うか、変な失敗はしてないか、心配は後から後から泉のように湧いて出て。
匂いは美味しそうだが、と覗き込むとこんがり狐色に焼き上がったパイが鎮座している。形が想像より微妙に‥‥否、大事なのは味だ、気持ちだ。
バッシャーン、と激しい戦闘の音(『おーっと、シルレイン殿、落とし穴だーッ! 中には水が張ってあるーッ!』by実況中継)も、今のレインには聞こえない。火傷しないよう慎重にパイを取り出して調理台に置き、上から見て、横から見て、ちょっと持ち上げて下を覗き込んで、もう一度上から。うん。美味しそうだ。
暖かいうちに届けたくて、アルジャンの姿を探せばなんと、当の相手がやってくる所だった。先のリンゴを小さめの器に生クリームと共に盛りつけた完成品。甘い物と合わせるので、生クリームはあえて甘みは殆どつけていない。近頃冷え込むから甘く温まるものを、と温かいお茶も用意の上で、彼もまた冷めないうちに恋人に届けに来たのだ。
「うむ、その‥‥既に告白だとかの段階は過ぎてはいるが‥‥良いじゃないか。うむ」
「あ、は、はい、あの、お口に合うかどうか判らないんですけど、私も‥‥アルジャンさん‥‥、これからもよろしくお願いします‥‥大好きですっ」
照れたような笑顔で器を差し出すアルジャンに、いつまで経っても初々しさの抜けない恥らう笑みで精一杯の思いを告げながらパイを渡すレイン。周囲の喧騒(『あっ、アーシャ殿が何か取り出した! あれは‥‥鞭!? なんとアーシャ殿、2本の鞭でシルレイン殿を追い詰める!』by実況中継)も2人の世界を壊す事は出来ない。
はずだったのだが。
「ねぇねぇ騎士様、あたしのお料理も食べて♪」
ひょい、と大皿料理を両手に捧げて、2人の間に体をねじ込むようにして立つ小娘一人。ぽわぽわのひよこ色の髪が揺れている。
はい? と思わず彼女を振り返った恋人達に、ニッコリと満面の笑みで図書館3人娘が1人レダが悪びれなく言った。
「優良物件の男性にはもれなく声掛け中でーす☆ 騎士様もゼヒ♪」
「‥‥うむ。義理であれば頂かせて貰おうと」
「もっち本命です♪」
「であれば申し訳ないが、僕にはレインというものが」
「あ、大丈夫、愛人とか第2夫人とかでも全然オッケーだから!」
「ふむ、ならば‥‥」
「だ‥‥ダメですッ!」
どうにも簡単に引きそうにないレダに、仕方あるまい、とアルジャンが戦う覚悟を決めたのと、周囲に響く大音声が言ったのは同時。キョトンと目を丸くしたレダと、気勢を殺がれたアルジャンと、成り行きを注目していた観客とコメンテーターの視線が、一斉に叫んだ少女に集中する。
は、と我に返ったレインが、全員の視線が向けられている事に気付き、耳まで真っ赤になった。あわわわわ、と慌てふためいて、恋人を見て、レダを見て、また恋人を見て。
真っ赤な顔で、ちょい、と引っ張るように彼の服の裾を掴み
「あ、アルジャンさんは‥‥ダメです‥‥ッ」
消え入りそうな声で、だが主張すべき所はしっかり主張したレインの姿に、会場中から感動の拍手が沸き起こった。のみならず、ヒュウッ! と冷やかしの口笛もちらほらと。
あっという間に外野に置き去りにされたレダは、ふむ、と首を捻る。
「ちぇー、やっぱダメかー。となると残ってるのはー」
「ん。俺のトコにおいでよ」
目ぼしい相手を探そうとキョロキョロし始めたレダに声をかけたのは、器に山盛りの焼き立てクッキーを片手に捧げたアシュレーだった。いつの間にやら持参した魅惑のスーツへの着替えも完璧。どこで着替えたのかはきっと、聞いてはいけないお約束だ。
ハイどうぞ、と人好きのする笑みで差し出したクッキーに、目を輝かせたレダがポォンと1つ口に放り込み
「うっわー、美味しい☆」
「あっちで皆で食べながら話そうか。レダの友達やかえでも居るし」
ナンパスキル全開の笑顔で指差した先には、晴れ晴れとした笑みでクッキーを齧るアーシャと「ダーリンのバカーッ」とテーブルに突っ伏して泣いているリンカーナ、「ク‥‥ッ、アシュレー君のお菓子は美味しいんだよ‥‥」と口惜しそうな表情のかえでが居る。彼女はお菓子を断っても決闘で勝てそうになく、ならば食べるしかないと手を出したら止まらなくなったらしい。恐るべし、アシュレー・ウォルサム。
(ま、責任取れっていうなら、まとめて面倒見る覚悟で)
その覚悟は男らしいと言うべきなのか?
わーい♪ と2つ返事でついて行ったレダの背後では、恋人達が再び2人の世界に突入しており。さらに別の場所では、敬愛する神父の為に血と汗を振り絞って料理を作るジュディの姿がある。
今回、残念ながらジュディが招待した神父は多忙で来訪が叶わなかった。念の為に総責任者のエリスンも、イベント開始前にも教会を覗いてみたのだが会う事は叶わず。
だが彼が多忙だと言う事は、ジュディ自身も良く判っている。それでも一縷の望みを賭けたのだが、叶わなかったのは仕方ない。ならばこの場はせめて、天界の行事にあやかって日頃の感謝の気持ちと、精一杯の愛情を込めて彼の為に料理を作りたい。
選んだのはキャロットスープ。用意された材料を丁寧に洗って、皮を剥いて、刻んで、煮込んで‥‥途中で何度も指を切ったり、それどころか切り落としかけたり、さらに集中するあまり吐血までしたりしたのだけれど、それでも挫けず精一杯頑張って。
コトコト煮込んで、柔らかくなったスープを最終的に小さなカップに盛りつければ完成だ。細かく切ったパンを焼き上げて作ったクルトンもそえれば完璧。
ちょっと、味見をしてみる。
(‥‥微妙に赤っぽいかもしれませんけど‥‥お味もしょっぱくなってしまったかもしれませんけど‥‥)
製作過程的にまあ、その赤やら塩味やらがどこから来たのかは割愛させて頂くとして。
それでも精一杯の気持ちは篭っているはず、とジュディは微笑んでかの人を想う。帰りに教会によって、叶うなら彼にこのスープを渡そう。そして告げよう――好きです、と改めて、万感の思いを込めて。
そう思う、ジュディの顔には自然、柔らかな笑みが浮かぶ。それは母なるセーラの教えである慈愛を体現したものではなく、1人の恋する乙女としての甘やかな笑み。
『見てるだけで微笑ましくなるな!』
『ふむ、愛を貫くには障害もつきもの、という事ですな‥‥と、フォーレ殿?』
そんな様子を逐一解説していたコメンテーターの2人の傍には、いつの間にやらフォーレが居た。隠密スキルを磨くのに余念がない彼女、どうやら2人の傍へも気配を消し、足音を消して近寄った様子。
何か不手際でもあったか、と首を傾げたエリスンの前に、ひょい、と差し出されたのは野菜たっぷりのサンドイッチだ。
「はい♪ どぞ、だよ?」
「おや、これはありがとうございます」
渡された皿を素で受け取ってから、ふとその意味に気付くエリスン。今は聖バレンタインなるイベント中で、受け取ったものはその場で食べ切らなければならないのが掟。
ちなみにフォーレにはちゃんと故郷に相手が居る。だが今ここにその相手は居らず、ならば楽しむ為に参加したイベントで、誰にも渡さないと言うのも無粋な話。それ故の『エリスンに』だ。
ふむ、とメガホンを置いてサンドイッチを一口食べるエリスン、こちらは勘違いすらしてない。天然属性の朴念仁は、愛のイベントに参加してすら鈍かった。
「ほう、これはマスタードですな」
「そうそう♪ バターと混ぜてぴりっ、と辛みが美味しいよね♪ 野菜は水洗いしただけ〜」
「ふむ、これは中々‥‥」
どこかの料理番組のようなコメントを交わしながらサンドイッチを食べるエリスンと、食後の飲み物を手にワクワクした目で見ているフォーレと、2人の間にある皿を順番に見て、思わずリールは呟いた。
「エリスン殿‥‥全部食べられるのか‥‥?」
サンドイッチは軽く5人前はあった。
メインイベントは恙無く終了し、観客達は数々の恋の戦いを目に焼き付けて、大いに満足して帰っていった。だが参加者達のイベントはまだ終わらない。
「だからさ、リンカーナは多分、調味料を入れるのに思い切りが良すぎるんじゃないかと」
「うむ。後は状態によって火加減をこまめに調節して、だな‥‥」
「やっぱりそうかしらねぇ。レシピ通りに作ってるつもりなんだけど」
「う♪ 料理のコツを伝授するから、彼を見返してやれば〜」
今日も今日とて彼氏に手料理を贈って玉砕したリンカーナには、料理上手の冒険者達が結構親身になって料理のいろはを伝授している。一方同じテーブルの反対側では
「ミートパイ、かえでさんもどうぞ。皆さんにもお世話になってますから」
「おおっ、ありがとうだよ、レインちゃん♪」
「あたしも貰って良いの?」
「は、はい、勿論です! レダさんも、その‥‥お世話になったと言うか‥‥」
「そうだな、ある意味お世話になったな! レイン殿のも美味しいけど、レダ殿のも美味しいぞ」
「レ、レダちゃんは‥‥い、意外にもお料理上手なのです‥‥」
「まぁ‥‥本当に、とても美味しいのですね‥‥」
女性陣がそれぞれの料理を食べ比べ、合間にアシュレーのクッキーに舌鼓を打ちながらわいわいお喋りに興じている。プツプツと泡の立っているアーシャの料理にだけは、本人含め誰も手を出さないのが微妙だが。
参加した者も、見守った者も、直接対決した者も、そうでない者も、誰もの胸にあるのは『共に戦い抜いた』という達成感。そのスパイスがあれば、作ったお料理だって倍も美味しくなるものだ。
手取り足取り料理を叩き込まれているリンカーナを指導していたアシュレーが、そんな女性陣に極上の笑顔を振舞う。その下にある本性を知る面々は、うっ、と一瞬体を強張らせ。知らないレダとリンカーナは、素直に頬を赤らめる。顔が良いって得だ。
そして未だに気付いていないと思われる希少な存在であるジュディは、やっぱり今も何も気付かない様子で微笑んだ。
「ウォルサム様も今日は残念でしたね」
「ん。まぁ、会えなかったのはしょうがないからねぇ。良いモノは撮らせてもらったし」
2人が言っているのはアシュレーやアルジャンが度々依頼などで親しくしている少女の事だ。本日のイベントにアシュレーは、彼女を誘うつもりで居た。だが生憎アシュレーも、言伝を頼まれたエリスンも会う事が出来なかったのだ。
とは言え彼女は彼女で忙しいのだろうし、約束もなく街を歩いて出会う確率もどれほどのものだろう。だからアシュレーは気にしていない。楽しみにしていたアレやコレやは、次に会えた時のお楽しみに取っておくとして。
『良いモノって何ですか!?』と真っ赤になったレインに、『そりゃアシュレー君と言えば、ねぇ』とニヤニヤ笑うかえで。彼の心の友が天界製デジカメだと言う事は、多くの人間が知る事実だ。
そんな仲間達の楽しそうな姿に、リールはふと想いを馳せる。
本当は彼女にも来て欲しかった、料理と共に思いを告げたかった人が居る。だがその人は何かの事情で――
最後に交わした言葉を思い返すたび、悲しみと言うよりはむしろ、衝撃と戸惑いと憤りがない交ぜになった、何とも言いようのない感情が去来する。その感情にどんな名前をつけるべきなのか、今はまだ判らない。彼の言葉が本心からのものではなかったことは判っているつもりだが、到底納得出来たものじゃない。
だったら、彼女が取るべき行動はただ一つだ――そう思い定め、彼女は不敵に微笑んだ。
誰もが楽しい思い出を胸に家路についた、その夜ふけ。
「ここからは大人の時間、だね」
魅惑的に微笑むアシュレーの差し伸べた手の先に、誰が居たのか――彼の自宅を拝んだ勇気あ‥‥いや幸運な女性は居たのか――それは皆様の想像にお任せする事としたい。
そしてアーシャ嬢にこてんぱんにされ、最後にはコメンテーターにすら忘れ去られたシルレインが、その後女性恐怖症になったかどうかはまた別の話である。