図書館の怪。
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■イベントシナリオ
担当:蓮華・水無月
対応レベル:8〜14lv
難易度:普通
成功報酬:0 G 83 C
参加人数:11人
サポート参加人数:-人
冒険期間:03月14日〜03月14日
リプレイ公開日:2009年03月21日
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●オープニング
エリスン・グラッドリーは、王宮図書館司書である。性格は一言で言えば本の虫。もっと言えば世間知らずの天然ボケの朴念仁。
時に、図書館に住み着いているのではないか、とまで噂されるエリスンが図書館の他に足を向けるところと言えば、まさに寝に帰るだけ、と言う表現が相応しい自宅に、時折開いている酒場の大ホール、そして冒険者ギルドだ。
図書館司書の彼が何ゆえ足繁く冒険者ギルドに通うのかと言えば、理由は簡単、図書館の蔵書は概ね読み尽くしてしまっているので、新たな物語を求めて依頼の報告書を読みに来ているのである。その時点で多分、第2図書館と勘違いしている様子が濃厚。
それはさておき、つまりそんな訳で、己の職場でもないのにエリスンには意外とギルド関係の知り合いが多く。
彼女も、そんな中の1人。
「‥‥あ、エリスンさん、ちょうど良い所に」
今日も今日とて冒険者ギルドを訪れたエリスンに、声をかけてきたのは受付嬢ティファレナ・レギンスだ。先日は図書館3人娘の通称で知られる王宮図書館女性職員発案のイベントでお世話になった。
これはこれは、と丁寧に頭を下げる。
「ごきげんよう、ティファレナ殿。何か御用でしたか?」
「ああ、ええ、まぁ、用と言うか、ご相談なんですが」
こくりと首を傾げたエリスンに、ひょい、とティファレナは肩をすくめた。
相談? とまた首を、今度は逆にこくりと傾げたエリスン。そんな彼にティファレナは、なぜか嫌そうに、渋々と、だが色々と諦めた様子で口を開く。
「エリスンさん、兄の事をお話したことが?」
「いいえ、兄上殿がいらしたとは初耳です。ティファレナ殿の兄上殿が、何か?」
「ええ‥‥少し、厄介な件に関わってるんですよね」
そう言ったティファレナが、簡単にエリスンに事情を説明した。先日、北の街道筋にある村が魔物に占拠された事。冒険者の助力を得てそれを解決した兄のグウェインが、その件を詳しく調べようとしている事。
エリスンは、なけなしの記憶の中からグウェインの情報を引き出そうとしたが、生憎書物に関しては人並み以上の記憶力を発揮する彼の頭脳は、それ以外の事には人並み以下にしか役立たなかった。結果、聞き覚えがあるかも、と言う曖昧な認識で落ち着き。
ティファレナが、気付くはずもなく言葉を続ける。
「それで、王宮図書館所蔵の書物も調べたい、と申しまして。ただ、兄の部署は勿論、冒険者ギルドとも管轄が違いますから、まずは確認してから依頼を受け付ける、という事になったんですが」
「‥‥つまり、兄上殿や冒険者殿で、我が図書館で資料調査をしたい、という事ですな。それは、閲覧者や業務に支障が出ない範囲であれば、ご協力したい所ですが」
ようやく合点が言った、とエリスンは納得して頷いた。頷いて、だが困った表情でため息を吐く。
「実は私も本日は依頼で伺ったのです。と言うのも数日前から、閉館後に何者かが蔵書を荒らしていく、という事態が続いてましてな。勿論我が図書館でも警戒は強めているのですが、出来ればこちらの冒険者にもお手伝い頂きたい、と思いまして」
「まぁ、それは大変ですね‥‥何か、手がかりやお心当たりは?」
「ふむ、なにぶん我らも素人ですから‥‥ただ、先日新たな書物を蔵書として加えたのですが、その夜から荒らされる様になったのです」
そうですか、とティファレナは新しい依頼書を出しながら眉を潜める。普通に考えれば、その書物に何か曰くがあるのか、と思う所なのだが。
「さて、特に心当たりがないのです。その書物は子供向けの物語の掌編を収めた物ですが、元の持ち主の方から快く譲って頂いたものですしな」
それはないだろう、とエリスンは首を振る。さりとて、賊が狙うほど価値がある物なのかと言えば、確かに本自体が貴重なものだが、物語自体は珍しいものでもなく。
何れにせよ、日々書架が荒らされるのでは、それを元に戻すだけでも重労働だし、書物にも良くない。幾ら表に出しているのは写本とは言え、貴重である事に変わりはないのだ。
エリスンの訴えを聞き、依頼書にペンを走らせていたティファレナは、ふと思いついて尋ねた。
「‥‥と言う事は、解決しない事には兄の依頼は」
「残念ですがご協力は難しくなるのではないかと」
予想通りの応えに、そうでしょうねぇ、と頷くティファレナ。
それでは宜しくお願いします、と深々とお辞儀をして冒険者ギルドを出て行くエリスンを見送って、さてこの事態をどう兄に伝えよう、と渋面を作るティファレナの姿がそこにはあった。
●リプレイ本文
「これはまた‥‥」
「すごい、ですね‥‥」
床一面、まさに手当たり次第、という言葉が相応しい様相に取り散らかされた本、本、本、また本の山。それらと、さすがにウンザリした表情で深いため息を吐く図書館職員たちを見比べて、ケンイチ・ヤマモト(ea0760)やディアッカ・ディアボロス(ea5597)も思わず一緒にため息を吐いた。
ウィル、王宮図書館。数多の書物を取り揃えるこの場所で俄かに起こったこの騒動を、解決するべくやってきた冒険者達だったが、さすがにこの惨状は言語失するものがあった。
エリーシャ・メロウ(eb4333)も惨状をつぶさに観察しながら、静かな怒りの言葉を吐く。
「如何に広く利用を許されているとはいえ、王宮図書館の書物は即ち国王陛下の財産。それを荒らすは、反逆罪にも等しいと知らしめてやらねばなりませんね」
「ホント、酷い事をする人も居るわよね! エリりん達、しっかり捕まえてね!」
騎士を励ますラマーデ・エムイ(ec1984)は、捕り物は苦手と言う事で書物の片付けと補修手伝いの為にやって来ている。こちらも人手不足‥‥と言うよりは連日の騒ぎに疲れ切っている職員多数と言う事で、名乗りを上げた瞬間歓迎の歓声が沸き起こったのだが、それはそれ。
元を断つ為にもまずは犯人を見つけなければ、と大量の書物の山を前に目的を再確認したのだった。
さて、書物が荒らされるのは夜中である。という事は、昼日中は下準備や調査などを除けば特にする事はない。
そんな訳で、夜への余力を残しつつ、幾人かの冒険者達も散らかされた書物を片付ける図書館職員の手伝いに立候補した。むしろさっさと片付けないと、職員達から話を聞くことも難しそうだった、とも言う。
「‥‥事前にエリスンさんから聞いた限りでは、赤い装丁という外見的特長を元に本を探しているように見えるが‥‥中身は読めず、ジャンルすら理解していないようだ‥‥」
「そう、そうなんですよ! だから絶対犯人は本の価値も解らない奴だって、私はずっとそう言ってるのに、館長は聞く耳を持ってくれなくて」
散らかされた本を、そのまま手当たり次第に書棚に戻すわけには行かない。まずは一箇所に集めて傷んでいないか確認をしなければならないという事で、床に落とされた本を運びながら尋ねたオルステッド・ブライオン(ea2449)に、隣に居た男は憤慨しながら大きく頷いた。たまたま当人だったようだ。
その話を耳に挟んだ別の職員が、チェックする箇所を教えていたギエーリ・タンデ(ec4600)と倉城響(ea1466)に「ちょっと待ってね」と言い置いてこちらにやってくる。
「だから館長も言ってたけど、赤い装丁の物だけが落とされてる訳じゃないでしょ。大体文字が読めないならなんで本を探す必要がある訳?」
「何か別の目的があるのかも知れないぞ」
「だったらその目的ってのは何なのか言ってみろよ! それでさっさと欲しいもんはやれば良いだろ」
「馬鹿を言うでない! ここにある本はすべて貴重品じゃぞ」
「だからって毎日毎日これじゃ身がもちませんよ! 原書はあるんだし、もう一回写せば」
「冗談じゃないわよ! 1冊写すのにどんだけ時間がかかると思ってんの!?」
「よ、羊皮紙だって‥‥た、ただじゃないのです‥‥」
そのうち図書館3人娘を含む他の職員達も集まって、喧々諤々の大騒ぎになってしまった。少し離れた場所で本を拾い集めていたエリスンが、思わず固まってしまった冒険者達に爽やかに笑う。
「お気になさらず。いつもの事ですから」
それはそれでどうかと思うが、つまり、それだけ職員達が身も心も疲れ切っている、という事だ。
まぁまぁ、とアシュレー・ウォルサム(ea0244)が間に割って入った。
「それを解決するために俺達が来たんだからさ。ほら、手伝うからさっさと片付けよう。そんなふくれっ面してないで」
「はーい☆」
「よ、よろしくお願いするのです‥‥♪」
たちまち機嫌を直し、黄色い声でアシュレーの傍によって行ったのはレダとアーシャ。彼女達は1月ほど前、天界の恋人達の行事だと言う愛をかけたお料理バトルで、1度彼と顔を合わせている。3人娘の残る1人、リンカーナはと言えばやはり同じバトルで知り合ったフォーレ・ネーヴ(eb2093)に、その後の料理の腕前やダーリンの評価などを涙ながらに語っていた。
取り合えずこのグループは置いといて大丈夫そうだ、とユラヴィカ・クドゥス(ea1704)は理性を取り戻した(いきなりの展開に毒気が抜かれたとも言う)職員達に、これまでに荒らされた書架の位置や置かれていた書物の種類、ついでに荒らされた日付も解る限りで確認していく。さらになくなった書物はないかも確認してたが、それはない、との事だった。
エリーシャが借り受けた簡易見取り図に、職員から聞き取った荒らされた書架の位置を記していく。それによると、取り合えず同じ書架が2度被害を受けた事は、今の所はないようだ。後は無秩序に見える荒らされた順番に、何か法則性がないか、だ。
一方、アレクセイ・スフィエトロフ(ea8745)とディアッカはエリスンに書いて貰った紹介状を手に、事件が起こり始めた日に本を寄贈したと言う商人を尋ねていた。
相手の狙いが解らない以上、冒険者が調査で動いている事を知られるのはあまり良くないだろう。そんな判断から、事前に問題の書物に一通り目を通しておいた上で、書かれている掌編に興味を持ち、より詳しいことを知りたくて聞きに来た、というスタイルをとる。
来訪の目的を聞いた商人は、満面に笑みを湛えて2人を歓迎した。だが内容について詳しい事は知らないのだ、と首を振る。
「妻は学のある女でしたが、私自身は商売に必要な幾つかの単語以外はからっきし文字が読めませんで」
「そうですか‥‥そうするとあの書物は」
「図書館の方にも申し上げましたが、妻が娘の為に書いた物でして。娘は妻に習いましたので文字は読めるようですが、商人の娘には役に立たない特技です。嫁ぎ先で賢しらな嫁だと思われないか心配で」
そう言って眉を潜める商人は、本当に寄贈した書物については何も知らないようだった。ならばその娘にも話は聞けないか、と2人が尋ねようとした所。
「お父様! お母様のご本の事でお客様がお出でって聞いたけど!?」
向こうから騒々しく飛び込んできて、商人は盛大に天を仰いで顔を覆った――嫁入り前の、嫁入り前じゃなくとも来客中の部屋に飛び込んでくるには、あまりにも礼儀知らずだ。
勿論アレクセイもディアッカもその事について触れはしなかったが、思わず視線が向いてしまったのは仕方のない所。飛び込んできた娘とばっちりがっちり目があって、さすがにはしたない事をした、と彼女は顔を赤くした。
「ご、ごめんなさい! お客様がいらっしゃるとは思わなくて」
さっきは「客が来たって聞いた」って言ってませんでしたか?
苦虫を噛み潰した表情になった商人と、まさか突っ込むわけにも行かない冒険者達に見つめられ、娘はもう一度真っ赤になって謝罪する。基本的に悪気はないのだろう。
構いません、と言い添えて、アレクセイが問いかけた。
「あの本は、貴女のお母様がお書きになったと聞きました。貴女はその事について、お母様から何か聞いてらっしゃいますか?」
「お母様から? ‥‥いいえ、覚えてないわ。母は早くに亡くなりましたし、あの本もいつの頃からか読まなくなりましたから」
「失礼ですが、ご家族はずっとウィルにお住まいで?」
「勿論です。私も妻も、昔ながらのウィルの商人の育ちですから」
ディアッカの問いかけに答えたのは商人の方だ。娘もコクコク頷いている。特に彼らの素性に何かある、という事もなさそうだ――これ以上詮索するのは失礼でもあるし。
と、迷うように2人を見ていた娘が、おずおずと口を開いた。
「あの‥‥お2人は、王宮図書館であの本をお読みになったのよね?」
「ええ、そうですが」
「その本の中に、その‥‥何か変わったものがあるとか、そんな事は‥‥」
「いいえ、特には‥‥何か‥‥?」
「え‥‥っ、い、いいえっ、何もないんです! ええ、何もッ!」
不思議な事を聞かれるものだ、と尋ねたアレクセイに、娘は慌ててバタバタと両手を振って否定した。あは、あはは〜、と引きつり笑いを浮かべている。
‥‥普通に怪しかった。
さて、夜である。
勿論王宮図書間の開館時間はとっくに終了していて、広い図書館の中には昼間に負けるとも劣らぬ静謐な空気が立ち込めていた。その中に息づく者はといえば、鍛え方が違うとは言え一日中重い本を持ったり下ろしたりを繰り返し、さすがにやや疲労の色が伺える者もちらほら見える冒険者達と
「私は司書室で本を読んでおりますのでお気になさらず」
一応現場責任者という事になって居残りをしているエリスンのみだった。ていうか、そう言い残して司書室に入って以来、一歩も外に出て来ない。大丈夫か、責任者。
まあ、居ても役に立つかと言うと大いに微妙なので置いておこう。
広い館内には、幸いにして隠れる場所も豊富にある。今までの被害状況を分析したところ、2階はまだ被害に遭っていない様なので簡単な罠を仕掛けるのみに留めた――1階にもまだ荒らされていない書架はたくさんあるので。
現在の所、犯人は順序こそデタラメだが、1度荒らした書架には手をつけていない様である。ならば後は、まだ被害に遭っていない書架を張り込めば良い‥‥のだがしかし。
「多いですよね‥‥」
苦笑したケンイチの言葉通り、単純にまだ荒らされていない書架、と言ってもその数は集まった冒険者の数より多かった。しかも、隠れる場所が多い、と言う事は見通しが悪いと言う事で。
故に幾つかの班に分かれ、交替で休憩を取りつつ慎重に気配を探り、時に見回りつつ賊の登場を待つ、という算段になった。
「やはり窓から侵入してくるんでしょうか?」
「だったら昼間に仕掛けた罠にかかると良いけどね〜」
ちらりと鎧戸の下りた窓を見ながら呟いた響に、ワクワクした表情で答えるフォーレ。レンジャーとしての隠密スキルを磨くべく、人に言えない修行を重ねている彼女にとって、王宮図書館はお馴染みの場所である。そりゃあ侵入ポイントなんかもうばっちり(ぁ
とは言えこのご時勢、相手が魔物の可能性もある。念の為石の中の蝶の反応も気にしつつ、オルステッドも配置でジッと息を殺してその時を待った。
そして。
「‥‥来た!」
―――ピイィィィッ!
今夜幾度目かのブレスセンサーにようやく引っかかってきた存在を知らせるアシュレーの声と、賊の侵入を知らせるエリーシャの呼子が、鋭く闇を切り裂いた。同時にぎりぎりまで絞っていた照明を一気に解放し、賊の姿を照らし出す。
男だった。引き締まった細身のシルエットが一瞬光の中に浮かんだが、敵もさるもの、すぐさま身を翻して闇の中に溶け込む。
「‥‥逃がしません‥‥ッ!」
勿論見送る冒険者達ではない。すかさずエリーシャが見当をつけて飛び掛った。呼子の音を目掛け、潜んでいた者達もすかさず現場に駆けつけてきた。ガチャン、バタン、ドスン! と何やら激しい物音が闇の中から聞こえてくる。
物音を頼りに灯りを向けると、イタタ、とお尻やら頭やらをさすりながら響とエリーシャが床に転がっている。周りには書架から落ちてきた本が何冊か。どうやら同時に賊を捕縛しようと飛び掛り、激突したらしい。本はその余波で落ちた模様。
賊の姿はその場にはないが、慌てふためいた様子の足音がバタバタと闇の中を駆けて行く。鎧戸を下ろした闇の中でこうも動けるとは、かなり空間把握能力の高い者と見た。
賊はどうやら今日は諦め、逃げの一手に出たようだ。足音が真っ直ぐ窓のある方へと向かっている。ケンイチがテレパシーでそちらに控えている仲間に伝達。さらにムーンアローを、威嚇の意味も込めて初級レベルで放つ――多分かすり傷程度だから良し(ぉ
「痛えッ!?」
闇の中で淡く輝く矢の軌跡がふっと消失し、代わりに男の叫び声が上がった。一目散に逃げている最中、いきなり攻撃されると時に通常以上の痛みを覚えたりするものだ。
ムーンアローの軌跡と男の声を頼りにアシュレーがライトを向け、縄ひょうを振るう。威嚇だ。ピシリ、と当たった床に多少傷がいったが、それはエリスンに任せよう。
ヒィ、と情けない悲鳴が上がった。
「き、聞いてねぇ‥‥ッ!」
あ、泣きそう。
もはや色々考えられなくなったらしく、賊はなりふり構わず逃げの体勢に入った。一番近くの鎧戸に体当たりし、バキベキボキッ! と激しい音と共に外へと転がり出る。ちなみに普通、こんなに簡単に鎧戸は壊れない。図書館の施設整備に問題があるのか、賊の恐怖の一念が何かのリミッターを外したのか、それは誰にも判らない。
だがここにも彼の安息はなかった。何故なら庭にはユラヴィカとディアッカが待機させておいた犬がいたからだ。
証拠を押さえるべく侵入時には主の命令通り忠実に沈黙を保っていた2匹は、追跡命令が出たと同時に力強く地を蹴って駆け出した。ヒク、と引きつった男の顔を目撃した者が居なかったのは、幸いと言うべきなのか。
獲物を追いに掛かった犬達に、死力を尽くした所で人間の足では到底叶う訳がない。犬達は主の命令を忠実に守り、若干足を緩めながら対象を追跡しようと努力した。努力した、のだがしかし。
「もう無理‥‥ッ、悪い、エーレ‥‥ッ!!」
賊の方が先にへたり込んで観念したので、生憎追跡しようにも出来なかった。ふんふん、と匂いを嗅いでみる2匹。相手を確認すると言うだけの特に意味のない行動なのだが、何しろどちらも立ち上がれば軽く人と並ぶぐらいの大きさだ。慣れてなければ十分恐怖の対象にもなりうるし、追いかけられた直後でもあるので、喰われるんじゃないか、と賊は真剣に青褪めて。
犬の後を追ってきた冒険者達が姿を現した瞬間、彼が半泣きになって「すみませんすみません命だけはお助けを反省してますすみません‥‥」と額を地面に擦りつけながら謝り倒したのは、つまりそういう訳なのだった。
「エリスン兄ちゃん、もっかい工程を確認して〜、だよ」
「ふむ。膠の量も問題ないようですし、継ぎ目も綺麗に整っています。フォーレ殿、この調子でお願いします」
「ここは図案を書き直さなきゃダメねー。元の図案に似せて描くのは大変かもー?」
「む、その様ですな。お待ち下さいラマーデ殿、原書の方を探して来ましょう」
「ふむ、この物語、この展開は珍しいパターンで‥‥おお、何と、こんな結末が!? これは興味深い!」
一夜明け、書物修復組は今日も作業台を取り囲み、お喋りなどに興じながら慎重に手を動かしていた。はずが感嘆の声を上げながら読みふけっているギエーリも居たが、そこは仕方のない所か。
羊皮紙の補修は通常、破れや一部の欠落などは元通りに並べた上で、羊皮紙膠で接着する。しかしその様な工程を経ても到底判読不可能、と思われるページに限っては、一度綴じ紐を解いて慎重に糊を剥がしてそのページを差し替え、再び糊で接着して綴じ紐で本の形態に綴り直す必要があった。この工程、コツが判らないうちは、というか判っても結構力が必要。
別の部屋では写本担当の図書館3人娘が、ぶつくさ文句を言いながら差し替えページを書き写している。何しろ原書を取ってくる所から始めなければならないので、それはそれで一苦労のようだったが
「ん、頑張ってね。終わったら食事にでも行こうか(そしてそのままお持ち帰り♪)」
「はーい、アシュレーさん♪(目指せ玉の輿!)」
「喜んでご一緒させて貰うわ(ダーリンなんか、ダーリンなんか)」
「た、楽しみなのです‥‥(じ、実験のチャンスなのです‥‥♪)」
うん、それなりに楽しんでやってるみたいです。若干1名不穏な空気ですが、気付かなかった事にさせて下さい。
作業台の別の場所で、職員から借り受けた蔵書目録という名の羊皮紙の束と睨めっこしているユラヴィカに、どうぞ、と微笑んでお茶を差し出した響。
「ちょっと休憩した方が良いですよ」
「む、ありがとうなのじゃ。それにしてもこの目録‥‥」
ちゃんとシフールサイズの湯飲みを受け取り、ユラヴィカは大きなため息を吐く。もし必要なら目録の整備もした方が良いだろうか、と職員に尋ねてみた所、出てきたのは何を書いているのか判らない古びた羊皮紙や、単語と記号だけが羅列された羊皮紙の束だった。
まさかこれが目録か、と恐る恐る尋ねてみると、これを見ながら記憶を辿れば何があるか判るから不便はない、と胸を張る。ちなみに新人職員の一番最初の研修は、これを見て何がどこにあるか完璧に判るようになる事、らしい――それ、すでに不便が出ているような。
やむなく、古くて文字が掠れた物だけでも書き直そうとしているのだが、これがまた一苦労なのである。助力を頼んだ職員も、記憶を辿るまでに5分はかかるのが常だし。ストレス溜まる作業だ。
同じく目の前に置かれたお茶に、書物の世界から現実に帰ってきたギエーリがため息を吐いた。
「それにしても、賊が寄贈者の娘さんの幼馴染、とは」
「さすがにビックリよね〜」
相槌を打つラマーデ。荒事は苦手、と昨夜の捕り物には参加していなかった2人の言葉に、現場に居合わせたメンバーは複雑な笑みを浮かべた。て言うか何フラグだそれ。
あの後。泣きながら命乞いする男が語った所に寄れば、彼は件の書物を寄贈した商人の娘エーレの幼馴染で、エーレからその書物が父の手によって王宮図書館に寄贈された事を聞き、彼女と画策して夜な夜な王宮図書館に忍び入っていたのだと言う。なまじちょっとばかし身軽で、そういうのが得意だった事も悪かった。
彼自身字はあまり読めないが、幼い頃によくエーレに見せて貰っていたからどんな物かは知っていた。赤い皮の装丁の書物。最初は見つからない様に慎重に本を確認しては書架に戻し、とやっていたのだが、なかなか見つからない事に焦ってそのうち手当たり次第に本を引っ張り出しては床に落とす、と言う乱暴な行動になったのだと言う。
で、その理由が。
「『大きくなったら結婚しようね。エーレ ディック』――ですか。微笑ましいと言えば微笑ましいですが、なんとも人騒がせと言うか」
「開放書架には写本しか置いていない事は、あまり知られていないようですからね」
呆れるしかないディアッカの言葉に、苦笑しながらアレクセイ。見ているのは問題の書物の原書のとあるページ――幼馴染の2人が幼い頃に母の手作りの書物に書き付けた、幼い将来を誓い合う言葉。
子供なら(多分)一度は口にするような他愛のないおままごとの約束。だが口約束なら「そんな事もあったね」と懐かしく思い出すだけで済んだのに、なまじ字が書けたエーレが落書きし、2人のサインまで残してしまった事がこの騒動の発端になった。
何しろエーレは結婚を控える身。この事が知れれば、幾ら幼い頃のものとは言え歴然と書面に明記されているのだ、先方にとってあまり面白からぬ事態になることはたやすく予想が出来る。父から母の書物を王宮図書館に寄贈したと聞いた後、それを思い出したエーレは文字通り真っ青になってディックに相談し。同じく婚約者の居る幼馴染は真っ青になって「取り戻してくる」と言ったのだ。
近くでディックが出てくるのを待っていたエーレも捕まえてそれらの事情を聞き、ならば正式に王宮図書館に依頼すれば良かったのでは、と言った冒険者の言葉には、2人揃って「そんな事したら表沙汰になる」と首を振る。まったく人騒がせにもほどがあった。
取り合えず現場責任者のエリスンにも確認し、原書が表に出る事はまずない事、希望があれば寄贈者のプライバシーは守る事を説明した上で、
「ではもう2度とこのような事はしないで下さい。お気を付けてお帰りを――ふむ、では私はこれで。司書室に戻って読書の続きを」
捕まった賊のその後より、読みかけの本の続きの方が気になって仕方がなかったらしい。大丈夫か、現場責任者。ちなみに『本の修繕費用は出します』と言った2人の言葉には『当たり前だ!』と冒険者全員の強い突込みが入った事は言うまでもない。
そんな訳で本日、昨夜の騒ぎの後片付けに勤しむ職員達の表情は明るかった。この騒ぎも今日で最後、と思うと気力も湧いてくるらしい。
冒険者も手伝って散らかされた本の状態をチェックし、その後ジャンル別に分けて書架に片付ける。同時並行で、この後図書館に資料調査に来る予定の仲間のために、オルステッドは職員の1人に頼み、伝承や歴史といった調査に関係ありそうなジャンルの書物を、別室に準備して貰った。一体何が関係してくるか判らない。
修繕室ではギエーリがいつの間にか、両手に本を持って立ち上がり、歩き回りながら熱く朗読を始めている。彼もこの後資料調査にも携わる予定だ。その準備もしなければ、と言っていたのだが、一度燃え上がった興味は冷めるまでにはまだ時間がかかりそうだ。
準備を進める一角に、アレクセイが微笑みながら一冊の本を差し出した。
「これもどうぞ」
「‥‥これは‥‥例の寄贈書‥‥?」
「ええ。エーレさんはあまり内容は覚えていない、と仰っていましたが、一箇所気になる表現がありました」
これです、と指差した部分は、とある英雄譚を子供向けにアレンジした掌編の一節。普通なら読み飛ばすような、些細な表現――事にジ・アースからアトランティスにやってきた者なら、気付かない可能性もある。
『陽が沈むと共に、英雄は立ち上がった。』
ただそれだけ。だがアトランティスの物語としては、それは十分異質だ――なぜなら、この世界に太陽と言うものは存在しない。空に照らすのは陽精霊であり、常に空にあるものだ。陽が沈む、なんて表現は存在しない。
そのアトランティスに伝わる子供向けの掌編に、ありえない表現が存在するのはどういう事か。勿論、この場にその答えを持っている者は存在しなかった。
時ならぬ賊騒ぎ。確かなのはこの騒ぎが解決したと言う事と、冒険者達のおかげで並ならぬスピードで本の修繕が進み、図書館職員一同が嬉しい悲鳴をあげたと言うことだ。
その後、食事に誘われた図書館3人娘がアシュレーと共に夜の街に消えていったのは、また別の物語である。