月精霊の光、その輝きを望むもの。
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■イベントシナリオ
担当:蓮華・水無月
対応レベル:8〜14lv
難易度:難しい
成功報酬:0 G 83 C
参加人数:22人
サポート参加人数:-人
冒険期間:09月16日〜09月16日
リプレイ公開日:2009年09月25日
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●オープニング
コキュートスには今や、凍てつく静寂が横たわっていた。
神と呼ばれる精霊が、カオスに惹かれて堕ちた者達を封じた永久凍土と聞いている。とは言え、さらなる混沌の深淵に居た彼女には関係ない話だった。
ふん、と鼻で笑って振り返る。先頃ここで捕らえた月精霊は、なよっちいアルテイラにしては良くもった方だろう。だが彼女の視線の先にいるソレはすでに、自力で動く事は出来ないほど衰弱しているのが、傍目にも明らかだった。
面倒な、と舌打ちする。主様は彼女の予想以上にこの月精霊を気に入ったらしく、ゲーム終了までは生かして置くよう命じられた。
ゲーム終了まで――月精霊が隠したマジックアイテムを手に入れ、この世界を壊すまで。八方手を尽くした結果、マジックアイテムは冒険者によって地上に持ち去られた可能性が高い。ならば地上で玩具遊びに興じている男にも命じて、可能性のある場所を片端から滅ぼし尽くせば良いのに。
彼女はそう考えたが、主様は冒険者達が自らマジックアイテムを持ってコキュートスに戻ってくると考えているようだった。つまり、捕らえた月精霊マリン・マリンを救いに来ると。
主様がそう言うならば、彼女はそれに従うだけだ。来なければそれこそ、地上に行って殺し尽くせば良い。結局は同じ事だった。
「月精霊‥‥お前達は覚えているのかしら? お前達が世界を切り離した時の事を」
だから、彼女の言葉はただの暇つぶしだ。マリンから返る言葉はない。
クスクスクスと纏う屍の喉を震わせた。
「お前達が一体『どちら』を守る為に世界を切り離したのか知らないけど。結局、無駄になった気分はどうかしら?」
マリンは、やはり言葉を返さなかった。それだけの気力もなかったし、彼女の言葉の誤りをいちいち指摘する義務もない。
ぐったり目を閉じ、その日を想う。マリンにとってその日は、親しい友がカオスによって世界を隔てる壁に封じられた、悲しい思い出の日だった。
その友を想い、マリンが出会った数多くの人間達を想う。
マリンは、人間達が好きだった。旅の魔法使いを名乗り、人間達に混じって旅をする、理由の一つはもっとたくさんの人間と出会いたかったからだった。
数多くの可能性を秘め、時に思いも寄らない力で世界を動かす人間が、マリンは本当に好きだったのだ。
だから、来てはいけない、と祈るように思う。思い出すのはコキュートスで最後に見た光景。カオスの魔物退治に来た彼女のせいで、彼女を守ろうとしてくれた冒険者達は一方的な敗北を喫した。
また誰かが、マリンのせいで無為に傷つくのを見たくない。どうかこの先ただ一つとして、不当に損なわれる命がありませんようにと、こんなにも願っているのに。
だからお願いです、と弱々しく呟いて、マリンは力なく瞳を閉じた。
グウェイン・レギンスがマリン救出を決意したのは、これまでの流れを考えれば当然の帰結だった。
そもそも、彼は冒険者時代から、一度関わった厄介事には最後まで付き合わなければ気の済まない性格だ。それはウィル中央軍で働くようになってからも変わらない。
その彼がマリンと出会ったのは、カオスの魔物に狙われるマリンと皓月を探して冒険者達と共に動いたのがきっかけ。その後もマリンに付き合い色々動いて居たのだ、理由としては十分過ぎた。
生憎、巨竜の元へは愛する妹に関わる重要事項があって行けなかったが、行った冒険者達は何とかコキュートスへ向かう方法を教えてもらえた、という。ある程度以上の月魔法の心得のある者が、祈りと魔力の全てを捧げて全力で皓月を『宥めすかして』、その後も暴走を抑えるのに心血を注ぐならば、コキュートスと地上の間に道は開かれる、と。
ならば後は行くだけだと、苦笑する上司エルブレンから許可をもらって、冒険者ギルドに同士を募りにやってきたのだ。
以来、毎日顔を出す兄に、妹が受付カウンターの中から声をかける。
「兄さん、そこに立ちはだかると冒険者の方達が依頼用紙を見れないんですけど」
「ん、悪ぃ」
ティファレナの言葉に頷き、素直に避けたグウェインに苦笑する。兄は普段はいっそ殺そうかと思うほどうっとうしいシスコンだが、スイッチが入ればとても真面目な人間だ。
その兄の為にも、マリン救出の名乗りを上げる冒険者が一人でも多く集まってくれれば良いと、ティファレナは真剣なグウェインを見ながら思ったのだった。
●リプレイ本文
旅の魔法使いを名乗る月精霊マリン・マリン。その救出の為、コキュートスへ向かう事を決めた陸奥勇人(ea3329)は、これまでの事情を簡単に確認して、思わず苦笑せずにはおれなかった。
「主様、ね。まだ厄介なのがいるとは、地獄だけに奥も深いな」
地獄の皇帝は封じられ、配下の将軍級のデビル達も幾らかは倒れた。カオス八王の1人も滅ぼした――にも関わらず、となれば苦笑するより他ないだろう。
だが今、まず彼らが目指すのはカオスの魔物討伐では、ない。
その目的を、フルーレ・フルフラット(eb1182)はこう表現する。
「ちょっと地獄の深層まで行って旅の魔法使いを助けてきます」
かつて自身がマリンに言われた言葉。「ちょっと地獄までカオスの魔物退治に行きませんか」。なんとも緊迫感に欠ける物騒な口説き文句に、彼女が頷くとマリンはとても嬉しそうに笑って、ありがとうございます、と頭を下げた。
今はそのカオスの魔物にとらわれの身となり、そしてこのままでは遠からず消滅するしかない彼女を取り戻すのだ、とフルーレは気合いを入れる。誰に言われたからではない、助けたいから助けに行くのだ。
だが、マリン救出の鍵を握るのは『いつでもどこでも』月道を開ける強力なムーンロードを秘めた魔杖、皓月。そして、その皓月のおもりを買って出たシェアト・レフロージュ(ea3869)。
すべては彼女が皓月を、冒険者達に使われてやっても良いという気にさせられるかどうかに掛かっている、と言って過言でない。その気にならなければ皓月は動かず、コキュートスへの道は永遠に閉ざされたまま。
セイル・ファースト(eb8642)がシェアトの肩を叩き、「頼むな。お前なら出来る」と言った。それはまったく根拠のない話ではない。彼女が必ずやり遂げてくれる事を彼は信じているし、以前にも皓月は彼女の祈りに応えようとした。
持参した荷物を地に並べ、使い易い順に並べ替えていたリーディア・カンツォーネ(ea1225)と、その傍らに休息を取って貰う為に毛布を何枚も重ねていた倉城響(ea1466)が、任せて下さい、と請け負う。
「出来る限りを精一杯、皆さんを支えるのです!」
「安心して頑張ってきてくださいね」
「‥‥という事ですから。私の身体は、デニムさんや皆さんがいるから大丈夫です」
先に言われてしまったシェアトが絶対の信頼で頷くと、勿論です、とデニム・シュタインバーグ(eb0346)が槍の握りを確かめた。ありがとうございます、と微笑む。微笑み、そっと身に付けた簪に手を伸ばす――どうか私の心を守って下さい、と大切な存在への祈りを込めて。
月の魔杖を宥める手助けになればと、ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)とフルーレがそれぞれの月竜に共に祈りを捧げるよう言い含める。アルジャン・クロウリィ(eb5814)もまた月精霊アリスにシェアトの傍に居る様に言い含めて、今は沈黙する皓月へ視線を移した。
皓月を存分に使いこなす事の出来る存在は、アルテイラの中でも特別に力の強いマリンを置いて他にない。皓月を宥めるとはつまり、使い手の力不足を我慢させ、存分に力を振るわせろと暴れるのを抑え込む、という意味でもある。
ならばこの救出劇は、皓月自身の為でもあり。その為に皓月が道を開くなら、マリンを取り戻すのが自分達の役目。その役割は存分に果たそうと、強く頷くアルジャンに皓月は、何も応えなかったけれど。
全員の準備が整った事を確認して、皓月に直接触れぬよう、包んでいた布の上に置かれた白亜の魔杖に、触れぬままシェアトは祈りを捧げ始めた。
(皓月さん‥‥マリンさんを助ける為にどうか力を貸して下さい)
その祈りは以前、影竜との戦いで彼女が皓月への協力を訴えた時のそれと、似ている。それを狙った訳ではない、ただの偶然に過ぎないが、それでも。
(‥‥思うのです。月魔法は時と精神を司る‥‥それは人々が築いて来た小さな縁や絆を司ると似てるのではと‥‥土地から土地へ縁を繋ぎ、絆を結び、未来へ歌い繋ぐ‥‥マリンさんが多くの縁を結び‥‥縁に導かれ多くの人が救出に向かっています‥‥)
己に祈りを捧げる相手が、以前と同じ相手だと気付いたのだろうか。皓月の杖の先に、かすかな銀光が宿った。同時にいつかと同じように、身体から何かが強制的に奪われる感覚。それは、彼女の魔力が奪われているのだと、今は知っている。
今度は、呻き声は上げなかった。2度目の感覚だったし、元よりその覚悟があった。だから彼女が感じたのはどちらかと言えば、皓月がその気になったか、と言う安堵だっただろう。
まだ月道は開かない。ならば彼女がする事は変わらない。魔力を奪われようともただ、祈り続けるだけだ。
(貴方の、縁を繋ぐ力を今は遠いマリンさんに届ける為に、どうか‥‥その強き力を銀糸に紡ぎ‥‥歌を遠くへ届ける様に‥‥)
彼女の傍へと続く、道を繋いで下さい、と。ここに居る、彼女を救いたいと願う人々の為に、彼女の為に、どうかその力を貸して下さい、と。
皓月の輝きがだんだん強くなる。その度に、失われる感覚が強くなり、意識が持っていかれそうになる。それを必死で堪えるシェアトを守る様に、2頭の月竜と1人のルーナがシェアトを囲み、祈りと力を捧げる。
「皓月さん、どうか‥‥ッ」
気力を絞り出すような声に、ついに皓月が応えた。ふわりと夢の様に眩く輝く銀光の後、そこに月道が忽然と出現する。皓月だけが成し得る、『いつでもどこでも』繋ぐ事の出来るムーンロード。
一瞬それに息を呑み、だが冒険者達は己の為す事を忘れはしなかった。コキュートスへ向かう事を決めた者達は、素早く月道を潜る。同時に、月道の向こうからも魔物が現れる事を想定して、デニムが槍を突き刺し、見えない敵すら通しはしない、と警戒する。
響がリーディアから借り受けた聖なる釘を刺した。結界を築き、続いて刀を抜き放つ。デニムが主攻撃を担うなら、響はその援護を。
ふらり、とシェアトの身体が揺れた。待機していたルスト・リカルム(eb4750)とリーディアが同時にその身体を支え、毛布の上に運び、休ませる。まずは富士の名水を飲ませ、少し気力を回復させてからソルフの実を齧らせ。
皓月はまだ、銀の光をかすかに残している。だが月竜達の様子を見れば、まだそちらから力を得ようとしているのが判る。
「皓月さん‥‥待っていて、下さいね‥‥」
シェアトは小さく微笑み、ソルフの実をもう一つ齧り、飲み込んだ。月竜はともかく、ルーナは消滅してしまうかも知れない。それを防ぐ為には一刻も早く、シェアトが回復し、『宥めすかして』やるしかなかった。
◆
「またここに来るとはね」
月道を抜けた向こうに広がっている、果ての見えない氷原に思わず、エルディン・アトワイト(ec0290)は一抹の感嘆すら込めて呟いた。少し前までここで闘っていたというのに、遥かな昔の様にも感じられる。
コキュートス、ジーザス教ではそこは、永遠の罪人を封じる氷の牢獄、とされる。再封印がなされた今は空気も凍り付きそうな、この寒さすら懐かしい、とエルディンは防寒服をかき合わせた。
それは多かれ少なかれ、全員に共通した思いだろう。だが勿論、思い出に浸りにコキュートスへ来た訳ではない。
「おいでなすったぜ」
エルディンを地獄まで誘った張本人、セイルがニヤリと唇の端を吊り上げた。視線はまっすぐ、ある一ヶ所へと向けられている。
あまりに早い登場、というべきなのか。そもそも月道を繋ぐ折の指定が『マリンの近く』だった事を思えば、遅すぎると言えるのかも知れない。
冒険者達の視線を受けて、配下の魔物を従えたカオスの魔物『死屍人形遣い』は屍の顔を笑みの形に綻ばせた。
「いらっしゃい、ボーヤ達♪ あのステキな杖、やっぱりボーヤ達が隠してたのね」
いけない子ね、とほくそ笑んだ屍は、以前に一方的な敗北を喫した時ともまた違う、だがやはり女の屍だった。性格上なのか、この魔物はいつも女の屍を纏い現れる。とは言え、以前オラース・カノーヴァ(ea3486)に「ボーヤを屍にしてステキに使ってあげる」と言った事もあり、特に女の屍に強いこだわりがある訳でもないようだ。
閑話休題。
マリンの側、と指定した月道がここに開いたと言う事は、彼女もまたこの近くに居る筈である。主に救出をメインに据える者達は、囚われの少女の姿を視線で探した。探して、人形遣いの後方に、カオスの魔物に囲まれてぐったり横たわる少女の姿を見つけ、息を呑んだ。
少女は、ピクリとも動かない。だがそこに姿があると言う事は、まずは生きている、という事だろう。リディエール・アンティロープ(eb5977)がその事実にほぅ、と安堵の息を吐き、だが次の瞬間、愉悦に肩を揺らす人形遣いを睨み付けた。
「コキュートスは永遠の罪人を封印する所‥‥謂れなき精霊を繋ぎ置く場所ではありません」
「そうね。さっさとお前達を殺してマジックアイテムを奪えば、こんな精霊如き、殺しても構わないのに」
でも、主様のご命令だから、このアタシがわざわざ白魔法を使える屍探して、結界を張ってあげたのよ? 人形遣いは楽しそうに冒険者達をグルリと見回した。そして、その顔に浮かぶ自分への怒りを見つけるたび、嬉しそうな顔になった。
怒り、憎しみ、嘆き、あらゆる負の感情はカオスの魔物にとって心地良いものなのだろう。そして、これ以上人形遣いを喜ばせる義務は、彼らにはない。
「‥‥死屍人形遣い‥‥お前と再び決着をつけてやろう‥‥」
「あらあらボーヤ、勇ましいわね? でも、その体で出来るのかしら?」
以前、仮初の体に止めを刺した冒険者の1人であるオルステッド・ブライオン(ea2449)が剣呑な顔でゲイボルグを構えるのを、人形遣いは嘲笑した。それは恐らく、以前とは違うと言う自信もあっただろうし、マリンをさらった時には一方的な勝利を収めた自信もあっただろう。
だが何より、
「ボーヤ達、歯の根が合ってないわよ?」
そんなじゃすぐに殺せちゃってつまらないわよ? と唇を尖らせた通り、人形遣いにとっても因縁深い2人の冒険者オルステッドとオラースは、コキュートスの冷気に早くも体力を奪われつつあった。どうやら人形遣い戦を意識するあまりか、コキュートスの冷気を防ぐ術を失念したようだ。
くすくすくすと、耳障りに人形遣いが笑う。だが寒さなど気合で何とかしてみせるとばかり、名指しされた2人はかじかむ手で獲物を構える。
さぁ、と人形遣いは、屍の両手を大きく広げた。
「遊びましょう? ボーヤ達を殺して、アタシのお人形にしてあげる」
「そう簡単には行きませんよ」
晃塁郁(ec4371)が、消えかける月道へと殺到する人形遣いの配下の魔物達を見ながら一歩、進み出た。もしまた魔法を使ってくるのなら、そのすべてを受け止めて見せる、と決めている。
マリンを助けるにも、何をするにも、まずは目の前の人形遣いを何とかせねばならない。冒険者達はジリ、と人形遣いを睨み、人形遣いは哄笑した。
◆
月道のこちら側、地上では、予想通り月道を潜り抜けて皓月を奪わんとやってきた魔物達を相手に、デニムと響、フォーレ・ネーヴ(eb2093)の奮闘が続いていた。
「騎士として全力を尽くします!」
地の底で仲間が囚われの少女を救うべく戦うなら、彼の役目は地上に残る仲間達を守る事。この戦いの要はシェアトと皓月で、月道から溢れる魔物は皓月を狙ってやって来ているのだ。
背後でシェアトが必死に皓月を宥めているのを感じる。どうやらあまり性格がよろしくないらしい月の魔杖は、それでもシェアトの事はちょっと気に入ったのか、彼女が魔力を回復させて戻ると取り合えず、月竜やルーナから魔力を奪うのは後回しにしてくれた様だ。
月道が消えた。それに、かすかな安堵の息を吐く。少なくとも月道が閉じている間は、地上に溢れ出して来る魔物はいない、と言うことだ。
「デニムにーちゃん、ここは任せて、だよ」
気付けば傷を負っていたデニムを庇うように、フォーレが縄ひょうをしならせた。有難く一歩引くと、慌ててリーディアが駆け寄ってきて回復薬を渡し、血を拭う。
シェアトを振り返った。ルストが辺りに警戒しながらも、ソルフの実と富士の名水をしっかり持って見守る中で、懸命に祈ったり、時に直接語りかけて皓月を宥めようとしている。
(シェアト姉さんは必ず守ってみせます)
胸のうちだけで強く誓い、デニムは再び立ち上がった。カオスの魔物はまだ残っている。
◆
最初に切り掛かったのは、セイルと勇人だった。
「そこを退いて貰う!」
「お前らにもそろそろ退場してもらうぜ!」
人形遣いが今、何を得手とする屍を纏っているのかは解らない。ならば考えるよりもまず、突入あるのみだ。その露払いを務めるべく、ラシュディア・バルトン(ea4107)がライトニングサンダーボルトを放つ。
コキュートスに降り立ってすぐ、ユラヴィカが唱えたウェザーコントロールで血色の空にかかる雲はない。少なくとも最前のように、雷で狙い撃ちをされる危険は減った。だが死屍人形遣いの能力は精霊魔法ではなく、纏った屍の能力を引き出す事。
死屍人形遣いへと真っ直ぐに向かっていく勇人とセイルの後で、累郁がフォローするように兎跳姿で人形遣いの視線を引こうとする。それに、人形遣いはちらりと視線を向けて、ニヤリと笑った。
ハッ、と身構える。だが魔法は飛んでこない。代わりに人形遣いはどこか違う場所を見ている。
違う場所ーー向かってくる2人の冒険者。トン、と氷の大地を蹴って、軽やかに人形遣いは彼らのちょうど真ん中に舞い降りた。
と、同時に放つ、鋭い旋風脚。察した男達がわずかに身を引いて避け、同時に互いの持つ獲物を人形遣いに向けて降りおろした。
ひょい、と軽やかにかわされる。わずかに、屍の纏う衣装のみが軌跡をかわしきれず、凍てつく風に舞った。
くすくすくすと、女が笑う。だが魔法を使ってこないのならこちらのものだ。
「あらあら、相変わらず目の前のものしか見えてないわけ?」
面白い子達ね、と女は笑いながらさらに身を交わした。オルフェ・ラディアス(eb6340)がその様に、ふと警戒を抱いて進む足を止め、リディエールに警戒を促した。
慎重に辺りを探る。人形遣いがマリンを浚ってからこっち、コキュートスにずっと居たのかは不明だ。だが冒険者達がコキュートスにやって来た時の発言から見て、こちらを待ちかまえていた事は間違いない。
ならば、ただ冒険者達がやってくるのを、手をこまねいて見ているだけだろうか?
「囲まれています、ね」
努めて事務的に、だが深刻な眼差しでディアッカ・ディアボロス(ea5597)がそう報告する。むしろそれに納得の眼差しを返した。当然、その程度の伏兵はおいてしかるべきだろう。
そのうちの幾らかは、彼らがやってきた後も何度か開いた月道の向こうへと消えた。今は月道は消えているが、やがて地上のシェアトが回復して月道を再び繋げば、さらに向かっていくのだろう。
モディリヤーノ・アルシャス(ec6278)が、こうなっては隠れる意味もなく、ステインエアーワードで辺りの魔物の様子を探ろうとする。だが地獄の淀みきった空気は、うまく彼に言葉を紡がない。
だがーーやる事は、変わらない。
「ちょいと付き合ってもらうぜ!」
「ふふ、素敵なボーヤ。ボーヤが屍になったらきっと、とっても素敵でしょうね?」
殊更に声を上げ、挑発する態度を取る勇人に、人形遣いが興味を示した。ちら、と瞬間仲間に眼差しを向ければ、その意味を受け取ったアルジャンがしっかり頷く。
導蛍石(eb9949)のレジストデビルのおかげで、人形遣いが使ってくる悪魔魔法は抵抗可能だ。ならばここで人形遣いの意識をこちらに引きつけ、その隙にマリン奪還を頼む、と言うのだ。
フルーレが同じく、人形遣い側に回った。逆にセイルはマリンの周りにいる魔物を蹴散らすべく、戦線から離れる。
すでに、気配を消す事も無意味に近い。せいぜい混乱に乗じてマリンに近付くしか出来ず、彼らはそれを実行した。
遠方からのウィンドスラッシュと、サンレーザー。風切る刃と貫く光に魔物達が一瞬怯み、そこにセイルが全力で切り込んでいく。
その隙に、せめても目立たぬように透明人間の飴やハデスの帽子で、ぐったり動かぬままの少女に駆け寄った。
(マリンさん‥‥)
ディアッカがテレパシーで呼びかけるが、返事はない。それは、マリンが完全に気を失っているのか、或いはそこに居るのがマリンの姿をした偽物なのか。
近付く前に石の中の蝶で確認しようとしても、蝶は周囲にいるカオスの魔物の気配を余さず拾い、どうにも決め手に欠けた。
数瞬、悩む。これがマリンでなく、本物の少女がまだ地獄のどこかに囚われの身で残されるなら、彼らがここに来た意味そのものがなくなってしまう。だがこれが本物のマリンなら、一刻も早く連れ出さなければ今にも消滅してしまうかも知れない。
「‥‥ホーリーフィールドの中に居るのなら、少なくとも魔物ではないでしょう」
一瞬瞑目し、見開いてオルフェはそう断じた。マリンを奪われまいと立ちはだかるカオスの魔物達は、ホーリーフィールドには入れないようだ。そこに守られているのなら、少なくとも彼女が魔物である危険性は少ない。
後は、彼女が本物であるかどうか、だがーーこればかりは運に頼るより他はなく。
考えるのはそれからだ、と冒険者達はホーリーフィールドの中の少女をじっと見つめた。
◆
「‥‥‥ッ!?」
「あの、ごめんなさい‥‥」
強制的に揺り起こされる感覚に、目を見張ったシェアトにリーディアが申し訳なさそうに頭を下げた。それで何が起こったのかを察し、いいえ、とシェアとは微笑む。恐らく、度重なる皓月との闘い(?)で意識を持っていかれたシェアトを、リーディアがメンタルリカバーで起こしてくれたのだろう。
周囲を見回すと、傷を負ったデニムと入れ替わるように響が前に出て、その隙にルストが怪我の手当てをしている所だった。縄ひょうを操り、カオスの魔物を退ける事に終始するフォーレも少なからぬ傷を負っていたが、動けない程ではない。後でポーションやリカバーで治せるレベルだ。
ほぅ、と息を飲む。それからデニムが無茶をしているのではないかとかすかに眉を曇らせ、皓月はどうなっただろうかと視線を巡らせる。多少落ち付いてきたのか、諦めがついたのか、或いはへそを曲げたのか、皓月は今の所は大人しくしている。周りを、ルーナと月竜が取り囲んでいる。
「シェアト姉さん、大丈夫ですか!?」
「ちょっと休んだ方が良いんじゃない?」
「‥‥そうですね」
デニムとルストからそう言われ、頷く。本来ならもう少し休憩をしっかり取って、歌を歌ってから次の月道開通に取り掛かる予定だった。のだがしかし、予想以上の皓月の暴走振りに、そんな余裕がなかったのだ。
だが、確かに意識を失うほど疲弊したのでは、肝心な時に月道を開いていられないかも知れない。今の所、月道から出てくるのはカオスの魔物ばかりで、マリンを奪還したという知らせも、死屍人形遣いを下したという知らせもない。
シェアトは竪琴を取り、軽く弦を鳴らした。すぅ、と小さく息を吸う。
透明な歌声が紡がれ始めたのに、リーディアとルストは顔を見合わせ、胸を撫で下ろした。
◆
蛍石はもう何度目かのホーリーフィールドを展開した。その中にいるエルディンが人形遣いに向かい、ホーリーを放つ。それを、人形遣いはわずかに顔を歪め、抵抗した。抵抗して、そのまま手に持つ剣を振り下ろす。
ガキッ! 剣と剣がぶつかり合う鈍い音。受け止めた勇人は、不敵にも似た笑みで何とか堪え、跳ね除けた。が、それを軸に人形遣いの体は宙を舞い、素早く距離を置いている。
今、人形遣いが纏うのはどうやら、神聖騎士の屍らしい。おまけに、生きた人間ならありえない程激しい動きをさせるのですでに衣替えよろしく、屍がボロボロになるたびに人形遣いは何度も新たな屍に移っている。
幸いにしてというべきか不幸にしてと言うべきか、ここには人形遣いが纏う死体が山ほど存在した。
コキュートス、そこが冒険者達とデビルとの戦場となり、数多の血を流したのはつい最近の事である。無事に地獄の皇帝を再封印する事には成功したが、その中には志半ばで倒れた者も少なからず存在し。
コキュートスの冷気は、それらの屍を冷凍保存宜しく損なわず保った。つまり、今魔物が纏う屍はその、冒険者のものである。
「ク‥‥ッ」
その光景に、ラシュディアは歯噛みした。地獄で戦った冒険者は多く、そのすべてを覚えている訳ではない。それでも中には、何となく見覚えのある顔が現れる事もあった。
あれは屍で、カオスの魔物に操られている。そう解っていてなお、雷を放つのに些か、気力が要る。
同じく、累郁も歯噛みしていた。コアギュレイトで魔物の動きを封じようとする試みは、魔法抵抗にあってことごとく失敗している。故にカオスの魔物の本性に戻り、新たな屍に取り付こうとする瞬間を狙おうとしているのだが、これもなかなか隙が見えない。
ねぇ、と魅惑的に魔物が屍の顔を笑ませる。笑みながら手にした剣で冒険者に迫る。
「アタシが遊んでお前達を待っていると思った?」
「思わない、なッ!」
叫びながら、手にした得物を一閃し、何とか弾いたオラースが吼える。極寒の中、ろくな防寒もなく気力だけで攻撃を仕掛けたのは驚くべき事だが、さすがに気合だけで振り切った剣は人形遣いにたやすく弾き飛ばされ、たたらを踏んだ。恐らく地上に戻ったら、重度の凍傷になっている事だろう。
同じく、寒さをこらえて投擲したオルステッドの槍もたやすく避け、人形遣いは哄笑した。
「ボーヤ達、最後のチャンスを上げる。あのマジックアイテムを渡しなさい?」
「飲めない相談ですねッ!」
人形遣いの言葉にエルディンは吼え、胸の中でセーラの御名を唱えながらコアギュレイトを放った。やはり抵抗され、だがすかさずセイルが半ば体当たりで人形遣いに切りかかる。
さすがに、人形遣いの体勢が一瞬崩れた。その隙を逃さず、勇人が人形遣いの纏う屍の腕を切り飛ばす。ドスッ! 鈍い音と主に、剣を持つ手が玩具のように宙を舞った。
チッ、と人形遣いが舌打ちし、ずるりと本体が『壊れた』屍から逃げ出そうとする。
「いい加減、逃がしません!」
蛍石が超越ホーリーを放った。同時に塁郁が再びコアギュレイト。本体のままで攻撃をされたのではさすがに不味い、とホーリーを避けようとした瞬間の出来事に、人形遣いの抵抗が遅れた。
「な‥‥ッ! こ、の‥‥蛆虫どもが‥‥ッ!!」
「勝負あった、な」
ハデスの帽子を脱いだアルジャンがそれを見て呟く。頷き、フルーレが人形遣いの配下の魔物の、最後の1体に止めを刺した。ザラリ、と塵に還り、コキュートスの氷原に散る。
ギチギチと、いつかの再現のように人形遣いは醜い本性で冒険者達を睨みつけた。だがそれだけだ。効果時間が切れるのを、冒険者達は許しはしない。誰もがそれぞれの武器を持ち、呪文を唱え、人形遣いに狙いを定める。
「これが最後のチャンス、でしたか?」
残念ですね、と蛍石が微笑んだ。それが、死屍人形遣いと呼ばれたカオスの魔物が最後に見た光景だった。
◆
地上では度重なるカオスの魔物の襲撃に、満身創痍とまではいかないものの、誰もが疲れきった顔をしていた。それでも、幾度目かの月道からコキュートスへ向かった仲間達が姿を見せると、ほっと顔を輝かせた。
ついに凍傷で動けなくなった仲間を支え、戻ってきた冒険者達は口々に、先に戻った筈のマリンの安否を尋ねる。セイル達が群がるカオスの魔物の相手をしている間に、透明人間の飴を気休めに口に含ませ、リディエールのグリフォンで一足先に地獄を脱出したはずだった。
ルストが少し怖い顔になって、静かに、と仲間達を注意した。それから視線だけで、やはり疲れ切って横たわるシェアトの横に、新たに引いた毛布の上に寝かされたアルテイラの姿を示す。
コキュートスで見た時と同じように、少女はぐったりと動かない。戻って来るまでも、戻ってきてからもずっと目覚めないのだと、ディアッカとユラヴィカが心配そうに顔を見合わせた。
だが、冒険者達の心配が、意識を揺らしたのか――不意に、ピク、と少女の睫毛が揺れた。ハッと息を呑み、注目する中でマリンが微かに瞼を開ける。瞳が弱々しく揺らぎ、そこに居る、心配顔の冒険者達をぼんやりした視線で見つめた。
「ぇ‥‥?」
「お待たせ、マリン殿。セレネ殿も待っているよ」
モディリヤーノが囁いた、言葉に少女はまたピクリと睫毛を震わせる。セレネ。遥かな昔、マリンがマリンと呼ばれていなかった頃からの大切な友人。そう言えば彼女にまた会いに行くと、昔交わした約束をまだ、本当の意味で果たせていない。
そこまで思い出してようやく、自分が月精霊が夜空に輝く地上に居る事に気がついた。どうにも身体を動かす事が出来ず、視線だけを巡らせればそこにある知らない顔と、知っている顔。皓月が機嫌を損ねているのを感じる。旅の相棒なのに放り出していったマリンを怒っているのだろう。
ああ、と細い、長い息を吐いた。全身を少しずつ蝕むカオスの瘴気は、ここにはない。
「‥‥ありがとう、ございます‥‥‥ごめんなさい」
旅の魔法使いを名乗るアルテイラは吐息の様にそう囁き、再び意識を手放した。慌てて駆け寄ったリーディアが、人間と一緒で良いのかは不明にせよ、容態を確認して大丈夫そうだ、と仲間を振り返り、頷く。
カオスから開放された安堵に、気力が尽きたのだろう。幾ら強力なアルテイラとは言え、カオスの魔物に囚われ、コキュートスに閉じ込められていたのだ。その中で己を保ち続けるのにどれ程の気力が要ったか、想像するに余りある。
だが、無事に死屍人形遣いを再び、今度は二度と覚めぬ眠りに就かせ、マリン・マリンを地上に取り戻す事が出来た。冒険者達は、眠る少女の面やつれしたように見える顔を見下ろして、その喜びをかみ締めたのだった。