秋祭り、羊レース参加者募集!

■イベントシナリオ


担当:蓮華・水無月

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:0 G 83 C

参加人数:13人

サポート参加人数:-人

冒険期間:10月01日〜10月01日

リプレイ公開日:2009年10月09日

●オープニング

 秋、ジリジリ降り注ぐ陽精霊の光がようやく和らぎ始め、涼やかな風が町を吹き抜け始める季節。
 ウィルのお屋敷街のとある一角では、短い旅仕度に使用人達がパタパタパタと動き回っていた。下級貴族、ジュレップ家のお屋敷だ。
 そのお嬢様ローゼリット・ジュレップが、一年前から一緒に暮らす義弟アルスがかつて暮らしていた村に出掛けることを決めたのは、つい最近のことだった。理由は至って簡単、もうすぐアルスの故郷の村で秋祭が開かれるからだ。
 アルスの故郷ではこの時期、育てた羊でレースを開催する。アルスが話す所に寄れば、それぞれが育てた自慢の羊に乗って村の周囲に作ったコースを走り、その勝敗で来年の豊作を占うという伝統行事らしい。
 昨年は父親を亡くしたばかりで、さらに親類(つまりローゼリットの屋敷)に預けられたばかりでそれ所ではなかったアルスである。だが、今年は祖母以外とは随分気心も知れ、ウィルでの新しい生活にもすっかり馴染んだのだろうか、珍しく自分から故郷の祭の事を口にして、行ってみたいとねだったのだ。

「ローゼリット様、一緒にお祭に行きませんか?」
「アルス、そなたがそう申すなら、後学の為、あたくしも一度その祭を見物してみるのも良いやも知れません」

 けっこう義弟バカ属性のあるローゼリットは、アルスの言葉にこっくり生真面目な顔でそう頷いて、その日のうちに祭の日程を調べ上げ、両親に小旅行の許可を取った。聞きつけた祖母はローゼリットを呼びつけてぞろ、下々の祭なんかに加わるなんてジュレップ家の娘としての誇りはどこにいったんだいと文句をタラタラ零したが、それは全部無視しておいた。
 そんな訳で、大好きな義姉と懐かしい故郷の村のお祭に参加できる事になったアルス少年は、以来、大変に上機嫌でローゼリットに村の秋祭りのあれやこれやを話して聞かせる。

「羊の買い付けの商人のおじさんなんかも来て、飛び込みで一緒に羊に乗って走るんです」
「まぁ‥‥危険はないのですか?」
「えっと、そこはオトコノダイゴミだっておじさん達が言ってました! 僕は子供だからまだ羊レースは駄目ってママに怒られたけど、今年は参加出来るかな?」
「そうですね、そなたももう11歳です。立派に大人として扱われる年ですよ」

 生まれながらに貴族の娘であるローゼリットの言う『大人』と、10歳までは村の子供として育ったアルスの言う『大人』には、実は天と地ほどの差があったのだが、幸いにしてというべきか、2人はその誤解には気付かなかった。まぁ、そういうものだろう。
 故に、実に真面目な表情で「そなたももう立派な大人です、羊レースとやらに参加してみるのも良いでしょう」と頷くローゼリットに、「ありがとうございます」と嬉しそうにアルスが満面の笑みで大きく頷く。
 勿論、そのレースが毎年、死者は出ないまでも数多の怪我人を生み出してきた過酷極まりないレースであり、それを乗り越えられる羊だからこそわざわざ商人たちが買い付けに来るほど身も良く締まり、毛もしなやかなのだという事を、ローゼリットは想像もしなかったし、アルスは当然知っているものと説明しなかったのだった。





 村では1頭の羊を囲み、大の男達が話し合っていた。彼らの中心に居る羊はキャシー号、メス、5歳。人間達を睨み上げる眼光も鋭い、見るからにカタギではなさそうな羊である。
 これまで、キャシー号は数多の伝説を生み出してきた。どんなコースもそのひづめで力強く駆け抜け、だが最後までその背に乗っていられた人間は誰も居ないという、まさにじゃじゃ馬(羊だが)。どんな商人もキャシー号の眼光に恐れをなして買い付けを諦め、飼い主ですらすでに乗りこなす事は諦めた伝説の競争羊。
 今年も、キャシー号は秋祭りの羊レースに出場する。去年、一昨年とキャシー号を乗りこなそうと立候補の名乗りを上げた恐れ知らず共は、全員揃ってキャシー号の背から振り飛ばされた。
 さて、今年、キャシー号は一体どんな伝説を作るのか‥‥男達はキャシー号の、威風堂々とした羊毛を見つめ、ごくりと唾を飲み込んだ。





 冒険者ギルドの受付嬢ティファレナ・レギンスは、一風変わったその依頼を受け付けて、どうしたものかと頭を悩ませていた。

「せっかくですから、日頃お世話になっております冒険者の皆様にも、当家より秋祭りにご招待させて頂きたいと思うのです」
「冒険者のお兄ちゃんやお姉ちゃんも一緒に羊レースに出ようよ!」

 生真面目な表情でピンと背筋を伸ばして受付カウンターに座るローゼリットと、レースに出場する気満々のアルス・ジュレップ。別にまぁ、それは良い。冒険者への祭の依頼は、良くある話だ。
 だがしかし。

「ローゼリット様も羊レースに出るんだよ」
「後学の為、何事も嗜んでおくのも貴族の娘としての務めでしょう」

 それは止めた方が良いんじゃないか、でも本人の自由意思だしなぁ、とティファレナは真剣に悩んでいた。そんな、秋の日の昼下がりの出来事だった。

●今回の参加者

倉城 響(ea1466)/ ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)/ クリス・ラインハルト(ea2004)/ オルステッド・ブライオン(ea2449)/ アリシア・ルクレチア(ea5513)/ ディアッカ・ディアボロス(ea5597)/ フォーレ・ネーヴ(eb2093)/ ソード・エアシールド(eb3838)/ イシュカ・エアシールド(eb3839)/ 加藤 瑠璃(eb4288)/ リール・アルシャス(eb4402)/ ルスト・リカルム(eb4750)/ モディリヤーノ・アルシャス(ec6278

●リプレイ本文

 さてその日、明朗快晴雲1つなし、絶好のレース日和。羊レースを純粋に楽しみに来た者やら買い付ける羊の見当をつけに来た者やら、はたまたそういう者を相手に一商売しようという者やらで、小さな村を行き交う人々はいつもの倍以上に膨れ上がっている。
 その人混みの中で、凛と背筋を伸ばして立つ少女の姿はそれでもひどく目立った。

「あっ! ローゼリット様、冒険者のお兄ちゃん達だよ!」
「久しぶりね。ローゼリットちゃんとアルス君がレースに参加すると聞いて、顔を見に来たわ」

 満面に笑みを湛えてぶんぶん手を振るアルス少年に、思わず笑み溢れながら加藤瑠璃(eb4288)が2人に言った。義弟が指差す方を見て、そこに立つ瑠璃や他の冒険者に気付いた少女が優雅に軽く礼を取る。

「瑠璃様、ご無沙汰しております――アルス、そなたもご挨拶申し上げなさい」
「はい、ローゼリット様!」

 大好きな義姉に促された少年は、ペコンと頭を下げて「冒険者のお兄ちゃんとお姉ちゃん、こんにちわ」とご挨拶した。それに「よく出来ました」と満足そうに頷く少女、姉馬鹿が進行している様子である。
 瑠璃以外にも、フォーレ・ネーヴ(eb2093)や倉城響(ea1466)も既知の相手だ。「お久しぶりです」「私の事覚えてる?」と笑顔で話しかけられて、義姉弟はもちろんと大きく頷いた。以前に顔を合わせたのが、豊かな女性の象徴を見るとジャンピングアタックを試みるとある貴族の屋敷訪問、と言う筆舌尽くし難い印象的なエピソードだったせいもある。その節は本当にお疲れさまでした。
 とは言え、既知の相手ばかりではない。例えば愛らしい精霊のお嬢さんを真ん中に、お父さんとお母さんと言った風情で歩いてくる2人の様に。

「スノウ‥‥賑やかですね」
「ね♪」

 我が子に接する母の如く微笑みかけたイシュカ・エアシールド(eb3839)の分まで辺りの喧騒に気を配りながら、既知の冒険者を見つけて軽く手を上げるソード・エアシールド(eb3838)。念の為、どう見ても仲良し夫婦とその子供に見えたとしても、彼らは仲の良い同性の親友である。ここ重要。
 ここしばらく、なかなか遊びに連れて行ってあげられなかったルーナはちょっぴり祭分(?)に飢えていた様子だ。体調を崩しがちだったこともあったイシュカは、秋祭りの事を知って「スノウを連れて行ってあげたいんです」と親友ソードに潤んだ眼差しで訴えた‥‥かどうかは不明だが、とにかく親友にそう訴えられて、ソードも力仕事など何か役に立てる事もあるだろうと同行した次第である。決して、多分、先日の○ー○ー服のショックを癒したかったわけではない。以上、状況説明終わり。
 イシュカに嬉しそうに応えたスノウホワイトは、集まっていた冒険者の中にクリス・ラインハルト(ea2004)を見つけてパタパタと笑顔で手を振った。先日も、ウィルで催されたとあるイベントで顔を合わせたばかりだ。スノウの反応に、気付いたイシュカとソードも顔をあげ、笑みかけた。それからクリスの、ちょっとだけ困ったような笑顔を見て、その視線の先を見て。
 ――思わず、目を逸らす。だがそれではいけない、とイシュカは勇気を振り絞って(?)そこに居た姉弟に声をかける。

「こんにちわ、リール様、モディリヤーノ様‥‥」
「ああ、こんにちわ!」
「‥‥‥」

 朗らかに返事をしたのは姉、リール・アルシャス(eb4402)。その姉の背後で、どんより暗い顔で姉の背中をじっとり見ているのが弟、モディリヤーノ・アルシャス(ec6278)。こう‥‥空気が重いのは気のせいですヨネ? 気のせいだと言ってください。
 だが悲しいかな、明らかに気のせいじゃなさそうな証拠に、リールはまったく振り返る様子もなく、招待されたジュレップ義姉弟の方へと視線を向ける。アルスがきょとんと眼を丸くして、ローゼリットが礼儀正しく気付かないふりをして「お初にお目にかかります」と軽く礼をした。
 ――聞くだけ無駄だと、思うが。

「‥‥リール殿の絶縁宣言、解けたのか?」

 そっと囁いたソードに返ってくる、モディリヤーノの世にも情けなく重暗い眼差しを見れば、答えは言わずもがなだ。サイコロの精霊はいつだって、確率でしか答えを返してくれないものとはいえ(意味不明
 まぁ、賑やかかつ華やかな秋祭りの場には不釣り合いな話。ここで立ち止まっている間にも見物客は続々とやって来ているし、あちらこちらではすでに買付の商人との交渉なども始まっていたりする。
 よく晴れた空を眺め渡したユラヴィカ・クドゥス(ea1704)が、これならウェザーコントロールは不要じゃろう、と頷いた。せっかくの祭に雨なんて似合わないのだし。ルスト・リカルム(eb4750)も空を見上げて頷き、前評判から見て自分は怪我人の治療に専念した方が良さそうだ、とさっそく村の救護所を探す。
 かくて羊レース、開幕。





 キャシー号は、睨み上げる眼光も実に鋭い雌羊だった。村の住人の幾人かが、キャシー号と目が合うや否や全力で目を逸らし、さりげなさを装ってあらぬ方へと去っていく。
 その様子を羨ましそうに見て、若干青い顔をしてキャシー号の手綱を握った飼い主は、殆ど自棄になって声を張り上げ、キャシー号の挑戦者を募集していた。

「こいつは羊レースの不戦の覇者キャシー号だ! 挑戦しようって肝っ玉の座った奴は居ないかい! いやちょっと乗ってみるだけってのもかまわねぇ! 今なら漏れなくうちのかかあの料理がついてくるぜ! 誰でも良いから乗ってくれねぇかねマジで!!」

 威勢は良かったが、妙に必死さと哀れさの滲み出るうたい文句だった。見ていて気の毒にさえなってくる。
 しかし、歴年の伝説を知っている村人はもちろん、仲間からキャシー号の事を伝え聞いている商人達も、なかなか名乗り出ようとはしない。だんだん飼い主の声は枯れてきた。
 そこに現れたのが救いの精霊、もとい、救いの冒険者。オルステッド・ブライオン(ea2449)とアリシア・ルクレチア(ea5513)の夫婦である。
 先頃、とある戦いで重度の凍傷を負ったオルステッドは、現在療養生活を送っている。そんな夫とともに、気晴らしもかねてピクニックがてら、ギルドで見つけた祭依頼に妻アリシアを伴ってやってきたのだ。
 必死の呼び込みをかけている羊と飼い主達をぐるり見渡したオルステッドが言った。

「‥‥羊レースか‥‥つまり、あの羊に乗って競争するんだな‥‥」

 羊毛のレース編み競争でも、お嬢様を抱えて走り回る職業の人の壮絶バトルでもありません、悪しからず。
 そうね、とアリシアがのんびり夫に進言する。

「可愛い羊達ですわね。オル、リハビリにはちょうど良いかも知れませんわ。参加なさいな」
「‥‥ああ‥‥」

 そうだな、と頷く夫に楽しみにしていると手を振り、アリシアがその場を去ったのは幸いだった。なぜなら、この後に続く悲劇を見ずに済んだのだから。
 今日はどこぞの貴族の子弟も来ていると聞く。ならば妻の言うとおりリハビリがてら、騎乗スキルで見本を見せようと辺りに居並ぶレース羊達を見渡したオルステッドの目に留まったのが、件のキャシー号。すかさず飼い主が、必死さの籠った声で「旦那、うちのキャシー号はここらじゃ並ぶものない女傑ですぜ」と訴える。嘘は吐いてない。
 ほぅ、とオルステッドはキャシー号のふわふわの羊毛を眺めた。艶のある良い羊毛だ。

「‥‥どれ‥‥ちょっと乗せてもらうか‥‥」

 彼はそう、キャシー号の背に手をかけた。飼い主がなぜかごくりと唾を飲み込み、息を止めてその様子を見守った。凍傷にはまだ、気付かれていない。
 そして、グッと体重をかけてその背に乗ろうとした瞬間――オルステッドの視界一杯に、キャシー号の後足の蹄が広がった。





 坊やはこっそり窓板を押し開け、祭りの様子を覗いていた。
 せっかくの秋祭りの羊レースだというのに、楽しみにし過ぎてうっかり夜更かししてしまい、熱を出してしまった坊やはママに今日は大人しく寝ているように言われている。でも、どうしても羊レースが見たくって。
 行きかう人々や賑やかな祭の喧騒をキラキラした瞳で熱心に見つめていた坊やは、不意に目の端に過ぎった何かに気を取られた。はっ、と視線を向けた坊やは限界まで驚きに目を見張り、あっ、と大きな声を出す。

「‥‥まぁ坊や! 大人しく寝てなさいってあれほど言ったのに」
「ママ! ママ、今お空をお兄ちゃんが飛んで行ったよ!」

 坊やの声を聞きつけて、飛んできたママが眉をきりりと上げて叱るのに、坊やは興奮した口調でそう言った。まぁ、とママがますます呆れた顔で、きりりと目も吊り上げる。

「まぁ坊や、お空を飛ぶお兄ちゃんなんて居るわけないでしょ! ママ、嘘つきは嫌いよ!」
「嘘じゃないよ! ママ、本当に、エルフのお兄ちゃんが飛んで行ったんだよ!」
「嘘おっしゃい! 良い事坊や、坊やはお熱が出て寝てなきゃいけないってママ言ったでしょ? ママの言う事を聞かない悪い子だから、そんな変な夢を見たりするんですよ」

 あくまで己の見たものを訴える坊やに、ママは怒り、最後は呆れた口調でそう言い諭した。ほらもう寝なさい、と促されてしぶしぶ、寝台に潜り込む。
 ガタン、と窓板が閉じられて、薄暗がりが訪れた。ママは坊やが大人しくしているのを確認して、ようやく優しい笑顔になってそっと坊やの頭を撫でてくれる。

「さぁ良い事坊や、今日ちゃぁんとママの言う事を聞いて大人しく寝ていたら、明日はきっと、お祭に参加出来ますよ」
「‥‥はぁい」

 坊やはそう返事してぎゅっと目を閉じた。途端にとろりと眠気が襲ってきて、やっぱり夢だったのかもしれない、と坊やは考える。
 ママの言う通り、エルフのお兄ちゃんがお空を飛んでいったなんて、きっと夢を見ていたのに違いない。ちゃぁんと大人しく寝ていたら明日はお祭に行っても良いって言われたんだから、今日はもう眠ってしまおう。
 坊やはそう考えて、ぎゅっと閉じたまなうらで羊を数え始めた。脳裏にはまだ、良い笑顔で青い空を過ぎって行ったエルフのお兄ちゃんの笑顔がくっきり焼きついていたのだけれど。





 二番手、キャシー号に挑んだのはリールだ。彼女はさすがに少し青くなりながら、しっかり本羊の目を見つめた。

「どうだ? 自分を騎乗させて頂けないか?」

 青ざめた女騎士の言葉に、キャシー号はねめつける視線を送る。もの珍しく感じたのか、必殺の蹄は飛んで来ない。
 思うに、キャシー号がことごとく乗り手を振り落とすのは、不粋な男達に次々と無遠慮に乗られ、乙女としてのプライドを傷つけられたからではないのか。

「男達を蹴散らすというのはどうだろう?」

 リールの言葉を最後まで聞いて、キャシー号は鋭い眼光を向けた。そして、ブモッと激しい鼻息と共にクルリと後ろを振り向くと、ユラリと黄金の後足を振り上げる。
 キャシー号、一体今の説得のどこが気に入らなかったんだ!? 哀れ先に引き続いて宙を舞った女騎士を見ながら、飼い主は絶望的な気分で髪をかきむしる。
 だが、その答は最後の挑戦者によってもたらされた。

(‥‥なんで乗る人を振り落とすのですか?)

 ディアッカ・ディアボロス(ea5597)の、テレパシーで文字通り心に響いてくる言葉に、キャシー号はハッと目を見開いた(ような気がした)。顔の前に居たシフールをジッと、傍目にはギロリと見た本羊に、ディアッカは引き続きテレパシーで話しかける。

(よほど気に入らなかったのですか?)
(そぉゆぅ訳じゃ‥‥)

 意外に乙女らしく恥じらい、ガツガツ蹄で土を抉るキャシー号に、端で見ていた飼い主は暴れ出す前兆だとこれ以上なく青ざめる。

(では、どんな条件なら‥‥)
(やだ、条件なんて‥‥あたしそんな安い羊じゃないの‥‥)

 だんだん鼻息が荒くなってきたキャシー号に、村人達が観客を避難させ始める。してあのシフールは誰が助けに行くんだと言い争いが始まった。

(では私では‥‥)
(あぁ‥‥ッ、嬉しいッ! 待ってたわ、あたしの白羊の王子様‥‥ッ)
「ヒィッ! キャシー号、それは食っちゃいけねぇッ!?」

 ついに感極まり、親愛の甘噛みを始めたキャシー号に、飼い主が絶望の声を上げた。何しろディアッカのサイズがサイズだけに、見た目がまずグロテスク。突然の展開に、ディアッカ自身も呆然としている。
 競争羊の待機場の別の一角で、何とかキャシー号を打ち負かそう、とテレパシーで意気投合したクリスとブラックフェーズ号(命名・クリス)が、騒ぎに気付いてそちらを見、それから互いに顔を見合わせた。

「ブラックフェーズ‥‥」
「ブメエェェェ‥‥」

 クリスの確認するような声に、ブラックフェーズ号は大きく鳴いて頷いた(様に見えた)。それに、そうですか、と頷いてクリスはまた騒ぎの方へと視線を投げる。
 リールの指摘は正しかった。キャシー号は見知らぬ相手にとっかえひっかえ乗られる事に嫌気が差し、背に乗る猛者達を悉く振り落とし続けていた。
 だが‥‥同時に、キャシー号は恋に恋する乙女でもあった。故に、リールに背中に預ける事を良しとせず、彼女の理想の白羊の王子様を待ち続けていたのである。
 ‥‥何にしてもはた迷惑な話だ、とクリスはしみじみ青い空を見上げた。キャシー号を取り巻く喧騒は、いまだ衰えを知らない。





 ザワリ、ざわめきが羊レース会場から聞こえてきて、イシュカと響は顔を見合わせた。レース出場の仲間があちらにいるはずだが。

「モディリヤーノ様もいらっしゃるので‥‥大事には至らないかと‥‥」
「そうですねぇ。私もそろそろレースの羊を選びに行こうと思っているんですが」

 はっきり不安の眼差しを送るイシュカを、安心させる口調を保ちながらも響も弱冠不安の眼差しだ。まして、見やった先から慌ただしい喧騒と「おいっ、救護班ッ」「さすがキャシー号、今年も蹄は衰えちゃいねぇ‥‥はっ、お、怖じけづいた訳じゃないんだからね!」などと不安しか煽らない声が聞こえてくるからなおさらだ。
 聞いていた2人は無言で顔を見合わせた。見合わせ、眼差しだけですべての意思を通じ合わせるという熟年夫婦もびっくりの、今ならヒトガタのナニかも動かせるシンクロ率で頷き合った。解らない方、本当にすみません。

「では‥‥行きます‥‥」
「はい、お願いします♪」

 青い顔で走り出したイシュカをおっとり見送った響に、彼らが臨時で手伝っていた屋台の親父が「どうした?」と声をかける。イシュカが救護に向かった事を説明すると、親父は気の毒そうな顔になって頷いた。だが詳しい事をというと口を噤む。
 レースコースの整備を手伝ってきたソードが、親友の姿がないことに気付いて響に視線を向けた。残っていたスノウがぴょい、とソードに抱きつく。そんな彼にも同じ事を説明すると、そうか、と彼は少し引きつった顔で頷いた。

「‥‥何があったんですか?」
「いや、まぁ、な‥‥」

 尋ねた響に、ソードは「噂だけだが」と前置きしてキャシー号事件を簡潔に語る。曰く、キャシー号が大暴れをしてシフールに食いつき、半死半生の重傷を負わせたらしい。曰く、キャシー号の黄金の後足が一撃で10人ばかり吹っ飛ばしたらしい。
 ――しばしの沈黙の後、響はおっとり頬に手を当てた。

「助けに行きましょうか」
「あちらにはイシュカだけじゃなくて他の仲間も居るから、何とかしてくれるだろう。それよりスノウだ‥‥スノウ、そっちには行くんじゃない」

 この春生まれたばかりらしい子羊の後をふわふわついて行き出した娘に、ソードは嘆息して猟犬を呼び、しっかり見ているように言い聞かせた。ほっといたら本当に、目を離した隙にレース場に飛び込みかねない。
 そんな様子を微笑ましく見た響自身、意外に屋台が賑わっているので中々手伝いを抜けられない。イシュカが抜けた今は尚更だ。
 手が開いたらお手伝いに行きますね、と微笑んだ響の言葉に、伝えておく、とソードは頷き、精霊娘の後を追って村の散策を始めた。この時点で、彼らに想像が出来るはずもない――まさにその冒険者こそが最大の被害者であり、イシュカが険しい顔で救護に当たっていた事を。





 レースコースは村の近辺、つまりスタートとゴールの辺りはフォーレを始め村の有志によって事前に小石も綺麗に取り除かれ、コースの両脇の柵も布でしっかりくるまれている。だがその向こうは手付かずの大自然だ。
 スタート地点に集まった競争羊と騎手達は、真剣な顔でコース説明を聞いている。レース途中での観戦も可能なので(命の保証はないと念押しはされる)、臨場感溢れるレース観戦を望む観客達はそろそろ、各々目を付けておいたポイントに向かって食べ物や飲み物を持って移動し始めた。

「はい、魚の塩焼きですわ。ありがとうございます」

 そんな客を相手に持ち込んだ魚を捌いて塩焼きやら何やら加工し、売りさばいていたアリシアはふと、選手達の中に夫の姿がない事に気がついた。軽く首を傾げるも、彼女の売る魚の中には珍しいものもあって意外と好評だったため、その場を離れて夫のことを聞きに行く余裕はない。
 レースは何度か催されると聞いている。そのうちのどれかに出るのだろう、と深く考えずに新たな客の相手をし始めたアリシアの斜向かいでは、ユラヴィカの占いがそこそこの人気を博していた。村人に許可を得て、事前に村内のコースを鶏に乗って走る事になっているのでそろそろ行かねばならない、と言う彼の前には、村の年頃の乙女達が気になる彼の気持ちを知りたいと列を為している。
 まぁ、その手の悩みはいっそ花占いでもやらせれば勝手に解決するものだが、ユラヴィカはきちんと占ってやり、ありがとうシフールのおじさま、と名残惜しそうな娘達に見送られる事になったのだが、それはまた別のお話。
 レース場までやってきたユラヴィカは、キャシー号にくわえられた実に複雑な表情のディアッカを見つけた。

「‥‥何してるんじゃ?」
「‥‥何してるように見えますか」

 ディアッカ、機嫌はやっぱり悪かった。当たり前だ。隣に立つ飼い主の顔色は、もう青を通り越して白い。
 ユラヴィカはそれ以上尋ねる事はなく、道理で姿を見なかったはずだ、と静かに納得して友人の生還を心から祈ってその場を後にした。じっ、と視線が向けられていたのはきっと気のせい。そのはず。
 そんな、シフール達の小さな(?)ドラマを余所に、鶏によるエキシビジョンは好評だった。赤い鶏冠も勇ましい(何故かこの村の家畜は勇ましいものが多い)鶏が大きな翼を広げて走る、その背にちょこんと跨って風を切るディアッカは、観客の大きな拍手と完成でゴールを迎える。ユラヴィカ、心から残念そうに友人の勇姿を見守った。
 が、ここからが本番だ。本命の羊レースの開始を告げる声に、騎手達と飼い主達と商人達と関係ない一般人達の顔がきりりと引き締まる。
 クリスがブラックフェース号(命名・クリス)に乗り、首筋を叩いた。

「いつまでもキャシー号に女傑の名を捧げるでは情けないですよ?」
「ブメェェェ!」

 フォーレがフェリナ号(命名・村の子供)に乗る前に、にこぱと笑って話しかけた。

「よろしくね♪ 一緒に頑張ろー♪」
「ンメェ♪」

 響がレスト号(命名・以下略)に乗って、おっとり背中の羊毛を撫でた。

「よろしくお願いしますね。のんびり行きましょう」
「‥‥メエェェ」

 瑠璃がロミル号(以下略)に乗って座り具合を確かめて、傍らの子女を振り返った。

「大丈夫、ローゼリットちゃん。さっきも言った通り、膝に力を込めるのよ」
「はい。このローゼリットの名にかけて、必ずや走り抜いて見せます」

 リールがバレッタ号(略)に乗って、まっすぐ前を見つめる頭をぽふぽふ叩いた。

「よろしく頼むぞ。お前の目に叶っただけの騎手であれれば良いが」
「ブメェェ‥‥」

 ディアッカがキャシー号にくわえられたまま、鼻息荒く離そうとしない彼女の顔を諦めの眼差しで見上げた。

(‥‥終わるまでこのままでしょうか)
(王子様にあたしの可愛い所を見て貰うのよ!)

 そんな悲喜交々のやり取りを見守るイシュカとモディリヤーノとルストが、心配そうに救護所代わりの民家の方を振り返った。

「大丈夫かな、オルステッド殿‥‥」
「元より‥‥万全の体調ではなかったようですから‥‥」
「この羊レース、予想以上に危険が一杯みたいね。フォーレ達も無事だと良いんだけど」

 ちなみにこの後、彼女達は怪我人の救護で忙殺され、レースの行方は見届けられないのだが、それもまた別の話。同じく見守るユラヴィカが、親友を銜えて離さないキャシー号のカタギとは思えない面構えに「うみゅ‥‥しかし、キャシー号のこの面構えは、うちのモアのキョウさんとかコカトリスのヒヨちゃんを思い出させるのぅ」と何だか彼の日常生活の方が心配になってくる感想だった。え、大丈夫ですか、それ。
 ソードが嘆息してスノウを背中に括り付け、愛馬の背に乗り待機に入った。村人も毎年の事だから慣れているとは思うが、怪我人が出た場合は救護の人間を乗せて現場まで走ったほうが良いかも知れない。
 ――そして。

「さぁ、今年もやって参りました羊レース! 勝っても負けても恨みっこなし、死ぬなら笑って砕け散れッ! レディー‥‥ゴゥッ!!」

 割と酷い事を言った司会が勢いよく振り上げた旗を合図に、競争羊達は一斉に飛び出した。ダガガッドガガッブメェェェェッ!! と爆音と土煙が炸裂する。
 まず一羊身飛び出したのがクリスが駆るブラックフェーズ号。やはり最初の気合の入れ方が違ったのだろうか、なんだか恐怖に引きつってすら見える顔でひたすら前を見て疾走するブラックフェーズ号に、追いすがる羊の群れ。クリスの予定としては後方から串刺しにするつもりだったのだが、出てしまったものは仕方ない。

「ジ・アースのボクが勝ったら、大豊作間違いなしなのです!」

 腹を決めて叫びながらコーナーに差し掛かった所で、コーナリングに念入りに力を入れていたリールが横に並んだ。続いて瑠璃、フォーレ、響と続き、ディアッカがその後ろに並ぶ。ローゼリットは予想通り、かなり早い段階でレースどころではなく、瑠璃のアドバイスどおりひたすらしがみつく事に集中していた。
 ここからは畑の中を抜けるコースになる。畑、それは羊達への誘惑が一杯の魅惑の楽園。落ち穂などを求めて、早くもレースから脱落する羊が出始めた。しかも敢えて柵を作ってない辺りがいやらしい。
 響とフォーレの羊が仲間たちに誘われるように足を止め、落ち穂をはみ出した。だが特に勝ち負けにこだわっているわけではなく、羊とレースという状況自体を楽しみたかった2人はむしろ嬉しそうに背から降り、羊が他にも喜びそうな草などを探し始める。後から子羊にのんびり揺られてやってきたアルスが「あー、フォーレ姉ちゃん、響姉ちゃん」と嬉しそうに手を振って、自ら畑に飛び込んだ。
 早くも脱落者を出しつつ、クリス、ディアッカ、リール、瑠璃と続いて次のコーナーを曲がる。けたたましい蹄の音に辺りの鳥が飛び立ち、後ろから「ウオオォォォ‥‥ッ」ドスンッ! 「俺はやり切ったアァァァ‥‥ッ」ドスンッ! 「我が愛は不滅だアァァァ‥‥ッ」ドスンッ! と賑やかな声が聞こえてくるのが微笑ましさを誘う。
 そんな秋の風物詩を俊足の速さで置き去りにしながら、羊達は森の中を疾走した。すでに先頭を行くのは冒険者達のみ。おまけにその中にキャシー号が居ると言うのだから、観客の期待もいや高まるというものだ。
 ソードに乗せられて現場まで走って来たルストが、落羊した騎手達の意識レベルを調べてぺちぺち頬を叩いた。その間にも後方から、はっと我に立ち返った羊(だけ)が疾走してきたりする。余り動かしたくはないが、コースの真ん中に置いとくと踏まれかねない。

「ブギャッ!?」
「あ‥‥遅かったわね」

 不幸な犠牲者を出しながら、観客にも手伝わせてコース外へと避難し、応急手当で済まないものはリカバーなども使用して救護していく。中には「大丈夫? 動けるなら自力で移動して」「はい‥‥もっと言って下さい‥‥♪」と言う変なファンも出来たようだが、ここは精霊の祝福が彼女の上にある事を祈るほかあるまい。
 この森の中で、団子状態の上位チームにも変化があった。瑠璃の乗るロミル号が、木の根に足を取られて転倒したのだ。

「きゃ‥‥ッ」
「瑠璃殿‥‥っ!」
「犠牲は無駄にしないのです‥‥ッ」
「瑠璃殿、後で必ず助けに来る!」

 口々に案じる言葉を掛けながら走り去った3頭を見送って、瑠璃は転倒したロミル号を助け起こした。元々、彼女は余り乗馬が得意な方ではない。まして羊となれば完全に勝手が違うものだ、このスピードで良くぞここまで、と褒め称えられるべき所だろう。
 後方を振り返ると、無人の羊が幾らか走ってくるが、ローゼリットの姿はない。生粋の貴族の娘が乗馬経験がないと言うのは疑問だったが、聞いて見ると乗馬自体は経験あるものの、それは馬丁に手綱を引かれた馬に横座りになる、と言うものらしい。むしろ、良くその程度の乗馬経験で「馬に乗れる」と言い切らなかったものだ。
 ふと、目の前にハンカチが差し出された。見ると儚げな美貌の女性が「大丈夫ですか‥‥?」と心配顔で覗き込んでいる。案外、ローゼリット以外にも身分のありそうな者がお忍びで来ている様だ、と瑠璃はこみ上げた苦笑を噛み殺して「大丈夫です」と礼儀正しく返し、ハンカチをありがたく受け取ったのだった。
 一方、レースは遂に佳境を迎え、第4コーナーを回った所。ここからは村のゴールまでやや蛇行しつつもなだらかな道が続き、両脇にひしめく観客もそれまでの比にならないほど多い。
 クリスが再び先頭に並んだ。だがすぐにリールが追いつき、さらにキャシー号がその外側から回りこんでくる。まさに接戦。力強い蹄の音に、鼓膜が破れんばかりだ。

「まっすぐ前だけを見るですよ!」
「ブメェェェッ!」

 クリスの声に、応えるブラックフェーズ号と威嚇するキャシー号の鳴き声が同時に返った。ブラックフェーズ号の足は止まらない。キャシー号はただ前を見据えて疾走する。バレッタ号は我関せずの様子で一定のペースを保っている。
 差が開き、また縮まり、抜き、抜かれ、また開き――

「来たーッ!! 今年も優勝はキャシー号ッ!! 半羊身開けてブラックフェーズ号、バレッタ号、同時にゴールインーッ!!」
「強い、強いぞキャシー号ッ!! 今年も女傑は強かったーッ!!」

 大声を上げる村人達と、大きな息を吐いて己の順位を確かめるクリスとリールの声を聞きながら、ディアッカは意識を手放した。最初から最後まで銜えられたままだった彼は、その後、シフールの英雄と村で語り継がれることになる。





 さて、売りさばくものを売りさばき、ようやく時間が取れたアリシア・ルクレチアが夫の身に起こった真相を知って救護所に駆け込み、心配の余りどったんばったんと身体を揺すり始めた頃、表彰台でも一悶着は起きていた。

「そこを何とか‥‥」
「ここは一つ‥‥」

 意識を取り戻したディアッカに平身低頭で頼み込む村長とキャシー号の飼い主に、心から嫌そうなディアッカの視線が向けられる。彼らはつまり、優勝賞金と共にキャシー号も是非連れて行ってはくれまいか、と懇願しているのである。
 簡単に言えば、今回の優勝までの道のりで、キャシー号にはついにすべての商人から「無理。絶対」と言う買取拒否のレッテルも貼られた。まぁ誤解とはいえ、人食い羊はさすがに、と言うわけだ。
 故に、何とか引き取ってくれまいか、と頼み込まれているの、だが。

「申し訳ありませんが」
「どうかワシらを助けると思ってッ!?」
「‥‥ならばキャシー号は、当家が責任を持って引き取りましょう」

 すげなく断るシフールに抱きつかんばかりになっていた村長達に、凛と響く声がそんな言葉を紡いだ。振り返ると、かなりぼろぼろになっているローゼリットだ。傍らにはアルスが居て、なぜか精霊娘のスノウと仲良くなっている。一体何をしていたんだろう、この子供は。
 真意を測りかねている村長達に、ローゼリットが静かに言った。

「この方達はあたくしがお招きしたのです。ならば、このローゼリットが引き受けるのが当然でしょう」
「し、しかしお嬢様、キャシー号はこちらのシフールさんが‥‥」
「存じております。ですが、この方もまた冒険者としてお忙しく働かれる身――キャシー号、そなたもこの方を愛おしく思うならば、時には愛しい殿方を信じ、己を抑えて堪え忍ぶ事も寛容です。解りますね?」

 誇り高く語りかけられた言葉に、キャシー号ははっと目を見開いた(様に見えた)。おずおずと、傍目にはギロリと眼光鋭くディアッカを見上げたキャシー号は、ブメェェェッ! と勇ましく別れの言葉を告げると、おとなしくローゼリットの元へ歩み寄っていく。
 その様子に、飼い主を始め、キャシー号に今まで振り落とされた男達が揃って、何となくプライドを傷つけられたような気がしてがっくりと膝を突いたのだった。





 かくて、とある村の羊レースは今年も大盛況のうちに幕を閉じたのである。