●リプレイ本文
とある村の収穫祭。という響きから連想される色々なものとは程遠い、村を上げての借り物競争という不思議な祭(?)への招待を受けて、やってきた巴渓(ea0167)は「やれやれ」と肩をバキボキ鳴らした。
(ま、骨休めには良い依頼、かな)
何やらどこかで色々戦ってきたらしい彼女は、たまたまギルドでこの知らせを見つけてやって来たらしい。記録員にはちょっと遠い国の出来事はわかりませんが、冒険者というのはいろいろな所に目を配るものなのだろう。
何はともあれ、非常に凶悪などこかのカオスの魔物らしきものと戦い疲れた身を休めるには、このくらいの依頼がちょうど良い。色々と思うところもあったらしく、ふと口元に笑みを浮かべ「こんな下らない日常を守る、それだけで命を賭けて戦う意味もあるさ」などと呟いている。
とある村の、多分さして珍しくもない――収穫祭に借り物競争はともかくとして、行われる事自体は珍しくもない収穫祭。そんな当たり前の、いつも通りの日常の積み重ねを、ただ懸命に繰り返していくのが人間であり。ただそれだけの精一杯を守るのが彼女達、冒険者の役目ではないだろうか。
その当たり前の日常である所の借り物競争に、参加するべくやって来た者の中に知り合いを見つけた渓は、はぁ〜ッ、と深い深いため息を吐いた。それを見たクリシュナ・パラハ(ea1850)が、はれ?と首を傾げる。
「どうしたんですかー。秋晴れに相応しくないですよ〜」
「いや、お前は何か、阿呆なもんを借り物に選びかねんと思ってな‥‥美少女とか書くなよ、絶対!」
今回のこの借り物競争、参加者がそれぞれ借り物を指定して、それが描かれた木札を引いて現物を借りてくる、というルールになっている。つまり、参加者なら誰もが1つだけ、自由に借り物を決めても良い、のだが。
借り物競争を発案したというビルディス青年と、企画実行運営その他を全部考えたというマルカス青年が、つい今しがたも「ふざけんなボケ、口開けば美少女美少女と!」「なんだよ自由に描いて良いんだろー?」「ボケ! お前に自由なんぞない!」という素敵過ぎて涙が出そうな口論を繰り広げていたりしたのが、ばっちり冒険者達の耳にも入っている。それゆえの渓の釘刺しだ。
そして、渓の言葉にクリシュナはキャハ☆ と笑った。
「書きませんよ〜。やー、美少女って言ったら、当然私も該当しますよね〜」
「美少女‥‥だと?」
「や〜んクリシュナちゃん18さ〜い☆」
可愛らしく、大変お可愛らしく仰せの女性、実年齢は‥‥地獄の業火は怖いので秘密です。ええ、女性の年齢は守られてしかるべきトップシークレットという事で。
という記録員の必死の気遣いも無にするように、恐れ知らずの美少女スキー・ビルディスはじっとクシシュナの某所を見て呟いた。
「美少女‥‥? の割にはこう、この俺の手にフィットする感じの膨らみがな‥‥」
「それ以上言うなやコラァッ!?」
キジも鳴かずば撃たれまい。そんな天界の格言を体現するかのように、ギロッ! と睨みつけたクリシュナが放った炎魔法によって哀れ、ビルディス青年は炎に包まれ本気の絶叫を上げた。ギャグじゃなかったら死んでいるダメージだ。女性の怒りは恐ろしい。
慌てて村人達がバケツリレーでビルディスに井戸水をぶっ掛ける。正直、ビルディスはどうでも良いが、家とか刈り取ったばかりの麦とかに燃え移ったら大変だ。
だが、ここで懲りないのがビルディスだ。さすがに女性の象徴たる膨らみには触れないものの、彼の理想の美少女とは何たるか、について熱く語り出す。曰く、目の形が云々、眉の角度が云々。はっきり言ってうざい。
「待てコラ!?」
そこに、ビシィッ! と効果音付きでビルディスを指差しながら(良い子は真似しちゃいけません)つかつか歩み寄ってくる、天界人の青年が現れた。村雨紫狼(ec5159)。ビルディスの熱い美少女語りに、何やら青筋が立っている。
ああ、とマルカスが頭を抱えた。あの顔は怒ってる。間違いなく怒っている。せっかく少ない予算を割いて冒険者ギルドにまで祭のお知らせを張り出したのに、ボケビルディスのせいで全部がパァだ。
そう思ったマルカスと村の人々(除くビルディス)の悲痛な思いを、だが紫狼は全力で裏切った。
「あめーぜビルディス! 勝気ツンデレ病弱幼なじみにボクっ娘メガネっ娘ぉ!! 美少女だなんて簡単に括るんじゃねー、男なら目指せ全キャラクリアぁっ!!」
「へ‥‥? メガネ‥‥ってなんだ?」
「天界からたまに落来する、顔につける奴らしーぜ。かけたら隣村まで見えるとか」
「ほぉ、そりゃ便利じゃのぅ」
生憎、発言が非常にマニアックすぎて一部に別のどよめきをもたらしはしたのだが、マニアゆえの熱い魂の滾りというか、迸るエナジーと言うか、多分そんなものがビルディスのハートをストレートに貫いたようだった。余波を受けたマルカスも、ヒクリ、と別の意味で唇をわななかせる。
アレ‥‥この人、なんかビルディスと同類っぽい?
そんな空気と痛々しい視線をものともせずに、紫狼は雷に打たれたように目を見開いているビルディスの肩をガッシと掴み、いいか、と真剣な眼差しで洗脳‥‥じゃない、説きつけた。
「美少女って言っても色んなタイプが居て、色んなこだわりがあって、色んな萌えがあるもんなんだッ! そして俺はロリコン大王、こーどーもーずーきー!!! 嫁は幼女ぉー×2ッ!!!! 風呂も一緒に入るっ! 我が人生に一辺の悔い無ぁしっ!!!」
「ちょっと、あんた‥‥」
「ああ‥‥エルガ、良い子だからおうちに入ってなさい」
「はぁい、パパ」
魂を吐き出さんばかりにシャウトする冒険者に、村のあちこちで幼い娘を持つ夫婦の間でそんなやり取りが交わされたが、勿論燃え上がる青年の耳には届いちゃいない。むしろ清々しい笑顔で「いやぁ、ここまで叫んでも捕まらないって素晴らしい」とか仰っておられる辺り、言葉通り、本人には悔いはないのだろう。
嫁の2人の精霊が互いに顔を見合わせて、それから紫狼に小さな手を振った。デレッ、と途端に笑み崩れる青年。ザワ、とざわめく村。
そしてその中心で、肩を掴まれたビルディスは真っ青になって呻いた。
「何てこった‥‥俺は間違っていた‥‥ッ!!」
「やっと判ったか‥‥けど傷は浅いぜ。まだやり直せるッ!! なぜなら俺の借り物は美幼女‥‥」
「さすが兄貴‥‥ッ!」
「‥‥‥こんのボケビルディス!」
ガシッと熱く手を握り合ったマニアな2人に、ついに常識人(=マルカス)がぶち切れ、顔を真っ赤にして怒声を吐いた。その後ろの方を見た紫狼が「ぁ、やべ」と冷や汗を垂らす。さて、何をご覧になったものやら――別に記録員、額に青筋立てたりしてませんヨ?
その後、必殺の藁束抜き打ち三段切りという多分普通の農村には全く必要のない特殊コンバット(?)を披露したマルカスは、友人を文字通り足蹴にして祭準備に追い立てた。ビルディスも今日の借り物競走には出場する。非常に不安な事この上ないが、貴重な若い男手なのだから仕方がない。
鼻息荒く蹴り飛ばしたマルカスは、くるり、と怖い笑顔で紫狼に向き直る。
「それで、冒険者さん。おたくの借り物、まだ、聞いて、ません、よね?」
「うわぉ、マジで睨まれた! しかも記録員さんも何かすっげー睨んでる!?」
はっはっはっいやまさか、ほんのちょっと記録を取る羽ペンがバキベキ手の中で音を立てた位で♪ つか、記録員は黒子ですから(ぁ
そんな黒子とマルカスの冷たい視線二重奏に、さすがに後ろめたそうに「すんません、チョーシこきました」と頭を下げた紫狼。そうして顔を上げた彼の真剣な眼差しに、ようやく話が進むかとマルカスがほっと息を吐き。
「昼下がりのけだるげな美人の人妻で」
「いいか誰も俺を止めるなコイツ殺して収穫祭を成功させる!」
「‥‥冗談デス秋野菜デス(うわ、マジ切れたし!)」
ゆらり、と何かを立ち上らせたマルカスに、紫狼は速やかに謹んで前言を撤回した。とたん、正気の眼差しで「秋野菜な」と手に持つ板切れに何やら書き付けるマルカスだ。「女どもは近付くなよー」という注意喚起も忘れない。
だが、この凄まじい騒動の中でもなお、己のペースを崩さない――と言うよりはもうじき結婚式を挙げる愛する女性の笑顔ばかりが脳裏に浮かんで回りを全く見ていない、テンガロンハットの男が1人。
(感慨深いものがあるよ‥‥。緊張をほぐす気で参加したのに、彼女の事ばかり考えている自分がいる)
何を見ても聞いても、思い起こすのは彼女の笑顔。彼女の仕草。彼女の表情。こんな時彼女なら何と言うだろうかとか、彼女が見たら喜ぶだろうとか、そんな事を延々考え続けているキース・レッド(ea3475)だ。こういうのもマリッジブルーと言うのだろうか。
遅れて到着した美芳野ひなた(ea1856)がそんなキースの様子を見て、何かを察して、だが何も言わずに当たり障りなく「こんにちわ」と微笑んだ。ちなみに、何故彼女の到着が遅れたかと言えば、頑張って背負ってきた大量の荷物が少々、歩みに響いたからだが、祭には全く何の関係もない話だ。
目を白黒させる村人達に頼み込んで、荷物を預かってもらえる場所を探し始めたひなたを見送って、キースはまた
(あれほどの荷物、彼女は持てないだろうな‥‥買い物に出かけたりしてもきっと困ってしまって、僕がさりげなく持ってやったりして‥‥)
などと妄想、じゃない、想像の翼を膨らませている。知らず、にへら、と崩れかけた顔を必死で引き締める事、数知れず。いつの間にやら彼の前には、そんな百面相を見物する子供達が集まりだしたのだが、
(子供‥‥そうだ、子供はやっぱり彼女に似た方が‥‥だが彼女は困るだろうか‥‥)
力強く羽ばたき続ける空想の翼に追い風を送っていた。いやホント、ごちそうさまです。
とは言え彼も曲がりなりにも冒険者、気持ちの切り替えぐらいは出来る。そのはずだ。そう信じている。
文字通り、独身最後のこの祭で色々吹っ切って、迫りくる愛する彼女との挙式を穏やかな気持ちで迎えてみせる。そう、キースは決意も新たに実行員のマルカスに声をかけ、彼の借り物を告げたのだった。
◆
借り物競走のルールを簡単に説明しよう。
まず、参加選手は定められたスタート位置から合図にあわせて一斉に走り出す。抜きつ抜かれつの攻防を繰り広げながらコースを道なりに走り、やがて借り物が書かれた紙や木札などが置かれた場所へ辿り着くと、それぞれの前に用意されたその木札に書かれた借り物を求めて、今度はそこらかしこを走り回り、現物を手にした状態で定められたゴールまで向かうのだ。
これには勿論ローカルルールというか、それぞれに特色がある場合もあって、場所によっては好きな札を引いてよかったり、パン食い競争よろしくパンの中に札が隠されていたり、書かれているものが無難なものならまだ良いが『好きな人』なんて書かれてた日にはラブコメ路線まっしぐら、なんてハプニングも存在したりする。ヨコシマ目的でさえなければ勿論、ビルディス青年が執念を燃やす美少女でも可だ。ただしその後、円滑な人間関係は望めないことが多い。
閑話休題。
今回行われる借り物競走では、まず字が書けない・読めない住人も多数存在することから、借り物は絵で表現されている。それでも判読不能な場合は、側に控えている人間に聞けば教えてくれる。村中に響き渡れとばかりの大音声で。
そんなルール説明を受けて、冒険者達は了解して頷いた。そうして、一緒の組で走る事になるビルディスとマルカス、他3人の村人の姿を見る。
今回、村を挙げての祭という事で村の男衆は大半が参加する。中には年寄りの冷や水をからかわれる老人なども居たが、その辺は気合いでカバー。
だがしかし、そんな大人数が一斉に走り出したのでは大混乱は目に見えている。何より判定をするマルカスが面倒くさい。
そんな訳で10人程度の組に分けて何度か走る事になった中で、当然のように冒険者達は一緒の組に入れられた。何しろアイテム強化などの恩恵があるとは言え、時には文字通り死力を尽くしての戦いに身を投じる冒険者相手に、日々農地や鳥牛と格闘しているだけの農民が勝てる訳がない。
実際は、純粋に体力勝負になれば結構厳しい冒険者も存在はする。さらに今回のような借り物競走なら運も多分に絡んでくるのだが、世間一般の人々の冒険者への認識って結構そんなもの。
一緒に走る事になった村人3人は、すでに諦めモードで「完走する事に意義がある」と頷き合っていた。マルカスは自分で頼んだのだからと義務感に駆られていて、ビルディスは美少女ウォッチングに忙しい。
幾組かの村人が走り終え、試練を乗り越えた。特に「村長愛用の褌」の札を引いてしまった村の娘さんには、顔を赤くしながら走り終えると人々から盛大な拍手が沸き起こったものだ。マルカス青年、下ネタは嫌いだが、ネタ自体は許容範囲らしい。
そうして巡り巡った最終レース、ついに冒険者達の出番。恐らく苛烈なレースになるだろうと予想された事から、見た者が後で走る気を無くさない為の配慮である。
「よおおぉぉい、スタァト!」
何となく間の抜けた合図と共に、各馬‥‥じゃなかった、各者一斉に走り出した。案の定、全力を尽くして走る冒険者が一群になって飛び出す。
先頭から順に、渓、キース、ひなた、クリシュナ、マルカス‥‥マルカス?
「ふーかたん、よーこたん、俺の勇姿を見ててくれよなッ!」
「アッ、そこの綺麗なお姉さん、是非僕とめくるめく夢の世界へ‥‥アッ、そこの美少女! 俺がイイコト教えてやるぜ♪」
最後尾、走るというより歩く速度で気を散らしながらコースを進む2人がそこにいた。そりゃま、借り物競走はゴールするまで勝負は判らないものですが。
そうする間に先頭グループは借り物が描かれた札に迫っている。わずかに差を縮めたり、逆に引き離したりしながら、順位変わらず到着した渓がまず、木札を引ったくるように手に取った。
「どれどれ、俺の借り物は‥‥丸太か? コレ」
「あ、それは藁束ですね。巴さんの借り物は藁束ー!」
頼んでもいないのに横から首を伸ばした村人が、親切よろしく渓の引いた札の中身を宣伝した。まぁ、助かったのだが。せめて頼むまで待てよ。
多分コレを書いたのはアイツなんだろうな、と視線を向けた先にはマルカス青年。他に藁束を指定しそうな人間は、冒険者は勿論村人の中にもいない。
よし、と走り出した渓の次に辿り着いたキースが引いた札には、何やら布のようなものが描かれている。
「‥‥これはショールだな」
「えっ、何で判ったんですか!?」
一瞬の沈黙の後、断言した男に驚き顔で村人が尋ねた。むしろ判らないものを描くなと言いたいが、そんな時間はない。
(ショール、か‥‥彼女にはどんな色が似合うだろう、やはり瞳と同じ青か、だが彼女はよく黄色いショールを身につけていたな‥‥ふ、一刻も早く会いたいよ‥‥)
などなど、空想の翼もたくましく視線を巡らせた彼にはきっと、コレを指定したのが意外にもビルディスで、しかし理由は『女の子がショールを肩からするっと落とす仕草ってなんかエロくね?』という低俗極まりないものだった事は、たとえ何が起ころうとも言ってはいけない。
続けざまに到着した2人の女性は、ひなたがまず牛の札を引いた。これはさすがに村人に頼らずとも一目瞭然だ。ところで一体この木札、誰が描いたものやら。
「牛さん‥‥持ち上げるのは大変ですが、頑張りますっ!」
「いやー、持ち上げる必要はないでしょ。さて、わたくしは‥‥野菜、ですか。さきほど紫狼さんが言わされてた秋野菜ですかねー」
のほん、と頷き合った女性達は、互いの健闘を祈りあって背を向けた。牛と野菜では、何となく探す方向が違いそうだし。
こうしてひなたが牛小屋を探して疾走の術でスピードアップを図り、秋野菜を探すクリシュナがその辺の民家の台所と畑ではどちらが見つかりやすそうか悩みつつ動き出した頃、ようやく先頭グループ最後の1人マルカスが到着した。彼は決して遅くない。村人グループの中ではトップだし。
そんなマルカスが引いたのは、今回の借り物の中でもきっと無難中の無難『鍋』だった。鍋なら何でも可。そしてどこのご家庭にもたいてい1つは置いてある。
だがそこで、律儀に自分の家に向かうのがマルカスのマルカスたる由縁である。彼の家は村の外れ。往復までの時間が勝負を決める。
さらに村人3人が到着して、それぞれの札を引いてまた走り出し。ようやく満を持して到着した最後尾、紫狼とビルディスが残った札を手に取って。
「‥‥ふっ、この勝負貰った!」
「きたきたきたきたーッ!! さすが、俺の嫁への愛・最強ーッ!!」
会心の、だが見ていた人間からすれば不安しか煽らない歓声を上げた。ちなみに前者ビルディスが引いた札には『花束』が、後者紫狼が引いた札には『愛する妻』が描いてあった。ちなみに全くの偶然の産物、精霊のお導きです(何
不気味な笑みを浮かべてそれぞれの欲望に忠実に走り出した2人はしばし放っておくとして、現状、もっとも速くモノに辿り着いたのはキースだった。やはり婚約者への想いが彼の幸運度を上げたのか。
素早く見物人を見回した彼は、幾人かのショールの女性を素通りし、ついに理想のショールを身につけた女性を見つけて駆け寄った。理想のショール、つまり愛する彼女に似合いそうなレース編みの、ピンクゴールドのショール。たまにはこんな色味も彼女の色の白さを引き立てるのではないだろうか。
す、と流れる仕草で女性の手を取り、もう片方でショールに手を添える。
「失礼、マダム。僕にこの素晴らしいショールを下さいませんか‥‥」
「ま、マダムだなんて、うふふ‥‥」
言われた女性はぽっと頬を赤らめた。ちなみにあくまで借りるだけで、貰ってはいけません。
藁束をたくましく肩に担ぎ上げた渓が、何やってんだあいつは、と首を傾げた。この時期、よく天日に干した藁は幾らかまとめて束にして、冬の間の家畜の食料や家族の新しい寝床などにしたりする。それをようやく見つけた渓は、恐ろしく不満そうな牛の首筋をぽんと叩き、ちょっと借りてくぜと持ち出してきたのだった。
「そういや俺が指定した牛は、誰が引いたんだろうな?」
村は小さいなりに幾つか牛小屋が点在していて、彼女が行っていたのはそのうちの1つだ。そこで会わなかったという事は、牛を指定された誰かは別の牛小屋に行ったのだろうが。
牛を見つけられるかはともかく、借りられるかだけどな、と肩をすくめてのしのし藁束を担ぐ渓の心配は、ある意味では全くの的外れだった。一筋縄では行かないと言うのは正しいが、問題が起こったのは貸し借りとか、そういう問題じゃなく。
「おーねーがーいーでーすーッ!」
「ンモーゥ」
「ひなたと一緒にゴールして下さいーッ!」
「ゥンモォーゥ」
首に掛けられた縄を引き、もはや必死の形相で懇願するように進もうとするひなたを見て、あくまでマイペースな牛は大欠伸などしながらのっそりのっそり、文字通りの牛歩でのんびり気の向くままに歩いている。隣で、牛を快く貸してくれた村人が「いやぁ、こいつがオレっとこじゃぁ一番の器量良しでなぁ」などと、自慢話を嬉しそうに語っていた。
いっその事、術で眠らせて持ち上げて進めば速いのかもしれないが、幾らなんでも飼い主の前ではヤバイ。そもそもひなたの腕力では持ち上げられないし、協力を頼むにしても状況が状況だし。
ゆえに焦る気持ちを抑えて干し藁なんかで気を引こうとする友の姿に、まんまと畑からカブをゲットしたクリシュナは心からの同情を送った。彼女は後はもう、カブを携えてゴールに向かってひた走るだけ。
なのだが、前方にはすでに藁束を肩に担いでゴールへ向かう渓の姿がある。彼我の距離を目視で測り、これは正攻法では勝てなそうだと判断。
ならば、正攻じゃない方法で勝てば良いのである。
「てりゃ♪」
「‥‥っだああぁぁッ!? シュナ、テメェ!」
「えー、クリシュナちゃんわかんなーい☆」
思いっきり後頭部めがけて手にしたカブをぶん投げた友人に、ドゴッ! とクリーンヒットした渓は藁束もろとも転倒した。その隙にまっぷたつに割れたカブを拾い上げ、クリシュナは悠々と追い抜く。
借り物を武器にしてはいけないルールはない。と言うかまさかバトルに発展することまでは想定していない。
(秋晴れの空にジェノサイドも何ですし、地獄の業火は遠慮しておきますねー)
すでに1人の青年を丸焦げにした後だと言うことは、彼女の記憶からは消えている。覚えて置いて役に立つ記憶でもないし。
こうしてクリシュナは悠々とゴールして、見事1位の座に輝いた。続けてギリギリと奥歯を鳴らしながら2位で渓がゴール。判定役の村人にそれぞれの持ってきた品物と木札を見せ、間違いないですね、と頷かれた。
遠くでは「ふーかたん、よーこたんっ! 逃げる姿も激カワだゼッ!」と、完全に目的を見失った青年の声が聞こえてくる。愛する妻、と言われてもちろん愛する自分の妻達に特攻した彼は、だがそれを面白い遊びだと思いこんだ精霊達がクスクス笑いながら逃げるのを追いかけるうち、そっちに夢中になってしまったようだ。
見ていたビルディスが羨ましそうに「やるな兄貴」と呻きながら、秋の花束を抱えてゴールした。意外に、と言っては失礼だが、センスが良い。選んだ花のバランスも絶妙で、色合いも控えめながら艶やかだ。
「ふふん、女に贈る花束だけは誰にも負けないぜ。ところでコレ、誰?」
「わたくしですね。あら綺麗ー☆」
「なんだ、貧○姉さんか。花が好きなんて○乳のくせに可愛いとこがヘブゴォッ!?」
「もう一度○○とか言ったら‥‥今度こそ骨まで残らず燃やし尽くすッスよ?」
「す、すみま‥‥もう言いませ‥‥」
ガスガス靴の踵のかなり痛い部分で蹴り飛ばされて、本気の涙でビルディス青年は非礼を心から懺悔した。伏せ字部分にはお好きな文字をお入れ下さい。
ようやく自宅から満足のいく鍋を選んで帰ってきたマルカスが、ある意味ではいつもの光景な友人の姿を見て全く表情を変えないまま、花が潰れますよ、と女王の如く足蹴にする女性に忠告した。あらいけない、と慌てて手の力を緩める。
やがてキースが、流し目で愁波を送るマダムと一緒にゴールイン。お前の借り物は何だ、と無言のつっこみは華麗にスルー。いや、本人もマダムまで借りてくるつもりは全くなかった訳だし。
「よ、ようやくゴールです‥‥あっ、ひなたがお願いしたお鍋ですね! 終わったらたっくさん美味しいお料理を作ろうと思ってたんですけれど、これもお借りして良いですか?」
「ああ、構わないさ。冒険者なら珍しい料理も知ってるだろ? それを2人で食べた後に夜空を眺めながら甘い夜を‥‥」
「ボケ! 黙れ喋るな出てくるな!」
女性と見れば口説き始めるビルディスの後頭部に回し蹴りを炸裂させたマルカスの一撃で、キュッ! と鳴いたビルディスはばったり倒れ込んだ。それをごく自然に受け止めて、一顧だにせずひなたがようやく最後まで連れていく事に成功した牛を取りに来たり、あらじゃあ今夜のご馳走は楽しみねぇ、と微笑みあう村の人々が素敵。
任せて下さい、とひなたは腕まくりして、使わせてもらえる食材を聞きに行った。それによって作る料理も変わってくるし、もう出来ているものがあるのならそれにも合わせた方が良い。
「ん? 藁、食うのか?」
「ンモーゥ」
「はっはっは、うちの牛はなぁんでも食べる良い子でなぁ」
「ああ、良い牛だ。あんたもな、良い飼い主だぜ。これからも頑張れよ」
渓は大きな顔をすり寄せてくる牛の首筋を撫でてやり、そう言った。もしゃもしゃ藁をはみ始めた牛の涎がちょっとついてしまったが、それもまた愛すべき日常だ。
遠くではまだ紫狼が、愛する妻たちと追いかけっこに興じていた‥‥帰ってくるんだろうか。
◆
最後に大きな盛り上がり(?)を見せて、収穫祭兼借り物大競争は成功のうちに幕を閉じた。思ったよりビルディスも暴走しなかったという事で、マルカス青年もそこそこ満足だったようだ。え、あれ、許容範囲なんですか。
続く宴ではひなたが新しい麦でひいた粉や収穫したての秋野菜などをふんだんに使い、彼女の故郷ジャパンの料理なども交えた秋の料理を披露した。勿論、クリシュナが投擲したカブもしっかりジャパン風煮物に変身し、人々の舌を楽しませた。
そのひなたは、一緒にお料理を作った村の奥様方と皿を囲みながら、料理のあれこれについてお喋りで盛り上がっている。その中にはキースに愁波を送っていたマダムも居て、祭の夢から覚めた今はしっかり主婦の顔で料理の作り方を根ほり葉ほり聞いていた。
奥様方にも料理の腕を一目おかれた美芳野ひなた、嫁入り修行はばっちりなのだが、さて、そのお相手はと言うと(自主規制
賑やかな喧噪の中、ビルディスが作った花束を(一時は握り潰しかけたものの)ご機嫌で眺めていたクリシュナが、立ち動く奥様方を見つめてはやっぱり愛する彼女の事を思い出したり、新婚生活に思いを馳せたりしていたキースにさりげなく近寄った。
「どーぞ、キースさん。差し上げますよ☆」
「‥‥これは?」
「いやー、特に意味はないッスよ♪ 綺麗じゃないですか♪」
なぜ自分にと、不思議そう、と言うかいっそ不審そうに首を傾げたキースに、クリシュナはキャハハと笑って誤魔化した。それにやっぱり不審そうな顔をする彼に、秋の花は良いッスね〜、と畳み掛ける。
もうすぐ彼が結婚式を挙げるという事を、クリシュナは知っている。どうやらキース自身は隠そうとしている様なのだが、秘密は漏れるもの、情報は流れるもの。
だがキースが隠したいと言うのなら、今はそれに付き合うまでだ。ひなたも、渓も、紫狼もだ――否、紫狼は何かしら知ってそうな気はするが、以前にそんな発言もあったし。
そんな風に、微笑ましく秘密を見守る仲間達の気遣いに、気付かぬ男はふと手の中の花束に視線を落とす。
(結婚式には皆も招待したいが、彼女の正体を考えれば‥‥)
愛すべき仲間達が、彼女の正体やらその他諸々、アトランティスで禁忌とされる事柄を気にせず心から祝ってくれるだろう事は、想像に難くない。だが問題は仲間ではなく、その事をキースが想像する以上に気にしているのだろう彼女の方。一体どんな出来事があったのか、心に深く刻まれた傷は容易には癒えないものだ。
すべては上手く運んでいる。もし心配があるとすれば、手配を頼んだ馴染みの調香師。些か口の軽いきらいのある彼が、どこかでこの事をうっかりバラしたりはしてないか――
だが案じても仕方がない。今彼に出来ることは思い悩むことではなく、来る結婚式の為に色々なものを充足させる事だ。それを彼自身も、そっと見守る仲間達も知っていた。
こうして、一風変わった収穫祭は成功に終わったのである。