月精霊の光、その輝きに集うもの。

■イベントシナリオ


担当:蓮華・水無月

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:0 G 83 C

参加人数:12人

サポート参加人数:-人

冒険期間:10月21日〜10月21日

リプレイ公開日:2009年10月28日

●オープニング

 ウィル、西方山脈。そう称される山脈を地図で辿り、北上して行くとそれは、リハン領の南端に達する。
 山頂の辺りはごつごつした岩山になっているその山脈を、リハン側に降りれば麓は鬱蒼とした森林で覆われ、付近には住人もなければおいそれと近付く者も殆ど居ない。理由は簡単、この森には昔からクレイジェルが住んでいて、近付いた人間は少なからず被害を受けるからだ。
 その森の懐に抱かれるように、その湖は存在する。ムンティア湖。一体いつの頃からあるのか、湖畔にひっそり佇む潰れかけた漁師小屋以外には見るべき物もない、小さな小さな湖だ。
 彼、エルブレン・ラベルがその日ムンティア湖まで足を伸ばしたのは、だからもちろん物見遊山などでは有り得なかった。ついでに言うと気まぐれの虫が疼いて気付けばこんな所に、という話でもない。
 エルブレンがこの小さな、地図にも載っていないほど小さな湖を訪れたのは、そこに少し前から滞在している人を訪ねてきたからだ。
 正確には、春前から彼女はそこに居た。だがしばらく滞在した後で、それこそ気まぐれの虫が疼いて冒険者ギルドに顔を出した彼女は、色々な事態を経てカオスの魔物に浚われ、つい最近になって冒険者達の手により救出されたのである。
 以来、静養と称して彼女、マリン・マリンは再びムンティア湖の畔に帰ってきた。潰れかけた漁師小屋は、どんな人間であっても間違いなく暮らすには最悪の場所の筈だが、彼女はここが良いと譲らない。

「お加減はいかがですか?」

 叩けば壊れそうなドアをそれでもきっちりノックして、顔をのぞかせたエルブレンをじっと見て、マリンは思い出すように首を傾げた。最後に、というか唯一エルブレンと顔を合わせたのが、マリンがムンティア湖の畔で初めて冒険者達の前に姿を現した後。記憶が飛んでいても仕方のない話だが。
 ああ、とマリンはにっこり微笑み、ぽむ、と手を打った。

「レギンスさんのお友達で元冒険者仲間で上司のラベルさん、でしたね。お久しぶりです、お元気ですか?」
「貴女よりは」

 頷いてそう言うと、それもそうですね、とマリンは屈託なく笑う。身体慣らしと称してすでに色々出歩いてはいるようだが、あまり長い間出歩いたり、遠い場所まで月道を繋ぐ事はまだ難しいのだと、遠慮するマリンを押し切ってつけている世話係から報告を受けている。
 その、世話係からマリンが呼んでいると寄越された連絡で、エルブレンはマリンを訪ね、はるばるムンティア湖までやってきたのだ。
 ちょうど彼女もそれを思い出したのだろう。マリンは首を反対側に傾げて、あら、と頬に手を当てた。

「そう言えば、遊びに来て下さいとお願いしたのは、レギンスさんだった気がするんですけど。私、間違えた、かな?」
「いいえ。ただ、グウェインは最近幼なじみを亡くして、悲しむ妹の側を離れられないと言うので、私が代わりに来たのですよ」

 嘘ではないが本当でもない理由を告げると、マリンは軽く目を見開いた後、そうですか、と悲しそうに呟いて潰れかけた漁師小屋の窓の外を見た。漁師小屋の外にはマリンが自ら墓標を立てた、アトランティスでの彼女の友人の墓がある。
 いささか気は咎めたが、全くの嘘でもない、とエルブレンは沈黙した。友人グウェインが幼なじみを亡くしたのも、妹ティファレナがその死を悲しんでいるのも本当だ。ただしグウェインが来なかった理由はそれではなく、マリンが呼んでいると教えれば無理を押して訪ねて行くだろう友人を思ったエルブレンが、わざとその知らせを黙っていたと言うだけのこと。
 だから余計な事は何一つ言わず、エルブレンはまだどこか疲れた様子のマリンを座らせ、自らもその向かいに腰掛けた。カオスの瘴気に晒され弱りきったアルテイラというのが、一体どうやって、どの程度で回復するものか彼は知らない。以前、とある分国の月姫がやはりカオスの瘴気にあてられ姿を消した事もあったらしいが、その辺りは分国間の情報調整の名の下、ギルドでもあまり詳しく調べる事が出来なかったし。
 そんな視線を向けられている事を知ってか知らずか、マリンは「それでグウェインにどんなご用事でしたか?」と尋ねたエルブレンに、にっこり笑ってこう言った。

「この向こうの山の上に、エクリプスドラゴンさんが住んでるって聞いたんです。みんなが私を助けてくれるのにも協力してくれたって聞いたので、お礼参りに行くのにレギンスさんにもご一緒して貰えたらって‥‥ラベルさん?」
「い、いえ‥‥その、お礼参り、ですか?」

 なんだか物騒な言葉が飛び出した、とひきつりながらエルブレンは月精霊に確認した。彼のボキャブラリーでは通常、お礼参りとは何らかの報復などの意味を指すのだが。
 ええ、とマリンは不思議そうに首を傾げた。多分、彼女の言っている意味はそう言うのではないのだろう。誰だ、こんな言葉教えたの。
 つまり、話をまとめるとこうだ。地獄から自分を救出するのに、彼女の友人の月姫と月姫に助力を請われた月の巨竜が動いてくれた事を知ったマリンは、ならお礼を言いに行かなければと思い立った。とは言えここから月姫の場所まではいささか遠い。だが山を登った先にいる月の巨竜ならば、というのだ。
 竜相手に殴り込みをかけるんじゃ、と少し本気で心配したエルブレンは胸をなで下ろした。何しろお仕置きと称して地獄に乗り込むお人なので、本当にそんな理由で向かっていっても不思議じゃないと言うか。
 とにかく事情を理解して、判りました、とエルブレンは頷いた。

「そう言うお話であれば、グウェインに伝えておきましょう。他にも誰か一緒に行きたいという者がいればご一緒されると、道行きも賑やかでしょうね」
「あ、そうですね。うん、それは楽しそう、かな」

 きっと月精霊の光が綺麗でしょうね、と嬉しそうに笑ったアルテイラに、苦笑してエルブレンは頷いたのだった。

●今回の参加者

ケンイチ・ヤマモト(ea0760)/ リーディア・カンツォーネ(ea1225)/ 倉城 響(ea1466)/ ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)/ クリス・ラインハルト(ea2004)/ オルステッド・ブライオン(ea2449)/ シェアト・レフロージュ(ea3869)/ ディアッカ・ディアボロス(ea5597)/ フルーレ・フルフラット(eb1182)/ フォーレ・ネーヴ(eb2093)/ ルスト・リカルム(eb4750)/ セイル・ファースト(eb8642

●リプレイ本文

 その日、早起きと言うほどもなく夜明けのほんの少し前に目覚めた倉城響(ea1466)が始めた事は、お弁当に持っていくサンドイッチを作る事だった。前日のうちに下拵えは済んでいる。薄く切ったパンに具材を乗せ、もう一枚の薄切りパンで挟んで軽く押す。その上にどんどん、同じ様に作ったサンドイッチを積み上げる。
 今日一緒に巨竜の元へ向かう冒険者は、以前にコキュートスへ向かう手段を求めて赴いた時に比べれば半数ほど。だがそれでも結構な量になるし、中には友人のように数人前でもぺろりと平らげる御仁も居る。まぁ冒険者、体が資本なので。
 そんな訳で、持てる限りのサンドイッチと、手軽に摘めるおかずを作って持っていこうと奮闘する響の家を、手伝いに訪れたフォーレ・ネーヴ(eb2093)も一緒にひたすらパンを切り、挟み、重ね、卵を固く茹でたり、よく火を通した肉やハムを手頃な大きさに切ったり。
 ジャパン風の煮物の味を見る響に、切り終わったハムをきっちり詰めたフォーレが声をかける。

「私も幾つか作っても良いかな、かな?」
「勿論です。楽しみですねぇ」

 どうやら納得できる味だったらしく、鍋の中ににっこりした響が頷いた。だね♪ と頷いたフォーレがざっと見回して、用意済みのおかずを確認してさて何を作ろうか、と考える。
 そうして、両手にたっぷりのお弁当を下げて2人が家を出たのは丁度、陽精霊が朝の光を届け始めた頃だった。





 ウィル、西方山脈。そう呼称される山脈は、ムンティア湖から見上げれば少しばかりなだらかに見える、と言うのが以前にもかの山を訪れた冒険者達の感想だった。
 麓を森林が多い、それがやがて殆ど植物もない岩山へと変容していく。その光景は同じだが、時にそそり立つ壁とも思えた以前に比べ、十分に人が踏破出来そうに感じられるのはあるいは、ここに立つ気持ちの違いだろうか。
 その要因の一つ、旅の魔法使いを名乗る月精霊マリン・マリンがやって来た冒険者達を見て、ぱっと顔を輝かせた。

「お早うございます! ファーストさんもお礼参り、ご一緒して下さるんですね」
「ああ、お早う、マリン。大分元気になったみたいだな‥‥その言葉遣いは気になるが」

 パタパタ手を振る少女に苦笑しながら、手を振り返したセイル・ファースト(eb8642)だ。ひょいと肩をすくめた所を見ると、これまでにも散々突込みが入ったものと思われる。少女に挨拶をしていたディアッカ・ディアボロス(ea5597)も微妙な表情で頷いた。
 セイルの側にいた月竜オードと月精竜マニが少女の姿をじっと見る。アルテイラが、月の高位竜に会いに行く。そこに同行するのなら連れていくのは月に関わり深い友人だろうと、考えたのはセイルのみではない。

「お預かりしている月竜も、お会いさせねばのう」

 そう言うユラヴィカ・クドゥス(ea1704)が連れて来たのも、かつて巨竜が冒険者に託した月竜アルシノエ。竜に対しては殊に孫に対する祖父のような顔を見せる巨竜である。連れて行かなければむしろ怒られるかもしれない。友人ディアッカが連れて来たのも月精霊と仔月竜で、ただしこちらは巨竜から預かった子ではなく、新たに縁あって共に暮らすようになった仔竜。
 1人を除いて全員が集まった所で、マリンの体調を確認した。残る1人はこの所忙しいようで、今日も結局来れなくなったらしい。
 大丈夫だと微笑むマリンに、辛くなったらすぐに言うよう言い含めて、彼らは山を登り始めた。それでも幾人かが傍に張り付き、何かあればすぐに対処出来るよう控えている。
 はぁ、と少女がため息を吐いた。信頼ないですと唇を尖らせるが、こればかりは仕方ない。それに信頼云々の前に皆、彼女を心配しているのだからして。
 故に唇を尖らせているものの大人しく冒険者に守られているマリンである。時々相棒たる白亜の杖に独り言のように話しかけ、その度にがっくり肩を落としているので、どうやら皓月にも怒られている様だ。

「皓月さんのご機嫌は‥‥上機嫌そうですね」

 その様子を見ていたシェアト・レフロージュ(ea3869)が、くすりと微笑み話しかけた。途端、少し情けない顔で「絶好調みたいです」と頷く月精霊だ。だが僅かに耳を傾けるように首を傾げると、にっこり微笑んだ。

「レフロージュさんこそ、大丈夫ですか? 皓月、すっごくワガママでしょう?」
「そんな事は‥‥その節はお相手ありがとうございました」

 多分マリンにだけは言われたくないとか思っているに違いない白亜の魔杖に、丁寧にシェアトは微笑み頭を下げた。マリンを救出する為コキュートスへの道を繋ぐ際、シェアトは皓月を宥めすかすのに時に気を失うほどの消耗を強いられたのだ。それを『ワガママ』で済ませてしまうのが、マリンらしいと言えばらしいのだが。
 マリンが皓月の言葉を通訳した所に寄れば「『また気が向いたら相手をしてやっても良い(びっくりするぐらい違訳)』だそうです」らしい。まぁ取りあえず気に入られた、という事、なのか?
 その辺りは深く突っ込まない方が良さそうだと、シェアトは華麗にスルーして友人の名を呼んだ。クリス・ラインハルト(ea2004)。マリンと巨竜の元へ行くという話を知った彼女が、一緒に連れて行って欲しいと頼み込んだのと、シェアトともう1人リーディア・カンツォーネ(ea1225)が一緒に行かないかと誘ったのは、ほぼ同時。
 巨竜の元を訪れるのはもちろん、マリンと実際に会うのも初めてのクリスがペコリと頭を下げ、自己紹介をする。興味津々の眼差しでクリスを見、仲良くして下さいね、と微笑んだ月精霊に、おずおずとクリスは尋ねた。

「皆さんから聞いたですが‥‥本当にお加減は大丈夫なのです?」
「本当に大丈夫、なんですよ。まだちょっと、カオスの瘴気に中てられてますけど、それ以外は」

 一番大事なのはその部分だと思うのだが、生憎突っ込み役はこの場に居ない。強いて言えばルスト・リカルム(eb4750)が突っ込み役に適しているが、彼女とてさほど親しくない相手に容赦ない突込みを入れるほど礼儀知らずではなく。

(この世の安寧のため、自らの存在を賭して下さったのですね‥‥)

 マリンが何でもない事のように語る、カオスの瘴気云々の言葉にクリスは僅かにこみ上げてくるものを感じ、そっと鼻を啜った。マリンがカオスに自ら囚われたのは、目の前で傷つく冒険者を救い、カオスの魔物を去らせる為。相棒と頼む杖を手放したのは、魔杖が混沌の手に渡った際の惨事を恐れた為と聞いている。
 その現場にも居たオルステッド・ブライオン(ea2449)はだが、彼女達の会話ではなく、別の場所に思いを馳せている。

(‥‥まあ、なんだろう‥‥確かに我々も巨竜には大変お世話になったわけだが、これまでに私たちの口から礼に行こうという意見は出なかったな‥‥)

 マリン救出の際だけではない。まだ彼女が姿を現さず、死屍人形遣いが『鍵』を求めてアトランティスをさ迷っていた時も、その前にも大なり小なりの助力はあったのだが――いや別に恩義を感じていない訳ではないが――

(うむ、あのなんというか、色々と難題を吹っかけてくる超ツンデレな難儀な性格だからな‥‥こちらも今まで素直に礼を言いにくかったのかもしれん‥‥)

 胸の中でそんな結論をつけるオルステッドである。多分誰からも、特に異論は出ないだろう。一応遥かな時を生きる竜に、余りと言えば余りな評価かもしれないが、結構適切。
 そんな風に賑やかに山肌を登るうち、予想通り、マリンの足が鈍ってきたのにすぐ傍に居たフォーレが気付いた。フルーレ・フルフラット(eb1182)も軽く声を掛けるが、大丈夫です、とにっこり笑って返される。
 だがどう見ても大丈夫そうではないマリンに、おっとりと響が「少し休憩しましょう」と微笑んだ。そう言うが早いかさっさと持ってきたお弁当を広げ始めたお母さん(違)に、リーディアが「私も持ってきたのですよッ!」と持参のお弁当を一緒に並べ始める。
 あれよあれよという間に休憩の準備が整えられていくのに、マリンは目を丸くした。それからちょっと首を傾げて、何か言おうとして、ルストに目で止められる。ポン、と叩かれた肩は暖かい。

「困った時はお互い様よ。体調が回復してないなら無理する必要はないわ‥‥それにこんな山道じゃ、冒険者だって疲れるわよ」
「そう、ですか?」

 ひょい、と首を傾げて視線を巡らせた少女に、すかさず頷く冒険者一同。それは半分嘘で、半分本当だ。嘘は、案外気にする彼女に余計な気を使わせないため。本当は、以前よりは緩やかとは言えやっぱり人の踏み入らない道を行くというのはそれなりに体力を消耗するので。
 道のりは長いが、一刻を争う道行ではない。無理をするよりはこうしてのんびり、休み休み登った方が何より、道行も楽しいではないか。そんな言葉が聞こえたようで、マリンはにっこり微笑んだ。今度はおとなしく腰を下ろし、並ぶお弁当を珍しそうに眺めている。

「沢山ありますからたっぷり召し上がって下さいね♪」
「デザートも少し持ってきましたよ。林檎の蜜煮に干し葡萄をあえたものをクレープできゅっと巾着の様に包んでみたのですけれど」
「うわぁ、楽しみなのです! ご・は・ん〜!」
「お口にあえば良いのですがっ!」

 賑やかな食事風景に、ついて来たペット達も興味を惹かれた様にじっと視線を注いでいる。そちらにも少女はにっこり微笑んで、ありがとうございます、とサンドイッチを一口食べる。
 とても、暖かい味だった。





 月の高位竜エクリプスドラゴンは、今日も険しい岩場に身を横たえて、降り注ぐ月精霊の光を受けていた。夜行性の巨竜はこの季節は大抵、ねぐらかこの岩場で月光浴をしている事が多いようだ。ごく稀に空中散歩と洒落込む事もある様だが。
 訪れた冒険者達を見て、巨竜は深遠な眼差しを地上に注いだ。顔見知りの者も居て、顔見知りでない者も居る。だが何れもアトランティスにある限り、竜の知らぬ所ではない。
 フルーレがまず進み出て、突然のおとないを詫びた。それから巨竜とは初見のクリスとマリンを振り返り、これが力を貸してくれた、と説明する。ほぅ、と巨竜が少女の姿を見た。

「無事に地の底より戻ったか――貴女と顔を会わせる日が来るとは思わなんだの。これは、この竜が礼を尽くさねばなるまいよ。我が友アランドールが唯1人と想うた娘に、この竜からの祝福を」
「ありがとうございます。アランのお友達のあなたに、私からの祝福を。同朋と冒険者の皆さんに力を貸して下さった事に、心からの感謝を」

 巨竜にしては珍しく、実に珍しく言葉通りの礼を尽くした祝福に、微笑んだマリンもまた祝福の言葉を返した。こちらも普段とは違う、いつもよりも精霊らしい物言い、かも知れない。
 セイルが一歩、進み出た。必ず助けると誓った少女がここに居るならば、礼を言うのはやぶさかではない。

「この度は世話になりました」
「マリンさんを救う為の手段を教えて下さり、本当にありがとうございました。影竜さんにも、ありがとうございますとお伝え下さいなのですッ」

 続いて深々と頭を下げたリーディアにも、伝えておこうよ、とこちらはいつも通りの静かな態度で頷いた。労いの言葉すらなかったが、竜の基準は人の基準と同じではない。頷いてくれると言うことは、こちらの働きを認めてくれた、という事だろう。
 僅かにそわそわしている月竜ユーリに、気付いたシェアトが緊張しているのかと声を掛けようとした。だがそれより早く気付いた巨竜が、人間達に向けるより些か優しい声色で「よう来たの」と声がける。ユーリが一声、元気に鳴いた。
 ディアッカもつれて来た子達を挨拶させながら、巨竜の前で深々頭を下げる。

「お預かりした仔も元気しています。今日は、此方の仔をご挨拶に連れて参りました」
「竜の眷属が増えるは、この竜には喜ばしき事だよ。汝らが仔らの良き友たる事は仔らの顔を見れば判るゆえな」

 そうして目を細める様は好々爺の一言に尽きるが、それが竜に対してだけ発揮されることを、一部の冒険者は知っている。その辺り、割とはっきりしている巨竜だった。
 孫(?)効果かきちんと礼を尽くした事が良かったのか、今日の巨竜は上機嫌な様子だ。ゆっくりして行くが良いよと破格のお言葉を頂戴し、せっかくだから巨竜と一緒に食事でもと岩場を利用してかまどを作る許可を願い出たユラヴィカにも鷹揚に頷く。
 持ってきた魚を取り出し、精霊や竜達の力を借りてかまどを作り始めたシフール達に、ぱっとリーディアが手伝いに動いた。続いてルストやセイル、オルステッドなどの力仕事要員がてきぱき岩を動かし整える。
 ウィルの方でももうそろそろ寒さが感じられる季節になってきた。巨竜の住むこの岩場は尚更で、目立たない感じでついて来ていたグウェイン・レギンスがちょっと両腕をさすって火を点けるのに専念する。そうして「お嬢さんはここに居ろよ」とマリンをかまどの傍に座らせる。
 火が点き、魚や野菜がざくざく切られ、鍋がことこと音を立てて沸騰する様を、巨竜はわずかに瞳を瞬かせて見下ろした。遥かな世界を見透かす巨竜は、人の営みの様も見知ってはいる。だが、巨竜の前までやってきて鍋をしようなんて人間はさすがに今まで居なかったらしく、実際に見るのは初めてらしい。
 いわゆる水炊きに、ハーブソルトを添える。昼間のお弁当はありがたい事に完食だったので他に食べるものはない――という事もなく。

「お土産に兎餅持って来ました♪ ジ・アースにいる、化け兎というお月様が大好きな子達が搗いたお餅なのです!」

 鍋の中から何やら白いものを引っ張り出したリーディアがそう言った。巨竜さんもマリンさんも是非どうぞ〜♪ と二つに切ってそれぞれに差し出す。恐らく全世界において、アルテイラとエクリプスドラゴンに鍋をすすめるという偉業を成し遂げたのはこの一行が初めてではなかろうか。
 マリンは面白そうに兎餅を引っ張ったり戻したりした後で、パクンと思い切りよく齧り付いた。一方の巨竜は爪の先で珍しそうに摘んだ後、慎重に口の中に放り込む。大きさ的に、兎餅がまるで点のように見えた。アレでは味わえたかどうかも怪しいのだが。
 だがマリンと巨竜は満足そうに頷いた。表情を見る限り、実際満足だったようだ。マリンはジャパン風鍋を気に入ったらしく、お代わりまで所望している。
 宴席にはフルーレや響が持ち込んだ世界各国のお酒が並び、いける口の冒険者達が目を輝かせて次々封を切った。それを律儀に巨竜にすすめたのもきっと、全世界で彼らが初めてに違いない。色んな意味で、伝説がここに生まれつつあった。
 夜空には月精霊が輝いている。星も精霊の光だとかで、さすがにジ・アースから来たものには見れば見るほど馴染みのない、だがジ・アースと同じ位に美しい空だ。
 あそこに精霊さん達が、と思いながらクリスは地上の精霊マリンの隣で、ご機嫌に鍋を突いている。

「共に食卓を囲むと、心の距離が縮まるですよね」
「だねー♪ 巨竜さんとも仲良くなれるかな、かな☆」

 クリスの言葉にけらけら笑ったフォーレが、遠慮の欠片もなく巨竜の足をペシペシ叩きながら頷いた。ちょっと、とルストが顔を青くして友人を諌めようとするが、一旦盛り上がった娘は何のその。ひょい、と身のこなしの軽さを利用してそれを交わし、また親しげに巨竜を叩く。
 クス、と笑ったシェアトがリーディアが入れてくれたお茶をそっと置き、竪琴を抱いて立ち上がった。遥かな時を生きる竜の前で披露するのは恥ずかしい気もするが、彼女の生業はバード。ならば彼女に出来る心尽くしの御礼と言えば、楽と歌を捧げる以外にはなく。
 繊細な旋律を奏で、よく透る澄んだ声を響かせ感謝の気持ちを歌い上げるシェアトに、邪魔をしない程度にセイルとディアッカが協奏する。その様子を見下ろした巨竜が、1人、辺りを警戒する眼差しで見回す男に気付き、声を掛けた。

「これ。その様に難しい顔をしていては、周りも興が覚めようよ」
「‥‥ああ‥‥」

 頷いたオルステッドだったが、態度が解れる様子はない。礼を言って頭を下げた後はマリンの護衛をするべしと、彼女の周囲に気を配っているのだ。時折、連れてきた竜達が遊ぶ様子にも視線を向けてはいるが。
 だがしかし、高位竜であり、本気の力を出せば世界の存続も危ういエクリプスドラゴンの領域で、無体を働こうという勇気のある輩が居るのだろうか。そう首を傾げ、無意識に煙草を取り出しかけたルストは、はっと気付いてその手を引っ込め、ため息を吐いた。さすがにこの場で煙草を吸うのは失礼だというマナーはある。故に耐えているのだが。
 はぁ、とまた大きなため息を吐き、誤魔化すようにリーディアのお茶を飲むルストの様子は、実に悩ましいの一言に尽きたのだった。





 シャルルマーニュもまた、フルーレが巨竜より力試しの後に託された月竜である。当時はパピーだったシャルルマーニュも、すでに成竜となってしばらく経つ。
 そのシャルルマーニュと共に向かった、沢山の冒険の話をフルーレは、巨竜の傍に鎮座するシャルルマーニュの足の鱗を撫でながら報告する。或いは親馬鹿のように、祖父の様な竜に語って聞かせる。
 セレの地での事や、もっと遠い場所でのこと。或いはもっと近い場所での他愛のない一時のこと。その一つ一つを、巨竜はじっと深い眼差しで見つめ、或いは頷いて聞いていた。そうして巨大な羽を蠢かせ、鼻をひくひくさせて月竜とフルーレを労った。
 ようやっておるの、と。その暖かい、だがどこか当たり障りのない言葉にフルーレは思わず、尋ねる。

「‥‥世界の闇を払う『剣』として、自分は役に立てているでしょうか?」

 巨竜は冒険者達に幾度か言ってきた。世界の闇を打ち払う剣たり、世界を闇より守る盾たれ、と。その意味を考え、その力を見せよ、と。
 フルーレなりに考え、巨竜の求める剣たり盾たるべく努力してきたつもりだ。だが永き時を生きる竜の考えを思いはかる事は難しく。
 そうさの、と巨竜は呟く。

「剣たる一の素質は、己が剣たると自覚する事だと、この竜は考えるよ。剣は触れるものを切り裂くのみ。戦うのみが剣たる役目ではない事を忘れぬ限り、剣の切っ先は曇らぬだろうよ」

 相変わらず、ひねくれてると言うべきなのか、巨竜は欲しい答えを真っ直ぐにはくれない。これはまた課題を出されたのでしょうか、とシャルルマーニュを見上げてため息を吐くフルーレだ。
 と、セイルがどうやらタイミングは今しかなさそうだ、と見て取って巨竜を見上げた。

「ついでだから俺も聞きたい事があるんだが。マリンを浚ったカオスの魔物‥‥背後にまだ大物が居る様な事を言っていたんだが、知っているだろうか?」

 凍てつくコキュートスの地の底で、冒険者達は囚われのアルテイラを救出し、捕らえたカオスの魔物『死屍人形遣い』を塵に返した。だがかの魔物が従っている『主様』なる魔物は未だ、その存在を見せていない。
 そうさの、と巨竜が呟いた。それはこの竜らしくなく、いささか弱りきった様子でもあった。

「この竜の聞き及ぶ所では、遙か地の底の底に闇の者どもが巣食っており、そこにはこの竜よりも遙かな古より世界を揺るがさんと望む混沌があるというよ‥‥貴女は何か知っておるかな?」
「私、ですか?」

 突然話を振られたマリンは、きょとん、と目を丸くして自分で自分を指さした。巨竜が小さく頷くと、うーん、と首をひねる。

「もうずいぶん昔の事だし、あの魔物とは会った事がない、と思うんですけれど‥‥死屍人形遣いは屍しか操れないけれど、あの魔物は生きた人間も操ると言っていた気がします」

 外見は2本の角持つ魔物。どこかで見覚えがあるかと聞かれれば、巨竜以上に遙かに長生きをしているとは言え混沌に近づく事はしないアルテイラ達に、その知識が豊富なはずはなく。
 まぁ、マリンがそうであるかは首を捻る所ではあるが、アルテイラとはそう言うものなので魔物の知識もそれほど持ち合わせてはいないようだ。
 すみません、と頭を下げる少女に手を振る。元々、もし判るなら、という程度の話ではあったし。そう言うセイルに微笑んで、「お仕置きしに行くなら、情報があった方が良い、かな?」などとのんびり物騒に呟く月精霊である。
 まだ懲りてないのか。幾人かの冒険者の顔がヒクリ、とひきつった。まだ全快してはいない様だが、彼女が相棒と頼む杖は『いつでもどこでも』月道を繋ぐ力を持っている。その気になれば止める手段はない。
 シェアトがそっと皓月に「マリンさんを宜しくお願いしますね」と囁いた。どうやらまだ、皓月の言う事なら聞きそうだ――が、この杖もこの月精霊の相棒を勤めて長い。そのマリンがこの性格と言う事は、皓月もマリンほどではないにせよ無茶はするタイプなのかもしれない。何しろ救出作戦の時は魔力全部以上を吸い取っちゃったお方(?)だ。
 ここはちょっと、空気を変える必要がありそうだ。その責務に駆られたディアッカとユラヴィカが、楽と踊りを披露したいと申し出た。竜や精霊に捧げるものと言えば、最近はまずは楽と踊りと相場が決まっている。先程のシェアトの竪琴と歌も喜んでいたようだし。
 そう言えば以前もそれだけは喜んでいたな、と思い出すオルステッドだ。カオスの魔物に手がかりを奪われ、巨竜に手がかりを聞きに行った時、巨竜に気に入られて機嫌を取る為に3晩ほど踊り続けた女性の事は、今でも記憶に鮮やかだ。
 一人頷く男に、地の底に行っても変わらぬか、といっそ感心したような巨竜の眼差しが突き刺さる。
 ディアッカが楽を奏で、ユラヴィカと精霊達が踊る。この秋、様々な祭りで行ってきた催しに、セイルが自分もと楽器を取り出した。バード達が居る中では手慰み程度だが、と断って幾音かを合わせ、こんな曲をと打ち合わせる。
 曲目は賑やかな民謡。主旋律を聴いたフルーレが、後でワルツも頼みます、と声をかけた。以前、月竜と共に見せたワルツをさらに練習してきたらしく、是非お目にかけるのだ、と意気込んでいる。
 賑やかな地上の小さな人の子に、巨竜はついと目を細めた。

「さて、賑やかな事よの。人の子らがこれほど頻繁に竜の元を訪れるも希なことだが」
「そうかも知れませんね。私も旅に出る前はあまり、人間とは会わなかった、かな」

 竜の言葉に、アルテイラがのんびり頷く。竜にせよ精霊にせよ、これほど人間の傍に姿を見せる様になったのもここしばらくの事だ。
 だが過去はともかく、今は同じ場で同じ時間を共有し、同じ空の下で同じ精霊の輝きを見上げているわけで。無条件ではないにせよ、人を導き、助力を与えた巨竜が舞い踊るシフールと精霊を静かに見下ろし、月精霊が楽の音に手拍子など叩くのを見ながら、リーディアはしみじみ思う。

(巨竜さんは、やっぱり先生みたいですね)

 試練の折りの言葉はまるで、人の子を教え導こうとする様にも感じられた。そう考えながら連れてきた木霊達を優しく撫でて、空に輝く月精霊を見上げる。
 ジ・アースの月とは違う輝き。先頃パリで見上げた月も美しく、ジャパンで見上げた月もまた美しかったが、精霊が輝かす夜空もまた不思議な色合いだ。
 同じ夜空を見上げていたクリスが、わくわくした瞳で巨竜を見上げた。

「巨竜さん、もし良ければ何かご存じの、詩や歌を教えて貰えないですか?」

 バードを生業とする彼女にとって、アトランティスの古吟や古詩は非常に心惹かれるものである。それらの幾つかは歌い継がれ、語り継がれていきはするが、廃れるものもあれば、長い年月の中で原形を止めなくなったものもあり。
 そういったものの原型を、巨竜ならば知っているだろう。そう期待の眼差しを向けるクリスに、そうさの、と巨竜は深遠な瞳を瞬かせた。

「古くはないがの、この竜の友が好んだ歌があったよ。ほんの数十年ばかり前かの」

 数十年は人間の基準では十分に昔だが、流石に竜、時間の感覚がまったく違う。マリンがふと瞳を上げて、聞かせて下さい、と微笑んだ。それからクリスに「特等席ですね」と笑う。
 怖いもの知らずと言われようと、クリスは現在巨竜の腕の中にすっぽり納まる、という前代未聞の偉業(?)を成し遂げていた。「えへへ。やっぱり体の大きなかたは、安心感があるですよね〜」などと言いながら巨竜の傍にぺったりくっついていたら、面白がったとみえる巨竜がひょいと彼女を摘み上げたのだ。多分今後も、この偉業を成し遂げる冒険者は出て来る事はないかも知れない。
 そのクリスを見下ろし、マリンに深く頷いて、巨竜が深い声色で唄い出したのは古い恋歌。或いはそれに似た何か。

♪遥か彼方へ 届くよう私は今日も歌う
 貴女が見上げる空と 貴女が踏みしめる大地にこの歌を

 分かたれた空の向こうを行く貴女へ 分かたれた空の此方に居る私から
 貴女の道が平らけくありますよう
 貴女の旅が安らけくありますよう
 竜と精霊が貴女を守って下さいますよう

 どうか私の大切な貴女へ 届くよう私は今日もこの歌を♪

 見るからに厳しい姿の巨竜の喉から紡がれるのが恋歌というのはかなりのギャップがあったが、ギャップがあり過ぎたのか、何か感じる所があったのか、聞いていた冒険者達は何も言わず、ただ静かに聴いていた。いつしか楽の音は止み、朗々たる声が夜気を震わせる。
 ただ時折、パチリ、と焚き火の爆ぜる音がした。





 流石にここまで山を登り、さらに夜が更けるまでのんびりしたり、唄ったり、踊ったりしていると疲れたのだろう。巨竜の前という事で気を張っていた冒険者達も、やがて堪えきれずコクリ、コクリと舟を漕ぐものが出始めた。
 巨竜は全く気にした様子もなく、のんびり月精霊の光を浴びている。マリンがにっこり笑って「もう寝ちゃいましょう」と断言し、真っ先に適当な場所を確保してコロンと寝転んだ。巨竜がそれに異を唱えなかったので、やがて1人、また1人と眠りに落ちていく。
 こんな時でも辺りを警戒する癖は忘れないのか、大きな岩場に背を預けて舟を漕ぐフォーレに、苦笑したルストが丁寧に毛布をかけてやった。他にも力尽きて眠ってしまった者や、ふとした拍子に毛布がずれてしまった者などにも丁寧にかけてやり、全員が眠りの世界に旅立ったのを確認したルストもまた、巨竜に軽く詫びて毛布の中に潜り込む。
 そうしてしばし、巨竜の深い呼吸だけが辺りを支配して。

「‥‥‥皆さん、寝ちゃいましたね」

 全く眠った様子のない顔で目を開けたマリンが、ふふ、と微笑んで巨竜を見上げた。そのようだの、と巨竜が頷き深い眼差しを向けると、マリンはするりと毛布から抜け出して、両手でしっかり相棒を抱いて巨竜の傍へとやって来る。
 ふわり、と銀の光が浮いた。日頃は人間と同じ様に暮らす月精霊が、珍しくその力を顕にする姿に巨竜は目を細め、そっと顔を近づける。

「あなたに、聴きたい事があったんです。あなたにあの歌を教えた人間――アランはあなたにとって、良いお友達でしたか?」
「無論。アランドール・ビートリッヒは、この竜が友と呼ぶに相応しい、己が領分を良く知る好ましき人間であったよ」

 少年時代、マリンに恋したアランドールは彼女を追って生まれ故郷の村を出て、彼女と一緒に旅して回った。だがやがて彼女は約束の首飾りだけを残して姿を消し、残されたアランドールは何とかして再び彼女に会いたいと願い、巨竜の元を訪れて。

「だが友はこの竜に、一言として貴女に会わせよとは望まなんだ。ただ貴女が息災であるか教えて欲しいと請われたのだよ」

 首飾りにかけて願えばいつでも会いに来ると彼女は約束して去った。だが彼は首飾りに込められた魔法を使わず、巨竜に彼女の無事を確かめた後はただ静かに彼女の訪れを待ち続けた。
 呼んでくれればいつでも来たのに、と彼女は寂しそうに呟く。約束の首飾りはその為のものだったのに、彼は一度もそれを使わず、マリンが再びアトランティスに足を踏み入れた時には古代遺跡を利用した墓場に葬られて久しかった。
 それはきっと、人と精霊、人と竜の時間の重みの違いだろうけれど。マリンにとってのほんのちょっとが、アランドールにとって生涯を終えるほどに長くなると思いもしなかったし、その間に一度も呼んでくれないなんて思いもしなかった。

「だがそれでも、貴女は人間の中に在り続けるのだろう?」
「ええ――あなたがこれからも、世界を見つめ続けるように」

 月の高位竜とアルテイラはそう微笑み合い、頷き合った。その様子を見ていたのはただ、空に輝く月精霊達だけだった。