迷える彼女に、導くその手を。
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■ショートシナリオ
担当:蓮華・水無月
対応レベル:8〜14lv
難易度:普通
成功報酬:4 G 15 C
参加人数:6人
サポート参加人数:1人
冒険期間:11月04日〜11月09日
リプレイ公開日:2009年11月11日
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●オープニング
どうして、とタチアナはよく考える。一体どうしてこんな事に、と。
幸せだった筈の暮らし。だがとある事故で夫が亡くなり、息子のアルスを夫の実家に取り上げられた事から、タチアナの人生は何かが狂ってしまった。
夫の母はタチアナに大金を投げつけ、棒で打たせて彼女を野良犬のように追い払った。何とか息子を返して欲しくて、ようやく見つけた勤め先で主人に見初められて、気付けば身に覚えのない多額の借金と共にタチアナは主人の愛人になっていて。
一体何がいけなかったのだろう、とタチアナはいつも考える。けれどもいつも結論が出ないまま、ただ息を吐くのだ。
誰かここから連れ出して。総てを魔法の様に解決して、またあの幸せだった日々に戻して下さい――と。
そう、血を吐くように願いながらタチアナは今日も、主人の傍らで困った様に微笑み、私の妻に成ってくれれば借金はなかった事にするという主人の言葉に目を伏せる。自分の足で動く勇気が、持てない。
「一体、お前に自分の意思と言うものはないのかい」
息子の所業に最初は呆れ、だがやがて否とも諾とも答えを出さないタチアナに苛立ちを覚え始めたらしい、商人の老いた母親が冷たい眼差しで彼女を射る。
「お前がはっきりしないから、あの子も引き下がれずに居るんだよ。先日もお前が喜ぶかと思って故郷の祭にも連れて行ってやったし、お前の息子も取り返してやろうと言っているのに、一体何が不満だい?」
「私‥‥私は、旦那様に相応しい女ではありません‥‥」
「夫がいた事なら構わないと、あの子も言ったはずだよ。お前はそうかわしてばかりで、と言って出て行くでもない。借金云々はあの子が勝手に言っている事だろう」
「でも‥‥」
そんなに上手く行くだろうか。そうは思えない。だってタチアナはこれまでも頑張ってきた。なのに事態は悪くなる一方で。
唇を噛み締めた女に、母親は盛大なため息を吐いた。息子がどうしてもこの女が良いと言うから何も言わずに来たけれど、いい加減、彼女の忍耐も限界に近い。
何事か決意した様子の女を見送って、タチアナは悲嘆にくれて顔を覆った。
(あなた‥‥アルス‥‥)
誰か、どうか。動く勇気のない自分の代わりに、自分をここから連れ出して。そうしてあの幸せな日々を、どうか私に返して下さい‥‥‥
◆
ローゼリット・ジュレップは当年とって15歳になる少女である。下級貴族ジュレップ家の跡取り娘として、厳格な祖母に誇り高きお嬢様として育てられてきた。
その彼女が目下、全力を注いで解決せんとしているのが、義弟アルスの母タチアナの件。一年以上前、ジュレップ家に一人息子を取り上げられた挙句に借金のかたに愛人とされている事が判明した伯母を、その労しい立場から解放せんと苦心しているのである。
一度、親しい友人である騎士ディクセル・ワディンが冒険者と共に様子を見に行ってくれた折には、伯母は『自分には資格がない』と伯父の形見のネックレスを受け取る事も拒絶したと言う。その後も幾度かジュレップ家から、或いはワディン家の助力を得て伯母を返して欲しいと交渉したが、件の商人はそれを拒否した。
伯母の借金は、ジュレップ家がおいそれと肩代わり出来る金額ではない。と言ってその借金が不当だと突きつけるだけの証拠を、ローゼリットは掴めていない。
(お祖母様は何かご存知やもしれませんが)
伯母の現在を掴んでいた祖母の元になら、その借金が不当である証拠すら揃っているかもしれない。だが伯母の居場所を教えただけでも目を見張る位の譲歩なのだし――何よりその件で祖母と言い争いをして以来、冷戦が続いている。
だが、その事態を打ち壊す鉄槌は、ジュレップ家を訪れた来客によってもたらされたのだ。
「‥‥何と仰ったのです?」
「はい、お嬢様。こちらのお屋敷で預かって頂いている子供を、どうか手前の息子の嫁に返して下さいませんか、と申し上げたんですよ」
訪れた客はさる豪商の母。その豪商の名と、彼女が来た町に嫌と言うほど聴き覚えがあったローゼリットは、しばし悩んだ末に彼女との面会を許可し、現在に至る。
明らかに顔色を変えて険しい顔になったローゼリットに、豪商の母は商人らしい人好きのする、油断のならない笑みを浮かべた。
「いえね、お嬢様。手前の息子が今度嫁を貰う事になったんですが、その嫁は以前、こちらのお屋敷の若様の奥方だったと言うんですよ。その一粒種がどうにも気になって仕方がないと言うのでね、いつまでも預かって頂いているのもご迷惑でしょうから、手前どもの方へお返し願えないかと」
「出来ない相談です。アルスはこのローゼリットの義弟として、当家で大切に育んでおります。そもそも、そなたが真実タチアナ伯母の知り合いであると、そなたはどう証立てるのです?」
「証は、こちらの大奥様が存分にして下さると思いますがねぇ。手前どもがタチアナを雇い入れた事もご存知ですし、大奥様は喜んで手前どもにタチアナの子をお返し下さいましょう」
女の言い分に、ギリリ、とローゼリットは奥歯を噛み締めた。やはり祖母は何かを知っていて、わざと黙っていたのだ――考えてみれば当然だ、祖母は伯母を憎んでいる。
そしてジュレップ家に全く非がないかと言われると、否だ――少なくとも、少女らしい潔癖さをいまだ備えるローゼリットにとって、祖母が伯母にした事は唾棄すべきもの。そこを突いて来られれば少女に、詭弁を弄して優位を守る貴族の業は、行えはしてもきっと自分を許せない。
だが、ローゼリットに不利に傾き変えたその状況を、打ち砕いたのはまさにその、祖母だった。日頃自室から出てこない祖母が、一体なぜ応接室などに姿を現したのかは判らないけれど。
「商人如きが、卑しくも下級貴族ジュレップ家と対等に交渉出来る等と、思い違いも甚だしい」
言い様はいつもの祖母らしく、実に傲慢で聞く者の反感を誘わずにいれないもの。女の眼の色がさっと変わり、苛立ちに染まるのをローゼリットは見た。見て、祖母を振り返った。
「お祖母様」
「勘違いおしでないよ、ローゼリット。アルスなどくれてやっても痛くも痒くもないが、ジュレップが商人如きに膝を屈したと言われるのは、このアイリーンの誇りが許さないからね」
相変わらずな物言いだが、今、助けられたのは事実だ。小さく「ありがとうございます」と礼を言った孫娘に、ふん、と祖母は鼻を鳴らし、背後に控える忠実な侍女頭に「摘み出しなさい」と命じた。
悔しそうな、だがまだ何かを企んでいる様子の女が、侍女頭と私兵に連れ出される。また来ますよお嬢様、と捨て台詞が最後の余韻まで消えるのを待って、ほっ、と少女は息を吐き。
どうするつもりだい、と尋ねる祖母に、強い眼差しを向ける。
「もはや心は定まりました、このローゼリットが自ら赴き、タチアナ伯母を連れ戻します」
「あの女は自分で戻らないのかもしれないよ。だから子供を取り戻しに来たんだろうさ」
「認めません! あたくしが納得出来る理由が示されない限り、あたくしはタチアナ伯母を引き摺ってでも連れ戻します。お祖母様、お止めになっても無駄です」
「止めやしないさ。お前がいつか言った通り、今やお前がジュレップだ」
せいぜい、ジュレップの名に泥を塗るんじゃないよ、と釘を刺して不機嫌そうに去る祖母に、ローゼリットは目を見開き、それから静かに頭を下げた。
●リプレイ本文
町には最近、良く当たると評判の占い師が居る。旅周りのシフールの占い師で、カードを使って未来を見透かしたような言葉を投げる、それが当たっていたと噂になって。
件の占い師ユラヴィカ・クドゥス(ea1704)はそんな噂を聞きつけてやってくる住人を相手に、他愛のない悩みを占ってやりながら、この町一番の豪商の話を聞き出そうとしていた。相手がユラヴィカの占いに感激してお礼を言うのに、ほんの少し慎ましやかな態度を取って、それからそっと付け加える。
「あそこに見えるお屋敷は随分大きいようじゃが、どなたのお住まいかな?」
良い意味で退屈している町の人々は、そうだろう、と頷いてそこに住む家族の事を語り出す。時に呆れたように、時におかしそうに。
父親から店を引き継いだ後、一山当てて一代で財をなした豪商と、年老いたその母親。商売のやり口が不味い訳ではないが、豪商は時折わがままの虫を押さえられなくなる様で、それがちょっと困りもの。
「だからって、横暴って訳でもないし‥‥あら、猫ちゃん」
「散歩させていたのじゃ」
帰ってきたケットシーの姿にそう言うと、可愛い猫ちゃん、と客は去っていった。それを見送り、屋敷に偵察に行かせていたケットシーから魔法の指輪で情報を聞いたユラヴィカは、頭を撫でて労いながら屋敷を振り返る。
仲間達が追いついてくる前に、今度は魔法ですかし見て、ケットシーが調べてきた書斎を確認してみよう。
◆
町を治める代官の役所を訪ねたエリーシャ・メロウ(eb4333)は、ふとため息を吐いた。
(祖母君の誇り高さは、それのみ取れば好ましくもありますが)
多少は違えど、名を重んじる騎士の彼女にとって、アイリーンの強烈な誇り高さは共感出来る部分もある。と言ってその為に何でもして良い訳ではないが。
共に先行して町を訪れ、人々の噂話を聞いてみると別れたギエーリ・タンデ(ec4600)は、エリーシャの言葉に苦笑していた。名を重んじる誇りは想像出来るが、自由な吟遊詩人に容易に実感は出来ないのだろう。
役人に協力の感謝を告げてこの町の法に丹念に目を通す。話に聞いた所、タチアナは借金の形の愛人奉公を強いられているようだ。愛人自体はともかく、借金の形となれば違法、かもしれない。
立場上、政治の絡む微妙な問題には関われないエリーシャだが、今回は純粋に不当に拉致された人を救出する人助け。故に助力を申し出た女騎士とは別行動で主に町の酒場等を回り、情報収集を試みるギエーリはだが、一抹の不安は感じていた。
(肝心のタチアナさんのお心持ちがどうか‥‥)
懐に手をやれば、ローゼリットに返そうとして拒否されたスイートドロップ。事態がこうなったからには彼女から直接渡した方が、と申し出た彼に彼女はきっぱり首を振った。
少女から伯母に渡せば、それは伯母をジュレップに縛り付ける鎖になりかねない。だが純粋にアルスの友としてギエーリが渡すのならば、それは思い出の品足り得るだろう。
『故に母はタンデ様に託したのです』
だからどうか直接タチアナ伯母にと、深々と頭まで下げられては無理に押しつける訳にもいかない。と言ってそのタチアナは、受け取る資格がないと一度は拒絶したわけで。
「あのお妾さんね、美人だけど陰があるって言うか。母親は気に入らないみたいだが、何しろ息子が首っ丈だ」
「さすがは良くご存じで、さ、もう一杯」
情報通を自称する男を捕まえて、調子良く酒を勧めて情報を聞き出しながら、さてどうしたものか、とギエーリは考える。だが何れにせよ、すべては自ら籠に捕らわれる女性を助け出してからだ。
◆
空飛ぶ絨毯の上でゾーラク・ピトゥーフ(eb6105)はこれまでの経緯を確認し、そんな事が、とため息を吐いた。貴族には決して珍しい事態ではないが、実際に起こった出来事を聞くと少なからず驚きがあるのだろう。
だが彼女とて様々な事態に遭遇してきた身。それ以上のコメントを避けた礼儀正しい女医に、ローゼリットは感謝の眼差しを送った。
それからふと、瞳を揺らす。
「‥‥これ程のご助力、お礼の申し上げようもありません」
「キャシー号の件でもお世話になってますから」
ディアッカ・ディアボロス(ea5597)が静かに返した。実際、秋祭りで彼を王子様認定した競争羊の世話を申し出、その後も立派な淑女(?)に成るべく教育を施してくれているのは、他ならぬローゼリットだ。
今日、護衛として彼女を迎えに行った際に様子を窺った所、あまり会えない王子様への夢を膨らませながら頑張っていた様だ。そんな風に世話になっている、多少のお礼代わりだと告げると、少女は微笑んだ。それから行く手に視線を巡らせる。
もし相手が行き道で襲って来るようなら交渉材料が増えると言うものだが、そもそも一行がレシュアーナに向かっている事も知らないだろう。故に、無事に町に到着した3人は、先行していた仲間達と合流し、ひとまず情報を交わした。交渉の極意は何と言っても、どれだけ手札を揃えられるかにある。
加藤瑠璃(eb4288)は実家の辺りを聞き込んでくると言う。その到着も待って作戦を、と頷いた仲間達に、ゾーラクが小さく手を挙げた。
「少し宜しいですか? 考え過ぎかもしれませんが‥‥」
そうして彼女が告げた予測に、ふむ、と彼らは首を捻った。
◆
ジュレップ家での情報収集は、一番情報を握っていそうなアイリーンが黙っている以上、それほど芳しい事実は得られなかった。
それでも義妹、つまりローゼリットの母リディアから幾つかの、今までの事実の再確認の様な状況を聞き出すと、瑠璃は丁寧に礼を言い、念の為にとアルスにも話を聞く。
ラマーデ・エムイと遊んでいたアルスは、瑠璃の言葉を聞くと瞳を揺らし、迷うように沈黙した。沈黙して、だが勇気を出してその言葉を紡いだ。
「ママは可哀想なんだ。パパを殺されちゃったから」
「どういう事?」
物騒な言葉に答えたのは、アルスではなく、次に向かったアルスの実家のある村。そこでアルスの言葉と、一家の暮らしぶりを尋ねると、隣家の若夫婦はああ、と頷いた。
「去年の夏だったかな、村の周りに恐獣が出た事があって、アルスが襲われたんだ。それを庇って隣の旦那さんは‥‥」
「あの時の奥さんの落ち込みようと言ったら、本当にお気の毒でね」
その恐獣は後日、冒険者が退治してくれたらしい。だがそれを待たずに母子は姿を消した。その後しばらくして、アルスはたまに村にやって来るようになったが、母親の方は見ない。
ありがとう、と瑠璃は礼を言ってベゾムに跨った。そろそろ出立しなければ、レシュアーナで待つ仲間達と合流できない。
◆
その交渉は、最初から難航した。
事前の約束がなかったとは言え、下級と言えど貴族相手を考えたのか、彼らはすんなり客間に通された。だがスムーズに事が進んだのはそこまでだ。
「タチアナは自分の意思で私の傍に居てくれるんですよ」
少女が誇り高く頭を上げて用向きを告げると、告げられた豪商は大仰な、芝居がかった仕草で両手を広げて首を振った。ジ、と向けられた視線にタチアナが目を伏せる。ふぅ、と母親があからさまなため息を吐いた。
レシュアーナにおいて、借金の形に愛人奉公を迫る事は違法だ。だが『たまたま』借金のある男女同士が『自分の意思で』愛人関係を持つ分には、違法にはならない。
恐らくこの豪商は、その抜け道を利用してタチアナに頷かせたのだろう。見るからに気が弱く流されやすそうな女性は、それに逆らえなかったのだろう。
だが、タチアナの本当の意思さえ示されればどこにだって辿り着けそうなのに。そう、歯痒い思いで法関連の助言を行い、さりげなく促すエリーシャの言葉にも、タチアナは豪商と母親の視線に怯えて口を噤む。
彼女の意志はどこにあるのか。影でこっそりリシーブメモリーで豪商親子の思考を読むゾーラクには、それが有耶無耶の内に為された事だと明白だ。仲間達にテレパシーでその事実を伝えるが、さすがは一代で財を成した豪商、中々付け入る隙を与えない。
ディアッカが豪商に、タチアナの借金の内訳を明示するよう申し出た。多額の借金がと言うからには、それなりに詳細な明細がある筈だ。もしそれが後ろ暗いものなら尚更、そういう部分はきっちり作りこむはずで。
案の定出された明細の帳簿の上で、ディアッカは目を凝らした。しふ学校の知り合いで経理関係が得意な者に簡単にコツを聞き、その知識で何とか中を判読しようとするが、さすがに付け焼刃の知識では不審な点もない。
だがディアッカの目的はそこではなかった。明細を見せる瞬間の豪商の思いを、リシーブメモリーで読み取る。ばれる訳がないと、せせら笑うような思考。そう考えながらディアッカに指差し、これはこうこうこう言った事があってその借財が、と説明する。
ローゼリットが唇を噛んだ。例え怪しく、リシーブメモリーでその思考を読み取っても、最後に物を言うのは物証や自白。そして物証が一見して不審な点がなく、この豪商や母親が自白するようにも思えず。
正面からでは打ち破れない少女の代わりに、瑠璃が怒りを吐いた。
「あなた、女を人形かペットと勘違いしてるんじゃない!?」
この豪商は、タチアナとの結婚を望んでいるという。だが結婚とは男女が互いを幸せにするためのものだ。こんな、捏造した借金で縛って彼女をこんな心の死んだ抜け殻にしておいて、どの口が結婚などと言うのか?
瑠璃の言葉に、豪商が顔色を変えた。どうやらその点は彼も気にしていた様で、タチアナの笑顔を手に入れたいとあれこれ思い巡らせていた所。そこにこの叱責だ。
だが瑠璃は止まらなかった。クルリと今度はタチアナに向き直る。脳裏にあるのはアルスの姿。
「世の中には娘を守るために魔物に魂を売った母親まで居るっていうのに、あなたはこんな所で何をしているの!」
「タチアナ殿、なんというか、『できません』『やれません』で自分の問題を先送りしているのは、周りの人に自分の面倒事や汚れ仕事をただ押し付けているだけで、結構たちが悪いと思うのじゃ」
ユラヴィカも言葉を添える。彼女の言葉、彼女の意思。それだけで進む事があるのに、意思を秘めながらそれを示さないばかりに、彼女は今ここに居て、色々なものに縛られて動けなくなっている。
ゾーラクがそっと物陰から滑り出て、豪商親子に囁いた。
「もう、無理に悪人を演じる事はありません」
それに豪商は目を瞬かせたが、母親の方はかすかに目を見張った。譲らない息子と動かない女に業を煮やし、強引に片をつけるべく彼女は動き、タチアナの子供を連れて来ようとした。とにかく事態が動きさえすれば、どうにかなってしまうものだから。
無理に演じたつもりはないけれど、それは確かに彼女の中にあった事。だが無言を貫く母親に、ゾーラクは柔らかい眼差しを向け、次いでタチアナに厳しい眼差しを向ける。
「嫌な事は嫌だとはっきりさせなさい。貴方がすべきことは手酷くこの方の求婚を断り『私はアルスの母です』と強引にジュレップ家に乗り込む『悪女』となる事です」
我が子と暮らしたいなら、生きる為の努力と覚悟を。何があっても手を放さない強さを。それを決められる最後のチャンスが、今この時。そう突きつけられて、タチアナは目を見張り、アルス、と我が子を呼んで。
タチアナ伯母、と少女が差し伸べた手を、彼女は取った。豪商が怒りの滲んだ声で彼女を呼んで、だが振り返らなかった。
◆
帰り道。豪商の怒りを背に受けながら町を飛び出して来た彼らは、まさに逃避行と表現する他ない道行きで、辺りを警戒しながらウィルへ続く街道を走った。
さすがに飛んで追いつけるはずもなく、空飛ぶ絨毯に乗っていつでもサンレーザーを放てるよう準備し地上を睨むユラヴィカに、空を飛ぶという事に怯える伯母を支えたローゼリットが申し訳ないと瞳を伏せた。
エリーシャが馬上から力強く励ます。
「過去の非は正せば良いだけの事。その為に動いておられるご自身に自信をお持ち下さい」
女騎士の言葉に、少女は強い眼差しで頷いた。祖母の過ちを正し、虐げられた伯母の下に義弟を返す。少女は義弟に誓ったのだ、何としてもそなたを母君に会わせてみせましょう、と。
だがどうやら豪商に取って、タチアナは余程諦め難い女性だったらしい。或いは面目を潰され、引くに引けなくなったのだろうか。
追っ手の上げる土煙に気付いたのはディアッカだった。遠くを監視していた彼はすぐさま仲間にそれを知らせた。
瑠璃とエリーシャが迎撃準備を整える。と言え、こちらから打って出たのでは万一の場合に非を押し付けられる可能性もある。エリーシャの助言に瑠璃も従い、相手が攻撃を放ってくるのをじりじりと待ち。
ヒュンッ! 矢が空気を切り裂き、空飛ぶ絨毯を掠めていく。それを確認したユラヴィカが、まず威嚇でサンレーザーを当たらないよう放った。同時にエリーシャと瑠璃がこの機を待ちかねたとばかりに打って出た。
勿論、むやみに傷つける事はしない。金で雇われた護衛とは言え、相手は一般人だ。ついでにやり過ぎるとやっぱりこちらが悪者になる、と言うリスクもある。世間体上、力に物を言わせて愛人を掻っ攫った、と言うよりは命からがら囚われの女性を救出した、と言う方が聞こえも良いものだ。
だがやがて、何かの合図を受けたように男達は1人、また1人と戻っていく。それを深追いせず見送った冒険者達の元に、入れ替わりに追いついてきたのはギエーリだ。彼は仲間が脱出した後の工作を請け負う事も考えて、最初から交渉には参加せず、作詞をしていたのである。
内容は風刺。偶々居合わせたフリを装い、『商家の主が女性に惑って身代を潰した』という滑稽な前半と『反省して真面目に働いたお陰で大繁盛』という教訓的な後半の詩に曲を乗せ、散々に唄い広めている内に、商家は人の出入りが激しくなってきたのだと言う。
「この様子を見ると、上手く行ったという事でしょうか?」
全員を見回し、ほっと胸を撫で下ろしたギエーリは、その中の女性に視線を止めた。以前にも顔を合わせた美しい人。アルスの母タチアナ。
懐からスイートドロップのペンダントを取り出した。そっと歩み寄る。
「ジュレップの奥様から託された貴女のペンダントです。今度こそ受け取って頂けますか?」
「‥‥‥ッ」
その言葉にタチアナは瞳を潤ませ、そっと手を伸ばした。指先が鎖に触れ、掴み取る。何の変哲もない、だがきっと彼女にとっては二つとない大切なそれを胸に押し抱き、彼女ははらはらと涙を零し。
何か隠していないかと、瑠璃が聞いた。だが女性が泣き止み言葉を紡げるようになるまでは、もう少しばかり時間がかかるようだ。