銀色の叙事詩

■ショートシナリオ


担当:sagitta

対応レベル:6〜10lv

難易度:やや難

成功報酬:3 G 80 C

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

冒険期間:12月12日〜12月17日

リプレイ公開日:2009年12月20日

●オープニング


 【邪眼】のバロール。
 それは、彼の魂の奥底にまで刻まれた、宿敵の名。
 すでに悠久の刻を生き、もはや盛りをとうに過ぎてなお彼が生きながらえているその理由は、もはやかの怨敵を滅ぼすため、と言っても過言ではないかもしれない。
 それほどまでに狂おしく求め続けた相手との最後の戦いが、迫っていた。【邪眼】は復活を遂げ、彼の愛する地を炎と血の色に染め上げるために機をうかがっている。
 もはや、時を待つ日々は終わった。今こそ【銀の腕】は、腰に帯びた光の剣を抜き放ち、かの邪悪なるものに引導を渡すべき時であるはずだった。だが。
「クロウ・クルワッハ――伝説の暗黒竜、か」
 しわに覆われたヌアザの唇から零れ落ちたのは、深い苦みを帯びた低い声。
「あの【邪眼】にも制御できぬ、最凶の暴竜。――捨て置くわけにはいかんな」
 【邪眼】の本拠地に向かって駆けだしていた【銀の腕】のたくましい脚を止めたのは、常人なら卒倒してしまいそうなほどの、凶悪で強大な気配だった。
 ゆっくりと腰の神剣、クラウソラスを抜き放ちながら、ヌアザは銀髪の騎士を、そしてともに戦った冒険者たちのことを思い出していた。愛する国を、自らの手で護るとヌアザの前で誓ってみせた人間たち。
「もはや我らの刻は尽き、この地を受け継いでゆくのは人間たちなのだな・・・・」
 皮肉げに唇を歪めてみせるも、その瞳に湛える光は柔らかい。
「栄光に満ちたこの地の未来のためならば、我の積年の憎しみなど、取るに足らぬものにすぎぬ。ならば、かつては神々の王とまで呼ばれたこの【銀の腕】から、時代を背負う人間たちへ、最後の餞を贈ってやるのも悪くはあるまい」
 そうしてヌアザは、銀色の雷光となって馳せた。
「たとえこの身は、ここで朽ち果てようとも! 人間たちよ、後は頼んだぞ!」
 太古の昔、王と呼ばれた神の咆哮は、聖なる遺跡の地に響き渡った。


「【銀の腕】が、動いた――。相手は【邪眼】ではなく、伝説の暗黒竜ですか」
 伝令の報告を受け、円卓の騎士にして国務長官、ケイ・エクターソンは秀麗な眉をひそめた。
 邪眼と暗黒竜。同時に二つの脅威にさらされたイギリス王国を守る為、どちらへ向かうべきかケイは判断をつけかねていた。
「報告によれば、【邪眼】の方は己の居城にて戦支度を進めているとか――」
 イライラと執務室を歩き回りながら、ケイがつぶやく。聞くところによると、南方遺跡群周辺の領主の先導で、【邪眼】に対する攻城戦の準備を進めているらしい。
「そして【邪眼】のもとにはおそらく――」
 ――モルが。
 その言葉を、ケイは飲み込んだ。いかに聞く者のいない独り言と言えど、イギリス傾国の危機にあって国務長官である彼が、いまや王国を裏切りデビノマニとなった者の名を口にすることはためらわれた。いや、ケイ自身が、いまそのような心の揺らぎを認めるわけにはいかなかったのだ。
「私は【銀の腕】の加勢のため、クロウ・クルワッハの元へ向かいます! すぐに冒険者ギルドに手配を!」
「はっ!」
 近衛騎士たちに指示をしながら、ケイはほんの一瞬だけ、いささか言い訳じみた自らの決断に対して皮肉な笑みを浮かべた。
 多くの民を、そしてこのイギリス王国を守る為なら、非情になりなさい。彼はそう教えてきた。愚かな情に流されて、国を危険にさらすような者に、円卓の騎士を名乗る資格はありません。
 確かに、モ―ドレッドには何か事情があるのかもしれない。彼が心から人々を愛する者であることは、誰よりもケイ自身が一番よく知っている。だが、それがなんだというのだ。彼の存在が国を危険にさらすというのならば、「非情」にそれを切り捨てるべきだ。それこそが、円卓の騎士ケイが国王アーサーに、イギリス王国に誓ったことなのだ。
「私は、もう迷いません。イギリス王国の、未来のために」
 白い顔に能面のような無表情を浮かべて、ケイは漆黒のサーコートを身にまとった。

●今回の参加者

 ea0018 オイル・ツァーン(26歳・♂・レンジャー・エルフ・ノルマン王国)
 ea0286 ヒースクリフ・ムーア(35歳・♂・パラディン・ジャイアント・イギリス王国)
 ea1274 ヤングヴラド・ツェペシュ(25歳・♂・テンプルナイト・人間・神聖ローマ帝国)
 ea1661 ゼルス・ウィンディ(24歳・♂・志士・エルフ・フランク王国)
 ea5683 葉霧 幻蔵(40歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea7482 ファング・ダイモス(36歳・♂・ナイト・ジャイアント・ビザンチン帝国)
 ea7694 ティズ・ティン(21歳・♀・ナイト・人間・ロシア王国)
 eb0379 ガブリエル・シヴァレイド(26歳・♀・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ec4984 シャロン・シェフィールド(26歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ec5570 ソペリエ・メハイエ(38歳・♀・神聖騎士・ジャイアント・イギリス王国)

●リプレイ本文


 伝説の暗黒竜。混沌の化身。破壊の暴竜――クロウ・クルワッハの持つ幾つもの異名は、それと対峙するものの心を鈍らせる。
 だが、今、クロウ・クルワッハの待つ地をめざし、風となって草原を馳せる肉体は打ち震えていた。怯えているのではない。生まれ出る瞬間の胎動にも似た――武者震いだった。
「おおぉ! 感じる! 感じるぞ、奴の化け物じみた力を!」
 疾風となった肉体――【銀の腕】のヌアザが吼える。一歩近づくごとに、暗黒竜の圧倒的な存在感が彼の全身に襲いかかってくる。
「これが我の最後の戦いとなるだろうな・・・・」
 悲壮ともいえる内容の独り言とは裏腹に、彼の瞳には炎が宿っている。
「【邪眼】めの最後が見られぬのは残念だが、人間どもよ、後は任せるぞ!」
 そう叫んで【銀の腕】は、その名の由来となった右腕を、その拳に握りしめた光り輝く神剣、クラウソラスを高らかに掲げて仁王立ちになった。
 眼前には彼の背丈の二十倍を優に超えるほどの、途方もなく規格外の黒々とした巨体が、悠然と立ちはだかっていたのだった。


「方向はこちらで、間違いありません!」
 グリフォンを駆り、上空からケイに向かって叫んだのはソペリエ・メハイエ(ec5570)だ。彼女のペットである陽霊の魔法によりヌアザの場所を特定し、部隊を率いるケイに的確な目的地を指示していた。
 上空のソペリエにうなずき返し、ヒースクリフ・ムーア(ea0286)の馬に同乗しているケイは、前方へと視線を戻す。
 クロウ・クルワッハ――伝説の暗黒竜として恐れられるその名について、情報を集めれば集めるほどその強大さに圧倒される。伝承が確かならばそれは――かの【邪眼】そのものよりも強大な力を持つという。その力はまさしく神の領域だ。そんなものに対して、人間である自分たちに、できることなど果たしてあるのだろうか・・・・。冷静に情報を分析し、展開の先を読む「軍師」たる彼だからこそ、なおのこと絶望しそうになる。そんな彼の思考を引き上げたのは、どうこうする冒険者たちの存在だった。
「暗黒竜クロウ・クルワッハ・・・・メイで会ったカオスドラゴンや、グラビティードラゴン様にも勝るほどの圧力です・・・・。だがここで怖じ気づけば、【銀の腕】ヌアザ様の身が危険。ヌアザ様を守り抜き、必ず助け出します」
 アトランティスと呼ばれる異界からの帰還者であるファング・ダイモス(ea7482)が、決意を込めてつぶやく。広い世界を見てきた彼にとっても、この事態は軽いものではない。だが、彼は決して諦めてはいない。
「魔王アスタロト、邪眼のバロール、邪竜クロウ・クルワッハ・・・・恐ろしい敵ばかりです。こんな中に挑んでいくという自分が信じられなくもあり、誇らしくもあります」
 シャロン・シェフィールド(ec4984)が、そう言ってケイに向かって微笑んでみせた。
「この国を、守りましょう。それぞれの大切なものの為に」
 ケイの脳裏に、一人の女性の姿が浮かぶ。――大切なもの。守るべきもの。
「みんなの幸せを邪魔するような輩はやっつけるなの! 一人一人の力は弱いかもしれないけど、みんなが思いを一つにすれば、その力は何十倍、何百倍にもなって、どんな相手だって怖くないよ〜!」
 ガブリエル・シヴァレイド(eb0379)が口にしたいささか子供じみた――しかし真っ直ぐな言葉に、ケイは小さく微笑んだ。
「そうですね。ええ、そのとおりかもしれない」
「ふははははは! 神たるヌアザどのに援軍として参陣するであるか! それもまた一興であるな! クロウ・クルワッハの復活を阻止できなんだは我らの失態でもあるのだしな!」
 感傷的な雰囲気を打ち壊すようなヤングヴラド・ツェペシュ(ea1274)の高笑い。オイル・ツァーン(ea0018)は、それに苦笑しながらも同意する。
「トリスタン卿を守りきれず復活を許してしまった邪竜との戦い。【銀の腕】ヌアザどのに頼らねばならないこの無力な身だが、一矢をもって報いさせてもらおう」
 彼の言葉に、皆が勝利への思いを新たにする。その時。
「見つけたでござる! あれが・・・・なんと巨大な・・・・」
 グリフォンに乗って空中を進んでいた葉霧幻蔵(ea5683)が声を上げた。その言葉は途中で途切れ、驚愕のため息が零れ落ちる。
 彼に言われずとも、皆が同時にそれに気付いていた。
 あらゆる建物は愚か、そびえる木々からさえその頭を突き出した、恐るべき巨体。その羽ばたき一つで、人間の命を吹き散らしてしまいそうな漆黒の翼。そして、闇よりもなお黒い鱗に覆われた、鋼のようなという表現さえ儚く感じられるほどの強大無比な肉体。
 破壊と絶望を具現化させた、恐怖の化身が、そこにいた。暗黒竜クロウ・クルワッハ。
「言ったはずですよ、お役に立ってみせると。なのに、一人で先に行ってしまわれるとは、何とも寂しいじゃありませんか、ヌアザ様!」
 不意に、ゼルス・ウィンディ(ea1661)が努めて明るい調子で叫んだ。見れば、巨大な邪竜の足元に、輝く剣を握りしめて対峙する一つの影。
「・・・・さぁ、今いきますよ!」
 そう言って駆けだしたゼルスを追い抜くようにヌアザの隣に躍り出たのは、白銀の鎧に身を包んだティズ・ティン(ea7694)だ。
「伊達に守りをがちがちに固めてない、ってところを見せちゃうよ!」
 明るく言って、臆することなく最前列で剣を構える。
「貴方だけの戦いではない。ともに戦おう、【銀の腕】よ」
 同じくヌアザの隣で頼もしく言ったのは、フライの魔法で空中を駆けるヒースクリフだ。
「ふふっ! ようやく来たか人間どもよ! さぁ、ともに剣を取れ!」
 ヌアザが吼える。よく見れば彼のたくましい肉体はところどころ傷つき、すでに満身創痍といえる状況だ。だが彼の闘志はいささかも衰えていないどころか、今までにない高まりを見せていた。
「全隊、クロウの周囲に展開! パーシ隊と協力して、邪竜を挟撃します! 敵のブレスに注意するように!」
 ケイが張りのある声を響かせて部隊に指示をする。ちなみに挟撃の戦法は、ヒースクリフとファングの提案を受けてのものだ。
 それまでヌアザと半ば一騎打ちの状態だったクロウ・クルワッハは、突然現れた大勢の敵に対して戸惑っている。
 その間に、冒険者たちがヌアザの周囲に駆け寄る。
「これを、使うでござる」
「私からも、これを」
 幻蔵とファングが、それぞれに回復や守護のアイテムをヌアザに差し出す。
 ヌアザは一瞬だけためらってから、それを受け取った。
 己の力に頼っていたかつての彼ならば、道具の力を借りるなど、と断っていた所だろう。だが彼にはもう分かっていた。自らの誇りよりも、大切なものがあることを。それは守るべき土地であり、護るべき――人であった。
「神聖騎士のソペリエと申します。かの竜クロウ・クルワッハへの攻撃の助力をさせてください」
 そう言って治療と加護の神聖魔法を掛けたソペリエの好意も、【銀の腕】はうなずいて享受した。
 ゼルスやヒースクリフ、ファングもそれぞれに援護の魔法を唱え、戦闘の準備は完了した。
「・・・・トリスタン殿を、返せ!」
 ヤングヴラドは全ての援護魔法を展開し、戦闘に集中する。
「ギャオオォォォン!」
 ようやく我に返った邪竜が身の毛もよだつ咆哮をあげ、戦いの火蓋が、切って落とされたのだった。


「シャロン、すまないがムーンドラゴンを借りる!」
「ええ、オイルさん。ジュノー、彼の力になってあげて」
 オイルに応えてペットを貸し出しながら、シャロン自身もペガサスのエーリアルにまたがって舞い上がる。二人とも乗騎の背中で弓を構え、巨竜に向けて矢を放ち続ける。シャロンのホーリーアローなどはある程度の効果を上げているようではあったが、その程度でどうにかなる相手ではない。
「とりあえず、アンデッドではなくデビルに近いってことですね・・・・場所としての弱点は・・・・くっ、なかなか見つけられない」
 矢の種類と狙う位置を変えることでクロウの弱点を見出そうとしながら、シャロンがつぶやく。
(アンデッドの一種であるならば、この身を賭してでも邪竜の背に飛び乗って、レミエラの力を解放しようと思ったが・・・・)
 オイルが唇を噛んだ。だが悔やんだ所で仕方がない。できることをするまでだ。
「ヌアザ殿の援護になるよう、タイミングを計って射撃を続けるんだ」
「ええ。ブレスにだけは、くれぐれも気をつけましょう」

 敵はクロウ・クルワッハだけではない。相手がヌアザ一人だった時には、クロウの攻撃の巻き添えを恐れて手をこまねくばかりだったさまざまな姿のデビルどもは、到着した人間たちを自らの相手と定めたらしい。一斉に突撃を開始して、人間たちによる邪竜への攻撃を妨害しようとする。
「私の攻撃はクロウには効かないかもだけど、デビルたちなら、私が相手するなの!」
 そう言いながら、ガブリエルがアイスブリザードを放ってデビルを氷漬けにする。戦闘力では歴戦の英雄たちには及ばない彼女も、世界を思う気持ちは変わらない。
「ヌアザ殿がクロウドラゴンに集中できるよう、援護するでござる!」
 幻蔵が、エクソシズムクロスを握りしめながら、周囲にソニックブームを放ちまくり、デビルたちをなぎ倒していく。
「メイヴ、お主も援護してくれでござる」
 主の言葉に従い、ペットのウィバーンもその爪やウィンドスラッシュの魔法で参戦する。
「デビルたちは狡猾だから、混乱の中でケイ卿や他の人間を狙っていないとも限りません。警戒は怠らぬように」
 ゼルスは強烈な魔法でデビルたちを蹴散らしながらも、冷静に戦場に視線を走らせる。そしてその鋭い目が、巨大な竜へと向けられた。
「さすがに、そう簡単に倒せる相手ではないのは承知してますが、この世に無敵なんてものはありません。有効な戦い方は必ずあるはず」

「なんという威圧感。安易に近づくのは危険ですね。私は想定外のところからの攻撃を心がけましょう」
 パーシの部隊とも、ケイの部隊とも違う角度から、ファングはソニックブームを繰り出してクロウを狙い撃つ。超人的な戦闘力で邪竜の鱗を破壊していくものの、決定的な攻撃には至らない。
「ヌアザ様を援護し、弱点を見出すまで時間を稼ぐのが、私の役目。それまでは突出しないように心がけるのです」
 自分に言い聞かせるように呟き、ファングは黙々と剣を振るった。

「ラプタス!」
 普段の穏やかな物腰からは想像もできないような、迫力のある掛け声が戦場に響き渡った。グリフォンにまたがったソペリエが、突撃をしつつさらに全体重を掛けた、恐るべき破壊力の槍を、邪竜の体に叩き込んだのだ。穂先は硬い鱗を貫き、血をしぶかせる。さすがのクロウも、苦痛の鳴声を漏らすほどだ。
「グギャアアォォ!」
 怒り狂った邪竜が、ソペリエの肉体を噛み砕こうと首をめぐらせるが、その時にはすでにソペリエはそこにいない。グリフォンを駆って遠ざかり、再び突撃を仕掛ける準備を始めている。
「一撃離脱戦法です。この繰り返しで、弱点を見つけられれば・・・・」
 地道だが確実性の高い方法を。
 ソペリエはしっかりと敵を見据えながら、再び槍を握りなおした。

 一方、ヌアザとともに最前線で戦う者たち。ヒースクリフ、ヤングヴラド、そしてティズ。いずれ劣らぬ、超一流の戦士たちだ。
 彼らはヌアザと協力しつつ、一丸となって邪竜と対峙する。一方の邪竜は、別働隊の冒険者たちから挟撃され、さまざまな長距離攻撃も受け、こちらにばかり集中することができない。
 にもかかわらず。
 冒険者たちは邪竜に致命傷を与えられずにいた。
 恐ろしい生命力と、強靱な鱗は、半端な攻撃ではかすり傷を与えることしかできない。
 その上、その身から繰り出される凄まじい攻撃が当たれば大ダメージは免れない。そう考えると、あまり無謀な攻撃は自殺行為だ。唯一、硬い鎧に全身を包んだティズだけは、その攻撃を真正面から受け止めていたが、彼女は逆に、クロウの鱗を貫く火力に欠けていた。一方、ヒースクリフが唱えるウィークポイントの魔法も、クロウの弱点を探り出すことができない。
 そして、取り囲む冒険者たちが最も警戒しているのは、ドラゴンがドラゴンたる所以ともいえる死の吐息――ブレスだ。クロウ・クルワッハがいかなるブレスを吐くのかは分からない。だが、その威力は凄まじいものになるだろうということだけは間違いない。自らの身をもってそれを確認するというわけにはいかなかった。自然、警戒しながらの攻撃ということになってしまう。そのような状況では、効果的な攻撃を加えられないのが現状だった。
 それは神たるヌアザも同様だった。ヤングヴラドのブレッシングの魔法によって聖化された彼のクラウソラスはクロウ・クルワッハを何度も捉えているが、それでも致命傷にはならない。
 何かきっかけが、一瞬のきっかけが必要だった。


 その時は、突然訪れた。
 別働隊の冒険者の一人が突然飛び出し、クロウの前に立ちはだかったのだ。
 クロウは、その巨大な頭を彼の方に向け、そして大きく口を開けた。
「いけない、ブレスが!」
 戦況を見据えていたゼルスがつぶやく。誰もが悲惨な未来を予想し、目を背けた。
 伝説の暗黒竜クロウ・クルワッハの巨大な口から、地獄そのもののように黒い闇が、吐き出された。暗黒の吐息は一瞬のうちに冒険者を包み込んだ。彼の運命は絶望的に思えた。
 その瞬間。
 光が、あふれた。冒険者の体から、まばゆい光が放たれていたのだ。
 ――いや違う、光を放っていたのは、彼の手が握るもの。聖剣、カリバーンだ。
「おお。聖剣の加護が!」
 ヌアザが感嘆のため息を漏らす。
 邪竜の吐き出した闇は、光によって打ち消された。状況が理解できない邪竜は、信じられない、といった様子で硬直している。
「暗黒の竜よ! 滅びるがいい!」
 その隙を【銀の腕】は見逃さなかった。強靱な脚力でその身を跳躍させ、クロウ・クルワッハの眼前に身を躍らせる。ブレスを吐く為に大口を開いたままの邪竜の、その赤黒い口の中に向かって光り輝く刀身を――否、それを握る銀色の右腕の根本まで、一直線に突き入れる。それはさながら、一筋の銀色の流星のようであった。
「ギャアアアアアアアアアッ!」
 クロウ・クルワッハが、この世のものとは思えぬ叫び声を上げた。
 それはこの恐ろしき竜の断末魔の声だと、この戦いは【銀の腕】と人間たちの勝利だと、誰もが確信した。
 だが。
「く・・・・クロウ・クルワッハが・・・・【銀の腕】を・・・・」
 呻くように呟いたのはケイ。もともと白い顔がさらに蒼白になり、それ以上の言葉を続けられない。
 金属を力任せに引き裂くような、耳障りな音が響き渡った。耳を覆いたくなるような凄まじい音。
「く、喰って・・・・いる・・・・?」
 ケイの薄い唇が、わなわなと震えながら言葉を絞り出す。
 その通りだった。
 伝説の暗黒竜は、その喉の奥に突き立てられた光の剣ごと、ヌアザの銀製の右腕を、喰らっていた。
 いや、竜が喰っていたのは、右腕だけではない。ヌアザそのものだ。
 見る間にヌアザの肉体は、クロウの巨大な顎の中に取り込まれてしまう。
 最後の瞬間、ヌアザの視線がケイに、冒険者たちに、向けられた。
「あ、とは・・・・託した、ぞ・・・・」
 ゴクリ。
 クロウ・クルワッハの喉のあたりから、恐ろしい音が聞こえ――そしてあたりは静まりかえった。
 誰一人、言葉を発することができない。目の当たりにした信じられない出来事に、ただ息を呑むばかりだった。


 呆然とする冒険者たちの眼前に、突如として現れた影があった。
 名を、アリオーシュ。
 永きに渡ってイギリスで暗躍し続けてきたデビル。
 彼は眼下の漆黒の巨竜を見下ろし、興奮したような声を上げた。
「ほぉ・・・・素晴らしい。素晴らしいぞクロウ! 本物の神を、取り込んでしまうとは! 感じる。お前の更なる力を・・・・、さあ、その力でここにいる人間どもに絶望を味わわせてやるがいい!」
 楽しそうに叫び、アリオーシュは手にした小さな球を掲げた。不思議な光を放つ宝玉。
 ケルトの至宝にして、ルシファーを称える七つの冠の一つ、リア・ファル。
 アリオーシュはここにはないクロウ・クルワッハの心臓――すなわちトリスタンの心臓の代わりに、この桁外れの魔力を持つ宝玉によって、クロウを制御していたのだった。
「どうした! 我が命に従え!」
 アリオーシュが叫び、リア・ファルが輝く。だが、クロウは動かない。
 ヌアザを飲み込んだクロウは、まるで魂が抜けたかのように佇んでいた。いや――それはおそらく、神の途方もない生命力を取り込み、消化するための準備期間だったのだろう。
 隙を見て攻撃を仕掛けた冒険者たちと対峙するアリオーシュの真後ろで、クロウ・クルワッハがゆっくりとその巨大な顎を開いていた。
 リア・ファルを掲げて斧を振るうアリオーシュは、それに気付かない。
 バクリ。
 クロウはその顎を閉じる。アリオーシュの肉体を、その口の中に閉じ込めて。
 予想だにしない行動に、見る者たちはその目を疑った。
「なぜだ、私は、リア・ファルをもっているのだぞ! これさえあればお前は制御可能とアスタロト様は! ・・・・私ではない、人間達を・・・・開けろ! やめろ! やめてくれ! ぐあああっ!」
 巨竜の口元から漏れるくぐもった声は、悲痛な響きを帯びていく。
 伝説の暗黒竜は、高位デビルであるアリオーシュを、至宝リア・ファルごと――咀嚼した。
 一瞬の静寂。
「グオオオオォォォォォォォォンッ!」
 神とデビル、そして至宝をその腹に収めた暴君は、長い長い咆哮をイギリスの地に響かせた。
 伝説の暗黒竜にしてイギリス王国最大最強の敵、クロウ・クルワッハの真の覚醒の瞬間であった。