雪山悲話

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:6〜10lv

難易度:やや難

成功報酬:3 G 64 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月26日〜02月02日

リプレイ公開日:2007年02月05日

●オープニング

●雪の夜
 風が扉を叩くような小さな音がした。
 最小限の火しか使えない中で翌日の準備をしていた少年は、ぱっと顔を上げた。
 聞き間違い?
 だが、確かに音がした。
 耳を澄ませた彼に、再び、小さな音が届く。
「っ! やっぱり!」
 顔を輝かせて、彼は扉へと駆け寄った。勢いよく開いた扉の向こう、雪がちらほらと舞う中に佇む1人の少女。
「いらっしゃい!」
 部屋の中へ招き入れると、少女は慣れた様子で壊れかけた椅子に腰掛けた。
 山に本格的に雪が降り始めてから、こうして度々訪れるようになった少女に、少年は嬉しそうでいて困ったような顔を向ける。
「遊びに来てくれるのは嬉しいよ。でもさ」
 首を傾げる少女に、少年は頬を染めながら俯いた。
「君を捕まえた奴らだって、まだウロウロしているかもしれないし。気をつけないと駄目だよ」
 怪訝そうな少女に、少年は無理矢理に笑顔を作ってみせる。来るな、なんて言いたくない。けれど、少女の安全を考えれば、あまり村に下りて来て欲しくない。
「あのさ、今度からは僕が山へ行くよ。だったら、大丈夫だろ?」
 途端に、少女は少年の袖を掴んだ。
 いつにない少女の様子に、少年の方が驚いてしまう。
「ど‥‥どうしたの?」
 何かを訴えかけるような少女の眼差しに、一瞬、怯えのようなものが走った‥‥と、少年は思った。
 少年の袖を掴んだまま、少女は扉を見ている。
「どうしたの? また、悪い奴らが来た?」
 扉を見つめる少女の手を外して、少年は扉へと走り寄った。開け放つ扉から覗く白く静かな世界。
 険しい表情で、周囲を見回す。だが、家のまわりには何の気配もない。
「‥‥いないみたいだけど‥‥」
 一緒に走り出て来た少女の視線を追う。
 彼女が見つめているのは、白い山だ。
「山? 山に、何かあるの?」
 答えは返らない。
 けれど、少女の様子は尋常ではない。雪の精霊である彼女に、感情というものはほとんどない。悪人によって檻に捕らわれていた時でさえ、怯えた素振りを見せる事はなかったのだ。
 なのに、今は‥‥。
「っ! 僕が行くよっ!」
 少女が止める間もなく、彼は駆け出した。

●赤い恐怖
「そこで、何を見たんだ?」
 尋ねた冒険者に、少年は肩を震わせると視線を上げた。青ざめてはいるようだが、動揺は少ない。ギルドに駆け込んで来た時はただならぬ様子だったので、錯乱しているかと思われたが、この分だと大丈夫そうだ。
「雪が降ると、村の人は山に入らなくなる」
 山に魔物が出るという言い伝えがあるのだと少年が語ったのは、去年の冬だった。
 魔物とは山と雪の精霊を守る雪だるまの事で、以前の依頼で山に向かった者達から害はないとの報告が出ている。
「だから、山には誰もいないと思ったんだけど‥‥」
 少年を止められないと理解したのか、少女は彼を案内するように先に立って進んだのだという。そして、ある場所まで来ると、静かに足を止めて少年を振り返った。
「静かにしろって言ってるみたいだった。だから、僕は」
 そっと、木の陰から覗き見た光景。
 月の光が照らし出す真っ白い雪原に、人影が1つ、ぽつんと浮かんでいた。
 とても冬山で過ごせるような格好ではなかった。あちこち破れた襤褸を身に纏い、立ち尽くす影。その手が何かを抱えている事に気付いて、彼は目を凝らした。
「最初は何か分からなかったんだ。だけど、影がそれをぶらんとぶら下げたから分かった」
 影が握っていたのは足。それも小さな足。
 足だと分かったのは、そこから繋がる胴と頭があったからだ。
「赤ん坊だった」
 小さな小さな声で告げられた言葉に、冒険者達も息を呑む。
 僅かに身を震わせながら、彼は話を続けた。
 真夜中の雪山で見た奇怪な光景に驚いた彼が、思わず悲鳴をあげて後退りしかけたこと。
 その気配に気付いた影が、振り返ったこと。そして‥‥
「暗くて、どんな奴かは分からなかったけど、目だけが赤く光ってたんだ」
「目が赤く?」
 冒険者達は顔を見合わせた。
 人の形、赤い目‥‥彼らが持つ知識に照らし合わせ、対象を絞り込んで残ったものの名を、少年に告げるのは躊躇われた。
「で、影に見つかって、君はどうやって逃げたの?」
 尋ねた女冒険者に、少年の顔に生気が戻る。
「雪だるまが! 雪だるまがね、僕の前に壁を作って隠してくれたんだ!」
 山の魔物と恐れられ、雪の精霊を守る為には集団で襲って来る事もある雪だるまが、少年を守る為に動いたという。遭遇したものの恐怖を打ち消してしまうぐらい、彼にとっては嬉しい事だったようだ。
「でも、村に帰ったら騒ぎが起きてた。隣の村で、生まれたばかりの子供がいなくなったんだって。赤ん坊を連れた者が立ち寄らなかったかって聞かれて、僕は答えられなかった」
「どうして?」
 促す女冒険者に、少年は俯いて拳を握る。
「だって、言えないよ。もし、いなくなった赤ん坊が、僕が山で見た子なら‥‥生きてるはずないもん。そんな事、泣きそうな顔で子供を捜してるお父さんに言えるはずないよ」
 少年の頭を、女冒険者は優しく引き寄せた。
「そうね、言えないわね」
「‥‥村の皆が言ってた。最近、赤ん坊がいなくなる事が多いって。ちょっと離れた村でも赤ん坊がいなくなったから、きっと、赤ん坊を狙った人掠いが近くに潜んでいるんだろうって」
 だが、そうではない事を少年は知ってしまった。
 だから、彼はここに来たのだ。
 頭を撫でる女冒険者の手をそっと外して、彼は真っ直ぐに冒険者達を見た。
「あの化け物を退治して! もう、これ以上悲しくなるお父さんやお母さんが増えないように。あの子や雪だるまが平和に暮らせるように!」

●今回の参加者

 ea3630 アーク・ランサーンス(24歳・♂・神聖騎士・エルフ・イギリス王国)
 ea4823 デュクス・ディエクエス(22歳・♂・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)
 eb0379 ガブリエル・シヴァレイド(26歳・♀・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 eb3117 陸 琢磨(31歳・♂・ファイター・人間・華仙教大国)
 eb3310 藤村 凪(38歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb3387 御法川 沙雪華(26歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb3389 シータ・ラーダシュトラ(28歳・♀・ファイター・人間・インドゥーラ国)
 eb7692 クァイ・エーフォメンス(30歳・♀・ファイター・人間・イギリス王国)

●リプレイ本文

●雪山へ
 夜も近い時間になって、雪は激しさを増したようだ。
 うんざりと溜息をついて、アーク・ランサーンス(ea3630)は細く開いていた扉を閉めた。
「参ったな。この調子だと化け物を見つける前に我々が雪だるまの仲間入りですよ」
 肩を竦めたアークの言葉に笑って顔を上げたのはガブリエル・シヴァレイド(eb0379)だけだった。
「大丈夫、雪だるまの仲間になったら、雪山で動き安くなるなの〜。きっと、すぐに化け物を見つける事が出来るなの〜。それから、それから、ちょっと可愛いのなの〜〜」
「‥‥その代わり、雪山以外では動きにくくなりますね」
 にっこり微笑みながら突っ込んだ御法川沙雪華(eb3387)に、ほのぼの和んでいたガブリエルとアークが硬直した。
「それに、うち、あんな真ん丸体型にはなりとないわぁ」
 頬に手を当て、藤村凪(eb3310)が首を振る。
「真ん丸」の言葉に、更にショックを受けたガブリエルが声にならない悲鳴を上げる。
「い‥‥いやなの〜っ! 真ん丸はいやなの〜っっっ!」
「お、落ち着いて! 雪だるまになると決まったわけじゃないのよ!」
 半泣きでふるふると頭を振るガブリエルを宥めて、クァイ・エーフォメンス(eb7692)は助けを求めるように仲間達を見た。
 しかし、室内は重い沈黙が降りたままだ。
「俺は、化け物の正体はビックフットではないかと思う」
 深刻な顔の仲間達を見回して、陸琢磨(eb3117)が言う。
「でも‥‥」
 反論しかけたシータ・ラーダシュトラ(eb3389)を手で制して、琢磨は言葉を続ける。
「あんた達の言うバンパイア説を否定しているわけじゃない。ただ、ここで論じている正体はあくまで推測に過ぎないからな。決めつけて行動するよりも、ある程度限定して動く方が気楽だろう」
 淡々と告げると、琢磨は口元を引き上げた。
「何が出ても、叩き斬るだけだしな」
 2人の会話を聞きながら、沙雪華は畏まって座っている少年と、憂いを浮かべているようにも見える雪の精霊を窺った。人ではない雪の精霊はともかく、少年を雪山に連れて行くのは危険だ。
「そういえば、お名前を伺っておりませんでしたね」
 沙雪華に話しかけられて、少年はぱちぱちと瞬きをした。
「‥‥え?」
「あなたの、お名前ですわ。何とお呼びすればよいのでしょう?」
 艶やかな黒髪を耳にかけて首を傾げる沙雪華に、少年は「名前」と繰り返す。自分の名を問うているのだと思い至ったのは、それからしばらくしての事。雪の精霊の隣で緊張しているらしい彼の表情がゆっくりと変化していく様を、沙雪華は微笑ましく見守った。
「あ! 僕の名前? ‥‥そういえば、名前を聞かれたのは初めてだっけ」
「のようですわね」
 にこにこ。
 笑いかける沙雪華に、少年はゆっくりと己の名を告げた。
「僕はベンだよ」
「ベン、か。‥‥では、ベン、お前はここに残る事」
 少年を見下ろして、琢磨が宣告する。突然の話に、ベンと名乗った少年は驚いて目を見開いた。
「言っている意味はわかるな?」
「な‥‥んで‥‥」
 呆然とするベンの肩を、アークが叩く。その手を払い除けると、ベンは琢磨に詰め寄った。
「なんでだよ! なんで、僕が残らなくちゃいけないんだよ!」
「はっきり言って欲しいのか? それでもと言うのならば、柱に括り付けて、雪の精霊に見張らせるぞ」
 少年以外の、その場の誰もが分かっていた。雪山に現れたモノの正体が何であれ、連れて行けば少年の身にも危険が及ぶ。だが、雪山では最も心強い協力者である雪の精霊を残すとまで言った琢磨の心は少年には通じなかったようだ。
「僕は依頼人だぞ! 依頼人の望みなんだから、冒険者は叶えなくちゃいけないだろ!」
 ぺち。
 ベンの頭で軽い音がした。
 それまで黙って佇んでいたデュクス・ディエクエス(ea4823)が、ベンの頭を叩いたのだ。
「なにするんだよ!」
「‥‥あれ」
 デュクスが指し示した先へと何気なく顔を向けて、ベンは小さく声を漏らした。
 戸口に一番近い冷えた場所で、言葉を発する事が出来ず、止める術も持たない雪の精霊がおろおろと狼狽えている。その姿に、ベンは抗議の言葉も忘れて立ち尽くす。
「な、ウチらには雪だるまさんが協力してくれはるから安心してええよ」
 優しい凪の囁きに、ベンは雪の精霊と冒険者達の姿を交互に見た。
 そして、今にも泣き出しそうな膨れっ面で渋々と頷いたのだった。

●遭遇
 少年が見た化け物が、夜に活動する可能性は高い。
 そう踏んで、彼らは夜の訪れと同時に活動を開始した。
 琢磨とアーク、沙雪華、そしてデュクスの班とクァイ、ガブリエル、シータ、凪の二手に分かれて、彼らは少年がおぞましい光景を目撃した場所を目指す。視界は雪に閉ざされ、耳に聞こえるのは吹き付けて来る風の音ばかり。一般人よりも優れた視力、聴覚を持っていても、この雪の中では役に立たない。目隠しで山を歩いているのにも等しい状況で、彼らを先導するのは雪だるま達だ。
 寒さに手足の感覚も麻痺し、別班の位置どころか自分の立つ位置も分からなくなって来た時、琢磨は雪の中に何かが蠢くのを見つけて足を止めた。
「なんだ?」
 彼らから少し離れた場所で、確かに黒い影が動いている。
 冬眠し損ねた熊だろうか。
 それにしては、体が小さいように感じる。
 吹き付ける雪風を手で防ぎながら、琢磨は目を凝らした。
「女!? まさか!」
 確かに女だ。
 それも、まだ年若い。
「雪の精霊‥‥じゃない」
 雪だるまの上から呟くデュクスの声が緊張を孕んだ。
 この凍えそうな極寒の雪山の中、薄着で出歩く女が普通の人間であるはずがない。ゆらゆらと揺れながら歩いている女の様子を観察しながら、琢磨は別班への合図を出すべく背後を振り返る。だが。
「くっ」
 この吹雪では笛の音も聞こえまい。
 彼らの気配を感じたのか、女がぴたりと歩みを止める。ゆっくりと振り返ったその瞳は、不気味に赤く光っていた。
「来るっ!」
 鋭く警告を発したアークが、ぱんと手を合わせる。意識を集中させ、祈りの言葉にも似た呪を唱える。
 放たれたホーリーが、雪に足を取られ、動きが鈍くなっている仲間に迫る女を弾き飛ばした。致命傷とまではいかないが、それなりにダメージを与えたようである。
 しかし、女は人と思えぬ動きで跳ね起き、再び彼らへと襲い掛かって来た。
 雪が視界を遮る中、琢磨は確かに見た。
 女の赤く光る瞳と、口元から覗く鋭い牙を。
「デュクスさん! 雪だるまならば、この雪の中でも行動に支障はないでしょう! 他の皆さんへの連絡をお願いします!」
 アークの叫びに、こくりと頷いたデュクスが雪だるまと向かい合う。彼の指先と、雪だるまに刺さった枝がそっと近づく。
「おーい、おーーーーい?」
 何をしているんですかー?
 アークの困惑を余所に、雪だるまはくるりと向きを変えた。
 その背に飛び乗ると、デュクスは仲間の姿を求めて雪だるまを走らせた。

●悲しい命
「あのね、ずっと気になっている事があるなの〜!」
 口を開けば、雪が入って来る。
 ガブリエルはそれに構わず、怒鳴るように声を張り上げた。そうしないと、隣を歩くクァイの耳にも声は届かない。
「何がですかー?」
 尋ね返すクァイも大声だ。
「ちょっと前にぃ〜、赤ちゃんの連続誘拐が起きたのなの〜!」
「聞いた事があります! 確か、ポーツマスの周辺だったんですよねーっ!?」
 本人達は、至って真面目に会話を交わしているのだが、何故だろう。妙に笑えてしまうのは。
「こんな吹雪やと、歩くのが精一杯やわぁ。それに、この吹雪やと、化け物の跡も消えてしまいそうやなぁ」
「ホントだね!」
 と、こちらも大声で語らう凪とシータに吹き付ける雪風が弱まった。雪だるまが彼女達の前に立ち、風除け代わりとなっていたのだ。
「雪だるまさん‥‥」
 じんと感動する凪をちらりと振り返り、雪だるまが笑んだ‥‥ように見えた。極寒の雪の中の妄想かもしれないが。
「でも、これでちょっとお話しやすくなったなの〜」
「本当に。贅沢を言うと、暖かい飲み物とか食べ物があればいいんだけど」
 激しい雪風から逃れ、クァイとガブリエルが頭や服についた雪を払いながら息をついた。
「それで、さっきのお話の続きなの。ポーツマスの近くで、赤ちゃんがいなくなる事件が起きていたのなの。でも、まだ解決していないなの」
「あ、ソレ、ボクも聞いた事がある。犯人を見つけられなかったって。‥‥で、赤ちゃんと一緒にいなくなった女の人がいるんだよね?」
 シータの言葉に、ガブリエルが大きく頷く。
「確か、ケイトって言ったっけ。‥‥もしも、だよ? もし、この辺りで起きている赤ちゃん誘拐事件が、ポーツマスの事件に関係しているなら‥‥その化け物って」
 シータの体が震える。寒さからではない。考えを巡らせるうちに、恐ろしい可能性に行き当たったからだ。
「でも、まだそうと決まったわけやないし。今は、化け物を‥‥」
 ふいに、凪が黙り込んだ。
 弾かれたように顔を上げ、周囲を見回す凪に、シータが首を傾げる。
「ねぇ、凪? どうかしたの」
「し、静かに。今、何か声が聞こえたんや」
 その一言に、彼女達は息を詰めて耳を澄ませる。確かに、風の音に混じって聞こえて来る音がある。それは、何かの鳴き声に似ていた。
「‥‥赤ん坊の、泣き声?」
 顔を見合わせて、シータとガブリエルが雪だるまの影から飛び出した。
 風の吹いてくる方角、声が流れてくる方向、雪で視界が悪い中、音の出所を求めて必死に感覚を研ぎ澄ます。
「あっ!」
 バイブレーションセンサーで周囲を探っていたガブリエルが小さく声を上げて、凍り付いた木の根本に駆け寄った。半ば雪に埋もれた塊を抱き上げて、集まって来る仲間達を振り返る。
「赤ちゃんなの! 生きてたのなの!」
「この寒さの中、よう生きてたね」
「1人でも無事でよかったよ!」
 顔を輝かせ、雪を掻き分けてガブリエルの元へと急ぐ仲間達。彼女らに続こうとしたクァイは、感じた違和感に動きを止めた。その違和感は、ガブリエルの腕の中で手足を動かす赤ん坊の姿に確信へと変わる。
「皆、その子から離れて!」
 ホーリーボウを構え、寒さで悴む手で弓をつがえたクァイに、ガブリエル達の表情も強張った。
「どないしたん? クァイさ‥‥ガブリエルさん!」
 咄嗟に、凪は手を伸ばした。
 ガブリエルの手の中でむずかる赤ん坊が落ちていく。
「凪さん! 何をするのな‥‥」
 抗議の声を上げかけたガブリエルが硬直した。
 柔らかい雪の中から伸びる小さな手。
 甘えるように泣く声が彼女達を呼んでいた。
「この子‥‥!」
 ぎゅうと眉を寄せ、シータは赤く光る目と尖った牙を持つ赤ん坊の上へとファントムソードを振り下ろした。

●雪中の死闘
「大丈夫ですか!?」
 女の攻撃は、予想以上に早かった。
 左手のロングソードで女の攻撃を受けたものの、足場の悪さが禍して全てを流し切れず、琢磨は雪の中へ倒れ込んだ。そこへ再び襲い掛かる女。アークの援護を受けて、沙雪華が琢磨の前に出る。
「すまん」
 足場の悪さも吹雪も、全てが彼らに不利に働いている。
 体勢を立て直しながら、琢磨は周囲を見渡した。
 雪だるま達が壁になってはいるが、所詮はその程度だ。だが、ここで退くわけにはいかない。
 シルバークルスダガーを構えた沙雪華も、ホーリーで援護を続けているアークにも疲れが見えている。勿論、琢磨自身も常以上に疲労が激しい。
「ここで仕留めなくては! このままでは、これからも赤ん坊が攫われる事件が発生し続けます!」
「分かっている」
 アークの言葉に大きく頷いて、琢磨は雪を蹴った。
 跳躍の勢いを借りて振り下ろすのは、右手に持ったシルバーナイフだ。
「ちっ」
 だが、女も簡単にやられてくれはしない。
 足場が定まらない琢磨の攻撃をかわすと鋭い牙を剥いて、襲い掛かって来る。
 そこへ、どすんと地響きを立て、雪だるまが琢磨と女の間に落ちて来た。その背に乗っているのは、デュクスだ。
「‥‥間に‥‥合った?」
「何とかな」
 口元に笑みを浮かべると、琢磨はナイフを構え直す。
 突如として増えた敵に、女は威嚇しつつ距離を取った。
「これだけ悪さをしてくれたんだし、もう十分でしょ? 化け物は化け物らしく、相応の形で倒されなさい!」
 雪だるまから飛び降りたクァイの啖呵に、女は吠えた。言葉は辛うじて分かっているようだ。
「ケイト! あなたはケイトでしょ!?」
 シータの声に振り返る女。
 女の気が逸れたこの隙を逃すわけにはいかない。
「デュクス、雪だるま達を退避させろ! 沙雪華!」
「はい!」
 雪だるま達が散ったのを確認して、沙雪華は印を結んだ。
 彼女の手から迸った炎で、僅かばかりの足場が現れた。
「ここで終わらせてやる」
 ナイフの握りを変え、琢磨は女に体ごとぶつかった。
 恨みの籠もった絶叫が辺りに響き渡る。そこへ打ち込まれたホーリーがトドメをさす。
 そして、女は動かなくなった。
「‥‥これで、彼女は人に戻れたのでしょうか」
 女の亡骸を見下ろして、アークが呟いた。
 哀れな最期を遂げた女の魂が安らかであるようにと、聖なる母の慈悲を祈る。
「この人、ケイト‥‥なのかな」
 辛うじて、服であった事が分かる襤褸布を真剣な表情で調べて、シータはガブリエルを見上げた。
「分からないなの。ケイトに会った事はないなの。でも‥‥これ、夏の服‥‥なの」
 ポーツマスの小さな村で起きた惨劇は、夏の頃の話だ。
「この人をバンパイアにした悪い奴が、まだどこかにおるんやろか‥‥」
 静かに手を合わせていた凪がぽつりと漏らした言葉が、その場の全ての者達の心に重くのし掛かった。