●リプレイ本文
●郷愁の応用
地獄門。
それは、人の世と地獄との境界だ。
かつてはケルベロスという強大なデビルに守られていたが、冒険者の手によってケルベロスが沈黙した後は地獄へと出入り出来る唯一の場所だ。
門を潜れば、荒涼たる大地が広がる。
重たく雲が垂れ込めた空からは太陽が差し込む事がなく、腐臭と怨嗟の呻きとが響く闇の世界ーー。
「ま、そんなに急ぐこたぁ無えだろ? 俺らと一緒に飯でも食おうや」
大人の膝丈ほどの丸い机の上に並べられているのは、溶き卵を焼きながら巻いたもの、開いて干した魚を焼いたものなど様々な料理だ。
「これはジャパンの正式な朝飯だ! 一遍、食べといて損はないぜ?」
そんな事を言われると、ついついその気になってしまう人の心の脆弱さよ。
ああ、闇の世界ーー。
「‥‥日高」
地獄門の真ん前で繰り広げられるのほほんとした光景に絶句した尾上彬(eb8664)に、日高瑞雲(eb5295)はしゅたっと手を挙げた。
「よぉ、尾上。あんたもどうだ? ジャパンの伝統的‥‥」
「‥‥っ! っっ!!」
彬は、意志の力で右手を押さえ込んだ。サンクト・スラッグで後頭部にツッコミを入れたりしたら、デビルでなくとも大打撃を受ける。仮にも仲間に対して、そんな事は出来ない。
「あ、あんたなぁ‥‥」
「ん? どうした?」
にまにまと人の悪い笑みを浮かべた瑞雲の手には石の中の蝶。はたはたと羽根を羽ばたかせる蝶に、彬は瑞雲の真意を悟った。
しかし、真実を知ったとて、生まれた憤りがあっさりと鎮まってくれるはずもなく。
彬は握り締めた拳をふるふると震わせた。
「まー、食いねぇ食いねぇ!」
ばんばんと肩を叩く瑞雲に頬を引き攣らせつつ、彬は勧められるがままに卓袱台の前に座る。
「く、食い物の中には毒が仕込まれている可能性もあるぞ」
途端に、ぴたりと止まる箸。
「あー、まぁ、そんときゃそんときって事で」
おいおい。
一斉に入るツッコミに、瑞雲はからからと笑った。
「よく言うじゃねぇか。毒を食らわば皿までってな。毒入りでも何でも、食える時に皿まで食っとけって言う、ありがたいジャパンの格言だぜ」
「誤ったジャパンの情報を流さないで頂けますか」
ぽん、と両の肩に置かれた手に力が籠もる。
いつの間にか、にこにこと笑う陰守清十郎(eb7708)が瑞雲の背後に立っていた。だが、その目は笑ってはいない。
「いたいいたい」
大騒ぎの瑞雲をぎりぎりと締め上げて、清十郎は微笑みながら呪を唱える。誰もが次に訪れる衝撃を覚悟し、瑞雲の無事を祈って目を閉じた。その時。
「一丁あがり‥‥という所だな」
卓袱台の上に突っ伏した隣の男を手早く縛り上げて、彬が肩を竦める。毒の有無を気にも留めない、教えられるがままに皿を舐り上げていた男は、とりあえずデビル当確という事で仲間の所へ連行だ。
「清十郎、マジで痛いって!」
「コレ1匹の為に手が込み過ぎですよ」
スリープで男を眠らせた清十郎がやれやれと息を付く。それに対して、頭の後ろで手を組んだ瑞雲は上機嫌で答えた。
「いいだろう? デビルを捕まえて上手いメシが食えて、一石二鳥だ」
清十郎と目を合わせて、彬も溜息をつく。
中で気を張っている仲間にちょっと申し訳ない。
‥‥なんて思うのは「勿体ないし」の一言に釣られ、再び卓袱台の前に座ってしまったからだ。
「まあ、久しぶりだしな。ジャパン風の朝飯は‥‥」
呟いた彬に、清十郎も曖昧に頷いてみせた。
故郷の味の誘惑は断ちがたいもの。両手を合わせて感謝しつつ、彼らは箸を取った。
「‥‥」
その頃、救護所付近ではデビルの潜入を警戒していたミラ・ダイモス(eb2064)が、感じ取った気配に戸惑いながら周囲へと視線を巡らせていた。
「どうかしたのですか?」
尋ねる桜葉紫苑(eb2282)に、首の後ろを撫でながらミラは緩く頭を振る。
「いえ。ただ、なんとなく‥‥」
一体何だったのだろうか。不意に感じた、あの焦りにも憤りにも似た感覚は。
同じジャパン語を会話言語とする仲間達が地獄門であったかご飯にありついているなどと、ミラは想像すらしていなかったが、女の勘は鋭いもの。勘、と言うよりも勘ーー6つめの感覚ーーを越えた超感覚の域に達していたのかもしれない。
「それよりも、桜葉さん。先ほど運ばれて来た怪我人の中に怪しい者はいませんでした」
「そうみたいですね。皆さん、普通に怪我人でした」
聖別された釘で確認するまでもなく、前線で傷ついた仲間達だ。怪我人に紛れて数匹のデビルが潜入するという事が既に何件か起きている。前線で疲れ切った仲間を警戒するのは心が痛むが、それで警備を甘くし、デビルに付け込まれるのわけにはいかない。
「ここにいたのか」
ゼルス・ウィンディ(ea1661)を伴った天城烈閃(ea0629)が、2人を見つけて歩み寄る。
「お疲れ様です」
警戒を続けている2人の顔にも、幾分疲れが見えた。
「やはりデビルの動きが散発的すぎるようだ。こちらを軽んじているのでなければ、何かから目を背けたがっているようにも思える」
「デビルが心理戦を持ちかけているとか?」
掛けられた声の主は、アケロンに出ていたセシリア・ティレット(eb4721)だ。
「私がデビルなら、水面下でじっと待ってどこにもデビルがどこにもいないように見せてイライラさせ、一気に強襲しますが‥‥」
「そうだな。踊らされている気もするし、これもデビルの手のうちかもしれん」
「そして、考えはそこに戻って来るんですよね。何が目的なのか‥‥と」
同時に溜息をついた烈閃とゼルスは、どうやらそこで煮詰まっているようだ。それを感じ取って、セシリアは慌てて話題を変えた。
「あ、そういえば! 門の所でジャパンの伝統的朝ご飯を頂きましたよ! フランク出身の私もなんだか懐かしくなるようなお料理でした」
え?
集まる視線に、何かおかしな事を言っただろうかと、セシリアは首を傾げたのだったーー。
●強襲
「斬っても斬っても後から湧いて出て来るぞ!」
槍を奮うカイ・ローン(ea3054)にも疲れが見えていた。彼の周囲に煙幕を張って、一時的に視界を遮ると、ジークリンデ・ケリン(eb3225)はシェリル・オレアリス(eb4803)に治療を頼み、目に留まるデビルを片っ端から石化する。
「いつまでもつか」
「そっ!」
冷静に状況を分析するカジャ・ハイダル(ec0131)に、カイが激昂しかけて、気持ちを押さえ込む。それすらもデビルの狙いのような気がする。疑心、とはこのような気持ちの事を言うのだろうか。
「囲んでいるやつらは雑魚ばかりだが、これだけの数になったら、手間が掛かるな」
カジャの言葉に、ジークリンデも眉を寄せてシェリルを見つめた。
今、救護所の中に戦える者が何人いるのか。
シェリルの手によるホーリーフィールドは、1時間はもつだろう。その間に、仲間達が戻って来れば救護所は救われる。だが、敵に援軍が来たらーー。
「今は余計な事を考えている時ではありませんね。持てる全ての力を尽くして、ここを守り抜きましょう」
●デビルの動き
何かを企んでいるデビルがいるらしい。
ディーテ城砦を攻める冒険者達の前に立ちはだかるのは、地獄の闘将と呼ばれるモレクだ。ゲヘナの丘で怪しげな儀式を執り行っているらしいが、何度か目撃されたモレクの情報から考えて、冒険者の元で潜入工作などというまどろっこしい作戦は好むまい。
モレクではないデビルが動いている。
その姿形も、能力も分からない。分かっているのはオレイという名だけだ。
「油断はできない‥‥ね」
呟いたアシュレー・ウォルサム(ea0244)に、シルヴィア・クロスロード(eb3671)も頷きを返した。
シルヴィアが危惧するのは、疑心にかられた仲間達の間で諍いが起きる事だ。諍いで済めばいい。だが、下手をすると同士討ちになる可能性がある。
「負傷者や、アケロンを渡り、現世と地獄を行き来する方々を疑うのは心苦しいですし、いらぬ猜疑心を育ててしまうのではないかと心配です」
辛そうに目を伏せたシルヴィアに、アシュレーも苦く笑う。
「けれど、それしか方法がないのが現状だよ」
近くのデビルを感知する石の中の蝶を始めとして、様々な探査アイテムは便利だが万能ではない。
近くにいるデビルが、どこに、どうやって潜んでいるのかまではっきりさせるには、更に色んな方法を用いて対象を絞り込むしかないのだ。前線、現世と行き来が多いこの後方にあって、その全ての人を確認するのは大変だ。
確認をする者達に負担が掛かり過ぎるし、疑われる者達も堪ったものではない。
「だが、敵も我々が警戒してい事を分かっているはずだ」
唐突に会話に加わった森里霧子(ea2889)に、アシュレーとシルヴィアが息を呑む。霧子は忍びで、気配を悟らせる事なく動いているのだと分かってはいるのだが、ちょっと心臓に悪い。
「そ、そうだね」
「トラップの発動する数が多過ぎる気がする。馬鹿なデビルが多いのか、わざと罠に掛かっているのか‥‥。ん? どうかしたのだろうか、アシュレー殿」
どきどきと早鐘を打つ心臓を押さえたアシュレーの手を取って、霧子は眉を寄せた。
「脈が速い。‥‥色々とお疲れなのでは?」
「い、いや、そういうわけでは」
あははと笑って誤魔化したアシュレーに首を傾げ、霧子は淡々と報告を続ける。
「エレイン殿の話によると、トラップに掛かるデビルはおつむが獣以下のものが多いらしい。捨て駒という可能性もある」
霧子の話を引き取ったのは、彼女と共に行動をしているエレイン・ラ・ファイエット(eb5299)だ。
「もちろん、中には猿程度の知能のものもいる。けれど、大概は獣並み。雑魚ばかりだ。頭の良い奴が、我々を混乱させる為に使い捨てのデビルを突撃させている‥‥という事は十分に考えられる」
「悪魔は狡猾ですからねぇ。警戒しすぎるという事は無いですぅ」
それまで黙って話を聞いていたエリンティア・フューゲル(ea3868)が、ぽつりと呟く。救護所から地獄門にかけて、何度も往復するうちに改めて感じさせられた事だ。人に擬態し、人に取り憑いて、もしくは人を虜にして、デビルはあらゆる手段を使って冒険者の中に紛れ込もうとしている。それは、人の心に付け入り、冒険者達に混乱を招き、内部崩壊を目論んでいるのではないか‥‥と思っていた。
だが、本当にそれだけだろうか?
エリンは顎先に手を当てて考え込む。
救護所や後方を狙ったオレイというデビルは、何の為に動いているのだろうか。
モレクのため?
ゲヘナの丘で儀式を行うため?
冒険者を翻弄して楽しんでいるのか?
ーそんな、頭が猿程度のデビルじゃないと思うんですがぁ‥‥。
やはり情報が少なすぎる。
ぱたん、と力尽きたエリンに、周囲の仲間達が慌てふためく。そこへーー
「大変なんだってばぁ!」
飛び込んで来たのはパラーリア・ゲラー(eb2257)。
ちろと名付けられた巨大なロック鳥で定期的に門から救護所までを偵察している彼女が息せきって知らせに来たのは、救護所と地獄門にデビルの大群が現れたという報であった。
●刺客
一通りの巡回を終えて、アンドリー・フィルス(ec0129)はこめかみに指をあて、そこをゆっくりと揉みほぐした。
皆で交互に休息を取ってはいるが、四六時中、気を張っている状態ではゆっくりと安らぐ事など出来はしない。それは、仲間達も同じだろう。
「疲れているようだが、大丈夫か?」
ふと掛けられた声に顔を上げる。
覗き込んで来る者に見覚えはない。だが、地獄で戦う仲間達は、国も、世界さえも違う者達が多い。その1人1人までいちいち顔を覚えているはずがない。
「ああ、問題はない」
「そうか。それならばいい」
笑んだ男に笑い返す。
深い色合いの外套を身につけ、背負った矢筒には血のように赤い矢羽根が覗く。
ー弓使いか
視線を上げかけて、アンドリーは全身が総毛立つのを感じた。
本能が告げる警告。
「どうかしたか?」
こちらを見る男の顔には笑み。
注意深く、アンドリーはテンペストの柄へと手を伸ばした。
「貴殿、名は?」
「名?」
アンドリーが警戒している事は分かっているだろう。なのに、男はわざとらしい程に緩慢な動作で肩を竦めて見せた。
「名など知る必要があるのか?」
「名が無くば不便だろう?」
視界の隅に、こちらへ懸命に駆けて来るクリステル・シャルダン(eb3862)とミシェル・コクトー(ec4318)の姿が映る。何かを伝えようとしている彼女達に、直感が確信へと変わる。
「貴様らに教えても仕方がない。どうせ、貴様らはこの地で朽ちる事になるのだからな」
テンペストの鞘を払うと同時に斬りかかる。するりと刃を躱した男に、アンドリーは叫んだ。
「ミシェル!!」
反射的に、ミシェルは剣に掛けていた手をクリステルへと伸ばした。その小さな体を引き寄せ、抱え込んで飛び退る。一瞬の間に間合いを詰めた男が、バランスを崩したミシェルの体をふわりと抱き留めた。
「危ないですよ。お気をつけて」
手を取られ、指先に口づけられて、ミシェルの背に冷たいものが走る。
「離しなさい! 無礼者!」
払い除けようとしたミシェルの動きをやんわりと封じて小さく笑うと、男はミシェルの上着を握り締めて表情を強張らせるクリステルへと視線を向けた。
「気丈なお嬢さん方、抗っても無駄だという事をお判りですか?」
クリステルの頬を冷たい指が撫でる。その感触に、クリステルは身を震わせた。
「クリステルに触らないで!」
庇うように抱き寄せたミシェルに、男の口元が綻ぶ。
「2人を離せっ!」
アンドリーの剣が威嚇するように男に突きつけられる。攻撃出来ないのは、男の腕の中に2人が捕らわれているせいだ。
「私に関わっている暇は無いと思うが?」
「なにっ!?」
途端に、救護所から上がった悲鳴に、アンドリーは息を呑んだ。少し遅れて地獄門からも鈍い音が聞こえて来る。
「大変なのじゃ〜っ!! たいへ‥‥わあああっ!?」
危急を知らせる鳳令明(eb3759)が、男の腕に囚われたミシェルとクリステルに驚いて跳ね上がった。男に剣先を突きつけたまま、アンドリーは令明に問う。
「何だ!? 何が起きた!?」
「ここも何が起きているのじゃ!? ‥‥って、大変なのじゃ! 地獄門にデビルの大群が攻めて来たのじゃ!」
絶句した冒険者達に、男は楽しげに喉を鳴らす。
「地獄門だけではない。忘れたわけではあるまい? ここは地獄。周囲はすべて我らの領土だ。あのような陣を張っただけで、地獄を占拠したつもりでいたのか?」
嘲る言葉に真っ先に反応したのは令明だった。
「にゃにおう〜っ!? おりは、おりらはデビルなんかに負けはしないのじゃっ! 地獄だって、どこだって、おりらは!」
力強く羽ばたいて、令明は勢いよく男の懐へと飛び込んでいく。その動きを予測していたのか、男はぺしと令明の体を軽く弾いた。僅かに生まれたその隙に、ミシェルが腕を振り上げた。男の頬を剣先が掠めたのを目の端に捉えながら、クリステルの手を掴んで力一杯引き寄せる。
そのまま地面に倒れ込むと、緩い斜面を転がった。
「ミシェル! クリステル!」
名を呼ぶ声と、守るように立つ仲間の背。
安堵のあまり崩れそうになったミシェルを、伏見鎮葉(ec5421)がしっかりと抱き留めた。
「地獄門‥‥っ!」
「うん。分かってる。というか、地獄門だけじゃないんだけどね」
苦味を帯びた鎮葉の言葉を、槍を構えたキュアン・ウィンデル(eb7017)が補う。
「救護所もデビルに襲われているのだ。どのような状態になっているのか、まだ分からない」
絶句した2人に、鎮葉が困ったように眉を寄せて空を仰いだ。
「多分、大丈夫だと思うんだけどねぇ。寄せ集め騎士と違って、心構えはあるわけだし」
人の弱い部分に付け込まれないよう、鎮葉は出来る限り仲間達の間を回った。人は弱い。不安や、苛立ち、ほんの少しの負の感情にデビルは忍び込んで来るのだ。けれど、仲間同士の絆が深ければデビルの思う通りになりはしない。
そう思っての事だ。
「‥‥ほお? あの場にいた者か?」
引っ掛かる言い方だ。鎮葉は顔を上げた。
「アンタ、なに? どちらさま?」
「人の心は脆い。それは冒険者とて同じ事だ」
答えになってないって。
呆れた、と首を振って見せる鎮葉に、男は口元を笑みの形に歪めた。嘲笑に反応したのは、鎮葉ではなくキュアンだった。空気を巻き込んで振り下ろされた槍が、男の外套を切り裂き、地面へと叩きつけられる。
「仲間を侮辱する事は許さない」
威嚇ではなかった。だが、間一髪のところで男はキュアンの一撃を躱したのだ。笑みを浮かべたままで。くっと唇を噛み締めるキュアンの肩を叩き、鎮葉は彼の前へと出た。
「ねぇ、さっきから何? もって回った言い方ばかりして。言いたい事があるならはっきり言えばいいじゃない」
静かに、慎重に足の位置を変える。窺い見た仲間達も、それぞれの得物を手に息を詰めている。
男を逃がすつもりなど、ない。
「もういい加減にして? 私達はあんたのお遊びに付き合っていられる程暇じゃないのよね」
鎮葉が一歩下がったのが合図だった。
完了したクリステルの詠唱に、男の動きが止まる。
アンドリー、キュアン、ミッシェルが、一斉に大地を蹴った。だが、突然に湧き出して来たデビルの大群に阻まれ、その刃は男に届く事はなかった。
「私を呪縛するとは、たいしたお嬢さんだ。仕方がない。‥‥今回は、これで退いてやろう」
だが‥‥。
はっと振り仰げば、冷たい目で見下ろす男の姿があった。
威嚇するデビルの叫びに紛れた言葉が、冒険者達の胸に重く冷たく降り積もっていく。
ーお前達は私の手の内。我が主に捧ぐ贄。決して逃れる事は出来ぬと知れーーー‥‥
●門の外
きゃあ、と小さな声が届く。
どんな時でも聞き間違えたりしない。何をおいても大切な人の声だ。
「ラヴィ!」
押し寄せて来るデビルの群れと、それに応戦する仲間達との乱戦が始まっている。木材で狭めた門は特に混乱が激しい。仲間もデビルも関係なく掻き分けて、ジルベール・ダリエ(ec5609)はラヴィサフィア・フォルミナム(ec5629)の姿を探した。
つい先ほどまで門でホーリーフィールドを展開していたはずだ。だが、今はホーリーフィールドも消えてしまっている。
「ラヴィ! どこや!?」
「ジルベールさん!」
まとめてデビルを斬り捨てて、アクア・ミストレイ(ec3682)はラヴィを探すジルベールの肩を掴んだ。デビルが姿を現した時、ラヴィの一番近くにいたのは自分だ。ホーリーフィールドを張りながら、ちょこんと座って過ぎて行く人々を眺めていた彼女に、お疲れ様と声を掛けた。
冒険者とデビルとが入り乱れる乱戦が始まってすぐにはぐれてしまったが、彼女はまだ門の側にいるはずだ。
「多分、ラヴィさんは門です!」
「分かった! ありがとな!」
ジルベールの後ろ姿に襲い掛かろうとするデビルの爪を剣で受け止める。
「疑心暗鬼になって混乱して、傷つけ合って、人はとても弱いのかもしれない。でも、人は人を信じる事が出来る。誰かを大切に思う事が出来る。お前達とは違うんだ!」
戦いの騒音に消されそうなその叫びは、けれども確かに仲間達の心へと届いた。
クルスダガーを掲げて、アン・シュヴァリエ(ec0205)はデビル達に鋭い眼差しを向けた。こんな混戦状態では魔法を使えば仲間を巻き込みかねない。仲間の疑心を招く行動に躊躇していたアンも、アクアの叫びに決意した。
「アクアの言う通りだよ! 大いなる希望の光、アン・シュヴァリエ! 私の裁き、貴方達も味わってみる!?」
アンの放った黒い光がデビル達をなぎ倒していく。どんなにデビルの近くにいても、仲間が巻き込まれる事はなかった。彼らの揺るぎない心は、大いなる父にも認めれたようだ。
「アンさん、中の様子はご存じですか?」
それでもなお追い縋るデビルを切り倒して、アクアは背中合わせとなったアンに尋ねた。アンはステラ・デュナミス(eb2099)と共に門の内側から救護所までの間を守っていたはずだ。
「デビルは内側からも襲って来たんだよ! ステラさんと一緒に応戦したんだけど、私はここまで流されたんだ」
はぐれたステラの事が気掛かりなのだろう。
頻りに周囲に視線を向けているアンに、アクアは頷いた。
「分かりました。私も中の事が気になります。ここは2人で力を合わせて突破しましょう」
了承を示したアンに笑いかけて、アクアは剣の柄をぎゅっと握り直した。
アンが案じるステラは、地獄門の内側で同様にデビルと冒険者の混戦に巻き込まれていた。門を過ぎる者達がホーリーフィールドを通り抜けられた「仲間」であっても、地獄の内側から襲って来るデビルと入り交じっては判別も出来なくなる。
「お前、今、俺に斬りかかっただろう!?」
「そんなわけないだろうっ!」
あちこちで疑心が芽生え、混乱に拍車をかけるように人に紛れ込んだデビルが冒険者を襲う。
「こんな所で仲間割れをしている場合ではないのに!」
歯がみしたくなる。
ステラは声を張り上げた。
「皆、何を守りたくて戦っているかを思い出して!」
周囲にいた者達の動きが、一瞬、止まる。それが何を意味するものなのかーー。
「守りたいものを持っている仲間同士で傷つけ合うのはやめて! 同士討ちなんて、デビルの思う壷よ!」
ステラに呼応するように、冒険者達から声があがった。
●門の内
「人同士で争うのは止めなさい! デビルの姦計に踊らされて‥‥。だらしがありませんわよ!」
リリー・ストーム(ea9927)の一喝に、争い合っていた者達の間に僅かな隙が生まれる。その一瞬を見逃したりはしない。妻であるリリーと視線を合わせ、頷き合って、セイル・ファースト(eb8642)は1人の冒険者に向かって剣を振り下ろした。
動揺が走ったのは、その次の瞬間。
苦鳴を上げた男の姿が、みるみるうちに醜いデビルへと変わっていったのだ。
霊剣の一撃に、人の姿を保っていられなくなるほどダメージを受けたのだろう。
隣にいた仲間がデビルへと変わった衝撃は、他の冒険者達を混乱させた。今、自分の隣にいる仲間も、背を預けている仲間も、本当はデビルなのかもしれない。そんな疑念に囚われそうになる冒険者達を、リリーが鼓舞する。
「「人同士」で争ってはならないと申しました! デビルか否かを見分けるのは、簡単な事でしょう? さあ、皆さん、敵を打ち払いましょう!」
その呼びかけに真っ先に反応したのは、1人の男だ。
奇声を上げて、リリーを貫こうと走り寄る。
「リリーさん!」
リリーの前へと飛び出したサクラ・フリューゲル(eb8317)が、純白の盾でその凶刃を防ぐと、鞘のままの刀を男の首筋に叩きつけた。崩れ落ちていく男の体を支えながら、サクラはその真っ直ぐな瞳を冒険者達に向ける。
「皆さん、どうかデビルに屈しないでください。仲間を信じられない、その事が既にデビルに敗れているのだと、気付いて下さい」
2人の戦乙女の言は、その場にいた冒険者達の心の奥深くへと静かに落ちていった。
「どうやら落ち着いたようだな」
槍に手を掛け、いつでも飛び出せるよう、全身に緊張を張り巡らせていたアヴァロン・アダマンタイト(eb8221)がゆっくりと力を抜く。
「デビルにはきっと理解出来ないでしょうね」
くすりと笑って、テレーズ・レオミュール(ec1529)が小さく舌を出す。
「最後は、通訳の必要がありませんでした」
地獄には様々な国の者達が集っている。言葉が分からない者達の為に通訳を買って出ていたテレーズだったが、彼女達の言葉は言語ではなく、心で通じたようだ。晴れ晴れとしたテレーズの表情に、アヴァロンも釣られて口元を緩める。
だが、戦いが終わったわけではない。
敵か味方か、それがはっきりしただけの事だ。
「アヴァロン・アダマンタイト、参る!」
槍を手に、デビルへと切り込んで行くアヴァロンに、テレーズも援護の呪を唱えた。
●信じてる
木材の陰に身を隠していたラヴィに、ジルベールは長く息を吐き出した。
安堵で足もとから力が抜けそうだ。
「ラヴィ」
ぴくりと震えた肩を抱き寄せて、ぎゅっと力を込める。冒険者として、いくつもの事件を見て来た彼女も、あの混乱の中で1人はぐれてしまっては心細い思いをした事だろう。
「ごめんな、ラヴィ。怖かったやろ」
「‥‥怖かったです‥‥」
上着を掴む手の強さに胸が痛む。
「‥‥でも、信じていました。きっと来て下さると‥‥」
うん、と頷いて、ジルベールは抱き締める腕の力を強くした。