【ステキな招待状】昼下がりの‥‥

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:フリーlv

難易度:普通

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月21日〜05月24日

リプレイ公開日:2009年05月30日

●オープニング

 王宮に出仕すると、当然、円卓の騎士としての仕事が多くなる。
 アーサー王の剣として、アーサー王の盾として万全の備えを整えるべく心を砕き、人生の先輩方の有り難い教えを受け、立ち入る者も限られた高貴な花園で、花よりも美しい方々の為に竪琴を奏で、時には散策に出るというご婦人の警護をする。
「‥‥‥‥‥‥」
 ぐったりと、トリスタン・トリストラムは王宮の柱に寄り掛かった。
 何故だろう。
 ここに来ると生気を吸い取られているような気がする。
 立ち入る事が出来ない若い貴族から羨ましがられるが、トリスタンからして見れば、野盗やモンスターの集団に囲まれている方がまだ気が楽だ。いやいや、いけない。騎士にとって、貴婦人は敬愛し、お護りすべき方々だ。このような不敬な事を考えるのは、やはり自分の心が弱くなっているからに違いない。
 腕に力を込めて柱から離れる。
 まだまだやらねばならぬ事が山積みだ。休んでいる暇などない。
 これからの予定を思い浮かべる。
 昼食の前に、ライオネルの情報を得る為に放っている部下達からの報告を受ける事になっている。時間通りに帰って来るか、また途中で伝言の内容が変わっていないかと心配は色々あるが、騎士達が派手に動き回るよりも目立たぬし、情報の入手経路も広がるので重宝している。
 報告の後、昼食まで時間があるのであれば、得た情報をサー・ケイや仲間達に知らせる事が出来るだろう。ただし、サー・ケイは自分達以上に忙しい身だ。面会出来るとは限らない。
「‥‥昼食前に城門でお待ちしていれば、会えるかもしれんな‥‥」
 だがしかし、その為には、すぐに脇道に逸れる部下達の報告を手早く正確に済ませる必要がある。
 そして、昼食は名前は忘れたが伯爵夫人のサロンに招かれている。新しく王妃様付きの騎士となった女性と縁が深い家柄だとかで、その女性騎士のお披露目を兼ねているらしい。
「トリス」
 昼食の後は、どこかの子爵だか男爵だかの娘が初めての舞踏会に出るというので、ダンスの練習相手を頼まれていたはずだ。その後は‥‥。
「おい、トリス!」
 軽く肩を叩かれて顔を上げれば、主によく似た色の髪を持つ少年が怪訝そうに彼を覗き込んでいた。
「柱に向かって何をぶつぶつ言っている? ちょっと危ない奴に見えたぞ」
「あ‥‥ああ、すまない。これからの予定を整理していただけだ」
 そうか、と赤い髪の少年、モードレッドはあっさりと納得してくれた。そればかりか「他の貴族のように予定管理をする従者を連れておけば、頭を悩ませる必要はない」とか「だが、それは好まないだろうから、小さい羊皮紙を束ねたものに書き留めておけばいい」などと、真剣にこちらの心配をしてくれる。
 こっちに来いと誘われて、中庭の一角に置かれたテーブルに座らされた。
 すぐに良い香りの茶が彼らの前に出される。
 少々甘やかされ気味(自分も甘やかしている自覚はある)だが、生来の素直さを失わず、他人を思い遣る心を忘れない。このまま成長すれば、おそらく優れた後継者となるだろう。イギリスも安泰だ。
 他人には分からぬ程僅かに表情を緩めたトリスタンに、何やら語り続けていた彼、モードレッドは1枚の招待状を手渡して得意げに胸を張り、宣言した。
「と言う訳でお前も参加しろ。これはキャメロットの甘味を統べる僕からの命令だ」
 内容を理解するまでに数秒を擁した。
 その前の話を聞き流していたのか、それとも彼がすっ飛ばしたのか。
 いや、それよりも、イギリスより先にキャメロットの甘味を統べていたのか。いつの間に。
 更に浮かんで来た疑問に、今度は別の不安がトリスタンの胸を占めた。
ー‥‥この招待状の装飾はモルの趣味か‥‥?
 やたらと可愛い、少女めいた招待状を何度も読み返す。文章もどことなく柔らかく、少女達の間で流行っているという愛らしい文字飾りまでついている。
ーまさか、キュアなんとかで変な事に目覚めてはいないだろうな?
 心配を押し隠し、違う事から尋ねてみる事にする。
「モル、何処にも茶会の日程が書かれていないのだが‥‥」
「あいつは冒険者だ。依頼の事もある故、確かな日程を断言できんのだろう。それ位は僕もわかっている」
 再び、トリスタンは返って来た内容を理解する為に考え込んだ。内容から数日前までの記憶を遡る事となり、トリスタンは完全に動きを止めた。
「どうした、トリス? さては僕に構ってもらえなくて寂しかったのか?」
「あらぬ誤解を招くような事は口にするな。誰かに聞かれでもしたら‥‥っ!?」
 考え込んだトリスをからかうように笑うモードレッドに、不意に恐怖の記憶が甦る。出来る事ならば、忘れてしまいたい恐ろしい書物の事を。慌ててモードレッドを制したその時に、項の辺りにちりっとした感覚が走った。咄嗟に振り返れば、繁みが不自然に揺れて、怪しげな笑い声と共に去って行く気配がある。
「覗き見か? 悪趣味な輩だな」
 それで済ます気か。予感と呼ぶのが憚られるほどはっきりとした未来が想像出来る。思わず額を押さえたトリスタンに、モードレッドは気にした様子もなく、話を元へと戻した。
「お前の言う様に茶会の日程は書かれていないが、招待状からは何があっても茶会を開くという確固たる意思が伝わってくる。そこで、だ」
 将来、大物になる片鱗が見えると喜ぶべきか、否か。
「そ、そうか? 私にはそこまで漲る意志は感じないのだが‥‥」
「お前には甘味愛が足りんっ! だから甘味の声が、叫びが聞こえて来ないんだ!!」
 甘味か。そうか、そっちだったか。
 少しばかり期待してしまった自分が虚しい。
 呆然としたトリスタンにも気付かず、モードレッドは熱く、熱く語った。
「仕方なくこの僕が屋敷を茶会の場として提供し、菓子を作らせてやる事にした! 日程も決めてやった! 冒険者ギルドに告知もしてきた! 仕方なくなっ!!」
 もう何も言うまい。
 溜息を吐き、トリスタンは招待状を再び手に取った。
「‥‥招待状を出してくれた冒険者に許可は?」
「取っていない。都合が悪くて来られなかった時は、また次の機会に手作り菓子を振舞わせてやればいいじゃないか」
 何も言うまい。何も‥‥。
 がくりと項垂れたトリスタンの目の前に、無造作に包みが差し出された。そこそこ大きい上に厚みもある。
「トリス、これはこの間の菓子の礼だ。遠慮なく受け取れ。キャメロットの最高の職人に作らせた」
 モードレッドを見れば、開けてみろと目で促す。その表情は、昔と変わらない。
「‥‥これを私に?」
「ああ、お前にはいつも世話になっているからな。早く開けてみろ」
 微笑みながら、トリスタンは包みを開く。
 それが目に入って来た瞬間、彼は包みを元に戻した。丁寧に丁寧に、封印するが如く丁寧に包み直す。
「どうだ、気に入ったか? 当日はこれをつけて僕に奉仕しろ」
「‥‥失礼する」
 見なかった事にして、彼は席を立った。
「おい、トリス、どこへ行く!? 茶会には来いよ? 来なかったら許さないからなーーっ!」
 モードレッドの叫びを背に、彼は早足で中庭を後にした。
 この後、部下の報告を受けて、サー・ケイと仲間達に報告をせねばならない。それから昼食会だ。
 頭を切り替えつつ、廊下を行く彼の手にはしっかりと招待状と包みとが握られていた。

●今回の参加者

 ea0018 オイル・ツァーン(26歳・♂・レンジャー・エルフ・ノルマン王国)
 ea1123 常葉 一花(34歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea8086 アリーン・アグラム(19歳・♀・ジプシー・シフール・エジプト)
 ea9669 エスリン・マッカレル(30歳・♀・ナイト・人間・イギリス王国)
 eb2064 ミラ・ダイモス(30歳・♀・ナイト・ジャイアント・ビザンチン帝国)
 eb7679 水上 銀(40歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 eb8491 姜 珠慧(33歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ec5845 ニノン・サジュマン(29歳・♀・クレリック・エルフ・ノルマン王国)

●リプレイ本文

●一日目
 快晴微風。
 絶好の散策日和だ。
 そのせいか、キャメロットの大通りから1本外れた通りも、かなりの人で賑わっている。
 とはいえ、その大半が年若い娘達で、一種独特な雰囲気が漂っていたりするのだが。
「ふぅん。ここが噂の乙女道かい」
 好奇心も顕わに、右に左にと並ぶ店の書物を1冊も見逃すまいと首を巡らせているのは水上銀(eb7679)だ。彼女の少し先を行くアリーン・アグラム(ea8086)は、意味深な笑いを浮かべて、通りの先を指差した。
「この辺りのも面白いんだけど、もっと先にねぇ‥‥」
 ここの存在を知って以来、何度か通ったのだろう。すっかり通になっている様子のアリーン。
 だが、そんな彼女の含み笑いにも、銀は躊躇したりしない。むしろ楽しげに彼女の後を追いかけている。
「表通りだと、ほら、何かの弾みでお城の関係者が通るかもしれないでしょ? だから、軽いものが中心なのよね」
 軽いって何が?
 ‥‥なんて事も尋ねたりなんかしない。次第に奥まって行く路地と、そこを行き交う者達や並ぶ店に、銀はなるほどと納得しつつアリーンの言葉に相槌を打つ。
「ニノン姉様のお土産になるものがあればいいんだけど」
 何の看板も掲げられていない、店と店の間にひっそりと存在する小さな扉。ちょっと見では建物と建物の間に扉だけが置かれているように見える。
 だが、ここが。
 ここが! 全ての元き‥‥発祥の地、ある特殊な若い女性達から「聖地」と呼ばれる場所である。
「こんにちは〜。そろそろ新刊が出るって聞いて来たんですけどぉ」
 扉を開けたアリーンが、慣れた様子で奥へと声を掛ける。その声に反応するように、奥へと続く仕切代わりに掛けられていた布が微かに動いた。
「あのぉ〜?」
「し‥‥新刊は‥‥」
 布の隙間から目だけが覗く。赤く充血した目が潤んでいるように見えたのは、優良視力の持ち主なればこそ。
「新刊は予定に間に合わなかったのにゃ‥‥」
 色々と凝り過ぎて、ふと気がつけば予定の日程を遙かに超えていたらしい。
「え〜っ? 折角、ニノン姉様へのお土産にしようと思ったのにぃ」
「も‥‥申し訳にゃいので、無料配布本を用意したのにゃ‥‥」
 布の隙間からこそっと差し出されたのは、羊皮紙を数枚束ねた、いつもよりも遙かに薄い小冊子。一番上の紙には、題名らしきものが記されてある。
『鬼畜執事のイケナイご奉仕』
「「‥‥‥‥」」
 しばし黙り込んだアリーンと銀の顔に、やがて、にんまりと笑みが浮かぶ。
「タイムリー‥‥って言うんだっけ? こっちの言葉じゃ」
 腐腐腐。
 無料配布だという本を有り難く受け取って、彼女達は小さな扉を再び潜り抜けた。

●二日目
 トリスタン・トリストラムの屋敷は、キャメロットの街中でも貴族の屋敷が建ち並ぶ閑静な一画にある。新しく建てられた物ではなく、住む者がいなくなった屋敷を買い取ったのだと、屋敷の中を案内してくれた家令が語っていた。
 トリスタンがキャメロットに居を構えたのは、王によって円卓の騎士に任命された後の事だ。それまでは育ての親たる伯父に時折顔を見せる程度で、常に放浪していたという。
「‥‥トリスタン卿は昔も今も変わらぬ、と」
 ぼそっと落とされたニノン・サジュマン(ec5845)の呟きに、苦笑したエスリン・マッカレル(ea9669)は「動くでないっ」と一喝されて固まった。今、自分がどうなっているのかすら、エスリンには分からない。顔に色々なものを塗られているようだが、それが何なのかを聞く勇気はなかった。
 壷を手にしたニノンの微笑みは、いったいどういう意味だったのだろう。
 だが、顔がぴきぴきと引き攣るような感覚を覚える頃になると、さすがに不安になった。尋ねようと口を開きかけたエスリンに、またも厳しい声が飛ぶ。
「喋るでない! ヒビが入るではないか!」
 ヒビ!?
 ヒビと聞こえたような気がするが、聞き間違いではないだろうか。しかし、口を開けばヒビが入るという。聞くに聞けず、エスリンはぐっと拳を握り締めて心の中で我慢という言葉を繰り返した。
 これも修行のうち。これしきの苦行で音を上げていたら、この先、トリスタン卿と共にイギリスを守る為に戦うなど夢のまた夢。
「エスリン、ドレスをトリスタン卿に‥‥」
 かちゃりと音を立て、ドアから顔を覗かせた銀は、エスリンの姿に大きく溜息をついた。
「あー、後にした方がいいみたいだね。今の姿を見られちゃ、100年の恋も冷めちまうよ」
「なっ! 水上殿! それはいった‥‥」
「ヒビ!」
 ニノンの一言にカキンと凍り付いたエスリンに、ばいばいと手を振って扉を閉める。
「さて、困ったね。本人がいないとなると、一番似合いそうなもの選ぶしかないんだけど、トリスタン卿? エスリンとの付き合いは長いんだろ? どのドレスが一番彼女に合うか選んでくれるかい」
 両手一杯に柔らかな布地を掛けた姜珠慧(eb8491)が、トリスタンの前で1着1着、広げてみせる。お茶会の為にと、ジャパンから持って来た品々の梱包を丁寧に解いていたミラ・ダイモス(eb2064)が、思わず感嘆の声を上げた。
 女の子ならば、誰もがときめく、最新流行のドレスだ。
 が、しかし。 
「そ‥‥れは」
 なかなかこれという一着を選ばないトリスタンに、珠慧は首を傾げた。助けを求めるように銀を見る。
「‥‥ちょっと聞くけどね、この右っ側のは、どんな感じのドレスだと思う?」
「薄い青を基本色に、差し色は白で爽やかな印象がある。裾に小花の刺繍をあしらい、女性らしさも感じられる」
「‥‥‥真ん中のドレスは?」
「濃灰色を基調とした、シンプルな形だな。よほど自分に自信のある者でないと着こなせないかもしれぬ。‥‥例えば、モルゴース殿とかは、この手のドレスを好んでおられたな」
「左側のドレスは」
「薄桃色の可愛らしいドレスだと思う。裾を僅かに絞った変わった形だが、少女らしさの残る方であれば、愛らしく映えるであろう」
 ひくり、と銀の口元が引き攣った。
「で、エスリンに似合うドレスは?」
 途端に言葉に詰まるトリスタン。
 あーあ、とアリーンは肩を落としてエスリンに同情して見せた。
「可哀想に、エスリンさん‥‥。似合う衣装は騎士装束だと思われてるんだー」
 可哀想としくしく泣いて見せるアリーンに、トリスタンもさすがに慌てたようだ。
「騎士装束を見慣れていると、いきなりドレスには結びつかないものだ。そう思わないか、オイル」
 仲間を得ようとしたのか。それとも新たな生贄を差しだそうとしたのか。いきなり名指しされたオイル・ツァーン(ea0018)は、それまで我関せずと優雅に飲んでいた香草茶に噎せ返った。
「い、いきなり何を‥‥」
「エスリンに似合うドレスを選べというのだ。お前ならば、どれを選ぶ?」
 問われて答えに窮するのはオイルも同じ。
「あんた達は‥‥」
 ふるふると震える銀の拳が光って唸る前に、哀れな男共に救いの手が伸ばされた。
「トリスタン様、明日の正装が改めて届きました」
 まるで何年もトリストラム邸に勤めているかのように、ごくごく自然に、包みを持った常葉一花(ea1123)が屋敷の主の傍らに控える。
「明日の正装?」
 何の事だと尋ねかけたトリスタンの脳裏に甦る、封印したはずのモノ。あれは確か、丁重な礼と共にモードレッドに送り返したはずだったが‥‥。
「モードレッド卿からの伝言を承っております。耳と尻尾の手触りは当社比1,2倍にしてみた。これで僕に奉仕してくれるのを楽しみにしている‥‥との事です」
 言いながら、包みを開く一花。
 伝言の通り、狐耳と尻尾はふさふさのもふもふ。手触りもよさげだ。
 そのキャメロット最高の職人の手による一品は、ヲトメ達の心をもばびゅんと射抜いてしまった。
「可愛い! 絶〜っ対、可愛いって!」
「ささ、着けてごらん? 怖くないよ?」
 狐耳と尻尾を手に迫るアリーンと銀。はらはらと成り行きを見守っていた珠慧は、あっと声を上げた。唯一の味方となるはずだったオイルが素早い動きでトリスタンの退路を断ったのだ。
「オイル‥‥」
「許せ、これも明日の勝負の為だ」
 サー・ケイとの執事勝負の正装としてモードレッドが送って来たものだ。着用せねば義理が立たない。心を鬼にして、オイルはトリスタンへと腕を伸ばす。そこへ鋭い声が飛んだ。
「オイル、あんたじゃ駄目だよ。ミラと替るんだ」
 銀の指示に、茶碗をテーブルの上に並べていたミラが怪訝そうに顔を上げる。
「オイルが相手じゃ、本気出して逃げるかもしれないだろ? その点、女のミラ相手に、本気は出せないよねぇ? トリスタン・トリストラム卿?」
 く、とトリスタンが唇を噛んだ。
 腐っても騎士。女性は敬愛すべき存在。骨の髄まで染み‥‥いや、刷り込まれた騎士道精神とやらは、このような場合でも発揮されるらしい。
「申し訳ありません‥‥」
 済まなさそうに謝って、ミラはトリスタンの背後へと回り込んだ。
 がっしりと羽交い締めにされたトリスタンに、耳と尻尾を手にした銀とアリーンが迫る。
「‥‥やれやれ」
 ようやく自分から矛先が逸れて、ほっと一息つけたオイルは、椅子に座り直して冷めかけた香草茶のカップを手に取った。
 目の前は、混沌な世界と化している。
 ミラに押さえ込まれ、身動きが取れないトリスタンは抵抗も虚しく、とうとう耳を装着させられてしまったようだ。可愛いだの似合っているだの大喜びの面々から少し離れた場所で、珠慧が頬を真っ赤に染めて、瞳をうるうるさせていた。
 珠慧よ、お前もか‥‥。
 視線を巡らせると、1人、冷静な表情のまま控えていた一花が、手にした小さな羊皮紙に何かを書き留めている。ペンを止め、指を口元に当てて何か考え込むと、再び書き続ける。その時、一花の顔に浮かんだ笑みを、オイルは見逃す事はなかった。
ー‥‥見なかった事にするか
 その方が平和だ。
 そう納得して、オイルはずずっと茶を啜った。だがしかし、平和とは長くは続かないものだ。
「‥‥人がおらぬ所で、そのような美味しい事を‥‥」
 隣の部屋から顔を覗かせたニノンが、腕を組んで周囲を睥睨する。冷たい吹雪が、彼女の背後から吹き付けて来るようだ。
「大丈夫、ニノン姉様! 尻尾はこれからよ〜!」
「なに!? それはぐっどたいみんぐじゃな」
 あっさりと怒りを解くと、いそいそと混沌に加わるニノン。
 ずきずきとこめかみが痛む。オイルは体中の空気を吐き出すがごとく、長く深い溜息をついた。
「あ、あの‥‥オイル殿‥‥」
 小さく呼ぶ声と共に、扉の隙間から白い女の腕が突き出して彼を招いていた。ぎょっとする光景ではあるが、その声と腕の持ち主には見当がついている。
「どうかしたのか、エスリン」
「その、実はですね‥‥」
「駄目ですわーっ!」
 色とりどりの布を抱えたまま駆けて来た珠慧に突き飛ばされて、オイルは吹き飛んだ。可愛い乙女の風情だが、相手は冒険者。もう少し本気が入っていたら、大打撃は免れなかったであろう。
「い‥‥一体何事だ、珠慧‥‥」
 倒した椅子や机の上に壊れ物が無かっただけでも幸いだった。
 木片に塗れながら体を起こすと、耳まで真っ赤に染めた珠慧が扉の前に立ちはだかっていた。
「き‥‥着替えの終わっていない淑女の部屋に入ろうとするなんて、殿方のなさる事ではありませんわ!」
 頬を膨らませて一生懸命にオイルを睨みつけている珠慧に、部屋の中にいる本人に呼ばれたのだとか、そういう話は通じないだろう。
 る〜るるるる〜る〜‥‥聞いた事もないはずの哀愁を帯びた音楽が聞こえた気が、した。

●当日、朝
「いらっしゃいませ」
 馬車を降りた途端、全身まっ黒のドレスにエプロンをつけた一花が、深々と一礼して客人を迎える。
 訪れた屋敷を再確認してしまった者、数名。
 間違いない。ここはモードレッド・コーンウォール卿の屋敷だ。
「一花殿、ど、どうしてこちらに?」
 どきどきと早鐘を打つ心臓を押さえながら、ミラが尋ねる。正式な時刻よりも少し早めに訪れたのは、お茶会の準備の為だ。トリスタンの屋敷で準備をしていた時には、確かにいた。なのに、彼らよりも先に来て待ち構えていた一花は、普段と変わらぬ様子で微笑んでみせる。
「なぜ、と申されましても。メイドの務めですから」
 ああ、なるほどと頷きかけて、ミラはぶんと頭を振った。
 危ない!
 危うく納得してしまう所だった。
「それよりも、他の皆様は、既に準備に入られておりますが‥‥?」
 促す一花に、はっと我に返ると、支度のある者達は慌てて荷物を抱えて邸内へと走り込んで行く。屋敷の一室を借りる事は、主であるモードレッドに許可を貰ってある。昨日のうちに準備していたものを飾り付けるだけとはいえ、招待客がやって来る時刻まで、あまり余裕はない。
「ねえ、モルモルさんは? モルモルさんはどこにいるの?」
 ももだんごや饅頭等、準備して来た甘味を詰め込んだ袋を重そうにぶら下げながら、アリーンが一花に尋ねた。一花がここにいる不自然さは、彼女の場合、スルーのようだ。
「モードレッド卿は、先ほど厨房の入り口辺りで拝見致しましたけれど‥‥。何やら嬉しそうに中を覗き込まれておりました」
「厨房ね。分かった!」
 そして、何故、一花が屋敷の主の動向まで知っているのか、それもスルーらしい。
 厨房を探してぱたぱたと飛び去って行くアリーンの後ろ姿に、一花はあ、と声を上げた。だが、少し遅かった。シフールの少女は廊下の角を曲がって彼女の視界から消えてしまっていたのだ。
「わたくしもモードレッドさんに御礼を申し上げたいのですけれど‥‥」
 かちゃかちゃと陶器の音がする木箱を抱えた珠慧が、しょんぼりと俯く。では、と一花はその木箱を彼女から受け取った。
「これは、私が会場にお運び致しますので、厨房に向かわれたアリーンさんを追って頂けますか? モードレッド卿が厨房を覗いていらしたのは、先ほどで、今は庭園に向かわれました、と」
「謝謝。わかりましたわ。その箱は少し重いですけれど、よろしくお願い致します」
 軽く膝を折って謝意を示すと、珠慧はぱたぱたと小さな足音を立てて駆けて行ったのだった。

●ご挨拶
 一花の話の通り、アリーンと珠慧が庭園で赤毛の少年を見つけた時、彼は子供のように無邪気に目を輝かせてお菓子の塔を見上げていた。彩りよく並べられた菓子の皿が、一段、また一段と増えて行く度に、彼の表情は喜色を増していく。
 どうやら噂通りに、相当の甘味好きのようだ。
 2人は顔を見合わせると、揃って少年に声を掛ける。
「こんにちは!」
 2人に気付いた少年‥‥モードレッドも、笑顔で彼女達に応えてくれた。
「はい、モルモルさん、お土産のももだんご!」
「わたくしは、月餅を作って参りました」
 お茶会はまだ始まっていないけれど、と前置きして手渡した土産に嬉しそうに礼を言うモードレッドに、珠慧はふるふると首を振った。
「そんな、御礼を申し上げるのはわたくし達の方です。こんな楽しい機会を作って下さったのですもの。‥‥謝謝」
 膝を折り、頭を下げかけて珠慧は思い立ったようにちょんと爪先立った。失礼かとも思ったが肩を少しだけ借りて、彼の頬に唇を近づける。
 固まったのはアリーンだ。いきなりキスかーーーーッ!! 彼女の背後にそんな文字が見えた気がして、珠慧はモードレッドの肩に手を置いたまま、小首を傾げた。
「あら、この国ではこうやって謝意を表すのではないの?」
「ああ、そうだぞ」
 あっさり返った肯定は、珠慧の間近から聞こえて来た。
 え、と思う間もなく、珠慧の頬に柔らかい感触が落ちてくる。
「お前達の土産、有り難く貰っておく」
 他の部屋の準備を見て来るからと、上機嫌に去って行ったモードレッドを見送って、アリーンは小さく舌打ちして、指を鳴らす。
「惜しい! 相手がトリス様かサー・ケイなら美味しかったのに! ね、珠慧さんもそう思うでしょ? ‥‥あれ? 珠慧さん? おーい?」
 珠慧の目の前で手を振っても、何の反応も返って来ない。
「いけない! 魂が抜けかけているわっ!」
 冒険者の勘が一刻の猶予もないと告げていた。こんな時、どうすればいいのかはよく分かっている。アリーンは胸一杯に空気を吸い込んで、珠慧の耳元へと飛んだ。と、その時。
「ふしゅう〜‥‥」
 見事に茹で上がった珠慧が、目を回して倒れ込む。
「ちょ、ちょっとーーーッ!」
 その体を支えようとしても、シフールの腕力では支えきれるはずもない。押し潰される寸前、アリーンは珠慧の異変に気付いたオイルによって救出された。
「珠慧はどうしたんだ? って、熱があるじゃないか!?」
 珠慧の額に手を置き、てきぱきと応急処置を施していくオイルの傍らで、アリーンは思った。
 モードレッド・コーンウォール、よくよく見ればキラキラ王子様系でも行けそうな気がする。
「あとでニノン姉様と銀さんに報告しなくちゃ‥‥」
 何を何の為に報告するのか、聞いてはいけない。オイルは聞こえなかったふりで珠慧を抱き上げると、木陰を目指した。
 最近、自分が悟りの境地に近づきつつあるような気がしてならないオイル・ツァーン、24歳の初夏であった。

●執事対決・準備編
 サー・ケイから宣戦布告されたと誰から聞いたのか‥‥などと、分かり切った事は聞く気も起きなかった。
 それを踏まえての昨日の地獄の特訓であり、今のこの状況なのだから。
 モードレッドから「礼」だと言って渡された執事服一式。これは、まだいい。普通の執事服で、しかもモードレッドが選んだというのだから最高級品だ。問題は、今、髪をきっちりと後ろで纏めた自分の頭の上に乗っかっている「もの」と、腰の辺りで揺れている「もの」だ。
 執事対決で、何故「これ」が着くのか、トリスタンには今イチ分からない。
「決まったよ、先攻だ」
 サー・ケイを推す者達の卓に出向いていた銀が戻って来て、片目を瞑って親指を立てる。「先攻」だと良い事があるのだろうか。それよりも、銀の後ろからやって来るニノンは、何を書き付けているのだろうか。
 疑問に思わないでもなかったが、とりあえず黙っておく。そんな彼の様子を緊張していると受け取ったのか、銀はトリスタンの手を取った。そして、自分の手と打ち合わせて「大丈夫」と大らかに笑う。
「自分を信じなって」
 そうそう、とペン先のインクを拭いながらニノンも彼を激励する。
「昨日、エスリン殿を再起不能に陥れたテクがあれば、モル卿とてイチコロじゃ。ケイ卿は「イギリス王国の執事」であろうが、トリス卿ならば「欧州の執事」も夢ではないわ」
 夜の、かもしれないけど。
 それは、心の内だけで呟いて、銀はぱん、と手を1つ打ち鳴らした。
「そろそろ、お茶会の始まる時間だよ。対決が始まるまで、あたしらも楽しませて貰おうじゃないか」
 会場として提供されている庭園と部屋は、既に人で溢れている。笑いさざめく声と、甘い香りに彼女らの顔も自然と綻んで来る。
「予定時間までまだ有るしの。‥‥今の間に、色々と打ち合わせをしておこうではないか」
 笑い合った銀とニノンは、まず真っ先に一口サイズのフルーツパイやクッキー、スコーン、タルト、ケーキ等を盛った「スイーツタワー」へと向かっていく。そこから好きなものを選択して、皿に乗せ、庭の片隅のテーブルで飲み物と一緒に談笑しながら楽しむのだろう。
 何とも微笑ましい光景だ。銀が小脇に抱えている小冊子が微妙に気になったが、今はそれどころではない。
「トリスタン卿」
 声を掛けられて振り向くと、メイド姿の一花が立っていた。その傍らの卓には、一輪の薔薇が活けられ、香草茶のカップがある。
「勝負の前に、どうぞ」
「‥‥そうだな」
 勧められた席に座ると、香草茶のカップを手に取る。温かな香気は心を落ち着かせてくれる気がする。
「何かお持ち致しましょうか?」
 問われて、彼はしばし考え込んだ。
「そういえば、先ほど、ミンスパイがあったようだが‥‥」
 分かりましたと一礼すると、彼女はすぐに皿を手に戻って来た。その上にはトリスタンが所望したミンスパイ。酒に漬け込まれた果物を包み込んだパイを、心地よい初夏の風の中で楽しむ。これは、思っていたよりも居心地の良い茶会だ。
 ‥‥頭の上と腰につけられたものが無ければ。
 複雑な心境を顔に出さず、淡々とミンスパイを口に運ぶトリスタンに給仕をしていた一花が、つと活けられていた薔薇の花弁に触れる。
「トリスタン卿。1つ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」
 小さな頷きで先を促すと、一花は胸元から外した銀の首飾りを手の上に乗せ、祈るようにぎゅっと握り締めた。
「吟遊詩人のトリス様という方をご存知でしたら、その方に渡して頂きたいのです」
 万感の想いを込めて、首飾りをそっとトリスタンの手の上に落とす。困ったような、今にも泣き出しそうな笑みと共に。
「‥‥一花」
 口を開きかけたトリスタンに首を振ると、一花は一輪挿しから薔薇を抜き取った。丁寧に水を切り、茎を適度な長さに切ると、その薔薇をトリスタンの執事服の襟元にピンを使って飾る。
「サー・ケイとの執事対決、頑張って下さい。この薔薇がトリスタン卿に勝利を運んでくれると信じています」
 胸元に飾られた薔薇に手を当てたトリスタンの耳元に、一花は笑み含んだ声で囁いた。
「もしも、演出効果が必要であれば、この薔薇を咥えて華麗なポーズを取ると花びらが華麗に舞い散りますが‥‥」
「必要ない」
 即答したトリスタンに、一時だけメイドの仮面を外し、一花はくすくすと声を上げて笑ったのだった。

●執事対決
 サー・ケイに挑まれた勝負は、主催であるモードレッドに対する執事の対応を競う事となった。当事者を置いて段取りを決めて来た銀とニノンは、いつの間にかモードレッドの後ろにある卓へと移動している。応援のアリーンも、和風の部屋を切り盛りしているはずのミラや復活した珠慧と彼女に付き添っていたオイル、そして、昨日の特訓に付き合わせてしまったエスリンの姿もある。
 好奇心を通り越して、楽しむ気満々の表情をしたモードレッドを前に、トリスタンはこほんと咳払った。
 途端に、テレパシーリングを使ってニノンから叱咤が飛ぶ。
『何をしておるのじゃ! 最初が肝心じゃ、最初が!』
 事情を察したらしいオイルからの同情の籠もった視線が、何故だか癪に触る。半ば開き直って、トリスタンはモードレッドの前に片膝をついた。その流れるような所作と優雅な物腰に、見物人からほぉと溜息が漏れる。例え耳と尻尾がついていても、何の障害でもない。むしろ‥‥。
「お楽しみ頂けておりますでしょうか、モードレッド様。何かご用がございましたら、何なりとわたくしにお申しつけ下さい」
『固いッ!』
 ふふん、と笑ったモードレッドが肘掛けに肘をつく。
「そうだなぁ。じゃあ、僕にお前のお薦めの甘味を持って来い」
 あれほど食べて、まだ食べる気か。胸焼けしそうな程の甘味を満喫していた少年に、トリスタンの口元が引き攣る。しかし、今の自分は執事。ご主人様の命令には絶対服従だ。
「では、こちらを」
 少し意趣返しも込めて、トリスタンはそこにあった一皿を手に取った。上に乗っているのは、ほんのり赤みのある生地のケーキだ。すり下ろされた人参が入っていて、少年が唯一手をつけていないものだ。
 う、と顔を顰めた少年は、すぐに反撃の一手を考えたらしい。皿を捧げ持ったまま、軽く腰を折ったトリスタンを見上げると、彼はにやりと笑った。
「トリス、食べさせろ」
「は?」
「僕に奉仕するのがお前の役目なのだろう? 早くしろ」
 すかさず、テレパシーリングを使った指示が飛ぶ。
『ここは当然、秘儀、「あ〜ん」じゃ!』
 秘儀って何だ!? と思う間もなく、仔細な情報が届けられる。さすがのトリスタンも躊躇した。が、躊躇っている暇はない。ケーキを一口サイズに切り分けると、彼は微笑みを浮かべた。作り笑い全開なのは、この際大目に見て貰いたい。
「で、では、モードレッド様、あ〜ん」
 トリスタンの言葉と共に、少年もあ〜んと口を開ける。もきゅもきゅ味わっている様子を見る限りでは、失敗はしていない。
 ‥‥はず。
「うん、美味いな!」
 お褒めの言葉を頂いて、執事トリスの先攻演技は終了した。
 ほっと安堵の息をつき、胸に手を当て、深々と一礼して場を去る。
 次はサー・ケイの番だが拝見している余裕はない。こののような状態を燃え尽きた、というのだろう。
 見れば、指示を送って来ていたニノンらも移動したようだ。卓の上に羊皮紙を忘れているようだが、気付いたら、後で取りに来るだろう。その時のトリスタンは、それが何であるのかという事にも意識が回らぬ程疲弊していたのだ。
 息を吐きつつ、首もとを緩めて輪の中から抜け出すと、そこに一匹の犬が待っていた。
 誰かのペットだろうか。耳と尻尾を持つ自分を仲間か何かと思っているのかもしれない。しばらく見つめ合った後、トリスタンは芝生へと腰を下ろした。少々行儀が悪いが、空いている卓を探す余裕もなかった。
 彼が座ると、犬も隣に座る。
 1人と1匹の穏やかな時間。
 周囲が何故だかきゃあきゃあと騒がしいのは、サー・ケイの執事っぷりに感動しているのだろう。そう結論づけて、トリスタンはしばしの微睡みの中に落ちて行った。

●宴の後
「このような所でお休みになっていては、風邪をひかれます」
 掛けられた声と遠慮がちに体を揺する手をよく知っている。幾多の冒険を共にして来た仲間。いつも身近で気遣ってくれる‥‥
「‥‥エスリン?」
 はい、と頷いた娘に、トリスタンは目を疑った。
「私は騎士。こ、このような姿は似合わぬとは分かっているのですが、その‥‥」
 清楚なドレスに薄く化粧を施した娘は、頬を染めて視線を逸らしながら仲間達が精一杯、自分を娘らしくしてくれたのだと告げる。
「いや、皆の目は確かだな。よく似合っている」
 返って来た言葉に、エスリンの頬が更に染まる。確かに見違えたが、慌てた様子で別の話題を探す様子は、いつもの彼女だ。
「あ、の、その‥‥トリスタン卿。このような時にお聞きする事ではないのかもしれませんが、以前、お話になられていた予言を、まだ恐れておられますか?」
「予言?」
 何の‥‥と考えて、すぐに思い出す。彼が生まれた時に受けたという予言だ。
 騎士として名誉を得る事、そして禁断の恋に落ちる事。
「どうだろう‥‥。気にせぬ事にしたつもりだったが、まだ囚われているのかもしれない。お伽噺と思っていた口伝に繋がるものがあるとしたら、私の予言も‥‥」
 最後は独り言のようだった。
 苦悩に満ちた彼の表情に、エスリンはまた別の話を振る。
「そういえば、ミラさんや珠慧さんのお部屋も、そろそろ準備していた物が無くなるので、お開きになるそうですが」
「ああ、彼女達の部屋はまだ訪ねていなかったな。‥‥共に行くか」
 手を差し出せば、小さく頷いて手を重ねて来る。
「珠慧さんのお部屋では、重ねた茶の器から滝のように流れる茶が評判だったそうです。崩れそうで崩れないのが凄くて目が離せないとか。あ、こちらがミラさんのお部屋です」
 ジャパンの様式で揃えられた一室は、その盛況振りを伺わせて既に後片付けの準備に入っていた。聞けば、執事対決の前に訪れたモードレッドがやって来て、ジャパンの甘味話に花が咲いたらしい。
「ジャパンの甘味をお勧めするつもりだったのですが、瓢箪印の人形焼きが好きだとおっしゃられて‥‥。本当に奥の深い方です」
 人形焼きと言われても、エスリンやトリスタンには何の事だか分からない。さすがと言うべきか、モードレッド。
「甘味は全て出てしまいましたけれど、ジャパンのお茶はいかがですか?」
 しゅんしゅんと湯気の立つ釜を示して、ミラは2人に席を勧めた。
「あ、いた! トリスさん〜! お月様が綺麗なの! それでね、お茶会の最後に皆に踊りでありがとうを伝えたいんだけど‥‥」
 彼を探していたらしいアリーンの言わんとしている事に気付いて、分かったと頷く。そういえば、茶会の最中にも何人かに曲を頼まれた。いつも宮廷で貴婦人方へと捧げる曲よりも、彼女達に捧げた曲の方が音が伸びやかだったのは、やはり自分もこの一時を楽しんでいたからだろう。
 大変な事もあったけれども。
「どのような曲が良いか考える間、ここで茶を頂いていかないか」
「うん! ところでトリスさん、その耳と尻尾、気に入ったの?」
 はっとしたように目を逸らすミラとエスリン。
 言われて見れば、執事対決の後に外した記憶がない。
 昼前にこの屋敷に到着してから今まで、ずっと耳と尻尾がついていた事になる。
「‥‥‥‥」
「あ、あの、このような時ですから、招待客の皆様もいつもと違うトリスタン卿のお姿を違和感なく受け入れておられたかと‥‥」
「一部、お嬢さん方には大好評だったわよ」
 思わずこめかみを押さえれば、いつものようにエスリンがフォローを入れて、アリーンが真実を告げる。
 まだ衝撃から立ち直れず、耳と尻尾を外す事まで思い至らないらしいトリスタンの前に、ミラはそっと茶の椀を置いた。
 その存在にはいつ気付くのだろう、などと微笑ましく見守る事に決めて。