●リプレイ本文
●想い、託して
この騒ぎは陽動かもしれない。
そう考えたのはアンリ・フィルス(eb4667)とシェリル・オレアリス(eb4803)だった。混乱の続く王都を駆け抜けた彼らが見たものは、パーシ・ヴァルの指示で守りを固められた王城。
「アーサー王はいずこにおわす!?」
「万が一にも王の御身に何かがあれば一大事。お傍に控えさせて頂きたいと思います」
2人の申し出を、王宮を守る王宮騎士達は大喜びで迎え入れた。突然の「アスタロト」を名乗るデビルの襲来、そして王妃の拉致と、立て続けに起きた大事件に、彼らは猫の手も借りたい程に忙しい様子だった。
だが、王自身の身辺警護よりも王宮の人々ーー当然の事ながら、王宮には侍従や侍女、料理人といった戦えない者達も多いーーを守る事を優先せよとの指示が下っているとの事で、彼らは王宮に侵入するデビルを駆逐し、怯える人達を守る事に専念しているらしい。そして、王自身も、その為の指示を各所に飛ばしているようだ。
「聖剣の守護も今はない。ならば、これだけでもお渡し頂きたい」
王宮の守りに駆り出されても、王本人には会えそうにはないと判断して、アンリは王宮騎士に1枚の札を手渡した。
「泰山府君の呪符」
それは、ただ1人に対して1度だけ、死への誘いを打ち消す威力を持った札だ。
「分かった。陛下にお渡ししてこよう」
そう告げた王宮騎士は、やがて同じ札を手にアンリの元へと戻って来た。
「お心、ありがたく頂戴するとの事です。ですが、この札は王宮の奥で守られている自分よりも、前線に立つ貴殿にこそ必要であろう、と」
アンリが手渡した札を、彼自身に戻しながら、騎士は続けた。
「どうか、無事に。そしてこの国を守って欲しいとの陛下のお言葉です」
戻って来た札を複雑そうに見つめるアンリに、シェリルは聖母の如き笑顔を向けた。
「あなたこそ無事に、との王陛下のお心です。有り難く受け取らせて頂けばよろしいのですわ。その代わり」
王都の空が暗い。アスタロトと共に現れたデビル達が不気味にひしめいているのだ。
「うむ」
シェリルの言わんとしている事を察して、アンリも頷いて得物を手に取る。
「聖なる母よ、その慈しみ以て我らに祝福と力を」
白い光に包まれたシェリルの祈りを受けつつ、アンリは王宮に迫るデビルの群れへと向かって行った。
●進軍開始
アスタロトが放った雷に危機感を抱いたのは、アンドリー・フィルス(ec0129)だった。
「あの雷はまさかメーガナーダ? ならば‥‥いや、しかし‥‥」
浮かんだ疑問に頭を振り、アンドリーは素早く仲間の動きを確認した。王妃という人質を取られている。迂闊に攻撃を仕掛ける事は出来ない。そして、相手は狡猾なデビルだ。漆黒のドラゴンの背の上、アスタロトに抱えられた王妃が本物であるという確証もない。
限られた時間の中でも、出来るだけ確認はしておかねばならない。それが、戦いの行方を左右する事になり兼ねないのだから。
やがて、王妃を救出する為に同行したサー・ケイの手が静かに天に向かって差し上げられた。
進軍の合図だ。
アンドリーはマグナス・ダイモス(ec0128)と視線を交わした。
彼と同様に、いつでも飛び出せるように自身の気を高めていたマグナスは、アンドリーの視線が意図する事を察して、小さく頷いた。それまでの睨み合いから一転、敵味方が入り乱れ、激しい戦いが繰り広げられる中、2人のパラディンの姿が同時に消えた。
次の瞬間、彼らはアスタロトが騎乗する漆黒の竜の目前に現れた。
ドラゴンは、突然現れた人間に驚く様子を見せなかった。賢者のような深い眼差しが2人を射抜く。そして、その背に立つ黒髪の青年は気を失ったままの王妃を抱えて、不意に何もない空間へと視線を向け、笑んだ。
「! あれは!」
マグナスが息を呑んだ。
橙色の光がアスタロトを包んだ瞬間、別のパラディン達が転移を阻まれる。それは、彼らのよく知る阿修羅の術の1つだ。
「シャクティ・マンダラ! やはり、アスタロトは阿修羅の魔法を使えるというのか!」
ほんの僅か、驚愕によって生じた空白の時間をデビル達が見逃すはずがない。再び、彼らは無数のデビルに取り囲まれた。阻まれる可能性がある以上、迂闊に転移は出来ない。敵も阿修羅の術を使えるとなれば尚更だ。
転移を阻まれたバーク・ダンロック(ea7871)は舌打ちすると、再び転移してキャメロットの空を我が物顔で飛び回るデビルどもを切り崩しにかかった。奇襲が駄目ならば、正当法だ。周囲に群れているデビルとて無限に湧いているわけではない。何しろ、地獄へと繋がる道は封じられているのだから。
「待っていろ、アスタロト! こんな雑魚ども、すぐに片付けて、お前も倒してくれる!」
バークの宣言はアスタロトに届いたのか。気が付けば、主への暴言に腹を立てた雑魚デビルどもが十重二十重とバークを囲んでいる。
「け。お前達なんざ、俺の敵じゃないんだって事を見せてやるぜ!」
シャクティを振り上げ、次々と雑魚デビルを打ち倒していくバークの真横を通り過ぎたのは、一頭の天馬だった。
「姓は虚、名は空牙。朧拳最源流の使い手にして我が師は‥‥」
「朧拳最源流? 聞いた事がないな。新しい流派かい?」
不意に耳元で聞こえた声に、虚空牙(ec0261)は目を見開いた。咄嗟に腕を払った空牙を嘲笑う声と共に、黒髪の青年が彼の前に姿を現す。
「技を見せて貰えると嬉しいかな。人の世界では、少し目を離してるうちに、ぽこぽこと色んな流派が生まれて来るものだから把握しきれなくてね。そう、沼に浮き上がる泡のように」
「愚弄するか!」
口元を引き上げて笑った青年に、空牙は体内の勁力を一点に集め、渾身の力を込めた絶招・闇時雨をアスタロトに向けて叩き込んだ。
だがしかし。
吐息すら触れる程近くにいたはずのアスタロトと空牙の間には、いつの間にか数匹のデビルが入り込み、主を守れた喜びと断末魔がない交ぜになった悲鳴と共に消えていった。
「くっ‥‥」
技の反動で硬直した空牙に、アスタロトは口元に指を当て、にやりと笑う。
「なるほど。その技を使った直後は動けなくなるのか。使い方によっては致命的だよね」
空牙目掛けて襲い掛かるデビル達を無表情に見下ろすと、アスタロトは再び姿を消した。動けなくなった空牙に気付き、援護に回ったのは、全体の戦いに目を配り、敵の動きを読もうとしていたアレーナ・オレアリス(eb3532)だ。華麗に天馬を駆り、空牙が回復するまでの間、敵を引きつける。
「気‥‥をつけろ! ヤツは‥‥」
「ヤツ? ヤツとは誰の事だ?」
強張っていた体にようやく力が戻るが、技を使った倦怠感はまだ抜け切らない。完全に動けるようになるまで後僅かだ。空牙は、消えたアスタロトの行方を探す。そんな空牙の様子に、ただならぬものを感じたのだろう。アレーナも周囲を見回した。
2人が戦場を見回すのを見計らったように、アスタロトと王妃を乗せた漆黒の竜が大きく口を開いた。
「ブレス!?」
天馬の手綱を引いたアレーナの視界が突然、暗闇に包まれた。驚き、嘶く天馬を鎮める頃には、彼らにも何が起きたのか理解していた。ドラゴンのブレスが闇をもたらしたのだ。戦場のあちらこちらで混乱が起きているようだ。
「派手な真似してくれるじゃねえか!」
天馬の首筋を叩き、興奮を鎮めながらクロウ・ブラックフェザー(ea2562)が吐き捨てる。周囲のデビルを矢で射落としていた彼も、さすがに暗闇の中では同士討ちの可能性を考えると矢を放つ事が出来ない。
そうこうしているうちに、ドラゴンはまたもブレスを吐いて闇を広げていく。真昼のキャメロットの空の一角に夜が生まれていく様を、冒険者は苦々しい思いで見つめていた。
●賭け
「やっぱりおかしいわ」
少し遅れてフライングブルームで参戦したアンドリュー・カールセン(ea5936)の姿を見つけたステラ・デュナミス(eb2099)が天馬のリリーを彼の隣につけて声を上げる。
「自分の力を過信して煽っているだけならいいのだけれど、あまりに動きが緩慢過ぎる」
ステラが疑問に思うのも無理はない。王妃を攫うのが目的であるなら、そのままドラゴンで飛び去ってしまえばよかったはずだ。そうすれば、冒険者達には追いつく術はなかった。
なのに、漆黒のドラゴンは王妃を乗せたまま、キャメロットの空をゆったりと飛んでいる。
冒険者達が追いつくのを待っているかのように。
「王宮の守りについている者達や、情報屋達に聞けるだけ話を聞いたが、王妃が攫われた後、下級デビル達は跋扈しても「アスタロト」の興味は既に王宮には無さそうだ」
アンドリューの報告に、ステラは唇を噛む。
「つまり、目的は王妃様だけだったって事? それなら、どうしてあんな風に挑発しているのかしら。まるで、私達を挑発しているみたいだわ」
「もしくは、時間稼ぎだな」
ステラの背後から襲い掛かろうとしていたデビルを射抜いて、アンドリューは空を見上げた。
ドラゴンの腹と、その周囲に浮かぶ無数のデビル達、そして、王妃を奪還する為に少しでもドラゴンに近づこうとする仲間達の姿が見える。
「とにかく、王妃はまだ手の届く範囲にいる。今は、皆の援護を‥‥」
空を見据えて語っていたアンドリューの言葉が途切れた。
釣られて空を見たステラも絶句する。
「あの闇は何!?」
「ドラゴンが‥‥ブレスを吐いた」
端的に事実だけ告げたアンドリューに、ステラが苦々しく吐き捨てる。
「シャドウフィールドね!? しまった! あの闇の中では皆も動きが取れないわ!」
ドラゴンを中心に広がって行く闇。
敵も味方も、その中に吸い込まれていくようで、ブレット・ワクスマン(ea8925)は思わず己の拳を握り締める。彼が作り出した幻影とデビルが戦っている間に、背中に庇っていた子供を仲間達が救助活動を行っている安全な場所に向かわせて、ブレットは懐から白い大理石で出来たオカリナを取りだした。
ーー皆に勇気を、私達に勝利を!
軽く息を吸い込み、祈りを込めて音を紡いでいく。
音はやがて曲となり、戦う仲間達の焦りや不安で揺れる心に染みていった。
アスタロトを名乗るデビルの突然の襲撃と王妃の拉致、そして、デビルとの戦闘と、さすがに混乱気味だった冒険者達は、ブレットが奏でる曲に落ち着きを取り戻していく。本来の彼ら自身を取り戻せば、動きも判断力も格段に上がる。群れているデビル達を圧倒し始めた仲間達の中、シリル・ロルカ(ec0177)は闇の中心を見据えて、呪を唱え始めた。
仄白く輝くシリルの体の光が、指先に集中したかに見えた瞬間、1本の光る矢が闇に吸い込まれるように放たれる。
「ムーンアロー!」
矢の先を視線で辿ったステラが声を上げた。
白い矢が吸い込まれたドラゴンの背から、するりと人影が転がり落ちたのだ。
柔らかく結われた長い髪と、翻る暖色のドレス。
王妃だ!
頭がそう判断を下した時には、ステラの手は握った手綱を引き、天馬は全力で翼をはためかせて落ちてくる人影に向かって飛び立っていた。
地上に向かって真っ逆さまに落ちて来る王妃を、冒険者達は我が身の危険を顧みずに追う。
だが、彼らの手が届く寸前に、王妃の体を捉えた者がいた。
王妃を王宮から攫ったデビル、カークリノラースだ。耳障りな声を上げながら自画自賛するデビルを斬りつけたくなる衝動を、必死で抑え込みながら、ファング・ダイモス(ea7482)は集まって来るデビル達を蹴散らしていた。
王妃がドラゴンの‥‥アスタロトから離れたのであれば、これはこれで幸いだ。
カークリノラースを倒せば、王妃を取り戻す事が可能かもしれない。
希望を抱いて、ファングはフライの力を得た盾に飛び乗った。赤い刀身の剣を握る手に力を込めて、カークリノラースに迫るファングの目の前に、唐突に人影が現れて笑いかける。
ひゅっと息を呑んだファングに、その人影は軽く首を傾げて見せた。
「あれ? そんなに驚いた?」
当たり前である。地上ならばまだしも、戦いの最中、空中に人が現れて笑いかけるなど、滅多にある事ではない。
なのに、現れた当の本人は無邪気にファングが驚いた事に手を叩いて喜んでいる。
「あー、おっかしー」
「あなたは‥‥まさか‥‥」
ファングも見ていた。
ドラゴンの上、王妃を抱えていた男の姿を。目の前で笑い転げている青年は、その男に酷似していた。
「やっぱり冒険者は楽しいよね。‥‥もっと楽しませてよ。でないと、ボク、この街ごと壊してしまうよ?」
向けられた笑顔。けれど、目は笑っていない。それどころか、激しい憎悪のようなものを感じる。
「ほら、踊って見せてよ。一緒に踊る者がもっと欲しい?」
その一言で、ファングの周囲にデビルが集まって来る。舌打ちして、ファングは数匹のデビルを一気に切り裂いた。しかし、フライの効果は長く続かない。一旦、地上に降りるファングを、青年は冷笑を浮かべて見下ろしていた。
「ふむ。で、いきなり乗り込んで来る剛毅な魔王殿は、そこで高見の見物であるか」
ファングへの援護の一撃を放ったデュランダル・アウローラ(ea8820)の背後で、天馬の手綱を操るヤングヴラド・ツェペシュ(ea1274)が青年を見上げる。
「魔王殿こそ、踊りたくて仕方がないという顔であるな。我らでよければお相手致そうぞ」
鋭い氷の眼差しがヤングヴラドを貫く。
彼を守るようにデュランダルがヒポグリフのミストラルと共に位置を変える。
「ふぅん? キミはテンプルナイトかな? 神や教会が正しいって信じていられるシアワセな騎士様だよね」
「‥‥何が言いたいのであるか」
笑顔のまま、ヤングヴラドが問う。ほんの少しだけ、声が低くなっている事に本人が気付いているのか、いないのか。ちらりと背後を見遣ったデュランダルにも、青年の揶揄が飛ぶ。
「キミも、そろそろ本性を解放したいんじゃないのかな? いいんだよ‥‥本当の自分を閉じこめたりしなくても」
「‥‥何を」
眉を寄せたデュランダルに、悪魔は囁き続ける。
「狂化、してもいいんだよ?」
「俺はっ!」
抜き放った魔剣が光を受ける。赤く輝いた刀身が血の色に見えて、デュランダルは一瞬、体を強張らせた。
「デュランダル殿! デビルの言葉に惑わされては駄目なのであるッ!」
鋭いヤングヴラドの一言に、デュランダルは我に返る。
「人の心の弱みに付け込むのがデビルの常套手段。心を強くもてば、デビルの言葉が嘘偽りの塊である事はすぐに分かるであろう!」
「おや、言ってくれるね」
アスタロトの姿が不意に消える。次に現れた彼は、ヤングウラドの真正面にいた。
「ボクの言葉が偽りだなんて、どうしてキミに分かるんだい? 教会の教えが、聖職者の言葉が全て真実で、罪も穢れもないものだと本気で信じている? もしそうだとしたら、とんだ世間知らずのお坊ちゃんだと言わせて貰うよ」
「ヤングヴラド殿!」
デュランダルが打ち込んだ魔剣をひらりと躱して、アスタロトは嘲笑した。
「あははははは! 本当に人は愚かだよね。瞬きの間の命に足掻き、弱くて群れないと何も出来ない虫ケラ達だ。だから、聖なる母だの大いなる父だのに縋るのさ」
「定命の者を侮って貰っては困る。たとえ魔王といえど、我らの団結の前には敵ではない」
魔剣を構えたデュランダルの静かな言葉に、その通りだ、とファングは叫ぶ。
「瞬きの間の命かもしれない、1人1人の力は魔王に及ばないかもしれない。けれど、我々は大切なものを守る為に、力を、心を合わせる事が出来る! 魔の皇帝ルシファーを封印出来た事が、何よりの証だ!」
途端、アスタロトを取り巻く空気が変わった。
騎手を信頼し、共に戦う騎獣達が怯えて逃走しようと暴れ出す程に、その怒気は熾烈なものであった。
「虫ケラどもが‥‥たった1度の偶然をさも自分達の力で成し遂げたように言うな‥‥。あの御方の冠さえ揃っていれば、貴様らに勝ち目などなかったのだ!」
怒りに我を忘れたアスタロトの体が橙色の光を帯びる。
「離れて下さい!」
ファングの声に、騎獣に乗った者達がそれぞれに手綱を引き、腹を蹴る。
一呼吸後、凄まじい衝撃が彼らの周囲に降り注ぎ、視界が白く染まった。
「くっ!!」
ウィングシールドで何とかその衝撃に耐えたファングの視力が回復した時には、既にアスタロトの姿はどこにもなかった。
●魔王の目的
一方、上空では変わらず闇の中の戦いが続いていた。
「惑わされるな! 敵の思う壷だ!」
凛とした声が響き渡る。
暗闇に惑う仲間達を瞬時に纏めあげたのは天城烈閃(ea0629)だ。
「ただのシャドウフィールドだ! 効果が切れるまで、同士討ちを避ける為にもなるべく飛び道具は使うな!」
次々と指示を飛ばし、烈閃は不利な状況を覆そうと闇に包まれた戦場を見渡した。同士討ちであろうがなかろうが、デビル達は狂ったように攻撃を仕掛け、その度に仲間達が傷ついていく。
ムーンアローが王妃を抱えていたデビルを射抜き、王妃が落下した所までは烈閃にも見えていた。その後、悲劇を知らせる声がない事から、王妃は無事であると推測はしているが、歓声も聞こえて来ないので楽観視は出来ない。
地上付近で、雷土も炸裂したようだ。闇を一瞬だけ青白い光が照らし出す。あの雷土が、王宮を襲ったものと同じであるなら、ドラゴンに乗っていた「アスタロト」は、この闇の中から脱し、地上付近でデビルを駆逐している仲間達を襲っているのではないか。
焦りと迷いに、烈閃は歯がみをした。
「‥‥っ! 何か方法はないのか!」
「方法? 簡単な事さ」
独り言に応えが返る。
腹に力を込めて動揺を抑え込むと、烈閃は平静を装って声がする方へと顔を向けた。
「ほお? 簡単な事か。では、どうすればいいのか教えてくれ」
相手が漏らした息は、笑みによるものだ。デビルに馬鹿にされているのだと知ってなお、烈閃は冷静さを失わなかった。意志の力で、白き弓を持つ手に力を込めるだけに留めた。
「知りたい? ならば教えてあげるよ。偉大なる我らが王、ルシファー様に従えばいいのさ! 世界に悪徳を撒き散らせ! そうして蓄積された悪意は、あの忌々しい封印の力を緩める助けとなるだろうからね!」
「そんな程度で、ルシファーの封印が解けると思っているのか?」
灼けつく痛みが頬に走る。
殴られたのだと気付くのに、時間は掛からなかった。
「いい加減にしてくれないかな、愚かな人間達。いちいちお前達の思い込みを訂正してやるほど、ボクは暇じゃないんだよ。‥‥あの御方の封印を解く術に関しては、ボクの方がお前達より遙かに詳しいって事、分かってる?」
緊張する天馬の首筋を軽く叩いて、烈閃は聞こえて来る声を追う。声の主は、ここが地上であるかのように烈閃の周囲を移動しているようだ。
「へぇ、それじゃあ、どうすりゃ魔界の皇帝陛下の封印は解けるんだ?」
力強い翼の羽ばたきと共に、オラース・カノーヴァ(ea3486)の声が割り込んで来た。轟乱戟が烈閃と声の主との間に振り下ろされる。
「あんたはそれを狙っているんだろうが、アスタロトさんよ?」
轟乱戟が空を切る音と巻き起こした風とに紛れて、余裕のある笑い声が響く。それが癪に障ったのか、オラースはすかさず横薙ぎに戟を払った。手応えはあった。だが、それは間に入り込んだ下級デビルのものだろう。嗄れた断末魔に、オラースは舌打ちした。
「気をつけろ! そこにいるアスタロトが本物かどうか分からないぞ!」
クロウのものらしき声が発した警告に、烈閃とオラースに緊張が走る。
気が付けば、シャドウフィールドの効果も薄れて来ているようだ。
飛来したクロウの傍らには、戦場の様子を上空から確認していたアレーナの姿もある。
「アスタロトがもう1人現れた! 惑わされるな!」
アレーナが指し示した先、うすぼんやりと黒髪の青年が仲間達を挑発している姿が見える。そして、いつの間にか降下しているドラゴンの姿も。
闇が消えた事で、互いの状況を確認した仲間達が次々とアスタロトの周囲へと集まって来る。
勿論、もう1人の「アスタロト」の周囲にも。
「アスタロトよ、貴様は何故王妃様を狙う! 王妃様を連れ去って、貴様に何の意味があるというのだ!」
背後に現れたマグナスをちらりと見遣ると、アスタロトは肩を竦めて笑った。
「キミ達には関係のない事だけど、そのくらいは突き止めとかないとアーサーに怒られる?」
巫山戯た物言いに、アンドリーが静かにシャクティに手をかける。
「そうだねぇ。じゃあ、こう伝えておけばいいよ。彼女は大切な女神様だから、ボクが大切にしてあげる。キミは心配しなくていいよ、とね」
「貴様ッ!」
氷の剣を振り上げた空牙に、アスタロトは軽く手をあげた。
「キミの技は見せて貰ったから、もういい。それよりも‥‥」
周囲を見回し、空を見上げて、彼はにんまりと笑う。
「こんなところか」
冒険者達の働きで、ドラゴンや彼の周囲を守っていたデビル達の数は大幅に減っている。冒険者達もかなり消耗していたが、それでもまだ戦う気力は十分に残っていた。
そんな彼らに、アスタロトは人懐っこい笑顔を向けて手を振った。
「ボクはそろそろ次のお仕事の時間だから。機会があれば、また遊んであげるよ。じゃあね」
冒険者達に囲まれ、剣や槍を突きつけられた状態の中、アスタロトの姿は不意に消えた。
転移したのだと彼らが気付いた時には、王妃を乗せたドラゴンも悠然と飛び去っていたのだった。
●ドラゴンの向かう先で
その日の遅く、デビルを追撃していたローガン・カーティス(eb3087)は満身創痍の状態でキャメロットに戻って来た。
パーシ・ヴァルの依頼で動いていた者達と連携していたのだが、途中で飛び去ったドラゴンをフライングブルームを使って、1人、追跡していたのだと彼は言った。
「すみません。追える所までは追ったのですが‥‥」
ギルドで一杯の水を飲み干し、彼は悔しげに唇を噛んだ。
フライングブルームとドラゴンとでは、飛行速度が違う。必死の追跡にも関わらず、彼は途中でドラゴンを見失ったようだ。
その上、ドラゴンの後を追っていたのは彼だけではなかった。数は少ないが、ドラゴンと共に引き上げたデビル達も、途中の村や町を襲いながら移動していたのだ。それらのデビル達を倒しているうちに、彼はドラゴンの巨大な影を見失ってしまったという。
「ですが、ドラゴンの向かった方角だけは。ドラゴンは南東を目指していました。そこに何があるのか分かりませんが、それだけは間違いありません」
キャメロットから南東に何があるのか。
ローガンの報告を受けた冒険者達は、互いに顔を見合わせた。
ドラゴンが向かった先で何が起きたのかを彼らが知るのは、更に数日後の話となるーー。