譲れない願い
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■ショートシナリオ
担当:桜紫苑
対応レベル:11〜lv
難易度:やや難
成功報酬:7 G 30 C
参加人数:9人
サポート参加人数:-人
冒険期間:10月30日〜11月04日
リプレイ公開日:2009年11月21日
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●オープニング
●闇の中
闇の中、1本の蝋燭の小さな光が浮かぶ。
その光を取り囲んで、ひそひそと囁き交わしているのは、数人の人影。灯りが暗すぎて顔までは判別出来ないが、声から察するに、若い娘達のようであった。
「もう限界にゃ」
「もう先延ばしには出来んけに」
「んだんだ。折角、新刊も出来た事だしな」
「冬の陣にゃ、また作ればええだよ」
娘達は互いの顔を見合い、深く頷き合った。
●譲れない願い
「てぇへんだ、てぇへんだ! 親分、てぇへんだ!」
突然、部屋の中へと飛び込んで来た少年に、麗らかな午後の一時は破られた。
「まあ。ジミーってばいつもそればかりね」
「これが落ち着いていられるもんか!」
ーーまた始まったわ‥‥。
カップを満たす香草茶の香気を楽しみながら、ネフティス・ネト・アメン(ea2834)は小さく息を吐いた。
これが、ジミーという少年と、サウザンプトン領主の従妹、ルクレツィアの日常会話なのだ。勿論、それが本当に「大変」だった事は、片手で数えられる程しかない。
「それで、今日は何があったのですか?」
慣れっこのルクレツィアは、のんびり、おっとりジミーに尋ねた。
ちなみに、ジミーの言う所の親分とは、私設‥‥もとい、自称「王都少年警備隊」の隊長の事であり、現在、初代隊長としてルクレツィアがご近所のお子様達の親分として君臨しているのである。
「ここしばらく、街ン中で、こそこそ隠れて情報交換している女達がいっぱいいて、何かの悪企みに違いないと思って調べていたんだ!」
「あら、最近、おやつの時間にジミーの姿がないと思っていたら、そういう事でしたのね。偉いですわ、ジミー。王都少年警備隊の鏡ですわね」
ちなみに、構成員には、まだ5つやそこらなのに字が読める秀才くんや、おねしょをしなくなった女の子、ようやく四つ足歩行から、ふらふら、よろめきながらの2足歩行へとめざましい進化を遂げた男の子など、多種多才な人材が揃っている。
ーー相変わらずよねぇ、ここは。
平和過ぎて、外で起きている様々な事件が別世界の事のように思えて来る。
ーーそれもこれも、この男が‥‥。
テーブルの向かいで、ゆったりと茶を飲んでいた男、ジェラールがネティの視線に気付いて顔を上げた。にっこり笑った笑みは、人の好い好青年そのものだ。
ーーお腹の中で何を企んでいるか、分からないのに。
ネティは知っていた。
この男の見かけに騙されてはいけない事を。
警戒心を強めたネティの心、妹分知らず。
ルクレツィアは呑気に焼き菓子を取り分けながら、ジミーと話を続けている。王都における異変を逐一、隊長に報告するのが自分の役目の1つだと考えているらしい。
ーー異変なら、トンデモナイ事が幾つも起きているけどね。
子供達を怖がらせるだけだと分かっているから、ネティは口を噤む。詳しい話など、王宮関係者や冒険者にしか伝わっていないだろうから。
カップを口元へと運びながら、チラリと向かいの男を見た。
ジェラールも、話は聞こえているであろうに、何の口出しもせずに香草茶を飲んでいる。
ーー油断が出来ないのよね。ツィアを狙っている連中もだけど、この男も。
バンパイアスレイブとなった者達を人里から離れた場所で眠らせてみたり、ルクレツィアを狙っている者達の動向を把握していたり、未だ正体が知れない部分が多い。ただ、ルクレツィアやアレク、冒険者達に敵意はないらしいので、今のところはネティ達も様子見をしている。
どうすればルクレツィアを守れるのか。
そんな事を考えながら、香草茶を口に含む。
「それは本当ですか? ジミー!」
「本当だってば! 色んな女達のこそこそ話をこっそり聞いてた俺が言うんだから、間違いないって!」
「まああ!」
嬉しそうに、ルクレツィアは手を打った。
「それは素晴らしいですわ! わたくしもぜひ参加したいですわ! 乙女道の収穫祭!!」
その一言に、ネティとジェラールが同時に噎せ返った。
2人が目に涙まで浮かべて噎せているのに、ルクレツィアとジミーは我関せずと楽しげに会話を続ける。
「親分は乙女道を知っているのか!?」
「勿論ですわ! 今、人気があるキャメロットの新名所だと伺っておりますのよ。わたくしはまだ行った事がありませんけれど、お祭りとなれば、ぜひとも参加をしなくては!」
「さすが親分だな! おいらは乙女道って名前しか知らないんだ!」
待って。
ちょっと待って!!
言葉にならないけれど、ネティはルクレツィアに向かって必死に手を伸ばした。
だが、話に夢中になっているルクレツィアは気付かない。
「聞いた話によりますと、乙女道では円卓の騎士のボールス様の厄招き人形や絵姿が売られているそうなのですわ。それから、ジャパンの珍しい品々を扱っているお店や、ジャパンの衣装をつけた娘さんや殿方が給仕をしてくれるお店‥‥いろいろ楽しい所があるのだそうです」
厄招き? 避けるんじゃなくて、招くの!?
ネティのツッコミも、ルクレツィアには届かない。
「姫、言いにくい事ですが、乙女道には近づかない方がよろしいかと」
思い留まらせようとしているのか、何とかもちなおしたジェラールが、引き攣った笑みをルクレツィアに向けて言葉を紡ぐ。
「まあ、何故ですの?」
「収穫祭の事は、私も聞き及んでいますが、今回の祭りは表通りではなく裏通りでひっそり行われるもののようなのです」
ジェラールの一言に仰天したのはネティだ。
ただの乙女道ならいざ知らず、裏通りと言えば「ヲトメの聖地」と呼ばれる場所ではないか。そこで扱われるものは、ルクレツィアには絶対に見せられない。
「裏通り‥‥ですか?」
「はい。迷路のように入り組んだ路地の奥、王宮の者に知られたならば取り締まりの対象にもなりかねない、曰く付きの怖ろしい場所です」
淡々と告げるジェラールに、ルクレツィアは目を丸くした。
「怖ろしい場所なのですか?」
「はい。円卓の騎士もバンパイアも、デビルでさえも食い物にする怖ろしい者達が生息していると聞きます。ですから‥‥」
だが、その言葉は逆の効果をもたらした。
「まああああ! それこそ王都少年警備隊が出動すべき場所ですわ!」
「「‥‥‥‥‥‥」」
しまった!
硬直したジェラールに冷たい視線を向けると、ネティは肩を落とした。
「分かったわ、ツィア。乙女道に行きましょう。でも、裏通りへの扉は選ばれた者にしか開かないって言うわ。その場合は、表通りで我慢するのよ」
「はいですの!」
嬉しそうに頷いた妹分に、更に大きく息を吐く。
そんなネティに、ジェラールが耳打ちをした。
「‥‥私の得た情報では、姫の身を狙う者がいるようです」
「バンパイア?」
ジェラールは静かに首を振った。
「それならば、まだ何とでもなりますが‥‥。最近、姫の周囲にデビルが現れるようになっているのです」
「デビル!?」
大きな声を出しかけて、ネティは慌てて口を押さえる。
「下級の雑魚ばかりですが、襲って来る気配はありません。距離を置いて様子を見ているみたいですね。デビルと言えば、噂では姫と兄君の従者であった者がデビルの下僕になったとか。彼は姫を害する事は出来ません。ですが‥‥」
言葉を濁したジェラールに、ネティの表情が改まった。
「‥‥そんな状態なら、私達だけじゃ手が足りないわね。ギルドに依頼を出して来るわ。皆にも協力して貰いましょう」
●リプレイ本文
●魔空間へようこそ
「バァンパイアァァ、であるか。デッドが起き上がりィ、アンデッドが跋扈する地ぃ、サウザンプトンにポーツマス、であるな。慈愛神の理法を外れぇ、外道の法理をもって通過を企てる者をぉ、教皇庁がぁ、テンプルナイトがぁ、この余がぁぁ、許してなぞぉぉおくものかぁ。ぶるあぁぁ!」
低く野太い声で雄叫びを上げるヤングヴラド・ツェペシュ(ea1274)を、道行く人々が遠巻きに眺めている。
「あの‥‥あの方はどうなさったんですの?」
ルクレツィアの手を引き、他人の振りですたすたと離れていくネフティス・ネト・アメン(ea2834)は、引き攣った笑顔を浮かべ、臼を回すかのように重く首を動かした。
「気にしなくていいのよ、ツィア。もうすぐ係の人が行くと思うから」
「係の人‥‥ですか?」
ツィアの言葉が終わるか終わらないかのうちに、どしどしと大きな足音を立てながら、ベアトリス・マッドロック(ea3041)がヤングヴラドへと歩み寄り、その大きな拳骨でガツンと後頭部を殴り付ける。
「なぁぁぁぁにをするかぁぁぁ!?」
「おだまりッ! 何をしていると言いたいのはアタシの方だよッ!」
もう1発、オマケにポカリとやると、ヤングヴラドはぱちくりと瞬きを繰り返し、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
「余‥‥余は一体、何を‥‥!?」
「‥‥ヤングヴラドの坊主‥‥アタシらに隠れて、何か変なものでも買い食いしたんじゃないのかい?」
目を細め、冷たく見下ろして来るベアトリスに、ヤングヴラドはぶんと頭を振った。
「そ、そんな不作法な事を余がするはずがないであろう! ただ、先程、「武家屋」といういう店の前で、売り子に勧められて新商品とやらを試食しただけなのであるッ!」
胸を張って自らの潔白を主張するヤングヴラドに、ベアトリスは額を押さえる。
「ああ、そうかい。じゃあ、きっとなんかに取り憑かれてたのさ」
そんな遣り取りを、見るとはなしに眺めていたオルステッド・ブライオン(ea2449)が溜息をついた。空は晴天。冬がすぐそこまで迫って来ている晩秋にしては暖かな陽射しの散策日和。世の中は焦臭く、聞こえて来るのは聖書に告げられた終末の時を思わせる話ばかりだ。にも関わらず、ここは長閑な雰囲気に満ちている。
「‥‥基本的に」
そんなオルステッドの戸惑いを感じ取ったのか、隣に並んだオイル・ツァーン(ea0018)が声を掛ける。
「ここは異世界だ。そう思っていて間違いはない」
「‥‥異世界」
そう言われてみれば、そんな気がする。
殺伐とした戦場を見飽きる程に見て来た。だが、ここには目映いばかりの笑顔が満ちている。
「そうか、これが乙女道か‥‥」
「そう、これが乙女道なのデス」
ふ、と口元に笑みを浮かべたオルステッドの耳元に囁く声。
名だたる傭兵たる彼の背後を取れる者など、多くはない。だが、その声は幻聴などでは決してなかった。
「ふふふふふ」
「誰だ!?」
振り向きざま、オルステッドは声の主を鋭い手刀で払う。けれど、その手は空を切る。
「ご心配なく! ちゃんとお祭りのパンフレットとチケットもばっちり準備していますから!」
奇妙な形(どう見てもどこぞに所属している騎士達に似ている)をした馬車止めに、すとんと降り立ったのはルンルン・フレール(eb5885)だ。しかも、何やら物騒な事を口にしている。
「お祭りのパンフレットとチケット‥‥だと?」
オイルの体に戦慄が走った。
まさかまさかの事態である。
「その祭りとは‥‥まさか裏通りの‥‥」
「はい! 夢にまで見た乙女道を満喫する為にはるばるジャパンから駆け付けました、花忍ルンルンです。いつかはあなたの住む町に行くかもしれません!」
ここが往来で無ければ、頭を抱えてしゃがみ込んでいただろう。
何とか足に力を入れて持ち堪えたオイルを支えようと、オルステッドが咄嗟に手を伸ばした。その途端に。
「きゃあああ」
「見た見た見た!?」
「いや〜ん! おいしいっ!」
そこかしこから聞こえる謎の叫び。
怪訝そうに眉を寄せるオルステッドに、事情を察したオイルが力無く首を振った。
「聞き流した方がいい」
それがまた奇怪な叫びを誘発する。
「‥‥‥‥」
駄目だ、こりゃという仲間達の生温かい眼差しを浴びながらも、何とか冷静を保っていたオイルだが、耳に入って来た会話に危うく憤死しかけた。
「ねえねえ、彼の本命はトリス様じゃなかったの?」
「えー。でも、前に茶店で彼を奪い合ってジャパンのサムライな人と、色っぽい銀髪の人が揉めてたって聞いたわよ?」
「嘘ー! けど、あの金髪の彼も素敵よね。‥‥なんだか、創作意欲が‥‥」
後は意味深な含み声が聞こえて来るばかり。そっと周囲を見渡しても、誰の発言か分からない。
「‥‥気にするなというのは、こういう事か」
半ば呆然としたオルステッドの呟きに答える気力は、既にオイルにはなかった。
「若い娘の声だったな」
声の主を突き止めるべく、オルステッドは耳を澄ませた。すると、雑踏の中、ただの雑音だった娘達の会話が意味を持つものとして鮮明に聞き取れるようになる。
「冬のお祭りが待ち遠しいわねぇ」
「この間、売り切れていた写本があったの。嬉しい!」
純粋に買い物を楽しむ娘達の会話だ。
これのどこに問題があるのだろう。
オルステッドは額を押さえたままのオイルにちらりと視線を向けると、再度、意識を聞こえて来る会話に集中させる。
「このシチュ、私、超好みかも〜! 主従よ、主従! 絶対、アス×オレ、イチ押し!」
「私、下克上の方が好きだわ。あなたは主、でも‥‥ってやつ。だから、オレ×アスに1票!」
「いやん! ルーグとオレイがアスタロト様の寵愛を得る為に競い合う三角関係がオイシイって!」
今、何か奇妙な言葉が聞こえた気がする。
オルステッドは頭を振った。
「‥‥気のせいか‥‥」
そんな事は有り得ない。苦笑して竦めた肩に、軽く手を置かれる。
「‥‥ジェラール‥‥」
つばの広い帽子に外套、そして手袋。隙なく色も装飾も計算され尽くされた出で立ちで立つのは、今回の協力者たるジェラールという謎の多い男だ。普段はキャメロット郊外のサウザンプトン領主別邸近辺の働くお母さんの味方、子供を預かって遊ばせている好青年だが、油断出来ない相手であると、初対面の時から感じていた相手である。
「若い娘達や観光客が溢れる‥‥この通りの姿は表の顔。デビルでさえも、ああやって食いものにされる、怖ろしい場所‥‥それが、乙女道の裏の顔だよ」
淡々と紡がれた言葉に、オルステッドは目を見開いた。
「‥‥ここは魔窟か」
思わず漏れた呟きに、ジェラールは小さく笑ってみせただけだった。
●彼の願い
乙女道という魔の空間に翻弄されている者達も、当然ながら、本来の目的を忘れているわけではない。
「ネティ‥‥」
通りの片隅に妹の姿を見つけて、テティニス・ネト・アメン(ec0212)はその微笑ましさに思わず笑ってしまった。
娘らしい意匠を施された外套で頭から足先まですっぽりと覆われたツィアの傍らで周囲へと目を光らせているネティの様子は、まるで子猫を守ろうとする母猫のようだ。
「いつの間にか、すっかりお姉さんらしくなって‥‥。嬉しいけど、なんだかちょっと寂しい気もするわね」
覚束ない足取りで自分の後を追いかけては転んで泣いていた頃を思い出すと、ついつい姉というよりも子供の成長を見守って来た母親の気分になってしまう。
「いけない。感傷に耽っている暇はなかったのよね」
足早に妹へと近づくと、彼女の姿を見つけたネティが嬉しそうに顔を輝かせる。
「テティ姉様」
ツィアの前では出来ない話だと察して気を利かせたのか、シャロン・シェフィールド(ec4984)が彼女の手を引き、一軒の店先を覗き込んだ。客の目の前で香ばしい匂いの菓子を焼いている店のようだ。さほど離れてもいないし、危ない店でも無さげである。
安心して、ネティはテティへと向き直った。
「姉様、何か分かった?」
「屋敷の周囲に、バンパイアも、協力者らしき者も潜んではいないみたいね。いくつか隠れ場所になりそうな所は見つけたのだけれど、何の形跡も無かったわ」
そう、とネティは考え込んだ。
ポーツマスの状況から、ツィアを狙う者‥‥そして、ツィアが追っている者が動き出すと考えたのだが、それは杞憂だったのだろうか。だが、ジェラールが言っていた、彼女を監視しているらしいデビルも気に掛かる。
「この人混みでも、おかしな風体をしている者は目立つわ。けど‥‥」
「分かっているわ、ネティ。その為に、皆と対策を立てているのでしょう?」
ネティが行ったツィアに関する占いの結果は混沌として、読み取り切れなかったという。ネティがツィア心配する気持ちはよく分かる。何しろ、自分もいつも同じように妹の心配をしているのだから。軽く妹の背を叩いて、テティは明るく笑って見せた。
「そんな顔しないの。ツィアが変に思うでしょう?」
うん、と頷いた妹に微笑みかけると、ヤングヴラドの襟首を掴んだベアトリスが2人の元へと歩み寄って来た。
さすがのテンプルナイトも肝っ玉母さんから見れば、まだまだ手の掛かるやんちゃ坊主であるようだ。
「嬢ちゃん達、ツィアの嬢ちゃんはどこへ行ったんだい?」
「ツィアなら、シャロンさんとお店を見ているわ」
ネティが指さした先に、熱々の焼き菓子を頬張り、楽しげに笑い合っているシャロンとツィアの姿がある。
「ああして見ると、普通の子よね」
「本当に。だからこそ、きっちりと守ってやらなきゃいけないんだよ、そうだろ、ヤングヴラドの坊主?」
「その通りである! ‥‥であるが、そろそろ手を放すのだ! 余は誉れ高き‥‥」
ヤングヴラドの口上が終わる前に、襟からベアトリスの手が離れ、彼はぽいと投げ出された。転ぶという不名誉な事態は寸での所で回避出来たが、猫の子のように扱われた事への怒りは消えない。文句の1つも言ってやろうと口を開きかけるよりも先に、表情を改めたベアトリスが仲間達を見回して告げた。
「テティの嬢ちゃんと一緒に、屋敷のまわりを確認してみたよ。小物デビルっぽい反応は幾つかあったんだけど、大物はいなかったねぇ。今は‥‥身近に2つ、大きな反応があるねぇ」
1つは分かっている。ルクレツィアだ。
そして、もう1つは‥‥。
「どういう事か説明してくれるね、ジェラールの坊主」
苦笑いを浮かべながら、ジェラールは頬を掻いた。
「説明も何も、皆さんも予想はついているのではありませんか?」
「デビルやアンデッドを探知する術に、あんたが反応するのはつまり、あんたがアンデッドだからかい? それともデビルなのかい?」
何の捻りもなく、真っ直ぐに尋ねたベアトリスに、ジェラールは笑って見せた。いつもの好青年然とした笑みではない。善良なる者をも誑かす魅力を備えた、魔的な笑みだ。
「僕は姫の騎士。何度もそう言って来たはずだけど?」
赤い瞳はツィアと同じ。
そして、笑みの形に歪められた口元から覗く鋭い犬歯も。
「僕の全ては姫の為に存在する。あの騒ぎで気配すら感じる事が出来なくなった事もあったけど、いつかお仕え出来ると信じて闇に潜んで来た」
「‥‥そうして、彼女を見つけたのですね。それで、あなたも彼女を王にしたいのですか? 普通の少女のように、楽しんでいる姿こそが彼女には似合うと、私は思いますけれど‥‥」
掛けられた声に、ジェラールの笑みがいつもの優しげなものに戻る。
人数分の菓子を手に戻ったシャロンが、静かに問うた。
「あなたは彼女自身が気付かぬ願いの為に動いていらっしゃるそうですが、その願いを、あなたはご存じなのですか」
「勿論」
困ったように小さく首を傾げて笑うと、シャロンは彼の手の上に温かい菓子を乗せた。人の顔に似せた、どこか滑稽な菓子を、同様に仲間達にも配る。
「ルクレツィアさんが、とても気に入られて皆様にもと。‥‥ジェラールさん、その願いというものが、彼女の心にあるのだとしても、騎士が姫の答えを先取りするのも、あまり良い事ではないかと」
「そうかもしれない‥‥。けれど、その願いを姫が自ら望んだ時、僕は出来る限り力になりたい。君達が姫を守りたいと思うように、僕も彼女の側にいて守りたい。ただそれだけなんだよ」
その呟いた彼が少し寂しそうに思えたのは、シャロンの考え過ぎだろうか。
バンパイアの王国が滅んだ後、王を探して流離い続けたバンパイア達。ルクレツィアの故郷であるワイト島の住民をスレイブにしたバンパイアも、ジェラールも、根幹の思いは同じなのかもしれない。
見れば、渡した菓子を一口頬張って、ジェラールは「うん」と頷いていた。
「このお菓子は美味しいね。姫がお好きなら、僕も挑戦してみようかな」
去来した思いに、シャロンはきゅっと胸元を握り締める。
と、その時。
「あら? そう言えばツィアは?」
ネティがきょろきょろと辺りを見回しながら妹分の姿を探す。
「ああ、大丈夫です。ツィアさんなら、ルンルンさんが一緒ですから」
「「え」」
何気ないシャロンの一言に固まったのは、離れた場所で話を聞いていたオイルとオルステッド、そしてジェラールだ。
「ど‥‥どうかしましたか?」
その反応に不安を覚えたシャロンの様子にも気付かぬように、3人の男達は慌てて駆け出したのであった。
●襲撃者
「う‥‥。我慢です」
とある乙女の個人的事情により、乙女道から足を洗う決意をしたヒルケイプ・リーツ(ec1007)は、目の前に広がるめくるめく愛と煩悩の世界から目を背けるようにして拳を握り締めた。
なのに、その決意を嘲笑うかのように、少し離れた場所から歓声が響く。
「わあ、見て下さい、見て下さい、トリスたんです、トリスたん! 可愛い〜っ!」
「まあ、この方も円卓の騎士様ですの?」
店頭に並べられたトリスたん人形に大興奮のルンルンに、ボールス様厄招き人形(大)を抱えたツィアも目を輝かせる。
「我慢です、我慢‥‥」
耳を塞いだりしたら、護衛出来ない。これも精神修養だとヒルケイプはまじないのように「我慢」という単語を唱えて、買い物に余念がない2人を見守った。だがしかし。運命は得てして意地の悪いものである。
「そういえば、お祭りは裏通りで行われているのですわね。裏通りの扉は選ばれた者にしか開かれないと聞きましたが、ルンルン様はご存じですか?」
「勿論です!」
お祭り、裏通り。
その2つのキーワードに、ヒルケイプの理性がぐらぐらと揺れる。
「まあ! 凄いですわ! さすがはジャパンの忍者さんですわねッ! それで、どうすれば扉は開きますの?」
「それは」
「ちょ、ちょっと待って下さい〜っ!」
我に返ったヒルケイプが慌てて止めに入ったが、それは少し遅かったようだ。
「色褪せない心の地図を、光にかざすんですっ!」
ルンルンとツィアの間に割って入った姿勢のまま、ヒルケイプは倒れ込む。当然ながら、それでは裏通りへの扉は開かれない。裏通りは異世界ではないのだから。
ーーここから一番近いのは、このお店の3軒隣の軒下にある馬車止めが示す裏道に入って、そこから‥‥。
そこまで考えて、ヒルケイプはぶんと首を振った。
ーー駄目駄目駄目です! もう足を洗うんです!
そんなヒルケイプの動揺を余所に、ルンルンはにっこり笑ってツィアに片目を瞑って見せる。
「‥‥というのは冗談です。この地図に寄ると、一番近い入口は、このお店の近くにある馬車止めが教えてくれるみたいですよ」
地面に倒れ込んだまま、ヒルケイプはがくりと項垂れた。
「馬車止めさんが‥‥。それはとても働き者な馬車止めさんなのですね」
「そうですね。雨の日も風の日も雪の日も、乙女に道を示してくれるんですものね」
頭上で交わされるのはほのぼののほほんとした会話だ。しかし、ヒルケイプの勘が危険を告げている。このまま裏通りに突入されては、後で仲間に何を言われるか分かったものではない。
きり、と表情を改めてヒルケイプが立ち上がりかけたその時、緊張を孕んだベアトリスの声が響いた。
「ヒルケイプの嬢ちゃんッ!」
はっと顔を上げれば、一様に真剣な表情で駆けて来る仲間達の姿がある。ベアトリスが指さすのは、通りに並んだ店ではなく、その奥だ。
咄嗟に、ヒルケイプはルンルンと視線を交わした。
「ルクレツィアさん、こっちです!」
ツィアの手を引いて、ルンルンが走り出す。その後をネティ達が追いかける。
見慣れた馬車止めを飛び越えて、ヒルケイプは裏通りに続く道には不似合いな男の背を見つけた。大柄な男だ。彼女の位置からでは、短く刈り込まれた髪ぐらいしか分からないが、隣に誰かを伴っている。
追いついた仲間達と頷き合い、ヒルケイプは男を追った。
乙女道の裏通りは、迷路のように入り組んだ細い路地が続いている。時折、置かれてある馬車止めが乙女の目印だ。それを知らぬ者は、戦場での経験を積んだ冒険者でさえも迷うしかない。
男を見失えば、次に見つけ出す事も難しい。ヒルケイプは焦って足を速めたのだが‥‥。
「気をつけるのである!」
鋭い声が飛んだ。
ヒルケイプの腕を掴み、引き寄せるとヤングウラドの漆黒の刃を持つ刀が宙を断つ。耳障りな絶叫を残して、醜いデビルが一瞬だけ姿を現し、消えていく。
「やはり出て来たであるな。‥‥となると、ルクレツィアどのが危険なのである!」
「ツィアはネティ達が追った。今は、あの男を」
オイルの言葉に同意を示して、オルステッドはストームレインの柄を握った左手を翻した。うじゃうじゃと湧いて出てくるデビル達。裏通りに入り込んだとはいえ、道を1本隔てれば人の多い表通り。こんなものが現れたら、通りは恐怖で阿鼻叫喚、混乱の坩堝と化すであろう。
「‥‥そうだろうか」
懸念を口にしたオルステッドに、ぼそりとオイルが呟く。彼の脳裏に過ぎるのは、どうやら別の光景のようだ。
「そんな事よりも、このままではあの男に逃げられてしまいます!」
行く手を遮るデビルを切り捨てて、ヤングヴラドはヒルケイプを振り返った。
「余が道を開くのである! そこを!」
「はい!」
聖なる母の御力を地上に示すテンプルナイト、その威容を持って周囲のデビル達を圧すると、聖なる母の祝福を与えた無明を一閃した。ほんの僅かな間、男の背まで何の障害もなくなった。その一瞬を逃さず、ヒルケイプは色つきタマゴを装着し、ぎりぎりまで引き絞っていたスリングの紐を放つ。
「お願い! 当たって!」
祈りの言葉と共に放たれたタマゴの行方を、デビルを切り伏せていた仲間達も瞬間動きを止め、固唾を呑んで見守る。
軽い破壊音がした。
「当たったであるか!?」
「わ‥‥分かりません。タマゴが割れたのは確かですけれど‥‥」
群れて襲い掛かって来るデビルが邪魔で、割れたタマゴがどうなったのか、確認出来ないようだ。
「ええい、邪魔なデビルどもめがッ!」
「‥‥ここは任せて先に行け」
ヤングヴラドに迫るデビルを纏めて消滅させたオルステッドに、にっと不敵な笑みで応えると、ヤングヴラドはヒルケイプの手を取って走り出した。
「不躾にも、ご婦人の、手を、取る事を、許されよ!」
「緊急時、です、から!」
ヒルケイプの愛犬、律丸が絵の具の匂いを追って彼らを先導する。現れるデビルを切りつけながら、ヤングヴラドとヒルケイプは男との距離を縮めて行く。
「そこの人! 待って下さいッ! 止まって下さいッ!」
激しく吠え立てる律丸とヒルケイプの叫びに、男の足が止まった。だが、見る限り、男の外套に絵の具の汚れはない。その代わりに、フードを深く被った傍らの人物の外套にべっとりと絵の具がこびり付いていた。
「あ、あのっ、あなた達は、一体‥‥」
弾む息を整えながら、ヒルケイプが問う。
油断なく無明を構えたヤングヴラドと律丸が、じりと注意深く彼らの退路を断つ。
「あのタマゴを投げつけたのは君か」
予想よりも遙かに静かで落ち着いた声に、ヒルケイプは顔を上げて、真正面に立つ男の顔をまじまじと見つめた。
「えーと、‥‥はい」
「お陰で、僕のマントが台無しだよ。これも厄招き人形の‥‥えーと、何だっけ?」
「御利益」
フードを被っているのは、どうやら青年のようだ。彼の問いかけに、男が無愛想に応える。
「そう。御利益ってやつかなぁ? だとしたら、小さいのにして正解だったかもね」
肩を竦めて、青年は外套の中から「ボールス様厄招き人形(小)」を取りだしてヒルケイプに見せた。ついでに、フードも外す。艶やかな黒髪と紫の瞳が印象的な青年だ。
「貴殿は一体何者であるか? ここに何をしに来‥‥」
「‥‥サミュエル」
デビルを一掃し、ようやく追いついたオイルが呆然と呟いた。眉を寄せ、目を見開いた彼に、オルステッドが怪訝そうな視線を向ける。
「‥‥知り合いか?」
「ポーツマスの復興支援に向かった冒険者の1人だ。この男は、そのままあちらに居着いてしまったがな」
警戒を解かぬ様子のオイルに、オルステッドもストームレインを鞘に戻す事なく成り行きを見守る。
「ここで何をしている? サミュエル」
「ミリセントが乙女道の噂を聞いて‥‥な。そうしたら、ミリセントの客人までもが行きたいと言い出して‥‥」
ちらりと、サミュエルが青年を見た。
「だって、楽しそうだったから。もっと早く知っていたら、この間、見物していたのにさ」
唇を尖らせる青年に、ヒルケイプの肩から力が抜ける。
どうやら、ルクレツィアを狙う敵ではなさそうだ。
「それで、ミリセントは?」
「裏通りの祭りとやらを見に行っている。我々も、そこに向かうつもりだったのだが‥‥」
その言葉が終わらぬうちに、がしりとオイルがサミュエルの肩を掴む。
突然の行動に、仲間達の間に緊張が走った。
「‥‥悪い事は言わん。止めておけ」
呆気に取られるサミュエルと真剣な顔をしたオイルとを、事情を知る者達は生温かく見守ったのであった。
●乙女の聖地
その頃、ルクレツィアを伴い、裏通りへと走り込んだルンルンも、襲い来るデビルに閉口していた。デビルを倒すのは問題ない。差し障りがあるのは、ツィアだ。彼女の前では出来る限り、血と争いを避けるという制約が、七なる誓いの短剣を振るうルンルンの手を鈍らせていた。
「ツィア! 大丈夫?」
追いついて来たネティがツィアを抱き締める。彼女を安全な場所に移すのが最優先事項だと分かっていても、ネティは彼女の無事を確認せずにはいられなかったのだ。
「わたくしは‥‥」
「ネティ、彼女を安全な場所に。私はこのセトの眷属を‥‥ジェラール?」
テティの肩を掴み、背後へと押し遣ったジェラールに、テティは怪訝な声を上げた。共に駆けて来たシャロンも急に変わった彼の気配に戸惑った様子を見せる。
「ここは‥‥僕に任せて頂けますか」
初めて聞く硬い声。
「ですが‥‥」
言い淀んだシャロンを、彼はテティと同様に背後へ、ツィアの側へと突き飛ばす。
「いいから行って下さい。ルンルンさんも。不本意ですが、姫を守る事に関しては、僕もアレも同じ思いなのですから」
アレって何ですか?
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、シャロンはネティを急かすとその場を離れる。
声だけではなく、纏う気配も、シャロンが初めて見るジェラールだ。とても、聞ける状態ではなかった。
「ここからなら、聖地が一番近いです! 聞いた話では、聖地はいつ手入れにあっても大丈夫なように、いくつも逃げ道を用意しているそうですから!」
ルンルンの案内で、彼らは「乙女の聖地」を目指す。近づくにつれて、楽しげな女の子達の姿が増え、辺りは表通りと変わらぬ賑わいに満ちていく。辺り憚らずにツィアを狙うのであれば、表通りでも出来たはず。それをしなかったという事は、ツィアを狙う者は、あまり騒ぎにしたくないのだろう。
そう判断して、彼女らはようやく息をついた。
「ふぅ〜、やっと追いついたよ」
巨体のせいで、入り組んだ小道の多い裏通りで遅れを取っていたベアトリスも合流を果たす。
「一体、どうしちまったんだろうね。この辺りはデビルやアンデッドの気配だらけだよ。まあ、今はほとんどが消えちまったけどね。ところで、ツィアの嬢ちゃんっぽい気配を辿って、ここまで来たんだけど」
はて、とベアトリスは首を傾げる。
「嬢ちゃんに似た気配があったような気がするんだよ。あんた達、何か気が付かなかったかい?」
と言われても、気配を探る術を持たない彼女達には、似た気配があった事にすら気付いていなかったのだ。力無く首を振る彼女らに、ベアトリスも息をついて、腰に手を当てた。
「ま、仕方がないさ。とにかく嬢ちゃん達が無事だったのが一番さ」
「そうですね! ついでに、偶然にも聖地とお祭り会場に来る事が出来てラッキーでした!」
ルンルンの一言に、出来るだけツィアを裏通りから遠ざけたかった者達の顔から血の気が引く。
「それじゃあ、私はちょっとだけ失礼して‥‥」
「ルンルン様、わたくしも見に行きたいですわ!」
ちょっと待ったーーーー!!
慌てて、ネティがツィアの手を掴んだ。
「そっ、その前にツィアに聞きたい事があるの」
「はい?」
小首を傾げるツィアを引き戻して、道の端に用意されていた座り読み用の縁台に座らせる。
「ツィア、ワイト島を出る時に言っていたでしょ? 島の皆をあんな風にした相手を探したいけど、探してどうしたいか分からないって。あれから、ツィアは色んなものを見て来たわよね。それで‥‥ツィアはどうしたいのか決まった?」
きょとんと見返して来るツィアの答えを、ネティは待った。彼女にとって、ワイト島や色んな事件で感じた事は、一過性の感情に過ぎないのかもしれない。今はもう、過去の記憶でしかないのかも。だが、ネティは信じたかった。
自分達と結んだ絆と、その絆がもたらしたものを。
「あの方を見つけた時、どうしたいのかは今も分かりません。でも、ジェラールが聞くのです。お兄様やヒューや冒険者の皆様‥‥皆は好きか、今の暮らしは好きか、と。勿論、わたくしは大好きですので、そう答えましたら、わたくしが皆と楽しく暮らしたいと願うなら、きっと叶うと言って下さいましたの」
にこやかに、晴れやかに、ツィアは告げた。
「ですから、わたくし、皆様とずっと一緒にいたいと一生懸命願う事に致しましたの。聖なる母にお祈りをすれば良いとソニアが教えて下さいましたので、毎日、お祈りを致しておりますのよ」
「‥‥うん。うん!」
この少女は大丈夫。安堵と喜びとに突き動かされて、ネティはぎゅっと、力一杯細いツィアの体を抱き締めた。
そんな2人の様子を見守っていた仲間達も、ほっとした様子で互いを見合わせた。冷たさを増した冬の空気の中、柔らかな陽射しが作る日溜まりのような心地良さを味わいながら。
「皆さ〜ん! 仮面ヲトメ隊の新刊「究極の愛の書」、皆さんの分も無事ゲットしました! 今回は円卓関係者閲覧禁止だそうですから、取扱注意です〜!」
嬉しそうに手を振りながら駆けて来るルンルンの、日溜まりを吹き飛ばす一言に凍り付いた仲間達の中、辛うじてノーサンキューと反応を返す事が出来たのは、テティとベアトリスだけだったという‥‥。
●闇の契約
「お帰りなさいませ」
丁寧に頭を下げた銀髪の青年に、彼は土産を放り投げて渡す。
円卓の騎士を象った人形と、彼と彼の部下の愛憎劇を扱った大笑いな写本だ。それらを受け止め、一礼して去ろうとした青年に、彼は何の感情も窺わせない声で告げる。
「そういえば、お前の主を見たよ。可愛い子だね」
「私の主は貴方様です」
いつもと同じ答えを返してくる青年に、彼は上機嫌で頷いた。
「そうだよ。お前はボクのモノだ。でも、お前には血の主がいるだろう? ああ、そうだ。誰かは見当がつくけど、その子を見張らせている者がいたね。何をするつもりかは知らないけれど、勝手な事をしてお前との契約を反故にされるのは面白くないよね」
びくりと僅かに動揺を見せた青年に、殊更優しい声で囁く。
「行っておいで。血の主を守りに。血の主の無事が、ボクとお前の契約の要なんだからね」
くすくすと笑って、彼は青年が抱えている土産を突っついた。
「この写本でも見せてやれば? 発狂して君の血の主どころじゃなくなるかもしれないよ」
どこまで本気か分からない主に深く頭を下げて、彼は新しい漆喰の匂いが鼻をつく部屋を辞した。