聖女の憂鬱
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■ショートシナリオ
担当:桜紫苑
対応レベル:1〜5lv
難易度:普通
成功報酬:1 G 62 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:09月12日〜09月19日
リプレイ公開日:2004年09月21日
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●オープニング
腰の曲がった人の善さそうな老僕を伴って、ギルドの扉を押し開けたのは質素な身なりをした初老の女性であった。
雑然とした喧噪に満ちたギルドの中、怒り心頭に、もしくはさめざめと泣きながら受け付けにへばりついていた依頼人達も、壁に張り出された依頼をああだこうだと吟味していた冒険者達も、その光景を肴にご機嫌で酒を飲んでいた傍観者も、一様に動きを止めた。
彼らの視線は、どこか場違いな雰囲気を漂わせる老婦人に向けられていた。
「‥‥どう見ても修道女だよな」
「修道女がギルドに一体何の用なんだ?」
修道院は、イギリスの各地にある。
そこでは、アーサー王が土着の精霊信仰との合一化を進めた「ジーザス教」の教えを守り、日夜、信仰の道を究めんとする者達が共に生活している。
修道女とは、女子修道院において神の僕としての誓いを立て、生涯を神への祈りと讃美、そして弱者への奉仕に捧げた女性の事だ。
「はじめまして」
落ち着いた、深みある声が老婦人から発せられた。
見た目通りに上品で、穏やかな声。
「わたくしは、山深い田舎の修道院にて、聖なる母の教えを守る者でございます」
ギルド内の全ての人々が彼女の言葉を聞き取ろうと息を詰め、耳を澄ませる。慈愛深い聖なる母に仕えし修道女。彼女が、何の為にギルドへとやって来たのか。
−‥‥気になる
−‥‥‥‥気になって仕事も探せねぇッ
大抵の修道院は厳しい戒律が定められている。朝の2時(一般的に朝じゃない)の祈祷から始まり、55曲の讃美歌を直立不動で歌い続け、太陽があるうちは休む間もなく働き通しという清く規律正しい生活を送っているはずである。私的な楽しみも一切禁じられている所もあるという。そして、何よりも‥‥。
「修道女がギルドに何の用があって来た? まさか、モンスターを退治して欲しいとか言い出すんじゃないだろうな?」
声に出さぬ非難が空気を伝い、老婦人に話しかける青年を取り巻いた。
彼の唐突な行動に、従者たる銀髪の青年も仰天したようだ。普段の冷静な彼からは想像もつかないような動揺を見せて固まっている。
だが、青年はちくちくと突き刺さる針の如き周囲の雰囲気を気に留める様子もなく、婦人の返答を待っていた。口元に皮肉気な笑みさえも浮かべて。
「貴方のおっしゃる通りです。わたくしは、モンスターを追い払って頂きたくてこちらに伺いました」
ギルドがどよめいた。
「な‥‥なんだ?」
あまりに激しい驚き様に、建物が揺れたかの錯覚をおぼえて、青年が周囲を見渡す。
「皆さん、驚かれたのですよ」
先ほどまでの驚愕ぶりを微塵にも感じさせず、銀髪の青年が控えめに主に告げた。
「何しろ、聖なる母の加護篤い修道院からの依頼ですから」
穏やかに微笑んだ老婦人に視線を戻して、青年は息をついた。
「確かに」
聖なる母への祈りと讃美とが生活の全てに組み込まれている修道院。どんな田舎であろうとも、そこは聖なる母の守護に満ちた場所であるに違いない。
「だが、修道院ともなれば白のクレリックが1人くらいいるだろうに」
呟いた青年に、老婦人は「お恥ずかしながら」と語り始めた。
彼女が祈りの日々を送る修道院は、山の奥にある。近くにある小さな集落の人々の病を治すのが精一杯という小さな小さな神の家だ。
基本的に修道院の生活は自給自足。
彼女達も、他の修道院と同じく畑を耕し、ミツバチを飼った。
「ですが、それがアレを呼び寄せてしまったのです」
ある日、突然に姿を現した1匹の熊。
猪の頭を持ったバグベアと呼ばれるモンスターは、彼女達のささやかな庭に入り込み、ミツバチの巣に襲いかかった。
「聖なる母のご加護がある我らが、モンスターを恐れ、逃げるわけには参りません。そんな事になれば、村の人々が神のご加護に疑いを抱きかねません。年若い修道女が、毅然とその熊に向かって行きました」
彼女は、神聖魔法を修得しているクレリックだった。だが、しかし‥‥。
「彼女は熊と向かい合いました。しばらくの間、彼女は熊と睨み合いました。互いに1歩も動けない状態がどれだけ続いたのか‥‥。先に動いたのは熊でした」
咆吼をあげて襲いかかる熊を、彼女は真っ正面から迎えうった。
「‥‥相手が正々堂々と戦っているのだから、自分もそうするのが礼儀だと‥‥彼女は‥‥」
「‥‥バグベアとガチンコ勝負っスか‥‥」
一体、どんな修道女なのだろう。
冒険者達の頭の中に、バグベアと真っ向勝負を挑む修道女の想像図がアレコレと駆け抜ける。
「そして、先日の勝負で通算5勝5敗1引き分けとなりました」
「しかも、既にライバルですか!」
老婦人は、そっと白い手布で目元を拭った。
「モンスターの力と彼女の魔法がぶつかり合った結果、庭は荒れ放題、ミツバチ達も巣から移動しかねない状態に陥ってます。どうか、皆様、わたくし達の平穏な生活の為に、力を貸して下さいませ」
「‥‥院長先生ってば、どうして冒険者なんかを呼ぶのかしら」
衣の裾の埃を払って、彼女は立ち上がった。そろそろ、午後の礼拝の時間だ。
「アイツは、必ず私が倒してみせるのに」
「‥‥院長先生は、おねーちゃんが心配なんだと思うなぁ」
彼女の手伝いをしていた少女が、ふぅと溜息をつく。
「無茶はしちゃ駄目だよ? おねーちゃん」
「そうだ! どうせなら冒険者に色々と仕事を手伝って貰えばいいんじゃない! ハチミツ採りに、畑の肥料やり‥‥ううん、冒険者ともなると、力自慢でしょうから、納屋や屋根の修復をしてもらうのもいいかも‥‥」
少女は、何度目か分からない息を吐くと小さく頭を振った。
●リプレイ本文
●決着の時
その場の誰もが、息を詰めた。
礼拝の時間を告げる鐘が打ち鳴らされている。
風に乗って、遠く近くに聞こえて来るその澄んだ音色は、これから戦いの時を迎えようとしている彼らを戒めているかのようだ。聖なる母は、戦いなど望んではおられない、と。
だが、慈愛深き母の嘆きにも、今は耳を塞がねばならない。悲しませると分かっていても、やらねばならぬ事がある。
決意を込めて足を踏み出したアーウィン・ラグレス(ea0780)に続いた葛城伊織(ea1182)は、ふと思い出したように立ち止まると、背後で佇む少女達を振り返った。
手を組み、瞳を潤ませる少女達に、彼は屈託ない笑顔を向ける。
「なに、心配するな」
言葉を残さず、立ち去って行く男の後ろ姿を見送り、ジェームス・モンド(ea3731)は少女達の肩に手を置いた。
「あいつらは必ず戻って来る。だから、笑って見送ってやれ」
「ジェームスさん‥‥」
修道服の袖で滲んだ涙を拭い、ティアイエル・エルトファーム(ea0324)はモンドを見上げる。彼の暖かい手が、不安に震える少女の顔にぎこちない笑みを取り戻した。
「‥‥はい」
「特に伊織の奴は、可愛い嫁さん貰って子供と孫に囲まれて縁側で茶を啜り、息子の嫁に「おじいちゃん、ごはん食べたばかりでしょ!」と言われるようになるまで死んでも死にきれないと言ってたしな。大丈夫、その夢を叶えるまで、あいつは死んだりしない。あ、でもな。うちのお姑さんも、昔は可愛いお嬢さんで可愛いお嫁さんだったんだぞ、多分。気を付けろよ、伊織!」
アーウィンが、ちらりと伊織を見る。
「お前ら、何を真剣に話しているのかと思えば‥‥」
「いや、何‥‥ちぃとばかし昔話をだな‥‥そこから色々‥‥」
だらだらと冷や汗を流す伊織の顔色はすこぶる悪い。
宿敵たるバグベアと決着をつける時を迎えた修道女、クラリスの傍らに寄り添うサリトリア・エリシオン(ea0479)の突き刺さるような視線を背に感じつつ、伊織は凶悪な面構えをした敵に対してファイティングポーズを取る。
「とうとう始まりました。世紀の対決! モンドさんは、この勝負、どうご覧になりますか?」
テンションの低い伊織とは反対に、幾分興奮気味なアルシャ・ルル(ea1812)の声が静かな森の中に流れた。アルシャは腕組みしたモンドの顔を下から覗き込んでコメントを求める。
「そうだな、接近戦担当のアーウィンと伊織がどこまで五分の勝負に持ち込めるか‥‥それが鍵になるだろう」
「と言いますと?」
モンドは真剣な表情で状況分析の結果を述べた。
「奴はクラリスの戦い方を知り尽くしている。ホーリーによる遠距離攻撃は読んでいるだろう。だが、慣れない近距離からの攻撃は心身共に受けるダメージが大きくなる可能性がある。後は、ホーリー以外も効果的かもしれんな。例えば‥‥。ティオ」
「はーい。分かってま〜す」
男を戦場に送り出す役を演じていたティオが、それまでとはうって変わって元気いっぱいに手を挙げた。
直後、空に走った鋭い光がバグベアの足下に炸裂する。あと一歩、踏み込んでいたら、アーウィンも伊織も巻き添えを食らったに違いない。
ごくり、生唾をのんだ彼らの耳にぱたぱたと軽い羽音が届く。
「んーとぉ、バグりん、ビリビリびっくりしちゃって動きが止まっちゃったみたいだよ〜」
バグベアの間近から状況報告をしたカファール・ナイトレイド(ea0509)に、ありがとうと声を掛け、アルシャは感嘆の声をあげる。
「凄いですね〜。その表情から窺い知る事は出来ませんが、カファちゃんの報告では250IPという所でしょう」
「しつも〜ん! IPって何ですかぁ?」
生真面目に手を挙げたティアの問いに、アルシャは顎に指を当てて首を傾げた。
「痛いポイント‥‥という所でしょうか?」
でしょうかと尋ねられてもな‥‥。
モンドは曖昧に頷く事しか出来ない。
「ところでお前さんは参戦しないのか?」
「こんな人外の戦いに巻き込まれたら、神の家から神の御許へ旅立つ事になりかねません。ああ! 今、伊織さんとアーウィンさんの時間差攻撃が華麗に決まりましたーっ」
ショートソードを構え直し、乾いた唇を舌で潤すとアーウィンは不敵な笑みを浮かべた。
「見ろよ。なかなかなシチュエーションじゃないか。ブザマな姿は見せらんねェな」
「同感だ」
同時に飛び出したアーウィンと伊織の攻撃に気を取られていたバグベアに、サリトリアのホーリーが炸裂する。続けて、クラリスの一撃も。
「気をつけて。次の攻撃は流すのよ」
囁くように、レティシア・シャンテヒルト(ea6215)が注意を促す。「分かった」と答えかけて、伊織は次の拳を繰り出そうとした体勢のままで動きを止めた。
レティシアがアドバイスを与えていた相手は、敵たるバグベアだったのだ。
「‥‥えーと、レティりん?」
レティシアにコメントを求めるカファに、彼女はにこやかに微笑んだ。
「1対複数では熊さんが可哀想だもの。わたし、熊さん側につくわね」
「で‥‥でも‥‥言葉‥‥」
ふ、とレティシアの笑みが増す。
「大丈夫よ。熊さんとも分かり合えると思うの。愛と共感とテレパシーで」
どきっぱりと言い切ったレティシアに、アーウィンは戦いの最中にも関わらず空を見上げて1人感慨に耽ってしまった。
「そうか。愛と共感とテレパシーか」
凄いよな。愛は種族まで越えるんだ‥‥。
しかし、彼は知らない。
愛と共感とテレパシーが通じなかった時の為に、彼女が拳に巻き付けたハンカチの中に小さな鉄片を潜ませていた事を。
思わぬ成り行きに呆然としていた冒険者達の中、最初に役目を思い出したのは、実況中継のカファであった。
「んーと、じゃあ、レティりんはバクりんのチームという事で! あ、そうだ。バグりん、中継への攻撃は反則だよ! 絶対だよ!」
「‥‥だそうよ」
呼応したように、バグベアは咆吼をあげた。間近に浮かぶカファをちゃんと避け、渾身の力を込めて伊織へと振り下ろされる腕。
その一撃を受け止め切れず、伊織は後方へと吹き飛ばされた。
「伊織さん!」
上擦った声で叫んだティオの体が緑がかった光に包まれ、再び雷が走る。そこへすかさずアーウィンがショートソードで斬りかかった。
「伊織さん、大丈夫ですか?」
ふらつく頭を2度、3度と振る伊織に駆け寄って、彼の体を支えるティオ。
「まずいな」
その様子を眺めていたモンドがぽつりと漏らす。
ホーリーによる後方支援に徹していたサリトリアも、微かな異変に気づいていた。伊織だけではなく、自分も本調子ではない。それが何によるものであるのかも、彼女は分かっていた。
「恐らくは疲れが原因だろう」
あ、とアルシャは声を上げた。
「君も分かっているはずだ。奴が、体力に自信のある伊織があれほどに疲弊している理由を」
分かり過ぎる程に、分かってしまった。
伊織やアーウィンの動きにキレが無い理由。
バグベアを修道院から引き離し、この森へと誘き寄せる事に成功したサリトリアの額にうっすらと汗が滲んでいる理由。
「讃美歌斉唱21曲目で貧血を起こして宿房へと運ばれた君ならば」
モンドの静かな指摘が、アルシャの頭の中で反響した。
●死闘、青春、死闘
「クラリス!」
野生の動きに対応しきれず、強かな一撃を食らった修道女を助け起こし、アーウィンは後方へと下がった。彼らを庇い、伊織とサリトリアが前に出る。
「す‥‥すみません」
申し訳なさそうに謝ったクラリスに、アーウィンは屈託ない笑みを見せる。
「何言ってんだ。言ったろ? 一緒に戦わせてくれって。相棒を守るのは当然じゃねェか」
「ごめんなさい。私のせいね」
彼らの疲弊ぶりはクラリスも感じていた。
2時に起き、太陽が昇るまでの礼拝と讃美歌斉唱。それだけでも体力を消耗するというのに、1日中、彼らは修道院の仕事を手伝っていたのだ。
しかも、仕事のほとんどはクラリスが押しつけたものである。彼女が罪悪感を感じるのは当然の事だ。
「伊織さんは病人の食事を全力で作っていたし、貴方は屋根の修理を‥‥」
「大丈夫だって。気にするな。俺は適当に礼拝をサボったから‥‥っと‥‥」
睨みつけられて、アーウィンは慌てて視線を逸らす。
「クラリス、今はそんな事を言っている場合ではない」
彼女の腕を掴んで立ち上がらせると、サリトリアはバグベアの動きを追って視線を周囲に走らせる。レティシアという参謀がついている以上、ただのモンスターを相手にしているようにはいかない。
「決着を‥‥つけるんだろう?」
彼女が戦闘の際に使える魔法がホーリーだけだと、サリトリアは知っていた。戦いを経て、それなりに熟達したようだが、それでも相手を確実に倒せるだけの威力は持たない。
サリトリア達が助太刀に来ている今が、決着をつける絶好の機会なのだ。これを逃せば、奴は雪で山が閉ざされるまで修道院を襲い続けるだろう。
クラリスは頷いた。
その頷きに、サリトリアとアーウィンは互いの顔を見交わす。
「もう、いいな!」
バグベアの攻撃を1人で防いでいた伊織の確認と同時に、アーウィンが駆け出した。反射的に追いかけたバグベアの行く手を遮ったのは、ティオの放ったライトニングサンダーボルトだ。
「こっちだこっち!」
逆方向の木立の中へ消えた伊織に、バグベアは身を返した。木々の間へと足を踏み入れた瞬間、耳をつんざく騒々しい音が鳴り響く。
「あ」
実況中継を続けていたカファールが、その音に宙で動きを止めた。昼間、侵入者察知の仕掛けを至る所に張り巡らせた事を思い出したのだ。
「そういえば、この辺りにも仕掛けたっけ」
「今だ! クラリス!」
伊織の声に我に返ったクラリスは、突然の騒音に驚いたバグベアに向けて、ホーリーを放った。
●勝負の行方
「熊さん!」
去って行く後ろ姿に、レティシアは思わず声を掛けてしまった。負け越しが確定したモンスターの背は、どこか哀愁を帯びている。
彼女の声が届いたのか、バグベアが歩みを止めた。
「来年はリベンジよ!」
バグベアの健闘を称え、激励を込めた彼女の言葉に、ゆらりと巨大な体が揺れる。それはまるで頷いたようにも見えて‥‥。
「ら‥‥来年も来る気か‥‥」
どっと押し寄せた疲れに、アーウィンはその場に膝をついた。付き合ってられんと、モンドもぽりぽりと頭を掻く。
「ま、いいさ。また、一緒にやろーな。クラリス」
ぐっと親指を立てて片目を瞑った伊織に、クラリスは笑った。それは、何かをやり遂げた晴れやかな笑顔であった。
「貴女もやる気なのね‥‥」
安堵半分、呆れ半分に、サリトリアは溜息をついた。
依頼人は嘆くだろうか、怒るだろうか。
今回は機転をきかせて勝利したものの、来年も同じ手が通用するとは限らない。何よりも、サリトリア達がその時、この地にいると限らない。
彼女の複雑な心の内など知らぬげに、夕闇迫る森の中に吹く風は秋の気配を漂わせはじめていた‥‥。