最後の嘘
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■ショートシナリオ
担当:桜紫苑
対応レベル:4〜8lv
難易度:普通
成功報酬:2 G 88 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:02月04日〜02月11日
リプレイ公開日:2005年02月15日
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●オープニング
「ここか、ギルドというのは」
足で扉を蹴り開けた男に、中にいた冒険者達が色めきたった。
依頼の中には厄介事も含まれる。
逆恨みをされて襲われる事もある。
そんな襲撃者だと、彼らは思ったのだ。
「なんでぇ、なんでぇ、細っこい娘っ子とガキばかりじゃねぇか。もっと大男が屯しているのかと思っていたが」
ちっと舌打ちをした男に、受付嬢はおそるおそると声をかけた。
ギルドへ訪れる者は大抵2種類に分類できる。
依頼を求め、冒険へ旅立っていく者達。
そして、依頼を持ち込み、悩みを解決してほしいと願う者。
若干名、その括りから外れる者がいるが、少数なので無視してもよかろう。
頭の先から爪先まで、素早く男の姿を確認し、受付嬢は卓の上に羊皮紙とインク壷を並べた。ペンは繊細な羽根ペンではない。削った軸にペン先を突っ込んだだけの質素な造り。誰に何を渡すべきか、瞬時の判断が必要となる。
名前を書き込もうとして1文字めで、ペンはばきりと折れた。
さほど力をこめたつもりは無いのだがと、男は手とペンとを眺めた。そこへすかさず新しいペンが差し出された。今度は簡単には折れる事のない、しっかりとしたペンだ。
相手の事をよく観察していないと、こうも素早く対応出来ないだろう。
「すげぇ」
感心した誰かが声を漏らすと同時に、男が小さく声をあげた。
たっぷりとペンにつけたインクが羊皮紙に滴り、染みを作った‥‥‥‥かと思うと、それは瞬く間に消える。
目にも留まらぬ速さで、受付嬢が新しい羊皮紙と摩り替えたのだ。
「う‥‥腕をあげたな‥‥姉ちゃん」
受付嬢の仕事振りを呆然と見つめていた冒険者が、こめかみから頬に伝った汗を手の甲で拭い、呟いた。さすがは、と言うべきか。毎日、何人もの依頼人や冒険者の応対をしているのは伊達ではない、と。
涼しげな顔で自分の仕事をこなす受付嬢に触発されて、冒険者達も表情を引き締めて、男が力強く書き込んでいる依頼状を覗き込んだ。受付嬢の仕事は、依頼人の依頼を受け付け、それを冒険者に提示するところまで。その後、もっとも重要で大変な仕事‥‥依頼人の出した依頼を完遂するのは、自分達冒険者の役目だ。
だが、受けた依頼をただこなすだけでは、受付嬢のような他人が感心するレベルの仕事にはならない。
依頼を完遂し、尚且つ依頼人が満足するのが「素晴らしい仕事」の最低ライン。これに、出来る範囲でのアフターフォロー‥‥――例えば、モンスター被害に悩む村に、今後の防御策などの助言を与えたり――等が加わると、その評価はどんどんと上がっていく。
―負けるものか。
良い仕事をする受付嬢に対抗心を燃やしながら、冒険者達は依頼内容を読んだ。
読んで、思わずまじまじと、口うるさい者がいれば「失礼だ」と怒り出す程に依頼人を眺めてしまう。
「えーと、冒険者ですか?」
何と尋ねてよいか考えあぐねて出た言葉は、何とも間抜けな一言であった。
しかし、男は笑いもせずに頷く。
「お母様の住んでおられる村をモンスターから守るのは分かるのですが、この『自分を冒険者として連れて行く事』というのは、一対どういう事でしょう?」
改めて依頼人を見る。
太い腕、がっしりした体つきに強面、一見は強そうに見える。だが、彼が纏う雰囲気は、冒険者のそれではない。一言で言うとならず者。腕っぷしの強さをやたらと強調し、歯向かう者に容赦なく、時には無関係な弱い人達をも傷つける‥‥そんなタイプに見える。
「俺ぁ、ガキの時分に村を飛び出して好き勝手に生きて来たんだ」
でしょうね、という相槌を寸でで飲み込んで、冒険者達は依頼人の話を聞く。
「自慢じゃないが悪い事は一通りやってきた」
そりゃ、自慢じゃありませんね。
咄嗟に口を押さえて言葉を止める。
「けどよ、おふくろのいる村がモンスターに襲われていると聞いて、居てもたってもいられなくなった。俺にも、親を大事に思う心は残ってたんだな」
「それで、ここに?」
男は大きく頷いた。
「話じゃ、村を襲っているのはゴブリンらしい。だが、ゴブリンにしては体格のいい、鎧や武器を装備した奴ららしい」
「ゴブリンの中には、戦闘に特化した連中もいますから、村を襲っているのは、恐らくそれでしょう。では、私どももしっかりと対策をたて、お母様の村を守ってみせましょう」
がははと豪快に笑い、男は冒険者達を見回した。
「頼もしいな。さすがは俺様の配下どもだ!」
出発までに準備する物や作戦へと考えを巡らせていた冒険者達は、聞き逃しかけたダミ声の一言にはたと顔を上げる。聞き間違いでなければ、男は今‥‥。
「俺はよ、村を飛び出す時に『冒険者』になるって出て来たんだ。ま、俺にゃ無理だったんだがな。けど、おふくろは俺が冒険者になったと信じてるだろう。息子はキャメロットでならず者の鼻つまみ者になってます、なんて言えねぇよ」
話の先を促さずとも、読めた気がした。
「だからよ、老い先短いおふくろを安心させる為に、お前達も協力してくれ。俺はそれなりに名の知られた冒険者で、舎弟を連れておふくろの危機に戻って来たって事にするんだ」
つまり、村の目がある間は、この男を先輩、兄貴と立てて、作戦中にそれらしく指示に従って見せるという事か。
「つーわけで、これが依頼だ」
『自分を冒険者として連れていく事』と書かれた依頼状を突きつけられ、声を失った冒険者達の背後、自分の仕事を終えた受付嬢は小さく欠伸を漏らした。
●リプレイ本文
●嘘
「ししょー、ししょー」
目的の村が近付くにつれ、目に見えて緊張し始めた依頼人の髪を引っ張って、カファール・ナイトレイド(ea0509)は、これまでの道程で並べてきた注意をもう1度繰り返した。
その声を聞きながら、サリトリア・エリシオン(ea0479)も彼の姿を眺め返して溜息をついた。まずは見た目からと、セリア・アストライア(ea0364)と2人して「冒険者らしい」格好をさせたのはいいのだが‥‥。
「何故、こうも違和感がある」
セリアが予備に持っていたサムライアーマーを身に付け、サリのライトハルバードを持てば、冒険者に見えるはずだった。
「衣装を変えてはみたが、まだならず者だ」
「防具や装備の問題ではないという事では?」
セリアの指摘に、サリは言葉もなく豪快に笑う男を見た。確かに、防具の下に見え隠れする着崩した服も、歩き方や喋り方もどことなくチンピラ風だ。なまじ装備を整えた分、素行の悪さが際立って見えるかもしれない。
サリは額を押さえた。
「これ」を、自分達の先輩冒険者として立てねばならぬのか、と。
戦闘経験がチンピラ同士の喧嘩程度、格闘経験が喧嘩歴30余年というのもフォローの余地はある。しかし、彼から滲み出る素行の悪さを如何したものか。このままでは、自分は、母親の前で彼を叱り飛ばしかねない。
真剣に悩むサリの肩を、セリアは慰めるように叩いた。
「お仕事ですもの。仕方がありませんわ。それに、本当はお母様思いの優しい人だと‥‥」
「セリア」
言いかけた言葉を遮って、苦悩を眉間に刻んだサリがセリアを振り返る。
「嘘をつくのは苦手だったな? ‥‥いいのか?」
良心は痛まぬのか。
サリ自身への問いを込めた言葉に、セリアはふっと微笑んだ。ゆっくりと視線を巡らせた彼女の黒髪が、風に吹かれて流れる。
「‥‥懺悔は、済ませて来ました」
「セリア‥‥!」
なんと天晴れな覚悟だろうか。
思わず目頭を押さえて天を仰いだサリと達観した様子のセリアに、彼女達の少し前を歩いていた葉隠紫辰(ea2438)は足を止めた。紫辰とて、嘘は嫌いである。しかし、これは母親を安心させる為の嘘――。
「ご母堂を騙すという行いは関心せぬが」
立ち止まり、低く呟く紫辰に気付き、仲間達が振り返る。釣られて顔を向けた依頼人の目を真っ直ぐに見据えて、紫辰は口元にどこか寂しげな笑みを浮べた。
「俺には、もう孝行する親はおらぬ。貴殿が少し‥‥羨ましいと思う」
カファを相手に、冒険者にとって子供の喧嘩自慢に等しい武勇伝を語って聞かせていた男は、紫辰の唐突な言葉に面食らったように瞬く。
「孝行したい時に親はいない。‥‥あんたは幸せだってこった」
今いち理解出来ていない男に、真幌葉京士郎(ea3190)は村に向かって顎をしゃくった。
先ほどよりも村が近くなっている事に気付いて、男は途端に表情を硬くする。
彼は、単純で調子に乗りやすい性格をしている。たまに、こうして気を引き締める必要がある。そして、村へ入る前に釘を刺しておかねばならない。紫辰と顔を見合わせ、京士郎は言葉を続けた。
「受けたからには、依頼を完遂する為に最善を尽くす。だが、この依頼は俺達だけでやり遂げられるものではない」
「何? やり遂げられねぇだと!? ふざけるんじゃねェぞ! 何の為に俺はお前達を‥‥!!」
気色ばんだ男を手で制して、京士郎はカファを手招く。
「道々、彼女が教えた事をちゃんと聞いていたか? 俺達がどれほどあんたを立てても、あんた自身がならず者のまんまでは、お袋さんや村の連中にすぐに嘘だとばれてしまう。そうならない為に、依頼人であるあんたもそれなりの努力をして貰いたい」
罵りが男の口の中でくぐもって消える。京士郎の指摘が正しいと分かっているから何も言い返せないのだ。
「やれやれ‥‥。先が思い遣られるな」
彼らの遣り取りを眺めていたオイル・ツァーン(ea0018)がぽつりと呟く。
余計な事を喋らぬよう、寡黙な下っ端役に徹すると決めたのだが、これではいつバレるかわからない。「その時」を想定して、すぐに対応出来るよう準備をしておいた方がよさそうだ。
「私も、嘘は得意ではないのだがな」
「嘘をつくと、姉上のせーしょ・あたっくが飛んでくる‥‥」
誰もいないと思われた背後から聞えてきた声に、オイルは息を飲んだ。不覚にも大きく跳ねた心臓を抑え込み、顔に出す事なくゆっくりと後ろを振り返る。まだまだ成長途上の少年、デュクス・ディエクエス(ea4823)は愛想不足の顔でオイルを見上げて口を開いた。
「‥‥けど、親孝行はいい事だから目を瞑る‥‥」
「あ‥‥ああ、そうだな。どちらにしてもゴブリンは放ってはおけないのだし、少しの手間が増えたと‥‥おい?」
答えながら少年を見ると、当の本人はオイルを置いてすたすたと先へと進んでいる。
やれやれ、と先ほども発した言葉を繰り返して、オイルも彼の後を追った。
●偽りの凱旋
彼らの予想は的中した。
嫌な予感ほどよく当るのは何故だろう。いや、これは予想でも何でもない。起こるべくして起きた事なのだ。
村人達の歓迎を受け、酒が入った依頼人の機嫌はどんどんと上昇している。冒険者達が大人しく彼を慕う部下役に徹しているのも、彼の増長に拍車をかけていた。
「だからな、母ちゃん、今は俺がキャメロット中の冒険者を締めているのサ」
無言で、紫辰は依頼人の足を踏んだ。
母親や村人から見えない位置で、サリも彼の腹に肘鉄を打ち込む。
「締めて‥‥って、お前、そんなならず者みたいに」
息子の発言に戸惑う母親の背後からは、デュクスが不機嫌で不穏な空気を纏って依頼人を睨みつけていた。
「なあに、言葉のあやってもんですよ。ね、旦那」
おかしくなった場の空気を笑い飛ばしたベアトリス・マッドロック(ea3041)の言葉尻に乗って、カファも大きく頷く。
「そうそう! ね、ししょー、オーガと戦った時は凄かったよねー」
「え? あ、ああ‥‥」
ベアトリスとカファの機転で、何とか母親の気を逸らす事に成功したようだ。
「さすが‥‥。やはり、亀の甲より年の功ってところか」
「おい」
いくらジャパンの言い回しでも、ベアトリスが気を悪くしかねない。気を遣った紫辰が京士郎の脇を突く。
「なに、心配はいらん。そんな狭量な人じゃないさ」
だが、京士郎はおどけて片目を瞑ると、また調子に乗り始めた依頼人へと歩み寄った。
計ったかのタイミングで扉が開き、情報収集に出ていたオイルが戻る。
「オイルが戻りました」
生真面目な副官の表情を作り、京士郎は依頼人だけではなく、彼の周囲を囲んで騒いでいた村人達にも聞えるよう、はっきりと告げた。
「モンスターの巣を特定し、早急に手を打った方がよろしいかと」
「へ? あ、いや‥‥」
モンスター退治の具体的な作戦をと言われ、及び腰になった依頼人を無視して、サリは入り口で佇んだままのオイルを手招く。
「詳しい話を。こちらへ」
「いえ、私はここで結構です」
暖炉の側で冷えた体を暖められるようにとのサリの配慮を、堅苦しい態度で辞するとオイルは依頼人へと向き直った。下っ端役を自らに振ったオイルは、戸口近くで簡潔に状況の報告をする。
「なるほどね。他の村に比べて、この村が襲われる度合いが高いとなると、ゴブリンどもの巣はここの近くにあるって事かね、旦那?」
1度、依頼人へと問いかけ、ベアトリスは自分の疑問を続けて口にする。
「武装の具合からして、結構悪さに慣れた奴らかもしれないねぇ。‥‥数は?」
「5匹程かと」
すぐに返ったオイルの答えに、紫辰は刀を鞘ごと掲げて依頼人の前に立った。
「貴殿に助けて貰った命、ご母堂とこの村を守る為に」
言い終え、踵を返して扉に手をかけた紫辰は、ふと動きを止めた。
「ご母堂、村の方々に危険が及んでは、我々がここに来た意味がない」
「分かっているさ。‥‥旦那」
依頼人に目配せするものの、紫辰とベアトリスの意図するところは彼らの会話だけでは依頼人に伝わらなかったようだ。仕方なく、京士郎が依頼人の代わりに口を挟む。
「モンスターを相手にする場合、例え、それがどんな小物であろうとも油断は出来ません。我々が戻るまで、しっかりと扉を閉め、家の中でいて下さい」
「ししょー、行こ」
「お‥‥俺もか?」
「冒険者大原則、ひとーつ! 戦闘は被害が広がらないよう、離れたところで!! だよね?」
京士郎が村人達に注意を与えている間に、カファは依頼人の襟を引っ張った。腰が逃げている依頼人の手を掴み、デュクスもすたすたと歩き出す。勿論、依頼人より前に出過ぎないように気をつけながら。
そんな彼の背を心配そうに見送った母親に、セリアはにこやかに微笑みかける。
「お母様、とても‥‥良い息子さんをお持ちになりましたね」
一言にありとあらゆる気持ちを込めたセリアに、母親は表情を曇らせたまま、曖昧に笑みを返したのであった。
●良心
オイルの調べたゴブリンの巣の様子を窺いながら、紫辰は刀の柄を握り直した。彼の隣りでは、青い顔をした依頼人がセリアとサリが繰り返す注意に頷きを返している。
「京りん。絶対だよ?」
「分かってるって」
心配するなとカファの頭を指先で軽く弾いて、京士郎はオイルに頷いた。まずは、住処である洞窟からゴブリンを誘き出さなければならない。篭城され、睨み合いが長引けば、彼らに不利となる。
「聖なる母のご加護を」
誘き出す役を引き受けたオイルとカファの2人にグットラックをかけると、ベアトリスは落ち着きの無い依頼人の背中を強く叩いた。
「ほらほら、いい加減腹を括りな! アンタだって、いくつもの修羅場を越えて来たって自慢してたじゃないか!」
「あ、あれは、男同士の喧嘩だ! モンスターを相手にするのとは訳が違う!」
威張って言うな。
額を押さえたサリは、軽く頭を振って気を引き締めた。色々と説教したい事は山積みだが、今はそんな場合ではないのだ。
作戦通りにゴブリンを巣穴から誘き出したオイルは、既に戦闘を開始している。カファを追って来たゴブリンの前へと躍り出たデュクスは、ただ黙々と己の務めを果たしている。
襲い掛かって来るゴブリンの一撃を盾で防ぎ、サリはベアトリスに下がるようにと腕を振った。
「ゴブリン達が用いる剣には、毒が塗られている事が多いのです。お気をつけて」
ラージクレイモアで体格のよいゴブリンを弾き飛ばして、セリアが注意を促す。
セリアの上品な外見からでは想像もつかないワイルドな戦い方に呆気に取られた依頼人の首根っこを掴み、ベアトリスは近くの繁みへと放り込んだ。『勇猛果敢』で『キャメロットで名の知られ』、『自分達のリーダー』でもある依頼人に無様に傷をつけられては何かと面倒だ。
「今更、何を驚いてるんだい? どんなに細っこい嬢ちゃんだって、小さな子供だって、冒険者としての経験を積んだ連中だよ。場数を踏んでいるし、肝も据わってる。アンタはそんな連中の、仮にも親分なんだよ。でーんと親分らしく構えといで」
ベアトリスの一喝を受けて、依頼人は青ざめたままでゴブリンと冒険者達の戦いを見つめた。ゴブリンは毒はほとんど使わないが、セリアの嘘の注意は本当に戦いを依頼人に伝えるには十分だった。
●母の心
倒したゴブリン達の剣や防具を手土産に、村へと戻った彼らは祝宴を開くという村人達の申し出を断って、すぐさま出立の支度を整えた。
硬い表情をした依頼人の意向だ。従うしかない。
「お前、何もすぐに発たなくても‥‥」
老いた母親をちらりと見遣って、依頼人は辛そうに顔を背けた。
「いや、キャメロットでの新しい依頼もあるし」
歯切れも悪く答え、出立を告げた依頼人の胸中を慮って、冒険者達は視線を交わす。
恐らく、彼らの戦いを目の当たりにして、見栄から『冒険者』を名乗った自分自身に後ろめたさを感じているのだろう。
「ご母堂は、貴殿が成功し、名誉を得る事よりも、貴殿が元気で真っ直ぐに生きる事を願っておられるのではないだろうか」
村から離れた所で、紫辰は静かに口を開いた。
「‥‥今の貴殿がどうであれ、ご母堂の傍にいる事こそが真の孝行ではないかと、俺は思うが」
村を振り返り、京士郎も足を止める。
紫辰の言う通りだと、彼も思っていた。
別れ際の母親の目を思い出しつつ、彼は項垂れた依頼人へと視線を注ぐ。
「母親は、全てお見通しだったのかもしれんな」
ぽつりと漏らしたサリの言葉に、セリアもええと頷いた。ゴブリン退治へと出かける前、様子がおかしかった母親の気持ちが、サリの言葉でようやく理解出来たのだ。
「母親ってのはね、いつだって子供が心配なもんさ。成功や名誉なんざ、母親にとっちゃ本当はどうでもいいんだよ。紫辰の坊主の言う通りさ」
ベアトリスの言葉が心に染み入る。
『母親』の本音に、母が健在な者も亡くした者も己が母へと思いを馳せたその時に、突然に手を引かれて、ベアトリスはひっと声を上げた。
「せーしょ、貸して」
精一杯に首を上向け、手を差し出す少年の頼みに、ベアトリスは荷から聖書を取り出した。
「これかい?」
無言で聖書を受け取ると、デュクスは依頼人へと近付く。
「な‥‥なんでぇ?」
「せーしょ・あたっく‥‥」
ぽつりと呟いたかと思うと、目にも留まらぬ速さで聖書のぶ厚い背表紙が依頼人の額を襲う。
声にならない叫びをあげ、額を押さえてその場に蹲った依頼人と、予想外の出来事に動きの止まった冒険者達の中、デュクスは大事そうに聖書を抱え、淡々と告げた。
「母上‥‥から、伝言。分かってるから大丈夫‥‥。だから、心配‥‥いらない‥‥。今度はお嫁さん‥‥見たい‥‥と」
ああ、とオイルがぽんと手を叩く。
「そうか。嘘をついたら『せーしょ・あたっく』‥‥」
母親の鉄拳制裁を代理行使したという事か。
こくこくと頷くデュクスに、ようやく事情が飲み込めた仲間達が苦笑を漏らす。
「やはり、お袋さんには敵わないって事だな」
肩を叩いた京士郎の言葉に、依頼人も半泣きの笑顔を向けた。