冒険者の誇り

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:4〜8lv

難易度:やや難

成功報酬:3 G 45 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月25日〜06月01日

リプレイ公開日:2005年06月05日

●オープニング

●冒険者の誇り
 よし、と気合いを入れて、彼は扉を開いた。
 優しげな口元を引き締め、真剣な面持ちで冒険者達で賑わうギルドへと足を踏み入れる。顔見知りとなった冒険者達と挨拶を交わし、彼は依頼状で埋め尽くされた壁の前に立った。
「えーと‥‥」
 唇に指を宛て、上目遣いに依頼状を眺めている姿は「可憐」。
 事情を知らぬ者ならば、依頼人のお嬢様が紛れ込んでいると勘違いしてもおかしくはないが、彼は間違いなく男性であり、一応は騎士、辛うじて冒険者である。
「あら、アリアス。依頼を探しているの?」
 先日、ようやく「見習い」の称号が取れた駆け出し騎士、アリアス・リンドベルは、声を掛けて来た女冒険者に頷きを返す。
「はい。新しい依頼を受けて、少しでも早く1人前になりたくて」
 でも、とアリアスは項垂れた。
「僕が受ける事が出来そうな依頼がなかなか見つからなくて‥‥」
 瞳が潤み始めたかと思うと、円々と涙の玉が盛り上がる。
 女冒険者は、慌てた素振りで彼の肩を揺さぶった。
「そんな事ないわよ! ほら! 見てごらんなさいよ。依頼はこーんなにあるのよ? アリアスが受ける依頼だって、山のようにあるじゃない」
 揺さぶられるがままになっていたアリアスの目から、ぱらぱらと涙が散る。
 いっそう焦った女冒険者は、大袈裟に眦を吊り上げてアリアスを睨み付けた。
「あ、わ、分かった! さては、アリアス、依頼を選り好みしてるわね?」
「え?」
 ほろほろと涙を零していたアリアスが、2度、3度と瞬きを繰り返す。きょとんと自分を見つめて来る青い瞳に、不覚にも頬が緩んでしまう。
−ええ、そうよ! 女ってのは、大抵可愛い小動物系が好きなのよっ!
 開き直って認めてしまえば楽になれる。
 彼女は、まだ瞳を潤ませているアリアスの頭を撫でた。
「難しいそうだとか、モンスターが強そうだとか、そんな風に考えていたんじゃ、いつまで経っても1人前の冒険者にはなれないわよ。皆を見てごらんなさいよ。難しいと分かっていても受けているじゃない。難しい依頼だからこそ、自分の力を試したいって人もいるわよ」
 言われるがままに、アリアスは周囲を見回した。
 壁の前に立つ冒険者達は、自信に満ちた顔をして依頼内容を吟味している。聞こえて来る会話も、今のアリアスでは到底言えそうにもない「なんとかなるだろ」や「簡単だな」というものばかりだ。
「‥‥皆さん、凄いですね‥‥」
「他人事みたいに。アリアスだって、冒険者でしょ」
 女冒険者は苦笑した。
 彼女が何気なく口にしたその言葉に、アリアスの瞳が更に見開かれる。
「そう‥‥そうですね。僕は、冒険者です」
 きっ、と壁を睨みつけたかと思うと、彼は1枚の依頼状を剥がす。
「これ。この依頼を受けます」
「どれどれ?」
 その手元を覗き込んだ女冒険者の動きが止まった。
 笑みを浮かべたままで固まった彼女の様子に気付く事なく、アリアスは続ける。
「護衛の依頼です。依頼人はお金持ちの商人さんで、最近、身の回りで変な事ばかりが続き、おかしな書状まで届いたので、冒険者に身辺警護して欲しいそうです」
 ぐっと、アリアスは拳を握った。
 どうやらやる気になっているらしい。
「身の回りで起きる変な事と言うのは、階段で誰かに突き飛ばされたとか、頭の上に花瓶が落ちて来たとかだそうですから、モンスター絡みの事件じゃありませんよね! これなら、僕にも出来るかも」
 嬉しそうに語るアリアスに、ずきんずきんとこめかみが痛んで来る。
 どう説明すればよいのだろう。
 時に、人間はモンスターよりも厄介な相手となる。
「依頼人のお名前は、えーと、スタッブスさんとおっしゃる方で‥‥」
「あー‥‥」
 あくどいやり方で金を稼いだ成金の商人だ。金に物を言わせた所業の数々は、時折、嫌悪感をもって語られる。
 さぞや、恨みを買っている事だろう。
「届いた書状というのが、スタッブスさんを許さないという内容だったそうです。これは、あれですよね。その書状の送り主を何とかすればいいわけですよね。警護の期間は3日間」
 女冒険者の体が傾いだ。
 これはもう、間違いなくアレだ。その3日の間に、書状の送り主は恨みを晴らそうとしているに違いない。しかも、「階段から突き落とされた」のだから、送り主はスタッブスに近い所にいる人物だろう。
「ねえ、アリアス‥‥」
「3日間だけの身辺警護、僕、頑張りますねっ!」
 輝かんばかりの笑顔で決意を語るアリアスに、彼女はそれ以上、何も言えなかった。
 受付台へと向かう背中を見送りながら、彼がこの依頼で遭遇するであろう葛藤を思う。
「例えどんな依頼でも、引き受けたのなら、冒険者の誇りにかけて完遂するのよ、アリアス」

●暗き誓い
「もうすぐだ。もうすぐ、あの男の命運も尽きる」
 小さな呟きが漏れる。
 蝋燭の灯りが、壁に貼られたタペストリーに不気味な影を映し出す様を眺めて、声の主は喉の奥で笑った。
「思い知るがいい、スタッブス。あの子の苦しみの何十分の1でも、お前には味わって貰う」
 ゆらゆら影が踊るタペストリー。
 糸と糸が織り込んだ図柄は、王侯貴族を真似、悪趣味な装飾品で飾り立てた男の姿であった。

●今回の参加者

 ea0364 セリア・アストライア(25歳・♀・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea0509 カファール・ナイトレイド(22歳・♀・レンジャー・シフール・フランク王国)
 ea1252 ガッポ・リカセーグ(49歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea1757 アルメリア・バルディア(27歳・♀・ウィザード・エルフ・イスパニア王国)
 ea3041 ベアトリス・マッドロック(57歳・♀・クレリック・ジャイアント・イギリス王国)
 ea3143 ヴォルフガング・リヒトホーフェン(37歳・♂・レンジャー・人間・フランク王国)
 ea4200 栗花落 永萌(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea8761 ローランド・ユーク(32歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・フランク王国)

●リプレイ本文

●苦悩
 3日間だけの護衛についた彼らに与えられたのは、歩く度に床が沈む部屋だった。
 壁の隙間から外が覗けて見張りが出来るという、護衛にとってこの上ない環境だ。冬ならば室内で凍死する危険もあるが、幸いにも今は初夏。夜は多少冷え込むが凍える程でもない。
 蝋燭も最小限に抑えられた室内で膝を抱えて半べそをかいているのは、晴れて見習いを卒業したアリアスだ。
「あ‥‥あんな人を守るのも冒険者の仕事なんですか?」
 彼が疑問に思うのも無理はない。
 護衛対象のスタッブスは、味が気に入らないと言っては皿をひっくり返し、応対が悪いと言っては使用人を足蹴にする。金儲けと自身の見栄の為ならば非道な事も厭わない。誰もが認める「悪徳商人」である。
「アリりん、元気出してよ」
 掛けられた励ましの言葉に、アリアスは目元を拭いながら顔を上げた。
 黒目がちな円らな瞳が彼を見つめている。そして、頬に触れるざらついた感触。
「おいらがついてるよ。また一緒に頑張ろうね♪」
 驚いて飛び上がり、彼は近くにいたヴォルフガング・リヒトホーフェン(ea3143)の所まで這いずった。
「い‥‥犬! 犬が喋りましたっ!」
「‥‥落ち着け、アリアス」
「アリりん! ひどいよっ!」
 ヴォルフがこめかみを押さえるのと、尻尾を振り、ハァハァと舌を出している犬から抗議の声が上がるのは同時であった。
 ボーダーコリーの毛に埋もれていたカファール・ナイトレイド(ea0509)が、ヴォルフに縋りついたアリアスの後頭部にシフールキックを入れる。
「カファちゃん?」
「ぷんぷんぷーん!」
 すっかり機嫌を損ねてそっぽを向いたカファと周囲の仲間達とを交互に見て、アリアスは目を瞬かせている。どうやら、まだ状況が把握出来ていないらしい。
「全く。困ったもんだねぇ」
 ぽつりと漏らすベアトリス・マッドロック(ea3041)に、栗花落永萌(ea4200)とセリア・アストライア(ea0364)も溜息をつく。
「ほら、アリアスの坊主、しゃっきりおし! 話に戻るよ!」
 ベアトリスの喝に、アリアスは再び飛び上がった。そんな彼に、永萌が声を掛ける。
「アリアスさん、出発の時に俺が言った言葉を覚えていますか?」
 穏やかな永萌の表情を伺いつつ、彼は自信無さげな小声で答えた。
「依頼を選ぶ時の要点は、内容と依頼人‥‥?」
「そうです。もう、意味は分かっていますね?」
 自分を見つめるアリアスに、永萌は微笑んだ。弟を見守る兄のように。生徒を導く教師のように。
 永萌とは逆に、厳しい口調で諫めたのはヴォルフだ。
「依頼主が裏切らない限り、依頼を完遂するのが冒険者だ。請けた以上、どうあろうとも投げ出すな」
「その通りです」
 真珠のような気品と暖かみとを合わせ持った笑みを向けられて、アリアスはおどおどとセリアを見返す。
「いかにあくどく強欲で、聖なる母の教えからかけ離れた猫さんの敵であっても、私的に裁くのはいけません」
 教会で聖なる母の教えを聞いているような錯覚を覚えて、彼は居住まいを正した。
「依頼人が問題ある人物だからと投げてしまっては、私達がここにいる意味がありません。きっと、良い解決策があるはずです。一緒に考えましょう、お兄ちゃん」
「‥‥え?」
 思わず口元を押さえたセリアと、ぱちくりと目を瞬かせて固まったアリアスと。
「お兄ちゃん? 僕が?」
「あ、えっと‥‥」
 それまでの厳かな雰囲気から一転して、頬を赤らめ、そわそわと落ち着きなく視線を動かすセリアの手を握ると、アリアスは声を弾ませた。
「お兄ちゃんなんて呼ばれたの、初めてです。僕、セリアさんのお兄ちゃんにふさわしくなれるように頑張りますねっ!」
「あの‥‥」
 戸惑うセリアの様子に気付きもしないで、アリアスは俄然張り切った様子で拳を握り、決意を固めている。
「そういや、セリアの嬢ちゃんの兄貴もアリアスって言ったかねぇ」
 同じ名前という事で、つい口から零れたのだろう。
 ベアトリスの呟きに、お菓子を頬張っていたカファも神妙な顔をして肩を竦める。
「アリりん、単純だから」
 ふぅと2人して溜息をついたベアトリスとカファの隣で、ヴォルフの体が傾いでいる。黄昏れる彼の肩を永萌が叩いた。無言の励ましに、ヴォルフは大きく頷く。
「アリアス、依頼を果たすだけの冒険者にはなるなよ。っちゅーわけで、明日に備えて今日は休むぞ。いつも万全の状態で依頼に臨むのも冒険者の大事な仕事の1つ‥‥」
「待て!」
 かなり強引に話をまとめに入ったヴォルフの言葉を、何処からともなく響いた声が遮る。
 夜間の警護を引き受け、屋敷周辺の哨戒に出ていたローランド・ユーク(ea8761)である。
「どうしたの? ローりん?」
 はたはたと羽根を動かして近づいたカファに、恭しく焼き菓子を差し出すと、ローランドはその柔らかい頬を突っついた。
「夜更かしは美容の敵だ。早く休めよ」
 滅多に味わえない淑女扱いと労りの言葉に、カファは感動で瞳を潤ませる。
「‥‥寝る前のお菓子も美容の敵ですよね、確か」
 永萌の突っ込みは幸せに浸るカファの耳には届かなかったらしい。
「んじゃ、おいらもう寝るね! アリりん、一緒に寝よ!」
 髪を引っ張るカファに、アリアスも相好を崩して寝具へと向かう。
「だから、待てってーの」
 その襟首を掴んで、ローランドはアリアスを引き戻した。こほと咳き込み、涙ぐんだ目を向けるアリアスに、彼は扉に向かって顎をしゃくった。
「はい?」
「はい? じゃないだろ。哨戒に行くぞ、哨戒」
 何事かと振り返った仲間達に目で助けを求めつつ、アリアスはごにょごにょと呟く。それを無視して、ローランドは彼の首をがっちりと抱え込み、他の仲間達に向かって片手を挙げた。
「先輩が働いてる時に新米が安眠惰眠を貪ってると思うと、狂化しちまいそうなんでな。アリアス、連行するわ」

●消えた影
 蝋燭の火に陶器の覆いを被せて、アルメリア・バルディア(ea1757)は息をついた。暗闇が怖いというわけではなかったが、灯りを1つ消す度に長い廊下は得体の知れぬ不気味さを増す。
 もう1度、息を吐き出して、アルメリアは次の蝋燭に手を伸ばした。
 ゆらり、揺れた灯りの中に影が過ぎる。
 素早く振り返ったアルメリアの目に、人の形をした影が映った。
 影は、アルメリアの姿を見て動きを止め、慌てた風に身を翻す。
「誰かーっ! 誰か、旦那様のお部屋がっ!」
 どこからか聞こえて来た悲鳴に、アルメリアの疑念が確信に変わった。蝋燭消しを投げ捨てて、影の後を追う。廊下の先は使用人棟だ。
「止まって下さい!」
 呪文を唱えかけて、アルメリアは躊躇した。
 廊下には依頼人の贅と悪趣味を尽くした品々が並べられている。これらの品を傷つければ、依頼人の不興を買うだろう。
 一瞬、視線を逸らしただけだった。
 なのに、次に視線を戻した時に、影はアルメリアの前から消えていた。
「そんな! ここに逃げ道なんて!」
 立ち止まり、呆然となったアルメリアの首に背後から腕が巻き付けられる。動きを封じる締め付けは、素人のものではない。彼女の脳裏に、ヴォルフが示唆した「暗殺者」の可能性が過ぎる。
 もはや収集品の心配をしている場合ではない。印を結び、詠唱を始めた彼女に、巻き付けられていた腕が緩む。
「ア‥‥ルメリア?」
 咳き込みながら床に崩れ落ちたアルメリアは、見上げた人物にあ、と小さく声を上げた。
 彼女の背後で狼狽えているのはガッポ・リカセーグ(ea1252)。使用人としてこの屋敷に潜入した仲間である。
「大丈夫か?」
 彼女の傍らに膝をつき、ガッポが咳き込み続けるアルメリアの背を撫で擦る。
 苦しげに息をつきながら、それでも彼女は不審な影が消えた場所を指し示した。一拍遅れて、その間近の扉が開いた。漏れだした暖かな色の灯りの中に浮かんだのは、よく見知った顔だ。
 安堵と焦燥が入り交じった顔で周囲を見渡すアルメリアに、何かを感じたのだろうか。永萌は懐のダガーを確かめつつ、注意深く扉を閉めた。ついで、隣の部屋の扉を開く。
「誰もいません」
 周囲の部屋も念入りに調べてみたが、怪しい者が出入りした形跡はない。いつまでも廊下で騒いでいては、他の使用人達の迷惑になると判断して、ベアトリスは室内に入るよう仲間達を促した。
「あのね、ローりんの話だと、スタりんのお部屋がめちゃめちゃに荒らされてたみたいだよ」
 こういう時、シフールは便利だ。
 目立つ事なく、仲間との連絡が取り合える。
「それで、ローりんとアリりん、今夜はスタりんのお部屋の中で警護するって」
「しかし、妙ですね」
 アルメリアとガッポから状況を聞いていたセリアがぽつりと呟く。
「人が消えてしまうなんて。幽霊というわけでもないでしょうに」
「魔法の可能性もある」
 ガッポの指摘に、顎に指を宛て、黙り込んでいた永萌が顔を上げた。
「‥‥もしくは、この使用人棟の住人」
 使用人ならば、部屋の中にいてもおかしくはない。調べた部屋にいた者達を思い出しつつ、永萌は再び考え込んだ。
「そう言えば、護衛期間の3日間というのは脅迫文の予告でもあったのか」
「ん? ああ、そうです。決して忘れるなという一言が添えられていました」
 問うたガッポに永萌が答える。どこか上の空なのは、頭の中で考えを巡らせているからであろう。
「とかく評判の悪い方ですから、犯人には深い事情があるのかもしれません」
 その言葉に、ガッポの眉が跳ね上がった。
「あくどい手を使ってでも商人として成功した人を、俺は尊敬する」
 不意に、仲間達が動きを止めた。
 尊敬。噂だけではなく、実際にその行状を目の当たりにした彼らには思い浮かびもしなかった言葉である。
「人の考えはそれぞれだな。ここまで成り上がったんだから、確かに凄いと思うし」
 フォローに回ったヴォルフの額に浮かんでいるのは冷や汗か。
「でも、そうなると犯人が絞られて来ますね。使用人、スタッブスさんに恨みを抱く者、そして、字が読み書き出来る者‥‥」
「それでは、私は明日の朝、一番でリンと一緒にベスさんにお話を伺って来ます」
 艶やかな毛並みの猫を撫でつつ、セリアが何事もなかったかのようにアルメリアと打ち合わせている。カファはと言えば、犬の毛に埋もれて熟睡中だ。
「とりあえず、今夜はローランドの坊主とアリアスの坊主に任せて、あたしらは休むとするかねぇ。全てはお日様が昇ってからだよ」
 ベアトリスの一声で寝床に潜り込んだ仲間達が寝息をたて始めた頃、永萌はそっと扉へと向かった。
「行くのか」
 声を掛けたのはヴォルフだ。
 そもそも、使用人達の事情を教えてくれたのが「噂」を集めていた彼である。自分と同じ結論に達してもおかしくはない。
「はい」
 黙って頷くと、ヴォルフは仲間達を見遣り、永萌の後に続いた。

●報い
 ガッポはスタッブスが突き落とされたという階段の上に佇んでいた。
 眼下には、スタッブスが日課である朝の散歩を楽しんでいる。その傍らには、日中の警護を引き受けたベアトリスと欠伸を噛み殺すアリアスの姿がある。
「殺そうと思えば殺せた。‥‥犯人の目的は、彼に恐怖を味わせる事か」
 ならば、脅迫文にあったという「忘れるな」の言葉も納得出来る。
 辿り着いた仮説を振り払うように頭を振る。彼女は母親のように優しく、暖かな雰囲気を持っている人だ。人を傷つけるような人ではない。
 その彼女の姿を2階の窓に見つけ、ガッポは目を閉じた。
 だが、すぐに決意を込めた表情で歩き出す。視線は彼女を見据えたままだ。階段を下りるにつれて、歩調はだんだんと速まった。
 彼女の手にあるのは壺だ。
 窓の下にスタッブス達が差し掛かる。壺が、彼女の手から離れた。
「ベアトリス、アリアス!」
「お父様!」
「ベスさん!」
 様々な声が交差する。
 ガッポの目には、その光景の1つ1つが止まっているように見えた。
 実際は、瞬き1つにも満たない時間だったに違いない。けれど、彼にはひどく長くに感じられた。
 地面に叩き付けられて割れた壺。
 突き飛ばされて放心しているスタッブス。その傍らには青ざめているアリアスがいる。彼の視線の先には震える少女。彼女の体を抱えているのはローランドだ。
「大丈夫かい? お嬢さん」
「わ‥‥私は‥‥。それよりも!」
 へたり込んだままのスタッブスを横目に見ると、ローランドは芝居がかった仕草で彼女の手を取り、甲に口づける。
「大丈夫。お父上には怪我1つない」
 自分に添えられたローランドの手に目をやると、スタッブスの娘、ベスは痛そうに眉を寄せた。
「血が出ています」
 ベスを庇った時に破片が掠ったのだろう。僅かに血が滲んだ手を振って、ローランドは軽く片目を瞑った。
「なに、心配ないって。俺の仲間にゃ、癒しのおっ母さんがいるんで」
 はいはい。
 癒しのおっ母さんは彼の手を引ったくると、聖なる母に祈りを捧げる。
「ベスさん、びっくりしましたわ」
 リンを肩に乗せたセリアがベスに駆け寄ると、手布でそっと彼女の目元を拭ってやった。
「見たか?」
 それを見つつ立ち上がったローランドは、永萌とヴォルフに連れられた女中頭に言葉を投げた。ついで、動けないでいるアリアスを見る。
「どんな嫌な奴でも死んだら悲しむ人がいる。俺達冒険者が守るのは命だけじゃない。冒険者の矜持とか誇りなんざ、そいつの涙の一滴にも値しないって俺は思うぜ?」
 顔を上げる事が出来ない女中頭の代わりに応えたのは永萌だった。
「去年の今日、彼女の娘はスタッブスの無理な命令に従って山へ入り、2度と歩けない体になってしまったそうだ。だが、彼は謝るどころか役立たずと娘を追い出した」
「すまない。彼女が行動に出るのは分かっていたんだが、途中で見失ってしまった」
 付け足したヴォルフに頷いて、ベアトリスはスタッブスの前に立った。腰に手を当て、息を吸い込むと彼女は依頼人を怒鳴りつける。
「この因業親父が! いいかい? 今回の一件は、敵を作ってばかりいた報いさね。言ってみりゃ自業自得だ。彼女の罪は不問にする事を勧めとくよ!」
 母親に叱られた子供のように身を縮込ませたスタッブスは、何度も何度も頷きを返したのだった。