●リプレイ本文
●潜入不可能
乱暴に押し戻されて悪態をつく商人。
それは、珍しい光景というわけではない。アーサー王がおわすキャメロット城で商売がしたい、あわよくばお抱えになりたいと願う商人は多い。毎日毎日、何人もの商人が、こうして門番に追い払われているのだ。
「怪我、してないか? リデト」
「だ‥‥大丈夫なのである」
懐から顔を出したシフール、リデト・ユリースト(ea5913)の無事を確かめ、商人に扮した葛城伊織(ea1182)は乱暴に髪を掻き回した。
思っていた以上に警護が厳重だ。女官の仕事場は、王や王妃が暮らしている王城なのだから、そう簡単に出入り出来るはずもない。それは分かっていたのだが。
「ったく、どうすりゃいいんだ!?」
王妃誘拐の密談を聞いたという女官、ダーラについて探るべく、キャメロット城へとやって来たのはいいが門前払い。トリスタンの名前を出しても無駄だった。円卓の騎士にツテがあると言い張り、城に入ろうとする者も山といるからだ。
「これでは、ダーラの身元を調べるどころではないのである」
小さな体のどこに蓄えてあったのかと思う程の息を吐いて、リデトは伊織の頭の上に肘をついた。
「そうだよなぁ。あの姉ちゃんは怪しいと俺の勘が言ってるのによ!」
「うむうむ。気配を消せる女官なんて、絶ッ対に怪しいのである!」
吠える大小、2人の男に、エスリン・マッカレル(ea9669)は頬を引き攣らせた。
ぺちり、と伊織の頭を叩くと、エスリンは彼の胸ぐらを掴む。
「な・に・を、しておられるのかな?」
うふふ、と笑いながら迫るエスリンに気圧されて、伊織は片手を上げるしか出来ない。リデトはと言えば、伊織の頭に隠れて様子を窺っている。
「往来で迂闊ですよー」
あはは、と笑って窘めるのは、エスリンと共にやって来たユリアル・カートライト(ea1249)だ。
鎧を脱ぎ、街娘の格好をしたエスリンと、いつも通りのユリアルと。同じように笑っているはずなのに、何かが違う。とりあえず、より安全な方に逃げ込むべきとリデトは判断した。
「ユリアルくん〜っっ」
「はいはい」
飛びついて来たリデトを優しく受け止めて微笑むユリアルの肩を、伊織が引く。その背後で剣呑な空気を纏っている娘さんは、敢えて意識の外に。
「で、お前が手にしてる物はなんだ?」
伊織の指摘に、ユリアルは首を傾げた。
「何って、そこの露店で売っていたお菓子ですが? 伊織さんも召し上がりますか?」
そうじゃないだろっ、と突っ込もうとした伊織の体が引き戻された。
「‥‥人の話を聞いているだろうか?」
ん?
うって変わった静かな笑みが、何やら妙な迫力を醸し出している。
「エスリン、ほら! 可愛い娘さんがそんなに凄むのはどうかと思‥‥ウデス‥‥ヨ」
不自然に目が泳いだ伊織に差し伸べられた救いの手は、リデトが放った鋭い叫びであった。
「あ! 伊織君、あれを見るのである!」
ユリアルから貰った菓子を頬張っていたので、少々くぐもってはいたが。
その声に振り返れば、今にも城内へ入らんとする女官の一団が目に飛び込んで来る。
「ああ、彼女達なら、ダーラさんの事を知っているかも‥‥」
ユリアルの言葉が終わらぬうちに、伊織の姿は消えた。
何処へと視線を巡らせると、彼はいつの間にか女官達の前へとまわり込んでいた。
「早っ!」
し、と口元に指を当ててリデトを嗜めると、ユリアルは固唾を呑んで成り行きを見守る。
「やあ、お嬢さん方。ちぃと聞きたい事があるんだけど、いいかな」
壁に手をつき、きらりと白い歯を光らせた伊織に、リデトとユリアルは、どちらからともなく視線を逸らした。
「慣れない事をするものではありませんね」
「他人の振り見て我が振りを治すのである‥‥」
散々な言われようだが、伊織は至って真面目であった。
「ダーラって娘さんの事、教えてくんねぇか?」
しかし、いきなりそれでは女性に警戒されるのがオチである。リデトとユリアルは、同時に頭を振った。
「じ、実は、一目惚れしちまって! 名前と、城の女官って事ぐらいしか知らねぇんだっ」
背後に感じる気配を感じたのか、はたまた女官達の不信を感じ取ったのか、慌てて伊織が付け足す。
「ダーラですって。知ってる?」
「さあ?」
小声で囁き交わされる言葉に、伊織は眉を潜めた。
「城に何人の女官がいるとお思い? 全員の名前なんて覚えていないわ」
くすくすと笑いさざめきながら、女官達は伊織の横を通り過ぎていく。
「覚えていない、か。身元のはっきりしない娘が女官として召し抱えられるはずもないだろうが‥‥」
呟いたエスリンに、ユリアルも頷く。
「彼女の話は変ですよね。いくら王妃様が心配とは言え、ただの女官が戦場までついてくるでしょうか」
彼らの中にある疑念が、ますます膨らんでいく。だが、こうしているだけでは、何も見いだせはしない。
「この事をトリスタン殿にも話しておくべきである!」
「トリスタン様は、何か分かっていて、敢えて黙っているご様子でしたが‥‥」
行動を共にする以上は、彼の考えを聞いておいた方がいい。そう主張するリデトに、エスリンは「分かった」と答えた。
「ユーウィン殿がトリスタン卿と接触すると言っていた。今からユーウィン殿と合流すれば、間に合うだろう。その間、ダーラ殿は私達がなるべく引き離しておこう」
ユリアルと視線を交わし合ったエスリンに、伊織は怪訝な顔をした。城内に入れないのに、ダーラを引きつけておく事など出来るのだろうか。
そんな彼の疑問を感じ取ったのか、エスリンは澄ました顔で続ける。
「中に入れないならば、外に連れ出せばいい。先ほどの女性は知らぬと言ったが、ダーラという女官が偽りの存在でないのならば、面会を申し込めば会えるはずだ」
「ちょっと待たされるかもしれませんけどね」
あが、と顎を落とした伊織とリデトに、ユリアルは悪戯っぽく片目を瞑ってみせたのだった。
●信こそが
確かに、何やら不穏な動きがある。
酒場でエールを飲みながら、周囲の話し声を拾っていた滋藤柾鷹(ea0858)は眉を寄せた。
ギルドでも、酒場でも、人は寄ると触るとキャメロットに迫る危機を噂している。王都近くに迫る軍勢、貴婦人を巡るよからぬ企みと、それはダーラという女官が語った内容と一致しているように思える。
「だからと言って、拙者はあの女官殿の言葉を全て信じる気にはならんでござるが」
柾鷹の呟きに同意したのは、傍らで静かに杯を傾けていたアルヴィン・アトウッド(ea5541)だ。
「何らかの目的あって人を動かそうとする者は、都合の悪い事柄を伏せる。目的とその大義名分が違っているならば尚更だ」
アルヴィンが言わんとしていることを察して、柾鷹は視線をエールの入ったタンガードへと落とした。キャメロットの人々が動揺しているのは、迫る軍勢に戦いているからだけではない。彼らの束ねであり守護者、強き王、アーサーが不義の子であると知ったからだ。
彼に、王たる資格があるのか?
キャメロットに迫る軍勢は、そう声高に叫んでいるという。
「素性がどのようであれ、器や人望は別物。皆も承知しているはずの事であろうに、何故、このように揺らぐものか」
溜息混じりの呟きに苦笑で返して、アルヴィンは背後でアーサー王の資質について論じる者達を一瞥した。
「不義の子だからどうしたというのだ。そんなものはどうでもいい。名誉や血筋だけを重んじて暗君を頂き、国を滅ぼした愚か者の故事はいくらでもあるだろう。自分が仕える者が、信じるに値する人物かどうか。それが大事なのではないか?」
周囲の酔っぱらい達が静まり返る中で、彼は断言した。
「俺だったら「信じられる人」に仕える。命をも預けると言って過言ではない相手なのだからな」
潔いまでのアルヴィンの言葉に、それまで黙って聞いていたサクラ・キドウ(ea6159)がぽつりと漏らす。
「‥‥王様‥‥というのは、大変なのですね‥‥」
「そうだね」
相槌を打ったのは、ユーウィン・アグライア(ea5603)だ。
「王の資格なんて、民にとって良き王である事に尽きると思うんだけど‥‥、まぁ、王に取って替わりたい奴や、不満を抱いている連中からしてみれば、格好の口実になるんだろうね。不義の子って」
肩を竦めたユーウィンに、サクラはしばし考え込むと、首を傾げた。
「‥‥今回の「目的」も、そうなのでしょうか?」
大きな瞳に下から覗き込まれ、ユーウィンは虚を突かれたかのように瞬いた。「目的」と口の中で繰り返して、彼女は声を潜める。
「あたしは、王妃様の誘拐なんて、どう考えても割に合わない作戦だと思う。王様は人質を取られて要求に従うようなお方じゃないだろうし、誘拐なんて手段を使った連中は正義を掲げられないだろうし。なのに、どうして王妃様を誘拐するんだろう?」
同じ卓を囲んでいた者達が黙り込んだ。
ユーウィンは、声量に注意しながら続ける。
「納得いかないよね。だから、他に目的があるんじゃないかって、トリスタン君にもそう言ったんだけど‥‥」
「して、トリスタン殿は何と?」
ユーウィンは困った顔をしてあらぬ方へと視線を彷徨わせた。
「えーと‥‥」
仲間達の真剣な眼差しに、ぽりと頬を掻く。
「‥‥一言、「そうか」とだけ」
ユーウィンの見た感じでは、彼もダーラの言動が怪しい事に気付いているようなのだが、如何せん、彫像のように変わらない表情からはそれ以上の情報を得る事は出来なかった。
「もっと親しくなったら、ちょっとした表情の変化も読みとれるかもしれないよね。ほら、犬や猫も可愛がっている子達だと、微妙な表情の変化で気持ちが伝わったりするじゃない」
犬猫と同じレベルでトリスタンの心理を読みとれるようになるのかとは、さすがの柾鷹も尋ねる勇気がなかった。それよりも、と彼は話を逸らす。
「エスリン殿やユリアル殿の話では、ダーラは以前勤めていた貴族の紹介状により、キャメロット城の女官になったばかりとか。そのような右も左も分からない女性が頼った相手が円卓の騎士‥‥とは、すこし出来過ぎている気がするでござる」
渋い顔で腕組みした柾鷹に、ゴブレットを揺らしていたサクラが、不意に口を開く。
「知った人がいないから、‥‥見た目重視」
「いっ、いや、それはどうかと」
ちっち、とユーウィンは口籠もった柾鷹の前で指を振った。
「女の子にとっては重要なポイントでしょ、やっぱり。だって、脂ぎってるおじさんと、細くて神経質そうなおじさんとトリスタン君が並んでたら、間違いなくトリスタン君を選ぶもん」
「その比較対象も極端だと思うが。‥‥と、話がズレている」
こほんと軽く咳払って、アルヴィンは身を乗り出す。
「今は伊織が城の周辺を見張っている。ダーラが外部と連絡を取る可能性もあるからな。それから」
アルヴィンは言葉を切った。
影に紛れてやって来た伊織は、ダーラの動きを見張る旨を告げると同時に、1つの提案を残した。それは、この依頼の成否に関わる提言だった。
「ダーラに不審な点が見受けられた場合は調査を中止するべきだと、奴は言った」
「それは‥‥」
柾鷹が絶句する。調査を中止にするという事は、受けた依頼を完遂しなかったと、依頼半ばで投げ出したと誹られても仕方がない。けれど、依頼人であるトリスタンをみすみす危険にさらすわけにもいかない。
難しい顔をして考え込んだ柾鷹に、ユーウィンが遠慮がちに自分の考えを述べる。
「たとえ罠だとしても、トリスタン君は中止にしないと思うな‥‥」
それは勘に過ぎないが、恐らくは当たっているのではないかと、ユーウィンは思う。中止か続行かで迷うようなら、ダーラが怪しいと告げた時に、動揺するなり考え込むなり、少しは可愛げのある素振りを見せたであろうから。
「そう、ですね。‥‥では、せめて、トリスタン様と彼女を引き離しておくというのはいかがですか?」
サクラの提案に、アルヴィスも同意を返した。
依頼人が調査を中止しないと言うならば、彼らは少しでも危険要素を排除するだけだ。依頼を完遂する為に。
「じゃあ、あたしは、トリスタン君と行くよ。リデトは、もうトリスタン君に付いてる。エスリン君とユリアル君は、ダーラに付くんじゃないかな?」
「私も、トリスタン様とご一緒致します‥‥」
即答した2人に頷いて、アルヴィスは柾鷹へと視線を向ける。温くなったエールを飲み干して、柾鷹も「勿論」と澄まして答えた。
「拙者もトリスタン殿と同道するでごさる。戦闘が想定される故、ダーラ殿に割ける護衛は最小限になってしまうが致し方ない」
喉の奥でくくっと笑いを漏らした柾鷹は、だがすぐに表情を改めた。
「リィ殿とカルノ殿に知らせる事が出来ぬのが、少々不安でござるな」
「大丈夫だろう、彼らなら」
先行している仲間への信頼を見せて、アルヴィンは残ったエールを一息を飲み干した。
●戦の陰に
荷車が止まった。
気付かれぬように木立の陰で駿馬を止めて、リィ・フェイラン(ea9093)は注意深く辺りを探った。
思い詰めた顔をして、食糧を乗せた荷車を押す村人達の後を追って来たのだが、どうやら「当たり」だったらしい。見張りの騎士が立つ陣は、周囲に土嚢を積み、天幕をいくつか張っただけのお粗末なものだ。
「見つからないはずだ」
「本当に」
深い溜息と共に、カルノ・ラッセル(ea5699)が同意する。
「噂を聞く限りでは、『迫る軍勢、王の騎士を凌駕せん』って事だったんですが」
本当か嘘かは分からないが、敵は俄仕立てとは思えぬ程に軍備を整えていると聞く。あの陣の騎士達が、その一端であるならば、村から食糧を調達する必要はなかろうに。
「キャメロットに向かう軍勢とは別か?」
カルノの話を聞いたリィが思案気に呟く。
「それは分かりませんけど‥‥あ!」
カルノが短く叫んだ。
村人が騎士に詰め寄っている。それを乱暴に突き飛ばす騎士。倒れ込んだ村人が、何か叫んでいたが、リィとカルノが身を潜める場所までは聞こえてこない。
言い争いが続く。
それは次第に激しくなり、騎士は今にも剣の柄に手をかけそうだ。
「まずいですね」
頭の布覆いを投げ捨て、リィが弓に手を伸ばす。カルノも印を結び、いつでも飛び出せるよう身構えた時に、陣の中から新たな騎士が現れた。
白い髪、こけた頬の老騎士だ。
言い争っていた騎士が、弾かれたように直立不動の姿勢を取る。
老騎士は、穏やかに村人へと話しかけた。だが、興奮しきった村人は、老騎士に対して罵倒の言葉を投げつけたようだ。最初に争っていた騎士がいきり立って剣を抜いた。
騒ぎを聞きつけた者達が、陣の中からも現れる。
村人の体が後退った。
余計な騒ぎは起こしたくなかったが、このままでは村人が危ない。
馬の脇腹を蹴りると、リィは弓を握り締めた。リィの頭上にしがみついているカルノの表情も硬い。
彼女達の存在に気付いた騎士達が剣を抜き放つのを目の端に捉えながら、その傍らを駆け抜けると、リィは馬を止めた。ゆっくりと、見せつけるように矢をつがえ、引き絞った弦から指を放す。
騎士達の足下へと突き立った矢に向け、詠唱を完了させていたカルノの手から真白い閃光が伸びた。
「今のうちに、走って!」
腰を抜かした村人達を急かし、カルノは再び印を結ぶ。
「早く、出来る限り早く逃げて下さい。私達が時間を稼ぎますから!」
背後へと声を掛けたカルノに、村人は絶望に満ちた声をあげて蹲った。
「もうおしまいだ! あいつらは殺されちまう! 村も、俺達も‥‥!」
「あいつら? あいつらって誰です!?」
のろのろと手を上げて、陣を指し示す村人。
「子供が‥‥」
「まさか、子供を人質にしているんですか!?」
カルノの顔が強張った。
「リィ! 天幕の中に人質が! 子供が捕らえられているみたいです!」
馬を操り、騎士達を翻弄していたリィの頬が怒りに紅潮する。子供を人質にするなど、騎士にあるまじき行為だ。
手綱を引いたリィの頬を矢が掠める。伝い落ちる血を拭いもせずに、リィは馬首を返す。
「罪のない子供を連れ去り、それを盾に村人から食糧を奪うなど、野盗と変わらぬ振る舞いではないか! それでも騎士か! 騎士の誇りはないのか!」
リィの弾劾に、騎士達が怯む。
動けなくなった彼らを掻き分けて、白髪の老騎士がリィの前へと歩み出た。
「忠誠を誓った主の為に働くのが騎士。主の為ならば、命も惜しくはない。ましてや、名誉や誇りに何の価値があろう」
静かに、老騎士はリィに剣先を向けた。
その気迫は、周囲に群れる騎士など比べ物にならない程に鋭い。
老騎士を中心に、じりじりと間合いをつめて来る騎士達に、リィは唇を噛んだ。彼女の手には余る人数だ。不利な状況であると分かってはいるが、村人達が逃げる為の時間を稼がなければならない。そして、出来るならば子供達を助け出さねば。
活路を見出すべく、素早く考えを巡らせた彼女に、包囲の輪から飛び出して来た騎士の剣が襲いかかる。身を捩り、その刃を躱したリィに、反対側から槍が突き出された。
舌打ちする暇もない。
自分達の優位を悟り、騎士達の顔に笑みが浮かぶ。無力な獲物をいたぶる肉食獣の笑みだ。
向けられた剣が太陽を反射して煌めく。
視線に力をこめて、リィは林立する剣の輝きを見返した。大人しく負けてやるつもりなど、さらさらない。だが、危地に立たされている事は紛れもない事実だ。
短い気合いと共に、騎士の剣がリィ目掛けて振り下ろされる。
この距離では避けきれない。せめて、ダメージを最小限にと咄嗟に体をずらしたリィの髪の毛一筋を何かが掠めた。
「リィ!?」
何発めかのライトニングサンダーボルトを放ったカルノの叫び。
だが、呻きを上げたのは、リィではなかった。
彼女に斬りかかった騎士が、剣を取り落とす。その腕を貫いているのは、1本の矢だ。
「リィ君、カルノ君、大丈夫!?」
囲む騎士達の向こうから、風が吹き抜けた。そんな心地がした。
●始まりの稲妻
二手に分かれる事に不満を漏らしたが、ユリアルとエスリンの説得もあって、ダーラは大人しく後方からついて来ている。護衛と称した2人が進み具合を調整しているだろうから、話を聞かれる心配はない。
黙々と進むトリスタンを上目遣いに見上げて、サクラは尋ねた。
「これから‥‥トリスタン様はどう動くおつもりですか?」
ダーラを連れて目的地へと向かうのか。それとも、陣のある場所に辿り着く前に、彼女の化けの皮を剥がすのか。彼の考えは、何も聞かされていない。
「ダーラの身元は、トリスタン殿が調べたのである」
トリスタンの肩に座っているリデトの言葉に、サクラは首を傾げた。その動きに合わせて、獣の耳を模したヘアーバンドが揺れる。
「これがまた複雑なのである。ダーラを城に紹介した貴族は、別の貴族から口添えを頼まれて、その貴族もまた別の誰やらから頼まれたとかで、何が何やら‥‥」
目を回す真似をして見せたリデトに代わり、トリスタンが口を開く。
「彼女が何者かを突き止める事は出来なかった。だが、彼女を紹介した貴族には共通点があった」
「それは、何でござるか?」
パタパタと羽根を動かし、トリスタンの肩から柾鷹の頭の上へと移ったリデトが一音一音を切りながら、その名を告げた。
「オクスフォード侯爵、メレアガンス。皆、オクスフォード侯に縁のある者だったのである」
噂の中に聞いた名だ。キャメロットを目指しているのは、オクスフォード侯の軍勢だ、と。
オクスフォード侯と言えば、領民に慕われている人物だ。荒事には向かないタイプであるとも言われる。
「王の出生にまつわる話を聞き、動揺している諸侯が多いのは事実だ。だが、オクスフォード侯は短絡的に挙兵を考えられるお方ではない」
「でも、キャメロットへ向かっているのはオクスフォード侯の軍なのですね。侯の考えではないなら、誰かが侯を焚き付けた‥‥とか?」
考えを口にするサクラに頷きかけたアルヴィンは、前方に走った微かな光に目を眇めた。見間違いかと思い直した瞬間に、再び走る閃光。
今度は柾鷹も気付く。
「あれはただの雷ではないでござる」
「‥‥魔法か? だとしたら、近いな」
2人は顔を見合わせた。この近くにいるであろう、雷撃を使うウィザードに、彼らは心当たりがあったのだ。
その雷光に、離れて進むエスリンとユリアルも気付いていた。
「あれは‥‥既に戦端が開かれたという事か?」
エスリンの呟きに、ユリアルは顎先に指を宛てて考え込む。
「合流する村にも近いですしね。その可能性はあります。ありますが‥‥」
「先を行く皆様でしょうか?」
怯えた様子のダーラの肩を優しく叩き、ユリアルは安心させるように笑いかけた。
「大丈夫ですよ」
「でも、心配です。急ぎませんか?」
そわそわと落ち着かないダーラに、ユリアルはエスリンと視線を合わせ、分かりましたと恭しく胸に手を当てた。
●大義の在処
アルヴィンのウインドスラッシュが、騎士達の一角を崩す。
その隙を見逃す事なく、柾鷹が切り込んだ。振るう刀にはオーラパワーを付与してある。
新たな敵の出現に浮き足立ったのも束の間、老騎士の指示を受けて、騎士達はすぐさま攻撃に転じた。数で勝ると知ると、冒険者達を分断する作戦に出る。
二重三重に囲む騎士の鎧に阻まれては、仲間がどこで戦っているのか分からない。魔法を使うにも使えないと、忌々しげに舌を鳴らしたアルヴィンの腕に、ぴりりと痛みが走った。突き出された槍が掠めたのだ。
「任せるのである!」
リデトがリカバーの詠唱を始めると同じくして、背後の敵が消えた。倒れた騎士を飛び越えたトリスタンと背を合わせて周囲を
アルヴィンの腕を治したリデトは、槍の攻撃を躱しながら再び上空へと舞い上がった。
「アルヴィン君、右斜め前方は敵だけなのである!」
「分かった!」
詠唱を始めたアルヴィンに、戦斧を振りかざした大柄な騎士が迫る。素早く回り込んだトリスタンが、その一撃を受け流す。
「トリスタン!」
その声を合図に、トリスタンが飛び退った。
真正面から放たれたトルネードに、大柄な騎士と周囲に居た者達が巻き上げられる。
「怯むな! 敵はたったの8人だぞ!」
老騎士の檄に、甲高い悲鳴が重なる。
「トリスタン様! 危のうございます!」
乱戦の場に姿を見せたダーラが、エスリンの手を振り切って駆け出した。
「待って下さい、ダーラさん!」
制止したユリアルの言葉も聞こえぬのか、彼女はトリスタンに走り寄ろうとする。しかし、その動きが突如として鈍った。振り返ったダーラに、ユリアルは吐息を漏らして歩み寄る。
「ですから、待って下さいと申し上げましたよ、ダーラさん」
乱入した女に動きを止めていた騎士達の鎧が音を立てた。それを視線で制して、ユリアルは女官の手を取る。その手の中から、小さな縫い針を取り上げると、彼は小さな笑い声を漏らした。
「私達の目を欺けるとでもお思いでしたか?」
「な‥‥何をおっしゃっているの?」
ぎこちない動きで、己の手をユリアルから取り返したダーラが1歩、後退った。
「意味が分からないのですけれど‥‥」
「分からないなら、説明しよう。我々は、挙動不審な貴女を初めから疑っていたのだ」
ユリアルから渡された針を、ダーラの目の前に翳して、エスリンは彼女に尋ねる。
「この針が何の為のものか、貴女もご説明頂けるだろうか。それとも‥‥」
首筋に近づけられた針先をダーラは避けた。
「毒でも塗っていたか。さしずめ、王妃誘拐も我々を‥‥いや、トリスタン殿を誘き出す為の出まかせに過ぎないのだろう」
汚らわしい物を見るように眉を顰め、エスリンは針を投げ捨てた。そんな彼女の耳に、間近から低い笑い声が届く。
「出まかせと言うならば、それもよかろう。今頃、キャメロットは混乱しているだろうが、お前達はその結末を見る事も叶わぬ」
落ちてきた髪を払い、ダーラは唇を吊り上げた。
「ダーラ様」
老騎士の声に冷たい視線を投げ、次いで、周囲の騎士達を見回す。
「たかが8人に何を手こずっている。‥‥いや、さすがはアーサーも信を置く冒険者、さすがは円卓の騎士と言うべきか」
豹変したダーラに、冒険者達は反応を返さなかった。
こうなるだろうと、誰もが予測していたからだ。
「だからこそ、私は貴方の力が欲しいのだ。トリスタン卿」
ねっとりと甘い声が、静まり返った戦場に流れる。
「不義の子であるアーサーに、正統な王の資格などあるはずもない。汚れた王に剣を捧ぐよりも、不当な扱いを受ける高貴の方の為に、貴方の力をお貸し願いたい」
くすり、と笑ったのは誰だったのか。
眦を上げて振り返ったダーラが笑い声の主を見つけるよりも先に、それは次々と冒険者へと伝染していった。苦笑というよりは失笑。
「正統の王の資格、でござるか? これは笑止。王に正統性を求め、騎士に裏切りを唆すのは如何なものでござろうな、ダーラ殿。主とは無二なる存在、不動不変にて候。一度誓いし忠義は、風聞などで揺らぐものではない」
辛辣な柾鷹の言葉に、リィは顔を上げて老騎士を見た。激高したダーラがヒステリックに叫んでも、彼の表情は変わらない。
「戯れ言に惑わされますな、トリスタン卿! 貴方はどのようにお考えか!」
「私は、王位に剣を捧げたわけではない」
形の良い唇が、僅かに綻んだ。
「アーサーという王者に捧げたのだ」
迷いのない冒険者達と視線を交わすと、トリスタンはレイピアの切っ先をダーラへと向けた。
「よからぬ企みを抱く者よ、お前達には聞きたい事がある。拘束させて貰おう」
「この人数で、我が精鋭に勝てると思うか!」
ダーラの手が上がる。
数にして5倍はいるであろう騎士達が、それぞれに武器を構え直す。油断なく、冒険者達も身構える。
「天幕が燃えている!」
「う‥‥馬が逃げたぞ!!」
その時、陣の中で騒ぎが起きた。
動揺しながらも指示を出そうとしたダーラが、呻いて腕を押さえる。飛来した矢が、彼女の腕を射抜いたのだ。
「ごめんね。でも、貴女を逃がすわけにはいかないの」
ユーウィンを睨みつけたダーラの背後で、Gパニッシャーを構えたサクラが牽制する。囲まれた彼女に、もはや逃げ道はなかった。
「ダーラ様!」
躍りかかって来た老騎士に、ユリアルの反応が遅れた。印を結ぶ間もなく、彼の体は地面へと投げ出される。ダーラを乱暴に背後へと押し遣ると、老騎士は叫んだ。
「一旦お退き下さい! 体勢を整えれば、後日、また機会も訪れましょう!」
「だが!」
「ダーラ様をお守りするのだ!」
主の言葉を遮り、騎士達へと指示を出すと、彼は猛然と冒険者達に斬りかかった。我が身を顧みない死に物狂いの猛攻をかけて来た老騎士が力尽きたのは、天幕が燃え落ち、土塁が崩れ、戦いの跡だけを残してダーラと騎士達が消え去った後の事であった。
「凄ぇじいさんだな」
「伊織さん。陣で騒ぎを起こしたのはあなたですね。ですが‥‥その子供達は?」
感嘆の声を上げた伊織を振り返ったユリアルが苦笑する。
伊織は、ふにゃふにゃと泣く赤子を背負い、片手に乳飲み子を抱え、もう片方で幼児の手を引いていたのだ。幼児は別の幼児と手を繋いでいる。忍装束をつけた子守の姿に、エスリンもユーウィンも吹き出しかけた。
「笑うな! 陣の中で泣いてんのを見つけたんだ。放っておけるかよ」
「きっと、人質になっていた子達ですね」
泣き続ける赤子を覗き込んだカルノは、ほっと息をついた。傷つけられた様子はない。
「キャメロットへ戻る前に、この子達を村まで送ってあげてもいいよね、トリスタン君」
体を小刻みに揺らし、むずかる赤子をあやすユーウィンに首肯して、トリスタンは足下に蹲る老騎士を見下ろした。
「キャメロットに戻った後は、体勢を整えて奴らを追う事になろう。‥‥貴方にも、色々と聞かせて貰わねばな」
「誰が喋るものか!」
拘束されてなお、敵愾心を燃やし、飛びかからんばかりの老騎士に、柾鷹は彼を縛る縄を強く引く。地面に倒れ込んだ騎士は、周囲を囲む者達を憎々しげに睨み付けた。
「よせ!」
異変に気付いたトリスタンが制止するのも間に合わなかった。
騎士の口元から血が溢れ出す。
「舌を噛んだのである!」
リカバーをかけたリデトを恨めしそうに見上げながら、老騎士は言い放った。
「捕らわれて主の不利となるなら、この身を滅ぼす。邪魔をするな」
「どうして‥‥?」
慣れぬ手つきで乳飲み子を抱えていたサクラが、彼の傍らに膝をついた。大人達の争いも知らず、早く大きくなろうとでもするかのように体を伸ばす子供を見た瞳が、一瞬だけ和らいだ。
「命をかけてもお守りすると誓った主だからだ」
冒険者達は、互いに顔を見合わせた。
先ほど、同じ事を彼らはダーラに宣言したばかりだ。
「誓いを捧げた主への気持ちは同じ‥‥なのだな」
エスリンの呟きに、目を伏せたトリスタンの表情からは何の感情も読みとれない。だが。
「トリスタン」
伊織やリィと共に、陣や倒れた騎士達の検分をしていたアルヴィンが静かに歩み寄る。
「言い忘れていたが、俺はあんたに敬意を表する。円卓に対してではなく、円卓の名を冠することが出来た、あんた自身にな」
その言葉に目を見開き、トリスタンはふ、と微笑んだ。