●リプレイ本文
●到着
戦の混乱は、まだあちこちに残っていた。
傷ついた兵、巻き込まれた人々の窮状に手を差し伸べてやりたくとも、今はどうする事も出来ない。道中、心で詫びを入れながらパトリアンナ・ケイジ(ea0353)が合流地点に辿り着いた時、先に出た仲間達は既に活動を開始していた。
「パティ、着いたのかい」
声を掛けて来たベアトリス・マッドロック(ea3041)に、手を挙げて応える。白い布やら壺やらを抱えたベアトリスは、片目を瞑った。
「悪いね。両手が塞がってるもんで。ああ、パティ、セブンリーグブーツ、助かったよ。お陰で、騒々しくなる前に司祭様と話が出来た」
どうやら話はうまい事進んでいるらしい。
ベアトリスの表情から状況を読みとって、パティは口角を引き上げた。
「そいつは貸した甲斐があるってもんだ。‥‥じゃあ、教会を使わせて貰えるんだね」
「司祭様はあたしらに協力すると約束して下さったよ。後は、オクスフォードの連中をどうやって教会まで集めるか‥‥さ」
ふふんと笑うと、パティは親指で自分の胸をついてみせる。
「全ては心掛け次第だろ。相手が敵意を持っていても、あたしらの誠意が伝われば、心を開いてくれるさ。まァ、野生動物を手懐けるみたいなモンだ」
その例えはどうかと思うが、パティが言うと何故だか妙に説得力がある。複雑な表情を見せたベアトリスを気にする事なく、パティは背後から聞こえた金属が擦れる気配に、踵を軸に体の向きを変えて軽く膝を折った。
「お初にお目にかかります。トリスタン・トリストラム卿。パトリアンナ・ケイジと申します」
「あ‥‥あのぅ? ああっ!?」
戸惑いを滲ませた声に続いたのは、何かが落ちる音。足下に転がって来たそれは、どうやら籠手のようだった。
怪訝そうに顔を上げたパティと、落ちた銀色の鎧とに忙しなく視線を走らせているのは、黒髪の優しげな青年だ。
「え‥‥えっと、移動するので、トリスタンさんの鎧も運ばなきゃと思って」
落ちた鎧を拾い集めたイェーガー・ラタイン(ea6382)は、どこか引き攣ったように見える笑顔をパティへと向けてそそくさと立ち去ろうとする。
「ちょい待ち」
1歩踏み出したままの姿勢で固まったイェーガーの肩にどさりと腕を回して、パティは満面の笑みを浮かべた。
「ん? どうしたどうした? そんな顔して。女に抱きつかれて嬉しかないのかい? それよりも‥‥」
ぎりぎりと肩を掴んだ手に力が籠もる。しかし、パティは笑顔のままだ。
「鎧脱いでどこに行ったんだい? 大将は」
「ヴォルフさんや京士郎さんと一緒に、パーシ卿やガウェイン卿の元へ向かわれまして‥‥」
ぴくりと、パティの眉が動く。
「ほほぉ? ヴォルフや京士郎と」
「あの、戦の最中とはいえ、何の前触れもなく陣に訪ねて、パーシ卿やガウェイン卿にお会い出来るとは思えないと、つまり」
不穏な気配を感じ取ったのか、慌ててイェーガーが付け足す。彼の気持ちは、ちゃんとパティへと通じた。安心させるように、彼女はイェーガーの背を叩く。
「心配しなさんな。あたしにだって奴らが作戦を成功させる為に動いてるぐらい分かっているよ。ただ‥‥」
一瞬、安堵しかけたイェーガーがぎょっとして身を引いた。
「ただちょっと肩透かしくらった気分なだけさ」
手の平に拳を叩きつけて薄く笑ったパティに、ヴォルフと京士郎の無事を祈らずにはいられないイェーガーであった。
●それは何の為に
ぞくり。
ふいに背筋を駆け上がった悪寒に、ヴォルフガング・リヒトホーフェン(ea3143)と真幌葉京士郎(ea3190)は同時に動きを止めた。
「今、何か寒気がしたような‥‥」
「おまえもか?」
ぶると震えた2人に、応対に出た騎士にガウェイン・オークニー卿への取り次ぎを申し入れていたトリスタンが怪訝そうに振り返る。
冒険者と同じネイルアーマーを着込み、長い金髪を無造作に束ねただけの姿でもさすがは円卓の騎士と言うべきか。先ほど訪ねたパーシ・ヴァル卿の陣でも、現在訪れているガウェイン卿の陣でも誰何される事がない。
円卓に名を連ねる者同士なのだから、その配下の騎士に顔を知られているのは当然かもしれないが。
「うんうん。やっぱトリスタンを連れて来て正解だったな」
「パーシ卿への面会も、即座に取り次いで貰えたしな」
ぼそぼそと囁き交わすヴォルフと京士郎。身元証明や取り次ぎに掛かる時間を短縮出来た事による効果は大きい。その時間を仲間達の手伝いにまわれば、1人でも多くの一般人を避難させられるし、戦闘に出る者達にも彼らの活動を周知徹底して貰える。
「‥‥パーシ卿、やる気だったな」
闘志に満ちていたパーシ卿の姿を思い出して、京士郎が呟く。
「オクスフォードは陥落は時間の問題だ」
「ああ」
相槌を打って、ヴォルフは苦笑した。噂に聞く「雷の騎士」の戦いぶりを見てみたいと思うが、今は自分に課せられた任が大事だ。
「ま、この先、また機会があるだろうさ」
肩を竦めたヴォルフが居住まいを正す。足早に近づいて来た騎士が彼らに恭しく礼を取ったのだ。
「よお」
案内された場所には、1人の騎士がいた。
ガウェイン・オークニー、アーサー王の甥にして「太陽の騎士」と異名をとる勇猛な騎士だ。
「トリスタン」
トリスタンへと呼びかける声に親しみが含まれている。
「なぁ」
親しげに言葉を交わす2人の様子に、京士郎はヴォルフの脇腹を突いた。
「トリスタン、本当に円卓の騎士だったんだなぁ」
「‥‥今まで何だと思っていたんだ?」
「いや、そういう所を見てないんで」
小声の会話も、しっかりと円卓の騎士達の耳に届いていたようだ。豪快に笑って、ガウェインはトリスタンの背を叩く。
「暇そうにしているところを見ると、上手くやったようだな」
「まだ分からん。だが、上手くいくだろう」
「そうか。まあ貴様のことだ。ぬかりはあるまい」
トリスタンの視線に促されて、ヴォルフは1歩前へと出た。伝える事を伝えねば、ここに来た意味がない。
「我々は、現在、オクスフォード市内の教会を中心に、一般人と負傷者を保護する為の非戦闘区域を確保しようとしています。敵であっても、武装を解除した者は迎え入れようと思っています」
敵をも保護するという言葉に、周囲の騎士達がざわめく。
彼らを見回して、京士郎はヴォルフの言葉を補足した。
「戦となれば、泣きをみるのは民だ。王もそれを望んではおられまい。こちらに逃げて来た「敵」は俺達で片をつける故、なるべく戦端がこちらに向かぬようにして欲しい。‥‥ああ、そうだ。仲間がこうも言っていたな。『武装する者は例え円卓の騎士であろうとも中へは入れない』と」
イェーガーの言葉をそのまま引用して、京士郎は反応を待った。これは生死をかけた戦いだ。死にものぐるいで向かって来る相手と戦っている最中にそんな悠長な事を言っていられないという事は、彼らにも分かっている。
ガウェインは周囲を見渡した。
「あの美しく平和だったオクスフォードも、メレアガンスの為にとんだことになったものだな」
ヴォルフと京士郎は、肩から力を抜いた。穏やかな口調だ。彼らの意見は、どうやら受け入れられたらしい。
だが、その言葉に、トリスタンは考え込んだ。
「どうした?」
「‥‥メレアガンスは、王妃を戦いから遠ざけようとしたのではないだろうか」
唐突な話に面食らったガウェインに、トリスタンは逡巡の後、声を落とした。
「奴は、王妃に懸想していたのではないかと思っている」
息を呑んだヴォルフと京士郎の目の前、ガウェインが大きく首肯する。
「なるほど。それで、とけた」
何が、とはトリスタンは問わなかった。僅かに目を細め、口を開く。
「ガウェインよ」
「なんだ?」
「‥‥あまり無茶はするな」
「貴様もな」
短い言葉を交わした後、しっかりと手を握り合ってトリスタンは踵を返した。ヴォルフと京士郎もその後に続く。
「トリスタン、今の話は‥‥」
硬い表情で尋ねた京士郎に、表情を変える事なくトリスタンは答えた。
「以前から気になっていたのだ。王妃を見るメレアガンスの表情、視線‥‥貴婦人に対する尊敬の念を逸脱しているように感じていた」
「だから、か」
トリスタンの言う通りにメレアガンスが王妃に懸想していたというのならば、王を討ち、キャメロットを制圧するという混乱に王妃が巻き込まれぬようにと考えたとしてもおかしくはあるまい。
彼の心情、その真実を知る術は、もはや永遠に失われてしまったけれど。
●恐怖の淵で
アーサーの軍が来る。
しかも、雷の騎士、太陽の騎士と勇名を馳せる円卓の騎士がその指揮を執っている。
オクスフォードの民は絶望していた。メレアガンスを支持した自分達は、ここで根絶やしにされるのだと。せめて一矢報いるのだという気概を持つ者達は、メレアガンスの遺臣達に味方すべく武器を取ってオクスフォード城の守りについている。
だが、武器を持つ事も、身を守る事も出来ない者達は、ただ震えてその時を待つばかりだ。
「ねぇ!」
不安そうに物陰で身を寄せ合う者達に、張りのある声が掛けられた。蹲る彼らには逆光となってはっきりと見えなかったが、声の主は若い女のようだ。
「教会が、戦わない人や怪我をしている人達を保護しているらしいの。行ってみたらどうかしら?」
顔を見合わせた者達に、女は更に告げる。
「白い布に十字の印をつけた人達が、子供やお年寄りを誘導しているのを見たのよね。教会の周囲にも十字の印が沢山あって‥‥その印の中では戦っちゃいけないみたい」
手を差し伸べ、枯れ枝のように痩せ細った老婆の腕を取る。
「教会で戦おうなんて罰当たりな人もいないだろうし、きっとここより安全よ」
歩く事も覚束ない老婆を支え、そこに固まっていた者達が教会へと向かったのを確認すると、ステラ・デュナミス(eb2099)は彼らとは反対方向へと歩き出す。
嵐の前のように、街は静まり返っている。
皆、どこかに隠れて息を潜めているのだ。
1人でも多くの人達に、安全な場所がある事を伝えなければならない。歩く速度を速めながら、ステラは声を張り上げた。
「教会の近くが安全だって聞いたわ! 戦いが始まる前に、そこへ避難した方がいいわよ!」
途端に響いた何かが倒れる音に、ステラは身構えて振り返る。
壊れ掛けた木の扉の向こうに、騎士と思しき1人の男が倒れていた。怪我をしているらしい。
「動けないの?」
駆け寄ると、男は家の中を指し示した。そこには、生まれて間もないと思われる赤子を抱いた女が震えながら蹲っている。
「あの娘を、連れて行ってやってくれ」
そう頼む男は、怪我の手当もされていないらしい。ただ巻き付けただけのボロに血と膿が滲んでいる。
「分かったわ。でも、貴方も行くのよ」
呆然自失状態の女を立ち上がらせると、ステラは怪我をした騎士に肩を貸す。
「俺は構わない。だが、あの娘と子供を‥‥」
「だから分かっているわ。けど、貴方だってその怪我なんだから! 教会には薬草があるはずよ。私、薬草には詳しいの。手当てしてあげるから」
よろめきながら、男の体を支えると、ステラは女に手を差し出した。
「さ、行きましょ」
だが、女はステラの言葉が聞こえていないように、宙の1点を見つめたまま動かない。
「どうしたの? ここにいちゃ危ないのよ」
「この娘の亭主は、騎士の従者だった。候がキャメロットへ向かわれた時、主である騎士に従い、まだ帰って来ない」
夫の安否も分からぬ上に、メレアガンスの処刑とアーサー軍が迫っているとの報を聞き、恐怖のあまり錯乱したのだという。
「川へ飛び込もうとしていたのを、俺が助けた。だが、俺もこんなだ。これ以上は守れない」
騎士の言葉に頷いて、ステラは女に優しく声を掛ける。
「大丈夫よ。もう何も心配しなくていいの。赤ちゃんもきっとお腹がすいてると思うわ」
女はステラの声に何の反応も返さない。
「ね、ここより安全な場所があるのよ。そこに行きましょう?」
男の体を柱に預け、ステラは女の手を引いた。外へと連れだそうとした瞬間に、女は突然に暴れ出した。
「落ち着いて! 大丈夫、怖くないから!」
「どうしたんだい!?」
体を屈めるようにして覗き込んで来たのは、十字の印が入った白い布を腕に巻いたベアトリスだ。中の様子を一目見るなり、ベアトリスは暴れ狂う女へと歩み寄ると、その体をぎゅっと抱き締めた。子供をあやすように、その背をゆっくりと叩いてやる。
「大丈夫、大丈夫。もう怖い事なんざないからね」
よしよしと宥めながら、女が抱き締めて離さない赤子をそっと取り上げる。赤子は、泣く力もないほどに弱っていた。
「この子も大分弱っているね」
「今朝方までは、まだ泣いていたのだが」
騎士の言葉に頷いて、ベアトリスは赤子の額に手を置いた。
「安心おし。聖なる母に癒しを願ってあげるからね」
ステラが寄り添って、女を赤子の側へと連れていく。白い暖かな光が赤子を包み、聖なる母の力が赤子を癒す。泣き声をあげ始めた赤子に安堵の息をつくと、ステラは騎士を振り返った。
「貴方も、傷を癒して貰ったら?」
「いや。俺よりも、他に傷ついている奴を治してやってくれ」
分かったよ、とベアトリスは女に赤子を戻すとその背を押した。
「この子はアタシが連れてくから、ステラの嬢ちゃんは、その騎士様を案内しとくれ」
●息を殺して
同じ頃、栗花落永萌(ea4200)は、イェーガーと共に教会の周囲に戦闘禁止の印として石灰で十字を書き付けていた。司祭の口ききもあり、周辺の家々も壁に十字の印を書き入れたり、布を吊してくれている。
辺り一帯の、中立地帯化は順調に進んでいた。
街中でパティやベアトリスが触れ回っているのが功を奏したのだろう。避難して来る市民の数も、徐々に増え始めている。そろそろ、彼らを受け入れる手伝いに回った方がよいかもしれない。
「イェーガーさん、俺は教会の方へ行きます」
「あ、はい。じゃあ、僕はもう1度確認してから戻りますね」
永萌と別れ、イェーガーは十字を書き込んだ場所を1つ1つ確認しながら歩く。街の人々の状態は、彼が考えていたよりも悪い。メレアガンスが処刑され、王の軍が残党狩りに来る‥‥そんな悪い噂ばかりが先行し、住民は恐怖の到来に怯えている。
重い溜息をついたイェーガーの背後で、カタンと小さな音がした。
「誰だ!」
咄嗟に弓を構えた彼の目の前、薄い板が揺れる。その向こうからこちらを伺っているのは、まだ幼い子供達だ。
「君達は‥‥」
怖がらせないように弓を仕舞い、ゆっくりと近づく。彼が1歩近づくと、気配も退る。一気に間合いを詰めると、イェーガーは羊皮紙のように薄い板を取り払った。
家と家の隙間に逃げ込んでいた子供達が、その奥で身を竦ませて震えていた。
「こんな所にいちゃ危ないよ? おいで、教会に行こう。皆、そこにいるから」
子供が入るのがやっとの隙間に手を差し込んで、イェーガーは努めて明るく言う。
「ね? 出ておいで?」
子供達の1人が、様子を窺いながらイェーガーの近くまで出て来た。ここで驚かせてはいけない。慎重に、彼は背後に置いた荷へと腕を伸ばした。
「いつからここにいたんだい? お腹、空いてない?」
後ろ手に荷を探り、万が一の為に用意していた保存食を取り出す。
「今はこんなのしかないけど、教会に行けばちゃんとした食事が用意されているからね。街の人達もそこにいるから、安心していいよ?」
おそるおそる、子供はイェーガーの手から保存食を取った。奥に隠れていた子供達も食べ物と聞いて顔を見せる。皆、薄汚れた様子でお腹を空かせているようだ。
「君達、お父さん達は?」
最初に出て来た子供が黙って首を振る。
渡された食事を、自分より幼い子供達に分けてやると、彼はイェーガーを見上げた。
「本当に、教会に行けば怖くないの?」
「怖くないよ。もうすぐ、戦いが始まるから、ここにいる方が危ないよ? 教会においで。俺達が、絶対に守ってあげるから」
しばらくイェーガーの顔を見つめていた子供は、やがて小さく「うん」と頷いた。
●弱き者を守る剣
教会に集まる者達の武装解除を遂行していた広瀬和政(ea4127)は、近づいて来る1人の騎士に気付いた。怪我をしているらしく、ステラに支えられている。
彼はその騎士に歩み寄った。無言のまま、ステラに代わって騎士に肩を貸す。
「ここは‥‥いつの間にこんな‥‥」
見慣れた街の中、十字の印があちこちに掲げられて境界を切っている。騎士は戸惑ったように周囲を見回した。
「どうぞご安心下さい。司祭様の許可を頂いて、どの陣営にも与しない場所として解放させて頂いているんです」
地面に座り込んだ老人に己の荷から取り出した食事を渡していた永萌が、騎士へと微笑みかける。
「ただし、この一帯での争いは御法度。武装は解除させて頂きますので、ご了承下さい」
しかし、彼の言葉は騎士の疑念をますます大きくしたようだった。
「こんな事、誰が考えた? お前達は何者なんだ!?」
ステラは穏やかな表情の永萌を、何か言いたげな表情で見る。彼と、気の毒な母子の話を前もって永萌に聞かせておく事が出来たなら、彼らを気遣った対応をしてくれると思ったのか。それとも‥‥。
彼女の視線に気付きながらも、永萌は躊躇いも見せずに騎士に真実を告げた。
「我々は、冒険者ギルドに属する冒険者です。円卓の騎士であるトリスタン卿の依頼により、オクスフォードで始まる戦いに備え、市民が傷つかぬように中立区域を確保させて頂きました」
騎士の顔が怒りに赤く染まった。
「ふ‥‥ふざけるな! オクスフォードを荒らす無法者が何を!」
広瀬の体を突き飛ばし、騎士は腰の剣に手を伸ばす。
「待って!」
間に割って入ろうとしたステラを、広瀬が押し止める。
「心配はいらん。奴に任せておけ」
ふらつく剣先を向けられても、永萌は表情を崩す事がなかった。
「我々はトリスタン卿と共に、この中立区域を戦闘から守ります。ですが、ここを中立の場‥‥戦えない者を保護し、傷ついた者を介抱する場所にするのは教会と、オクスフォードの方々です」
永萌は、教会とその周囲に集った人々の様子が見えるように体をずらす。火が熾り、食事を作っているのは女達だ。手伝っている子供達が、スープを老人や怪我をした者達に運んでいる。その傍らでは、教会の司祭やクレリック達が聖なる母の癒しをもって重傷人を治療し、軽傷者は薬草と清潔な布を使った手当を受けていた。
「王が無為に民を虐げられる方ではない事を、貴方もご存知でしょう? オクスフォード候が反乱を起こしたからと、民にその責任を問われる方でもありません。貴方の王を、どうぞ信じて下さい」
騎士の手から、剣が滑り落ちた。
その剣を拾い上げて、ステラはそっと彼の手に戻す。
「貴方が感情に任せて戦えば、ここに集った人達にも被害が出るでしょう。‥‥メレアガンス候がそれを望むの?」
騎士は、ステラと己の剣とを見比べた。
見守る冒険者達の視線の中、彼はのろのろと剣を持った腕を上げた。突き出された剣を、広瀬が受け取る。
「おじさん‥‥」
皮肉な笑みを頬に刻んで、騎士はステラを一瞥すると、教会に向かって歩き出した。
「待て」
呼び止めたのは広瀬だ。
振り返った騎士に、彼は続ける。
「貴様、オクスフォードを守る為に剣を取ったのならば、その力、ここで使わんか?」
「な‥に?」
広瀬が受け取った剣は、騎士の命。騎士となったその日、ただ1人の主に捧げたものだ。その主は、もういない。
「オクスフォード候の民を、この街の者が戦禍に巻き込まれぬよう、その力を貸して欲しい」
広瀬の言葉に返ったのは、無言の頷きであった。
威圧的にも見える広瀬の顔にも、笑みが浮かんだ。
「ややこしい話は終わったか?」
ひょいと、背後から覗き込まれて永萌はぐっと息を詰まらせる。
騎士と広瀬の遣り取りに気をとられて、近づく気配に気付かなかったのだ。勿論、それは相手がよく知った仲間だったからなのだが。
「京士郎さん」
「よ」
ヴォルフやトリスタンと共にアーサー軍の陣を回っていた仲間の姿に吐息をついて、永萌は苦笑を漏らす。驚いてしまった事は不覚だったが、彼がいつもと変わらぬ顔をしてここにいるという事は、全て上手くいったに違いない。
‥‥違いないのだが。
「何ですか、その格好は」
「似合わないか?」
その場でくるりと回って見せた京士郎に、永萌は額を押さえた。
「‥‥いえ、似合う似合わないの話ではなく」
「きっ‥‥貴様っ! 何だそれは!」
オクスフォードの騎士と友情めいた絆を結びかけていた広瀬が、京士郎の姿に目を吊り上げる。
「詩人の格好をしてみたんだ。‥‥秋の新色だぞ」
得意げに指し示したのは、羽根付き帽子。
「いや、新色とかそういう問題では」
帽子の下、彼の長い黒髪は三つ編みになっていた。そちらの方が衝撃だった。
「‥‥誰に編んで貰ったのかしら」
そういう問題でもない。
ステラの独り言に永萌が遠くを見つめたその時。
「京士郎さん! 危ない! 逃げて!!」
イェーガーの叫びが響き渡った。
●終幕の始まり
何が起きたのか、すぐには理解出来なかった。
気が付くと、何かが彼の首をがっちりと固め込み、圧迫していた。
「よぉ、京士郎。遅かったじゃないか」
何かがパティの腕だと気付いたのは、呼吸困難に陥る直前。
「あたしが着く前にいなくなっちまうなんて、つれないにも程があるだろう?」
はぁと息を吐き出して、パティは頭を振った。
「しかも、挨拶しようと思ったトリスタンまで連れてっちまってるし」
「あ、あの、パティさん? 何だか、京士郎さんの顔が危険な色になってるんですが‥‥」
遠慮がちなイェーガーの指摘に、パティはようやく京士郎の置かれている状態を思い出したようだ。軽く笑い飛ばしながら、京士郎の首を絞めていた腕を外す。
「いやぁ、悪かったね! ついつい、嬉しくてさ。‥‥さぁて、ヴォルフはどこかいな?」
背を擦りながら、イェーガーはぜぇはぁと息をつく京士郎の顔を覗き込んだ。
「ね‥‥涅槃が見えたぜ‥‥。綺麗な天女がおいでおいでと‥‥あ」
ぽん、と京士郎は手を叩く。
「天女で思い出したぜ。これこれ」
ガサゴソと京士郎が懐から取り出した羊皮紙に、イェーガーが首を傾げた。後ろから覗いたステラも怪訝な顔をする。
「何? これ」
「これか? これは見ての通り、このオクスフォードに今も潜んでいると噂されるモルゴース殿だ!」
自慢げに胸を張って、京士郎は続けた。
「今回の戦について、モルゴース殿は何かご存知のはず。パーシ卿、ガウェイン卿の攻撃の際には、この非戦闘区域を逃走経路として使用されるかもしれん。お見かけしたら、丁重にお連れすべきかと」
ステラから羊皮紙を取り上げて、広瀬は眉を寄せた。眉間にくっきりと刻まれた皺が、彼の心情を物語っている。
「貴様‥‥これは何の冗談だ」
「冗談? とんでもない。肖像画はさすがに手に入らなかったんでな。モルゴース殿の特徴をお聞きして、俺が描いた。憂いを帯びた瞳、艶やかな長い黒髪、色白の肌‥‥感じが出ているだろう?」
広瀬のこめかみに青筋が浮かぶ。
確かに、その絵の隣には達筆で「もるごぉす」と書かれてある。特徴も、掴んでいない事もないような気がする。ただし、そこに描かれていたのは、憂いを帯びた引目、床につく程に長い黒髪、色白ぽっちゃり顔の‥‥
「絵巻物語の女性じゃないんですから」
一昔前のジャパン美人の姿であった。
「これでモルゴース殿を探せと言われても無理ですよ。‥‥あ?」
ずきずきと痛む頭を押さえて、とりあえず突っ込むべき所は突っ込んだ永萌が、はっと顔を上げた。いち早く気付いていたらしいパティが、苦虫を噛み潰したような表情で腕を組み、街のほぼ中央に位置するオクスフォード城を睨みつけている。
「始まりましたか」
「そのようだね」
やるべき事はやった。後は、戦いから逃れて来る市民を保護し、この一帯に降りかかる火の粉を払うだけであった。
●乱のあと
大方の予想通り、メレアガンスの残党はパーシ・ヴァル卿率いる一軍の前に総崩れとなった。
混乱と狂乱。
負けを悟った者達には、もはや秩序も何もない。騎士の誇りを胸に、理性で踏みとどまる者もいたが、大半は一般市民と変わりない従者や志願した兵である。己が命惜しさに、より安全な場所を目指す者がいるのも、また当然の事であった。
刃こぼれした剣を振り回し、周囲の同胞達を威嚇しながら、十字の印を越えようとした男達の動きが止まる。
「その印を越えるならば、武器は捨てて貰おうか」
矢を向けたヴォルフの冷たい言葉に、男達は一瞬怯んだようだった。だが、背後には、勇猛で知られる円卓の騎士の軍。後退する事など出来ない。
「うるさい! 邪魔をするなら、お前も切り刻んでやるぞ!」
嘯いた男に、ヴォルフの冷笑が浴びせかけられる。
「やってみるがいい。出来るものならばな」
行く手を遮るように現れた大柄な女に躊躇したのも束の間、男達は怒号を上げつつ走り出した。十字の印を越え、ぴくりとも動かないパティの横を通り抜けようとした男の体が、ふいに宙に浮く。
腰を掴まれたと気付いた時には、彼の体は地面に叩きつけられていた。
「中に入りたけりゃ、大怪我してから出直せや!」
パティの一喝に、竦み上がった男達はその場から動けなくなった。
「‥‥重傷者1名、追加だ」
凍り付いた雰囲気の中、ひどく落ち着いた声が響いた。地面に倒れた男の傍らに膝をついているのは、銀の鎧を纏った男だ。
「あいよ。ステラの嬢ちゃん、手伝っとくれ!」
パティに投げられた男がベアトリスとステラの手によって教会へと運ばれていく。
「見ての通り、ここは陣営に関わらず、怪我人、非戦闘員が集う場だ。ここには、我々が守るべきイギリスの民しかいない。戦闘行為は慎んで貰おう」
「どうしても従って頂けないならば、容赦しませんよ」
武器を構える事なく、淡々と告げた広瀬とイェーガーの言葉にも静かな迫力が宿っていた。
自分達が敵う相手ではない。
そう感じ取った男達は、がくりと膝をついた。戦意を失った様子の彼らに、ヴォルフは弓を下ろす。
「空しいものだな」
「‥‥ああ」
たった1度、道を過ったが為にメレアガンスは堕ちた。
オクスフォードの人々も、苦汁を舐めた。
武装解除の指示に大人しく従う兵達の疲れ、諦めきった表情を見て、勝利の高揚感を感じる事はない。
「だがな、京士郎。彼らがいる限り、オクスフォードは元の平和な姿を取り戻すだろうさ」
互いに助け合い、支え合っていく人々の姿を示して、ヴォルフは片目を瞑ってみせた。戦乱に巻き込まれ、疲弊しきっていた彼らの顔に、いつしか笑顔が戻っている。
「そうだな」
その笑顔がこれからの未来を象徴しているように思えて、ヴォルフも京士郎も表情を和らげたのだった。