惨劇の館

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:7〜13lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 56 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月18日〜08月25日

リプレイ公開日:2005年08月28日

●オープニング

●恐怖
 手首を走った冷たい感触に、少女は竦み上がった。
 彼女の反応を楽しみながら、薄い光を弾く刃を動かす。ゆっくりと、彼女に見せつけるように。刃が辿った跡に、真っ赤な珠がみるみると盛り上がり、つぅと流れる。
 それを目にした途端、恐怖で麻痺していた感覚が突然に目覚めた。
「! ‥‥ッ!!」
 掴まれた手首を振り払おうとして、逆に引き寄せられた。骨を砕かんばかりに強くなる力に、彼女は悲鳴を上げる事も出来なかった。
 貴婦人に敬愛のくちづけをおくる騎士のように唇を近づけると、白い肌に流れた赤い跡を、丹念に舐め取る。
 ちろりと覗いた舌先が、彼女の血で赤く染まっていた。

●居なくなった娘達
 人がいなくなったという依頼がギルドに持ち込まれるのは決して珍しい事ではない。
 それらには、モンスターが関わっていたり、何かの事件に巻き込まれたり、時には本人の意志で姿を消したりと、様々な原因が存在する。
 その日、ギルドに出された依頼も、数多い「失踪事件」の1つであった。
「若い娘が次々といなくなる‥‥か」
 依頼状を読み終えた冒険者が呟く。
 これもまた、よくある事だ。
 複数の若い娘が居なくなった場合に考えられる原因を、彼は幾通りか思い浮かべる。
 まず考えられるのは、何者かの手による事件に巻き込まれる事か。若い娘を狙った悪企みは後を絶たない。
 次は、娘達が消えた周辺に、何らかのモンスターが居着いたか。この場合、娘達が無事に戻って来る可能性は低い。
 そして、最後に自分の意志で姿を消す事だ。恋人が出来た、都会に憧れて‥‥など。苦労して探しだしてみれば、本人はけろりとしており、走り回った自分達が馬鹿らしく思える事もある。
 複数の娘が消えたのであれば、皆で示し合わせてどこかへ行ったのだとも考えられる。
「案外、そのうち楽しそうに笑って帰って来たりしてな」
「それならそれでいいじゃないか」
 安堵する家族に怪訝な顔をする娘達にお説教して終わるならば、どんなにいいか。どんなに大変な思いをしても、汗にまみれて走り回っても、最後に依頼人達の笑顔を見る事が出来るなら。
「でも、この依頼状を読む限りでは、そんなんじゃないよね」
 羊皮紙を読み直していた女冒険者の沈んだ声に、周囲の者達も気まずそうに俯く。
「娘さん達、皆、唐突に消えたみたいね。家の中からいなくなった子もいるみたい。それに、娘さん達がいなくなり始めた頃から幽霊騒動が起きているのね」
 村の外れにある誰も住んでいない古い館で、立て続けに白い影が目撃されている。その館を調べようとした者達は獣に襲われ、命からがら逃げ帰って来た。
「時期が同じというのは、気になるな。これだけでは詳しい事は言えないが」
 村で起きた変異を書き出しただけの情報では、判断も出来ない。
 現地で、実際に調べてみる必要がありそうだ。
「村は辺鄙な所にあって、地形的に外から隔絶されていると言ってもいいだろう。余所者が入り込みにくく、モンスターが活動しやすい村だな」
 依頼を出した村人達が寝床と食事は提供してくれるという話だが、村に武具の類が揃っているとは考え難い。万が一に備えておいた方がよさそうだった。

●惨劇の館
 力を失った体が床に落ちる。
 どろりと濁った虚ろな瞳に見つめられて、少女はひっと息を呑んだ。
 彼女の事は、幼い頃から良く知っている。健康そうな艶やかな頬をした、元気な子だった。面倒見がよくて、年少の子供達に慕われていた。それが今‥‥。
 投げ出された彼女の手首には、ぱくりと口を開けた傷跡。
 少女は、きつく布を巻いた自分の手首を無意識のうちに押さえていた。
 次は自分かもしれない。
 次でなくとも、間違いなく自分も体中の血を失い、ゴミのように打ち捨てられるのだろう。
 身を寄せ合い、震える少女達の耳に甘い毒を含んだ声が聞こえた。
「村の連中は冒険者を呼び込んだようだ‥‥」
 冒険者!
 はっと顔を上げた少女を、冷たい瞳が射抜く。魂の底から沸き上がって来る恐怖と嫌悪に動けなくなった彼女を、薄い唇が嘲笑う。
「冒険者がお前達を助けに来ると思うのか。無駄な希望など抱かぬ方がましというものだ」
 震える事しか出来ない少女達を一瞥すると、窓辺に立つ。明るい月の光に目を細めると、喉の奥でくぐもった笑い声を響かせる。
「いや、それはそれで面白い。‥‥そうだな、冒険者がお前達の所まで辿り着く事が出来たならば、生かして返してやってもいい。ただし、そう簡単には辿り着けんぞ」
 少女の前に転がっていた娘が、ゆらりゆらり揺れながら起きあがる。その向こうに倒れていた者も、土が盛り上がるように動き始める。
 胃の奥からこみ上げて来るものを感じながら、少女はただ、ただ震えるしか出来なかった。

●今回の参加者

 ea0029 沖田 光(27歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea1249 ユリアル・カートライト(25歳・♂・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea3041 ベアトリス・マッドロック(57歳・♀・クレリック・ジャイアント・イギリス王国)
 ea3519 レーヴェ・フェァリーレン(30歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 ea4818 ステラマリス・ディエクエス(36歳・♀・クレリック・人間・神聖ローマ帝国)
 eb0753 バーゼリオ・バレルスキー(29歳・♂・バード・人間・ロシア王国)
 eb1935 テスタメント・ヘイリグケイト(26歳・♂・神聖騎士・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb2099 ステラ・デュナミス(29歳・♀・志士・エルフ・イギリス王国)

●リプレイ本文

●獣
 もう何年も人の手が入っていない。
 外から見た館の印象は、村人から聞いた通りのものだ。崩れた壁からは朽ちた窓枠が落ち、屋根の一部も剥がれている。膝丈まで生い茂った雑草に隠されて庭の様子は分からない。入り口のドアへと繋がる石畳だけが、辛うじて残されている。
「お気を付けて。敷地内に入れば、いつ獣が襲って来るか分かりません」
 声を潜めたステラマリス・ディエクエス(ea4818)に、先へ進もうとしていたバーゼリオ・バレルスキー(eb0753)が足を止める。
「この状態じゃ、発見しにくいですね」
「うむ。少し大きな犬のようだったというから、既に茂みに紛れているかもしれん」
 デティクトライフフォースを使えば、位置と数を掴む事が出来るだろう。テスタメント・ヘイリグケイト(eb1935)は、手を握り込んだ。
「‥‥大いなる父の御力を借りる必要もないようだ」
 ふ、と彼の顔に苦笑が浮かぶ。
「そうですね」
 印を結んだバーゼリオが、静かに詠唱を始めた。
 風がさわさわと茂みを揺らす音が突然に激しくなったかと思うと、黒い影が飛び出して来る。
「邪魔です!」
 銀の光に包まれたバーゼリオが放った闇が、影を飲み込んだ。この闇の中で、獣は敵を見失い、ただひたすらに暴れる事しか出来ない。
「全部引きつけてから闇に閉ざしてあげようと思っていたのですが」
 唸り声が、いつしか彼らを囲んでいた。じりじりと輪を縮めているらしい。近づいて来る不気味な唸りと荒い息づかい。匂うのは獣と血の香りか。
「合図をしたら、あの扉まで一気に走って」
 仲間に囁きかけて、ステラ・デュナミス(eb2099)は印を結んだ。この先、何があるか分からない。出来るならば、ここで消耗したくはないが、このままやられるつもりもさらさら無い。
「走って!」
 鋭く発せられたステラの声に、仲間達は走り出した。
 同時に、突き出したステラの手から氷混じりの吹雪が放たれる。
 吹雪に弾かれた獣は、しかしすぐに反転して再び襲い掛かって来る。舌打ちして、印を結び直したステラの目の前、獣は突然に動きを止めた。
「今のうちです!」
 十字架のネックレスを手にしたステラマリスに頷いて、ステラも扉の中に走り込んだ。

●掴んだ気配
「黴くさいし埃っぽいねぇ。使うなら使うで掃除ぐらいすりゃいいのに」
 むっと顔を顰めたベアトリス・マッドロック(ea3041)に吹き出しかけて、ユリアル・カートライト(ea1249)は慌てて咳払い、居住まいを正す。
「え‥‥えと、村で聞いた話では、この館の造りは‥‥って、あの、ベアトリスさん?」
 ぱたぱたと小気味よい足音を響かせながら、ベアトリスは窓へと近づくと崩れかけた鎧戸に手をかけた。板の隙間から漏れていた太陽の光が場を満たし、新鮮な空気が館の中に流れ込む。
「さ、これで少しは居心地がよくなるってもんだ」
「危ない!」
 にぃと笑ったベアトリスを窓から引き離すと、レーヴェ・フェァリーレン(ea3519)は鎧戸を閉めた。直後、板に何かがぶつかり、朽ちかけた板がみしりと音を立てる。
「窓を開けるのは危険のようだな」
 ベアトリスはやれやれと頭を振った。苦笑を浮かべたバーゼリオが、扉に叩き付けられる音に肩を竦める。
「どのみち、帰りにもう1度お相手するんですけどね」
 獣達は、侵入者をその牙で噛み殺す事を諦めてはいないようだ。相手をしてもいいのだが、彼らの任は獣退治だけではない。
「やっぱり、この館は怪しいですね。この調子だと、幽霊も出て来てくれるかもしれませんよ。それから、いなくなった娘さんも」
 軽い調子で告げた言葉とは裏腹に、ユリアルの表情は厳しい。
「いなくなった者に共通点はない。強いて言えば若い娘という事か。失踪しそうな理由もない。何者かに連れ去られたという可能性が高いが、人の仕業とは考え難い」
 レーヴェに相槌を打つと、ユリアルは彼の言葉を続けた。
「ええ。村は地形的に外部と隔絶しています。娘さん達を長期に渡って拘束出来る場所なんて、限られています」
 ただし、「拘束」していればの話だ。言葉に出来なかったのは、それを形にしてしまえば、現実になりそうだったから。
「考えられるのは、人と同等以上の知性を持つモンスター‥‥」
 独り言のようなレーヴェの呟きに、ステラマリスは薄ら寒いものを感じて体を抱き締めた。
「僕は‥‥」
 村に着いた時から、どこか緊張感を漂わせていた沖田光(ea0029)が口を開く。
「僕は、今、忌まわしい事を思い出しています。あんな事は、もう2度と繰り返したくない。だから、どんなモンスターが関わっていようとも、見過ごすわけにはいかない。娘さん達を無事に取り戻したいです!」
 自分の気持ちを吐き出すと、光は震える手をぎゅっと握り込んだ。体に漲る決意と力とが抑え切れない。自分自身を落ち着かせる為に、彼は大きく深呼吸した。
「この館の中に感じる生命は、2つ」
 会話に加わらず、聖十字架を手にして館の内部を探っていたテスタメントの言葉に、仲間達は息を呑んだ。それが何を意味するのか、瞬時に悟ったからだ。
「居なくなった娘は5人‥‥のはずだな?」
 静かに確認を取ったレーヴェに、沈痛な面持ちのステラが頷く。
「どちらから感じるのか特定出来ますか?」
 泣きそうに顔を歪ませたステラマリスに、テスタメントは黙って指をさした。それは彼らのいるホールの向こう、ユリアルが調べた間取りの通りだとすると、厨房や物置がある辺りだ。
「‥‥嬢ちゃん達は、確かにこっちに行ったようだね」
 床を見つめていたベアトリスが言う。
「見てごらん。埃の上に足跡が残っているだろう? 大きさからして、女の子のもんだよ」
「中へ入って、戻って来た足跡はないのね」
 指摘したステラ自身が痛そうに顔を歪める。
 つまりは、そういう事なのだ。
「ともかく先に進みましょう。ここで感傷に時間を費やすわけにはいかないのですから」
 表情を険しくして、ユリアルは先に立って歩き始めた。淡い光に包まれた彼が感じ取る気配はあまりにも微弱だ。急がないといけない。その焦りが、彼の歩みを自然と早くしていたのだった。

●惨劇の館
 扉を開けた途端に溢れ出した匂いに、彼らは息を詰めた。
 濃厚な血の匂いと、紛れもない腐臭と。
 口元を押さえて部屋へと足を踏み入れた彼らは、吐き気をもよおす臭気の中に折り重なるようにして倒れた娘達の姿を見つけて喘いだ。テスタメントのデティクトライフフォースの結果で分かっていた事だ。だが、実際に目の当たりにした衝撃は薄らぎはしない。
「‥‥目元にほくろ。いなくなった娘さんの1人だよ」
 死魚のように膜のはった瞳を冒険者達に向けている娘を確認して、ベアトリスは呻いた。彼女の隣でステラマリスとステラが鎮魂の祈りの言葉を捧げている。
「こんな‥‥こんな事って、可哀想過ぎます‥‥」
 がくりと崩折れた光が、床に拳を叩き付ける。だん、と響く音を聞きながら、青い顔をして立ち竦んでいたユリアルは、不意に小さく声をあげた。投げ出された娘の手首にぱくりと開いた傷を見つけたのだ。
「あの傷は何でしょう? あ、もう1人の手にも‥‥」
「ユリアル!」
 死体に近づきかけたユリアルの体を抱え、レーヴェが飛び退る。突然の事に驚いたユリアルに、レーヴェは娘達から視線を外さぬまま告げた。
「生きている間は普通の娘だったとしても、今はそうではないらしい」
「どういう事ですか? あ!」
 ユリアルが驚愕に目を見開いた。
 死んだ娘達の体が、小刻みに揺れ始めたのだ。
 ゆぅらり、投げ出されていた腕が冒険者達を手招く。あらぬ方向に曲がったままの首を揺らつかせながら、ゆっくりと体を起こす娘達。
「なんて事を!」
 ステラの声が怒りに震える。
 これは、非業の死を遂げた娘達を更に冒涜する行為だ。
「皆さん!」
 薄暗い部屋の中を見回したステラマリスが警告の声を発した。薄いリネンが吊されたままになっている寝台に影を見つけたのだ。迫り来る娘達のズゥンビに憐れみの籠もった眼差しを向けると、ステラマリスはネックレスを掲げる。聖なる光ならば、彼女達の動きを封じられる。そして、寝台に潜む者をも照らし出す事が出来る。そう判断したのだ。
 しかし、彼女の手に現れた光珠は、瞬く間にその効力を失ってしまう。
「ダークネスか!」
 黒の神聖騎士たるテスタメストには、それが何の原因によるものか分かった。歯ぎしりをするテストメントの脇を黒い帯が駆け抜ける。ユリアルの放ったグラビティーキャノンが寝台を覆うリネンを弾き飛ばし、乾いた木枠をも吹き飛ばした。
「なっ!?」
 顕わになった光景に、ユリアルは絶句した。
 力無く頭を垂れた娘が2人、四方の天蓋を支える柱に腕を括りつけられている。白い手首から流れるのは彼女達の血。そして、その滴る血を受けるのは小さなゴブレット。
「気を付けねば、娘達をも吹き飛ばす事になるぞ」
 笑いながら注意を促したのは、寝台にいた青年だ。
「お前、‥‥お前は‥‥」
 光の手から銅鏡が落ちた。
 万が一に備えて準備していた鏡は、彼が最も恐れていた残酷な現実を映し出したのだ。
「沖田さん?」
 鏡を拾い上げたステラが、そこに映ったものに息を止める。
 柱に括りつけられた娘達と破れたリネンと。
 思わず、ステラは鏡の中と自分の目が見ているものとを何度も見比べてしまった。
 薄闇の中、寝台に体を預けている青年の姿が、鏡には映っていない。それが何を意味するのかに気付いて、ステラは唇を戦慄かせた。
「バンパイア‥‥」
 青年は紅を塗ったかのような赤い唇に薄く嘲笑を乗せると、口元へとゴブレットを運ぶ。その場から動けなくなった冒険者達の目の前、青年は喉を鳴らして中味を飲み干した。
 娘達が流した血を。
「ふ‥‥ふふふ‥‥」
 掠れた笑い声が響いた。
「テスタメントさん!」
 彼の変化に気付いたユリアルが、彼に向けて透明な剣を投げる。太刀を床に落としたテスタメントは、宙でその剣を受け取ると狂ったように笑いながら、寝台へと飛びかかった。
 ざくりと、彼の手に確かに肉を斬った感触が伝わる。
「くくっ‥‥」
 しのび笑ったテスタメントは、次の瞬間、顔を歪めた。
 彼が斬ったもの。それは、腐りかけた娘の体だったのだ。腕を落とされてなお、娘はテスタメントに向かって歩み寄る。残った腕を広げ、彼を抱き締めようとでもするかのように、背後の青年を体全部を使って守ろうとするかのように。
 憤り、高ぶったテスタメントでさえも後退ってしまう。
「テスタメント、斬れ!」
 血を吐くようなレーヴェの叫びに、テスタメントは動揺を見せた。
「彼女達は、既に亡くなっているのです! 不死者として肉体だけを操られるのならば、斬って安らかな眠りを与えてあげるのが慈悲です!」
 ユリアルの悲痛な言葉を受け、クリスタルソードの柄を握る手に力を込める。持てる力の全てを乗せた一撃が、立ちはだかる娘の体を切り裂いた。
 その光景に胸をつかれ、ぎゅっと目を閉じると光は唇を噛んだ。
「また、助けられなかった‥‥でも、今、生きている2人だけでも!」
 クリスタルソードを手に、光は床を蹴る。
 ズゥンビと化した娘はあと2人。彼女達が邪魔をする前に、奴の元に辿り着かねばならない。寝台へ倒れ込む勢いで、光は剣を振り下ろした。
「許さない! もう、これ以上、誰も傷つけさせない!」
「いまです!」
 バーゼリオの叫びと、光のクリスタルソードが柱と娘達とを繋いでいるロープを切り裂くのは同時であった。それまで自失しているかに見えた2人の娘が、寝台から転がり落ちる。
「こちらです!」
 素早く駆け寄ったバーゼリオが、己の体を盾にして、縋りついて来る娘達を庇う。
「もう大丈夫です。よく我慢してくれましたね」
 彼女達に気付いた時から、バーゼリオは心の声を送り続けていたのだ。彼女達を安心させるように、励ますように何度も何度も。
 嗚咽を上げる娘の背を優しく叩き、バーゼリオは彼女達を急かした。このままでは、戦いに巻き込まれかねない。案の定、よろめく娘達と、彼女達を支えたバーゼリオにズゥンビが襲いかかって来た。
 即座に援護に入ったレーヴェがその爪を月桂樹の木剣で弾く。オーラの力を与えられた木剣に、娘は苦鳴にも似た咆吼をあげた。
「哀れな娘‥‥。だが、今しばらくの辛抱だ。すぐに、忌まわしい呪縛から解き放ってやる」
 己を切り裂かんと迫る鋭い爪を見つめつつ、レーヴェは鎮魂の言葉を口に乗せる。
 ゆっくりと、木剣が娘の胸に吸い込まれていった。

●誓い
「ああ、よく頑張ったね。嬢ちゃん達」
 ベアトリスとステラマリスから治癒魔法をかけて貰い、ようやく自分達が助かった事を理解したのだろう。娘達は先ほどからずっと泣き通しである。
「大丈夫、もう大丈夫ですよ。安心して下さいね」
 2人の体に腕を回して引き寄せ、ステラは落ち着かせるかのように緩やかな旋律の子守歌を口ずさむ。極限状態から解放された彼女達が落ち着くには、もう少し時間がかかりそうだ。
「本当に無事で良かった。彼女達だけでも」
 小声で呟いた光に、バーゼリオも笑顔で応える。しかし、彼はすぐに眉を顰めた。
「でも、アイツを逃がしてしまいました。アイツがいる限り、あの子達のように辛い思いをする人が増えていきます。‥‥自分は悔しいです」
 光には、バーゼリオの悔しさ、空しさが痛い程に分かる。それは、彼自身が抱える傷跡に酷似していたから。
 あの時、彼らの剣は確かにバンパイアに迫った。外は太陽が照りつける世界。もはや逃れる術はないのだと、バーゼリオは確信していたのだ。
『我々に勝てると思いますか?』
 相手の精神を攪乱しようとテレパシーを駆使していたバーゼリオの言葉に、青年は‥‥いや、青年の形をしたモンスターは笑った。あからさまな嘲りを含んだ、禍々しい笑みだった。
「悔しいです」
「うん‥‥」
 拳を震わせるバーゼリオから視線を逸らして、光は崩れ落ちた壁から差し込む夕日を見つめた。
「バンパイアは太陽の光に弱いと聞いたが、それは真実ではなかったようだな」
 せめて、遺品だけでも親の元に返してやろうと娘達が所持していた品を集めていたレーヴェの言葉に、光は静かに首を振る。
「いいえ。‥‥確かに、アイツは太陽の光を浴びても平然としていましたけど、僕は見ました。光を浴びた時、アイツは一瞬だけ怯んだんです」
「という事は、奴にも弱点はあるという事だ。‥‥次こそは必ず、奴を仕留めてやる。惨く殺された娘達の為にも」
 薄暗い部屋と、逆光の中で見たバンパイア。
 顔立ちまでははっきりと分からなかったが、あの印象的な銀の髪と赤い瞳は決して忘れない。
 誓いのようなテスタメントの言葉に、彼らは静かに頷いたのだった。