消えない傷

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや易

成功報酬:1 G 78 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月22日〜08月28日

リプレイ公開日:2005年09月01日

●オープニング

●再会は笑顔で?
 高い位置にある小さな窓を見上げて、彼は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 気休めにしかならないそれを嘲ったのか、それとも哀れんだのか。しかし彼は、すぐにいつもの顔に戻って、自分を見上げて来る少年の肩を豪快に叩いた。
「どうしたどうした、緊張しているのか? 心配しなくてもいい。ここのご領主は聖なる母のように優しい方だからな。少しぐらいの無作法も笑って許して下さるぞ?」
「やかましいわっ! 俺が心配してんのは、アンタが女官のねーちゃんとか口説いたりする事だよッ」
 きーきーと怒ってくる少年を笑ってかわすと、彼はその耳元にそっと囁く。
「大丈夫。俺はそんな馬鹿じゃない。口説くのは、ご領主の目が届かないところでやるさ」
 絶句した少年の顔が真っ赤に染まる。
 握り締めた拳がふるふると震えた。
「こンの、罰当たり坊主ーーーーッッッ!!!」
 少年が叫ぶと同時に、くすくすと耳当たりのよい笑い声が響く。はっと我に返ると、いつのまにか1人の女性が正面の椅子に腰をおろしていた。
「ご無沙汰を致しております。エレクトラ様」
「お久しぶりです、アンドリュー殿」
 硬直した少年を面白そうに見つつ、彼‥‥アンドリュー・グレモンが胸に手を当て、恭しく頭を下げる。エレクトラと呼ばれた女性は、柔らかな笑みを浮かべて彼に頷き、そして、その背後で固まっている少年へと視線を向けた。
「可愛らしいお子様ですね、アンドリュー殿。このように大きなお子がいるとは存じませんでした」
「ばっ!」
 抗議の声をあげかけて、少年は慌てて口を押さえた。いくら優しいと言われている人でも、さすがに領主を罵倒するのはまずいだろうと理性が働いたのだ。
「似ておりますか?」
 その代わりに、上機嫌で応えるアンドリューの足を思いっきり踏みつけて、彼は広間を駆け出す。
「城の中は広いぞー。迷子になるなよー」
「そのようにからかって。よほどお気に入りのようですね」
 怒る背中にのんびりとした声を投げるアンドリューに、エレクトラは呆れを滲ませてため息をついた。この男の屈折した愛情表現は、今に始まった事ではない。
「いやいや、ほら、アレですよ。引っ掻かれると分かっていて、猫の尻尾で遊んでしまう気分」
「可哀想な子‥‥」
 頬に手を当てて、再度ため息をついたポーツマスの女領主に能天気な笑顔を向けると、アンドリューはタペストリーの飾られた壁へと歩み寄る。
「‥‥あの事件が無ければ、今ごろ、貴女にもあれぐらいのお子がおられたかもしれませんね」
「‥‥」
 エレクトラの顔から表情が消えた。
 タペストリーの上から壁をなでて、アンドリューは静かに続ける。
「奴らの存在を確認しましたよ」
「まことですか?」
 はい、と彼はそれまでの陽気な表情を消し去って頷いた。
「あれから12年。長かったのか、短かったのか‥‥」

●対立する人々
 ポーツマスを守る守護騎士団からの依頼が届いた。
 守護騎士団とは、ポーツマス一帯を治める領主、エレクトラの私兵集団である。治安維持の為に活動する彼らに対するポーツマス領民の絶大の信頼を寄せている。
 その守護騎士団が介入出来ない住民間の問題を解決した事から、冒険者とギルドは彼らの信頼を得た。以来、こうして時折依頼が届くようになったのだ。
「で、今回の依頼は何だ?」
「んーと、シデンって村で、住民同士が対立しているみたい」
 依頼状によると、村の北東に広がる丘陵地帯への出入りを巡って村人達が争っているらしい。
 丘陵地帯に面する村境に高く石の壁を造り、更に何重にも木の柵を張り巡らせて出入りを禁じている者達と、それを壊し、村の生活圏を拡げるべきだと主張する者と。対立は村を二分し、毎日のように小競り合いを繰り返して怪我人まで出ているようだ。
「なんで守護騎士団が仲裁に入らないんだ?」
「やっぱり、今回もどちらかに味方すると禍根が残るってやつじゃないの?」
 丘陵地帯への出入りを禁じる壁や柵はもう何年も昔から存在しており、村人の中では当たり前の事として定着しているものだ。
 一方の解放派は、村に豊かな恵みをもたらす森林など、様々な可能性を秘めた場を封鎖しているのは勿体無いと主張している。
 どちらかの意見を支持すると、他方が不満を示す。
 介入するにしても、互いの意見と事情とを知らねば公正な判断は出来ない。そこで、と騎士団長であるウィリアム・カーナンズは冒険者に依頼して来たのだ。
 シデンの村を二分する者達の話を聞き、状況を調べ、どちらの言い分を認めるのか、どこで妥協するのかを見極めて欲しい‥‥と。
 場合によっては、丘陵地帯の調査も必要となるかもしれない。
「ま、こういう微妙な問題は、権力に近い奴らよりも俺達の方が向いているよな」
 住民の聞き取り調査と周辺調査で、提示された報酬は普通よりも多めだ。
 楽して高収入と、早速名乗りを上げた冒険者に続き、何人かが手を挙げた。 
 
●彼の思惑
 奇妙な塔だ。
 高くそびえる石造りの塔を見上げて、彼はそう思った。
 城の奥、ぶ厚い石の壁の向こうに見える塔は、明かりとりの小窓すら無い。ただ、空に向かって伸びているだけの石の柱のようだ。
「物見の塔なら、城の外周にあるよなぁ」
 アンドリューに拾われてから、共にたくさんの土地を旅して来た。その土地に関する話、建物の造りや歴史、色んな話を聞いているうちに身についた知識が、彼に疑問を投げかける。
 これは何の為の塔なのか、と。
 壁の向こうに何があるのか、隙間から窺い見る事も出来ない。
「ここに居たのか、カムラッチ」
「おっさん」
 興味を惹かれ、覗き見る事が出来る場所を探していたカムラッチに、聞きなれた声が掛けられた。
「なあ、おっさん。ここ何だか知ってるのか? あの塔、変じゃないのか?」
「‥‥おっさんじゃないと、何度言えば‥‥」
 やれやれと肩を落とすと、アンドリューはカムラッチが指し示す塔に目をやる。僅かに曇った表情を、カムラッチは見逃さなかった。
「これは、お前が知らなくていいものだ」
 硬い声。
 いつもと様子が違う。
「おっさん?」
「必要だからある。ただ、それだけの事だ。‥‥それより、今から出かけるぞ、カムラッチ」
 だが、ぽんと肩を叩いた彼は、軽薄司教に戻っていた。
 感じる違和感と、はぐらかされたような気分がカムラッチを不機嫌にする。
「女引っ掛けに行くのなら、1人で行けよな」
「そりゃ当然だろ。コブつきじゃ、お姉ちゃん達も相手にしてくれないし。そんなんじゃないよ」
 にこやかに、カムラッチの目から見れば何かを企んでいそうな笑みを浮かべて、彼は言った。
「ここから北へ行った所にあるシデンという村に冒険者が来るらしい。あの村には深い傷跡が残されている。それを知らない冒険者が依頼に失敗しちゃったら可哀想だろ?」
 じぃと、カムラッチはアンドリューを見上げた。
「な‥‥何かな? その不審の目は。お兄さんはただ、冒険者の弟分、妹分が苦労しているのを見たくなくてね。それなら、協力しようって思ったんだよ、うんうん」
 信用ならんと睨み付けて来るカムラッチの背後、窓のない塔を見つめて彼は呟いた。
「‥‥サウス丘陵を調べるなら、少しは案内が出来ると思うしね」

●今回の参加者

 ea0604 龍星 美星(33歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea3104 アリスティド・ヌーベルリュンヌ(40歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 ea4825 ユウタ・ヒロセ(23歳・♂・ファイター・人間・イギリス王国)
 ea6780 逢莉笛 舞(37歳・♀・忍者・ジャイアント・ジャパン)
 ea9679 イツキ・ロードナイト(34歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 eb2336 ラウルス・サティウゥス(33歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 eb2745 リースフィア・エルスリード(24歳・♀・ナイト・人間・フランク王国)
 eb3389 シータ・ラーダシュトラ(28歳・♀・ファイター・人間・インドゥーラ国)

●リプレイ本文

●心の亀裂
 当然と言えば当然の事だが、シデン村の雰囲気は最悪級を飛び越して臨戦態勢と呼んでも差し支えないぐらいに険悪なものになっていた。
「さ‥‥さすがに、これはキツくありませんか?」
 口元を引き攣らせたリースフィア・エルスリード(eb2745)の額には冷や汗が浮かんでいる。さもあらん。話しかけようとした途端に、親の敵でも見るかのように敵意を向けられ、ロクに話も出来ぬまま追い払われる。大人も若者も、この時ばかりは全く同じ反応を見せた。
 住民対立の余波というか八つ当たりというか、仲裁を目的に村へとやって来たリースフィア達は精神的にあまりよろしくない状況に足を突っ込んでしまったようだ。
「どうやら守護騎士団の名が裏目に出てしまったようだな」
 吐息と共に呟かれた逢莉笛舞(ea6780)の言葉に、シータ・ラーダシュトラ(eb3389)が頬を膨らませる。
「だって、いきなり見ず知らずの通りすがりが仲裁に来ましたぁ‥‥なんて言っても、まともに取り合って貰えるはずないし」
「騎士団が介入出来るなら、ギルドに依頼なんて出さなかっただろうし」
 苦笑混じりではあったが、イツキ・ロードナイト(ea9679)の声は穏やかだ。村人から総スカンを食らったが、策が尽きたわけではない。こうなる事も予測して、事前にリサーチ済みだ。ついでに、もう手は打ってあると言うか、勝手に動いていると言うか‥‥。
「ねぇねぇ、おじさん! これ美味しそうだね!」
 店先に並べられている品々をじぃと食い入るように見つめるユウタ・ヒロセ(ea4825)に、店主は豪快に笑って見せた。声が震えているのはご愛敬。肝の据わった所を見せようとしているのか、それとも予想外の介入者にただ戸惑っているだけなのか。
「やっぱり日当たり良好のあの丘で採れたものなの?」
 あっはっはー。
 イツキは声に出さず心の中で乾いた笑いを漏らした。
−それは露骨すぎだよ、ユウタくん
「いや、その‥‥。あそこには入れないんでな」
「どうして?」
 言葉に詰まった店主は、けれど仕方なくぼそぼそと語り始める。
「あ‥‥あそこは怖い化け物の巣なんだ」
 なんと、とラウルス・サティウゥス(eb2336)は目を見開いた。先ほどまでは、けんもほろろで全く相手にされなかったというのに。
「さすがだな」
 どうして? どうして? と尻尾を振りながらまとわりついているユウタを邪険に追い払える程、村人は冷たくはないと言う事か。感心したようなラウルスの呟きに、アリスティド・ヌーベルリュンヌ(ea3104)も頷いてみせた。
「人の心を解きほぐすのには効果的だな。‥‥小動物」
 アリスティドの呟きに、舞は疲れたようにあらぬ方へと視線を逃がした。彼らの言葉を否定できない自分がいる事に、彼女は既に気付いていた。
「何が化け物の巣だ! ここ数年、化け物とやらが現れた事があったか!? いい年した親父共がいつまでも怖がってんじゃねぇ!」
 馬鹿にしたような声に、瞬時に店主の顔に怒りの色が上がる。
 リースフィアは慌てて店主と声の主との間を割って入った。
「やめて下さい、お2人とも。どうして、同じ村の方々がこうもいがみ合わなければならないのですか?」
「引っ込んでろ、お嬢ちゃん。あんたにゃ関係ねぇ!」
 乱暴に、店主がリースフィアの体を押す。よろけた彼女を受け止めたのは、年若い青年。店主に罵声を浴びせた男だった。
「何やってんだよ、あんた! 村を守るとか偉そうに言って、女の子に乱暴すんのか!」
「黙れ! 何も知らん若造が! 俺達がどんな思いでお前ら子供を守ったか‥‥。何も知らん癖に!」
「知らねぇよ。知ってんのは、あんた達が過去に囚われた臆病者だってぐらいだ!」
 顎に手を当て、ラウルスは興味深く店主と青年の言い争いに耳を澄ませる。どうやら、昔、何かがあったらしい。何があったのかまでは、その会話で推し量る事は出来ないが。
「これは‥‥彼らから聞き出すのは容易ではないかもしれないな」
 目を細めた舞に同意して、アリスティドは視線で青年を示す。彼らの行動を観察して、青年が村境が出来た経緯を正確に把握していないであろうと判断した。同時に、店主が過去の出来事に異常なぐらい恐怖を覚えていることも。
「互いの認識の差が生み出した亀裂、か」
「難しいよね」
 どう対処すべきか、幾通りもの方策を頭の中で巡らせたアリスティドの隣で、イツキは心配そうに村人達を見回した。
「ここで選択を間違えると、この村にとって不味い事をしてしまうのかもしれな‥‥」
 真剣な面持ちで考え込んだイツキの脇をすり抜ける影1つ。
「ねえ! こんな風にこれからもずっと言い争う気? そんなの絶対良くない! 喧嘩じゃなくて、話し合ってみようよ! ね?」
 今にも店主に飛びかかりそうだった青年を力一杯押さえていたリースフィアの肩をがしりと抱き、シータは拳を握り締めて力説した。
「村境の向こうがどうなっているのか、ボク達が調べて来てあげるから! その結果を聞いてから、皆でも1度話し合って!」
 あちゃあ‥‥。額を押さえたイツキとは対照的な微笑を浮かべると、舞はリースフィアとシータの側へと歩み寄る。
「それがいいと私も思う。互いに腹を割ってとことんまで話し合えばいい。我々が戻って来たならば、酒場に集まって欲しい」
 静かに、舞は村人達を見渡した。
「そろそろ、互いに現実を見るべき時期が来ていると分かっているだろう?」

●抜け道
「うーん‥‥遅いアルなぁ」
 肩に伸びた手をぺちりと叩き落として、龍星美星(ea0604)は村へと続く道を再々々々確認した。村人達から情報を集めたら戻って来るはずの仲間達の姿はまだ見えない。おかげで、彼女は隙あらば口説こうとする謎な司教と、その度に怒り狂うお子様の面倒を延々とみる羽目に陥っている。
「俺達だけで先に行くかい? なーに、大丈夫。ここにカムラッチを伝言役として残しておけば、皆も安心するだろう」
 ぐーで(軽く)殴って溜息をつく。
「何か問題でも起きたアルカ? でも、皆の事、信頼してるアルヨ!」
 どんな予想外な問題が起きても、彼らならば大丈夫。そう信じ、美星は背伸びして、村からやって来るはずの仲間達の影を探した。
「心配しなくてもいい。ここにはちょっとばかし詳しいんだ。秘密の抜け道とか、裏道とか色々と知っているぞ。だから、心おきなくこのお荷物を捨てて‥‥ぐ」
 膝裏に蹴りを入れられて、謎司教、アンドリュー・グレモンは地面に倒れた。すかさず、その背に飛び乗って、カムラッチ少年がアンドリューを押さえ込む。
「ねーちゃん‥‥とりあえず、このおっさん埋めていい?」
「好きにするアル」
 ひらひらと手を振って、美星は顔を輝かせた。待って待って待ちこがれた人影が、ようやく現れたのだ。
「皆ー! 遅いアルョー!」
「すまない。村でゴタゴタしていて‥‥と、何をしておられるのだ? アンドリュー司教殿」
 押し潰された蛙状態だったアンドリューが心底不思議そうに尋ねたラウルスへ、気にするなとでも言うように手を振る。
「カムラッチくん、なにしてるの?」
「悪い大人をやっつけてんだ!」
 一方、ユウタはユウタで司教の上に乗っかっている少年に尋ねていた。返って来たのは男前な答え。
「凄いや! カムラッチくん! 悪い大人は社会を駄目にするんだよねっ」
 純粋な賞賛を受けて、カムラッチも得意げである。
「こういう大人になっちゃいけないんだぜ、ユウタ」
 13歳と14歳の会話に頬を引き攣らせながら、イツキは美星に向き直った。
「それで、どうしてこんな所を指定したのかな? 村境の壁とは反対方向だよね?」
 丘陵地からも離れているせいか、転落防止の低い柵があるだけの山道だ。仲間達の視線を受けて、美星はアンドリューを示した。
「あの悪い大人が、ここから行けると言ったアル」
「ここを滑り降りた所に狭い洞窟がある。岩場に空いた隙間みたいなものだ。そこから、境の向こうへ出る事が出来る。帰りは少し離れているが、沢に出る道がある」
 アンドリューの説明に、イツキは真剣な顔で頷いている。どうやら、アンドリューは触れ込み通りにこの丘陵地に詳しいようだ。
「よくご存知ですよね。こちらのご出身?」
「いや‥‥。ただ、何度も来たからな。境の向こうに入る前に言っておくぞ。中は、樹木の迷路だ。下手に動くと死ぬまで彷徨う事になる。はぐれるなよ」
 冒険者達は大きく頷いた。頷いて、ふと我に返る。
「‥‥締まらないな」
 真面目な顔で冒険者達に忠告した男の上にはお子様が2人、馬乗りになっている。アリスティドが呟くまでもなく間抜けな状態であった。
「ここを降りた所アルナ? アタシが先に行くアルヨ」
「危険だ。私が行こう」
 即座に反対した舞ににっこり笑って、美星は片目を瞑ってみせた。
「大丈夫アル。待っている間に、色々聞いたアルネ」
 言うが早いか、ひらりと身軽に柵を跳び越えると、美星は斜面を滑り降りる。後から来る者達の為に、枝を払い、道を造りながら。
「では、私は殿を務めよう。次は誰が行く?」
 補助を買って出た舞の指示に従い、彼らは次々に斜面を降りていく。下では美星が着地の手伝いをしてくれているようだ。だが、かなりの高さがある。恐る恐る、斜面を覗き込んだリースフィアに、手が差し出された。
「リースフィアちゃん、一緒に行こう?」
 ユウタである。
 こういう事に慣れていないであろうリースフィアの手を掴んで、ぎゅっと引き寄せる。本当に聖職者かと思う邪気の固まりなアンドリューと違い、こちらは純真、無邪気。お姫様のように抱えられて、怖いはずの斜面もまるで花が咲き乱れる土手を降りていく心地だ。
「はい、到着!」
 ほんの少し頬を赤らめたリースフィアは、小声で「ありがとうございます」と呟いた。
「んー。ほのぼのな光景だよね。あんなの憧れるけど、でも、ボクはクシャトリアだし」
「将来有望だな、あの小動物」
「ある意味、天然タラシになりそうな気もするが」
 大人達に好き勝手言われている事も知らず、ユウタは元気よく彼らに腕を振った。
「ねー! こっちだってー! 早く行こうよー」

●豊かなる丘
 狭い洞窟を抜けた時、目の前に広がった光景に彼らは息を呑んだ。
 風に揺れて波打つ緑。小鳥が戯れ、リスや兎と言った小さな動物達がゆったりと生きている場所。それが、境の向こう側、サウス丘陵と呼ばれる一帯の姿であった。
「綺麗だね! 故郷の森とはちょっと違うけど、どこか似てる気がする」
 清々しい空気を胸一杯に吸い込んで、シータは仲間達を振り返った。見晴らしのよい丘の上から眺める景色は、彼女が生まれ育った故郷とは違っていたけれど、優しさは変わらない。そんな気がした。
「そうだな。これほどに穏やかならば、壁の撤去という事も考えても良いと思うが‥‥」
 アリスティドは目を細めた。
「危険が消えていないのであれば、全面開放は避けた方がいい」
「気になる事でも?」
 イツキに問われ、アリスティドは視線を巡らせた。その先に蠢くものに、イツキは上げかけた声を押し留める。
「スカルウォーリアー‥‥」
 幸い、彼らのいる場所は高台で奴らに発見される事は無さそうだ。
「化け物って、あいつらの事かな? あんなのがうようよしてるなら、僕も開放には反対だな」
「アンドリュー司教殿。一体、この地で何があったのだ? あのように、立ち枯れた木々が多いのは、アンデッドが徘徊しているからだけではなかろう」
 よくよく見れば、森のあちこちに不自然に枯れた木が目立つ。中には焦げ跡が残る木もある。
 ラウルスの指摘に、厳しい顔で眼下の光景を眺めていたアンドリューがゆっくりと振り返った。
「10年以上昔、ここは化け物の巣だった」
「お店のおじさんも同じ事を言ってたよ」
 ユウタの言葉に苦笑を漏らし、彼は続ける。
「シデンの村は、近隣の村よりも被害を受けていた。‥‥モンスターに、あんな壁や柵なぞ役に立たないのにな」
「ですが、10年近く、村は襲われてい‥‥」
 問いかけてリースフィアは、アンドリューの顔から先ほどまで見せていた軽薄さ、朗らかさが全て消え失せている事に気付き、言葉を失う。
「アンドリューさん?」
「ん? ああ、今のところはな」
 何事かを考え込んでいたラウルスが、不意に口を開いた。慎重に言葉を選んで尋ねる。
「もしや、アンデッドどもを嗾けた者がいるのではあるまいか? 例えば‥‥以前、守護騎士団からの依頼にハーフエルフの絡む話があったが‥‥」
 いや、とアンドリューは首を振る。続く言葉に、冒険者達は慄然とした。
「ハーフエルフじゃない。もっと邪悪で狡猾な奴らだ。そして、シデンや周囲の村、ポーツマスに禍をもたらした化け物は、まだどこかにいる。奴らが現れた時の為にと結成されたのが守護騎士団なんだ」

●消えない傷
 冒険者達の報告が終わった時、それまでざわついていた酒場は静まり返っていた。
 豊かな恵みと過去の恐怖。
 彼らが互いに主張したものが、確かに存在すると証されたのだ。
「我々に出来るのはここまでです。サウス丘陵の恵みを得るも、モンスターの襲撃に備えるも、後はあなた達の判断。ただ」
 言葉を切って、舞は集った村人達を見回した。
「互いに争うことだけは止めて欲しい。どちらも村の為を思ってのこと。争わずとも、理解し合えるはずだ」
 きまり悪そうに、往来で言い争っていた店主と青年が互いに目を見交わす。
 壁や柵が無意味である事も含めて、丘陵の現状は見て来たままに話した。
 後の判断を下すのは、シデンの村人達だ。
 舞やアリスティドら冒険者も含め、活発に意見を交わし合い始めた村人を見つつ、美星は壁際で黙り込んでいるアンドリューへと近づいた。
「これでひとまずは安心アルナ」
「あの日と全く変わってなかった‥‥」
「アンドリュー?」
「俺もまだ、あの日の悪夢に囚われたままだ」
 訝しげに問い掛けた美星の声も届いていないかのように、彼は呟いた。その表情は、丘の上から緑に覆われた森を眺めていた時のように険しかった。