【聖人探索】水の壁
|
■ショートシナリオ
担当:桜紫苑
対応レベル:4〜8lv
難易度:普通
成功報酬:3 G 16 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:09月05日〜09月11日
リプレイ公開日:2005年09月13日
|
●オープニング
●発端
――それはオクスフォード候の乱の開戦前まで遡る。
「王、ご報告が」
メレアガンス候との戦端が開かれる直前のアーサー王を、宮廷図書館長エリファス・ウッドマンが呼び止めた。
軍議などで多忙のただ中にあるアーサー王への報告。火急を要し、且つ重要な内容だと踏んだアーサーは、人払いをして彼を自室へと招いた。
「聖杯に関する文献調査の結果が盗まれただと!?」
「王妃様の誘拐未遂と同時期に‥‥確認したところ、盗まれたのは解読の終わった『聖人』と『聖壁』の所在の部分で、全てではありません」
エリファスはメイドンカースルで円卓の騎士と冒険者達が手に入れた石版の欠片やスクロール片の解読を進めており、もうすぐ全ての解読が終わるというところだった。
「二度に渡るグィネヴィアの誘拐未遂は、私達の目を引き付ける囮だったという事か‥‥」
「一概にそうとは言い切れませんが、王妃様の誘拐を知っており、それに乗じたのは事実です。他のものに一切手を付けていないところを見ると、メレアガンス候の手の者ではなく専門家の仕業でしょう」
「メレアガンス候の裏に控えるモルゴースの手の者の仕業という事か‥‥」
しかし、メレアガンス候との開戦が間近に迫った今、アーサーは円卓の騎士を調査に割く事ができず、エリファスには引き続き文献の解読を進め、キャメロット城の警備を強化する手段しか講じられなかった。
――そして、メレアガンス候をその手で処刑し、オクスフォードの街を取り戻した今、新たな聖杯探索の号令が発せられるのだった。
●ウィンチェスター
冒険者ギルドの卓について、トリスタンは先ほどから何事かを考え込んでいた。
いつにも増して表情がない上に、声を掛け辛い雰囲気で周囲を固めているせいか、誰も話しかけられずに遠巻きに見守るばかりだ。
卓の上には、1枚の羊皮紙。
何も書かれていないそれを、彼は食い入るように見つめていた。
「‥‥さっきの依頼に追加でもしたいんかな」
さっきの依頼とは、何者かに襲われたウィンチェスターで「聖女」と呼ばれている修道女を救い出す為のものだ。
「聖人」と呼ばれる者が聖杯に繋がる手掛かりを持つと判明した。修道女が襲われた一件は、時期が時期だけにキャメロット城からその情報を持ち去った者が聖人を狙ったのかもしれないと、トリスタンは冒険者と共にウィンチェスターへ向かう事を決めたのだが。
見守る冒険者達の視線の中で、彼はおもむろにペンを取り上げた。
流れるような筆致で綴られていく依頼状。
その内容を覗き見しようと首を伸ばした冒険者と、署名を終えて顔を上げたトリスタンの目が合う。
途端に、冒険者は凍り付いた。
覚悟はしていたし、免疫も出来ていた。
しかし、出会い頭の衝撃は回避出来なかった。
「す‥‥すんません。俺、可愛い奥さん貰って、俺似の男の子と奥さん似の女の子に「パパ大好き」と言われるのが夢なんスけど‥‥でも‥‥」
「何を錯乱しとるか!」
すかさず入ったのは、別の冒険者からのきつい突っ込み。
あわや道を外しかけた冒険者が、はっと我に返る。
「依頼状の内容、聞いていい? 多分、聖杯に関する事だと思うんだけど」
こめかみを揉み解しつつ尋ねた女冒険者に、トリスタンは羊皮紙を差し出した。
「聖杯の手掛かりは聖人が知る。だが、メイドンカースルから回収した石板、スクロールには、もう1つの手掛かりが記されていた」
「‥‥聖壁?」
さっと依頼状に目を通した女冒険者の呟きに、トリスタンは静かに語り出す。
「聖杯の手掛かりが刻まれた壁画‥‥のようなものだろうと思う。聖人と思しき者がいるウィンチェスターに聖壁までもが存在するかどうか分からない。だが‥‥」
再び取り上げたペンで、彼は依頼状に地図のような物を描き込んでいく。
「以前、ウィンチェスターに訪れた事がある。旅の途中、ほんの数日立ち寄っただけだが、古い教会があってな。荘厳でいて静謐で、それがひどく印象に残っている」
十字の印を書き入れた近くに、彼は1本の線を引いた。
「その時に、司祭から興味深い話を聞いた。教会の地下には、聖堂と古の聖人の廟所があるらしい。珍しい事ではないが、その廟所には何人たりとも立ち入る事が出来ないという」
「立ち入れない?」
鸚鵡返しに尋ねる冒険者に、トリスタンは引いたばかりの線を示す。
「このイッチン川の水が地下に浸水し、聖堂と廟所に続く通路が腐蝕の為に崩壊したのだ」
「その地下に、聖壁があると?」
彼は静かに頭を振った。
「正直に言うと自信はない。しかし、聖杯はジーザスの血を受けた杯。ジーザス教の教会に手掛かりが残されていても不思議ではない」
同意の頷きが彼を中心に周囲へと広がっていく。重い息を吐き出して、彼は少し長めの前髪を掻き上げた。
「不確かな情報だが、今は少しでも多くの手掛かりが欲しい。立ち入る事の出来ぬ地下に何が存在していたのかを知る者は少ないだろうが、ウィンチェスターの地下にある聖堂と廟についての情報を集めてくれ。それから、地下へと続く道があるのかどうか。崩壊したという通路が、今、どのような状態であるのかも調べて欲しい」
トリスタンの話に耳を傾けていた冒険者が、にっと笑う。
「‥‥どこかの修道女を襲った連中も、地下の存在に気付いていると考えてもいいんだよな?」
聖杯の手掛かりを得る為に修道女を襲ったというのであれば、聖壁の存在に気付いていてもおかしくはない。当然ながら、彼らも地下に手を伸ばしている可能性が高い。
肯定の意味を込めて首肯したトリスタンに、冒険者は羊皮紙に描かれた地図を見つめる。
「全く。いつもいつも厄介ばかり押しつけやがって‥‥」
言葉とは裏腹に、彼の声は隠しようのない期待と高揚に弾んでいたのであった。
●リプレイ本文
●ウィンチェスター
ウィンチェスターは大きな街である。古の都といった風情を漂わせ、多くの人々が行き交う。
レヴィ・ネコノミロクン(ea4164)は道中、エスリン・マッカレル(ea9669)が語った言葉を思い出していた。
―聖人や聖壁、そういうものがあっても不思議でない街、か。
全くその通りだと思う。
街の中心部にある聖堂は、ずっとずっと前から人々の拠り所として佇んでいたそうだし、街の至る所に古そうな建造物がある。あの中に、1つや2つ、伝説のなんたらとかが紛れ込んでいてもおかしくはないと思わせる街だ。勿論、そんな伝説級の品がゴロゴロ転がっていたら、有り難味も何もありはしないが。
周囲を見回しながら歩いていたレヴィは、くいと手を引かれて立ち止まった。
手を繋いでいたソウェイル・オシラ(eb2287)が瞳をキラキラと輝かせている。
「レヴィちゃん! あれ! あれ見て!」
何か手がかりでも掴んだのかと、レヴィは慌てて視線を巡らせた。
「美味しそうなお菓子がいっぱいなのぉ!」
心の底から散策を楽しんでいるようだ。語尾から溢れている「楽しさ」を受け取るべきか否か。一瞬だけのレヴィの迷いを、葛城伊織(ea1182)は快活に笑い飛ばした。
「行って来いや、少しぐらい楽しんでも罰は当たらねぇぞ」
陽気な伊織の笑顔と期待に満ち溢れたソウェイルの顔とを見比べて、レヴィは諦め顔で息を吐く。楽しみたい気持ちは勿論あったから、嬉しい。嬉しいのだが、伊織に勧められて、という状況は癪に障る。だから、彼女は満面の笑みを浮べてソウェイルを振り返った。
「じゃ、楽しんで来ましょうか。お金は伊織君が出してくれるらしいから」
「おいっ!?」
即座に慌て、手を伸ばしかけた伊織は見た。
レヴィが向ける笑みが邪笑いに変わる瞬間を。固まってしまった彼に気付かず、ソウィエルは無邪気な歓声をあげている。ここで、彼女を失望させるのは、彼とて本意ではない。
仕方ないと、彼は肩を落とした。
「おじさーん! この焼き菓子を3つくださーい」
お目当ての菓子を指差して注文するソウェイルに、露店の主も愛想よく応じる。
「ありがとよ。お嬢ちゃん、この街には何しに来たんだい?」
「観光なの。ここまでは、綺麗で親切なお兄さんが馬車に乗せてくれたの。あ、こっちの果物も3つください」
財布の中身を確認する伊織を横目に、レヴィは店主に尋ねた。
「どうして、あたし達が余所から来たって分かったの?」
聖人と思しき女性を誘拐した者達は、既に彼女達に気付いていると考えられる。僅かに警戒心を滲ませたレヴィの問いに、店主はあっさりと答えた。
「そりゃあ、分かるさ。ここに店を出して30年の俺が、初めて見る顔だからな」
豪快に笑うと、店主はソウェイルに向かって指を突きつける。
「焼き菓子、もう1つおまけしてあげるよ」
「ホント? なら、6つで2つ?」
「むむ。お嬢ちゃん、なかなかに商売人だね。そう、9つで3つだよ。でも、10なら4つにしてもいいかな」
いきなり始まった駆け引きに、レヴィは乾いた笑い声を漏らした。伊織はと言えば、真っ青な絶叫顔になっている。
「ねぇ、おじさんはこの街で生まれたの?」
ソウェイルとの遣り取りを楽しんでいた店主が、ああと頷く。
「じーさんのじーさんのもっと前から、代々ウィンチェスター生まれよ」
「なら、聞きたい事があるんだけど、聖堂の地下に廟があるって本当?」
ずばりと核心に迫る問いに、伊織ははっと我に返った。衝撃の名残で顔色は幾分青いが、冒険者の顔に戻っている。
「ああ、本当だよ。昔は聖堂から地下に降りる事が出来たらしいけどな。今は川の水が沁み出して廟に通じる回廊が水に沈んだって話だ」
トリスタンの話通りだ。
レヴィは伊織と顔を見合わせた。
「そ、それで、その地下の廟を見たいなぁって思ってるんだが! 何かいい方法ねぇ?」
勢い込んだ伊織に、店主ははてと首を傾げる。
「聖堂からしか行けないんじゃなかったかな。回廊が沈んでから廟の話もとんと聞かないしな」
沈んだ顔になっていたのだろう。店主は明るく声を張り上げて、話題転換した。
「地下廟だけがここの見物じゃないさ! 最近じゃ、聖女様とやらがウィンチェスターにいるらしいって、王様にお仕えする偉い騎士様が探しに来られてな‥‥ほら、あのお方だよ」
何気なく店主が示した先へと目をやったレヴィと伊織は心の中で絶叫をあげた。
人々の注目を集めて進む馬上の騎士は、街に入る手前で彼らと別れた男。
「あ。トリス‥‥むぐっ」
無邪気に手を振りかけたソウェイルの口を押さえて、レヴィは疲れたように頭を振った。
●探索の手
ゆっくりと聖堂の周囲を巡って、滋藤柾鷹(ea0858)は吐息を吐き出して腕を組んだ。苛立った様子の柾鷹に、ステラマリス・ディエクエス(ea4818)も広げていた羊皮紙から顔を上げる。
「どうにも納得がいかんでござる」
「地下の事ですか?」
尋ねる静かな声に頷いて、柾鷹は石造りの聖堂を見た。
「川の水が浸水しているならば、イッチン川の近くに地下へと通じる道があるはず。つまり、この下に」
とんとんと足を鳴らし、柾鷹は顔を顰める。
「それらしいものは見あたりませんね」
街に残る様々な史跡を訪ね、伝承を調べても、地下廟に繋がる手がかりは見出せなかったのだ。ステラはびっしりと文字と印で埋まった地図を見直し、頬に手を当てた。
「出入り口が1つしかないというのが気にくわんでござる。大切な物なれば、万が一を考えて隠し通路なりを設けてあってしかるべきかと」
「‥‥人に聞いて簡単に見つかるものならば、隠し通路とは言わんだろ」
いつの間に戻って来ていたのか、突如として現れた葉隠紫辰(ea2438)は、ステラから手描きの地図を取り上げる。
苦笑いして、紫辰は地図の上、自分達が現在いる場所を叩いた。
「やはりここから攻めるしかないだろうな」
唯一、地下へ通ずるとされる場所。浸水し、崩落して久しいとは言え、何らかの手段が残されているかもしれない。互いに頷き合い、彼らは聖堂を振り仰いだ。
「ただし、ここは敵も気付いているはず。相応に備えておくべきだ」
街の中で情報を集めている仲間達も、そろそろ戻って来る頃だ。
「そう、でござるな」
建物の陰に見え隠れする灰色のローブを目の端で捉えて、柾鷹は声を潜めた。
「ここは田舎の村と違い、人の出入りが激しい街でござる。故に、街の人々も知らぬ顔があっても気に留める事はない。商人、巡礼、敵が何に身をやつしているか分からぬ。気を引き締めてかかるでござるよ」
「はぁい!」
彼らの間に流れた緊張を破ったのは、明るい声。
「皆、お土産があるよー。いおりんの奢りだよー」
手に焼き菓子やら果物やらを抱えたソウェイルの後ろで項垂れているのは伊織だ。服は泥にまみれ、髪の毛には蜘蛛の巣だろうか。細い糸のようなものが絡まっている。
「まぁ! どうなさったのですか?」
手布を取り出し、ステラは伊織の頬にこびり付いた土を拭って尋ねた。
「‥‥ちょっとばかし、井戸を掘って来た‥‥」
「お水がどばーって出て、びっくりしたの」
黙って聞いていた者達には、その言葉だけで伊織の身に降りかかった災難が見えるような気がした。
「ま、汚れ役は男の務め。諦めろ」
そして、同情など欠片も見せず、あっさりと切り捨てる紫辰と、彼の言葉にうんうんと頷く柾鷹に、伊織は拳を握り締めた。
「なら、お前達がやれよ」
「その機会が回って来たらな」
仲の良い男性陣に微笑んで、ステラは額を押さえたレヴィに向き直る。
「何か手がかりはありましたでしょうか?」
肩を竦める素振りが、その問いへの答え。
そうですかと、ステラは顔を曇らせた。
「でも、やたらと目立つ円卓の騎士が1人、聖人探しに来たって街中が大騒ぎになってるわ」
じゃれ合っていた男達が、ぎょっと動きを止める。
「それって、もしかしなくても‥‥」
「そ。トリスタン君」
一斉に頭を抱えた柾鷹と紫辰に、レヴィはけろりと言葉を続けた。
「いいじゃない。目立って囮になってくれてるんだもの。精々、この隙を利用させて貰いましょ。‥‥ところで、アーディルは?」
ぴきり、と再度動きを止めた男達に、ソウェイルから焼き菓子を受け取ったステラが溜息をついた。
●迷子
「ここはどこ‥‥」
その頃、アーディル・エグザントゥス(ea6360)はウィンチェスターのど真ん中で迷子になっていた。
目印でもあり、集合の場所である聖堂は見えているのに、歩いても歩いても近付かない。右手に見えていたものが真正面になり、いつの間にか真後ろになるのは、これで何度目だろう。
「これはもしや、俗に言う迷宮か? うむ、きっとそうに違いない。おのれ、卑怯な!」
彼の呟きを聞いている者があれば、即座に否定しただろう。しかし、残念な事に、今の彼を止める者は誰もいない。
くっと唇を噛んだアーディルは、不意に視線を感じて身構えた。注意深く周囲を見渡しても、人影はない。
「どこだ? どこから見ている?」
彼の緊張が頂点に達しようとしたその時に
「こりゃ、青年よ」
足元から声が聞えて来た。
ぎゃっと飛び上がったアーディルに、声の主は手にした杖を無造作に突き上げる。
顎を直撃した杖の一撃に呻きながら、アーディルは声の主を見た。
曲がった背中に手を当てて、杖を頼りに立つ老人だ。その顔は真白な髭と髪とで覆われて、表情を窺い知る事が出来ない。
―この爺さん、只者じゃない
警戒しつつ、アーディルは老人に尋ねた。
「何者だ?」
「そりゃこっちが聞きたいわい。さっきから見ておれば、何度も何度も店の前を通りおってからに。気になって、ゆっくり酒も飲めんわい」
「店‥‥?」
ふと気が付くと、彼の目の前に古ぼけた酒場があった。今にも柱が折れて壊れてしまいそうだ。だがしかし、彼は同時に1つの事を思い出していた。
―そういや、自分は酒場を探していたような?
「人の話を聞いておるかの? 青年よ」
言いつつ、老人は杖を振り上げた。先ほどと同じ場所に炸裂した杖撃に、アーディルは舌を噛みかける。寸でのところで、熱物と刺激物不可の味気ない日々の到来は免れたが。
「爺さん‥‥只の爺さんじゃあないだろ」
恨みがましく睨みつけたアーディルに、老人は胸を張った。
「よくぞ見破ったな、青年。そのとーり! わしは、この街で一番長生きしている天晴れ元気なご老人なのじゃ!」
よっしゃ!
ぐっと拳を握って、アーディルは老人へと詰め寄る。
「聞きたい話があるんだ! この街の伝承、それから教会の地下にあったものの事を」
それよりも先に、とりあえず聖堂までの道を教えて貰うように。
‥‥などとは、誰も突っ込みようがないのであった。
●水の壁
禍転じて福となすとは、古人もよく言ったものである。
暗い天井を見上げて、柾鷹は感慨に耽った。
迷子になって聖堂の周囲をぐるぐる回っていたアーディルが出会った街の長老は、辛うじて教会の地下にあったものを覚えていた。水没し、訪れる者がいなくなった後、忘れ去られてしまった伝承と共に。
「清らかなりし者、神の国へと続く鍵を得ん‥‥」
湿気の多い地下で、伊織が掲げるランタンの灯りを頼りに自分達が通った経路を地図に描き込んでいたステラが伝承の一節を口ずさむ。
「でも、おかしいの。司祭様、何も知らないみたいだったよね」
地下探索の許可を貰う為、司祭を訪ねたソウェイルとステラに、彼はどこかぎこちない様子で頷くだけだった。堂内の巡礼達を警戒したのかと思ったのだが、ソウェイルの言う通り、おかしかったような気がする。そう、まるで‥‥。
「ッ! ‥‥頭に気を、つけ‥‥」
急に低くなった天井に気付かず、思いっきりぶつけてしまったアーディルが、涙目で注意を促す。耳を澄ませば、微かに水滴の跳ねる音が響いている。音の籠もり具合からいって、長老から聞いた場所まであと少しだろう。
アーディルの予測通りに、やがて彼らの前に暗い水面が現れた。
「これは難問でござるな。水の壁など、どうやって壊せばよいのか」
階段の先を満たしている水は、魔法でもどうこう出来る量ではない。
「だが、ここを越えねば聖壁に辿りつけない」
躊躇う素振りさえ見せず、紫辰は水の中に足を入れた。階段の残り段数を探りつつ、身を沈めていく。階段を降りきった所に、地下の聖堂、廟に続く回廊の隠し扉があるらしいと長老は言った。その扉が埋まっていなければ、回廊に出る事が出来るかもしれない。
息を呑んで、彼らは紫辰の帰りを待った。
伊織のランタンが、ゆらゆらと揺れる水面に不気味な陰影を浮かび上がらせる。隣にいたレヴィの手を、ソウェイルはぎゅっと握った。
それは、待つ者にとって長すぎる数分だった。
やがて、水面に顔を出した紫辰は、ひきつけを起こしたかの呼吸を数度繰り返すと、叫んだ。
「大丈夫だ! 多少の瓦礫はあるが、取り除けない程じゃない。後は、隠し扉の目印を‥‥!」
「後ろだ!」
かつん、と硬い音がしたのと緊迫した声が響いたのは同時だった。
紫辰に気を取られた一瞬の隙をついて、剣が振り下ろされる。巡礼の灰色のローブが、柾鷹の視界に翻った。咄嗟に身を捩った柾鷹の上着を掠めて、剣先が壁にめり込む。
「何奴!」
誰何しつつ、刀を抜きかけて柾鷹は躊躇した。
この狭い空間では、刀は不利だ。
「柾鷹殿!」
闇から踊り出たもう1つの灰色の影が、再度柾鷹へと襲いかかった者にぶつかる。体勢を崩した影に、同時に詠唱を完成させたレヴィと伊織の術が襲う。
同様に体勢を崩し、水中へと落ちかけたもう1つの影を抱き留め、柾鷹は尋ねた。
「怪我はないでござるか、エスリン殿」
頭を覆った灰色の布を取り去り、エスリンは彼の腕を叩く事でそれに答える。
「この人、司祭様だよ!」
眠り込んだ男の覆いを慎重に外したソウェイルが驚きに声を上げた。それは、彼女達に地下探索の許可を出した聖堂の主、司祭だったのである。
「その男は偽物だ。敵も聖壁の場所は突き止めていても、そこへと至る道までは知らなかったようだ」
偽司祭が仲間を追って地下へと降りた後、エスリンは貯蔵庫とも呼べぬ穴蔵に閉じこめられている司祭を発見したという。
「頑として口を割らなかった司祭殿をこいつは監禁して待っていたのだろう」
折しも、聖人を捜してトリスタンがやって来た。待っていれば、情報を得る事が出来ると思ったのか。
誰からともなく、彼らは静かな水面を見つめた。
隠された扉は、この中にある。
しかし、その扉を開く手段は、誰も持ってはいない。
「‥‥場所が特定出来ただけでもよしとすべきだな」
アーディルの呟きに、彼らは苦い思いを噛み締めたのだった。