【聖人探索】忍び寄る闇

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:8〜14lv

難易度:やや難

成功報酬:5 G 47 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月12日〜09月18日

リプレイ公開日:2005年09月22日

●オープニング

●紛れ込んだ闇
 ‥‥喉が渇いた。
 テーブルの上にタンカードを置くと、男は息を吐き出した。
 街一番の酒場と聞いて来たのだが、どうやら期待外れだったようだ。つまらなさうに銀の髪を掻き上げ、立ち上がる。
「たまには真似事もいいかと思ったが」
 ここに来たのは退屈を紛らわせる為だ。退屈こそが、彼の敵。
 しかし、わざわざ足を運んだというのに、酒場の喧騒はただ喧しいだけだった。愚かな人間の真似など、一時の退屈を紛らわせるにも値しないのだと結論づけて、彼は歩き出した。
 周囲の客どもは、何が楽しいのか、男も女も陽気に浮かれ騒いでいる。
 ぴたりと、彼は足を止めた。
「‥‥折角ここまで来たのだ。食事でもしていくか」
 軽い呟きだった。
 誰も聞き咎める者はいない。
 にぃと口元を吊り上げて、周囲を見渡す。タンカードを手に、酒場の中を走り回っている健康そうな娘に目をつけて、彼は音もなく忍び寄った。
 これから始まる宴は、彼だけのもの。
 煩い雑音は、すぐに恐怖に彩られた極上の調べに変わり、彼を満足させるだろう。
 片手で掴めるような娘の細い首に手を伸ばし、彼は動きを止めた。
「‥‥ってぐらいだから、聖なる母のように清らかでお優しい方なんだろうぜ」
「うちの母ちゃんも、その何百分の一でいいから、優しくなって貰いたいもんだ」
 違いねぇ。
 大声で笑い合う男達の卓へと近付くと、彼は男の頭を掴んだ。
「何しやがんだ! 兄ちゃん!」
 苦鳴を上げた仲間に、周囲の男達がいきり立つ。今にも掴みかからんとする男を、腕の一閃で弾き飛ばし、彼は読みとった意識から得た言葉を呟いた。
「聖女‥‥か」
 男の中には、聖女と呼ばれる存在に対する畏敬の念がある。茶化して笑っていても、特別な存在への憧れがある。
 面白い、と彼は笑った。
 頭を掴む手に力を込める。皮膚が裂け、血が流れて男は殺される鶏のような悲鳴を上げた。
 酷薄な笑みを刻み、彼は男の頭を握り潰した。まるで、卵でも砕くかのように。
 しんと静まり返った酒場に、次の瞬間、絶叫が満ちた。我先に逃げ出そうとする者達に向けて黒い光を打ち込むと、彼は手を染めた血を舌先で舐め取った。
「聖女とやらの血は、どんな味がするのだろうな?」

●警報
 街の酒場で起きた惨劇。
 喉を切り裂かれ、折り重なった死体と酒場を満たした濃厚な血の匂いに、自警団の猛者達も思わず口元を押さえ、込み上げて来る嘔吐感を堪えねばならなかったという。
「難を逃れた者の証言によると、犯人は銀色の髪をした男だったとの事です」
 報告を受けたトリスタン・トリストラムは整った眉を寄せた。
 アーサー王の命による聖人と聖壁の探索の為、ウィンチェスターを訪れていた彼の元に届けられた報告は、ただの事件として処理出来るものではなかった。
「死体を検分致しましたところ、鋭い牙の痕が残ったものが数体、全身を切り裂かれたものが数体‥‥」
 報告を続ける男を手で制して、彼は尋ねた。
「その男は、聖女と言ったのだな?」
「あ、はい。興味を示していたらしく‥‥。いかが致しました?」
 突然に立ち上がった美貌の円卓の騎士のただならぬ気配に、男は驚いた。
「誰か、急ぎキャメロットへと戻り、ギルドに依頼を。ウィンチェスターへ応援を要請するのだ。聖女を狙うモンスターを見つけ出し、討てと」
 控えていた騎士が、トリスタンの指示を羊皮紙に手早く書き留めていく。慌ただしくなった騎士達から視線を戻し、トリスタンは厳しい顔で男に告げた。
「酒場の死体は、即刻焼くように。生き延びた者達は、私の元へ連れて来るがいい」
「あ‥‥あの、それがですね、もう1つ奇妙な話が‥‥」
 おどおどとトリスタンの顔を窺いながら、男は生存者から聞かされた奇妙な話を語る。それは、酒場で一緒にいた者達が数人、いなくなっているというものであった。
「そのうち1人は、確かに殺されたと言うんですよ。生き残っていた者が。でも、死体の中に殺されたという者はいなかったらしいんです。生存確認も取れず、死者の中にもいない者が数人ほどいるんです」
 トリスタンは額を押さえた。
 傍らで、筒に丸めた羊皮紙を詰めている騎士に追加で指示を出した。
「市民が数名、不死者になっている可能性があると伝えておくように」と。

●今回の参加者

 ea0286 ヒースクリフ・ムーア(35歳・♂・パラディン・ジャイアント・イギリス王国)
 ea0424 カシム・ヴォルフィード(30歳・♂・ウィザード・人間・フランク王国)
 ea0509 カファール・ナイトレイド(22歳・♀・レンジャー・シフール・フランク王国)
 ea2890 イフェリア・アイランズ(22歳・♀・陰陽師・シフール・イギリス王国)
 ea3041 ベアトリス・マッドロック(57歳・♀・クレリック・ジャイアント・イギリス王国)
 ea3385 遊士 天狼(21歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea3519 レーヴェ・フェァリーレン(30歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 ea4200 栗花落 永萌(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

●暗雲
 突如として起きた凄惨な事件は、ウィンチェスターの街に衝撃を与えた。
 しかし、聖人を探す円卓の騎士トリスタンが滞在している為か、思っていた程は動揺していないようだ。聖人がいるという事も、人々の不安を和らげているのかもしれない。
 街の人々の間をすり抜け、彼らの会話を拾っていたイフェリア・アイランズ(ea2890)はそう分析した。
 聖人に関する情報は、さほど多くは流れていない。
 はっきりと分かっているのは、性別が女性であること。あとは、絶世の美女であるとか、聖なる母の化身であるとか、根拠のない噂ばかりである。
「皆、ええ加減なことばっか言うとるなァ。ま、その方が好都合やけど」
 呟くと、イフェリアは噂話に興じる者達に聞こえるように声を張り上げた。
「なあなあ、知っとるか? 聖女様、街外れの教会におるみたいやで?」
 好き勝手に囀っていたおばさま方の声がぴたりと止まる。
 吹き出しそうになるのを堪えながら、イフェリアは相手のいない会話を続けた。
「せや。円卓の騎士様の部下が言うてたねん。間違いないて」
 顔を見合わせ、興奮して猛然と喋り始めた者達の様子を窺うと、イフェリアは羽根を広げた。これで、夕方までには街中に噂が広がっているだろう。
「さて、次は聖女様の警護やな」
 その頃、トリスタンの宿を訪ねていた栗花落永萌(ea4200)とレーヴェ・フェァリーレン(ea3519)、そして遊士天狼(ea3385)は戸惑いの表情を隠す事が出来ないままに、街外れの教会へと向かっていた。
 イフェリアが中心となって流している噂の真実と注意とを告げ、また、新たな情報を得る為にトリスタンの宿を訪ねたのだが‥‥。
「しかし、本当によろしいのですか? トリスタン様」
 遠慮がちに尋ねた永萌に、正装のトリスタンはあっさりと頷いた。
「聖人を探しに来た私が訪うのだ。真実味が増すだろう」
 それにしても、と彼らは思う。
 ただでさえトリスタンは目立つのに、正装までされた日には注目を浴びて仕方がない。いくら敵を引き寄せる為とはいえ、もう少し手段を考えて欲しいものだ。
 ‥‥なんて事は、本人には言えないが。
 しかし、引き攣り笑顔を浮かべた大人達の事情はなんて知った事じゃない。天狼は、トリスタンのマントをくいと引っ張ると、大きな瞳で彼を見上げた。
「モニカのおばちゃ、危なくない?」
 聖女の噂は、敵モンスターだけではなく、聖女と聖壁を狙っている者達にも届くだろう。万が一の不測の事態が起こり得る可能性は大きい。
「大丈夫だろう。奴らは聖壁の秘密を知っていたモニカこそ聖女だと思っているはず。噂が流れたくらいでは、何の危険もあるまい」
「だが、この1件を起こした奴がアイツならば‥‥狡猾だ。注意してしすぎる事はないだろう」
 酒場で目撃された男の特徴に、以前の依頼で関わったバンパイアとの共通点を見いだしていたレーヴェが低く呟く。
「バ‥‥バンパイアがおばちゃをゆーかいした悪い人を見つけると、おばちゃがあぶなーの!」
 レーヴェの呟きに不安が増したらしい天の頭に手を置いて、トリスタンは僅かに目元を和らげた。
「今回の作戦を成功させてバンパイアを討つ事が出来れば、モニカの危険は減る。頼んだぞ」
 はい、と元気なお返事を返した天の声を聞きながら、レーヴェと永萌は視線を交わした。あの男が相手ならば、そう簡単にいかない事を、彼らは知っていたのである。
「討てた場合はいい。だが、討てなかった場合はどうなるのでしょう」
「奴が‥‥いや、今はやめておこう。確実に奴を倒すつもりで掛かるべきだ」
 湧き起こる漠然とした不安を打ち消して、レーヴェは朽ちた教会を見据えた。

●救いの手は
「本物の聖女様はまだ見つかってないのかい? 厄介な話だねぇ。‥‥あたしらの作戦にうまいこと引っ掛かってくれるよう、主に祈っとくよ」
 聖女の側に控えていたベアトリス・マッドロック(ea3041)は、トリスタンから聞いた聖人探索の進捗に溜息をつくと、大仰に肩を竦めた。
 確かに、この作戦で囮に引っ掛かるのか、それとも本当の聖女を見つけるのが先か、後は神の加護を祈るぐらいしか出来ない。
「大丈夫ですよ、きっと。イフェリアさんが頑張って下さいましたし」
 白い法衣に身を包んだ聖女がベアトリスに微笑みかける。
 そんな彼女の様子を見つめていたトリスタンは、やがて息を吐き出した。
「‥‥構わないのだな?」
 何が、とは問わない。
 だが、聖女は‥‥聖女に扮していたカシム・ヴォルフィード(ea0424)は迷いなく頷く。彼も多くは語らない。いつ、どこから奴が襲って来るか分からないのだ。それまでは、聖女ではないと気付かれるような行動は慎むべきと考えているのだろう。
「大丈夫だよ! 聖女りんはおいら達が護るからっ! ね、聖女りん♪」
 トリスタンの肩からカシムの肩へと飛び移ったカファール・ナイトレイド(ea0509)の明るい声に、張りつめていた空気が緩む。
 ほっと安堵の表情を浮かべて、カシムは、はいと嬉しそうに笑った。
「ところで」
「聖女」から離れた場所に控えていたヒースクリフ・ムーア(ea0286)が、不意に口を開く。
「不死者となった者達の事だが、浄化の魔法を使って癒す事は出来ないのか」
「生き残った者達は対処済みだ」
 ヒースは首を振った。
 彼が言いたいのは、そうではない。
 セブンリーグブーツで仲間達よりも先にウィンチェスターへと到着していた彼は、それぐらい承知している。
「私が言いたいのは‥‥」
 彼は、ふと言葉を切った。
「‥‥そうか‥‥」
 バンパイアに噛まれた者は、一定期間、高熱を発した後にスレイブと呼ばれるアンデッドになる。そうなってしまえば、いくら聖なる母の癒しをもってしても救う事は難しい。
 事件が起きてからの経過時間を考えると、被害者がスレイブ化しているのは間違いない。
「哀れな‥‥」
 スレイブとなった者達を救うには、彼らをおぞましいバンパイアの支配から解放する――つまり、彼らの肉体を塵に還す事しかない。
「ならば、容赦はすまい」
 それが、唯一の手段とヒースは決意に満ちた視線を上げる。
 壊れた窓から見える空は、夕暮れの色をしていた。

●鎮魂
 朽ちた教会には、身を隠す場所が多かった。
 壊れた塀や、崩れた壁の間と、大人が身を潜める事が出来る隙間がいくらでもある。そこにモンスターが潜んでいないのは、昼間の調査で確認している。
 後は、この教会に近付く物を警戒しておけばいい。
 酒場を襲った男は、どんな手段で近付いて来るか分からないが、判断力と知能が低下したスレイブならば、事前に察知出来るだろう。
 木の枝の上で息を潜めていた天が、カファを突っつく。
 目で訴えかける天の言葉を正確に読みとると、カファは素早く彼が指差した方角を見、葉陰を飛び出す。
 カファが教会に向かって飛んでいくのを確認すると、天はしばし首を傾げた。
 隠れている永萌やヒースに伝えに行く余裕は無さそうだ。大声を上げると近付いて来る奴らにも気付かれるだろう。
 迷ったのはほんの一瞬だった。
 天は、木の枝から飛び降りると、シルバーダガーを抜いた。
「これ以上近付いたら、めっなの!」
 生者では有り得ない様相の男に、泣きそうに顔を歪め、天はダガーを振り上げる。しかし、男は天の言葉など聞こえていないかのように、ゆらゆらと歩き続けている。
「おじちゃ、ごめんなさいなの」
 男の服には、夜目にもはっきりと分かる大きな染みがある。
 それが、乾いた血であろう事は見て取れた。
 天はその染みから目を逸らしながらダガーを構えて男の脇をすり抜けた。
 ぐらりと男の身体が揺れる。だが、すぐに男は動き出した。
「天ちゃん、どいときや!」
 威勢の良い声と共に飛来した小さな影が呪文を唱える。景気よく落ちた雷に、焼けこげた男が地面に倒れ込む。
「泣かんでもええで。こいつら、もう痛いとか思う心もないんやさかい。ヒースはんも言うとったけど、倒したるんがいっちゃんこいつらの為になるんや」
「イフェリアねーちゃ‥‥」
 ぽんぽんと慰めるように天の頭を叩き、イフェリアは再び宙へと舞い上がった。思っていた以上にスレイブの数が多い。
「聖女はん守らなあかんのや。うちも手加減無しにシバキ倒したるで!」
 伸ばされた手を巧みに避けつつ、イフェリアはスレイブ達の間を飛ぶ。すり抜けざまの一撃でスレイブが倒れる事はないが、確実に混乱して来ているようだ。スレイブ同士がぶつかり合い、足を縺れさせる。
 そこに飛んで来た氷の円盤で、何体かのスレイブが一気に倒れた。
「‥‥大柄の40代の男性。首にお守り代わりのペンダント」
 足下に倒れたスレイブの特徴を呟くと、永萌は悲痛な面持ちで「牙」を振り下ろした。
「もはやあなたを縛るものは何もありません。安らかに眠って下さい」
 何度も読み返して覚えた被害者の名前から「彼」を消すと、永萌は数瞬の黙祷を捧げた。
「命奪われたうえに、駒として操られるか。不憫な‥‥人で無くなった者の怨嗟、聞こえるようだ」
 ヒースはぎりと唇を噛んだ。
 頭では理解していた事だが、実際に彼らを目の前にすると、新たな怒りと悔しさとが込み上げて来る。淡いに光に包まれたヒース目掛けて殺到したスレイブ達を見据えると、彼は剣を構えた。
「生憎と、私はこれ以外の術を知らん。悪く思うな!」
 せめてもの死者への敬意と、持てる力の全てを乗せた長剣が唸り、スレイブへと叩き込まれる。
 次々と繰り出される冒険者達の攻撃に、スレイブはやがてその数を減らしていったのだった。

●忍び寄る闇
 壊れたドアが軋む。
 するりと内部に入り込んで来た影に、ベアトリスは華奢な聖女を抱き締める手に力を込めた。
「な‥‥何者だい!? ここにおられるのは聖女様だ! それ以上近付くんじゃないよ!」
 ベアトリスと抱き合うようにして震えている「聖女」の姿に、影は忍び笑いを漏らした。
 銀の髪が蝋燭の灯りを受けて、太陽が沈む間際の空の色に輝く。
 闇の到来を予感させる色に、ベアトリスは我知らず背筋を寒くした。
「近付くんじゃないと言ってるだろ! そこで止まりな!」
 再度の警告を無視して、悠然と歩み寄る男に「聖女」がか細い声で誰何する。
「な‥‥何者ですか。名乗りなさい」
 男は、歩みを止めた。
「これは失礼、聖女様。私は、芳しき貴女の血を味わいに参ったイーディスと申します」
 馬鹿丁寧に淑女に対する礼を取ると、イーディスと名乗った男は口元に蔑んだ笑みを浮かべた。
「見様見真似だが合っていたか? 一応、聖女とやらに敬意を払ってみたのだが」
「聖女」が息を呑んだ音が、静かな室内に響く。
「バ‥‥バンパイアなのかい、あんた」
 ベアトリスの問いを無視して、イーディスは「聖女」だけを見つめた。嘲りを含んだ歪んだ笑みに、「聖女」は竦んで動けなくなる。
「バンパイアって、目がこーんなに吊り上っていて、口がひょーんひゃひひゃひぇひぇひゅっひぇひーひゃひぇひょ?」
「‥‥なにをいいたいのかわからんな」
 視線の呪縛を打ち破ったのは、イーディスの目の前に突如として現れたカファであった。
 さすがに意表を突かれたのか、一瞬だけ動きを止めたイーディスに、傍らに置かれていた彫像が襲い掛かる。
 しかし、その攻撃も彼の動きを妨げる事は出来なかった。
 捉えきれない素早い動きで「聖女」へと近付くと、彼女をその腕に捕らえる。
「お前達が崇める聖女は、我が下僕となるのだ。精々悔しがるがいい」
 藻掻く事も忘れた腕の中の「聖女」を見下ろして、彼はその口元から牙を覗かせた。が、その表情がすぐに怪訝なものに変わる。
 忌々しげに舌打ちをすると、イーディスは「聖女」の身体を突き飛ばした。
 同時に完成した呪の効果が室内に吹き荒れる。
「お前は、聖女ではないな」
「僕は男ですから」
 強張った顔に、それでも笑みを浮かべてカシムは更に呪を唱えた。
 放たれた真空の刃を避けたイーディスを、氷の円盤が襲う。
 スレイブを全て葬った永萌とヒースが扉を背に武器を構えている。逃げ場を塞ぐように、天とイフェリアもそれぞれに窓へと駆け寄る。
「もう逃れられんぞ」
 剣先を向けるレーヴェに、イーディスは薄く笑った。
「アンデッドにされた街の人々の無念、晴らさせて貰います」
 永萌のアイスチャクラが、再びイーディス目掛けて放たれた。ぎりぎりまで微動だにしなかったイーディスの髪を掠めて、氷の円盤が彼の背後に置かれていた椅子を破壊する。
「消えた!? 馬鹿な!」
 姿を消した男を探して首を巡らせたレーヴェの腕に激痛が走った。
 いつ、接近を許したのか。
 男はレーヴェの真後ろに現れると、その腕を捻り上げる。
「よくも姑息な真似をしてくれたな」
 睦言を囁くように、イーディスはレーヴェの耳元に声を落とすと、彼の顎に指を滑らせた。
「離‥‥せっ」
 小さく笑う気配が伝わって来る。
 レーヴェの抵抗を封じて、首筋に唇を近づけたイーディスに、永萌とヒースが警告の叫びを上げた。
 ちりと、微かな痛みがレーヴェの首に走る。
「レーヴェりん!」
 凍り付き、動く事も忘れた冒険者達の目の前で、イーディスは哄笑を残して姿を消した。
「レーヴェりん! 大丈夫!?」
 真っ先に我に返り、レーヴェの元へと飛んで行ったカファが悲鳴を上げる。
「レーヴェりん、ここ赤くなってるよ!! 血、吸われちゃったのっ!?」
 慌てて駆け寄ったベアトリスが、いやと首を振った。
「鬱血してるだけだよ、血は吸われちゃいない」
 安堵と怒りの混じった複雑な声を聞きながら、レーヴェは首筋を押さえた。血を吸うでなく、傷つけるでなく、ただ痕だけ残して奴は去った。これ以上の屈辱はない。
「おのれっ」
 怒りに拳を震わせるレーヴェの傍らで、カシムは床に座り込んだ。
 結果的にバンパイアは逃がしてしまったが、彼は無事に囮役を果たした。緊張が解けて、体中から力が抜けてしまったようだ。
「あぁ〜‥‥恐かったぁ‥‥」
「カシムはん、よう頑張ったで」
 カシムの頭を撫で撫でするイフェリアの真似をして、天もいい子いい子と彼を労った。
「イーディスか。厄介な事になったな」
 そんな仲間達の様子を見つめ、苦い思いを噛み締めながら呟いたヒースに、永萌も深刻な顔をして頷く。
 このままでは終わらない、そんな予感が彼らの中にあった。
「ねぇ、おかしいよね」
「どうしました?」
 袖を引いたカファが、上目遣いに永萌を見上げる。
「おいら、あのバンパイアとどっかで会った気がするの。変だよね」
 いつになく困惑した様子で告げたカファに、永萌とヒースは互いに顔を見合わせたのだった。