Carpe diem

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:5〜9lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 62 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:12月02日〜12月11日

リプレイ公開日:2005年12月12日

●オープニング

 ギルドの扉が小さく軋んだ。
 何気なく振り返った冒険者達は、扉を押し開いて入ってくる者の姿を確認しようとして動きを止める。
 細く開かれた扉。
 そこに確かに気配はあるのに、その者は中へ入ってこようとしない。
「?」
 しばし待てども、扉はそれ以上開かない。顔を見合わせた冒険者の1人が、席を立った。
 扉に近づき、出来るだけ静かに扉を開ける。
「うひゃあっ!?」
 突然に開いた扉に、飛び上がったのは1人の娘。
 奇声をあげて、逃げ去ろうとする襟首を、冒険者はむんずと掴んだ。
「あああああっ申し訳ありません〜っっ」
「‥‥何故謝る‥‥」
 じたばたと暴れる娘をよくよく見れば、上等な服を着て、髪も品よく纏められている。どこかの屋敷に勤めている娘に違いないと、冒険者は判断した。
「ここは冒険者ギルドだ。何か用があるのではないのか?」
「えっ! え、ええと、そのような、そうでないような‥‥」
 挙動不審な娘だ。
 困った顔で、冒険者は仲間を振り返った。
 見物していた仲間達の中から、女冒険者が笑いながら歩み寄る。
「怖がらなくていいわ。誰も、あなたをいぢめたりしないから」
 子供かい!
 と、突っ込むと、また話がややこしくなる為、娘の襟首を掴んだままの冒険者は沈黙を守った。
「ここに用があって来たのでしょう? どうぞ、中へ入って。ちょっと騒がしいけど、気にしないでくれると嬉しいわ」
 ここはアナタの家ですか。
 という突っ込みも、心の中だけにしまっておく事にする。
 無言で、冒険者は捕らえていた娘の襟首を離した。
 勿論、扉の内で。
「で、どうしたの?」
 卓について、世間話を聞かせていた女冒険者がにこやかに、唐突に尋ねる。
 冒険者が渡したアップルティーを飲みながら、ほっこり和んでいた娘は、はたと顔をあげた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ」
 忘れていたな。
 冒険者達の間に、呆れにも諦めにも似た感情が静かに伝播していく。
「‥‥ギ‥ギルドに用があって、来たのよね?」
 白けた雰囲気の中で、気を取り直した女冒険者が、笑顔で言葉を促した。
「ええ、はい。そうとも言いますが‥‥、あのぉ〜〜」
 娘は、自分を囲む冒険者達を見回して、困惑しながら声を潜める。
「アレクシス・ガーディナー様はいらっしゃらないのですか?」
 そうか。奴の関係者か。
 思わず納得してしまった自分を慌てて取り繕って、冒険者は愛想笑いで娘に答えてやった。
「アレクは、ちょっと外せない用があって、出てるんだ。しばらく戻ってこないと思うが」
「では、ヒューイットも‥‥?」
 頷いた冒険者に、娘は落胆した表情を見せた。
「アレクに用があったのか?」
「はい。‥‥あ、でも、アレク様とヒューがいなければ、ギルドに依頼を出せと旦那様から仰せつかっているので」
 アレクとヒューの故郷で何かあったのだろうか。
「実は」
 促すと、娘は卓の上に身を乗り出し、更に声を潜めた。
「害虫駆除をお願いしたいのです」
 くるりと踵を返す冒険者、数名。
 何事もなかったかのように壁に貼り出された依頼状の吟味を始める冒険者、雑談を始める仲間達に取り残されて、娘の相手をしていた女冒険者は頬に引き攣った笑みを浮かべ、最初に娘を捕まえた冒険者の服の裾をしっかりと握る。
「それは庭師さんとか、そーゆー専門家にお願いした方がいいんじゃないかしら」
「あ、それが、アレク様かヒューイット以外の者では無理だったので‥‥」
 アレクとヒュー以外は無理?
 顔を見合わせる冒険者に気付かず、娘は続ける。
「旦那様が所用で2日ほど留守にされるので、せめて、その間だけでもお願いしたいのです」
「‥‥その害虫って、厄介なの?」
 尋ねる女冒険者に、娘は大きく力一杯頷いた。
「とっても、質が悪いんです! 手に一杯の花を抱えてやって来て、「やあ、僕の可愛い人」!! もー鳥肌ものですっ!」
 なるほど、そちらの害虫か。
 納得して、立ちつくしていた冒険者は椅子に腰を落ち着けた。
「島の、ノースウッドという村に住んでいる豪商の馬鹿息子なんですが、何度追い払われても懲りなくて。最近は、アレク様に対抗すべく、無法者達を集めていると聞きますし。‥‥その豪商は、サウザンプトンから移った時にお世話になった方なので、旦那様も対応に苦慮しておられるんですよ」
 そこで、ガキ大将の出番か。
 と、冒険者は胸の内で苦笑した。女冒険者も同じ事を考えていたのだろう。笑いをかみ殺している。
「とにかく、旦那様が留守にされる2日間だけでも、馬鹿息子を追っ払って下さい! お願いします!」
 真剣な顔をして頭を下げる娘に絆されて、冒険者は仕方がないと手を振った。
「分かった分かった。仕方ねぇから受けてやるよ。で、害虫から守る花は? お前か?」
「私が!? とんでもない! 私ではなくて、私のご主人様、旦那様のお嬢様でアレク様の従妹にあたられるルクレツィア様です!」
 ルクレツィア。
 その名を繰り返して、冒険者は首を捻った。
 つい最近、どこかでその名を聞いたような気がする。
 そんな彼の戸惑いなど知らぬ娘は、真剣な表情のままで続けた。
「島にいらっしゃる時には、1つだけ守って頂きたい事があります。お嬢様は、体が弱く、荒事など無縁の所でお育ちになられた御方です。お嬢様の前では、決して乱暴な事はなさらないで下さい。どんな事があっても、お嬢様の前では武器をお使いにならないで。それだけはお約束下さい」

●今回の参加者

 ea3668 アンジェリカ・シュエット(15歳・♀・クレリック・エルフ・ノルマン王国)
 ea4825 ユウタ・ヒロセ(23歳・♂・ファイター・人間・イギリス王国)
 ea5301 羽紗 司(41歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea5913 リデト・ユリースト(48歳・♂・クレリック・シフール・イギリス王国)
 ea9669 エスリン・マッカレル(30歳・♀・ナイト・人間・イギリス王国)
 eb0050 滋藤 御門(31歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb0610 フレドリクス・マクシムス(30歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・ビザンチン帝国)
 eb1670 セフィール・ファグリミル(28歳・♀・クレリック・人間・イギリス王国)

●リプレイ本文

●偵察?
「‥‥言ってもいいであるか?」
 ぽつりとリデト・ユリースト(ea5913)が呟いた。
「‥‥なんだ?」
 素っ気なく返した羽紗司(ea5301)は、目を空へと泳がせている。リデトの口から出るであろう言葉は、彼にも予想がつく。
「蛇みたいなんである」
 やっぱりな。
 ふ、と司は息を漏らした。リデトの言葉に、彼も異存はない。
「奇遇だな。俺も、そう思っていた」
 情報を集める為に訪れたノースウッドの酒場。
 そこで昼間にもかかわらず、べろんべろんに酔って嫌がる店員の手を握り締めているのが、今回の駆除対象害虫、ノースウッドの豪商の馬鹿息子たるベンジャミンだ。は虫類を思わせる容姿に、底意地の悪そうな目。口元にはいやらしい笑みを浮かべている。
「性根の腐ってそうな野郎だな」
 吐き捨てるように呟いて、司は眉間に皺を寄せた‥‥
「女の立場から言わせて貰えば」
 が、間近で聞こえた女性の声に、思わずリデトと2人して奇声をあげかけた。
「ア‥‥アンジェリカ!? い‥‥いつの間に」
「びっくりしたのである」
 どきどきばくばくと鳴る心臓を押さえながら、司はいつの間にか傍らに立っていたアンジェリカ・シュエット(ea3668)へと愛想笑いらしきものを向けた。
「あら、さっきから居たわよ?」
 彼女が示したのは、開け放たれた扉。
 はて、と男達が首を傾げるのを気にも留めず、アンジェリカは腕を組んだ。
「ねぇ、それよりもあの蛇男を何とかしなくていいの? あの子、困っているわよ?」
 娘の手の甲を撫でて何事か囁いているベンジャミンと、今にも泣きださんばかりの娘と。
 情報収集だけと思っていたが、さすがに見捨ててはおけない状況だ。
「ったく!」
 ぐしゃりと髪を掻き乱し、司は大股に彼らへと歩み寄った。
「娘さんが嫌がっているだろう」
 馬鹿息子の手を捻りあげ、司は何度めかの吐息を深く深く吐き出したのだった。

●暴走2人
「大丈夫だからねッ! ルクちゃん!」
 いきなり手をしっかと握られて、真剣な顔で「大丈夫」と繰り返すユウタ・ヒロセ(ea4825)に、ルクレツィアはきょと、と首を傾げた。一体何が起きたのかと言いたげな少女に、エスリン・マッカレル(ea9669)は片手で目を覆う。
「ボク達が、絶対に悪い虫から守ってあげるから! おかぁさんもよくゴキブリから守ってって言ってるよ!」
「ユウ‥‥」
 留まる様子のない少年の暴走を止めるようと伸ばした滋藤御門(eb0050)の手をかい潜り、ユウタは握った手をぶんぶんと振っている。しかも、何故だかお嬢様まで面白がって一緒に振り出す始末。
「ユウタが2人‥‥」
 フレドリクス・マクシムス(eb0610)の独り言に我に返ったエスリンが、慌ててユウタを引き離しにかかった。
 ここで奇妙な遊びを覚えられたら、後でアレクに何を言われるか。
「ルクレツィア殿とおっしゃったか。我らはキャメロットでアレクシス殿と親しくさせて頂いている者です」
 恭しく白く細い手を取り、その甲に軽く唇をつける。
 騎士の礼に、ルクレツィアは花が綻ぶような笑みを見せた。
「まぁ、アレクお兄様の? よくいらして下さいました」
「‥‥俺は」
 懐の中でスカーフを握り締めたフレドリクスが言い淀む。会ったのは夜、ほんの少しの時間だけだ。彼女は覚えていないかもしれない。躊躇するフレドリクスに気づいたのは、ルクレツィアであった。
「まぁ、貴方はヒューのお友達ですわね。お怪我はもうよろしいのですか?」
 何のてらいもなく、無邪気に尋ねて来る少女に釣られて笑み返しかけ、フレドリクスはきゅっと口元を引き締めた。
「あの時は世話になった。スカーフを汚して済まない」
 取り出したのは、彼女が怪我をした自分へと差し出したスカーフだ。
 スカーフとフレドリクスを交互に見つつ、ルクレツィアは小首を傾げた。
「スカーフはお嫌い?」
 何をいきなり、と面食らったフレドリクスを覗き込んで、ルクレツィアは童女のように笑う。
「お嫌でなければ、そのままお持ち下さいな」
 対応に困ったフレドリクスをそのままに、病弱と聞いた娘は軽やかな足取りでテーブルへと駆け寄った。そこには、依頼人‥‥ルクレツィア付きの侍女ハンナがお茶の用意を整えて待っている。
「皆様、お茶が冷めてしまいますわ。はやくはやく!」
 手招きするルクレツィアの傍らで、ハンナはにこにこと笑っていた。
 ルクレツィアの警護として島へと渡ったというのに、何やら拍子抜けだ。
 困惑して顔を見合わせた彼らに、偵察から戻って来たアンジェリカがそっと耳打ちする。
「‥‥害虫は確かに存在しているようだな」
 しかし、と嬉しそうに皿へと焼き菓子を盛っているルクレツィアの姿に御門は苦笑した。害虫に悩まされているはずの当人が警戒心が全く無い。ハンナやアレク達の苦労が偲ばれる。
 冒険者達は、互いの顔を見合わせて溜息をついたのだった。

●不死者の気配
 ぐるりと屋敷周りを歩いてみて、セフィール・ファグリミル(eb1670)は頭を抱えそうになった。
 害虫に悩まされているというのに、この屋敷の防犯対策はまるでなっちゃいない。
「ジャパンの城のように忍び返しがあるとか、せめて壕なりなんなり‥‥」
 低木の茂みを掻き分ければ、そこは屋敷の外。出入りは自由のようだ。
「まさに全開って感じです‥‥」
 傾ぎかける体を気力で真っ直ぐに保ち、セフィはぱしぱしと自分の頬を叩いた。
「駄目駄目、駄目です。こんな事ぐらいで挫けてなんかいられません」
 ルクレツィアを守る事、それがセフィが受けた依頼なのだから。聞けば、この島の近くには害虫以外にもモンスターが大量に棲息しているという。念のために、とセフィは印を結んだ。
 呪を唱えた彼女の体を、淡く白い光が包み込む。
「え?」
 感じた気配は近くに2つ、離れた場所に幾つか。
 唱えたのは、アンデッドを探る為の呪だ。
 眉を寄せて、セフィは屋敷の中へと引き返した。

●楽しいお茶会
「あ、こちらはアレックスよ。アレクと呼んでいるの」
「まあ! アレクお兄様と一緒ね!」
 改めて自己紹介をしたアンジェリカが自分の愛犬を振り返ると、彼は唸り声をあげてじりじりと後退っていた。
「どうしたの、アレク?」
 耳を寝かせ、牙を剥いて低く唸るアレクに、アンジェリカは怪訝な顔をした。アレクがこんな風に唸るのは珍しい。
 彼女の疑問に答えたのは、ルクレツィアだった。
「ああ、多分、わたくしのせいですわ。わたくし、昔から動物に嫌われておりますの」
「‥‥それは、お嬢様が力一杯、全力で遊ぼうとするからです」
 溜息をついて首を振ったハンナに、ルクレツィアが唇を尖らせる。
「お昼寝している猫にそっと近づいていきなり抱き締めたり、犬と見れば飛びついたり、そりゃあもう動物達から見ればお嬢様は要注意人物です」
 ああ、とエスリンはこめかみを押さえた。
 何だか、どんどんと「お嬢様」のイメージからかけ離れていくような気がする。
「いや、あの兎‥‥アレクシス殿の従妹殿だしな」
 それは偏見ではあるが、否定出来ない。
 御門とフレドリクスは沈黙を守った。
「そういえば」
 愛犬の首を軽く叩いて落ち着かせながら、アンジェリカが思い出したように問う。
「お嬢様はこの島の外に出た事はあって?」
 目を瞬かせるルクレツィアに焦ったのは仲間達だ。道中、侍女からそれとなく話を聞いてはいたが、本人に面と向かって問うつもりはなかった。島の外で起きている出来事‥‥彼女の従兄達が巻き込まれている事件を知られたくなかったのだ。
「島の外? わたくしがこの島に来たのは10年ぐらい前ですけれど?」
「それは一体どうしてなのですか?」
 勢い込んで尋ねた御門に、ルクレツィアは何かを思い出しながら言葉を紡ぐ。
「確か‥‥色々と危ないから‥‥だと思うのですけれど」
 御門はエスリンと素早く視線を交わした。
 ポーツマスを災厄が襲ったのが12年前。サウザンプトンの領主が追放されたのが10年前だ。
「もしかして、ルクレツィアさんは‥‥この島に来る前にサウザンプトンに住んでおられませんでしたか?」
 言葉を選んで尋ねた御門に、ルクレツィアはええと頷く。
「よくお分かりですわね。でも、その前はよく覚えておりませんのよ」
 その前、と呟いたのはフレドリクス。
 そんな彼のカップに、ルクレツィアが香草茶を注ぐ。
 茶葉は、アンジェリカが土産として持参したオリジナルブレンドだ。
「わたくし、とても小さかったので‥‥。でも、お兄様と一緒にお花を摘んだお庭はよく覚えておりますのよ」
「兄上‥‥か。アレクシス殿ですか?」 
 自身の兄の記憶を重ねたのだろう。一瞬だけ、懐かしそうな微笑みを浮かベたエスリンに、ルクレツィアは首を振った。
「あら、違いますわ。アレクお兄様ではなくて、ヴァレリーお兄様ですのよ」
「ヴァレリー?」
 知らぬ名に、御門は鸚鵡返しに尋ねた。
「はい。お兄様はとてもお綺麗で、優しい方でしたわ。転んだわたくしを、黙って背負って下さったり、泣いていたら黙って頭を撫でて下さいましたし、それから、それから‥‥」
 放っておくと際限なく続きそうだ。
 がたんと椅子を鳴らして立ち上がり、フレドリクスは話題転換を試みる。
「で、そ、そのヴァレリーという兄もこの島に?」
 途端に、ルクレツィアは泣きそうに顔を歪めて俯いてしまった。
 どうやら、フレドリクスの試みは失敗したらしい。
 仲間達の非難の籠もった視線を受けて、彼はルクレツィアの元へと歩み寄った。膝をつき、涙ぐんだ彼女の手を取る。
「す‥‥すまなかった。いけない事を聞いてしまったようだ」
「いいえ。ただちょっと寂しくなっただけなのです。お兄様は、いつ迎えに来て下さるのかしらと」
「そうですか。でも」
 ついと御門が音も立てずに立ち上がった。
「お兄さんよりも先に、害虫が来たようです」
 その言葉に、焼き菓子を口いっぱいに頬張っていたユウタがルクレツィアの腕を引っ張る。
「え? え? どうかしたのですか?」
「ルクちゃん、こっち! 大丈夫。皆が追っ払ってくれるから!」
 ユウタに引き擦られるようにしてルクレツィアが部屋を出たのを確認すると、冒険者達はそれぞれの得物を手に席を立った。

●楽しい? お茶会
「これでよし! なのである」
 セッティングしたテーブルを満足そうに見て頷くと、リデトは空中でくるりと向きを変えた。
 そろそろ客が到着する頃だ。
 あんまり会いたくない客だが、仕方がない。
 でも、腹立たしいから、客が開くよりも先に勢いよく扉を開ける。
 握ろうとしたドアノブが逃げ、無様にすっ転びかけた男を内心で笑いながらも、リデトは澄まして型通りの言葉を紡ぐ。
「いらっしゃいませなのである。お嬢様はお支度中なんで、もう少し待って欲しいのである」
「‥‥お、おう」
 訝しみつつ、案内されるがままに部屋へと入ったベンジャミンに茶を振る舞うべく、リデトはティーポッドを抱え、ふらふらとベンジャミンの真上へと飛んだ。
 まともに茶を注ぐ気なんかこれっぽっちもない。
 がしょん、と小気味良い音が室内に響いた。
 頭に受けた衝撃に怒る間もなく、ベンジャミンは喉を押さえて苦しみ始めた。
「どうしたんであるか? これは、とても体に良い特別なお茶なのである。円卓の騎士も飲まれたのであるから、間違いないのである」
「き‥‥貴様っ!」
 んべっと舌を出すと、リデトは追いかける手を躱して安全地帯へと逃げ込んだ。それはすなわち‥‥。
「よぉ、また会ったな、坊ちゃん。貴殿にはここから村に戻って貰おうか」
 ベンジャミンの顔から血の気が引いた。
 指を鳴らして現れたのは、彼が酒場で会った男‥‥司であった。
「言ったよな? 今度ふざけた真似をしたら扱い害虫以下だと」
 じり、と後退るベンジャミンが後ろ手に男達へと合図を出す。それをわざと見逃して、司は肉食獣の笑みを閃かせた。
「記憶力が無いのか、それとも人間として何かが欠落しているのか? ともかく、お帰り頂こうか」
 後ろで響く絶叫を聞かなかった事にして、リデトは上機嫌でルクレツィアのお茶会へと向かったのであった。

●護る手
 ベンジャミンの指示で屋敷の中へと雪崩れ込んだ無法者達は、それぞれに正体の知れぬ者達の手によって叩きのめされた。
 しかし、悪運が強い者も、中にはいる。
「お前達! 嫌がる女の子を無理矢理連れてっても、絶対にモテないんだぞ!」
 ルクレツィアを背に庇ったユウタに、男はニタニタと笑って近づいて来た。相手は子供と侮っているようだ。
「坊主、怪我ァしたくなかったら、大人しく‥‥」
 力一杯踏みつけられた足に、男の言葉が途切れた。
 ちらりと背後を窺って、ユウタは真っ赤な顔をして怒り狂う男を見た。ルクレツィアの前で乱暴は出来ない。どうするかと、彼が考えを巡らせると同時に、ルクレツィアの視界を上品な扇子が覆った。
「はいはい、見ては駄目ですよ」
 ふわと波打つ蜂蜜色の髪がセフィの鼻先を擽る。
ー可愛い。
 今の状態も忘れて思わず抱き締めると、セフィはユウタへと片目を瞑ってみせた。
「あ、でも気をつけて。近くにアンデッドもいるみたいです」
 ぎょっとした男に手を振って、ルクレツィアの肩を押す。
ー襲って来るかどうか、分からないのですけれどね

●冷たい手
「またお会い出来るといいですわね」
 去っていく冒険者達を見送り、屋敷の中へ戻ろうとしたルクレツィアは、誰かの気配を感じて足を止めた。
「‥‥お兄様?」
 おそるおそる振り返った彼女の目に映ったのは、女性の影。
「どなたですの?」
「貴女様の下僕でございます。お迎えにあがりました」
 女性の声が喜びに震えている。
 どうして、この人はこんなに喜んでいるのかしら。跪いた女の前で、彼女はぼんやりと考える。
「もうしばらくのご辛抱でございます。あとは聖餐を探し出すだけ。そうすれば、貴女様は‥‥」
 響く悲鳴が、ハンナの声に似ている。
 彼女は、それを確かめる気力さえも失ったかのように、差し出された手を取った。
『大丈夫だからねっ、ルクちゃん!』
『ルクレツィア殿とおっしゃったか』
『いけない事を聞いてしまったようだ』
 彼らの手と違って、その手はとても冷たい。
『そうそう。ポーツマスのご領主が接触して来るかもしれないわ。気をつけてね』
 ふと、別れ際のアンジェリカの言葉が頭を過ぎった。