【神の国探索】薔薇薫る園で

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 98 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:12月29日〜01月01日

リプレイ公開日:2006年01月10日

●オープニング

●薔薇の園
 立ち上る湯気の香りも、薔薇の香気。
 満足げに頷いて、女はカップへと唇を近づけた。孔雀の羽根をあしらった帽子ときわどいラインのドレスが蠱惑的だ。周囲に咲き誇る冬薔薇にも負けぬ存在感である。
「ご存じ? 薔薇は女を美しくするのよ」
 向かいに座った貴婦人は、女の言葉に小さく鼻を鳴らしただけだった。興味が無いとでも言わんばかりの態度に、女は口元に手を当て、わざとらしく驚いてみせる。
「まぁ、私はてっきり貴女も美しくなりたいと思って薔薇を育てているのかと」
 くすくすと笑いながら、女はカップを受け皿に戻した。貴婦人の手が握り締められる様子を面白そうに見遣ると、何も気づいていない振りで話を続ける。
「でも、私、薔薇はあまり好きではないの。姿形だけではなく、香りも美しく気高くて。‥‥そう、まるで貴女の妹みたい」
 はっきりと顔色を変えた貴婦人に、それでも女は喋る事を止めない。
「美しいから踏みにじってやりたくなるわ。貴女もそうよね。さもなければ、妹に呪いをかけろなんて言わないでしょう?」
 馴れ馴れしい笑みを向けた女に、貴婦人は眦を吊り上げて立ち上がった。
 貴婦人の剣幕にも平然として、女は喉を鳴らす。
「余計なおしゃべりはおしまいにしましょう、アンドロアルフェス」
 不快そうに眉を寄せて言い捨てると、女はさっさと席を立った。
「あらあら。妹をあんな姿にしてしまったくせに。‥‥今更気が咎めているのかしら?」
 去っていく貴婦人を見送る事もせずに、女は傍らの薔薇へと手を伸ばす。美しく気高い薔薇。棘で触れた者を傷つけるのは、薔薇の強さなのだろうか。それとも、弱い自分を守る為のものか。
「ねぇ、オルトリート。あの可哀想な『白い花』よりも、よほど貴女の方が薔薇のようよ」
 棘が指先を傷つける事も厭わずに、女は開いたばかりの花を手折るとその香気を心ゆくまで堪能する。
「だから、私は薔薇を慈しまずにはいられないのよ」
 握り潰された薔薇が花びらを散らす。
 はらはらと舞い散る花びらに、女は酷薄な笑みを浮かべた。

●届いた報せ
「真逆、『聖杯』の安置されている『聖杯城マビノギオン』が、リーズ城だったとはな」
「リーズ城を知っているのかよ?」
 アーサー・ペンドラゴンは自室のテラスで、日課の剣の素振りをしていた。傍らには美少女が居心地が悪そうにイスに座っている。けぶるよう長い黄金の髪に褐色の肌、健康美溢れるその身体を包むのは白いドレス。誰が彼女を、蛇の頭部、豹の胴体、ライオンの尻尾、鹿の足を持つ獣『クエスティングビースト』だと思うだろう。
 かつてのイギリスの王ペリノアの居城に、彼女は四肢を分断されて封印されていた。しかも、聖杯によって人間の女性へ姿を変えられて。
 これにはクエスティングビーストを狙っていたゴルロイス3姉妹の次女エレインも、流石に騙された。
 彼女を無事保護したアーサー王は、キャメロット城へ住まわせていた。
「ここより南東に50km、メードストン地方のリーズという村を治めている城だ。城主は‥‥ブランシュフルールといったな。名うての女騎士だが、聖杯騎士とは」
「聖杯は然るべき時にならなきゃ姿を現さないんだろうぜ。でも、てめぇらが手に入れなきゃ、俺だって『アヴァロン』への門を開けられねぇんだからな」
 クエスティングビーストが真の姿を取り戻さない限り、神の国アヴァロンへの扉を開ける事は出来ない。
「しかし、この格好、何とかなんねぇのかよ?」
「グィネヴィアの趣味だ。もう少し付き合ってやってくれ」
 クエスティングビーストは王妃グィネヴィアに取っ替え引っ替えドレスを着せ替えられていた。アーサー王との間の子供のいないグィネヴィア王妃にとって、彼女は娘のように思えたのかも知れない。
「アーサー王、失礼します!」
 そこへブランシュフルールへの書状を携えて斥候に向かった円卓の騎士の1人、ロビン・ロクスリーが息急き立てて駆け込んできた。
「どうした!?」
「マビノギオンから火の手が上がっており、オークニー兵とおぼしき者達とデビルに攻められています!!」
「何、オークニー兵だと!? ロット卿は動いてはいないはずだ‥‥モルゴースか! デビルがいるという事はエレインもいるようだな。ロビンよ、急ぎ円卓の騎士に招集を掛けろ! そしてギルドで冒険者を募るのだ!!」
 ロビンはその事を報せるべく、急ぎ引き返してきたのだ。
 そして、アーサー王より、最後となるであろう聖杯探索の号令が発せられるのだった。

●マビノギオンへ
「聖杯の城、マビノギオンから火の手が上がっているという報告が入った。諸君らは、至急、マビノギオン‥‥リーズ城に向かって欲しい」
 冒険者ギルドを訪れたトリスタン・トリストラムはそう告げた。
 聖杯が祀られている聖杯城、マビノギオン。
 その城が、今、危機に陥っているという。
 現れたオークニーの兵と、デビル。彼らの狙いが聖杯である事は想像に難くない。
 そして、聖杯城近くにある小さな島に現れたというデビルらしき女。その目的は分からないが、別動の仲間達が何らかの情報を届けてくれるだろう。
「俺達はトリスタンと共に、聖杯城を目指せばいいのか?」
「そうだ。だが、それも容易ではない。リーズの周囲には深い森が広がっている。デビルやオークニーの兵を確実に討ち取り、聖杯への道を拓かねばならない」
 つまりは、その広い森の中に潜むデビルとオークニーの兵を探しだし、倒せという事か。
 冒険者達は腕を組むと考え込んだ。
 何の手掛かりなく進んでも、敵と遭遇する確率は低い。さて、どうするべきか。
「城とその周辺について、他に分かっている事はないのか?」
「城は湖の中心にある。森はその周囲に広がっているわけだが、その一部を切り開いて城主が有していると聞いた事がある。リーズの村の者達も近づかぬ場所だと」
 潜むには最適だろう。だが、どこに何があるのか分からないという状況は変わっていない。
「あとは醜聞の類だが‥‥。城主のブランシュフルールという騎士には姉がいる。その姉を差し置いて城主となった経緯をあれこれと口さがない者達が噂していたのを聞いた事がある」

●呪い
 追っ手がいない事を確認して、エルザは木の根本に体を預けた。
 目を閉じれば、彼女が見た信じられない光景が脳裏に蘇る。
 消えた城主。
 彼女の目の前で、城主付きだった幼なじみの娘が小鳥に姿を変えた。その小鳥を掴んだのは、尖った爪を持つ女の手。
 そして、籠に捕らわれたもう1匹の小鳥。
 直後、襲って来たのがインプやアガチオンなどのデビルだった事を考えると、あの女もデビルに違いない。以前、夫から聞いた事がある。
 呪いで人間を小鳥に変えるデビルがいるという話を。呪いを受けた者を元の姿に戻すには、デビル自身が呪いを解くか、デビルを滅ぼすしかないと。
「ローエングリン、あなたが教えてくれたデビルなの?」
 しかし、夫に確かめる余裕は無さそうだ。
 城主は消え、彼女と共にいた幼なじみは小鳥になった。
 幼なじみを人に戻す事が出来れば、何があったのか語ってくれるだろう。
「その為には‥‥」
 決意を胸に、エルザは立ち上がった。

●今回の参加者

 ea0602 ローラン・グリム(31歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 ea1249 ユリアル・カートライト(25歳・♂・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea3143 ヴォルフガング・リヒトホーフェン(37歳・♂・レンジャー・人間・フランク王国)
 ea4071 藍 星花(29歳・♀・ファイター・人間・華仙教大国)
 ea4816 遊士 燠巫(38歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea5913 リデト・ユリースト(48歳・♂・クレリック・シフール・イギリス王国)
 ea9669 エスリン・マッカレル(30歳・♀・ナイト・人間・イギリス王国)
 eb0050 滋藤 御門(31歳・♂・志士・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

●邪と前哨戦
 さて、どうするか。
 手近な木から失敬した葉をくわえると、ヴォルフガング・リヒトホーフェン(ea3143)は空を見上げた。
 枝を広げた木々の合間から覗く灰青色をした空には、彼に向かって手を振るリデト・ユリースト(ea5913)の姿がある。一生懸命に手振りで伝えてくるリデトに「分かった」と親指を立てて返答すれば、その小さな体はあっという間に視界から消えた。
「と、言ってもなぁ」
 リーズ城の周囲には深い森が広がっている。
 この広大な森の中で動いているのは彼らだけではない。
 城を攻めているオークニーの兵達もいれば、パーシ・ヴァルやガウェインといった円卓の騎士と行動を共にしている冒険者仲間もいる。敵も味方も入り乱れた状態なのだ。しかも、敵はオークニー兵だけではない。
 聖杯戦争の裏で糸をひいていたモルゴースやエレインに協力するデビルもいる。
 茂みから飛び出して来た愛犬シュトゥルムの頭を撫でて、ヴォルフは肩を竦めた。
「一旦、戻るか。単独行動は出来るだけ避けたいしな」
 主の呟きに吠えて返事を返そうとしたシュトゥルムの口を慌てて掴んだ。手の中で籠もった声に安堵して、そっと手を外す。不満げに鼻を鳴らしたシュトゥルムの首を軽く叩くと、愛犬の視線に合わせて屈み込んだ。
「今は、大声出すとマズイんだ。だから、吠えるなよ」
 返答しかけた愛犬の口を再び掴んで、ヴォルフはがっくりと肩を落としたのだった。
「ここと、こことここに武装した兵がいたのである」
 ヴォルフより一足早く仲間の元へと帰り着いたリデトが指し示しているのは、彼が、体の半分ほどもあるペンを抱えてえっちらおっちら羊皮紙に描きつけた地図である。地図は時に軍事機密となる。それが聖杯が安置されているリーズ城周辺ともなれば、地図はそうそう出回ってはいない。
 ギルドで手配しようとしたものの、出発までの短い時間では見つけ出す事は出来なかった。
 無いなら作ればいい。リーズに着いてから後、リデトは休む間も惜しんで飛び続けた。結果、出来上がったのが汗と涙とド根性によるこの地図だ。
「それでもって、こことここにも鎧を着けた者達がいて、こっちとこの辺りには農民の格好をしているけど剣を持った奴らがいたのである」
 リデトの報告に、エスリン・マッカレル(ea9669)は息を吐き出した。
 とりあえず、森のあちこちに敵兵が配備されている事は分かった。
「これらの全てを相手にしていてはきりがないな」
 溜息混じりの言葉に、滋藤御門(eb0050)が苦笑しつつ頷く。
「トリスタンさんがおっしゃっていた城主の私有地を目指し、敵の司令塔を叩け‥‥とご助言頂きましたが、これでは司令塔がどこにいるかも分かりませんね」
「木や植物も、どの部隊が指揮を執っているのか分かりませんし」
 ユリアル・カートライト(ea1249)も同意して、リデトの地図を覗き込んだ。
「敵の頭を見つけ出すのは難しいとしても、私有地ならば‥‥。森を切り開くには、物資を運んだり、作業者が行き来したりする道が必要となるはずです。獣道じゃ、役に立ちませんからね」
 地図に記されているのは、上空からも確認出来る道。この中に、領主の私有地へと通じる道があるはずだ。
 真剣な表情で地図を見つめるユリアルに、リデトがぽんと手を叩いた。
「そういえば、ぽこんと1カ所だけおかしな所があったのである」
 地図の上に降り立ち、リデトは1本の線を辿る。
「この道は、リーズ城がある湖まで通じているみたいなんであるが、途中で森が変わっていたのである」
「森が、変わった?」
 どういう事かと問う視線に、リデトは大きく手を動かした。身振りを交えて、自分が見た様子を伝えようとするのだが、仲間達には通じないようだ。怪訝そうな仲間達に焦れたのか、羽根を広げてトリスタンの元へと飛ぶ。
「トリスは分かってくれるのである? 友達は以心伝心なのである」
 トリスが口を開きかけたその時、御門が「あ」と声を上げた。リデトの真似をして手を動かし、何かに気づいたようだ。
「もしかして、森が変わったというのは、生えている木や植物が変わったという事では?」
 自分達がいる場所を見回せば、ドングリやブナといった木々が乱立している。だが、上空から見れば、生い茂った葉が複雑に絡み合い、個々の木を判別する事は難しいだろう。敷き詰められた緑が「変わる」という事は、森の木とは違う植物がまとまって生えているのではないか。
「例えば、背の高さが違う植物で、上から見ると段差がついて見えるとか」
「そう! 多分そうなのである! ぽこんと変わっているのである!」
 なるほどな、と木の陰から姿を現した遊士燠巫(ea4816)は肩についた木の葉を払って不敵な笑みを口元に浮かべた。
「燠巫殿、何かあったのか? そこかしこが汚れているようだが‥‥」
 エスリンの指摘通り、燠巫は森で転げ回って遊んで来た子供のようだ。軽く眉をあげて、燠巫はエスリンの肩に腕を乗せた。
「ちょこっと遊び相手に会っちまってな。仕方ないから、少しだけ遊んでやったんだ」
「遊び‥‥相手ですか?」
 この森に知人でもいたのかと、生真面目なエスリンは一瞬考え込む。そこへ、藍星花(ea4071)がくすりと小さな笑い声を落とした。
「それで、そのお友達はどうだったの?」
「ああ? ‥‥息子の遊び相手をしている方が遙かにマシだな」
 何気ない素振りで燠巫は手首を動かした。投げられたものを受け取った星花の笑みが苦笑へと変わる。
「なるほどね。ご苦労様と言っておくわ」
 リデトの地図へと歩み寄り、燠巫はとん、と1カ所を指先で示した。
「もう、悪ガキの親玉はここにいるようだぜ。どうする?」
 彼が示したのはリーズ城。
 それはすなわち、リーズ城が既に敵の手に落ちているという事か。
「では、聖杯も!?」
 息を呑んだユリアルに、燠巫は頭を振った。
「分からない。分からないが、手下どもはそこら辺にウヨウヨしてる。‥‥どうする?」
「どうするもこうするもあるまい。‥‥トリスタン、根回しはして来たぞ」
 愛犬と共に戻って来たヴォルフに、トリスタンは小さく頷いた。
「根回し、とはどいう言う事であるか? トリス?」
「ここの森は無人じゃない」
 トリスタンに代わって口を開いたのは、ヴォルフだった。
「近くの村で、案内人を探して来たんだ。案内料も弾んで、身の安全も保証すると言ってな」
「案内人? でも、それは‥‥」
 リーズ周辺を押さえたのはオークニーが先だ。
 その上、デビルの暗躍も確認されている。
 村にオークニーやデビルの手が回っている可能性もある。この状態で、村人に案内を頼んで応じてくれるだろうか。不安げな顔をした星花に、ヴォルフはばちんと片目を瞑ってみせた。
「俺達は、俺達の目的を果たせばいいんだよな?」
「そうよ。けど、それとオークニーの兵に自分達の居場所を教える事に何の関係が‥‥」
 星花の語尾が小さくなった。目を瞬かせた星花はやがて口元を引き結ぶとヴォルフの頭をこつんと叩いた。照れ隠しの行動に、ヴォルフが白い歯を見せる。
「そろそろ、餌に引っ掛かると思うんだが。‥‥どうする?」 
「‥‥これから、どこを目指すべきかしら?」
 ヴォルフに答えず、星花は仲間達を振り返った。
 彼らも、ヴォルフの言う餌に気づいたようだ。
「そう、ですね。どうせなら、より多くの敵を引きつけたいですよね」
 聖杯を目指して進む者達から奴らの目を逸らす。それが、自分達の目的だ。指先を口元に当て、考え込む素振りを見せたユリアルが呟く。
「邪な者達の手に聖杯が落ちるなど、想像するだけで震える思いです。でも、森は深くて広い‥‥しかし、なんとしても‥‥」
 彼の視線がトリスタンに注がれた。
「トリスタン卿、お願いがあるのですが」
 その言葉を予期していたのだろう。トリスタンは、ただ頷いた。
「折角ですものね。ねぇ、トリスタン卿、竪琴を弾いてくださらないかしら?」
 しかし、唐突な星花の申し出には、さすがに面食らったようだ。そんなトリスタンの様子を気にも留めず、星花は自分の荷の中から竪琴を取り出す。
「これ、エチゴヤで当たったものなのよ。ウァードネの竪琴と言うものらしいわ」
 ウァードネの竪琴。それは、様々な伝承が込められたとされる魔法の竪琴である。
「‥‥‥‥‥」
 こんなものまであるとは、さすがエチゴヤ。恐るべし、エチゴヤ。
 複雑そうな顔で、トリスタンは星花から竪琴を受け取った。
 森の中に零れ落ちる澄んだ音色。吟遊詩人が好んで奏でるアーサー王の英雄譚だ。勇壮な盛り上がりをもつ曲が、まるで優雅な恋歌のように響くのは視覚的効果か。ほぅと見惚れたエスリンの様子に小さく笑んで、御門とユリアルは印を結んだ。
 トリスタンが竪琴を奏でるのは、皆でその音色を愛でる為ではない。
 彼が王を讃える曲を選んだのも理由あってのことだ。
 僅かな気配も逃さぬようにと、2人は森の動きへと集中した。
「けど‥‥確かに妻の言う通りだな」
「どうした? 燠巫?」
 う〜んと腕を組んで悩み始めた燠巫に、ヴォルフが先を促す。
「ん? いやな、妻が言っていたんだ。トリスタン卿が美形だと。だが!」
 ぐっと握り締められた拳。
 だん、と大地を力強く踏みしめて、燠巫は絶叫した。
「やっぱり、俺はヒューの方が好みだっ」
「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ」
 と、燠巫の後頭部に、ガツンと大きな音を立ててぶつかる。物言わず地面へと倒れ込んだ燠巫に、形ばかり謝ったのは星花だ。その手にあるのは聖剣アルマス‥‥デビル(邪)スレイヤー。
「さ‥‥さすがだ、アルマス。なんて威力だ」
 ごくりと生唾を飲み、ヴォルフは滴る冷汗を拭う。
「‥‥なんだか、頑張っている私達が馬鹿らしく思える光景ですよね」
 ぼそりと呟いたユリアルに、御門は乾いた笑いを返すしかなかった。

●戦いの口火
 しかし、彼らはすぐに緊張を漲らせ、身構えた。自分達の不遇を嘆く暇はないようだ。
「何かが近づいて来ます。1つ‥‥その後に3、4‥‥5つの気配が」
「反対方向からも、6つ。皆さん、気をつけて下さい!」
 ユリアルと御門の警告に、燠巫は素早く身を起こした。先ほどまで撃沈していたとは思えぬ身のこなしで姿を消す。
「あらあら。もう少し、トリスタン卿の竪琴を聞いていたかったのに。‥‥残念ね」
 言いつつも、星花はアルマスを抜き放った。
「来ます!」
 クリスタルソードを握った御門が、木立の合間を睨み付けた。
 茂みが揺れる音、無数の足音、そして怒声が混じり合いながら近づいて来る。
 透明な剣の切っ先が、僅かに揺れた。
 あっと声を上げたのは、御門とリデト。
「エルザなのである!」
 茂みから姿を現したのは、満身創痍の女騎士だった。その赤茶色の髪と、血と泥に汚れてなおも上品な顔立ちに、彼らは見覚えがあった。
「やはり‥‥貴方達でしたか」
 よろめいたエルザへと咄嗟に駆け寄り、その体を抱き留めたエスリンの頭上を大鎌が唸りをあげて通り過ぎる。
 エルザを追いかけて来た兵だ。
「女性1人によってたかってなんて、男の風上にも置けない方々ですねっ」
 ユリアルのグラビティーキャノンが男達に向かって放たれた。
 吹き飛ばされた兵達の背後に音もなく現れたのは、燠巫。
 正面の敵に気を取られていた兵達が燠巫に気づく間もなく、彼は春花の術を完成させて素早く木上へと飛び上がった。漂う香気に眠りへと誘われ、エルザを追っていた者達は地面へと崩れ落ちる。
「まだ気を抜いちゃ駄目よ!」
 星花のアルマスが払った木の枝を踏みにじり、オークニーの紋章をつけた男が襲い掛かる。
 男の胴を薙ぎ払った星花に、間髪を入れず別の男が剣を振り上げた。
「星花殿!」
 弦を引き絞った弓から放たれた矢が、男の肩を射抜く。獣のような唸り声を上げてもんどり打った男の背後から、新手の兵が飛び出して来る。
 目を見交わして、御門とトリスタンが同時に駆けた。
 二方向から襲って来る敵をそれぞれに切り伏せると、後方へと飛び退る。そこへ、黒い光が伸び、敵意を失う事なく向かってくる者達を襲った。

●エルザ
 巻き込まれ、折れた木の肌に手を当てて申し訳無さそうに目を伏せたユリアルから離れた場所で、リデトはエルザの怪我を癒す呪を唱えた。
 以前、遺跡で出会った凛々しく誇り高い女騎士が、これほどまでにダメージを受けるとは。
 不安げな眼差しで見上げるリデトに、エルザはそっと手を伸ばす。
「ありがとう。小さな友よ」
 緑色の髪を撫でて謝意を表すと、エルザは冒険者達へと向き直った。
 怪我は癒えても、汚れた肌やぼろぼろになった装備は元に戻らない。イギリス有数の騎士であるトリスタンに手傷を負わせる程の力を持つ彼女が疲弊し切っている。やはり、聖杯城‥‥リーズ城でただならぬ事が起きているのだろう。
「エルザ殿、お聞かせ願いたい。一体、リーズ城で何が起きたのですか?」
 地面へと視線を向け、ややあってエルザは顔を上げた。
 毅然としたその眼差しが、冒険者達1人1人を射る。
「貴方達は、皆が幸せになる為に聖杯を求めると言った。それは今も変わりないですか」
「勿論です」
 即答したのは、オークニー兵を縛り上げ、尋問していた御門だ。
 御門の視線と、エルザの眼差しとが宙でぶつかり合う。
「‥‥信じます」
 きっぱりと告げて、エルザは表情を崩した。
 不安に瞳を揺らして、彼女は冒険者達に膝をつく。
「どうか私に力を貸して下さい、冒険者達よ。今の状況は、我々だけでは覆せないのです」
「‥‥オークニーの兵とデビルがリーズ城を襲ったというのは本当?」
 アルマスを抱えた星花の問いに、エルザは首肯した。
「いつの間にか、城の内部にデビルが入り込んでいたのです。城主ブランシュフルール様も行く方知れずとなり、我々聖杯騎士も分断されてしまいました」
 聖杯を護る城と騎士達を、こうも容易く混乱出来るのだろうか。
 表情を険しくした冒険者達に、エルザは続けた。
「私の目の前で、ブランシュフルール様付きであった侍女が小鳥に変えられました。以前、夫に聞いた事があります。デビルの中に、呪いで小鳥に変える力を持つ者がいると。恐らく、薔薇の園にいたのは、そのデビルです」
「‥‥そのデビルは、孔雀の羽根をつけてはいなかったか」
 それまで黙って話を聞いていたトリスタンが口を開く。
「え? ああ、そういえば、帽子に孔雀の羽根があしらわれていたかと」
 やはり、と呟くとトリスタンは押し黙った。
「トリス、トリスはギルドでも猫の島に現れたのがそのデビルだと言っていたのである。分かっていたのであるか?」
 トリスタンの髪を引っ張って、リデトが尋ねる。
 集まった仲間達の視線に、トリスタンは頷いた。
「以前、聞いた事があったのだ。孔雀の姿をしたデビル、アンドロアルフェス‥‥呪いで相手を小鳥に変え、人間の姿を取る時には孔雀の羽根を身につけているそうだ」
 猫の島から届いた手紙には、奇妙な鳥の羽根で飾り立てられた帽子を被り、小鳥を掴んだデビルの存在が書き綴られていた。トリスタンがアンドロアルフェスに思い至った理由が察せられる。納得した御門は、ふと思いついた疑問に首を傾げた。
「孔雀の羽根を身につける、孔雀の姿をしたデビル。‥‥自己顕示欲が強いのでしょうか?」
 苦笑して、ヴォルフは肩を竦めた。
「ま、デビルってのはそんなもんだろ。で? その薔薇の園というのは何なんだ?」
「湖の畔にある、薔薇が咲き乱れた庭。オルトリート様がこよなく愛された庭。‥‥そこに、デビルが‥‥」
 エルザの眉が寄る。
 不可解だと言わんばかりの表情に、冒険者達は顔を見交わした。
「我が物顔で、デビルが居座っていたのです。オルトリート様は如何されたのか‥‥城内か、それともデビルの手に落ちたのか、それすらも分かりません。ただ、デビルの傍らに、籠に捕らわれた小鳥がいました」
 侍女が小鳥に変わる瞬間を見てしまったエルザには、その小鳥がただの鳥とは思えなかった。
「恐らく、その小鳥がブランシュフルール様か、オルトリート様」
 エルザの話に聞き入っていた星花は、頭上で響いた羽根の音に顔を上げた。
「あら。‥‥猫の島から連絡が来たみたいよ」
 腕を差し出せば、鷹が空から舞い降りて来る。その足に結ばれていたのは、羊皮紙だ。
「猫の島の小鳥は、やはりリーズ城の関係者のようね。あちらに行った人達が、小鳥を連れて来てくれるそうよ」
 羊皮紙に書かれていた文字を読み上げて、星花が頬に手を当てた。
「その小鳥は、誰かに力を貸したデビルの呪いで姿を変えられたのね。デビルが力を貸したのは、城主ではなく、モルゴースやエレインでもなさそうよ」
 では、一体誰が?
 考え込んだ仲間達の中、燠巫が苦く呟く。
「城内に、デビルを呼び込んだ者がいると考えるのが妥当な所だな」
「そんな! 我々は、聖杯を護るという使命に誇りを持っています! デビルと通じる者がいるなど‥‥あり得ない!」
 髪を引いたリデトに、エルザは口を噤んだ。だが、その表情は険しい。
「ともかく、当面の目的地は決まったな、トリスタン?」
 ヴォルフの言葉に返ったトリスタンの答えは是。
 その答えを受けて、冒険者達が動き出す。
「オルトリートさんの薔薇の園よ。多分、小鳥さんが知っているわ」
 足に羊皮紙を結び直し、鷹を空へと放つと、星花は森の奥を目指す仲間達の後を追った。

●薔薇薫る園で
 薔薇の芳香で噎せ返る。
 その庭に足を踏み入れて、ヴォルフは顔を顰めた。
 燠巫も同様の事を考えていたらしい。同じように顰めっ面をしている燠巫に、思わず笑みが零れてしまう。
「トリス、聞いてもいいであるか?」
 どこまでも薔薇のアーチが続く中、トリスタンの肩に降り立ち、その顔を覗き込んでリデトが問うた。
「聖杯は神の国への道を示すと言うのである。トリスは、神の国に行きたいと思うであるか?」
「‥‥リデトは、どう思うのだ?」
 トリスタンの肩に掛かった深紅のマントの感触を指先で確かめつつ、リデトは軽く頬を膨らませた。
「聞いているのは私なんである。‥‥でも、地上が神の国になるならともかく、神の国に行きたいというのは、よく分からないんである」
 2人の会話に仲間達も聞き耳を立てる。
 探し求めた聖杯が、神の国が手の届く所にある現在、彼らの関心は聖杯の在処から仲間達の去就と考えに移っているらしい。
「どうせなら、ここを神の住みたい土地にしたいんである! その為に私達は頑張っているんであるからして」
「‥‥そうだな」
 リデトの力説に相槌を打ったトリスは、微かに笑っているようであった。
「‥‥トリスは、神の国に行くんであるか?」
 いいや、とトリスタンは頭を振った。
「神の国への道が開けたとしても、イギリスに人がいなくなるわけではない。神の国を求められている王も、イギリスに民がいる限り彼らを守り続けられるであろう。そして、私は王に忠誠を誓った者。王が神の国へと向かう民を守れと命じられるならば従うが、そうでなければ、この国に留まり、王と共に民を守り続けるだろう」
「そ‥‥そうですか」
 何故か安堵の表情を見せたのはエスリンだ。
「あ、の‥‥トリスタン卿、もしも神の国への扉が開いた後、再び旅へと出られるのであれば‥‥その‥‥依頼でなくとも、私もお供‥‥」
 言いかけて、はた、とエスリンは我に返った。周囲を見回すと、興味津々と聞き耳を立てていたらしい仲間達が慌てて目を逸らす。かぁと彼女の頬が赤く染まった。
「み、皆さん、この先に小さな気配が。多分、エルザさんがおっしゃっていた籠の小鳥ではないかと」
 ユリアルに注意を促されて、エスリンは軽く両頬を叩くと、オークボウを握り締める。
 やがて、薔薇のアーチが途切れた。
「あら。何かご用?」
 ゆったりと椅子に腰掛けた女が、カップを手に微笑んでいた。
 孔雀の羽根をあしらった帽子に、挑発的なドレス。浮かべる笑みは、悪意に満ちている。
「お茶会のお客様かしらね。お招きはしていないけれど」
 テーブルの上で、籠の中の小鳥が暴れている。
 そんな小鳥を一睨して、女は立ち上がった。
 ドレスから覗く蠱惑的な肉体。男ならば、誰もが見惚れてしまいそうな女が、ゆっくりと腕を広げて近づいて来る。
「お茶を頂くのに、物騒なものは必要ないでしょう? さぁ、そんなものは捨てて、こちらへいらっしゃいな」
 しなやかな腕がトリスタンの首に回される寸前に、女はぴたりと動きを止めた。
「無駄だな、アンドロアルフェス。俺達に色仕掛けは通用しない」
 矢をつがえたヴォルフの宣告に、その通りと忍者刀を構えた燠巫が大きく頷く。
「俺は、妻一筋なんでな」
「‥‥嘘つきは手裏剣100個飲まされると、お前の息子が言っていたが?」
 すかさず入るヴォルフの突っ込みに、うんうんとアルマスを抜いた星花も同意を示した。
 先ほど、トリスタンよりヒューが好みだと力説していたのは、どこのどいつだ。
 冷たい視線が燠巫へと注がれる。
「な、何を言っている! 俺はずっと妻一筋だぞ! あっはっは!」
「聖書の角って痛いそうですネ?」
 こそりと、ユリアルが御門に囁いた。
「らしいですよ。僕は、せーしょあたっくされた事がないので分かりませんが」
「お‥‥お前ら‥‥」
 ふるふると、燠巫の拳が震える。
「諦めるのである。皆、知っているのであるからして」
 うんうんうんうん。
 トリスタンにまで頷かれてしまっては、もはや味方はいない。
「‥‥っくしょ〜っっ!!」
 その怒りを、燠巫は襲いかかってきたインプへと叩きつけた。
「いやねぇ。詰まらない人達」
 首筋に突きつけられていたトリスタンの剣を指先で押しやって、アンドロアルフェスは艶めいた笑みを唇に乗せた。切れた指先でそっとトリスタンの唇をなぞる。
「っ! アンドロアルフェス!」
 弓を構えるも、トリスタンと接近しすぎていてうまく狙いが定まらない。ポイントを狙う事も可能だが、万が一という迷いがエスリンを躊躇させていた。
「貴方を堕落させるのは、さぞかし楽しい事でしょうね」
 声と薔薇の香気が、冒険者達に絡みつく。
 攻撃の隙を捉えられず、それでも間合いを詰める冒険者を横目に、アンドロアルフェスは喉を鳴らした。
「負の心に囚われたオルトリートのように、私を楽しませてくれるかしら?」
 その言葉に反応したのは、エルザだった。
「今、何と‥‥?」
「馬鹿な聖杯騎士。モルゴースやエレインと取り引きを交わし、私達を聖杯城へと入れたのはオルトリートであったのに、気づきもしなかったのね。あの白い花、ブランシュフルールのように」
 哄笑したアンドロアルフェスから発せられる言葉がエルザの動きを封じていく。
「そんな、馬鹿な。オルトリート様は、ブランシュフルール様の姉君なのに‥‥」
「姉だからこそ、許せなかったのではなくて? 妹が聖杯の守護者に選ばれた事が」
 呪縛されたように動けなくなったエルザを、アンドロアルフェスが更に嬲る。
「勿論、少しぐらいは姉妹の情とやらが残っていたのかもしれないわね? 妹を殺すでなく、小鳥に変えるだけなんて」
 は、とユリアルはテーブルへと視線をやった。
 甲高く鳴いた小鳥の声が、エルザの呪縛を解く。
「ブランシュフルール様!?」
 モルゴースやデビルと手を組んだのがオルトリートであるならば、籠の小鳥は城主ブランシュフルールか。
 テーブルへと駆け寄ろうとした御門の行く手を、インプやアガチオンが遮る。
「退いて下さい!」
 クリスタルソードで群れて襲い掛かるデビルを切り捨てるものの、数が多い。
 囲まれた御門に助太刀するべく、燠巫が構えた忍者刀に薄桃色に光る手が触れた。
 怒りに満ちた表情で、アンドロアルフェスを見据えていたエルザが燠巫の刀にオーラパワーを付与したのだ。
「かたじけない!」
 短く礼を述べて、燠巫がデビルの群れへと切り込んでいく。
 その様子に、嘲りを込めた眼差しを向けていたアンドロアルフェスが飛び退った。
 トリスタンの剣先が、アンドロアルフェスの胸元を掠める。
「あら。危ないじゃな‥‥」
 余裕の表情でそれを躱したアンドロアルフェスが絶句した。
 彼女の胸元に、1本の剣が生えていた。
 それは、機会を窺っていた星花のアルマスだった。仲間達と共にデビルへと攻撃を掛けると同時に身を翻し、アンドロアルフェスへと体ごとぶつかっていったのだ。
「油断大敵よ」
 デビルを貫いた剣を引き抜くと、星花はそれを軽い仕草で払う。
 真空の刃が、群がるインプ達を薙いだ。
「おのれ‥‥」
 胸元を押さえたアンドロアルフェスが、鋭い爪で引き裂くべく星花へと飛び掛かった。
 そこへ、御門のクリスタルソードが、オーラパワーを付与された燠巫の忍者刀が、トリスタンの剣が、エルザの剣が一斉に突き刺さる。
 そして、星花のアルマスが。
 地面へと倒れ伏したアンドロアルフェスの頭上に、小さな小鳥が舞う。
「あの小鳥は‥‥」
 籠の中から小鳥を解き放ったユリアルの目の前、小鳥はゆっくりとその姿を変え始めた。

●聖杯を巡って
「オルトリート! 姉上!」
 小鳥から人へと姿を変えた女性は、そう叫ぶや否や、駆け出す。
 止める間もなかった。
「あの方が、リーズ城の城主、ブランシュフルール殿なのか‥‥?」
 尋ねるエスリンに、エルザは安堵を滲ませた表情で頷いた。猫の島から救出されたもう1匹の小鳥であった女性の体を支えながら。
「よかった。デビルの呪いは解けたのだ」
 ほっと息をつき、体の力を抜いたエルザに、小鳥に変えられていた女性は激しく首を振った。
「いいえ、まだです! エルザ、ブランシュフルール様にデビルの呪いをかけたのは、オルトリート様なの! オルトリート様がブラシュフルール様を!」
 言い募る娘に、エルザは唇を引き結ぶ。
「分かっています。貴女が、猫の島で我々の仲間に伝えてくれたから‥‥」
 宥めるようなユリアルの口調に、娘はわっと泣き伏した。
「ですが、詳しい事はまだ分かっていないのです。どうか、教えて頂けますか?」
 覗き込んで来る御門に、娘は戸惑ったようにエルザを見た。
 頷くエルザの表情は暗い。
「あの日‥‥ブランシュフルール様は、オルトリート様から招かれて、この庭を訪れました」
 彼女の動揺を表しているかのようにたどたどしい言葉だった。
「ずっと、不仲となったオルトリート様の事を気にしておられたブランシュフルール様は、以前のように‥‥姉妹、手を取り合って聖杯を護っていくきっかけになればと、その招待をお受けになって‥‥。ですが、この庭で待っていたのは、あのデビルでした」
『オルト姉様、これは一体どういう事なのですか!? 我らの使命は、聖杯を護る事! デビルなど』
『そう、聖杯を護って来た! ずっと! なのに、聖杯が選んだのは‥‥!』
 ブランシュフルールの襟を掴んだオルトリートの瞳が、狂気を宿してギラギラと光っていた様子を思い出して、彼女は身を震わせた。
『この城を継ぐのはあたしだった。聖杯に選ばれるのも! なのに、何故妹のお前が!』
 血を吐くかの叫びが、今も耳に残る。
「‥‥選ばれなかった者の悲しみ、か」
 呟いて、トリスタンは湖の中に聳えるリーズ城を見た。
 城に向かったブランシュフルールは、姉との再会を果たしただろうか。
 そして、王は、聖杯は、クエスティングビーストは‥‥。
「なぁ、トリスタン。聖杯が争いを呼んでいる‥‥そう思う事はないか? 人を救うはず鍵となるはずの聖杯が、かくも厳重に隠され、封印されている。そして、それを求めて人は争い、血を流し、悲しみを呼ぶ‥‥何故だろうな」
 ぽつりと漏らしたヴォルフの呟きに、トリスタンは目を伏せた。
「かもしれん。だが、流された血も、悲しみも、全てが無駄ではなかったと‥‥ジーザスが人々の原罪を贖う為に血を流したように、ジーザスの流した血を受けし聖杯を求めた全ての者達の苦難が神の国へと続く礎となり、我らを平安なる国へと導くのだと、私は信じたい」
 静かな彼の言葉に、冒険者達も祈りを込めて聖杯が安置されているという城を、マビノギオンを見上げたのだった。