魔都解放

■ショートシナリオ


担当:桜紫苑

対応レベル:10〜16lv

難易度:難しい

成功報酬:8 G 14 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月04日〜01月13日

リプレイ公開日:2006年01月17日

●オープニング

●願い
 ストールと石の飾り留めで着飾った雪人形を前に、彼女は微笑んだ。
 それは、彼女の何よりも大切な者が作った人形だ。
 小賢しい冒険者のせいで、彼女に不信感を抱いていたようだが、イーディスが連れて来た者達のお陰でぎこちなさも消えて来た。
「もう少しのご辛抱です‥‥。もう少しで、貴女様はお目覚めになる」
 うっとりと、雪人形をなぞる。
「その為ならば、あの忌々しい男も、汚らわしい忌み子も人間も、何でも利用致しましょうぞ」
 この時を夢見て、彼女は人の間に潜んできたのだから。
 慈しみ溢れる領主の顔をして。

●同時攻略
 その報せに、彼は一声唸ると頭を抱え込んだ。
「なんて事だ‥‥」
 助けにいった従者は、かの街の聖女を連れて諸悪の根源と共に去った。従者が苦心して残していった様々な手掛かりから行き先は知れたのだが、彼が受けた精神的ダメージは大きい。
 そこに、この報せである。
 ぐしゃりと髪を掻き回して、彼、アレクシス・ガーディナーは呻く。
 彼の従者がバンパイアと行動を共にしている理由は、彼にも何となく察する事が出来た。
 だからこそ、従者を信じて追撃の依頼を出すべく準備を整えたのだ。しかし。
「なんでツィアが‥‥」
 天然系脳天気娘な従妹の姿を思い浮かべ、溜息をつく。
 出来る事ならば、彼女は隠し遂したかった。
 この10数年、誰にも知られる事なく平和に暮らして来たのに。
 だが、今は嘆いている場合ではない。
「アレク、分かっているだろうが、今回は‥‥」
 古い馴染みの司教が、かつて見た事がない程真剣な顔で切り出した。
 彼が言いたい事は分かっている。
「一気に片付けないと、厄介な事になる。分かっているさ。イーディスとポーツマス領主は俺達が引き受ける。‥‥ツィアは任せた」
 書き上げた2枚の依頼書を受付嬢へと渡して、彼は冒険者達を振り返った。

●エレクトラ
「ポーツマス領主、エレクトラ。ポーツマスの人々を欺いてきた女バンパイアだ。恐らく、イーディスやモレスティドに現れたエルヴィラよりも厄介な相手だろう。何しろ、10数年も人々に疑問を抱かせる事なく騙し続けて来たんだからな」
 アレクの言葉に、冒険者達は頷いた。
「それに‥‥多分、イーディスよりも手強い。イーディスやエルヴィラは戯れで俺達と戦っていたフシが見受けられる。俺達を見下していたというか‥‥。だが、こいつは‥‥」
 一旦言葉を切り、アレクは視線を彷徨わせた。
 何と言うべきか逡巡して、やがて心を決めたように口を開く。
「バンパイアは、上位のバンパイアに絶対に服従するという。だから、エレクトラは退かない。何があっても」
 アレクの言わんとする意味は、分かるような気がした。
 考えたくないが、目の前に並んだ状況は彼らの予想が当たっている事を示しているのだ。
「こいつを倒さない限り、災厄は何度でも繰り返される。例え、ツィアが死んでしまったとしても、次の者を待って何度でも同じ事を繰り返すだろう」
 エレクトラは、確実に仕留めなければならない。
 だが、出来るだろうか?
 ポーツマスは、彼女の庭も同然。
 10年の歳月をかけて増やして来たスレイブもいる。
「イーディスの相手をする者と、アンドリューと共にツィアを押さえる者が同時に動く。逃げ場を無くし、追いつめる。どんなに狡猾な奴でも逃げ場を失えば余裕も失うだろう? そこを突くんだ」
 追いつめるまでが大変なのだが。
 しかし、アレクは出来る事を前提に語っている。
 冒険者ギルドに出入りし、彼らの働きぶりをつぶさに見、共に依頼をこなして来たからこその言葉だろう。
 その信頼を裏切るわけにはいかない。
「分かった」
 冒険者達は、もう一度、力強く頷いた。

●今回の参加者

 ea0029 沖田 光(27歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea0509 カファール・ナイトレイド(22歳・♀・レンジャー・シフール・フランク王国)
 ea0858 滋藤 柾鷹(39歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea3041 ベアトリス・マッドロック(57歳・♀・クレリック・ジャイアント・イギリス王国)
 ea3519 レーヴェ・フェァリーレン(30歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)
 ea4200 栗花落 永萌(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea4358 カレン・ロスト(28歳・♀・クレリック・エルフ・イギリス王国)
 eb2099 ステラ・デュナミス(29歳・♀・志士・エルフ・イギリス王国)

●リプレイ本文

●大切なものの為に
「絶対に許さないんだから!」
 小さな体を活かし、仲間より先行して飛ぶカファール・ナイトレイド(ea0509)は、空中で拳を握り締めた。
「カイりんの事、任せてって言ったのに、嘘付いてたの。たくさんの人を騙してたの、ひどいよね」
 ぷんぷんと怒るカファを後から追いかけて、栗花落永萌(ea4200)は苦笑した。
 苦笑するより他なかった。
「怒りに流されてはいけない。気持ちは、俺も同じですが」
 あの時、エレクトラの笑みに、彼女が被っていた善意の仮面に気づけなかったのは自分も同じ。まさか、こんな結果が待っていようとは、夢にも思わず、彼女が良いように計らってくれると信じた‥‥。
「許せない」
 エレクトラも、彼女を信じてしまった自分も。
 手の皮が裂ける程に強く拳を握り締めた永萌の様子を気遣うように見ていたベアトリス・マッドロック(ea3041)は、かける言葉を失って、一瞬だけ躊躇した。ベアトリスも、2人と同じ。気持ちはよく分かっていた。しかし‥‥。
「ほら、何やってんだい、永萌の坊主! 戦う前から傷をこさえるつもりかい?」
 永萌の襟首を掴み、彼の動きを止めるとベアトリスは立ち止まり、彼の握った拳を開く。
「傷はついてないようだね。‥‥10年以上も周囲を騙し続けているたァ、あの因業娘どころの話じゃないね。けど、それもこれで終わりだよ。そうだろう?」
「その通りです。もう二度と、繰り返させません」
 永萌の決意に、仲間達は強く頷いた。
「しかし‥‥やけに警備が手薄でござるな。カファ殿、スレイブは?」
 静まり返った城内に不審を抱いた滋藤柾鷹(ea0858)の問いに、カファは首を振る。天井ギリギリという敵に見つけられ難い位置で移動し、曲がり角の先まで確認して来たものの、敵の姿はない。
「もっとスレりんがいっぱいいると思ってたんだけど」
「恐らく」
 敵の姿がないという報告に、レーヴェ・フェァリーレン(ea3519)は足を止めた。
 乱れた髪を整え、武具と、携帯している品がいつでも使えるようになっているのかを確認して、彼は言葉を続ける。
「別班の者達が、派手に動いているのだろう」
 そういえば、と柾鷹は耳を澄ませた。
 城の中は全くの無音というわけではない。どこか遠くから微かに振動が伝わって来ているような気がする。
「ルクレツィア嬢とアンジェリカ嬢の救出に向かった者達は、ほぼ正面から突入するようだったし、イーディスを狙った者達も‥‥」
 イーディス。
 その名を口にしたレーヴェの眉がきゅっと寄せられた。恐らくは無意識であろうその反応に、沖田光(ea0029)は額に吹き出した汗を拭い、走り通しで少しあがった息を整えつつ、レーヴェの言葉を継ぐ。
「既に戦闘が起きているようですから、敵の戦力が分散されているのは間違いないでしょう」
 イーディスは大広間にいるらしいと、そちらへ向かった仲間。
 人らしき呼吸が感知された場所を目指した仲間。
 彼らの動きから、永萌が書き記した城内地図の経路を消していき、残ったの場所。領主の私室や貴賓の為の客間があるエリアか、もしくは、領主の執務室や謁見の間があるエリアか。
 どちらであるにしても、敵は最奥にいる。
 エレクトラの元へ辿り着くまでは、余計な戦闘は極力避け、体力と戦力を温存させておきたいところだ。スレイブがいないのは、彼らにとっても有り難い。
「だが、気を抜くな。ここにいないというだけであって、スレイブの全てが他方へまわっているわけではあるまい」
 仲間へ注意を喚起し、レーヴェは「それに」と心中で呟いた。
 エレクトラが己の周囲にスレイブを配備していないはずがない。だとしたら、彼女の周囲にいるのは侵入阻止の警備用スレイブではなく、それよりももっと役に立つ‥‥スレイブになる以前にも腕が立った人間、例えば彼女自身が指示して結成したとされる守護騎士団の成れの果てである可能性が高い。
 勿論、これは憶測に過ぎず、守護騎士団と少なからず交流があった者にはまだ言えない事だが。
「そうね。敵が城内に侵入して来ている以上、相手も警戒しているはずよ。スレイブが少ないのは、私達を油断させて、罠を仕掛けているからなのかも」
 注意深く周囲を見回していたステラ・デュナミス(eb2099)が、声を低くした。
 以前、侵入した時とは明らかに様子が違う。
 外周のスレイブ達を別班が引きつけていたからか、呆気なく城内へと潜入出来た。しかし、全てが順調過ぎる。
「あちらさんも手数が尽きたのか‥‥それとも、私達が踊らされているだけなのか。どちらにしても、ここに上位バンパイアが揃っているんですもの。レーヴェの言う通り、気は抜けないわね」
「奴らは狡猾ですからね」
 相槌を打った光の脳裏に過ぎる光景。
 それは、エルヴィラと名乗るバンパイアとの死闘の記憶。
「今回の相手は、規模も狡猾さもあいつとは桁違い‥‥。でも、だからこそ、僕達は負けられない」
 たった1体のバンパイアが起こした惨劇が、スレイブにされた人々の末路が、家族の嘆きが、今も光を苛んでやまない。もう二度と、あの悲劇は繰り返すわけにはいかない。仲間達も、そう決意しているはずだ。
「絶対に、ここで終わりにする」
「‥‥拙者も弟と、その友に約束したでござるよ」
 腰に履いた霞刀を確認して、柾鷹は目指す先を見据えた。
 まるで、そこに難き仇敵がいるかのような熾烈な光がその瞳に宿る。
「その意気だよ。聖なる母も、皆にご加護下さるさね。だが、いくらご加護があるからって、無理をするんじゃァないよ。万が一、奴らに噛まれたとしても、慌てるんじゃない。ブリジットの嬢ちゃんとアレクの坊主の口利きで、サウザンプトンの教会で治療を受けさせて貰えるよう、手筈は整えているからね。余裕がありゃ、カレンの嬢ちゃんが治してくれるだろうし‥‥嬢ちゃん?」
 不意に名を呼ばれて、カレン・ロスト(ea4358)は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「どうしたんだい、カレンの嬢ちゃん? 気分でも悪いのかい?」
 心配そうに覗き込むベアトリスに、カレンは2、3度と目を瞬かせた。
「カレン? 顔色が悪いけど、大丈夫?」
 ステラも尋ねて来る。
 見れば、仲間達も気がかりそうに自分を見ている。
「あ‥‥いえ、何でもありません」
「何でもないという様子ではないな。緊張し通しだったから、疲れたか?」
「カレンさん、具合が悪いなら遠慮なく言って下さいね? 僕達、仲間なんですから」
 彼女の身を気遣って言葉を掛けて来るレーヴェと光に、カレンは頬を染めて俯いた。
「あの、本当に大丈夫です。ただ‥‥」
「ただ?」
 静かに、言い淀んだ言葉を繰り返した永萌に、泣き笑いの表情を向ける。
「光さんも言っていましたが、我々は仲間です。言いたい事があるなら言ってもいいんですよ」
 促す言葉の穏やかさに、カレンは再び項垂れた。
 柾鷹や光と視線を交わし、永萌は寂しげに微笑む。
「やはり女性同士の方が話しやすいでしょうか。ベアトリスさん、ステラさん‥‥」
 女性陣を振り返った永萌は、袖を引かれる気配に動きを止めた。
 項垂れたままのカレンが、いつの間にか永萌の袖をぎゅっと握り締めている。
「私‥‥私は」
「はい」
 顔を上げずに、カレンが口を開いた。少しだけくぐもって聞こえる小さな呟きに、永萌と彼らの周囲に集まった仲間達は耳を澄ます。
「私は、吸血鬼に血を吸われた方を救いたくて、修行をして来ました」
 スレイブ化を防ぐ為には、スレイブになりかけた者が死に至る程に浄化の力が必要となる。
 修行の甲斐あって、今ではカレンの浄化能力は普通の大人程度の体力を持つ者を癒せるまでになっている。けれど、それは同時にカレンの中に戸惑いを生み、バンパイアと再び相対する今になって噴出したのだ。
「私は、私の守りたいものの為に力を磨いて来ました。同じように、エレクトラ‥‥吸血鬼である彼女にもきっと守りたいものがあって、その為に‥‥」
「カレンさん」
 肩に置かれた手に、カレンは体を震わせた。
 バンパイアに同情していると取られてもおかしくはないという自覚はある。
 戦いを前に、仲間の気勢を削ぐなと怒鳴られるか。
 それとも、戻れと言われるか。
 体を硬くしたカレンに、永萌は苦笑を浮かべた。
「そうなのかもしれませんね。ですが」
「守りたいという気持ちは同じでも、目指すものはどうしてこんなに違うのでしょうか」
 永萌の言葉を遮って、カレンは一息に捲し立てる。
「同じように、大切と思う気持ちを持っているのに!」
「カレンは優しいのね」
 そう呟いたのは、カレンの肩に手を置いていたステラだった。
 違う。そんなんじゃないとカレンは頭を振った。ただ無性に切なかった。
「俺達とあいつらの間に善悪なんてない。あるのは、ただの生存競争だ」
 冷静に、淡々と告げたのはレーヴェであった。
「牛や鳥は植物がどんな思いで根を張り、葉を広げたかなんて考えもしない。俺達も、牛や鶏の気持ちも都合も考えないし、理解しようとしない。それと同じだ。食べられたくなければ逃げ、死にたくなければ食べるという事だけ‥‥」
 永萌の袖を掴むカレンの手に力が籠もる。
「だが」
 レーヴェの声が和らぐ。
「俺にも守るべきものがある。だからこそ、勝たなければならない」
 薄暗闇で、振り仰いだレーヴェの表情までは確認出来なかったが、多分、彼は今微笑んでいるのだろう。
「大切な者達の笑顔を守る為に」
「‥‥はい」
 肩に置かれた手は温かく、袖を掴んだ手は振り払われる事もない。
 緊迫した敵地であるはずなのに、迷いを感じた自分を案じてくれる仲間がいる。そして‥‥。
「もう、大丈夫です」
 ゆっくりと立ち上がり、カレンは一言一言に思いを込めつつ、顔を上げた。
「レーヴェさんは生存競争とおっしゃいました。確かにそうなのかもしれません。ならば、私は大切な人達の為に、その競争に勝ち抜かなければならないんでいよね?」
「カレンの嬢ちゃん‥‥」
 ぎゅうと抱き締めて来るベアトリスに、うにゃあと子猫が鳴くような声が漏れる。
「ベ‥‥ベアトリスさんっ! 生存競争を勝ち抜く前に、カレンさんが窒息しちゃいますよっ」
 慌てて引き離してくれた光の肩で、カファはやれやれと溜息をついたのだった。

●魔都解放
 謁見の間に、彼女はいた。
 いつか見た時のまま、穏やかな微笑みで彼らを迎え入れた。点された蝋燭が、それまでの薄暗く、不気味な廊下とは別世界のように煌々と室内を照らし出している。
 けれども、と柾鷹は刀の柄を握り直した。じっとりと汗を掻いた手のひらで、ともすれば刀が滑りそうになる。
―どこよりも深い闇‥‥でござるな‥‥。
「エレクトラ」
 それぞれに得物を構える仲間達が引いたラインから1歩歩み出て、永萌は真正面の敵を見据えた。
「我々は、貴女の望みを打ち砕く為に来ました。貴女が求めたものは、決して実現しない。‥‥いや、させません」
 それでも、エレクトラの笑みは消えなかった。
 慈しみ深い、聖なる母のように全てを包み込む笑みだ。
 邪悪なバンパイアの笑みとは思えない。
「貴女のその笑みに、俺も騙された‥‥。今は、見抜けなかった自分が不甲斐ないと思いますよ」
 そっと、エレクトラは目を閉じた。
 警戒している素振りはない。
「僕達では役不足、とでも?」
 光の問いに、上品な口元が吊り上がった。尖った犬歯が、捲れ上がった唇から覗く。
「ならば、拙者達を甘くみた事、後悔させてやろう!」
 気合いと共に、柾鷹は霞刀を振りかざした。エレクトラの間近まで走り寄ると、地を蹴り、全身の力を刀に乗せて斬りかかった。
 その直後、響き渡ったのは鈍い金属音。
「貴殿らは‥‥」
 瞬時に判断して、飛び退った柾鷹が呆然と呟く。
 柾鷹の刀を受け止めたのは、剣を持ったスレイブだ。
「‥‥ウィリアムさん‥‥」
 信じられないと、ステラが首を振る。
 ポーツマスを守る為、最後の最後まで市民の盾となった守護騎士団の団長、ウィリアム・カーナンズ。ポーツマス市民を永萌やステラに託し、追っ手を防いだ彼と騎士団員達が、今、災厄を呼び込んだ原因を守る為に冒険者へと剣を向けていた。
「なんてこった、ウィリアムの旦那‥‥」
 呻いたベアトリスの声も、ウィリアムの耳には届いていない。
 赤く狂気を帯びた瞳と、がちがちと鳴らされる牙。
 そこにいるのは、ウィリアムと守護騎士団の姿をしたスレイブだ。
「なんと惨い事を」
 声を搾り出し、レーヴェは大いなる神への祈りの言葉を唱える。
「だが、何度大いなる父に祈ったところで、バンパイアの支配から解放せねば魂が真に安らぐ事はない」
 ジャイアントソードを構え、レーヴェは背後の仲間達を見遣った。
「手を出すな」
 言い置いて、彼は振りかざした剣で守護騎士のなれの果てを切り裂く。しかし、スレイブとはいえ、相手は鍛錬を積んだ者。レーヴェの隙をつき、倒れた1体の陰から飛び出して来たもう1体が襲い掛かる。
 そして、更にもう1体が。
 レーヴェへと向けられた剣を受け止めたのは、柾鷹だった。ぎりぎりと音がなるぐらいに競り合い、何合か打ち合うと、彼は後ろへと飛び退る。
「手を出すなと言った。こいつらは俺が‥‥」
 冷たく言い放つレーヴェに、アイスチャクラの呪を完成させた永萌が首を振る。
「お気遣いは無用です。‥‥エレクトラの支配から解放する事こそが、彼らへの手向けなのでしょう?」
 変わり果てた姿となった守護騎士を、交流あった者達に討たせまいとしたレーヴェ。
「こうなる事は、予期出来たはずでした。ですが‥‥」
 あの日、残っていた市民を救出した時を最後に、守護騎士の噂は消えた。それが何を意味するのか、分かっていて、あえて目を逸らしていたのではないだろうか。呟いた永萌に、ベアトリスも唇を噛む。
「仕方がないって言葉で済ませられない事だけど、仕方がないわ。せめて、私達で神の御許へ送ってあげましょう」
 血を吐く思いで、ステラは言葉を唇に乗せた。
「ほほほ。最後の別れとやらは済みましたか?」
 羽根扇がそよと風を送る。
 彼らの苦渋の決断を、見物していたらしいエレクトラは優雅に首を傾げて笑った。
「人間とは、情に流される愚かな生き物‥‥。夫を亡くした妻が、夫に代わってポーツマスを守ると言えば健気と感激してくれたものです。あまりに呆気なく陥落してくれたので、物足りないぐらい。少し考えれば分かりそうなものを」
 エレクトラの笑みが嘲笑へと変わる。
「バンパイアに襲われた領主夫婦。無傷であった妻を疑いもせぬ人間どもを懐柔するのは簡単であったわ」
「エレクトラ‥‥」
 今すぐにでも、斬りかかり、守護騎士やポーツマスの人々の無念を晴らしたい衝動を抑えて、柾鷹は荷から弓を取り出した。
 相手は狡猾なバンパイア、しかも貴族と呼ばれる上位種だ。力押しで勝てる相手ではない事は、先のエルヴィラとの戦いでも分かっている。
 ちらりとステラと視線を交わし、柾鷹は弓を構えた。
「愚かな事。この部屋の中で弓など‥‥」
 弦を弾いた音がエレクトラの言葉に重なった。
 彼女の目が、僅かに見開かれる。
「これは‥‥」
「逃げ道、塞がせて貰うわ!」
 印を結び、小さく呪を唱えていたステラが両の手を解放した。その手に湧き出したのは、透明な水。
「何をする気‥‥」
 水の固まりが扉へとぶつけられる。
 すばやく扉を閉じると、ステラは再び呪を唱えた。
 みるみるうちに扉が凍り付く。
「これで、逃げ道は無くなったわね。太陽の光を厭い、窓を全て塗り込めた事が裏目に出たってところかしら?」
 だが、顧みたエレクトラは余裕の笑みを浮かべていた。
「逃げ道が無くなったのは、そなた達も同じこと。私は、そなた達に我が洗礼を授けて後、ゆるりと扉が開くのを待てばよい‥‥」
 そろりと、エレクトラは手を動かした。
 その指先が示したのは、正面に立つレーヴェだ。
「まずは、あの者を」
 守護騎士であったスレイブの群れが揺れる。
 動揺した様子もなく、レーヴェは不敵な笑みを口元に乗せた。
「俺を欲するならば、高くつくぞ?」
 剣の切っ先を向ける。
 スレイブに、ではない。エレクトラに、だ。
「大きな口を叩いた事、後悔させてあげましょう」
 レイピアを構えるかのように、レーヴェはジャイアントソードを水平に構えた。彼の動きを警戒したスレイブ達がぞろりと動く。動じる様子なく、足の裏を床から離さずに、間合いを詰める。
「‥‥光!」
 彼の体が横へとずれた。
「皆さん、避けて下さいね!」
 背後で息を潜めていた光が、完成させた呪を解き放つ。その射線上、遮る物は何もない。
 一撃で、スレイブ達は爆炎に包まれた。
 咄嗟に腕を上げて顔を覆ったエレクトラも、例外ではない。
 室内の温度も上昇する。氷漬けの扉も、汗を掻き始めたようだ。
「‥‥もう一撃、放ってみるがいい」
 爆炎を手で払って、エレクトラは底冷えする表情を冒険者達へと向けた。優位にあると信じ、彼らを嘲った時の余裕は消え去ったようだ。
「次は、そなた達とて無事では済むまい」
 肉が燃える匂いが室内に立ち込めた。体が焼けたのにも躊躇せず、スレイブ達が腕を伸ばして来る。胸が悪くなるような悪臭に顔を顰め、それでも光はエレクトラを真っ直ぐに見据えた。
「エレクトラ! もうこれ以上、吸血鬼による災厄は繰り返させない! 人々の平和は僕達が守る! それが、あいつを追いかけ始めた時からの、僕の誓いだ!」
 その視線を、決意を、エレクトラは鼻で笑った。
「誓い? 誓いならば、私にもある。もう1度、我が都を。あの日、焼け落ちた我が都を取り戻す‥‥。このポーツマスに」
 夢見る少女の如き表情で、エレクトラは恍惚と語る。
「そして、新しき長と共に、永久の夜の国を打ち立てるのです‥‥。そう、長と共に、いずれはアーサーのキャメロットを滅ぼし、全ての思い上がった人間どもに身の程を教えてやりましょう。真の支配者が誰であるのかを」
「残念だけど、長とやらは、もうここにはいないと思うわよ」
 爆ぜた炎が巻き起こした風で乱れた髪を整えて、ステラがあっさりと告げた。
「今頃、私の仲間達が助け出して城の外ね、きっと」
「‥‥今、ここでお別れしようとも、私は必ずあの方のもとへ辿り着く。あの方を見つけたから」
 そう、と気のない返事を返して、ステラは扉へと視線をやる。氷は、溶け始めているようだ。封じの役目を果たさなくなる時は、そう遠くない。そろそろ、決着をつけたい。
「でもね、貴女に彼女の後を追わせるつもりも、ないのよね」
 彼女の手から放たれた吹雪がスレイブを襲う。
「熱そうだったから、冷やしてあげたのよ。どう? 涼しくなった?」
 それでもまだしぶとく向かって来るスレイブに、柾鷹が床を蹴る。同時に、永萌もアイスチャクラを放った。さしもの守護騎士も、重なるダメージに力尽きたようだ。次々と、倒れ伏していく。
「これで、貴女を守るスレイブ達はいなくなりましたよ」
 床に落ちたアイスチャクラを取り上げて、永萌はエレクトラを真正面に見た。
「貴女には、色々と申し上げたい事があったんですよ。例えば、カイ‥‥の事とか」
「小さい事をいつまでも‥‥」
 エレクトラの嘲りに、血が頭に上る。それを理性で押さえつけ、永萌はまた1歩踏み出した。
「貴女にとっては小さな事なのでしょう。ですが、俺は、彼の‥‥異端として囚われた人々の無念を晴らす為にここに来た。いや‥‥違う。これは、貴女を信じてカイを死なせてしまった俺の、私怨です」
 ふふ、とエレクトラは小さく笑った。笑って、腕を広げる。
「そうですか。では、もっと近くへいらっしゃい。貴方の私怨とやらを晴らす為に」
「ええ、そのつもりです」
 恐れる様子もなく、永萌はエレクトラへと近づいた。
 近づく永萌に、エレクトラの瞳が赤く輝きを増す。
「そう、もっと近くに」
「永萌!」
 レーヴェが叫んだ。
 咄嗟に身を沈めた永萌の頭上、今の今まで天井近くで張り付いていたカファが小さな体をめいっぱい使って、小さな礫を放つ。それは狙い違わず、エレクトラの胸に吸い込まれた。
「ぐ‥‥っ!」
 胸元を押さえたエレクトラの手から、ホーリーシンボルが転がり落ちる。
「レーヴェりんや鷹りんにオーラのパワーかけて貰ったもん! とってもとっても痛いよね!」
「貴様‥‥」
 血走った目が、宙に留まるカファを睨んだ。牙を剥き出しにして、エレクトラはシフールの礫が埋まった胸を押さえる。
「治したって無駄だよ! バンパイアのせいで、もう誰も怖い思いしないで済むように‥‥この戦いで本当に最後にするんだもん!」
 高らかな宣言と同時に、エレクトラを新たな衝撃が襲った。
 白く、清らかな光が彼女の目を射抜いた。
「こ‥‥これは‥‥」
 白光の元を探して視線を走らせた先、光に肩を抱かれ、聖なるロザリオを掲げたカレンの姿がある。
「終わりに致しましょう、エレクトラ。聖なる母の慈しみのもと、全ての悲しみが癒されますように‥‥。この地に満ちる怨嗟も、全て浄められますように」
 光のフレイムエリベイションの力も借り、最大限にまで高められたカレンのピュアリファイがエレクトラを包み込む。
「そんな、私が‥‥私が‥‥ッッッ!!」
 声にならない絶叫が、空気を揺らした。
 ぎゅっと目を瞑ったカレンの目から、一筋、涙が零れ落ちる。
 そして、清らかな光はやがて光度を下げて、緩やかに元の明るさへと戻っていった。
「‥‥エレりん、死んじゃったんだよね‥‥」
「うむ、これで‥‥ポーツマスは解放されるでござるよ。弟も、安心するでござる」
 肩に降りたカファの頭をくしゃりと撫でて、柾鷹はしばし黙祷を捧げた。
「ぐ‥‥が‥‥」
「‥‥ウィリアムの旦那‥‥」
 床で足掻いていたスレイブへと歩み寄ると、ベアトリスは泣き笑いに近い表情を浮かべた。
「さすがは守護騎士団長だねぇ。‥‥こんなになっても」
 他のスレイブ達は、ファイヤーボムやアイスブリザード、そして、その後の攻撃によって倒れたというのに、鍛えあげられた彼だけはまだ生きて‥‥いや、囚われているようだ。ベアトリスの血を求め、必死に腕を伸ばし、牙を鳴らす「彼」の為に、ベアトリスは胸元の十字架へと手を当てた。
「安心おし。バンパイアの呪縛から解放されたら、きっと聖なる母の愛のもとで眠れるからね」
 ベアトリスの呪が、呪われた死に満ちた部屋に流れる。
 それは、子供達を眠りに誘う子守歌のように慈しみに溢れ、母の腕の中を思い出させる大らかで、安心感に満ちた祈りだ。
「ゆっくりお休み、ウィリアムの旦那」
 動かなくなったスレイブの瞼を、ベアトリスはそっと閉じてやった。

●鬨の声
「終わった‥‥な」
 ジャイアントソードをおろして、レーヴェが呟いた。
「終わったでござる」
 澄んだ音を響かせて、霞刀を鞘へと戻した柾鷹がその言葉に頷いた。
 10年以上に渡って人々を騙し、恐怖によって人の心を惑わして来たバンパイアは消えた。
 死者の都と化したポーツマスも、いつか元の活気溢れる港町に戻るだろう。
「‥‥終わったんだぁ‥‥」
 柾鷹の肩の上、呆けて天井を見上げたカファの声に、エレクトラの残骸を見つめていた光が振り返った。
「でも」
 その顔に、太陽のような笑みが戻っている。
「僕‥‥僕達にとっては終わりではないと思います。これからも、困っている人達の為に、いつでも、何処でも力になりたいから‥‥。皆の笑顔を守りたいから」
 そう。
 この地を覆っていた忌まわしい霧は晴れた。
 いつか、この時の話は、親が子に語る昔話として語り継がれていくかもしれない。
 だが、1つの悲劇に終止符を打った彼らには、遙か先へと続いていく未来があるのだ。
 立ち止まってなんかいられない。
「そうね。じゃあ、過去から足を踏み出して、お日様の下で勝ち鬨でもあげましょうか」
 自分の提案に、賛成と気勢を上げた仲間へと微笑みを向けると、ステラは扉に手をかけた。
 ガタン、と扉が揺れる。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥あら?」
 もう一度、力を入れてみた。
 扉を覆っていた氷が溶け、滴となってステラの手を濡らす。
「‥‥‥‥‥‥‥‥ステりん‥‥‥‥‥もしかして、扉の間の氷、まだ溶けてないんじゃあ‥‥?」
 意気揚々引き上げようとしていた仲間達に沈黙が落ちた。
「お‥‥おかしいわねぇ? 手で開けられるくらいには溶けてもいいはずなんだけど」
「そういえば、吹雪で一気に室温を下げませんでしたか?」
 ぽつり、永萌が冷静に指摘する。
 おほほ、と冷や汗を浮かべながらステラは笑って誤魔化した。
「ま、まぁ、こんな事もあるわよ。ね? 後はよろしくね」
「え? え? えぇっ!? 僕ですか!?」
 それまで爽やかに決意を語っていた光のこめかみにも汗が伝う。
「当然でしょ。火の魔法を使えるのはあなただけなんですもの」
 さも当然のように言われて、光は途方に暮れた。
「火の‥‥って、扉を吹き飛ばすわけにもいかないし‥‥一体どうすれば‥‥っ!?」
 深く深く溜息をついて、光はクリスタルソードで地道に氷を削り始める。
 その姿に、仲間達の間に失笑が広がり、やがて明るい笑い声へと変わっていった。
 それは、陰惨な悲劇の終わりと、新しい旅立ちとを告げる鬨の声となったのだった。