●リプレイ本文
●宴の支度
籠に積まれた野菜を前に考えること数分以上。
頬に当てた手を下ろして、御法川沙雪華(eb3387)は小さく溜息をついた。
「やっぱり、これも頂きます」
気を揉みながら、沙雪華のその一言を待っていた店主が小躍りしつつ、籠の中身を全て荷物持ちが提げた麻袋へと移す。ずしり、と腕に加わる重み。
「大丈夫ですか?」
気遣う沙雪華に、これぐらい軽い物だと笑って返したのは男の意地か。
「そうですか? よかった。実は、果物が少し足りないような気がしていたのです。それに、やっぱりお酒も用意しませんと」
再び、憂慮の吐息を漏らして、沙雪華は足を止める。
「やはり、先ほどの露店に戻りましょう? ああ、でも、その前に行ったお店の方が新鮮だったかしら?」
‥‥この日、彼は女の買い物と化粧には時間が掛かるという永遠の真理を、身を以て知る事となった。
それでも、奥ゆかしい大和撫子、沙雪華がついつい買い物に夢中になるのには理由がある。
イギリスへとやって来て半年近く。
その頃のキャメロットの冒険者ギルドは、聖杯探索や続けざまに起きる様々な事件で依頼状が壁一杯に貼り出されており、冒険者達も西へ東へと息をつく間もない程に走り回っていたのだ。到着したばかりの沙雪華も例外ではなく。
考えて見れば、走り通しに走った半年だった。
まるで、乗り手を振り落としかねない暴れ馬に乗っているような、激流を下っていくような、そんな半年。
沙雪華達、冒険者の働きにより、クエスティングビーストは聖杯の力を得て元の姿へと戻り、アヴァロン‥‥アトランティスと呼ばれる新世界への道も開けた。気がかりだった事件も一段落し、ようやくイギリスにゆるりとした時間が流れようとしている。
そんな中で行われる新しい年の言祝ぎを兼ねての宴に、知らず心が躍る。
キャメロット中を回ったと言っても過言ではない買い物道中の疲れも感じないほど、足取りも軽い。両手も軽い。
その上、アーサー王の覚えめでたい(らしい)円卓の騎士(お金持ち)トリスタン・トリストラムが出資してくれたお陰で懐も暖かい。心おきなく買い物道を極められるというものだ。
「あら? これはジャパンの品ね。まだ残っていたなんて、なんて幸運なのでしょう。‥‥月道を通っただけあって、さすがにお値段も‥‥。おじさん、もう少しまけて下さらない?」
なお。
いくら懐に余裕があっても、とりあえず値切らなくてはならない。それが、買い物の楽しみというものだ。
そんなこんなで、会場となる酒場へと沙雪華が戻って来たのは、夕方近くとなっていた。
小さくもなく大きすぎることもない。仲間が少々羽目を外しても大丈夫。夜通し騒いでも怒鳴り込まれる事のない、宴の会場にはもってこいの酒場。この酒場を会場に選んだのも沙雪華である。
「すっかり遅くなってしまいましたね。早くお料理作らないと、他の皆さんも‥‥あら?」
酒場の扉を開けようとしている影に、沙雪華ははてと首を傾げた。
宴は夜からと通達されている。準備の全権を握っ‥‥もとい、託された沙雪華と荷物持ちは別として、参加者にしては早いような‥‥。
「失礼ですけれど‥‥」
遠慮がちに声をかけた沙雪華に、その人影はゆっくりと振り返った。
大きな籠を大事そうに抱えた青年は、ギルドで見た事がある冒険者、ユリアル・カートライト(ea1249)だ。
靴もローブも泥だらけ。髪には木の葉が絡みつき、頬にも乾いた泥がこびり付いている。
「泥だらけですよ? どうなさったのですか?」
「森の食材を集めて来たんです。今日はごちそうを頂けるという事で楽しみにしていたんですけれど、それだけでは申し訳ないので、何か料理でもと思いまして」
おっとりと返したユリアルのお日様のような笑顔に、沙雪華も顔を綻ばせた。
「それは楽しみですね。それで、何を作って頂けるのでしょうか」
酒場の前、参加者同士の聞いているだけで和やかな会話。
キャメロットに穏やかな時間が訪れたのだと実感する光景である。
ただし、沙雪華の背後でだらだらと脂汗を流している荷物持ちを視界に入れなければ、の話だが。
しとやかなジャパン美人の柔らかな口調に期待が込められている事を感じ取って、ユリアルは頬を僅かに赤らめた。こんな場合は、頭を掻きつつ「えぇとぉ」などと照れてみせるのがお約束だろう。
しかし、生憎とユリアルの両手は塞がっている。
その代わりにとばかりに、上気した頬に3割増しの笑みを乗せる。
「料理は不慣れなのですけれど。‥‥森の食材を使った、エルフに伝わる家庭料理など、いかがでしょうか?」
「まぁ! それは素敵ですわ。楽しみに致しておりますね」
ユリアルの微笑みに、沙雪華の母笑み返し。
イギリスは、只今冬真っ盛りであるが、ジャパンでは年が明ければ春になると聞いた事がある。
‥‥と、荷物持ちのアシュレイ・カーティスはぼんやりと考えた。
その場だけ、まるで小春日和。
吹きすさぶ寒風も、紫色に変わった指先も全て忘れて、彼は一時の逃避に走った。
●道、別つとも
会場の酒場は、参加者で混雑していた。
楽しげに談笑する者、料理に舌鼓を打つ者、酒をかっくらう者と、彼らはそれぞれ思い思いに過ごしていた。
酒が回れば舌も回る。ついでに、気も大きくなるものだ。
「よーし、今からキャメロット城へ行ってぇ、アーサー王をお招きしてくっぞぉぉぉぉ!」
「いーぞいーぞー! 王妃様もちゃあんとお招きしてこぉぉぉい!」
1人が宣言すれば、周囲はやんややんやと無責任に囃し立てる。まぁ、酔っ払いとはそんなものであるが。
「‥‥さすがに、それは止めといた方がいいと思いますよー」
聞こえていないであろう事を承知で、カルノ・ラッセル(ea5699)は盛り上がる冒険者達へと声を掛けてみた。
「一応、忠告はしておきましたからねー。後は、自己責任ですからねー」
いざ、突撃!
腕を振り上げ、先頭をきって走り出した冒険者の襟首を掴んで引き戻したのは端整な顔立ちの男だ。
トリスタン・トリストラム。
アーサー王の円卓に名を連ねる騎士であり、竪琴を片手にふらふら放浪している冒険者でもある。
「あ〜、トリスタン〜‥‥も美人さんなんだがなぁ」
なんだ、今のあからさまな落胆ぶりは。
興味深く様子を見守っていたカルノは、次の瞬間、竦み上がった。
背後から感じるとてつもないプレッシャー‥‥。
室温が、一気に下がったようだ。
一体何事が?
恐る恐る振り返ったカルノは、青白い稲妻を見た! ような気がした。
「‥‥新年ですし、宴の席ですし、依頼でも色々と頑張ったようですので」
ふふ、と笑ったステラマリス・ディエクエス(ea4818)に、カルノは慄然とした。笑っているのに何故だろう。彼女の周囲で稲光がスパークしているように感じるのは。
「多少の事は目を瞑って差し上げますわ」
‥‥慈母の笑みが、どす黒く見える。
「これは如何なるマカフシギ‥‥」
近づかない方が身のためと、気にしながらもその場を離れたカルノは、今度は何かにぶつかって強かに鼻を打ちつけてしまった。
「あいたたたた」
「大丈夫か?」
頭上から降った美声に、カルノははたと顔を上げる。
間近で見る美貌に、彼は思わず呟いた。
「神様ってずるいですよね」
面食らった様子のトリスタンに、カルノはにっこり笑って羽根を広げた。
「失礼致しました。‥‥お久しぶりです、トリスタン卿。この度はありがとうございます」
「‥‥いや」
胸に手を軽くあて、軽く頭を下げたカルノに、トリスタンは一拍の間の後に一言だけ言葉を発した。何に対する礼なのか、すぐには判断がつかなかったらしい。そんな事は気にせずに、カルノは手を伸ばし、さらりと流れる金色の髪を一房手に取った。
絹糸のような手触りのそれは、蝋燭の光を受けて少しばかり赤みを帯びて見える。
「実はですね、私、連れとはぐれてしまったんです」
編み編みと金糸で三つ編みを作りながら、カルノは困ったように告げた。
「私の欲しい料理を持ってきてくれると言って離れてそれきり。トリスタン卿、ご存じありませんか?」
「連れ、とは誰の事だ?」
カルノの手慰みを咎める事もなく、トリスタンは問うた。宴の主催者でもある彼が、今宵、言葉を交わした者は10人や20人ではない。少し眉を顰め、記憶を辿るトリスタンに、カルノは連れの特徴を伝えた。
短い言葉で、端的に。
「トリスタン卿の事をリスちゃんって呼んでます」
「‥‥ああ」
得心した、とトリスタンの表情が告げていた。
彼の事を「トリス」と呼ぶ者は多いが、「リスちゃん」と呼ぶのは1人しかいない。
「先ほど、菓子の卓辺りでいたと思うが」
「お菓子‥‥ですか。やれやれ」
豪勢な料理を堪能し、美酒に酔いたいカルノと「連れ」の目的は少々違っていたようだ。どうりで料理卓の周辺を探しても見つからないはずだ。身の丈の倍以上もある長く細い三つ編みを完成させると、カルノは菓子や果物が置かれている卓を探す。
「ああ、本当ですね。居ました。‥‥ソウェイル!」
彼の声に振り返る人影。
暢気に手なぞを振ってくる様子に、カルノは溜息をついた。
「私はお肉が食べたいと言ったんですが〜?」
ちょっとだけ言葉に混ぜた非難の響きに気づきもせず、彼は会場の隅に見知った人影を見つけて歓声を上げた。
「あっ、みーちゃん!」
壁際に置かれた椅子に腰掛けた滋藤御門(eb0050)がその声に微笑む。その笑みがどこか寂しげである理由を、カルノは知っていた。
「まだ、戻って来ないんですか?」
「はい‥‥。そろそろ戻って来てもいい頃なのですが」
ギルドと宿に伝言を残して来た。だから、彼らがキャメロット戻って来たら、ここへ来るはずだ。
表情を曇らせた御門の肩を、傍らに座っていた娘が励ますように叩く。言葉に出さずとも思いが通じるのは、彼らが互いに同じ気持ちでいるからだろう。
「大丈夫ですよ。きっと、もうすぐ「ただいま」って戻って来ま‥‥」
再び、嬉しげに声を上げた連れの襟首を掴んで、カルノは引き攣り笑顔を近づけた。
「さすがに、アレに近づくのはどうかと思いますが?」
アレ、という言葉が指し示すものに興味を引かれた御門達とトリスタンとが首を巡らせ、数瞬の後に納得した。
「あんなトコロに割って入るなんて、命知らずです。暴れ鶏の喧嘩の仲裁に入る方がまだ楽というものですよ!」
「‥‥ちっちゃいって事は大変なんですネ‥‥」
めっ、とソウェイル・オシラを叱ったカルノに、御門がしみじみと呟く。同意を込めて深く頷いたトリスタンに、そういえばと御門は威儀を正して向き直った。
「トリスさんに、ちゃんとご挨拶をと思っていたんです」
浮かれ騒ぐ仲間達に柔らかな視線を投げ、御門は静かに頭を下げる。
「御門?」
怪訝そうなトリスタンに、はにかんだ笑みを浮かべる。
「落ち着いたら、兄上と一緒に国元へ帰ろうと思っているんです。それで、お世話になったトリスさんにご挨拶を、と」
そうか、とトリスタンは呟いた。
「トリスタンさんや皆と出会ってからこの方、本当に楽しかったです。色々と良い経験もしましたし。お別れするのは寂しいですが‥‥」
「国が違っても、我々は何も変わらない。力無き者、困っている者の求めに応じて手助けをする」
「‥‥はい!」
御門がようやく明るい笑みを見せる。
イギリスにいても、故郷に戻っても、ここで培った絆は消えない。トリスタンとも、キャメロットのギルドや依頼で出会った人々とも。それは御門にも分かっていた事だが、寂寥感と漠然とした不安とが大きくなって、確信が持てなくなっていたのだ。
「ありがとうございます、トリスさん。どうぞお達者で‥‥」
ふと目元を和らげると、トリスタンは腰に履いていた剣を外して御門へと手渡した。
「あ‥‥の?」
「餞別だ」
素っ気ない一言だったが、それで十分だった。
渡された剣を胸にしっかと抱いて、御門はもう1度、深々と頭を下げた。
●料理のススメ
「トリス! ハッピーニューイヤーなんである♪」
大きな林檎を抱え、文字通り飛んで来たリデト・ユリースト(ea5913)を咄嗟に手で受け止める。そのままでは頭に直撃していたであろう。さすがはトリスタンと、思わず拍手を送ると、逢莉笛舞は表情を改めた。
トリスタンの元に届いている情報だけでは、まだ判断する事は出来ないが、最悪の事態は免れたらしい。それでも、敵地へと赴いた仲間の身が心配だ。彼らが戻り、早く元気な姿を見せてくれればいいのだが。心中、祈るように呟いた彼女に、「大丈夫」とリデトは胸を張った。どうやら、彼らを案ずる気持ちが顔に出ていたらしい。
「皆、冒険者としての技能だけでなく心も強いんである。だから、大丈夫なのである!」
「そうですね」
何種類かの料理を盆に乗せたユリアルが、自信満々のリデトの宣言に同意する。詳細はまだ不明でも、依頼が成功したというのならば大丈夫だろう。彼らはそのうち、晴れがましい笑顔で戻ってくるに違いない。
「私もリデトさんの意見に賛成です。幾つもの依頼を色んな人とご一緒して来た経験から申し上げるのですが」
「なのである!」
同志よ!
林檎ごと飛びついて来たリデトを、首を動かして避けると、ユリアルは近くの卓に盆を置いた。
「そうだな。私の杞憂のようだ」
寄せていた眉を解いて、舞は並べられていく料理を何気なく覗き込んで動きを止めた。
固まった彼女を怪訝に思ったのか、それとも興味をひかれたのか。卓まで飛んで行ったリデトの羽根の動きも止まる。
「‥‥‥‥ユリアル、これは何なのであるか‥‥」
「エルフに伝わる家庭料理です」
へぇ、そうなのかぁ‥‥。
「って、納得してはいけないのであるッ!」
ぶんぶんと頭を振って、ユリアルへと詰め寄るリデト。
「エルフの家庭料理は全部こんなんであるか!? これは本当に食べられるのであるかッ!?」
「いやですね、人聞きの悪い」
人当たりの良い笑顔でリデトの心配を切り捨てて、ユリアルは幾つかを小皿に取り分ける。
「これでも、植物知識や毒草知識にはちょっと自信があるんですよ。食べられないものなんて入ってません。はい、どうぞ」
皿を受け取ったトリスタンが、何とも奇妙な表情をした。
「見た目が派手なものも入ってはいますけれど、栄養価が高いものなんですよ」
はい、とユリアルはリデトに木のスプーンを渡す。
しばらく躊躇して、リデトはそろそろとトリスタンの持つ皿へとスプーンを入れた。トリスタンも、彼に倣う。
「キノコや木の実もそうですが、苔の中にも食べられるものって多いんですよ」
掬ったものをおっかなびっくり口元へ運んだリデトとトリスタンは、直後、愕然とした。
口の中で、じゃりじゃりと音がする。
「ユユユユユリアル、なんか根っこがそのまま入っているんであるが‥‥」
食べられる根っこなのだろうか。
スープを掻き混ぜたトリスタンのスプーンが、底に溜まっていた土を掬い上げる。
「「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」」
「美味しいですか?」
思わず無言になってしまった2人に、邪気のない笑みで尋ねるユリアル。その笑みが「美味しいですよね」と念を押しているように見えたのは、リデトの考え過ぎか目の錯覚であろう。
「‥‥1つ、聞いてもいいであるか?」
「はい?」
煮物の鍋の中に、「皮付き」の蕪が丸ごと入っていた。スープの鍋から覗いているのは、何かの茎(根付き)と、見るからに「生々しい」まるごと小鳩。
ごくりと生唾を飲んで、リデトはユリアルを見上げる。
「切ったり洗ったり‥‥」
「はい?」
にっこりと首を傾げたユリアルに、だらだらと冷や汗が流れる。
「ちなみに、これはど‥‥どうやって作ったんであるか?」
「湯を沸かした中へ蕪と苔とを入れて、お塩とにんにくをくわえました」
そのにんにくも、丸ごと鍋の中に浸かっている。
「で、切ったり洗ったりとか‥‥」
「はい?」
リデトは確信した。
植物の専門家であるユリアル。料理についての一般的な知識も持っていたとしても、知っている事と実際に作るのとでは話は別なのだと。
「‥‥‥‥‥トリス」
リデトはトリスと視線を交わし、ユリアルの気が逸れた隙にこっそり呪を唱えた。
とりあえずピュアリファイをかけておけば、これを食べた人がお腹をこわす事はないだろう。
「そういえばトリスタン卿」
「な、なんだ?」
珍しくも動揺を見せたトリスタンを、ユリアルは不思議そうに見たがそれ以上の追及をする事はなかった。今、追及されるとヤバイと分かっていたから、トリスタンとリデトも何事もなかったかのように彼の言葉を待った。
「ええとですね、実は、私、イギリスを離れようと思っております。どこへ行くのかはまだ決めてはいないのですけれど‥‥」
「そうか。ユリアルも行くのか」
寂しくなるなと、トリスタンは騒々しく盛り上がる冒険者達へと視線を移す。この中にも、イギリスを離れる者がいるのだろう。どこに居ても培った絆は消えないと分かってはいても、やはり寂しさは拭えない。
「‥‥最後に貴殿が作ってくれたこの料理、忘れはしない」
さりげなく卓に戻していた皿を取って、トリスタンは一掬いした。
「トリスーーッッッ!!??」
真っ青になったリデトと、無言で「ちょっと生」な小鳩ダシの利いたスープを口に含むトリスタン、そして、穏やかにそれを見守るユリアルと。
ー忘れはしない、じゃなくて、忘れられないの間違いだろう
別れのしんみり雰囲気には程遠い男達の様子に、傍観していた彼女は溜息をついた。
何やら、1人で仲間の身を案じているのが損な気がして来る。
ー‥‥私も、楽しむか
●犬も食わない
覚えていた手品の幾つかを披露し終え、都市から街へ、街から村へと流れ歩く道化師を真似たぎこちない礼を見物客へと向けると、一斉に拍手が沸き起こった。その中には、この後、イギリスを離れるという友の顔もある。
つん、と鼻の奥が痛くなって来たのを誤魔化しながら、彼は次の者へと場を譲った。
どこかしっとりとした音色の笛にあわせて、黒髪の娘が異国の舞を舞う。手品を囃し立て、野次りながらも楽しんでいた冒険者達が、その幻想的な光景に息を呑んで静まり返る。舞の神秘性だけではなく、笛の音に込められた、舞に込められた思いに胸を突かれたのかもしれない。
心が痛くなる程に切な祈りが、その楽には込められていた。
しん、と静かな夜闇に余韻を残した笛の音が吸い込まれてしまっても、彼らはしばし動く事が出来なかった。
聖杯探索が始まってから慌ただしく依頼をこなしていった彼ら。
時に出会いがあり、別れがあり、笑い合った事も涙した事もあった。
笛の音が、過ぎた日々を彼らの胸に蘇らせたのだ。
「お粗末さまでした」
笛を手にした御門が頭を下げる。
ぱん、と手を叩いたのは誰だったのか。その音に我に返った冒険者達に、御門は微笑みを浮かべて今度はクレセントリュートに持ち替える。流れ始めたのは、先ほどの哀切を帯びた曲とは一転して、川のせせらぎのような曲だ。
「トリスタン様、一緒に踊って頂けませんか」
沙雪華の申し込みに、トリスタンは軽く眉を跳ね上げた。次に浮かんだ表情は苦笑。
「気がきかず‥‥申し訳ない」
改めてと、トリスタンは背筋を伸ばし、宮廷式の礼を取る。
「私と踊って頂けますか」
喜んで、と差し出された沙雪華の手を取り、会場の真ん中へと歩み出る。緩やかに踊り出した2人に、周囲で見ていた者達もめいめい相手を見つけ、曲の流れに乗った。即席のダンスパーティだ。形や足の運び等の堅苦しいことは抜きにして楽しんでいる。
「それで」
踊りながら、沙雪華は唐突に尋ねた。
「去年一年はいかがでしたか、トリスタン様」
沙雪華の意図を計りかねて、トリスタンは見上げてくる穏やかな瞳を見返す。
「得るものや、嬉しかったことはありました? ‥‥幸せや、応えは見つかりましたか?」
「ああ」
迷いなく即答したトリスタンに、沙雪華は笑みを深めたその時に、
「っ! アレクさん、ヒューさんっ!」
不意に叫んで、御門はリュートを置くと開かれた扉へと駆け寄った。
その声に、その名に反応を返したのは数名。
「お帰りなさい。お疲れ様でした」
御門の目に、くたびれてはいるが、1人も欠ける事なく戻って来た仲間の姿が映る。安堵で膝が崩れそうになるのを気力で押し止め、彼は出発時よりも増えた3人へ視線を向けて、御門はもう1度、同じ言葉を繰り返した。
「お帰りなさい。それから、ようこそ、キャメロットへ」
御門の言葉と重なるように、仲間の輪から飛び出して来た人影が、アレクの背後から好奇心に瞳を輝かせながら覗き見ているルクレツィアをぎゅうと抱き締める。
「ツィア! ごめんね!」
突然に謝った和紗彼方に、彼女は面食らったかのように目を瞬かせた。
「あの? どうして謝られますの?」
「だって! 攫われた原因、ボクだもん‥‥」
何がどうしたのか、さっぱり分からないといった表情で、ルクレツィアはアレクを見上げる。
「気にしなくていい。いつかは見つかるだろうと思っていたしな」
ぽん、と彼方の頭に手をおいてアレクは快活に笑う。が。その笑みはすぐに凍り付く事となった。
「ヒュー!! ようやく男の友情を深められるなっ」
男に言い寄られる従者を見て。
これまでならば、ここでアレクが横槍を入れる所だが、今夜は違った。何故ならば、
「待て! こいつと友情を深めたいと思うなら、まずは叔父の俺に認められねばならないッ!」
ヒューの傍らには小舅がいたからだ。
「いいか? 俺が認める相手はだな、まず、腕っぷしが強くて性格も申し分なく、しかも堅実で将来食いっぱぐれのない仕事についている者である事ッ!」
「アンドリューさん‥‥立派な叔父馬鹿におなりですね」
元気そうなアンドリュー・グレモンの姿を見て、沙雪華はほっと安堵の息を漏らす。
「そう言う問題でしょうか」
絶対、何かが間違っている。
こめかみを押さえて、御門は吐息をついた。イギリスに平穏が訪れたのは良いのだが、彼らの周囲では今後も嵐が吹き荒れそうな予感がする。誰かに後の事を頼んでおくべきだろうかと考えを巡らせかけた御門の頬が引き攣った。
ごごご、と背後で渦巻く黒い何かを背負いながら、ステラがヒューを巡って友情論争を繰り広げる男達に割って入ったのだ。
男の頭に炸裂したせーしょあたっくは、いつもとは技のキレが違っていた。
言うなれば、真・聖書アタックか。
これは、食らえばただでは済まない。
一部始終を見ていた御門の喉がごくりと鳴った。
「説明するのである。ステラの怒りが頂点に達した時、聖書を持った手首がいつもの1.5倍の素早さで返されて、その分、聖書の打撃が倍増しされたのである」
けたたましく笑いながら技を解説したリデトに、トリスタンは眉を顰めた。
「リデト‥‥酒を飲んだのか」
「違うのであーる! 私はぁ、林檎の果汁入りの美味し〜いじゅーすを飲んだだけなのである。カルノから貰ったのである〜」
あれ、と指さして笑ったリデトに、グラスを抱えたカルノがそっとその場を離れようとした。それを遮り、素早くグラスを奪うとユリアルがその薫りを嗅いだ。
「リデトさん、これは、シードルと言うジュースですよ」
酒である。
ぽこんとユリアルの額に浮かんだ青筋に、傍らの青年が慌てて宥めにかかる。
「まぁ、たまには羽目を外してもいいだろ」
「グイドさん‥‥」
まあいいだろ、では済まないのは、銀髪の青年を挟む形で火花を散らし合う夫婦であった。問題はあっちと示されて、ユリアルも心配そうな表情で視線を戻す。
何事か口論しているように見えた2人は、しばし無言で睨み合った。彫像のように動かなくなった2人に、戦場に慣れた者達は相手の隙を狙っているのだと囁き交わす。
「次に動いた時に、勝負がつく‥‥」
誰かが呟いた。
先に動いたのは、ステラだった。
「‥‥どうせ‥‥どうせ、私の事なんか‥‥」
怒気を漲らせていた瞳が不意に緩んだかと思えば、瞬く間に涙の粒が盛り上がり、頬へと流れ落ちる。
これには、遊士燠巫だけではなく、周囲で固唾を呑んでいた者達もぎょっとした。
「私なんか、私なんか‥‥。燠巫さんにとっては、ヒューさんやノルマンで言い寄っていたという男性にも劣る存在なのでしょう?」
力無い涙声が、一層罪悪感を煽る。
この攻撃に、彼がどれだけ持つのか。皆の視線が集まる。
再びの先制攻撃を掛けたのは、またしてもステラであった。
「もう、知りませんっ! 私も、私も浮気します!」
突然の浮気宣言に、見物人を含めた男達が固まった。
そして。
「トリスタン様ッ!」
トリスタンを振り返ったステラに、驚愕ポーズのまま凍り付いていた男が焦りに焦って声を上げた。
「待て、ステラッ!」
待ったをかけた夫を、どこか拗ねたように見つめて続きを待つ。
こうなったら、万に1つの勝ち目がないと、彼はよく知っていた。だから、素直に謝罪の言葉を口にした。
「すまん‥‥」
くすんと鼻を鳴らし、ステラは夫へと駆け寄る。
そこから先は、気を揉むのも野暮というものだ。
宴へと戻って行く見物人達の耳に、夫に甘えるステラの声が届いた。
「‥‥そろそろ、あの子の弟か妹が欲しいな‥‥」
来年の今頃は、遊士家に家族が増えているに違いない。
「トリス」
当て馬にされたトリスタンの肩に降りると、リデトはその髪をぐいと引っ張った。
「今年は、女難を吹き飛ばしてくれる人と出会えると良いであるな。勿論、私もトリスの力になれるよう、修行も頑張るのである!」
どうやら慰めているらしい。
「リデトさん‥‥」
微笑ましさに、沙雪華は笑いを漏らした。
だが、そんな彼女も、小さな声で呟かれた言葉までは聞き取れなかったようだ。それは、トリスタンだけが聞いていた言葉。
「‥‥私も、出会いがあるといいんである‥‥」
トリスタンは、友の小さな肩を軽く叩いたのだった。
●約束
「もうすぐ夜が明けますね」
空の色が薄くなっていく。
楽しかった宴が終わる。
ここに集った仲間達も、朝になればそれぞれ別々の道を歩いていくのだ。
ゆっくりとゆっくりと夜が明けていく。移ろう空を眺めていたユリアルは、薄白くなっていく東の空に祈りを捧げた。去る彼から、イギリスへ贈る最後の祈りだ。
「どうか、この国に住まう全ての人々に、良い未来が訪れますように‥‥」
「ユリアル」
掛けられた声に、ユリアルは静かに目を開けた。
「イギリスを離れれば、次にいつ会えるのか分かりません。ですが、グイドさんは私の大切な親友です。いつまでも」
それは祈りではなく、望みでもなく、ずっと違える事のない約束。
「俺も」
唇を微かに吊り上げて、グイド・トゥルバスティもユリアルに約束を贈った。
「俺も、いつでもあんたの成功を祈ってるぜ」
2人と同じように、明けていく空を見上げながら、決意を口に乗せている者がいた。
眠ってしまった友に毛布を掛けたカルノだ。
「こうして皆で騒げるのも今日が最後なんですね。寂しいって言っていましたけれど、仕方がないでしょう‥‥」
そっとソウェイルの髪を梳いて、カルノは夜明けを告げる星を見上げた。
「寂しくなりますけれど、もう2度と会えないわけではありません。お手紙だって出せますし、月道を使えば会いにだって行けますよ。ね?」