●リプレイ本文
●病苦の黒き翼
デビルの黒き羽毛のない翼に覆い尽くされたかのように、その村は病苦に虐げられていた。村はずれの、もうほとんど山の中にあるような一家を除き‥‥ほぼ全ての村人達がなんらかの苦痛や違和感を訴えていた。
仲間の冒険者達はとうにパリを出立していた。多くは『セブンリーグブーツ』を使ったり、馬や驢馬を使って移動の時間を短縮している。けれどただ1人、明王院月与(eb3600)だけはまだパリに残っていた。
「ごめんよー悪いけど、ここ開けておくれよ!」
閉じた商家の門を月与はドンドンと叩く。しばらくすると中で人の気配がしはじめ、更にもうしばらく待つと細く門が開いた。
「あの‥‥もうとっくに店じまいしているのですけれど」
使用人らしい若い男が心底迷惑そうな顔でそう言う。
「わかってる。わかってるけどあたい本当に急いでるんだ。お願い、必要なものだけ売ってくれたらすぐにおいとまするから‥‥お願い!」
月与は胸の前で合掌し、それからパリ風にしたほうが良いかと胸の前で手を組む。
「もう主は休んでおりますので、また明日の朝に‥‥」
「だからそれじゃ遅いんだ! 村まるごと1つ、みんな困ってるんだ!」
「何やら仔細ある事の様ですな」
若い使用人の背後で年老いた男の声がした。月与の顔がパァっとほころぶ。
「店のご主人だね。頼むよ、この書き付けにある薬品の材料とか、薬草とか、それから食料とか売って欲しいんだ、今すぐ!」
「‥‥開けて差し上げなさい」
「わかりました‥‥どうぞ」
渋々と言った様子で使用人の男は門を開き、その隙間から滑るようにして月与は店の中へと入っていった。通されたのは荷物置き場の様なごちゃごちゃした部屋であった。
「閉店した後はこちらに保管してあるのです。品数も種類も沢山ありますからお入り用の物を探すのは大変かもしれませんが、それはご容赦いただきますよ」
店の主人は鷹揚に笑う。或いは探せないだろうとたかをくくっているのかもしれない。淡い灯火の中で必死に物色していたが月与は長い髪をなびかせくるりと向き直ると、主人に向かってニッコリ笑いかける。
「じゃここからここまで‥‥全部買うよ」
棚の端から端までを指さしてもう1度月与はニッコリと笑った。
心地の良いせせらぎの音が絶え間なく響いている。荘厳な朝の光が川面に降りそそぎ、キラキラと輝いている。どこにでもありそうな、ありふれたのどかな風景だ。
「この川が‥‥この水が原因なのでしょうか? 話を聞くとどうにもこの川に原因があるように思えてならないのですけれど‥‥」
川を眺めていた乱雪華(eb5818)は低く小さな声でつぶやいた。駿馬ホーロンは背に雪華を乗せ、飛ぶような速度で村に到着してくれた。少し無理をさせてしまったかもしれない。ホーロンの為にも山の水を汲んで来なくてならないだろう。この川は村の命の川であったけれど今は使えない。人々はこの川の水を汲んで煮炊きをし、この川の魚を食べいた。そして病に冒されてしまった。仲間の話しによれば、この村とよく似た症状は別の場所でも発症している。その原因は鉱毒であったらしい。実際、雪華が持参した鉱毒の解毒薬は村人によく効いた。
「この川が鉱毒に汚染されているとしたら‥‥辻褄があうのです」
汚染された川の水により、鉱毒の病は瞬く間に村中に広がった。唯一、川の水を使わない一家だけがこの災厄から逃れても不思議ではない。
「この川のどこかに‥‥原因となるような鉱物があるのでしょうか?」
川の水は、見た目には澄んで冷たそうな綺麗な水で、それが山から下流へと流れているだけだ。けれど雪華は必死にその川底を、川岸を探していく。どこかに異質なモノがあるはずだ。前々から川が鉱毒に汚染されていたのではなくて、つい最近なのであれば尚更‥‥不自然なモノが残っているはずだ。
「あ‥‥」
川底にある大きな石がどうにも気になった。同じ様な大きさで同じ様な色の石は沢山ある。けれどその石は形がごつごつとしていた。他の石は皆角が取れて丸くなっているというのに‥‥だ。それがどうにも気になった。探せば同じようにごつごつした石は3つも4つも、沢山川底にあった。それを1つ1つ、雪華は木桶ですくって取り出した。
まだ早朝と言って良い時間であった。淡く朝靄の残る中、ゆるやかな斜面を愛馬アイラーヴァタと並んで歩くコルリス・フェネストラ(eb9459)の姿が少しずつハッキリと見えてくる。コルリスは山の湧き水をたっぷりと汲み、それを自作の木製容器に入れて運搬していた。村の広場には更に大きな容器を準備してある。そこに水を蓄え村の人々に使って貰う予定なのだが、それというのも今回の病には水が関連している気がするからだ。
「水ってとっても重いけど‥‥この水に命がかかっているのです。だから、もうちょっとだけ我慢して下さい」
コルリスはそっと愛馬の鼻面を叩く。アイラーヴァタは訓練を受けた戦闘馬だ。荷駄を運ぶ馬ではないが、今はそうも言っていられない。主の苦衷を思ってか、アイラーヴァタは低くブルルと鳴いて返事し、慎重に歩を進めていく。山道の傾斜が緩やかになってくる。コルリスの眼下に村が見えてくるとアイラーヴァタがまた低く鳴いた。こちらに向かってくる数名の村人達と、その先頭に立つロバをひくフランシア・ド・フルール(ea3047)に気が付いたからだろう。凛とした表情のままのフランシアはコルリスに気が付くと目礼した。
「もう水を汲んでお戻りとは‥‥お早いですね、コルリス殿」
笑みこそ浮かべなかったが、フランシアは素っ気ないと言う程でない抑揚で言葉を発する。フランシアに従う村人達は皆青い顔をして桶や柄杓を抱えている。
「はい。朝の煮炊きに使って貰えるようにと思って‥‥フランシアさんは、あの村の方々と?」
コルリスが尋ねるとフランシアは即座にうなずいた。
「全ての困難は全て主の試練です。わたくしは主の僕ですから、村の皆様方をお手伝いをして差し上げるのが使命なのです」
フランシアはあくまでも村と村人が主体であり、自分はそれを助けるだけなのだという姿勢でいる。村長にも川の水や川魚を食べないよう進言したが、決めるのは村の者達なのだ。だから、水汲みにも動ける者を動員する。
「では私は先に村に戻っています」
「わかりました。村の広場にヘラクレイオス殿が居るはずです。では‥‥行って参ります」
聖なる印を結び、フランシアは生気のない村人達を励ましながら山を登っていった。その後ろ姿をしばらく見送った後、コルリスは愛馬を促しまた慎重に山を下っていくのだった。
フランシアの言った通り、村のほぼ中心にある広場ではヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)が大きな樽を幾つも並べていた。樽やその周囲は僅かに水で濡れている。
「あ、あの‥‥」
顔色の悪い、乱れた髪の女が壺を抱えてやってきた。表情もどこか虚ろだ。
「水か? 水を所望されて来たのか?」
ヘラクレイオスが大きな声で尋ねると、女はおそるおそる何度も頷く。ヘラクレイオスは村に到着してからずっと広場で村人達に給水出来るよう作業していて、村人達とは交渉などしていない。だから、水を求めて村人が広場にやってきたのはフランシアが口利きをしてくれたからなのだと思う。ヘラクレイオスはフランシアとは面識があり、彼女の事を高く評価し尊敬していた。
「さすがに助祭殿よ。すっかり村の者達へわしの事を知らせて下さったようじゃのぉ。それ、この壺に水を注いでやろう」
ヘラクレイオスは女から壺を取り上げると、大樽の腹にある注ぎ口の栓を外す。すると透明な水が勢いよく流れて壺へと吸い込まれていった。あっと言う間に壺の中身は水で一杯になる。それをヘラクレイオスは女の方へと差し出した。
「さぁこれでいい。他にも水が要る家があったら知らせてやってくれ」
「‥‥はい。あ、ありがとうございま‥‥」
消え入りそうな声で女が礼をつぶやいた。
「歩けない者で水が要る家があれば遠慮無くわしに伝えてくれ。夜には川の調査をせねばならないが、それまでならば動ける者のいない家には、わしが自ら水を運んでやれる」
「まぁ‥‥はぁ‥‥あの、ありがとう、ございます」
「なんの! わしはハーフエルフは嫌いだが、それ以外は事の好き嫌いもない至って善良なジーザス教の信徒であり騎士道の誉れを尊ぶ者よ。これしきのこと、当然の事だ」
ヘラクレイオスはガハハっと豪快に笑った。
水を汲みに外へ出掛けたり、広場まで壺を抱えて歩ける者はまだ良い方であった。彼等は身体に痛みを訴えるが、それは我慢できる痛みであった。けれど本当に重篤な村人は病床から出ることは出来なかった。歩くことも食べることも出来ず、かろうじて水を飲みうわごとの様に痛みを訴えていた。その多くは老いた者と幼い子供であったが、皆もはや泣き叫ぶ事もしない。涙は枯れ果て、叫ぶ力はない。
「神よ‥‥我が神よ。どうか、貴方の愛し子達にお力を‥‥」
出来る限り迅速に村にやってきたウェルス・サルヴィウス(ea1787)は、その瞬間からずっと病に倒れた村人達の治療にあたっていた。ウェルスはこの病と似た病をかつて経験したことがあった。アルマン坑道の崩落の後、その周辺で起こった奇病はこの村の人々の症状とよく似ていた。
「さぁ‥‥これを」
起きあがる力を失った子供をウェルスはそっと抱き起こす。その刺激さえ痛いのだろうが、子供はもう顔をしかめるぐらいしか反応してくれない。子供の枕元でぼんやりと母親らしい女が座り込んでいる。ウェルスは荷から鶏卵ぐらいの小さな壺を取り出し、その封を切って子供の口元に近づける。
「さ、飲みなさい。一気に飲み干すのです。貴方は必ず治ります」
ウェルスは力強く言う。ゆっくりと子供の手があがり、壺を持つウェルスの手にその温かい小さな手を添える。解ってくれたのだとウェルスは壺を傾け、子供の乾いた唇を開かき液体を子供の口に一気に注ぐ。液体を飲み干した子供がむせて咳き込む。その小さな背中をそっとさすってやる。
「こどもは、こどもは、たすかる?」
母親がぼんやりつぶやく。
「助かります。必ず助かります」
子供の身体を母親に託すと、ウェルスは立ち上がった。
「重傷の方から診ます。この子ぐらい酷い人はどちらにいますか?」
誰も死なせたくない、ウェルスを突き動かすのはただそれだけであった。
ウェルスが次の家へと向かう途中、沢山の荷を抱えたアディアール・アド(ea8737)の姿を見た。
「アディアールさん」
駆け寄るウェルスにアディアールは立ち止まった。
「私がお教えした解毒薬は効いているようですか?」
「はい。他の治療薬や治療方法よりも効果は絶大です。やはり‥‥この病の原因は鉱毒なのですね。先ほど、シフール便の手配をしておきました」
ウェルスはアルマン坑道の周囲、そして村の傍を流れる川の下流域にもシフール便を飛ばす予定であった。この村の実情、そしてアディアールから教授された治療方法、その情報はきっと役に立つはずだ。
「そうですか。それで1人でも多くの方々が助かれば私も嬉しいのですが‥‥こちらの村での病はどうやら水に関わり合いがありそうです。ですから、川の水や川魚は避けるようにしていただかなくてはならないと思うのです」
ゆっくりと熟考しながらアディアールは話し続ける。その間も、両手に抱えた大きな包みは大事そうに抱えたままだ。
「それはフランシアさんが村長さんにお話してある筈です。私はこれから西の端の家へ向かいますが、アディアールさんはどうなさるのですか?」
「村長宅で薬を調合します。ちょうど今、明王院さんが材料を調達して到着したところなのです」
アディアールは抱えた荷をウェルスに見せる。どれもこれも、抗鉱毒用の薬を作るために必要な品々であった。
「わかりました」
「では」
2人は会釈し足早に目的地へと向かって歩きだした。
ロバを月与に貸し、代わりに『石の中の蝶」』を借り受けた十野間空(eb2456)は『韋駄天の草履』で村へ急行した。村の病が何を原因としているのか今の段階では特定されていない。夜になると聞こえる川の水音が気になるが、それが示す病の原因も1つは限らない。それなので、空は考えられるだけの薬の材料を買ってくるよう月与に頼んだ。おそらくはパリの薬品問屋が2つも3つも月与の襲撃、ではなく買い付けにあうだろう。それでも村を救うために必要なのであればやって貰うしかない。
「ごっそり買い込んでいるでしょうから、到着するまでに私もすべき事をしなければなりませんね」
空は疑惑の川が射程に入るよう、位置を調整していた。そしてやっと場所を定めると大きく息を吸い込み、ふーっと静かに吐き出していく。スッと心が落ち着き澄み渡っていく。
「村人達の発症の原因は如何に‥‥その最も近きモノに‥‥あたれ!」
淡い銀色の柔らかな光が空を包み込んでいる様であった。そして、夜空に懸かる月の様な儚い光の矢が放たれる。それはまっすぐに村の民家へと向かい、その大きな水瓶の中に吸い込まれた。
「なんだ?」
「なんか今ぴかーって光ったよ」
ムーンアローが飛び込んだ家から弱々しい声があがる。
「すみません。こちらの瓶の水は川から汲んできたものですか?」
空が穏やかな笑みを浮かべて尋ねると、家の中にいた老夫婦は顔を見合わせたあと揃ってうなずいた。
「ありがとうございます‥‥やはり、水、川の水が原因のようですね」
ごく丁寧に礼を言うと、空は川が間近に見える場所へと向かって歩きだした。そして次の矢で、鉱毒の原因となるごつごつとした石を突き止めた。しかし、『術者最寄の村人の発症原因たる寄生虫の飲料以外の経口感染源』を狙った3度の矢は空自身を貫いた。
「この線はない‥‥と、いうこと、ですか」
自ら放った矢の傷を治療しつつ、空の頭の中では得られた情報が素早く吟味され検討され始めていた。
夜、川に現れたインプは待ちかまえていた冒険者達に退治され、この者が抱えていた鉱石は押収された。同じ様なごつごつした石が川底から一掃されたがその後も村ではしばらくの間山の湧き水を使い続けた。特効的な解毒薬の効果もあり、病は劇的に良くなっていた。