●リプレイ本文
●剣を持った魚群
夏は、暑い。当然の事だ。
ノルマンの内陸部は特有の大陸性気候によって夏は雨が多く、冬は厳しい寒さが常とされている。
寒さは家に篭り、暖を取ればある程度凌げるが、暑さはそうはいかない。家に篭って居ては同時に熱も篭ってしまう。外に出ても太陽が放つ凄まじい熱視線が身を焦がす。
其の為、人は自然と涼しさを求めて清涼感漂う海や山、湖へと足を運んでしまう。
パリから徒歩で数時間歩いた所に存在するこの海岸も、そういった人たちで賑わっていた。波打ち際で火照った身体を冷やす海水ではしゃぐ者たちや、砂浜で肌を焼こうとする者たちが。
砂浜は、とても暑い。照り付ける太陽光をまともに受けて、まるで熱した鉄板の様だ。肌を焼いている者も、其れを知った上での行為である。
其のある意味地獄ともいえる場所に、とても暑苦しい格好をした女性が立っていた。
彼女の名はルナ・シーン(ea2928)。ノルマンの騎士だ。身を熱が篭り易いレザーアーマー、腕には軽量の盾、腰には長剣を帯びた彼女は、騎士の姿を体現している。大量の汗を全身の肌から噴き出しながら。
「皆、涼しそうだな‥‥」
観光客を目にして、若干羨ましそうにぼそりと呟くルナ。羨ましくなるのも、無理はない。彼女とて、依頼でなければ鎧を脱ぎ捨てて海へ飛び込みたい気持ちは在るだろう。其の衝動を水筒の水で喉を潤して押さえる。
彼女はギルドの依頼で共に請け負った冒険者と、この海岸へと赴いたのだ。万一、モンスターが現れたときの場合に備えての抑止力として。
ルナの隣で女性客限定で警戒している男性も、目的は同じ。
「青い海と砂浜に真夏の太陽。是で仕事じゃなけりゃ、俺も泳ぐんだけどな〜」
ルナとは対照的に躊躇う事なく本音を口にする彼は、服装も対照的だ。上は薄手のシャツ、下はズボンの裾を膝上まで捲って暑さから少しでも逃れようとしている。彼の名はレティシア・ヴェリルレット(ea4739)、エルフのレンジャーだ。
彼の言葉にルナは顔を顰め、もうひとりのレンジャー、シルバー・ストーム(ea3651)は僅かに頬を緩めて苦笑した。彼もレティシアと同じくエルフであり、レンジャーであるが、性格は全くと言って良いほど正反対。
(「しかし、この潮風っていうのは、森の木々を渡る風と比べるとしっくりきませんね」)
森の中で生きるエルフであるシルバーは内心、波と共に押し寄せる潮香る風を身に受けて思った。深緑を駆け抜ける清々しい風に慣れ親しんだ彼には、やはり違和感があるのだろう。慣れぬ風を身に纏いながら、彼は再び見回りを開始した。
「お疲れ様です」
クリス・ハザード(ea3188)が見張りの高台に上ると、先客の隣に座って手にしている水筒と言葉を渡した。
水筒と言葉の先には、外しておいた弓の弦を張り直しているティルフェリス・フォールティン(ea0121)が居た。彼女は弦を直すとクリスを一瞥して一言礼を述べ、水筒に入っている水を一気に飲み干す。この高台には激しい陽の光から逃れる為に屋根が取り付けられてはいるものの、暑さを完全に防ぐ事は出来ない。其の証拠に、ティルフェリスの肌からは玉の様な汗が幾つも溢れている。
ちなみに、此処には屋根の他にもモンスター襲撃時に備えての警鐘も在る。其れを見たティルフェリスは、近くの村から鐘を借りてきた事を恥じるかの様に、暫くの間憮然とした表情をしていた。実際、恥じてはいないのだが、一種の照れ隠しの様なものだろう。
水筒から口を離したティルフェリスは、汗を拭って再び視線と神経を蒼き海原へと向けた。クリスも空になった水筒に《クリエイトウォーター》で水を汲むと、ティルフェリスとは違う海上へと向け、警戒に当たる。
クリスとティルフェリスの視線が向けられる海上には、揺ら揺らと漂う二隻の小船が存在していた。其の上には、人の姿が在る。
ひとつの小船にはヴィーヴィル・アイゼン(ea4582)と漣 渚(ea5187)、もう一隻にはユーディット・レーマン(ea5446)とシャルク・ネネルザード(ea5384)が乗り込んでいた。しかし、其の内三人は余りの暑さで憔悴していた。
南から穏やかな風が吹いているが、其の程度では焼け石に水。暑さを和らげる事は出来ない。照り付ける太陽に加えて海岸近くの陸地が放つ熱が頻繁に流れ込み、結果として海上の温度も上昇させているのだ。もしかしたら砂浜より暑いかもしれない。
其れでも、健康的な小麦色の肌を持つ、ジャイアントの少女――とはいっても背は百八十センチを超えており、体重も大の大人を軽く凌いでいる――のシャルクは何時もの調子だった。
先ほど獲った魚を手際良く三枚に下ろし、其れを海水で洗うと短刀で身を薄く捌く。ジャパンでいう、新鮮な生の魚を使った料理、『刺身』だろうか。何にせよ、揺れる海面で料理を即興で作り上げる様は、凄いの一言だ。
シャルクが魚の切り身を平らげて横になろうとしたとき、波が奏でる其れとは異なる水音が彼女の耳を打つ。不審気に
其のとき、一匹の魚が海中から勢い良く飛び出し、尖った角で突き刺そうとシャルクの頭部へと肉薄する。突然の出現と急襲に彼女は驚いて目を見開くが、咄嗟に首を傾げて角の一撃を避けると、魚は小船を飛び越える形で反対側の海面に落下した。
先の存在は、頭部に鋭利な刃の様な角を備えた魚――ソードフィッシュである。彼等は肉食として知られ、時には自らよりも大きな獲物でさえ群れで襲うとされる、凶暴な海洋生物だ。
ギルドが危惧していた事実となり、其れを知覚した彼女たちはすぐに自らの得物を手にして、迫り来るモンスターに対処すべく構えた。ユーディットとヴィーヴィルは彼等の注意を引く為、近隣の漁師から分けて貰った魚を投げ入れる。
だが、ソードフィッシュと思われる黒い影が投下された餌に目をくれる事無く、小船と小船の間を素早く通過した。しかもひとつではなく、三つの影が。影は速度を落とす事なく、真っ直ぐ砂浜へと向かっていく。否、正確には彼等の目的は、浅瀬で波と戯れる一般人の血肉だ。小船の周りには四つの影が残り、四人の女性を均等にひとりずつ美味しく頂く為、海中を漂いながら狙っている。
彼女等の進路を遮ろうとヴィーヴィルがオールで殴りつけようとしたが、其れは僅かに海面を割っただけに終わり、波紋は波に飲まれて消える。
優れた視力で影を視界に捕らえ、海上に居る彼女たちの声を聴き取ったルナとレティシア、シルバー、ティルフェリスの四名は、すぐに動き出した。
「モンスターが出たぞ、すぐに避難してくれ!」
高台の上から警鐘を思い切り鳴らしながら、ティルフェリスは眼下に存在する者たちに警告する。彼女の隣に居たクリスも素早く地上に下り、ルナとレティシア、シルバーと共に観光客の避難を促す。
「早く陸に上がれっ!」
「モンスターが接近中です、海から上がって浜から離れてください」
冒険者たちの的確な声が先導によって観光客は全て陸地に避難し、先まで賑わっていた砂浜は冒険者だけが残っている。誰もがそう思っていた。
泣き声が、響く。
其れに導かれる様にして冒険者たちが目を向けると、波打ち際に幼い少女が佇んでいた。親と逸れてしまったのか、彼女の瞳からは涙が、口からは嗚咽が止め処無く溢れている。
「落ち着け! 今、助けにいくぞ!」
少女の姿を捉えたルナが、地面の砂を蹴って走る。彼女は、見えていた。少女の後方から迫る、黒い影が。
高台から其れを確認したティルフェリスが、素早く弓に矢を番える。
「当たるか? この距離で‥‥」
矢を番えて狙いをつけるティルフェリスが、呟く。高台の上から目標の距離まで、約三十メートル。彼女が持つショートボウの射程と同じ。もし外れれば、少女の命はあのモンスターに喰われてしまうだろう。
幾つもの迷いを振り払う様に、彼女は矢弦を解放した。
放たれた矢は高速で虚空を突き進み、剣魚との距離を数秒で掻き消して貫いた。しかし、其処に魚の姿は無い。矢は、砂の大地に突き刺さっているのだから。
ソードフィッシュが避けた訳ではなく、海から押し寄せる潮風が本来の射程を狭め、砂浜に落ちてしまったのだ。
そんな事など露ほども知らずに海中を進むソードフィッシュは、少女を屠り、喰らい付こうと一気に
高速の鏃は、少女を串刺しにしようと海中から現れたソードフィッシュの頭部に深々と突き刺さった。海面に赤黒い液体を撒き散らすソードフィッシュは数秒の間、自らを襲う激痛から逃れる為に身を捩らせた後、絶命した。
鏃を放ったのは、シルバーだ。潮風の流れを読むのに苦戦しながらも、彼の一撃は見事に目標の命を射抜いたのである。
一時の危機を脱し、ルナが少女を抱き抱えて砂浜へと避難させると、腰に差した長剣を抜き放って再び
残ったソードフィッシュは、レティシアに向かっていく。なんと、彼は自らの足を切り、血臭で彼等を引き寄せているのだ。傷は浅いとはいえ、無茶をする男である。
「でも、こういうスリルが楽しいんだよなぁ」
誰に言うでもなく、彼は楽しげに口の端を吊り上げて矢を射る。無造作に放った矢だが、其れは空気を越え、海面すら越えてソードフィッシュに突き刺さった。伊達ではない、といったところか。
もう一匹のソードフィッシュも逃げる間もなく、クリスが精製した《アイスチャクラ》、ルナの斬撃を其の身に受けて海に沈む。
そして、再び海上――。
斧の無骨な刃が鱗が付いた肌をズタズタに切り裂き、血を撒き散らす。
ユーディットが横に振るった斬撃は、丁度飛び出してきたソードフィッシュを荒い横一文字に斬って捨てた。
隣の船に立つヴィーヴィルも、オールを振るって迎撃する。振るわれたオールは的確に魚体を捉え、海中から忍び寄る刃を持つ者を殴打して撲殺した。
死した剣魚が吐き出す血で、青い海面を赤黒く染める。
赤黒く染まった海面の下には、ふたりの戦士が剣魚に刃を突き立てていた。
ソードフィッシュを《オーラホールド》によって動きを低迷させ、渚が手にしている短剣で身体を滅多刺しにして。
シャルクも、戦法は同じだった。素早く剣魚に取り付くと、鰓に手を突っ込んで内容物を抉り、死に至らしめる。海中に噴き出る血液はまるで煙の様で、上から降る血煙によって海は忽ち赤く染まった。
殺戮の時は、僅かの時間で幕を閉じた。
夜空に輝く数多の星と三日月は、揺れる海面にも鮮明に映っている。彼等は虚空と海面、ふたつの舞台で精力的に活躍している。
しかし、客入りは盛況とは言えない。昼とは一転して、砂浜の観客席に腰を下ろしているのは今日の疲れを癒す八人の冒険者だけだ。
涼やかな潮風が彼等を撫で、疲れを浚っていくような感覚に陥いる。しかし、誰も眠ろうとはしない。天と海から与えられた恩恵を楽しく受け取っているからだ。
ある者は新鮮な魚介類――昼間のソードフィッシュも混ざっている――と酒を堪能し、眼前に繰り広げられる美しい舞台を観賞する。
其の中で異彩を放っていたのは、シャルクだ。彼女はソードフィッシュの骨や角でアクセサリーなどを拵えている。自らが身につけるのではなく、此処を訪れた客に売る為だ。
何にせよ、器用な少女である。
そして翌日、彼女のアクセサリーは思いの外好評で、見事に完売した。勿論、売り上げは仲間内で山分けとなったが。