●リプレイ本文
●出立
「るすばん‥‥?」
その意味を悟りかねた風精の悸玖は、渡部夕凪(ea9450)の言葉尻を鸚鵡返しに真似て尋ね返した。
「大人しく留守番しといておくれな?」
見送りのシェルに悸玖を預けつつ夕凪が「桜を散らすにゃまだちいと惜しいからねえ」と続けるに至って、漸く花見に行くと気付いた悸玖は猛抵抗を試みた。
「さくら、さくらちらすの!」
「いや、だからそれが惜しいんだがね?」
「悸玖が桜散らした日には夕凪からどれだけ怒られるか‥‥不満だろうが、家でおとなしくしておく事だな?」
シェルが、桜に悪戯する悸玖を想像して苦笑した。
「そうか、その子は留守番か‥‥で、そっちの子は何てぇ名なんだ渡部殿?」
相棒の馬を引いてきた建御日夢尽(eb3235)が同行する皆の名を尋ねている。
「地妖精かい?茅早だよ」
「俺は建御日夢尽、こっちは相棒の翔眞って言うんだ。よろしくな、茅早」
「おいらはムウ、こっちの蒙古馬がサコンで、こいつはみつなり。んで、こっちが傀竜ねーちゃん、じゃなくてにーちゃん!」
元気良く挨拶するのはムウ(eb5305)。彼を花見に誘った仔神傀竜(ea1309)は女性に紛うばかりのたおやかさで微笑んでいる。連れているのは仔熊の五郎丸と――懐には壊れぬよう大切に扱う卵。
連れの青年に荷を持たせてやって来たのは、齋部玲瓏(ec4507)。一見凄い美男に見えるこの青年の正体は三笠大蛇の三笠さま。街中では人型を取っている事が殆どだが、本来の姿はふわふわの毛で包まれた大蛇のような姿をしている。
ギルドの前で出迎えたエレェナ・ヴルーベリ(ec4924)が荷が何かを尋ねると、玲瓏は柔らかく笑んで言った。
「洛内の実家へ寄って参りました」
弁当を用意して来たのだとか。お昼が楽しみだねとエレェナも笑みを浮かべた。
●似雲桜
サコンの背で、みつなりがみゃぁと鳴いた。
エレェナが引く駿馬デュークの背には、ウンディーネのリュドミーラが横座りに乗っている。翔眞の背には五郎丸。それぞれ主は傍らで歩く。
「話に聞くジャパンの桜‥‥どのような謂れや伝承があるのだろう」
エレェナが道中の村々で山桜の言い伝えを尋ねてみると、件の山桜が自生する地は古来より修験者が自らの鍛錬に訪れる事の多い場所だと言う。
「修行場の果てに山桜‥‥か」
武芸者の夕凪は、厳しい修行中に老僧が出逢った一服の清涼に思いを馳せた。
(「心を洗う風景だろうねえ‥‥若い頃の記憶は、年を経るほどに鮮やかに映るもの‥‥住職殿も逢いたかろうね」)
玲瓏の心づくしに元気を貰い、一行は頂上を目指す。
修行に使われる事が多い地形だけあって、進むほどに道は狭く険しくなって行った。馬達の足元に注意しつつ歩を進める。
「玲瓏ねーちゃん、大丈夫か?」
元気者のムウが心配して振り返った。小柄な玲瓏の息が上がっている。
「もゆ、私の背に乗るかい?」
「いいえ、せめて行きは‥‥」
三笠さまが本来の姿に戻ろうかと玲瓏に問うたが、彼女は荷を頼むのみに止めた。自らの力で登り切ってこそ桜を観る意味がある。
「もうちょいだ、頑張ろうぜ」
渾身の力で翔眞を押し上げながら、夢尽が励ました。
白く浮かぶ満開の山桜。
夜に差し掛かった頃に頂上に辿り着いた一行を出迎えたその風景は、幻想的な印象を一同に与えた。
「‥‥見事なものだ。精霊の加護でも、受けているかのような――地上にいながら、雲を間近に見ているようだね」
「言い得て妙、って感じね‥‥」
エレェナの感嘆に、傀竜が言葉を重ねて賛美した。
「深山の夜桜‥‥佳きものに出合えたね」
自分の足で頑張ったねと三笠さまが労うと、玲瓏は満足気に微笑んだ。
「ねーちゃんたち疲れてないか?花見は明日にしよう。おいら寝袋とか持ってないし寝る場所探さなきゃ」
「お待ち。寝袋ならあたしが二つ持って来てるわよ」
慌てて傀竜がムウを止めた。
「二人用と四人用の天幕がある。春先とは言え山の上だ、遠慮せずにお使いな」
結局、夕凪とエレェナが持参した天幕を手分けして設営し、一同は体を休めたのだった。
●諸共に
翌朝、ムウはみつなりの前脚に起こされた。仔猫は容赦なくぱしぱし叩く。お返しにくしゃくしゃ撫で回して天幕を出ると、花見の準備がぼちぼち始まっていた。
玲瓏が花茣蓙を広げた。その上に飲食物を並べる。桜に捧げる神酒とは別に桜と酌み交わす為の酒を持参した者が多かったのは、花見の席ならではか。
「神事の進行は、あたしにやらせておくれでないかしら」
傀竜の采配で神事は粛々と行われ、皆で良寛の息災を報告した。
雲ひとつない青空に映える薄桜。
昨夜眺めた時とはまた違う風情を、今日の桜は纏っていた。
(「この地に眠る人ならぬ者よ‥‥和尚殿がとても気にしておられたよ」)
エレェナがテレパシーで山桜に語りかける。樹齢百年を越える桜の大樹は、その呼びかけに応えた。
(『我を‥‥気に掛けてくれる者がいる‥‥嬉しいことだ』)
返って来た思念は落ち着いた女性の声で、エレェナは思わず依頼人の人柄を鑑みた。
玲瓏は三笠さまに桜の言葉を通訳してくれるよう、頼んだ。
「良寛さまよりお言葉を預かっております『元気にしています』と」
『リョウカン‥‥懐かしい名だ‥‥そうか、息災か‥‥』
(「この桜との間に如何なる思い出がおありなのでしょうか‥‥」)
立ち入った事を尋ねてしまうようで、少しの躊躇いはあったものの。
「伺っても、宜しいでしょうか‥‥?」
遠慮がちに玲瓏は桜精に尋ねたのだった。
それは――孤独な者同士が惹き合った昔話。
たった一人で修行を続ける若僧と、山奥にただ在り続けるのみの大樹。
僧は大樹に咲きし花に心打たれ、大樹は己にあはれを感じた僧に想いを寄せた。
ただそれだけの事。だが――互いにとって、それは忘れがたき想いを残した。種族を超えて友と思う程に。
『良寛殿が‥‥皆を寄越してくれた事、皆が此処まで訪れてくれた事に‥‥感謝を』
●想い
桜への挨拶も済み、各々酒や饅頭を手に寛いだ。
和やかな雰囲気の中、話題は同行のペット達の事に移る。夢尽は自分の相棒・翔眞の名の由来を語った。
「俺の相棒の名『翔眞』ってのは、幼馴染の名前なんだ。離れて暮らすようになって以来会ってねぇが‥‥穏やかな顔した野郎だったよ。こいつの顔を初めて見た時、そいつを思い出したんだ」
普段なかなか世話をし切れてねぇから、一緒の遠出に連れ出したんだ。そう言う夢尽の話を引き取って、おいらも親睦を深めたくて連れ出したんだと二匹について語る。
「二匹とも、福袋で当たったんだよな‥‥サコンは冒険始めてすぐの頃、みつなりはつい最近で、もっと仲良くなりたいんだ」
ムウの膝の上で丸くなっているみつなりは、ムウに撫でられてうとうとしている。
あたしの卵も福袋で当たったのよと続けるのは傀竜。懐から大切に取り出した黒い斑点のある卵は、時折動いているような気がする。
「まだ何が生まれるか分からないから名前は付けてないけれど、あたしは鳥が好きだから、雛が生まれてくれると嬉しいわね」
そう言って、にっこりと笑った。
静かに桜と杯を傾けていた夕凪は、水を向けられて「娘みたいなモンかな」と答えた。
「成す事無茶振りな私にゃ似合いの子だが‥‥さて、どうだろうね茅早?」
娘のような、と言うのは、エレェナのリュドミーラもだ。
「卵から育てた大切な娘だね。立派な精霊になって欲しいような、可愛らしい姿のままで居て欲しいような‥‥」
京に棲まう水の精霊を思い出して、親心は複雑だねと結んだ。調律をしていたリュートをそっと置くと、エレェナは傍に佇んでいたデュークの背を撫でる。
「デュークは冒険者になってよりずっと、共に歩んできた相棒だ。ずっと旅の日々に付き合わせてきたから‥‥」
一緒にのんびりしようね、と言う彼女の言葉が解るかのように、デュークは鼻面をエレェナに摺り寄せた。
エレェナの敬意のこもったリュートと夕凪の笛が春の陽光を思わせる音色を奏でる中、降る桜の花弁を取ろうとムウが花弁を追っている。みつなりや五郎丸を従えて遊ぶ様子に目を細め、傀竜は「ふわもこで可愛いでしょう?」と微笑んだ。
「三笠さまはお歌が好きで、二人で連歌をつくって遊んでいます」
柔らかく笑み、皆の話を聞いていた玲瓏の連れは、いまだ人型で。話を振られて歌を詠もうと思案始めた三笠さまに、玲瓏は本来の姿で散歩をして来てはと勧めた。
「私といると、いつも人身で窮屈なのでは‥‥?」
素直に木陰へ下がった三笠さまは、程なくして大蛇の姿で現れた。しかし山に消える事はなく、大きな体を地に這わせ玲瓏の背に柔らかな毛並みをあてがうと目を閉じた。
●返杯
「済まないが、神酒を多少残しておいて貰えるかい?」
宴も終わりに近づいた頃、夕凪はそう言って茅早に何やら指示をした。
「いいですよーって」
茅早の返事に山桜へ礼を述べ、花弁を数輪摘み取る。枝を落とせば桜が弱ると、夕凪の心遣いだった。
皆、本来の日程より少し早めに下山を開始した。依頼人の住まう寺へ向かう為だった。
冒険者達の姿を見つけた寺男の孫七は、驚いて駆け寄った。
「良寛殿のお陰で良い花を拝ませて貰ったんでな、礼を言いに来た」
夢尽が告げると、寺男は主へ来客を知らせに行った。
孫七に付き添われて現れた老僧は酷く頼りなげに見えた。しかし境内の日向に腰掛け言葉を交わしてみると存外にしっかりしているのだった。
許しを得たエレェナがイリュージョンで山桜を再現し、玲瓏が語る。良寛の脳裏に、若き日の風景が鮮やかに蘇った。
「息災を望んでくれた御仁に‥‥山桜からの返杯だ」
夕凪が神酒に桜を散らして良寛に一献捧げた。
山桜が六名の冒険者に姿を変えて逢いに来てくれた――
返杯を一息に飲み干した老僧の身体に、何とも言えぬ優しさが沁み渡ったのだった。