●リプレイ本文
●なんとしても逃げろ!!
「散れっ、生き残ったやつはギルドに駆け込めっ」
いち早く我に返った無天焔威(ea0073)が叫ぶ。しかし、まだ動悸は早く、自分の体ではないような気がする。
仲間たちも呪縛が解けたように動き始めるが、山刀に滴る鮮血に舌を絡ませて啜(すす)る姿は、小鬼を見慣れている冒険者たちにとっても、胃の奥から酸い物を込み上げさせた。
「早くしろっ!! こいつ強い!! 俺が食い止めている間に‥‥ くっ」
「斉藤!!」
「焔威、行かないか!! ギルドに知らせろ!! こんな危険なやつ放っておけるわけないだろ!!」
焔威は唇を噛んで視線をそらす。
「死ぬなよ‥‥」
手近にいた仲間2人の手を引っ張って駆け出した。
●己に潜む恐怖心と希望
「いやいやいやまてまてまて、何なんだアレは! シャレになっておらんぞ!?」
山の中を闇雲に駆け下りていく巽弥生(ea0028)は、一緒に逃げていたはずの焔威と鷹翔刀華(ea0480)がいないことに気がついて足を止めた。
「もともとお化けとか嫌いなんだよ。ねぇ、1人にしないでよ‥‥」
ガササッ‥‥ 弥生の顔が恐怖に歪む。思わず目をつぶって身を硬くしたとき、その手を何者かに掴まれた。
「ヒッ‥‥」
咄嗟に抜いた小柄に微かな手応えがあった。
「落ち着けよ。俺だ」
激しく揺さぶられて弥生はようやくその声に聞き覚えがあることに気がついた。
恐る恐る目を開けると、もしやと思った口裂けの老婆ではなく焔威の顔がそこにあった。その頬には紅く一筋の線が走っていた。
「す、すまない‥‥」
ようやく自分のしたことに思い当たったのか、俯いて焔威の袖を掴んだ。
「話の中で聞くような恐ろしい顔を本当にしているんだな‥‥ あんな奴、逃げる他あるまい」
その手は震えている。
「少し後ろを刀華が追いかけてくる。このまま走り続けるのは無理だ。少し休んでろ」
もうどれくらい走っただろう‥‥ 何時間も経ったのか、それともほんの数分なのか‥‥
「お‥‥い‥‥」
茂みを掻き分けて刀華が現れ、バタッと膝から崩れ落ちる。道なき道を走り続けて、3人とも細かい傷を負っていた。
「今の‥‥私たちじゃ‥‥‥‥太刀打ちできない」
まだ息も荒く、刀華は苦しそうに声を絞り出した。
「そう、おとぎ話じゃないんだ」
焔威の握る拳に力が入り、じっとりと汗がにじむ。
「‥‥残念だけど‥‥これは今起こってること‥‥」
刀華は大きく何度か深呼吸した。
「‥‥行こう‥‥」
膝を立て、愛刀を杖代わりに立ち上がり、1歩を踏み出す。
ともかく逃げ切る。生きるために逃げ切る。そのための1歩を懸命に‥‥
「大丈夫か? もう少し休まないと」
「今は少しでも先に‥‥」
口ではそう言っても、体は正直である。刀華は愛刀で体を支えられずに前のめりに倒れこんだ。
「皆、大丈夫であろうか‥‥」
弥生は木の幹を背にして座り込んだ。
「なんとかなるって〜。人間しぶといし、他の3人も逃げ切るって」
今は焔威の空元気だけが3人を明るくしていた。
「落ち着かないと‥‥」
小柄で小枝を払いながら走る鳳美鈴(ea3300)は華国語で呟いた。
「逃げ切れるさ」
蔓や木を低い高さに固定して転ばせる簡単な罠を張り、追いついてきた加藤武政(ea0914)が美鈴の肩をポンと叩いた。
「来るときに歩いた道へ戻れば大丈夫でしょう‥‥ 多分」
「あの稜線とあっちの1本松には見覚えがある。向こうだな」
「兎にも角にも、生きてこその意味があります。死ぬ気で逃げましょう‥‥」
「あぁ、急ぐぞ」
言葉の通じぬ異国の地、ましてや恐ろしい相手に追いかけられるような状況で言葉が通じるのは嬉しかった。美鈴は恐怖の表情の中に一瞬安堵を浮かばせて加藤の隣を走った。
「何を話してたんだ?」
「生きて帰ろうってな。それより、何でこんなことになったんだろうな」
麻生空弥(ea1059)が加藤に近づく。麻生は今回の依頼で使ったものの投擲の心得がなかったために役に立たなかった得物を手にしている。うまく投げれば相手を転ばせることができるかもしれない。
「‥‥はっはっはっ‥‥何事も経験さ」
遠ざかる奇声にホッと溜め息を漏らしながら麻生が走る。
「‥‥山越えだから、重い荷物は馬に載せて置いて来たんだが‥‥ ちょうど良かったな‥‥」
「不幸中の幸いってやつだな」
山の中をむやみに走り回らなかったため、美鈴、加藤、麻生の3人は大した怪我もなく体力も比較的温存して走り続けていた。
しかし、休みなく走り続けるのには限界がある。その歩みは、疲労でたどたどしい。
●遭遇
「‥‥」
誰もが何かを言いかけてやめる。そんな不安な時間が過ぎていく。
疲労の極にあった弥生と刀華はいつの間にか舟をこぎ始めている。
「‥‥」
林の向こうで何かがキラリと月明かりを反射した気がした。
「おい‥‥」
木陰で休息をとっていた弥生たちは、焔威に揺り動かされてビクッと驚く。
「すまん、眠ってた」
「いいって、お前たちよりは体力に自信があるし、徹夜にも強いんだから‥‥」
強がるが、鬱蒼とした茂みでは月明かりも届かず、よく見えないだけで目の下にはしっかりとクマができている。
ガササ。まだ少し距離があるが、確かに何かがこちらへと近づいてくる。
「うまくいくといいんだが‥‥」
カチッ、カチッ。時間稼ぎの策を思いついた焔威が火打石で種火を作って松明へ移そうとしていると、茂みの向こうの物音が近づいてきた。
「時間を稼ぐ‥‥」
刀華が日本刀を抜こうとしたとき、バサッと茂みが割れた。
「加藤‥‥」
逸(はぐ)れて逃げたはずの加藤、麻生、美鈴の3人だった。
「よかった。無事だったんだな‥‥」
互いに無事を確認して手を取り合ったり、抱き合ったりしている。弥生などは、うっすらと涙を浮かべている。
しかし、その喜びも長くは続かなかった。
「ギシャアアァァ」
走りこんできた奇声の主によって弥生たちの血が凍りつく。
「生き残るためには戦うしかない」
刀華は焔威に目配せした。
「さあ‥‥ こっちだ‥‥ ついてこい」
立ちふさがって挑発すると老婆は山刀を構えてニタリと笑った。ベローッと舌なめずりする姿に生理的な嫌悪感を感じ、思わず震える。
「はぁ、はぁ‥‥」
早まる動悸とボーっとする頭を振り払うように頭を振ると、刀華は日本刀を抜いた。
「妖怪が‥‥ 寄るな」
刀華は木を老婆との間において間合いを取った。これならそうそう仕掛けてはこられないはずだ。
しかし、細かい立ち木を山刀で払いながら、老婆は刀華との間合いを詰めていく。
「待てよ!!」
焔威の投げたどぶろくを老婆は山刀で払った。
ビシャッ。度数の高い酒が服を塗らす。
加藤の油瓶は割れずにぶつかっただけであまり老婆にはかからなかった。
美鈴の手から黒い光が飛び、老婆は突然の苦痛に身を硬くして恨みの視線を送る。
麻生も両端に石を結んだ縄を投げるが、これはうまく当たらない。
「知ってるかぁ? 酒にはこういう使い方もあるってねぇ」
すかさず焔威が松明を押し付けると、ジュッと肉の焼ける臭いがして服が燃え上がった。
「ギャアアア!!」
恐怖心を煽(あお)る悲鳴が木霊する。
「!!」
老婆が出鱈目に振るった山刀が刀華に届こうとしている。
「くそっ! どうにでもなれ!」
逃げようとした弥生は目の端にその光景を捉え、咄嗟に小柄を投げた。
半分自棄(やけ)に投げた割に、小柄は何とか老婆を捉えていた。傷を負わせるほどではないが、山刀は軌道を変え、刀華は難を逃れる。
「こっちに獣道があるはずだ」
加藤の叫びに反応して6人は一斉に駆け出した。
●そこで何が起こったのか‥‥
「アァハハハハ!!」
異様な笑い声に尻を叩かれるように冒険者たちは森の中を走った。斉藤がどうなったのか‥‥ 考えたくもない‥‥
「刀華殿!!」
弥生が悲痛の叫びをあげる。
「いいから先に行け!!」
「女1人を置いていけるか!」
追いつかれた刀華が刀を抜き、加藤は彼女を守るために足を止めた。
いつもは狩る側の冒険者たち‥‥ 彼らは必死に逃げ、そして何とか麓の宿場までたどり着いた。
休む間もなく麻生たちは馬をとばして江戸へと走る。
焔威はギルドが派遣した調査員に同行して襲撃された現場に戻った。焚き火は燃え尽き、白い灰が黒く焼けた地面の上に残っている。
「ひでぇな‥‥」
そこで何があったのか、一目瞭然だった‥‥
グニャリと曲がって使い物にならなくなった刀‥‥
引き裂かれた鎧につけられたいくつもの歯型‥‥
周囲の木々に飛び散った血‥‥
妙にどす黒い地面‥‥
「斉藤‥‥」
この状況から導き出せる答えは1つしかない。
どす黒い土の中から泥の付着した髪を拾い上げると焔威は無言でその場に立ち尽くした。人なんてあっさり死ぬことは分かってるはずだったが、今は無性に遣る瀬無い気持ちに囚われていた。
(「やられたらやりかえす、餓鬼の頃からやってることだ」)
今度会ったらただでは済ませない。そう誓って‥‥
「痛っ‥‥」
途中、行方不明になっていた刀華は崖から落ちたことが幸いし、山姥の餌食にはならずに済んでいた。打ち身や捻挫に呻きながら麓を探して彷徨っているところを調査班に発見され、同行していた僧兵によって傷を癒やされて帰路につくことができた。
「許さねぇ」
同じく途中で脱落していた加藤。刀華を庇おうと老婆の前に身を晒して回避に専念したはいいが一行とは逸(はぐ)れてしまい、猟師の知識を活かして山を抜け、自力で麓の宿場へとたどり着いていた。再戦を深く心に誓って‥‥
山中での依頼であったために麓の宿場に馬と余分な荷物を置いてきたことが幸いしたと言えるだろう。そうでなければ、そのせいで財産は兎も角、命さえ失ったかもしれない。
「とんだ災難にあったな‥‥ これはギルドからの見舞金という名の情報料だ。ホントに少ないが取っておいてくれ」
一行にとってそんなことはどうでもよかった。今は安心して眠れる場所があるだけで十分だったからだ。