●リプレイ本文
●まじめな話
ここは下野国、那須温泉神社。
蘆名解放のための軍を進める前に、疲れを洗い流そうと神湯が特別に解放され、多いに賑わう中‥‥
与一公貸し切りの一角を、静かに進む一団あり。
「あのぅ‥‥ 杉田殿? これには、何か意味が?」
「解体新書の挿絵の話をしていたんだが、女性医局員たちが義経公の肉体美がいいんじゃないかと‥‥ね」
「うんうん♪ 彼女たちにも少年の麗しさがわかってきたですよ」
「いや、解体新書の編纂に、七瀬部長のやる気が出るからと」
「ほほぅ♪ 水穂を利用するですか。気持ちに正直になるまで教育しなきゃです♪」
いやいや、そういう問題では‥‥ 突っ込んでいいものやら白翼寺涼哉(ea9502)は悩む。
「流石は軍師。孫子曰く、『上下、欲を同じうする者は勝つ』ですか」
「褒められるほどのことではありませんよ、与一公」
思わず頷く白翼寺。
「それに、宗教画でムサいおっさんの絵より、美少年が題材の方が、読者の食いつきがいいのも事実」
研修のために那須を訪れ、杉田玄白と色々と医学の話をして、感じるところがあったのも束の間‥‥ 台無しである。
「医師薬師だけでなく、家庭を守る女性たちに興味を持ってもらわなければ、世間への浸透は望めませんからね」
「女性局員が多いのは、草の根講座の成果なのです。那須医学は順調に育ってるですよ」
えへんと胸を張る七瀬水穂(ea3744)。酒が入ってても‥‥なくても、水穂はいつも通り。
「胸の方は全然育って‥‥ うぼぁ」
与一公渾身の天然の軽口に、問答無用で肘鉄くらわせるのは、彼女くらいだろう。
何事もなかったかのように、口に指を当てて、与一公に「しぃ」という玄白も玄白だが‥‥
ま、それはともかく、温泉とは民を癒し、国を癒すもの。
「折角の神湯のご開帳だしな♪」
「嬉しそうだな。本当は面白がってるだけなんじゃないのか?」
「そ、そんなことはないぞぉ。知的好奇心というやつだねぃ」
ふ〜ん、とニヤつく九竜鋼斗(ea2127)。
傍観者を決め込むとすれば、特等席というものがある。それを占められるか、否か‥‥
「医療研究のため、那須に協力すると申したのです」
「まぁ、いいが」
九竜に痩せマッチョの背中を晒しつつ、絵筆と帳面を褌に捻り込み、裸の付き合いを満喫することにする白翼寺であった‥‥
「して、解体新書とは、欧州風の腑分け教本となるのかねぃ?」
義経座所へ侵攻中にあって、収まらぬ研鑽振り。白翼寺らの熱心な質問に、玄白は首を振る。
「欧州の医学は、天界の医学に比べると遅れていると聞きますからな。参考にしても、手本とはならぬでしょう」
ならば、天界風の医学教本になるのかと聞かれ、また玄白は首を振った。
「伝え聞くに、天界の医学と圧倒的に違うのは、我らが世界では奇跡や仏法によって負傷を劇的に癒すことができるゆえ」
「確かに、そうですわね‥‥」
那須医局には、七神斗織(ea3225)のように治癒術のために得度して僧となった侍もいるくらいだ。
玄白自身、欧州へ遊学経験があり、華国由来、日本発展の医学との差を感じて研究を続けてきた経緯がある。
だが、冒険者たちの超越魔法による蘇生や天界人がもたらした知識などを鑑みるに、それ以上の差が見えてきたのだと。
「それだけではないよ。巨大昆虫や不死者など、天界では伝説や伝聞の中の存在。
那須に現れた巨大生物の出現事件なども省みるに、摩訶不思議で済ませて良いわけではない」
「動物や昆虫はまだしも、黄泉軍が跋扈する、このご時世、腑分けの献体は、どう採取するのかね?」
「いや、だからこそだよ。イザナギ残党の黄泉人らに死体を利用されないためにも、戦死者は供養してやらねば」
天界では形式的なものであると聞く供養も、こちらの世界ジ・アースでは実用的なものである。
そもそも、蘇生魔法を使える者など、世界でも数えるほどしかいない。
民の功徳が必要不可欠だからこそ、どのように医学の研鑽を世に伝えるのかという方法も重要になってくる。
信仰を失うような医学であれば、ジ・アースにあっては、百害あって一利なしと言っても過言ではないということだ。
加えて、彼らの魔力の源であるソルフの実などは貴重。消費量が生産量を超えれば、いつまでも潤沢にあるとは限らない。
以前にも那須藩財政再建の一環としてソルフの実の栽培計画が持ち上がったが、土地や気候が合わないのか頓挫している。
「だから、解体新書ですか?」
あまねく医療を民に施すには、奇跡や仏法だけでは足らず、また、それらが顕著ではない天界の医学でも不十分。
世界中の月道が活性化している今こそ、一気に各地の医学情報の相互伝達を図る好機‥‥と那須医局は信じている。
そのための解体新書だというのだ。
「天界の杉田玄白が、昔に記したものらしいからね。あえて同じ名前を使わせてもらおうと思う。
果たして、これが同じものになるのか、違うものになるのか‥‥」
「義経公の裸体の挿絵を画策している時点で、十分に違うと思うが?」
「あはは。役に立つには、手に取ってもらわなければ意味がありません。内容も然ることながら‥‥です」
「そうなのですよ。だから、義経公に白羽をビシッとなのです」
多くの人が解体新書に興味を持てば、その中で医学に興味を持つ者が少しは現れるだろうという主旨なのだから‥‥
「直接頼めば、いいのに‥‥」
「真面目すぎるからね。彼は‥‥ 蘆名への出陣前に、ほぐれてほしいんですよ」
目を細める与一公に、ゾクリとする九竜。
「与一公の、義経公の御身を気遣う姿勢に感銘を受けます」
酔ってるだろう、白翼寺。九竜は、まぁいいかと言葉を飲み込んだ。
それにしても‥‥
施政者として型破りだし、社会的にも何かとしぶといし、いつの間にか周囲を巻き込んで渦の中心にいるし‥‥
歴史転換の特異な鍵? 天然の腹黒さ? うまく言い表せないが‥‥
そこが、与一公の面白いところ‥‥なのかもしれないと、思わず吹き出す。
「気づかれるですよ♪」
「おぶぅ」
問答無用の水穂の鉄火肘が、九竜に涙を誘った。
「なんと言いましょうか‥‥ 与一公って、結構お茶目な方ですのね‥‥」
「真面目に不真面目なのは‥‥ う〜ん、最初に会った頃からですね。そういえば」
くくっと笑う与一公に、七神もカイ・ローン(ea3054)も思わず釣られ、肘鉄を食らう前に口を押さえた。
●裸の付き合い
義経公の御座所に闖入者?
「何か来ます。イザナギ残党でしょうか? 殿、ご用心を」
「いや‥‥ 落ち着きなさい、咲耶。ご説明いただけるのでしょうね、与一公?」
剣に手を掛けていた義経四天王・来迎寺咲耶(ec4808)らを、源義経が制した。
「義経公、医学の進歩のために人柱になっていただきますよ」
「しっかと見届けさせていただく! 俺でもなく、ムキムキ兎でもなく、その求められた裸体が相応しいのか、どうかをな」
那須藩主・与一公ほか、褌や湯衣の一党が座所を取り囲んでいる。逃げ場は‥‥浴場しかない‥‥
そういうことか‥‥ 佐藤忠信が、眼光で与一公らを牽制しはじめた。
此度は並みの戦とは勝手が違う。義経公の裸体を守るという目的があるとはいえ、そもそも勝敗の基準すら曖昧でなのだから‥‥
激しい戦闘になれば、ぽろりもある。恥態を晒さぬ方策などあるのだろうか‥‥
「今や源氏の棟梁ともあろう方が、那須公や家臣の手により、その意ならず脱がされるなど、あってはなりません!」
「まぁ、もっともな話じゃなぁ。これが勝敗の境目となるのか?」
来迎寺に茶々を入れる重蔵は、面白い方に味方しかねない雰囲気である。
「ご老体、冗談では済みませぬぞ」
忠信の闘気に、重蔵はおどけてみせた。
「慕い集った皆々に示しがつかなくなるよりは‥‥ 誰の手にも染まらず、殿、自ら進んで見せつけられるがよろしいかと」
「咲耶‥‥ よく言った。我が着替えを阻止してもらいましょうか、与一公」
「承知しました。本気で脱がしに掛かりますよ、皆さん」
大真面目な話、これが勝敗の落としどころになったようである。
というか、真面目な顔でする話ではないのだけれど‥‥ まぁ、面白そうだと思ってしまったのよね。私も。
「にゅ、楽しみが‥‥」
心の声が漏れていますよ、誰かさん‥‥
「殿、時間を稼ぎます! そのうちに着替えを」
「そう、簡単にいくかな?」
「ぐっ‥‥ 猟兵隊の手勢は、幕外か‥‥」
日本、いや世界でも英傑と呼ばれる者たちが、虎視眈々と隙を狙う‥‥
そんな多勢に無勢の状況で、義経公を着替えさせることができるのか?
義経公の御座所は、当然ながら部外者立ち入り禁止になっていたんで幸い‥‥って、そうしたのは与一公なので確信犯か‥‥
「まさか、婦女子を力ずくで剥くなんて、士道に反することはいたしませんよね? 那須の方々」
「継信殿、手伝って差し上げたら、いかがかな? よもや婦女子の着替えを、我らに晒すわけ、ありますまいな。
それこそ奥州武士の名折れ、義経四天王の名が泣きますぞ」
流石は策士、杉田玄白‥‥ 来迎寺の策を逆手に取って、四天王の2人を無力化しようとは‥‥
那須勢の女性陣は、すでに湯衣姿‥‥
生地越しに体の線が覗き、改めて義経勢の男性陣が唾を飲み込む音が聞える‥‥
「私程度の策では、これが限界ということ?」
「案ずるな。これしきのこと、乗り越えられぬ殿ではない」
自らの帯を解き、打ち掛けを広げて衝立となった継信の助けを借り、来迎寺が着替えに入る。
「あ、あの‥‥」
はだけた自分の前は、いまさら隠しようがない。問題は、来迎寺の柔肌の方。
「済まぬ‥‥」
「こちらこそ、申し訳ありません。義経公を守らなければならない、このときに‥‥」
継信は、頬を赤らめて中空を見つめると、顔を背けた。
その着物の向こう側で、来迎寺の帯が、はらりと床に落ちる‥‥
うぉう、甘い甘い。
「この温泉は、お砂糖が入っているというのは真実であったのかもしれないねぃ」
「ははは、お砂糖か。善き哉、善き哉。仕方ないなぁ。老体ゆえ、少しの時間しか稼げませぬぞ」
戦力的には3人が1人になったのか、2人脱落して1人傍観するはずが3人のうち1人残ったのか‥‥
定かではないが、重蔵が一時参戦を表明したことで、場の空気が変わる。
「無理をすると、腰を痛めますよ。重蔵どの」
「心配は無用だ。ここは2人の分まで活躍させてもらうとしようか」
作法無用のオーラマックス!
重蔵の闘気が、一気に場の空気を温め、まるで精霊の理の如く、一気に流れを作り出した。
「年寄りの冷や水といいますよ!」
クーリア・デルファ(eb2244)特製の湯揉みハンマー『みょるにる』のスマッシュがバーストアタックで水面を叩く!
「うぉぶ! やりおるな!!」
「与一公に杉田様だけでなく、重蔵様まで大人気ないですよ。腰を痛めないうちに横にして差し上げます」
これが冷や水でなく温泉であるところが、クーリアの医局員としての優しさであろう。
だが、『みょるにる』の重さで手数の少なくなっているクーリアと、オーラマックスで手数を増やしている重蔵とでは‥‥
「女性(にょしょう)だからといって手加減はせぬ。ここは戦場だ」
当然ながら勝負にならない。
「ふぅむ、少しは色っぽい声でもあげれば可愛いものを」
そういえば、重蔵の武勇伝に「泣かせた女は数知れず」というのもあったような?
うわ、ご主人の「うちの嫁は、いつでも可愛い」って声が、那須まで聞えた気がする‥‥
「ケントさんは、なんか人妻だから他人にあまり肌を見せるなって言うけど、あたいの裸なんて見てもしょうがないのにね」
火傷や打撲だらけの肌だが、その身に刻まれた歴史が、美しさを醸し出す。そんな女性もいるのだなぁ‥‥
ほらほら、油断大敵。
「隙ありっ!」
「うにゃわぼぅわたたたたた」
いや、達磨落としの要領で、珠の瑕である腰に一撃をくらわせるとか、クーリア、容赦ないでしょ。
「あたいも、あたいの肌より、与一公とか義経公とかの方が綺麗だと思うの。だから、邪魔はさせません。
杉田様が言うには、解体新書の挿絵のために、是非とも脱がして、恥じらいを絵に乗せなくてはならないらしいから」
「この重蔵、よもや戦場で戦いを忘れるとは‥‥」
時間切れを待たずに、重蔵は戦線離脱。
「ほら、無理をするから‥‥」
「すまんのぅ」
「それは言わない約束です」
それを看護するクーリアの優しさは、那須医局員の鑑。
‥‥て、どこかで見たような光景だけど、あっちはあっちで、いい雰囲気。
●温泉でのぼせる
周囲の喧騒を他所に、神湯に浸かるジークリンデ・ケリン(eb3225)の隣には、どこか素朴で神秘的な雰囲気の女性がいる。
「そう。秀康殿と‥‥」
光の具合で金色の混じる黒髪。闇を吸い込む月光のような白き肌。血を差したような瞳の奥に輝く金の揺らぎ。
だが、屈託のない可愛らしい笑顔が、その女性を現実的な美しさに留めていた。
「でも、わっ私でいいのか不安で。その‥‥結婚なんて初めてで‥‥」
「だとしたら、私も楽しみ♪ 私も仲人なんて始めてだもの♪
それに、政のことはわからないけど、あなたが秀康殿を好いているなら、それが、きっと一番いいことよ」
湯気越しにも赤面するのがわかる。
「奥方様は、向こうで楽しまないのですか?」
「いいの、いいの。与一の楽しみの邪魔をしたくないもの」
可愛く笑う女性の髪の九尾をあしらった飾りに気づくが、ジークリンデは何か聞こうという気にはならなかった。
九尾との因縁深い喜連川氏の姫として生まれ、与一公の正室として知られている佐久。
だが、広く世間に知られてはいないし、世間に姿を現さない、その身の上を想像するに‥‥
しかしまぁ、その影の薄さは、那須での一連の騒動を考えれば奇跡的‥‥
というか、一度は国を追われた与一公が戻ってこれたのは、彼女の存在があったから?
いや、状況証拠だけで全ては空想にすぎない‥‥
にしても、これまで冒険者が誰も突っ込まなかったのも奇跡的よね‥‥って、これは吟遊詩人としての独り言。
「私も鏡が池で人目を忍んで逢瀬したものよ。でも、戦場で生まれた恋というのも、それはそれで燃えるわねぇ」
うっとりと胸の前で手を組む佐久に、ジークリンデは安堵する。
「秀康様に源徳宗家を継いでいただき、源徳の家門を滅茶苦茶にされないようにしたいのです。ところが、関白様は‥‥」
「あのね‥‥」
「はい‥‥」
「事情は話せないけど、私は喜連川の社から出てはいけないの。この温泉旅行も、禰宜たちに知られたら大騒動よぉ♪
でも、怒られるときは一緒だからって♪ それにね。与一は、狐川の名を継いでくれた。それが嬉しいの。それで十分」
ぽかんとするジークリンデに、佐久は笑う。
「ケリンさんは幸せ?」
「私は、姉様以外から優しくされたことがなくて、利用されているのは分っていたけれど、優しくされたのが嬉しくて。
私は人と触れ合うのが怖かったけど、人との絆を求めていたのかも知れなくて‥‥」
心に澱のように溜まっていたものを、吐き出してもいいんだろうか? その答えは、自ずと口をついた。
「その‥‥ 私は幸せになっていいんですか?」
「自分が幸せと思わなければ、幸せじゃないわ。私は幸せよ。一緒に生きてくれるのが嬉しいの」
結婚のときには、それはもう大っ変だったんだからと微笑む佐久の笑顔に、ジークリンデは少し癒された気がした。
いつでも与一公が飄々としているのは、佐久の笑顔があるのかもしれない。一瞬、そう思ったり。
「頭を撫でられるだけでも嬉しくて‥‥ 抱きしめられたらどうしよう、唇を重ねられたら‥‥」
恥ずかしさで、はにかんでしまうジークリンデを、佐久は抱きしめる。
「うまくゆくと信じなくて、うまくゆく訳がないわ。ケリンは幸せよ。こんなに秀康殿のこと、愛してるんだから」
「そんなものなんですか?」
「そうよ。占いなんかしなくたって、月の巫女が証文するわ。あなたは、今、幸せよっ♪」
今日という日に感謝したい‥‥ そして、これからも。
幸せってなんだろう? まだわからないけど、信じなければはじまらないのだということは、わかった気がする‥‥
「百〜合〜〜♪」
「ごめんな、佐久♪」
場をぶち壊す水穂の首根っこを引っこ抜いて、じゃなっと与一公がブン投げる。
「痛っ!」
「誰の胸が痛いですか〜〜!」
「違っ♪」
体ごとぶつかってきた水穂に、頭をぽかぽかされて義経公が笑う。
「これが私の幸せの形よ♪ 思っていた形ではないかもしれないけれど」
「そうですね。信じる未来があるから幸せなんだ」
「一杯、いかがですか?」
佐久とジークリンデは湯船に腰掛け、火照る体を風で冷ましながら、フィーネ・オレアリス(eb3529)の注ぐ銘酒に舌鼓した。
ざばぁ‥‥
「うっかり溺れるところだったわい」
「与一公の奥方様に不埒な真似をするからです」
「だから、飛ばされてきただけだと言うに」
コアギュレイトで禁縛されていた重蔵が、フィーネに不満げに訴えるが、聖印を見せられて怯む。
「気がついたのなら、さっさと行きなさいまし」
「ふん、わからずやめ。それでは奥方様、失礼をば♪ ジークリンデ殿も♪」
聖印を振り上げるフィーネに悪態をつくと、悪戯っぽく笑い、重蔵は騒ぎへ突入してゆく。
「それでね。与一ったら、あんなことやこんなことを」
「それは大胆‥‥ 私も旦那様と‥‥」
身を寄せてヒソヒソ話をする佐久とフィーネに、真っ赤な顔のジークリンデは、頭から湯気を漂わせている。
どうやら、まだ人妻談義は早いらしい。
「ほら、温泉なのに肩が凝ってしまいますよ。笑って、笑って」
肩を揉まれたジークリンデが、ひゃっと声を上げる。
「あら、可愛い」
「初々しいなぁ‥‥」
はにゅ‥‥
背中に当たるフィーネの柔らかいものに、思わずジークリンデが身を固めると‥‥
「奥方様? フィーネ様?」
「きれいな肌♪」
「本当ね。お姉さんに見せてごらんなさい?」
「ちょ、お姉さま」
佐久とフィーネは不敵に顔を綻ばせる。
「体を洗って差し上げましょうね」
「ありがとうございます。って、あん‥‥」
義経公の奥州での思い出や母上のことなどにも興味あるが、今は‥‥
●名勝負数え歌
「ぐっはあ‥‥」
忠信が、全身に根義を受けて立ち往生‥‥
「一騎当千の忠信殿も、我らの集中攻撃の前では無力でしたねぃ」
それはそうだろう‥‥ 防戦一方では、いずれジリ貧なのはわかっていたこと。
「お前の働きは無駄にはしない‥‥」
涙目の義経公は、八艘並ぶ湯船を軽快に飛び超えてゆく。
これが、後に演目に謳われる「忠信立ち往生」「義経八艘跳び」の故事なのだが、まぁ、それは別の機会にでも。
そこで、
「‥‥とと、義経公、見かけによらず、ご立派な。ふふふ、そこを退くのだねぃ」
褌によって解き放たれた白翼寺の褌踊りが来迎寺に迫る。というか、義経公の、どこ見て言った?
まぁ、完成寸前、完成直後の少年の恥じらいとは別の、誕生したばかりの溢れんばかりの凛々しさも、また良しというところか。
「なんてやつ‥‥ この重圧っ‥‥」
帳面を片手に、ぺろりと筆を舐める白翼寺の仕草に、来迎寺は後ずさりした。
「やらせはせんぞぉ、殿も咲耶も俺が守る!!」
佐藤ふる継信ちんが立ち塞がる。
「屈強な戦士の体も乙なもの。ですが、少年の完成する直前の、誕生したばかりの漢の美しさをこそ、後世に残すべきですねぃ」
「そういう心積もりならば、余計に通すわけにはいかんな。咲耶殿、殿の守りを固めてくれ! ここは俺が抑える!!」
仁王立ちの向こうに見える『ぶら〜ん』が目に焼きついて、来迎寺は気がついていない。名前で呼んでくれた事実を‥‥
ごっつ!!
「相撲なら負けんぞ!」
「ははん? 戦いは力だけでは決まらないのさ。根義の力を思い知れ!」
筆と帳面を褌に捻り込み直し、葱を尻尾のように使った3点支持で、ふる継信ちんのぶつかりを受け止めた白翼寺。
「いかあん! あれは、褌王奥義・根義好苦楽地(ねぎすくらっち)!!」
「な、なにあれ!?」
与一公や玄白を牽制していた兎耳大明神が叫ぶが間に合わない!
突進の衝撃で地面に突き刺さった根義は、褌王の体を離れ、来迎寺の眼前で、ふる継信ちんの臀部と一体になった。
「いやぁああ!!」
湯殿の床に突っ伏す寸前、ふる継信ちんは根義を引き抜くと、一歩、二歩と踏み堪える。
「ちぃ、咲耶の前で‥‥無様な‥‥姿をさらせる‥‥かよ」
「葱の極楽に耐えるとは、流石は義経四天王だねぃ」
投げ捨てられた根義を空中捕手すると、湯殿の石組みに飛び乗り、腕組みして褌王は不敵に笑う。
「お前の相手は、俺がするしかないようだな」
「ココで会ったが、やっとかめ! 主君の為に脱いでもらおうかねぃ」
不可侵の闘気の結界でもできたのか? いやいや、近寄りたくないだけかな? それとも陽気が妖気と化したか?
いつの間にか、漢2人の戦いは、たった1枚の褌をめぐる戦いになっていた。
「あれで決着をつけよう」
「まさか、美一布裸倶(びいちふらっぐ)か‥‥ いいだろう」
倭国裏大戦にも登場する、知る人ぞ知る名勝負の一幕。
冒険者ギルドで依頼の取り合いをビーチフラッグと呼ぶのは、これに由来するという‥‥
というか、義経四天王・陸堂明士郎(eb0712)。主君の一大事だというに、どこに行ってしまったんだ?
●けっこんな話で
「ほんと元気だよ、みんな」
「そうですね」
真面目に付き合うのに疲れたカイと七神は、思わず溜息をつく。
「那須に来て五年か。解体新書が形になるんだな」
「色々ありましたね」
すこ〜ん!
ときおり風呂桶なんか飛んでくるが、2人だけの世界に浸っている彼らをホーリーフィールドが守護していた。
「戦ばかりだった気がする」
「カイ様が無事に戻られて、本当に良かった」
七神は、カイの広い背中に、そっと寄りかかる。
「お酒に酔ったのか?」
「あまり強い方ではないので‥‥」
「そうか」
それを信じてしまうカイの性格に、思わず赤面してしまう。
御姫様だっこして湯船の縁に座らせたカイは、七神の額に張り付いた髪を整え、その隣に座る。
「はじめて会ったのは‥‥ まだ十矢隊があった頃の七夕だったね‥‥」
「あのころは‥‥」
昔を思い出すと顔から火が出そう。
「どこかで横になろうか?」
こういうことを平気で言うから、この人は‥‥
「このままで大丈夫です」
「そう、良かった」
2人の間に流れる沈黙‥‥
「義経殿への申し訳なさで落ち込んでるとき、斗織さんが気を使ってくれたの嬉しかった。改めて、ありがとう」
黙って七神は首を振った。
思えば、那須軍で知り合った2人だが、最近まで味方でしかなかった。
ようやく斗織を好きだと思うに至ったカイだが、七神が思い続けていた事実には気がついていない。
だが、ずっと好きでしたとは七神も言わない。
告白する恥ずかしさもあるが、言ったところで、そうだったのかと流されるのは目に見えていたからだ。
「そういう優しさに惚れたんだ。斗織さん、これを受け取ってもらえるだろうか?」
カイは、自分の手から白銀の指輪を大切に外すと、いつもの大らかな笑顔を浮かべた。
「嘘‥‥」
紅潮する頬を伝って、思わず零れる涙に、カイが取り乱す。
「え、えっと‥‥ ごめん、忘れてくれ」
引っ込めようとする指輪を、七神は優しく手の平で包み込む。
「嫌です」
「え?」
「嬉しいんです。わからないですか?」
「ごめん‥‥」
身をかがめると、カイは顔を近づけた。七神の甘い香りがする。
「ご両親に挨拶しないとね」
「お婆さまでは駄目ですか?」
複雑な表情で七神の指に結婚の誓いをはめるカイを眺めながら、複雑な家庭の事情なのと右手で頬の涙を拭う。
「その‥‥ ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「俺も至らないけど、よろしくお願いします。って、うわっ!!」
「志士忍法、火の鳥!」
「何だそりゃ!」
九竜にかわされた先で、ホーリーフィールドを破る水穂。
「わりぃ」
「あ、いや‥‥ 九竜さぁん?」
四つん這いのカイの下で、顔を赤らめて硬直する七神を見て、手で結界を切りながら九竜は去ってゆく。
「若いねぇ。いや、初々しいっ」
「邪魔したら駄目じゃない。まったくもぅ」
「じゅ、重蔵殿にクーリアさんまで!」
まぁ、七神の指には無事に指輪があることだし、好し! ってことで、怒るなカイ。
「仲人してあげましょうか?」
「奥方様まで‥‥」
いたずらっぽく佐久が笑う。
「いいじゃないですか。幸せは、みんなで分かち合えばいいんです」
「ほんと‥‥ みんなと一緒に幸せを分かち合いたいですね‥‥」
フィーネが十字を切って祈る隣で、ジークリンデは星を見上げ、流れ星に願いを込めた。
●祭り奉り祀りまっする
「しかし、姫は兎の中身を知ってるのかねぃ?」
「何のことだかな‥‥」
「知っとるぞ? 兎耳姿がバレてアゲハにお預け喰らったのを」
「くぅ‥‥ 知らぬわ!」
互いに死力を尽くし、千日戦争に陥った褌王と兎耳大明神は、組み合ったまま動けなくなっていた。
「お前さんら、たいがいに湯冷めするぞ」
「まったくなぁ」
重蔵と玄白の言葉で、周囲の様子に気づいて愕然とする。
「ぁああ、お砂糖がぁ」
「見逃したというのか? この俺が‥‥」
見れば、与一公と佐久、カイと斗織、‥‥
他にも多くの者が、恋人や伴侶と談笑したり、酒を酌み交わしていたり。らっぶらぶだぁ♪
「あの‥‥玄白殿‥‥ 絵の方は?」
「あぁ、無事に描かせてもらったよ。いやぁ、いい絵が描けたよ」
根義がへにゃってしまうほどの、あまりの動揺‥‥
「重蔵殿‥‥ それで義経公は?」
「褌姿で戦勝祝いの神輿に乗りに行かれたぞ。紅白戦の白組大将は、義経公しかいないと民にねだられてな」
「そんなぁ‥‥」
月光と篝火に照らされた神輿合戦と大宴会で盛り上がる温泉神社。
わ〜しょい! わ〜しょい!!
この大歓声だ。皆で英気を養い、これまでの労苦を大いに発散しているのは間違いない。
あぁ、継信と咲耶が掛け声を合わせているのが聞える。
「ほんのり甘いなぁ‥‥」
わぅう?
足下で兎耳飾りを被った忍犬の不動が、首を傾げている。
「いろいろと‥‥」
「終わった‥‥」
そのまま真っ白に燃え尽きたことが、千日戦争から褌王と兎耳大明神を救ったのは不幸中の幸いと言えただろう‥‥
杉田玄白曰く、あのまま続けば、那須の家門「一の下に菊」の「一」が根義になっていた可能性は捨てきれない‥‥だろうと。
そうなっていれば、いろんな意味で那須家が終わっていたかも‥‥
いや、別の意味で熱狂的な信者は増えるだろうが、いやいや、これ以上は言うまい。